高校2年の時のクラスメートから連絡が来ました。クラス会をするというのです。いままで同窓会は毎年行われていたけれど、クラス会の連絡は何十年もありませんでした。40名いたクラスの中で35名と連絡がついていると聞いて驚きました。
なかには阪神大震災で亡くなっている人もいます。
兵庫県なので参加は難しいなあと思いました。第一連絡をくれた人のことをぼんやりとしか覚えていません。それだけでなく、クラスメートに誰がいたのか……担任の先生は誰だったのか……高2の時の記憶がとんでいます。
年度途中で転入した中学1年のクラス。友達がひとりもできなかった中2のクラスの方がしっかり記憶しています。
昨日メールで2年I組の名簿をみたとき、次々と思い出しました。
わたしは、修学旅行の少し前に盲腸で入院し、そのため修学旅行に行かれなくなってしまいました。
クラスのみんなは、行けなかったわたしを気遣ってお金を出し合ってお土産を買ってきてくれました。嬉しくて感激したのに引っ込み思案だったわたしは、小さな声で「ありがとう」としか言えませんでした。
Mちゃんは、人気者で誰からも好かれていましたが、高1の時のクラスで同じだった女子は一人だけだからといって、ずっと一緒にいてくれました。盲腸のときは、何度もお見舞いに来てくれました。
わたしが喘息で欠席し、久しぶりに登校した日、教室がとても寒かったので、Yちゃんは自分の上着を脱いで、はおるように言ってくれました。
高2の時は楽しかったのだなあ。悪口を言う人もなく、クラスメートはみんな優しかったなあ……と感謝にあふれました。40年以上前のことです。
辛いとき、緊張したり異常な体験をしたとき、苦しいときはしっかりと覚えているのに、人から優しくされたことや感謝なことは、忘れやすいのかもしれません。
いいことがたくさんあったのに、苦しいことが少しだけあると、苦しいことばかり起きるような気がして不満を言ってしまいます。
「私達は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」と言ったヨブを見習わなくてはと思いました。
この前の日曜日、教会学校でヨブ記のメッセージをしました。これまで教会学校でヨブ記を扱ったことはほとんどありません。ヨブの名を知っている子どもは数人でした。
たくさんの家畜、召使、財産を持っていたヨブは、正しい人でいつも神様を崇めていました。ところが、次々と災害が起こり、召使いや家畜を失い、10人の子ども達まで失ってしまいました。さらにヨブ自身は重い皮膚病にかかり、苦しんでいました。
そのようなときヨブは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
と言いました。
奥さんはこんなひどい目に合わせる神様なんか信じるのをやめなさいと言いました。(聖書には「神を呪って死になさい」と書かれています。)
「私達は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」
と、ヨブは言うのです。
ヨブのお話をした後、わたし自身の病気のことを話しました。これまで教会学校の子どもたちに癌のことを話したことはありませんでした。
わたしは、子どものころ喘息でずいぶん苦しみました。大人になってからも喘息が出て大変辛い思いをしました。こんなに辛いことがあったのだから、癌にはならないだろうと思っていたのに、乳がんになりました。
癌と診断され、それが大変な病気だとわかったとき、「神さま、どうしてですか?」と尋ねて泣きました。
そのとき、ヨブが「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言ったのを思い出して神様はわたしに悪いことだけを与えているのではないと気づきました。いいこともたくさん与えてくださっているのです。そして、病気は辛いけれど、悪いこととは限らないと思いました。
癌になって、いいことがありました。それは、同じ癌で苦しんでいる人の気持ちがわかるようになったことです。
わたしが癌になる前は、再発転移が怖いと言っている人に「だいじょうぶよ」と気軽に言い、どうしてあんなに心配するのだろうと思っていました。
でも、自分が癌になってから、簡単にだいじょうぶと言えなくなったこと、癌になった人と一緒に泣くことができるようになったと話しました。
子どもたちがどう受け止めたかわかりませんが、これからの人生で『なぜこんなことが起こるの?』と思うようなことがあったとき、ヨブのことを思い出してほしいなあと思いました。
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なかには阪神大震災で亡くなっている人もいます。
兵庫県なので参加は難しいなあと思いました。第一連絡をくれた人のことをぼんやりとしか覚えていません。それだけでなく、クラスメートに誰がいたのか……担任の先生は誰だったのか……高2の時の記憶がとんでいます。
年度途中で転入した中学1年のクラス。友達がひとりもできなかった中2のクラスの方がしっかり記憶しています。
昨日メールで2年I組の名簿をみたとき、次々と思い出しました。
わたしは、修学旅行の少し前に盲腸で入院し、そのため修学旅行に行かれなくなってしまいました。
クラスのみんなは、行けなかったわたしを気遣ってお金を出し合ってお土産を買ってきてくれました。嬉しくて感激したのに引っ込み思案だったわたしは、小さな声で「ありがとう」としか言えませんでした。
Mちゃんは、人気者で誰からも好かれていましたが、高1の時のクラスで同じだった女子は一人だけだからといって、ずっと一緒にいてくれました。盲腸のときは、何度もお見舞いに来てくれました。
わたしが喘息で欠席し、久しぶりに登校した日、教室がとても寒かったので、Yちゃんは自分の上着を脱いで、はおるように言ってくれました。
高2の時は楽しかったのだなあ。悪口を言う人もなく、クラスメートはみんな優しかったなあ……と感謝にあふれました。40年以上前のことです。
辛いとき、緊張したり異常な体験をしたとき、苦しいときはしっかりと覚えているのに、人から優しくされたことや感謝なことは、忘れやすいのかもしれません。
いいことがたくさんあったのに、苦しいことが少しだけあると、苦しいことばかり起きるような気がして不満を言ってしまいます。
「私達は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」と言ったヨブを見習わなくてはと思いました。
この前の日曜日、教会学校でヨブ記のメッセージをしました。これまで教会学校でヨブ記を扱ったことはほとんどありません。ヨブの名を知っている子どもは数人でした。
たくさんの家畜、召使、財産を持っていたヨブは、正しい人でいつも神様を崇めていました。ところが、次々と災害が起こり、召使いや家畜を失い、10人の子ども達まで失ってしまいました。さらにヨブ自身は重い皮膚病にかかり、苦しんでいました。
そのようなときヨブは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
と言いました。
奥さんはこんなひどい目に合わせる神様なんか信じるのをやめなさいと言いました。(聖書には「神を呪って死になさい」と書かれています。)
「私達は幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」
と、ヨブは言うのです。
ヨブのお話をした後、わたし自身の病気のことを話しました。これまで教会学校の子どもたちに癌のことを話したことはありませんでした。
わたしは、子どものころ喘息でずいぶん苦しみました。大人になってからも喘息が出て大変辛い思いをしました。こんなに辛いことがあったのだから、癌にはならないだろうと思っていたのに、乳がんになりました。
癌と診断され、それが大変な病気だとわかったとき、「神さま、どうしてですか?」と尋ねて泣きました。
そのとき、ヨブが「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言ったのを思い出して神様はわたしに悪いことだけを与えているのではないと気づきました。いいこともたくさん与えてくださっているのです。そして、病気は辛いけれど、悪いこととは限らないと思いました。
癌になって、いいことがありました。それは、同じ癌で苦しんでいる人の気持ちがわかるようになったことです。
わたしが癌になる前は、再発転移が怖いと言っている人に「だいじょうぶよ」と気軽に言い、どうしてあんなに心配するのだろうと思っていました。
でも、自分が癌になってから、簡単にだいじょうぶと言えなくなったこと、癌になった人と一緒に泣くことができるようになったと話しました。
子どもたちがどう受け止めたかわかりませんが、これからの人生で『なぜこんなことが起こるの?』と思うようなことがあったとき、ヨブのことを思い出してほしいなあと思いました。
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