生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

どんなにけなされても

2016-06-03 15:47:23 | 日記
先週、児童文学の集まりがありました。
わたしは、何度も書き直した長編を提出していました。書きはじめたころは原稿用紙20枚前後でした。そのとき合評していただき、そのあとで120枚になったので、児童文学者協会で行われた『がっぴょうけん』に提出し、日比谷まで行ってきました。

『がっぴょうけん』での評価は悪くはありませんでした。でも、長さが中途半端なのでもっと長くした方がいいと助言を受け、150枚の作品としてようやくできあがりました。

その作品を今回提出したのですが、ダメ押しされてしまいました。長くしたのは、カルピスを薄めたようなものだ。前の方がよかったと言われました。最初に提出してから5年の月日がたっています。なんとか形にならないかと思っていたところだったのに……。
ちょっとがっかりしましたが、ちっとも傷つかず、落ち込みもしないので我ながら不思議に思いました。

数日後、2人のお仲間から電話がかかってきて、「あんなに言われて傷ついたでしょう。落ち込んでいないかと心配で……」と労わりの言葉をかけてくださいました。鈍いわたしは、そのとき初めてきつい言葉を言われていたんだと気づきました。でも、言われたとおりにすべてを書き直す必要はないのです。それよりも時間を割いて長編を読んでくださり、色々考えてくださったことがありがたいと思いました。

もうひとりは、「あなたがものすごく努力して書いたのにあんなこと言われて辛かったでしょう」と言ってくださいました。でも、辛くなかったのです。以前は努力して何かを勝ち取るという思いで必死に書いていましたが、それが変化しました。
できる限りの努力はするけれど、それにしがみつくのはやめよう。いつでも手離せるようになろうと思うようになりました。

以前ならこのようなことがあると、ひどく傷つきしばらく書けなくなっていたのに、今回は別のグループでの課題があったので、合評会の3日後には新しい童話を書き始めています。

創作について、わたしはふたつのことを願いました。(創作に限らずにいえることかもしれませんが……)

どんなにけなされても傷ついたり落ち込んだりしないように。人の言葉をしっかり聴いて冷静に受け止め、正しい指摘があれば書き直し、不適切であればすぐに書き換えず、なぜそのように思われたのか静かに考え、正しい知恵が与えられるように求める。

もうひとつの願いは、わたしの作品が、もしほめられたり、評価を得たら、そのときこそ謙遜に受け止めることができるように。決して自分の力で書いたのではなく、神様の力によって書けたことを忘れないように。

このふたつのうち、2番目の方が難しいと思います。褒められるとすぐに舞い上がってしまうわたしです。完全にへりくだることができたとき、作品が用いられるような気がします。
とにもかくにも今回の場合は、1番目の願いがかなえられました。そのことが嬉しかった合評会でした。


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