生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

みこころにかなった祈りとは

2016-06-14 16:36:28 | 教会
先日の礼拝のメッセージは、「祈りを聞かれる神」と題して語られました。

Ⅰヨハネ5:14には、「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対するわたしたちの確信です。」と書かれています。神様のみこころに沿った祈りをすれば、かなえてくださるのです。

でも、みこころにかなう祈りとは、どういう祈りなのでしょう。また、みこころにかなわない祈りとはどのような祈りなのでしょうか?
このことは、わたしがずっと前から疑問に思っていたことでした。

S先生は聖書の言葉に励まされて牧師になる決心をした後、大学の教育学部に入ったので、教師になりたいと思われたそうです。教師になって教え子にキリストを伝えることもできる。牧師より教師になった方がいいのではないかと思われ、神様に祈ったのですが、平安がなかったそうです。
Ⅰサムエル記15:22には「聞き従うことは、いけにえにまさり・・・・・・」と書かれています。祈りは神との対話であって値切りの交渉ではないのです。

後にインドネシアの宣教師として召されたときも、自分ではなく他の人の方がふさわしいのではないかと思われたそうです。そのとき、神様の迫りを聞いて、みこころならば従いますと祈られました。

「神様の迫りを受けたことがありますか?」と聞かれ、はっとしました。
過去を振り返ると、節目、節目で迫りを感じました。
みこころにかなう祈りかどうか……すぐにはわかりませんが、祈り続けていると祈りが変化してきます。

何が何でもという自分の願いが薄れていきます。それは、あきらめとは違います。神様のみこころを求めて祈り続けていると、神様の示される道が見えてくることがあります。


『祈りとは、自分の願いが神のみ心と一致していくプロセスなのです』と牧師先生が言われました。
だから祈り続けるのです。苦しみの中から神が良きものを生み出してくださいます。神が導いてくださいます。祈りを聞いてくださいます。
神様は祈りを聞いてくださる方だと確信し、信頼し続けなさい。
祈りとは、全能の神への信頼の告白です。
祈りとは神へのダイナミックな対話です。

ヒルティは「幸福とは、享楽することにあるのではなく、奉仕することにある」
と言っています。

奉仕の喜びを感じつつ、私の願いが神のみこころと一致するように祈り続けたいです。

遅ればせながら、9日に日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。



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