生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

受難週に向かって(その4)

2007-03-24 15:44:05 | 聖書から

キリストの十字架の意味をどれだけ説明しても、すべての人に理解してもらうことはできません。
理論的に説明のできることではないからです。理屈ではないのです。
大人より子供の方がしっかり理解しているのかもしれません。
シンガポールに住む6歳の男の子S君のお母さんのmixi日記を読んで感動しましたので、了承を得て紹介させていただきます。


S君が友だちから意地悪な言葉を言われ続け、しょんぼりして家に帰ってきたときのお母さんとS君の会話です。

母  「それで、S君はその子に何て言い返したの?」
S君 「悲しいから悲しい顔になっちゃったけど、何にもいわないで我慢した」
母  「よく我慢したね。偉いねS君は」
S君 「だってイエスさまも我慢してくれたから」
母 「…………」


息子さんを励ますつもりが逆に励まされたとS君のお母さんは書いておられます。


S君の心に、わたしたちの罪を赦すために十字架でじっと痛みをこらえ血を流して死んで下さったイエスさまのことがしっかりと刻まれているのです。S君は、イエスさまの十字架の愛を知って、それを実践しているのです。
わたしは、愛の実践ができているのだろうか?と考えてしまいました。S君を見習いたいです。


しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53:5)

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