旅の2日目は雨が降っていましたが、高速バスで白川郷に向かいました。


合掌造りの家が立ち並んでいました。山は霧が立ち込め、幻想的でした。
「合掌造り」とは、木材を梁(はり)の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居です。勾配が急なのは、屋根に積もった雪が自然に重力で落ちるためなのだそうです。
白川では「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴です。積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に合った構造になっています。
また、建物は南北に面して建てられています。これは白川の風向きを考えて、風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して、夏は涼しく、冬は暖かくなるように工夫されているそうです。


二階に上がって屋根裏が見学できました。屋根裏部屋が作業場になっているそうです。そこで蚕が飼われていました。
いつ、誰によって、この白川の地で合掌造りの家による集落ができたのか謎なのだそうです。
伝説によると平氏の落ち武者が白川郷に住みついたとも言われていますが、定かではありません。忍者が隠れ住んだとか、浄土真宗の信者が集まって秘境文明を作ったなどと推測されているそうです。もしかして隠れキリシタンの村だったかもしれませんね。
謎ということで、なんだかわくわくしました。
それにしても、今でも人が住み続けているとは驚きました。人が住まなくなると、家は荒れ、崩れてしまいます。昭和初期の合掌造りの家で暮らす人たちの映像を見ましたが、郵便を受け取りに行くのに3日かかり、市場に出かけるのに片道3時間もかかるので、暮らしは不便で大変だったようです。
村を出て行ってしまう人もいたそうですが、ここまで守られてきたのですね。かつてここに住んでいた人たちが、世界遺産になったと知ったら喜ぶことでしょう。家々が天を仰いで祈っているように感じました。

白川郷で食べた五平餅。美味しかったです。
さて、旅は終わりに近づいてきました。3時過ぎ、高速バスに乗って白川郷から高山駅に戻り、ビュー高山で名古屋に向かい、名古屋で解散です。
帰りは7人と2人で車両が分かれてしまいました。残りの時間、車両を行ったり来たりしながら時を惜しむようにおしゃべりしました。
つづく

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