生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

小旅行で大きな収穫(その3)

2017-05-01 16:14:35 | 日記
今回の旅行で初めて知ったことがあります。三宅島への定期船は1日1便しか就航していません。波が高いと着岸できずに戻ることもあるそうです。

また、三宅島にある3つの港のどこに着くか、またどこから出るのか数時間前にならないとわからないというので、驚きました。
旅に出るときは、綿密な計画を立てて用意周到に準備している夫は、落ち着かない様子です。わたしも台風でなければ船は毎日出ているのだろうと思っていたので、三宅島に行くことができても、何日も帰れなかったらどうしようと思いました。



民宿の庭に溶岩がオブジェのように並べられていました。

民宿で朝食をいただいたのち、観光タクシーで島をまわりました。
三宅島は一周30.9キロメートルです。自転車で一周する人もいるようですが、道はかなり起伏があるので、わたしたちにはとうてい無理です。
                            
三宅島は太古の昔から、何度も噴火を繰り返してきたそうです。
20世紀以降では、1940年(昭和15年)、1962年(昭和37年)、1983年(昭和58年)、2000年(平成12年)と4回の噴火が発生しています。
また、現在も年に数回程度、ごく小規模な噴火が起きているそうです。

ひょうたん山は昭和15年に雄山北東山腹の標高200m付近から噴火。大量の溶岩・火山弾・スコリア・火山砂が放出され、たった約22時間のうちに「ひょうたん山」が形成されました。   


昭和58年10月3日、山の中腹にから噴火しました。高さ100m以上に吹き出た溶岩は、阿古地区の一部を飲み込みました。幸いにも人的な被害はなかったそうです。


2007年、この溶岩流の上に、火山道体験遊歩道が完成しました。 




阿古小中学校跡が当時のままの状態で残っていました。流れ出た溶岩が小中学校の校舎で止まったそうです。学校は運動会の代休で休みだったそうで、もしここに子どもたちがいたら……と思うとぞっとしました。


溶岩の隙間から葉が茂り、自然の再生力を目の当たりにしました。


降ってきた直径一メートルぐらいの石を使って石垣が作られています。   

何度噴火を経験しても立ち上がる島民の、島への熱い思いを感じました。 

*小中学校の写真、一部変更しました(5/6)



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