1日目は六甲アイランドのホテルで泊まりました。ホテルから見る夜景がきれいでした昔と比べると倍以上の灯りがともっているので、100万ドルではなく200万ドルの夜景です。
(写真は、舞子ビラから撮ったもので、あまりよく撮れていません。点灯しているは明石大橋です)
泊まったのは5人。ホテルでやったことは、ハンカチねずみの作り方講習(?)保育科出身のわたしたちの半数は、現役で保育の仕事をしています。
わたしたちは子どものようにハンカチねずみを作って動かし、楽しみました。
翌日(21日)は、この旅行のもうひとつの目的、母教会を訪れました。母教会とは洗礼を受けた教会のことです。友人の1人、S子が一緒にいくといっていました。他の3人は美術館へいき、お昼に再び会うことを約束して……。
とても不思議なことがありました。旅行に出かける前々日、S子から「教会の正式な名前を教えて」というメールが届きました。
「日本基督住吉教会」と答えると電話がかかってきて、「その教会、兄の母教会やねん。小学生の頃わたしも兄に連れられてその教会へ行ったことがあるんや」というではありませんか。
S子は姫路に住み、普段は姫路の教会に通っています。お兄さんは38年前、神戸大学在学中に住吉教会に通っていたそうで、いま奈良県に住んでおられます。
奥さんも住吉教会出身だそうです。神戸にはたくさん教会があるのにS子のお兄さんの母教会とわたしの母教会が同じだったとは……。今回、わたしが母教会を訪れるといわなければ、わからなかったことです。
「偶然ではなく、神さまの不思議な導きやね」とS子と話しました。
住吉教会はわたしが通っていたところの会堂ではなく、移転してマンションの二階で礼拝がもたれていました。牧師先生は今年80歳になられるそうですが、24年前とちっともお変わりなく、力強いメッセージをされました。
一字一句聞きのがすまいと一生懸命聞きました。昔、住吉教会に通っていたころは、心が落ち着かずときどき考え事をしたりしてこんなに熱心に聞いていませんでした。
もし、あのときもっと真剣に神さまを求めていたら後に教会を離れることはなかったのに……という思いがわき上がりますが、今さら後悔してもしかたありません。
牧師先生は次のように語られました。
「イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは、ねたみから兄のアロンや姉のミリヤムに非難されます。モーセは非難されても弁解せずに沈黙を守りました。
モーセは神様が弁護して下さることを知っていたからです。どんな人でも非難を受けることがあります。でも、そんなとき自分で弁護するのではなく、主が弁護して下さることを信じて平安を得るように」
メッセージを聞いて、かつて人から誤解され非難されたとき、必死に自分で弁護しようとしていたことを思い出しました。
いくら自分で弁護しても相手には伝わらず、ずっと後になってわかってもらえたという経験をしましたが、神様が相手の心に働きかけて下さったのだなあと思いました。
「「神がわたしたちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ人への手紙8-31)」
礼拝の後、「24年前に通っていたMさん(わたしの旧姓)が来ています」と紹介されるとどよめきが起こりました。
次に38年前に通っておられたIさんの妹さんも来ていますと言われるとまたどよめきが……。
知っている人はほとんどいないのではと思っていたのですが、5.6人の方が来て下さり、なつかしい再会を果たしました。
別れるとき、ひとりの兄弟が(教会では同じ主を信じる者を兄弟姉妹と呼び合っています)祈って下さいました。
「次に再会するときは天国でかもしれませんが……」と祈られましたが、本当にそうだと思いました。次にいつ神戸へ行けるかわかりません。地上では最後かもしれない。
でも、ここにいる兄弟姉妹たちとは天国で会える。そう思うと喜びに満たされました。
カメラを持っていったのに教会では写真とり忘れてしまいました。残念でしたが、心のフィルムにしっかり焼き付けました。
それにしても六甲山からの夜景、えらい貧弱でんなあ、どこで写しはったんやろと思もて( )の中の説明読んで笑ろてしまいました。舞子ビラからの夜景だったんですなあ。
六甲山からの夜景、もう一回見てみたいなあ。そうですか、200万ドルに値上がりしてしまいましたか。
あまりにも美しい景色や母教会のように心に残る場所では、写真を撮ることを忘れてしまうのです。
また、旅行中は、写真画像をネットで公開するなどと全く考えておらず、携帯のカメラで
ところどころ写しただけでした。