生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

どんな些細なことでも

2017-05-13 15:49:17 | 日記
三宅島の感動がまだ続いています。上の写真は帰りの船中から写した夕焼け。

旅行記にも書きましたが、今回の旅行は旅行社を通してではなかったので、色々な心配がありました。民宿も東海汽船も観光タクシーも電話一本で予約したので、間違えはないか不安でした。天気が悪ければ船が出ないというのも心配でした。コンビニはなく、店や食堂もたくさんはないということで、あらかじめ地図を見て確認していました。

旅行中は、ひとつひとつのことについて祈っていました。船があまり揺れないようにとか、腰が痛まないようにとか、カツオドリと出会えるようにとか……どんな些細なことでも祈りました。そうしたら、すべてかなえられたのです。そして、不思議なことにかなえられる前から平安が与えられました。

このように書くと、不思議に思う方もいるでしょう。
そもそも祈りというのはどういうものなのか? 祈る対象はどんな方なのか?と疑問に思われるでしょう。

クリスチャンが祈るときは、最初に「天におられる父なる神様」と呼びかけます。
天の父なる神様とは、天地万物を作られた全能の神様です。なんでもご存じで、どんなことでもできる方です。だから、祈らなくてもすべての必要はわかっておられ、備えてくださり、守ってくださるのです。それでも祈るのは、子どもが大好きなお父さんに願いを聞いてもらうのと同じような感じです。

天地万物を作られた偉大な方が、ちっぽけなわたしの願いを聞いてくださるというのでしょうか? 
「願っても、求めても与えられないこともあるのに……。願ったことと反対のことが起きることもあるのに……。」
と思うかもしれません。確かに「明日晴れにしてください」と祈ったのに雨になることはありますよね。
でも、それは神様が祈りを聞いてくださらなかったわけではないのです。もちろん聞こえているのですが、小さな子どもがナイフなど危険なものを求めたとき、親は与えませんね。それと同じで、求めた物とは違っていてもその子にとって、最も良い物を与えてくださるのです。

先日の水曜礼拝で主の祈りについて学びました。
主の祈りとは、イエス・キリストの弟子たちがどのように祈ったらよいかイエス様に尋ねたとき、イエス様が教えてくれた祈りです。

主の祈り
天にいます私たちの父よ。
御名(みな)があがめられますように。
御国(みくに)が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。


5行目に「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」とありますが、毎日食べるものを与えてくださいという、日常生活のことを祈っています。それは、どんな些細なことでも祈るように神様がすすめておられるという意味だと聞きました。

祈ればその通りになるから信じるのでなく、信じているから祈る。祈った通りにならなくても、神様はいつも最良のものを与え、最善をなしてくださいます。


写真は息子夫婦からと娘夫婦からの母の日のプレゼントです。


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