昨日は小学科でメッセージをさせていただきました。ヨハネ4:1-29からイエス様に出会ったサマリヤの女の人のお話です。
実家との往復で忙しく、準備する時間が少ししかありませんでした。でも、以前描いたパネルシアターの絵があったので、それを使うことにしました。
お話は、テキスト「成長」(いのちのことば社)を参考に書いて電車の中で覚えました。
小学科低学年向けにしては、難しい聖書箇所でした。イエス様とサマリヤの女の会話は、礼拝する場所についてまで及んでいましたが、その部分は省略しました。
お話を紹介します。
サマリヤのスカルという町にひとりの女の人が住んでいました。その人は昼の12時ごろ、井戸の水をくむために水瓶を持って歩いていました。
サマリヤ地方は、昼間は日が照りつけてとても暑く、そんな時間に水を汲みに行く人はほとんどいませんでした。みんな朝早くか夕方の涼しい時間にくみに行っていました。
なぜ女の人は暑い時間に水をくみにでかけたのでしょう……。女の人は正しい生活をしていなかったので、町の人からのけものにされていました。陰口を言われていることも知っていました。それで、町の人に会わないようにわざと人の来ない時間に水汲みに行ったのです。
さて、井戸のほとりにはイエス様がすわっておられました。
イエス様はサマリヤを通ってユダヤからガリラヤへ行く旅をしておられました。
そのころ、ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪く、ユダヤ人はサマリヤ人を馬鹿にしていました。ユダヤ人はサマリヤの土地を通ることさえきらって、サマリヤを通らずにわざわざ遠回りしてでかけていました。
でも、イエス様は違いました。
女の人は、井戸のそばにユダヤ人の男の人がすわっているのをみて、どうしてユダヤ人がサマリヤにいるのかしらと思いました。
イエス様は、女の人に言いました。
「わたしに水を飲ませてください」
女の人はびっくりしました。ユダヤ人がサマリヤ人に話しかけることがなかったからです。
「あなたはユダヤ人でしょう。どうしてサマリヤ人のわたしに水を飲ませてくださいなんて言うのですか?」
女の人が尋ねると、イエス様は不思議なことを言われました。
「わたしはあなたに『生ける水』を与えることが出来る。その『生ける水』を飲んだ人は決して渇くことがない」
「えっ、そんな不思議な水があるなら、わたしに下さい。それを飲めば、もう水汲みにこなくていいのですね」
女の人はイエス様の言われる『生ける水』を飲めば喉が渇かなくなるのだと思ってそう言いました。
でも、それは喉が渇かなくなるのではなく、心が渇かなくなるという意味でした。女の人は、心に悲しみがあって、寂しくて心が渇いていたのです。
それでは『生ける水』とは何でしょう? 『生ける水』とは、イエス様の下さる水のことです。それを飲むというのは、イエス様を救い主と信じることです。
信じたら、その人の心の中で永遠のいのちへの水が湧き出るとイエス様が言われました。
聖書の言葉を読んでみましょう。
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネ4:14)」
イエス様を信じることによって新しいいのちが与えられ、なくなることのない喜びが心にあふれるのです。
イエス様がこのように言われたのは、この女の人の生活をご存じだったからです。この人は幸せになりたくて5回も結婚しましたが、どれもうまくいきませんでした。いつも満たされない寂しい気持ちでした。町の人からはのけ者にされ、ひとりぼっちでした。イエス様はそんな女の人の悲しみをすべてご存知でした。
イエス様は「あなたは5回結婚しましたが、今一緒に住んでいる男の人はあなたの夫ではありませんね」と言いました。イエス様が女の人がしたことを言い当てたので、女の人は驚きました。
(わたしはこの人に今日初めて会った。自分のことは何も話してないのにこの人は知っていた。この人はいったい誰なの? 神様のことを伝える預言者なのかしら)
女の人は思いめぐらしているうちに、聖書(旧約聖書)の言葉を思い出しました。
「聖書には救い主がいつか来てくださると書いてありますが、救い主がもし来てくださったら、正しいことを教えてくださるのでしょうね」
「あなたと今話しているこのわたしが救い主です」
「えっ! あなたが、救い主なのですか。ああ、わたしは救い主と出会って、話したのですね。」
女の人の心に喜びが湧きあがりました。イエス様を救い主と信じたので、今まであった悲しみや空しさがなくなってしまいました。
そして、急いで町へかけて行き、人々に向かって叫びました。「みなさん、聞いて下さい。わたしは救い主に会いました。井戸のそばおられる方がそうです。みなさん、来て、見てください」
女の人はそれまで町の人と顔を合わせないようにしていたのですが、イエス様に出会ってすっかり心が変えられて、町の人にイエス様を伝えました。伝えずにはいられなかったのです。
女の人のおかげで多くのサマリヤ人がイエス様を信じるようになりました。
サマリヤの女の人は、最初、人に会いたくなくて人の来ない時間に水汲みに出かけていましたね。でも、このとき女の人は町の人のところへ出かけて行っています。どうしてでしょう……。
それは、女の人がイエス様の下さった『生ける水』を飲んだからですね。『生ける水』が泉のようにあふれ出て、喜びでいっぱいになったのです。心の渇きがなくなったのですね。それで救い主を町の人たちに伝えたいと思ったのでした。
わたしも『生ける水』をいただいています。だからどんなに苦しい時でも、喜びが泉のように湧き上がってくるのです。
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実家との往復で忙しく、準備する時間が少ししかありませんでした。でも、以前描いたパネルシアターの絵があったので、それを使うことにしました。
お話は、テキスト「成長」(いのちのことば社)を参考に書いて電車の中で覚えました。
小学科低学年向けにしては、難しい聖書箇所でした。イエス様とサマリヤの女の会話は、礼拝する場所についてまで及んでいましたが、その部分は省略しました。
お話を紹介します。
サマリヤのスカルという町にひとりの女の人が住んでいました。その人は昼の12時ごろ、井戸の水をくむために水瓶を持って歩いていました。
サマリヤ地方は、昼間は日が照りつけてとても暑く、そんな時間に水を汲みに行く人はほとんどいませんでした。みんな朝早くか夕方の涼しい時間にくみに行っていました。
なぜ女の人は暑い時間に水をくみにでかけたのでしょう……。女の人は正しい生活をしていなかったので、町の人からのけものにされていました。陰口を言われていることも知っていました。それで、町の人に会わないようにわざと人の来ない時間に水汲みに行ったのです。
さて、井戸のほとりにはイエス様がすわっておられました。
イエス様はサマリヤを通ってユダヤからガリラヤへ行く旅をしておられました。
そのころ、ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪く、ユダヤ人はサマリヤ人を馬鹿にしていました。ユダヤ人はサマリヤの土地を通ることさえきらって、サマリヤを通らずにわざわざ遠回りしてでかけていました。
でも、イエス様は違いました。
女の人は、井戸のそばにユダヤ人の男の人がすわっているのをみて、どうしてユダヤ人がサマリヤにいるのかしらと思いました。
イエス様は、女の人に言いました。
「わたしに水を飲ませてください」
女の人はびっくりしました。ユダヤ人がサマリヤ人に話しかけることがなかったからです。
「あなたはユダヤ人でしょう。どうしてサマリヤ人のわたしに水を飲ませてくださいなんて言うのですか?」
女の人が尋ねると、イエス様は不思議なことを言われました。
「わたしはあなたに『生ける水』を与えることが出来る。その『生ける水』を飲んだ人は決して渇くことがない」
「えっ、そんな不思議な水があるなら、わたしに下さい。それを飲めば、もう水汲みにこなくていいのですね」
女の人はイエス様の言われる『生ける水』を飲めば喉が渇かなくなるのだと思ってそう言いました。
でも、それは喉が渇かなくなるのではなく、心が渇かなくなるという意味でした。女の人は、心に悲しみがあって、寂しくて心が渇いていたのです。
それでは『生ける水』とは何でしょう? 『生ける水』とは、イエス様の下さる水のことです。それを飲むというのは、イエス様を救い主と信じることです。
信じたら、その人の心の中で永遠のいのちへの水が湧き出るとイエス様が言われました。
聖書の言葉を読んでみましょう。
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネ4:14)」
イエス様を信じることによって新しいいのちが与えられ、なくなることのない喜びが心にあふれるのです。
イエス様がこのように言われたのは、この女の人の生活をご存じだったからです。この人は幸せになりたくて5回も結婚しましたが、どれもうまくいきませんでした。いつも満たされない寂しい気持ちでした。町の人からはのけ者にされ、ひとりぼっちでした。イエス様はそんな女の人の悲しみをすべてご存知でした。
イエス様は「あなたは5回結婚しましたが、今一緒に住んでいる男の人はあなたの夫ではありませんね」と言いました。イエス様が女の人がしたことを言い当てたので、女の人は驚きました。
(わたしはこの人に今日初めて会った。自分のことは何も話してないのにこの人は知っていた。この人はいったい誰なの? 神様のことを伝える預言者なのかしら)
女の人は思いめぐらしているうちに、聖書(旧約聖書)の言葉を思い出しました。
「聖書には救い主がいつか来てくださると書いてありますが、救い主がもし来てくださったら、正しいことを教えてくださるのでしょうね」
「あなたと今話しているこのわたしが救い主です」
「えっ! あなたが、救い主なのですか。ああ、わたしは救い主と出会って、話したのですね。」
女の人の心に喜びが湧きあがりました。イエス様を救い主と信じたので、今まであった悲しみや空しさがなくなってしまいました。
そして、急いで町へかけて行き、人々に向かって叫びました。「みなさん、聞いて下さい。わたしは救い主に会いました。井戸のそばおられる方がそうです。みなさん、来て、見てください」
女の人はそれまで町の人と顔を合わせないようにしていたのですが、イエス様に出会ってすっかり心が変えられて、町の人にイエス様を伝えました。伝えずにはいられなかったのです。
女の人のおかげで多くのサマリヤ人がイエス様を信じるようになりました。
サマリヤの女の人は、最初、人に会いたくなくて人の来ない時間に水汲みに出かけていましたね。でも、このとき女の人は町の人のところへ出かけて行っています。どうしてでしょう……。
それは、女の人がイエス様の下さった『生ける水』を飲んだからですね。『生ける水』が泉のようにあふれ出て、喜びでいっぱいになったのです。心の渇きがなくなったのですね。それで救い主を町の人たちに伝えたいと思ったのでした。
わたしも『生ける水』をいただいています。だからどんなに苦しい時でも、喜びが泉のように湧き上がってくるのです。

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