生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

医療ミスをした医師にお礼を言った人

2016-06-20 20:35:47 | CS(子供伝道)
先日、子ども家庭集会で盲目の詩人、ファニー・クロスビーについてお話ししました。(高学年向き)
紹介します。

ファニー・クロスビーは 1820年、アメリカのニューヨーク州で生まれました。お父さんは、彼女が生まれて間もなく亡くなり、母親と信仰深いおばあさんに育てられました。
ファニーは、生後6週間で医療ミスにより目が見えなくなってしまいました。

でも大人になったファニーは、失明したことを感謝しました。非難のため町に住めず行方がわからなくなっていた医師を探し出して感謝の気持ちを伝えたそうです。

ファニーの母親はファニーが失明してしまったことを深く悲しみましたが、ファニーが少し大きくなると、有名な詩人ホーマーやミルトンも失明していたことを話し、ミルトンの「失明について」という詩を読んで聞かせました。
ミルトンの詩「失明について」は、ファニーに失明を乗り越える力を与えました。

おばあさんはファニーに自然の美しさと精神の世界のすばらしさを、詩人の心で受け止めることを教えました。眼のみえない孫のためにおばあさんは、日の出や日没の美しさ、虹のすばらしさ、小鳥や花々の愛らしさを語って聞かせました。

おばあさんは、それにも増して聖書の話を感情を込めて話して聞かせました。後年ファニーは「世界のどのような音楽も、祖母の(聖書を読む)声の美しさにはかなわなかった」と、言っています。ファニーは祖母が読む聖書の文章を暗唱していました。
この聖書の言葉の中からファニーの讃美歌が生まれたのでした。

ファ二―は27歳で盲学校の教師として働き始めました。3年後の30歳の時のことです。日曜日いつものように教会に出席していた時、聖歌隊が讃美歌旧138番「ああ主は誰がため世にくだりて」を歌いました。
「ここに、主よ、私自身を捧げます。」という言葉を聞いた時、ファニー自身もイエス様に生涯を捧げる決心をしました。

38歳の時結婚したファニーは、2年後に赤ん坊を生みましたが、赤ん坊は生後間もなく死んでしまいました。彼女はこの悲しみを深く心に留めました。

ファニーは、一生の間に6千以上の讃美歌を作詞したそうです。その多くは、ファニーに新しい曲を聴かせて、歌詞をつけてもらったそうです。
彼女の歌の多くに曲をつけたウイリアム・H・ドーンが、あるときファニーの家を訪れました。

「汽車の出発までに40分しかありませんが、この曲に歌詞をつけてください」とメロデイーを口ずさみました。これを聞いたファニーは「ああそれは、イエスの御腕に、という歌になりますよ」と答えて部屋に入り祈りをささげると、30分で書き上げてウイリアムに渡したそうです。彼女の多くの歌がそうであるように、世界中の人々に愛され歌われる賛美歌の一つになりました。
ファニー・クロスビーが書いた詩のひとつを紹介します。


何と私は幸せなのでしょうか! 私は眼は見えないのですが、ひとつの決意に支えられています。この運命に満足して生きようという決意に。
何と多くの祝福を受けていることでしょうか! 他の人々が知らない 失明という恵みを嘆き悲しんで生きることは、私にはできませんし、したくもありません。


目が見えないというハンディを持っているにもかかわらず、それがマイナスにはなっていないことに驚きをおぼえます。マイナスどころかプラスになり、「失明という恵み」として受け入れているのです。

医療ミスを犯した医師をわざわざさがして感謝の言葉を伝えるとは……このような人がいるなんて、びっくりですよね。心から感謝していたのでそのような行動をとったのでしょうね。



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