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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

アブラハムに思いを寄せて(その1) 

2007-06-01 12:33:10 | 

OBIのリポートがようやく書けました。2か月近くかかってしまいました。アブラハムについて調べたのですが、アブラハムの生涯から箇条書きにすると、25項目ものことを教えられました。

アブラハムといえば、信仰の父と呼ばれている人ですから、立派な人物という印象が強いのですが、迷い、恐れ、時には失敗もする人であったのです。なんだか親しみを感じました。


子のないアブラハムに神さまは「あなたの子孫を増やす」と約束しますが、最初の約束がアブラハム75歳、奥さんのサラ65歳の時です。しかし、実現するのはそれから25年も先のこと。アブラハム100歳、サラがなんと90歳でイサクを生むのです。

25年という歳月の間に2人は待ちきれなくなって女奴隷ハガルによって子供(イシュマエル)を得てしまいます。このことは、神さまのみ心ではなかったかもしれませんが、神さまはイシュマエルのことも祝福し、一つの国民としようと言って下さいます。それでイシュマエルはアラブ人の祖先となったのです。

神さまはアブラハムにどうして25年も待たせたのでしょう? 不思議に思いました。
25年という年月は長いです。しかも高齢で子を得る可能性がだんだん少なくなってくるというのに………。

神さまは、イサクが約束の子であることを示すために、普通では子を得ることが不可能な年になるのを待って与えたのと知って、なるほど……と思いました。その年で子が与えられたなら、神さまの介入で生まれたのだと思わざるをえません。
待つことは困難な中を進むことより忍耐を必要とします。25年という年月は忍耐を養うのに必要な期間でもあったのですね。


わたしは待つことが苦手です。バスが5分遅れただけでイライラして歩き出してしまいます。何かを待っているときも、待ちきれずに自分の考えで行動を起こして失敗してしまうことが今まで何度もありました。

神さまは、アブラハムに子を与える時を知らせませんでした。いちばん知りたい「いつ?」というのが直前までわかりませんでした。
神さまには神さまの時があるということを知らされました。

へたくそな詩を紹介します。


神の時計

わたしの時計は あわてんぼう
チクタク チクタク
あせっている

神の時計は ゆっくりと
止まっているように
ゆっくりと

自分の時計で 風をきり
すすめ すすめ どこまでも

いつの間にか ふりだしに
ぐるっと一周 ふりだしに

神の時計は 音もなく
気づかないうち 進んでた

その手を開いて

2007-05-11 13:14:26 | 

わたしは、かつて無口で消極的だったのですが、反面ものすごく強情で自我が強く、両親とよく衝突しました。先日(5日)神さまにギブアップしたことを書きましたが、すんなりとできたわけではありませんでした。神さまにギブアップするということは、自分の負けを認めることで、持っている物を手放すことです。
実際、それはとても簡単なことなのです。でも強情なわたしは、自分の中の罪を認め、きよくなりたいと願っていたのにもかかわらず、固く握りしめた手をなかなか開こうとはしませんでした。


今まで色々な面で努力してきたということを誇りに思っていたので、それを手放せなかったのです。高校生のころ、中間や期末試験の前は徹夜したり、夜中まで勉強する人が多いですが、わたしにはそれができませんでした。身体が弱いため
10時には寝ないと熱を出してしまうので、試験前でも早寝をしていました。


時間を有効に使うため単語カードに暗記事項を書いて常に持ち歩いていました。食事の前後など、ちょっとの間をみつけては覚え、お風呂にまで持ち込んで勉強していました。一夜漬けができないので毎日コツコツと努力をしました。その癖が大人になっても残っています。


勉強の場合は、努力が功を奏することが多いですね。でも、それ以外のことには努力が実らないことも多く、努力してもどうしようもないことがあることを体験的にわかってきます。とくに、自分の性格を変えようとする努力は空しいものだと気づきます。
あるとき、素直な気持ちになって固く握りしめていた手を開きました。そのときからわたしの性格は少しずつ変えられていきました。

努力することは決して悪いことではありません。わたしは今でも何事に対しても努力するように心がけています。ただし、努力した結果を問わないようにしています。結果は神さまにゆだねています。
たとい一生懸命努力した末、良い結果が得られなくても落ち込んだりはしません。(少しはがっかりしますけれど……)主にあって努力したことは決して無駄になることがないのですから。

聖書の言葉

あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
(Ⅰコリント15:58)

下記の詩も以前書いたものです。  

神さまのシャワー

神様が 
土くれにひとしいわたしを
泥沼から
引き上げてくださった

神様が
泥だらけのわたしを
両手でつつみ
抱き上げて下さった

神様が
わたしにシャワーをかけて
泥のよごれを
落として下さった

神様 
もっと もっと
シャワーを下さい
ここもまだ あそこもまだ
汚れているのです

そう言いながらも
わたしは 
ぎゅうっと両手を
にぎりしめていた

いま、その手を開きます


ゆっくりと

2007-05-07 13:35:36 | 
写真は姪の飼っているインコ、れんちゃんです。

子供の激しい泣き声がするので、ベランダから顔を出すと、園服を着た3歳くらいの男の子がお母さんに抱かれて泣き叫んでいました。男の子は「おうち帰る、おうち帰る」と言って泣いています。通園バスを待っているようです。

間もなくバスがやってきました。むりやりバスに乗せられて、男の子は泣きながら窓にはりついてお母さんの方をじっと見ていました。
連休明けはつらいのね……。かわいそうに……。

でも、泣ける子供は幸せです。大人になったら、泣きたくても泣けませんよね。泣けないで自分の気持ちを押し込めてしまうと、身体的症状になって表れることがあります。


連休明け、わたしも疲れが出て、身体がだるいです。昨日の礼拝メッセージのことを書きたかったのですが今日は無理なので、詩を紹介することにしました。

わたしは以前、心が痛んで何もできなくなってしまったことがありました。何もできない自分に苦しみました。一歩も前に進めないことにあせりを感じました。

「何もできなくていいんだよ」とイエスさまが言って下さっているのに気づいたとき、ギリギリと縛り付けていた紐がプツンと切れて、ほっと安らいだのです。



ゆっくりと
きのうは庭先に来た雀にパンくずをやった
それだけ

おとといは
花の種を植えた
それだけ

今日はなーんにもしないで
いちにちゴロゴロしていた

何もしない一日があってもいい
明日は友のために祈ろう


ギブアップ

2007-05-05 13:45:44 | 
ヒッくんのパパとママが買い物に出かけた間、主人とヒッくんのおもりをしました。ママのオッパイを飲んですやすやと眠っていたのに目がさめて泣き出しました。大泣きして抱いても泣きやみません。ミルクを作って飲ませ、ゲップをさせ寝かせると、また大泣き。たくさんウンチしています。お尻を洗っておむつをかえ、ほっとして寝かせるとまた大泣き。暫く抱いていると大きなゲップ。
パパとママがいないのがわかるのでしょうか? うとうとしかけるのに眠らず、ずうっと泣いています。慣れないので主人とわたしはあたふたしています。パパとママが帰ってきてほっとしました。ママのオッパイを飲んでやっと眠りました。ヤレヤレ……。ママのオッパイにはかないません。わたしたちはギブアップです。


今日は、以前に書いた詩を紹介します。
4/30にも書きましたが、わたしは癇癪持ちでした。自分の感情が抑えられなくなって、両親に当たり散らし、暴れることがありました(家の中でです。決して外ではしませんでしたが……)
そんな自分がいやでたまりませんでした。また、自分の中に醜い思いがあることに気づき、苦しくなって教会に行きました。
洗礼を受ければ、自分の中にある醜い心がなくなり、癇癪も起こさなくなるのだと思って、期待して洗礼を受けました。(28年前のことです)大きな変化を期待してきました。


確かに罪赦されましたが、その後、相変わらず癇癪を起こし、罪を犯すのです。むしろ、心に神さまの光が当てられたのですから、益々心の中にある汚い物を自覚するようになり、苦しみました。パウロもローマ人への手紙の中で「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」と書いています。


どうしようもない状態を嘆いてわたしは教会を離れてしまいます。その間、自分の力でなんとかきれいな心になりたいと思い、努力をしていました。
でも、努力ではどうすることもできないと知ったとき、神さまにギブアップしたのです。
そのときから、少しずつ変えられていきました。
癇癪は治りましたかですって? 治りましたよ20年くらい前に。


ギブアップ

きれいな物をいっぱい見て
美しい音楽をたくさん聞いて
感動的な本を読み
ピュアなドラマを見て

心がきれいになったような
やさしい人になったような
そんな気がして浮かれていたら

自分の中の
みにくい思い
人をうらやみ、にくむ気持ちが
むくっむくっと顔を出します

一生懸命努力して
心を変えようと願っているのに
ちっとも変わらないこの心

もしも心を映す鏡があったなら、
それを見て気絶するでしょう


神様、ギブアップです
どうか
きよめてください

あなたは何を

2007-04-02 12:20:44 | 
 昨日は受難週聖餐礼拝でした。キリストの十字架が迫ってきて詩が生まれました。



          あなたは何を

あなたは 何をしていたのか
あなたの大事なあの方が
むち打たれ、傷ついているとき

あなたは 何をしていたのか
あなたを救ったあの方が
ののしられ、さげすまれているとき

あなたは何をしていたのか
あなたを愛したあの方が
釘刺され、血を流していたとき

ああ、わたしは
美味しいものをたらふく食べ
羽布団にくるまり
不満や愚痴を言っていた

ああ、わたしは
あの方の苦しみのひとかけらも知らないでいた


ねじれた心が

2007-02-08 13:24:36 | 
知人が詩集を出版され、プレゼントとして送ってきて下さいました。心を打つものが多く、文学的質の高さを感じました。
触発されてわたしも久々に詩を書いてみました。詩集を出された知人とは天と地ほどのレベルの差がありますが……。昨日の記事の内容と関連することです。


ねじれた心が

ねじれて曲がったわたしの心
まっすぐにしたいと願うのに
石膏で固められたように動かない

これはひどい、ひどすぎる
こんなにねじれていたとは……と泣いたとき
かたい心が粘土のようになった

「どうかこのねじれをなおして下さい」と訴えると
心は揉まれて叩かれ
打ち付けられた

あまりの痛さに悲鳴を上げ
文句を言おうとしたとき

打ち付けた者の手が傷だらけで
わたしの心より痛んでいたことを知った

「ごめんなさい……どうしたらいいんですか?」と叫ぶと
心のねじれがひとつほどけていた

もしあなたが 自分の命を絶ったなら

2006-11-14 18:36:32 | 

いじめによる自殺が相次いでいます。

子育てをしたり、教壇に立っている30代、40代前半はデジタル世代と言えると思う。(略)学校での物差しが画一的になり、0か100か二者択一の価値観が教育現場に広がった世代だ。親や教員の共感性が育っていないから、心の教育ができない……。

というようなことが今日のA新聞に書かれていました。
さらに
デジタル世代が育てている今の子供達もいじめにあったとき0か100かの解決を求め、自殺という手段を選んでしまうのではないか。教育の効率化の中で失われた無駄や余裕などの中に大切な部分があったのではないか。
とありました。
確かに子供は追いつめられています。つらくて学校を休みたくても休めない状況にあることも自殺を増加させる原因になっています。

育てる者にも問題があり、子供の方にも問題があります。いじめをなくすことにやっきとなっても自殺はなくなりません。自分の命であっても命の所有者ではない。それを自由にしてはいけないのだということをどのように知らせればいいのでしょうか……。久々に詩を書きました。




      もし あなたが

もし あなたが 
自分の命を絶ったなら
お母さんは 泣いて 泣いて
涙が枯れ果てても
泣き続けるでしょう

もし あなたが 
人生を強制終了させたなら
お父さんは 嘆いて 嘆いて
肋骨が折れるほど
我が胸をたたき続けるでしょう

なぜ気づかなかったんだろう
育て方が間違っていたのだと
お父さん、お母さんは
自分を責め続け
一生心から笑うことがないでしょう

もし あなたが死んでしまったら
あなたの友人やクラスメート
あなたが知らない人たちも
少なくとも1000人の人が心に深い傷を受けるでしょう

もし あなたが 親も友もなく
ひとりぼっちだったとしても
あなたを造られた方が
苦しんで 苦しんで
涙が大海となって地をおおうほど
泣き続けるでしょう



もしあなたが リセットボタンを押すつもりで命を絶ったとしても、生まれ変わったり、生き返ったりはしないことを覚えておいてください。命はたったひとつきりです。どんなに生きたいと願っても生きられない命もあります。

アメーバになりたかったぼく

2006-07-21 11:06:35 | 
詩を書くとき、自分の気持ちをストレートに書く場合と、小説や童話を書くときのように、他の人の気持ちになって書く場合があります。後者の場合でも、もちろん自分の気持ちを反映させています。今日の詩は、小学生のころの息子の気持ちになって書きました。


        アメーバになりたかったぼく


「むかし人間は魚だった」と
おじいちゃんがいった
「魚は 大むかし 原生生物だった」と

それじゃあ ぼくの先祖は アメーバ?

アメーバで生まれてくればよかった
なにも考えずに
海の中で ただよっていればいいんだもの

アメーバはいいなあ
成績が悪くて悩むことも
友達に仲間はずれにされて
悲しむこともないから

「人間は最初から人間だった」と
お母さんがいった
ぼくがお母さんのお腹に入る前から
ぼくが生まれることが計画されていたんだって

ぼくがアメーバでも魚でもなく
人間として生まれることが
ずうっと前から
予定されていたんだって

だれが?
いったい だれが計画したの?

お母さんが答えた
「それは天と地、すべてのものを造られた、神さまよ。
お前にしかできないことをするようにって
神さまが お前を人間として造ったの」


リセット

2006-07-11 11:18:03 | 
風邪のせいか、薬の副作用か、湿度の高い陽気のせいか、波のように襲ってくる倦怠感と闘っています。でも、悩み苦しむ子供たちのことを思うと、こうしてはいられないとキーボードをたたいて綴ります。
7月4日に書いたものの続きができました。(4日に書いたところに少し訂正を加えています)

リセット

アイテムをみんな使っちゃった
仲間がみんな死んじゃった
これじゃ ボス戦で負けちゃうよ
そうだ、リセットしよう
リセットして、もういちどはじめからやり直そう

パソコンの調子が変になっちゃった
ウィルスのせいかもしれない
フリーズばかり繰り返している
そうだ、リセットしよう
初期化して、新しくやり直そう

テストの結果が悪いのに 
「いい点だった」と嘘ついた
明日は三者面談
これじゃ 親にバレちゃうよ
そうだ、リセットしよう
はじめからやり直せばいいんだ

ちょっとまて
リセットとはなんのことだ?
上のほうから 声がきこえた

家を燃やす?
人を殺す?
自分を殺す?
それでリセットされるのか?

わかっているよ
リセットできないことくらい
でも どうしようもないんだ
八方ふさがりなんだ
もう 終わりにしたいんだ

見上げてごらん
四方八方ふさがっていても
上はあいている

出られないなら そこにいなさい
苦しければ 叫びなさい
悲しければ 泣きなさい
わたしは あなたを たすけだすから
かならず あなたを 引き上げるから



クリスチャンペンクラブ(JCP)のHP昨日更新しました。JCPのHPでは、初めての童話作品掲載です。ブックマークにありますので、是非ご覧下さい。


明日、明後日は東京の実家へいってきます。その間はコメントを受け付けない設定にしておきます。また帰ってきましたら受け付けますので、よろしくお願いします。



弱さを感じるとき

2006-07-07 12:30:26 | 
 今朝目覚めたら身体がだるく、もっと寝ていたいと思いました。のどが赤く腫れています。夏風邪でしょうか。
たいへん、風邪などひいている場合じゃないのに……明日は教会の子供集会でお話をすることになっています。創作童話の紙芝居は昨日ようやく完成したけれど、一度も練習をしていません。

 あわてて風邪薬を飲んで、主人と息子が出かけてから、横になりました。風邪薬がきいてのどの腫れがおさまるように。咳や熱が出ませんようにと祈りました。

 幸いひとねむりすると、少し元気回復してきました。今夜は早く休みましょう。
風邪が治るということは感謝なことです。抗ガン剤を飲んでいたときは、風邪薬がほとんど効かず、風邪をひくといつまでも治らない状態でした。肺炎にもなりました。なので、風邪がはやるとびくびくし、少しでものどが赤くなると恐怖まで感じていました。
抗ガン剤を飲まなくてよくなり、白血球値も正常にもどりつつあるので、きっと大丈夫だと思います。

 
 わたしは、子供のころから体が弱かったのですが、気も弱く、ものすごく臆病でした。犬にワンと吠えられるのが怖くてまわり道をしたり、風船が割れるのが怖くて風船割りゲームができなかったり、蜘蛛におびえたり……。雷は大人になってからも怖くて稲妻が光ると家中のカーテンをしめていました。(今はけっこう平気ですよ)人前に出るのも死ぬほどいやでした。引っ込み思案だったのは、気が弱かったからです。自分は世界一気の弱い人だと思っていました。

 ところがついこの間、友人からメールで「あなたは強い人ですね」といわれました。本当は弱いのに強い人だと思っていただけたのは何故なのだろう? と考えたとき、「私が弱いときにこそ、私は強いからです」という聖書のことばを思い出しました。パウロは「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と書いています。「大いに喜んでわたしの弱さを誇りましょう」とも。

 今日も須藤あきこさんの詩を紹介します。
自分の弱さに泣きたくなったときに読むと励まされます。




****弱さ 
         須藤あきこ

弱い人は
強い人の
支えになることができるように
神さまから
弱さを
与えられている

そして
弱い人は
神さまの
大いなる力によって
支えられている

詩のことばは神さまからの贈り物

2006-07-06 11:41:11 | 

最近詩を書いていません。童話やエッセイは改まった気持ちにならなくても書けるのですが、詩というと、言葉をよくよく吟味しなければ……字数も考えなければ……などと構えてしまってなかなか書けません。以前は、心に沸き上がってくるものを毎日のように、散文詩のようにして日記に書いていました。

書きっぱなしで推敲もしていないので、人に見せられるものではありませんが、わたしの日記の文章は、ほとんどが散文詩でした。何年も前からわたしにとって日記は、その日にあったことを書くのではなく、そのときの想いを書くものとなっていました。

ブログを書くようになって、自分の日記をめったに書かなくなりました。ブログに書けないことで書き留めておきたいこともあるのに、忙しくて後回しにするうちに書きたいことを忘れてしまうのです。

先日、友人が詩の朗読テープを送って下さいました。数々のすばらしい信仰の詩に触れているうちに心に熱い想いが沸き上がってきて、再びわたしも詩を書いてみたいと思うようになりました。

わたしが自分の詩に対して自信がないことをいうと、友人は「詩の言葉は神さまからの贈りものであり、作者一人一人にテーマが与えられていると思います」と言って励まして下さいました。わたしには、書きたいテーマが確かにあります。詩が書けましたらいずれ紹介しますが、まず今日は友人、須藤あきこさんの詩を2篇紹介いたします。(須藤さんの許可を得ています)



****誰も知らない一日    
******************須藤 あきこ

恵みの日が
一日一日
平安のうちに
過ぎていく

ああ
主よ
きょうも
一日が
始まるのですね

世界の
一人ひとりのために
誰も知らない
一日が
はじまる

  
****あの方が      
**************須藤 あきこ

一篇の詩を書くよりも
悲しんでいるひとりの人に
慰めのことばを書いて送るほうが
どんなに重いことか
と あの方が
わたしの心に語りかけられた

その時から
詩を書くことに執着するのを
わたしは 止めた 

だいじょうぶだよ

2006-03-28 10:47:21 | 
心身共につらいときに書いた詩を紹介します。
        
         だいじょうぶだよ

肩に重い鉄板が乗っているように
体が重い
地球の重力が大きくなったのでしょうか

気管支が細くなってしまったように
息が苦しい
空気の濃度がうすくなったのでしょうか

2年前の乳癌手術あとの
傷が痛む
傷口が開いてしまったのでしょうか

神さま 
助けて下さい
わたしはどうなってしまうのですか
恐れと不安に押しつぶされそうです

わたしを快く思わない人に取り囲まれ
責められ 弱り果てています

あなたの握っている手を開いてごらん
だいじょうぶだから
と語る声が聞こえました

わたしは
無意識に両手を固く握りしめていました
何を握っているのでしょうか

かた結びになった紐をほどくように
指の一本一本をゆるめていきました

ぱっと両手を開いたとき
また、語りかける声がしました

だいじょうぶだよ
どんなことが起こっても
どんな状態になっても
わたしがあなたを支えるから

だいじょうぶだよ
つまずき倒れて
一歩も歩けなくなっなら
わたしがあなたを背負うから


球根のうた

2006-03-25 11:43:17 | 
1月16日に植えたチューリップの球根が芽を出しました。(「ありがとう わたしのいのち」の記事参照)
時期をとうに過ぎてから植えたので、芽が出ないかと思っていました。植えて数日後、大雪がふりました。土の中で球根は凍ってしまったかもしれない。死んでしまったかもしれないと思っていました。
2週間ほど前、プランターに小さな芽がいくつか顔を出しているのをみつけ大喜びしました。少しずつ成長してきています。花が咲く日が楽しみです。

遅く植えたチューリップの球根でも、ちゃんと芽を出しました。球根の気持ちになって書いてみました。
  
        球根のうた

ここは、真っ暗な土の中
春だよ
春がきたよと
だんご虫が叫びながらごそごそと 
のぼっていった
土の上は明るい世界だという
ぼくも明るい世界をみてみたい

一匹のだんご虫がもどってきていった
「きみはなぜ芽を出さないの?
もうあったかくなったのに
ほかのプランターにはムスカリが花を咲かせているよ」

ぼくだって芽を出したい
どうしてぼくは芽が出ないんだろう……
誰にも知られないまま
土の中で腐ってしまうのかな

ぼくはどうしてここにいるんだろう
どうして生まれてきたんだろう
生まれてこなければよかったのに
苦しいよう
苦しいよう
このまま消えてなくなってしまいたい……

どれくらいたったんだろう
気が遠くなるほどの長い時間、真っ暗な中にいたけれど
いま、目覚めたら、新しい世界がみえた
何て明るいのだろう
まぶしくてびっくりした

「まあ。やっと、芽を出したのね、待っていたのよ」
女の人が、やさしいまなざしをぼくに向けた
「土の中にぼくがいること知ってたの?」
「もちろんよ。だって、わたしが植えたんだもの」
「あなたが植えてくれたの?」
「そうよ。よかった、毎日水やりしたかいがあったわ」
「ぼくのために水をかけてくれてたの?」
「そうよ。遅く植えたから、芽が出るか心配で、掘り起こしてみたいのをがまんしていたの。
ちゃんと根が伸びていたのね」
「ぼく、知らなかった。根が伸びていたこと……。ありがとう」
「成長させてくださったのは、わたしじゃないわ、神さまよ。
春を造って下さったのも、あなたのことを造って下さったのも神さまよ」
「そうなんだ……。神さまありがとう!」


聖書のことば
「わたしが植えてアポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です(Ⅰコリント人への手紙3-6)」


神さまのカリス

2006-01-12 11:49:02 | 
1月3日から10日にかけて「カリス」について書きましたが、それを詩にしてみました。誰か曲をつけて下さると嬉しいのですが……。


          神さまのカリス

神さまのカリス
シャワーのように
わたしの上に 注がれる
顔を上げて
口をあけて
両手を上げて
カリスを受ける
カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま 喜んでいる

カリスのおかげで
わたしは生きる
当たり前では ないんだね
息ができる
食事できる
おしゃべりできる
賛美もできる
 カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま 生かされている

神さまをうらみ
ひとをうらんで
生きてきたのに
イエスさまは
むちを打たれ
くぎをさされ
血を流された
わたしのために
 カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま ゆるされている

神さまのカリス
雨のように
わたしの上に 降り注ぐ
心をつくし
思いをつくし
力をつくして
主を愛したい
 カリス カリス 神さまの恵み
 わたしは いま 愛されている


花のリース

2005-12-22 12:17:00 | 
絵本「ちいさなリース」を読み感動して詩を書きました。
自分の両親を殺したカロル将軍にリースを届け続けた女の子の気持ちを書いてみました。教会の若い人が素敵な曲をつけてくれて、教会学校のクリスマス会で教師たちが歌いました。紹介します。



        花のリース
こんなことできないんだと思ったの
あなたの敵を愛しなさい
それだけど父さん母さんいっていた
あなたの敵を愛しなさい

*リース リース 花のリース
 あなたのこころに届けたい

イエスさまは十字架の上で祈ってた
いたみをこらえ祈ってた
お父さま、かれらをおゆるしくださいと
十字架につけた人のために
*おりかえし

祈ったの。イエスさま見上げて心から
敵を愛するようにしてと
そうしたら、わたしの心変えられて
愛せるようになったのよ
*おりかえし


敵を赦すことはとても難しいことです。ましてや自分の肉親を殺した人のことを愛することなどできるのでしょうか? わたしは『もし肉親を殺されたら、殺した人を愛せるのか?』と問われたら、「愛せます」とは言えない者なのですが……。

イエスさまは十字架につけられたとき、
「父よ。かれらをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです(ルカ23:34)」

と、十字架につけた人たちのために父なる神に祈っています。
そんなイエスさまを見つめたとき、敵を愛することのできる心が少女に与えられたのだと思います。
世界中の人が、この女の子の心のようになれば、戦争はなくなるのにと思いました。



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