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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「舟を編む」を読んで

2017-01-17 16:23:17 | 読書
児童文学者協会茨城支部の1月課題本は三浦しをんの「舟を編む」です。映画はほとんど見ないので知らなかったのですが、映画化もされていたようです。
読み終えたら辞書を読みたくなりました。

言葉の海で舟を編んでいくように10年以上かけて一冊の辞書を作っていく人たちに拍手を送りたくなりました。
紙の本が売れなくなっています。紙の辞書も電子辞書やインターネットで調べた方が早いので、買う人が少なくなっているのではないでしょうか。

辞書作りはこのような時代にあって、地道で誰にも顧みられないような働きです。でも、その働きに誇りを持ち、喜びをもって作っている人たちがおられるのです。

主人公の馬締(まじめ)さんは、名前の通りまじめ。人づきあいが下手で、不器用な生き方しかできません。それでも板前修業中の香具矢に恋をして、ラブレターを書き、恋が実るところを読むと、嬉しくなってしまいます。

また、辞書に人生を捧げた松本先生の生き様をみせられて、いのちがけで言葉をつぐむことについて教えられました。


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普通の家族として生きられるように

2017-01-14 20:33:05 | その他
来月26日に教会で暗唱聖句大会があります。今日は暗唱聖句の冊子を印刷しに夕方から教会に行きました。
2時間半もかかって大変でしたが、若い人たちが積極的に動いてくれたので、スムーズにできました。

昨年から心痛めて祈っていることがあります。
知り合いのお子さん(ひろくん、2歳)が生まれつきの心臓の病気であること。心臓移植を受けるため渡米する決意をしたことを知ったからです。

心臓移植しかいのちが助かる方法がないのに、日本では移植を受けられる可能性がきわめて少ないのです。
今は補助人工心臓をつけて東大病院に入院していますが、補助人工心臓をつけたままでは感染症や脳梗塞のリスクがあるので、心臓移植を受ける必要があるとのことです。

4歳のお兄ちゃんにも会えず、病院のベッドの中で過ごす毎日。
若いご両親の苦労はどれだけ大きいことだろう……と思うと涙があふれてきます。

ひろくんのお父さんは「家族で散歩するのが夢。啓と共に普通の家族として生きていきたい」と言っています。
普通の家族として生きることの大切さを気づかせていただきました。

渡米して移植を受けるのに必要なお金は3億1千万円だそうです。今、ひろくんを救う会の人たちによってつくばや土浦、柏で募金活動が行われています。

昨年12月には、ひろくんのことが新聞に掲載されました。今日は地方紙(常陽リビング)に掲載されていました。
一日も早く渡米でき、心臓移植してもらうことができますように。ひろくんがお兄ちゃんと一緒に元気に走り回れる日が来ますようにと、ただただ祈るばかりです。

ひろくんのためにベアンテ・ボーマン(元東京交響楽団主席チェリスト)さんによるチャリティーコンサートが土浦めぐみ教会で行われます。
2月4日(土)18:00~19:30(開場17:30)
(曲目)
 バッハ作曲:アリア
 ボッケリーニ:ソナタ6番
 サン・サーンス作曲:白鳥 他
(入場料)
 大人3,000円、小・中・高生1,000円

 ※ボーマンさんのご厚意により入場料の全額が、ひろくんの心臓移植のための募金となります。

ここをクリックしてひろくんを救う会のHPをごらんください。


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ほんとうに人間はいいものかしら

2017-01-10 17:06:53 | 教会
新美南吉の童話、「てぶくろを買いに」の最後で母狐が「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」と、つぶやきます。かつて人間からひどい目に合った母狐は、トラウマがあって人間の町へ行くことができません。手が冷たいと言う子狐に手袋を買いに町へ行かせるのですが、片方だけ人間の手にして、手袋を買うときは、人間の手のほうを出すんだよと言います。子狐は間違えて狐の手を出してしまいますが、お店の人はちゃんと手袋を売ってくれました。
それで母さん狐は、人間はいいものなのか悪いものなのか首をかしげるのです。

さて、人間はいいものなのでしょうか?
8日の礼拝メッセージを聞いて思ったことを書いていきます。

聖書には「曲がった邪悪な世代の中にあって……(ピリピ2:15)」
「善を行う人はいない。ひとりもいない」(ローマ3:12)
と書かれています。

現実に起きている問題をみると、テロの横行、残酷な事件、無差別殺人など、この世(コスモス)は罪と堕落の世界のように思えます。
でも、一方では、難病の子を救うために募金をお願いすると、快く募金に協力してくれる人たちがいます。暗闇の中に光を見るようです。

人間は、神により創造されたので、尊厳があります。
人間は、神のかたちに造られたので、言葉で知識をたくわえることができ、美を創造することができます。そして倫理性をもち、見えない方に祈ることができます。これらは、動物にはなく、人間だけに与えられたものです。

ところが、人間の知性はゆがみ、不正を行います。倫理性がなく、神でないものを神としてしまいます。
堕落してしまった人類を、神様はただちに滅ぼすこともできるのに滅ぼさず、救いの可能性を残してくださっています。

人類の究極的課題は、3つあります。
①良心の呵責
②自分のうちにある悪に傾く傾向(堕落)
③死の恐怖と死後の不安

確かにそうだなと思いました。父も母も死が近づいたとき、そのことを感じたようでした。
でも、これには解決があるのです。


①主イエスの贖いによって罪が赦されること。
②主イエスの復活の命による新しいいのちに与ること。
③主イエスの復活にあかしされた永遠のいのちをいただけること。
このことを信じるなら、究極的課題はクリアできます。

世界がどんなに邪悪で暗くても、キリストを信じている者は、神に遣わされた者として生きるのです。
腐ったものには塩を、冷酷無慈悲にはやさしさとぬくもりを。
邪悪で暗い世界には輝きを。


今の世にあって、悪と戦うのではなく、輝く光として生きられたらいいのにと強く願いました。

写真はフランスロワール地方

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みこころかどうかわからないとき

2017-01-07 11:28:50 | 教会
昨年の暮れから教会学校の暗唱聖句大会の準備、児童文学者協会関係の用事、日本クリスチャン・ペンクラブのHP作成や編集作業が重なって忙しくしています。

年末年始は千客万来。主人の実家にも往復5時間かけて電車で行ってきました。今日はこれから来客があり、まだまだゆっくりできそうもありません。でも、不思議に健康が支えられています。昨年は正月にダウンしてしまったのです。健康が保たれていることを神様に感謝しています。

何かを始めようとするとき、神さまは、自分がそのことをするのを望んでおられるのだろうか……と心配になることがあります。
みこころかどうかわからないときどうしたらよいか、この間の礼拝メッセージで教えていただきました。


神さまが望んでおられるかどうか、みこころかどうかは、知ることはできません。
そういうときは、このことをしようと思った動機を吟味するとよいと牧師先生が言われました。
祈って、動機を吟味して、それが不純な動機なら捨てましょう。
動機が神の前に不純ではないと思えるなら、前に進みなさい。
神の前に動機が受け入れられるなら、そのときみこころが成ります。


わたしは、いつも何かを始めるとき、みこころかどうかと迷います。みこころがわからないままに始めるのですが、動機が神様に受け入れられると思ったら、前に進めばいいのですね。
前に進んでいきたいです。



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いのちの言葉

2017-01-05 20:09:28 | 聖書から
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年が明けたのでブログを書きたいと思いつつ、なかなか書けませんでした。お正月は息子たち一家と娘夫婦が来て泊りました。

9歳と2歳の男の子たちが元気で、狭い家を走り回っていました。
おせち料理はなんとか作りました。煮しめの残ったものをてんぷらにするとおいしいと聞いて、やってみたら、ヒットでした。煮物の里芋やれんこんを食べない子どもたちも、揚げたものならどんどんおかわりして食べてくれました。

1日はおせちとお雑煮をいただいてから、わたしひとりで教会へ行ってきました。


今年の年間聖句はピリピ2:15-16から「いのちの言葉をしっかり握って、暗い世に、星のように輝きなさい」です。

いのちの言葉とは何でしょう。それは、神様の言葉です。神様の言葉は、聖書に書かれています。なぜ、神様の言葉をいのちの言葉というのでしょう。神の言葉の中にいのちがあるからです。
ひからびた種でも、その中にいのちがあります。種を受け取ったとき、神の言葉のいのちが芽を出し、花を咲かせます。

昨年の11月に学生時代の友人9人で旅行に行きました。病気で参加できなかった友に
メールを出すと、『前にもらった手紙を繰り返し読んでいます。聖書の言葉が慈悲深く感じられます。』
と返信をいただき驚きました。前に出した手紙というのは、6年も前にわたしが神戸に行って、学生時代の友人たちと会ったとき書いた便りのことです。それを何度も繰り返し読んでくれたとは・・・・・・・そして、手紙の中にいくつか聖書の言葉を書いたのですが、それが友人の心をとらえていたのです。

また何年か前のことですが、別の友人から「年賀状にいつも聖書の言葉を書いているのに、今年はなかったね」と言われました。なかったねということは、いつも読んで心に留めてくれていたということではありませんか。

神さまの言葉に力があることの証拠です。
それで旅行記を(ブログに書いてあることをまとめて)書いて、その中に聖書の言葉も書いて、昨年のクリスマスに友人全員に送りました。
花を咲かせてくれることを期待しつつ……。


また、フランスの写真アップしていきます。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。



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今年を振り返って

2016-12-28 17:05:03 | 日記
今年もあとわずかになりました。
冬休みで9歳の孫(ヒックン)がひとりで泊りに来ています。ヒックンはおじいちゃんに映画を観に連れて行ってもらい、その間わたしは水曜礼拝に出ました。お昼にイオンで待ち合わせして、昼食を食べ、買い物をして帰ってきました。

水曜礼拝では、今年あった教会の出来事を映像で観て、この一年を振り返りました。
どんな出来事の中にも主の恵みがあふれていることに気づき、感謝しました。

わたしの一年は、旅の多い一年でした。春には佐渡、新潟。夏には軽井沢。秋には秋田、白神山地。そして晩秋は学生時代の友人と高山と白川郷へ行けました。

また、今年は母を偲ぶ一年でした。母が召されたのは一昨年になりますが、そのあとクリスチャン・ペンクラブで書いたエッセーは、ほとんどが母のことでした。

妹と姪の3人で秋田のお墓へ行って、ついでに白神山地まで行って来ることができたのは母のおかげだと思っています。

来年は、母を卒業して一歩踏み出さなければ……。どんな一年になるのか、主に頼り、主を見つめながら歩んでいきたいです。



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クリスマスの不思議(その2)

2016-12-23 20:38:26 | CS(子供伝道)
クリスマスの不思議について考えてみました。子どもたちと一緒に考えたことを記します。
これが正解ではありません。推測です。本当のことは、神様しかわからないのです。でも、考えていくうちに、新しい発見があり、クリスマスの出来事がどれだけすばらしいかわかりました。

①なぜ神様はマリヤを神の子の母とされたのでしょうか。
→マリヤはまだ15歳か16歳ぐらいの少女でしたが、素直な心で神様を信じていました。神の子を身ごもっていますとみ使いに言われたときはとまどいますが、受け入れ、神様を賛美します。マリヤがこのようにまっすぐな心の少女だからこそ、神様が選んだのではないでしょうか。

②なぜイエス様はベツレヘムの家畜小屋で生まれたのでしょうか。
→マリヤとヨセフはナザレに住んでいましたが、ローマ皇帝のアウグストが、すべての人に自分の生まれた町に帰って住民登録をするようにという命令を出しました。マリヤはおなかが大きくなっていましたが、ロバに乗ってヨセフと共にベツレヘムに向かいました。やっとの思いでベツレヘムに着きましたが、町は人であふれており、宿屋はどこもいっぱいでした。

家畜小屋ならあいていると言われ、家畜小屋で泊ることになりました。
マリヤは家畜小屋で出産し、幼子を布にくるんで飼い葉おけに寝かせました。
イエス様が家畜小屋で生まれてくださったおかげでどんなに貧しい人でも、身分の低い人でもイエス様に会うことができます。もし宮殿で生まれたら、お金持ちや身分の高い人しか会えなかったでしょう。

なぜベツレヘムなのか。それには理由がありました。旧約聖書ミカ書の5:2には次のように書かれています。
「ベツレヘム・エフラテよ。ああなたは氏族の中で最も小さい者だが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る」

エフラテとはベツレヘムのことで、ダビデはベツレヘムで生まれています。
このように旧約聖書には、救い主についての預言が書かれた箇所がたくさんあります。それは、イエス様誕生の何百年も前に書かれたものでした。


③なぜいちばん最初に救い主誕生の知らせが羊飼いに届けられたのでしょうか。


→羊飼いは、ユダヤ人の社会から疎外されていました。羊を飼って生活していたので、安息日に礼拝を守れなかったからです。このように貧しく、社会から疎外されていた人に救い主誕生の知らせがいちばんに告げられたのは、意味深いことです。

④なぜ東方の博士たちは長い旅をして救い主を拝みにやってきたのでしょうか。
→救いが外国の人たち(日本人もユダヤからみると外国の人)にもあるという意味です。

⑤なぜイエス様がこの世界に来てくださったのでしょうか。

→わたしたちは、罪を持っています。罪のためにこのままでは天国へ行くことができません。罪が赦されれば、天国へ行き、永遠のいのちをいただけます。
神様は、わたしたちを深く愛しているので、わたしたち人間が滅びてしまうのがつらくてたまらなかったのです。
それで、罪のないひとり子のイエスをわたしたちの身代わりとして十字架につけるためにこの世界にイエス様を誕生させてくださったのです。

イエス様を誕生させることは、神様の何千年も前からのご計画でした。神様のご計画は、途中で変更されたり中止になったりすることはありません。神様の深い愛と熱心によって、イエス様が誕生しました。このすばらしいできごとを思うとき、喜びが湧き上がってきます。

イエス様が生まれてくださったおかげで、イエス様を信じるだけでわたしたちは神様の子どもにしていただけるようになりました。ハレルヤ!!


聖書の言葉 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1;12)」
特権とは、特別な権利のことです。イエス様を受け入れ、信じた人は、神様の子どもにしていただけるということです。

                     おわり



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クリスマスの不思議(その1)

2016-12-22 17:00:18 | CS(子供伝道)
18日に教会学校のクリスマス会が行われました。低学年(1~3年生)は『クリスマスの不思議』というテーマで発表しました。

わたしはその日、義父の7回忌で主人の実家に行かなければならず、小学科クリスマス会に参加できなくて残念でしたが、10月末から子どもたちと一緒に準備してきました。

低学年の子どもたちに「これからクリスマスの準備を始めます」と言うと、「クリスマスのお話、全部知ってる」「つまんない。サンタさんが来るのはうれしいけど……」という声が聞こえてきました。

なぜクリスマスにお祝いをするのでしょう……。
イエス様が生まれてきてくださったからです。クリスマスの本当の意味は何でしょう……。
本当の意味を知ったら、心が喜びであふれ、祝わずにはいられません。
本当の意味を考える前に、クリスマスの不思議なことについて考えてみましょう。

クリスマス物語は多くの人が知っていますが、不思議なことがたくさんあります。
子どもたちと話し合って出てきた疑問はこんなにありました。

①なぜ神さまはマリヤを神の子の母とされたのでしょうか。

②なぜイエス様はベツレヘムの家畜小屋で生まれたのでしょうか。

③なぜいちばん最初に救い主誕生の知らせが羊飼いに届けられたのでしょうか。

④なぜ東方の博士たちは長い旅をして救い主を拝みにやってきたのでしょうか。

⑤そして、なぜイエス様がこの世界に来てくださったのでしょうか。


これ以外にもまだまだたくさんありますが、これらの意味を考えてみました。

つづく

感激旅行記ーおまけの旅

2016-12-15 15:33:35 | 日記
名古屋でろっちの旅は終わりましたが、MOちゃんとわたしは名古屋でもう一泊することにしていました。おまけの旅です

旅の2日目が日曜日だったので、どこかで教会の礼拝に出席できないかと思っていました。クリスチャンは日曜日に必ず礼拝しないといけないという決まりがあるわけではありません。
ただ、日曜に神様をほめたたえたいという気持ちがあるので、礼拝に出たいと思ったのです。

旅行の日程表が送られてきたとき、名古屋で19時に解散することを知り、名古屋で夕拝をしている教会をネットで探しました。そうしたら、一件ありました。そこが以前土浦めぐみ教会でお世話になったH先生の教会(名古屋福音伝道教会)だったのです。
まさに備えられていた!』のです。

名古屋福音伝道教会は、大須の商店街の中にある小さな教会です。商店街の中にある教会は、日本で唯一だそうです。

MOちゃんもわたしにつきあって一緒に礼拝に出ると言ってくれました。
雨が降っていたので名古屋駅でタクシーに乗るのに待たされ、タクシーの運転手さんが道を知らなかったのでちょっと迷って、着いたら7時半近くになっていましたが、温かく迎えていただき、ほっとしました。


礼拝が終わってティータイムにも出させていただきました。翌日、牧師先生ご夫妻がこのあたりを案内してくださるということで感謝しました。

ホテルでは、オートロックなのにカギを持たずに部屋の外に出てしまい、あせりました。
「ふたりいれば、なんとかなるよ」と言うMOちゃんの言葉に目がうるうるしました。

翌日H先生ご夫妻と大須商店街を歩きました。歩いていると、いろいろな人がH先生に声をかけ、先生は手を振って答えておられました。(まるで映画を見ているよう)

大須観音のある町なのに、教会の牧師先生がこんなに受け入れられているとは、すごい!と、神様が生きて働いておられることを目の当たりにして感激しました。

H先生は9月に土浦めぐみ教会に来られて、メッセージをしてくださいました。その時の感想を9/14のブログに下記のように書いています。

『商店街で「金の大玉祝祷祭」が開催されるとき、祈祷をしてほしいと頼まれて、引き受けたというのを聞いて驚きました。金の玉を拝むのではなく、そこに集まる人、通る人たちに神様の祝福があるようにと祈られたそうです。
宗教観、価値観の違う人たちに対して、拒否するのではなく、また妥協するのでもなく、人が作ったものに対して祈るのではないことを、地元の人たちに説明しながら、キリスト教の祈りをするとは、なんと大胆な、そして柔軟な対応なのでしょう。』




大須観音の境内では市が開かれていました。

さて、この旅行でろっちの仲間の温かな人間関係を改めて感謝しました。学生時代からそうだったのですが、わたしたちは仲間うちで喧嘩したことがなく、悪口も言ったことがなく、ひとりがつらい思いをしたら、みながつらくなり、ひとりが喜んだら、みなで喜ぶような関係です。
聖書には「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。(ローマ12:15)  」とあります。

人見知りで引っ込み思案だったわたしは、子どものころ、自分から友達を作ることができなくて誰かに誘ってもらうのを待っていました。いつも受け身でいやなときでも拒否できず、空気が読めず、人間関係を築くのが苦手でした。今だったら、心療内科に行けば立派な(?)病名がついたことでしょう。
そんなわたしが、10人の友達を得たということは驚きです。前にも書いたように「ろっち」に入ってから人格が形成されたように思います。

ろっちの仲間には、つらい時は「つらいんや」と言え、こんなこと言ったらばかにされるかな? という心配はしなくていいのです……。
この旅行で、何年も会わなくても、住んでいる場所が離れていても、友情は変わりないことを再確認しました。

さて、思い出は語り合いましたが、未来の夢は語りませんでした。60歳にして夢を語る? と思う人がいるかもしれません。でも、老人は夢を見ていいのです。「青年は幻を見、老人は夢を見る。(使徒2:17)」

わたしは6年前に書いた友への便りで「ファンタジー小説を書いて、それがアニメーション映画になって多くの子どもや若者たちに見てもらうこと。物語を通して、あなたの存在は高価で尊いのだということ。あなたは愛されるために生まれたということを伝えたいのです。」と夢を書きました。それはまだ実現していませんが、まだその夢を持って書き続けています。

年をとっていくばかりで、外側は衰える一方ですが、心はいつも若々しくありたいです。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(Ⅱコリント4:16)」
                                  おわり


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感激旅行記(その4)

2016-12-12 12:32:56 | 日記

旅の2日目は雨が降っていましたが、高速バスで白川郷に向かいました。





合掌造りの家が立ち並んでいました。山は霧が立ち込め、幻想的でした。

「合掌造り」とは、木材を梁(はり)の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居です。勾配が急なのは、屋根に積もった雪が自然に重力で落ちるためなのだそうです。

白川では「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴です。積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に合った構造になっています。
また、建物は南北に面して建てられています。これは白川の風向きを考えて、風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して、夏は涼しく、冬は暖かくなるように工夫されているそうです。


二階に上がって屋根裏が見学できました。屋根裏部屋が作業場になっているそうです。そこで蚕が飼われていました。

いつ、誰によって、この白川の地で合掌造りの家による集落ができたのか謎なのだそうです。
伝説によると平氏の落ち武者が白川郷に住みついたとも言われていますが、定かではありません。忍者が隠れ住んだとか、浄土真宗の信者が集まって秘境文明を作ったなどと推測されているそうです。もしかして隠れキリシタンの村だったかもしれませんね。
謎ということで、なんだかわくわくしました。

それにしても、今でも人が住み続けているとは驚きました。人が住まなくなると、家は荒れ、崩れてしまいます。昭和初期の合掌造りの家で暮らす人たちの映像を見ましたが、郵便を受け取りに行くのに3日かかり、市場に出かけるのに片道3時間もかかるので、暮らしは不便で大変だったようです。
村を出て行ってしまう人もいたそうですが、ここまで守られてきたのですね。かつてここに住んでいた人たちが、世界遺産になったと知ったら喜ぶことでしょう。家々が天を仰いで祈っているように感じました。


白川郷で食べた五平餅。美味しかったです。

さて、旅は終わりに近づいてきました。3時過ぎ、高速バスに乗って白川郷から高山駅に戻り、ビュー高山で名古屋に向かい、名古屋で解散です。
帰りは7人と2人で車両が分かれてしまいました。残りの時間、車両を行ったり来たりしながら時を惜しむようにおしゃべりしました。

                                           つづく


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感激旅行記(その3)

2016-12-07 20:35:11 | 日記
不思議なことは、学生時代の友人と久しぶりに会ったのに、昨日まで毎日会っていたかのように話せることです。いちばん長く会っていなかった人とは10数年ぶりの再会。最近会った人でも6年ぶりです。
みんな変わっていません。しゃべり方も、笑い方も、声も、性格も。みんなと会うと実家に帰ったようにほっとします。

わたしと横浜に住んでいるMOちゃん以外は関西在住なので、卒業後定期的に会っていたそうです。でも、阪神大震災のときは、3年ぐらい会わなかったと言います。家族で亡くなった方はいなかったそうですが、精神的な痛手が大きかったのでしょう。

MOちゃんは実家が神戸なので、里帰りするときに皆と会えたようですが、わたしは関東に引っ越してから36年の間に数回しか関西に行っていません。
でも、みんなが定期的に会っていてくれたおかげで、何かあるとわたしにも連絡が入りました。
そして、みんなが還暦を迎えるときは、還暦旅行をしようねと数年前から約束していました。還暦なんて、ずっと、ずっと、ずーうっと後のことだと思っていたのですが、とうとうそのときがきたのです。


みんなで温泉につかり、おいしい飛騨牛のしゃぶしゃぶなどいただきました。
みんなは元気で、食後にまたお風呂へ行くと言いました。わたしは、とてもその体力がありません。部屋で待っていようと思いました。

すると、Oちゃんが久しぶりのアルコールで気分が悪くなり、横になりたいというので、わたしが付き添うことになりました。みんなが2回目のお風呂に行っている間、わたしもOちゃんの隣でうとうとしました。なんせ朝4時半に起きていますから、眠くてたまらなかったのです。

学生時代、合宿や泊りがけで巡業したとき、いつも先に寝てしまうのがOちゃんとわたしでした。あのときとまた同じだと思うと、笑みがこぼれました。
少し寝たおかげで、夜のミーティング(?)では目が冴えました。Oちゃんも気分がよくなってミーティングに参加できました。

ミーティングは「人形劇部の思い出を語る」です。
「人形劇部の思い出を語る」わたしの書いたものを一部紹介させていただきますね。

人形劇部(ろっち)の思い出はたくさんありますが、卒業して40年経った今、わたしにとって『ろっち』はなくてはならないものだと実感しています。
短大に入学したとき、いちばん盛んな部活に入ろうと思いました。それは、引っ込み思案で人前に出ることが大嫌いだったので、自分を変えたいと思っていたからです。
いちばん盛んな部活はなんといっても、人形劇部でした。見学に行ったとき(MYちゃんと一緒に行ったような気がします)「これだ!」と思ったのです。(略)
人形劇は黒子をかぶってします。客席から動かしている人の顔は見えません。スポットライトが当たるのは自分でなく、人形だと思うとうれしかったのです。
夜遅くまで学校に残り、のこぎりでべニア板を切ったり、ガスバーナーでパイプを曲げたり、不馴れなことをするのは大変でしたが、わくわくしていました。

人形が出来上がると、オリジナル台本で練習します。人形を動かしながらセリフを言うのは意外と難しく、声が出ないことも……。しゃがんだ姿勢で歩くので足が痛くなります。
 中庭でよく「アエイウエオアオ」と言いながら中腰で歩くアヒル体操をしたものです。
今やったら「ハーヒーフーフー バタリ」でしょう。若かったねぇ。
 休みの日には人形、大道具、小道具を持って幼稚園や施設に公演に行ったり、淡路島や米子まで巡業に出かけました。「ようやったね。好評やったでー」と自画自賛。

合宿や巡業で宿泊するのも楽しみでした。ろっちの仲間と一緒に過ごしたのは、たった2年間だったのですが、濃厚でかけがえのない時間でした。
無口で、人前で声を上げて笑ったこともなかったわたしが大声で笑うようになって、S子に「グリム。いま、人格が形成されようんちゃう?」と言われました。(このことはS子は全く覚えていませんでした)

発達心理学か何かの授業で、子どもの人格の形成について習っていた時のことです。ほんまにその通りです。遅ればせながら18歳過ぎて、人格の形成がはじまったのでした。
人形劇部に入る前のわたしは、殻の中に閉じこもっていて、人前で自分を出すことができない者でしたが、ろっちの仲間と過ごすうちに、殻が少しずつ溶けていったのだと思います。

人形劇をしていて、よく覚えているのは、なぜか失敗したことです。さるかに合戦では、わたしは臼の役と柿の木を操作する役目でした。柿の木は、緑の葉だけのものが、裏でひもを引っ張るとたくさんの実をつけたものにパッと変わるというしかけがしています。
 「早く実がなれ柿の種、ならぬとハサミでちょん切るぞ」とかにの兄妹が言ったら、ひもを引っ張るだけなのですが……ひもの端についたリングが指にからまって、はずれなくなってしまいました。うたい終わったのに、実がなりません。
「お兄ちゃん、なかなか実がならないね」「そうだね。もういちどうたってみよう」
NちゃんとOちゃんのアドリブで何とかつなぎます。こちらは、からまったものがとれなくて必死です。ひもが切れてもいいと思い「えいっ」と力まかせに引っ張ると、ぱたりと木の上の部分が開いて、たくさんの柿の実が出てきました。
「ひーふーみーよー、とうとうなったね」
というセリフに込められた思いに舞台裏にいる全員がひとつ思いとなり、ほっと胸を撫でおろしたのでした。

失敗といえば、「しげるちゃんのいちにち」で、パトカーの音が出なくて、Oちゃんがひっくり返って腹を押さえながら「ピーポーピーポー」と言ってくれましたね。(略)

卒業公演では、ムーミンのエンディングの曲が流れなかったことが残念でならなかったです。でも、今から思うと、失敗したからこそ思い出として、それも極上の思い出として残っているのです。

卒業公演では司会進行役をS子とふたりでやらせてもらいました。わたしは、ヒデキの歌をうたう音痴なおばあさん役でした。かつらはつけていましたが、黒子をつけずに舞台に出たのです。
ろっちの仲間のおかげで、わたしにとって黒子はもう必要なくなっていたのでした。
                         

S子とHちゃんの思い出も聞きました。
気づいたことは、同じ経験をしても、人によって記憶にしっかり刻みつけられているところと、ぽっかり穴の開いたように忘れているところが違うということです。

S子にBGMを苦労して一緒に選んだねと言われましたが、わたしの記憶には全く残っていません。でも、電車乗り越し事件と、Tちゃん置き去り事件は、全員が覚えていました。
今回も同じような失敗をしないよう、電車ではみんなが降りる駅に気をつけ、ときどき人数点検もしていたことがおもしろかったです。

今回の旅行では、2人参加できませんでした。ひとりは病気治療のため、ひとりは忙しくてです。楽しんでいる旅の間も、参加できなかったNちゃんとK子のことを想っていました。

H子が気をきかせて絵葉書を買ってきました。切手も用意してくれていたのでハガキにみんなでサインして旅行中に2人に便りを出しました。
Nちゃん、K子、次は一緒に行こうね。



夜1時半ごろまで話し込んでいたのに、朝早く起きて朝市へいきました。

                     つづく

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感激旅行記(その2)

2016-12-05 21:02:55 | その他

名古屋からワイドビューひだに乗りかえます。名古屋で神戸からの4人と、姫路からの3人と合流することになっていたのですが……ハプニングが起こりました。

神戸からの4人とは出会えました。ところが姫路からの3人がいません。

「新幹線乗り間違えた」と姫路組からメールがあったと聞いて驚きました。
一台早い新幹線に乗ってしまったそうです。早い新幹線に乗ったのに、遅れて着くらしいです。3人もいるのにどうして間違えたのでしょう。

でも、「3人だから大丈夫やね」と笑いました。

わたしたちには昔からハプニングがつきものでした。
学生時代、東加古川の幼稚園に招かれて人形を持って11人で電車に乗り込みました。
電車の中で話に夢中になっているうちに、ふと気づくと加古川駅でした。ひとつ乗り越してしまったのです。あわてて加古川で降り、上り電車が来るまでの間真っ青になっていました。幼稚園ではわたしたちが現れないので、駅でずっと待っていてくださったようです。15分遅れぐらいで到着して、迷惑をかけてしまいました。

また、別の日、公演が終わったとき駅まで車で送ってもらったのですが、メンバーのひとりがトイレに入っていたのに気づかず、おいてきぼりにしてしまいました。途中で気がついて、戻ってもらったのです。

その後は、かならず人数点検をするようになりました。携帯電話のないころのことです。
皆、そのことを思い出していました。
とにかく、高山で無事合流できました。荷物を預けてから高山の町を歩きました。



可愛いサンタクロースが迎えてくれました。


町屋格子のお店が連なっていました。お団子とソフトクリームを食べながら歩きました。





鍛冶橋に手長足長の像がありました。足長像と手長像は夫婦だそうです。(足長が夫、手長が妻)


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                              つづく

感激旅行記(その1)

2016-12-01 16:16:46 | 日記
学生時代の友人11人で旅行することが決まったのは2か月前でした。11人のうち2人は都合が悪くて参加できなくなってしまいましたが、9人で高山(岐阜県)に行ってきました。

友人たちは、神戸の保育科の短大で同じ人形劇部(ろっち)のメンバーでした。手作りの棒人形を持って、保育園、幼稚園や施設などへ出向いて演じてきました。巡業の旅といって、淡路島や米子までも行きました。

苦楽を共にしたメンバーは、特別の結びつきがあります。卒業して40年たった今もお互いに連絡を取り合っています。

ただ、わたしともうひとりは関東、ほかのメンバーは皆関西に住んでいるので、全員で集まるということはめったにありませんでした。(関西組では年に2回ぐらいはずっと集まっていたそうです)

卒業してすぐ京都に旅行に行き、子育てがひと段落するころ(15年後くらい?)に六甲アイランドでお泊り会をしました。今回はそれ以来の旅行で、旅行のほかにも2~3回は、わたしが関西に行った時に会いましたが、10年、20年ぶりの友人もいました。

でも、会わないでいた月日の長さを感じないほど、学生時代のままの気持ちでおしゃべりしました。

名古屋で待ち合わせをしたので、東京発7時台の新幹線に乗るために、わたしは4時半に起きました。以前の旅行のとき、新大阪で皆と待ち合わせをしたとき、常磐線が遅れて、新幹線に乗り遅れてしまったことがありました。それで、30分前に着くように早めに家を出ました。

ちゃんと時間通り新幹線に乗れるかが最大の心配です。
もうひとりの関東の友は新横浜から乗ってくることになっています。友人は遅れずにやってくるでしょうか。

新横浜に着いたとき、友人が現れました。この友人ともずっと会っていなくて15年ぶりぐらいですが、すぐにわかりました。
まずはほっと一息です。いいお天気で富士山がきれいに見えました。

                               つづく



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タッタとタンタ

2016-11-25 16:39:40 | 童話
地震が起きたり、11月なのに雪が降ったり、予測しないことが起こると落ち着かなくなってしまうわたしです。

聖書には「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)と書かれていますが、この言葉を心にとめて日々過ごしたいと思います。

日本クリスチャン・ペンクラブ関東で発行している「文は信なり」ニュースレター35号にわたしの書いたクリスマス童話が掲載されました。原稿用紙4枚の短編です。

わたしは、短編が苦手で、原稿用紙10枚以下の童話が書けませんでした。ストーリーを思いついた瞬間、長い作品になっているのです。そのわけは、ドキドキハラハラするようなおもしろい作品にしたい。複雑で謎解きも入っているようなストーリーにしたい。読者に伝えたいことをふんだんに盛り込みたい……などと思っているからです。

児童文学の仲間に、「あなたは長編型なんだから、長編を書いていけばいいのよ」と言われました。長編型と短編型があるのですね。長編だと書き上げるのに何年もかかってしまいます。レターに掲載したり、合評会に持っていったりするには短編の方がいいのです。
 
去年ぐらいからやっと原稿用紙5枚作品が書けるようになりました。今年は3枚の作品をと思ったのですが、オーバーして4枚作品になってしまいました。複雑なことは考えない。素直な気持ちでまっすぐにイエス様の方を向いて書いたら短い作品が書けました。紹介させていただきます。


             タンタとタッタ     土筆文香




タッタとタンタはようくんのくつしたです。

タッタ、タンタ、タラッタラッタ、タンタ 

ようくんの足にはかれるとタッタとタンタはうれしくてうたいます。
ようくんがねむっていると、なきごえが聞こえてきました。ふとんの上にくつしたのかたほうがピクピク動いています。

「どうしたの?」
「ぼく、タッタ。弟のタンタがつれていかれちゃったんだよう」
ようくんはくつしたをぬいだとき、かたほうずつほうり投げたことを思い出しました。
「ネズミがタンタをくわえて走るのをみたんだ」
「えっ、ネズミが?」
ようくんはびっくりしました。
「このへやは、ネズミの通り道になっているんだ。ベッドの下をみてごらん」
 ようくんがベッドの下をのぞくと、緑色のラインがみえました。ラインはつくえの下を通り、かべのところで消えています。
「ラインをたどっていくと、かべを通りぬけられるんだ。かべの向こうに別の世界がある」
「別の世界?」
「ぼくをポケットに入れて、ラインの上を歩いて」
ようくんは、つくえの下にもぐってラインの上を進み、かべにつきあたりました。すると、いつの間にかかべを通りぬけていました。

そこはまぶしいほど明るくて、青空の下に雪の原っぱがどこまでも広がっています。はだしの足が冷たくて、ようくんは足を上げたりおろしたりしました。
向こうに小屋がみえます。
「ネズミはきっとあの小屋にいる」
タッタがポケットでモコモコ動きました。
ようくんは足が冷たいのをがまんして雪の上を歩きました。

小屋の戸を開けると、ネズミたちが輪になっていて、その真ん中にタンタがいました。
「ぼくのくつした、返して」
ようくんが持ち上げると、キーキーと声がしました。タンタの中にネズミの赤ちゃんが三びき入っていたのです。

「今年はとくべつ寒い冬で、子どもが何ひきも死んだんだ」
「でも、これがあると子どものいのちが助かるの。かしてもらえないかしら」
父さんと母さんネズミが前足をすり合わせました。

「ぼくはかまわないけど、タッタは?」
ようくんがタッタをポケットから出すと、タッタはピクピクうなずきました。
父さんネズミがタッタをみつけました。

「もうひとつのくつしたさんも、かしてくれないか」
みると、ふるえているネズミの赤ちゃんがもう三びきいました。
タッタまでかしたら、ひとりぼっちになってしまいます。ようくんが迷っていると、

「ぼくもネズミさんをあたためてあげたい」
タッタがいいました。
ようくんは、タッタをネズミにさし出しました。なみだがほおを伝わり、しょっぱい味が口に広がりました。
 
小屋を出ると外は雪がふっていました。ようくんは、急に心細くなりました。家に帰るにも雪の原ばかりで帰り道がわかりません。
風がふいて、ふぶきになりました。体がこおりそうです。一歩も歩けなくなって、雪の上に倒れてしまいました。

ザックザックと足音がして、だれかが近づいてきました。その人は、赤いふくを着て赤いぼうしをかぶり、白いひげの……サンタさんです。
 サンタさんは大きな手を広げてようくんをだき上げ、ふところに入れました。サンタさんの上着の中はふわふわであたたかです。

「今日はクリスマスなの?」
ようくんがたずねると、サンタさんはうなずきました。
「ようくんはクリスマスにいいことをしたね」「いいこと?」
「タッタとタンタをネズミにかしてあげたじゃないか」
「サンタさん、みてたの?」
サンタさんはにっこり笑いました。

「クリスマスはプレゼントをもらうより、あげる人の方が幸せになるんだよ」
ようくんはほっとしてサンタさんにだかれてねむりました。
目がさめると自分のベッドにいました。まくらもとに二つのくつしたがおいてあります。タッタとタンタです。くつしたの中にたくさんのおかしがつめられていました。
「ネズミさんたちはどうしたの?」
「元気で大きくなったよ。春になったから、サンタさんに連れられて帰ってきたんだ」
タッタとタンタが口をそろえました。かべの向こうでは時間のたつのが早いのです。

ようくんは、おかしを分けて家族のみんなにプレゼントしました。ネズミのためにラインの上にもおきました。
タッタとタンタは、ひさしぶりにようくんにはかれて、うれしそうにうたいます。


タッタ、タンタ、タラッタラッタ、タンタ



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「みんな言ってる」に恐怖を感じるとき

2016-11-19 11:08:47 | 聖書から

「こうしないといけないのよ」「みんな言ってるよ」
と言われると、深く考えないで人の言うことに従ってしまうようなことありませんか?

わたしは中学生まではそのようにしていました。意志を持たない者のようで、人が赤が好きと言えば、「わたしも」と答え、白が好きと言えば「わたしも」と答えていました。

もちろん意志はあるのですが、自分を押し殺して本音を誰にも言えないでいました。
中学に入学したとき、部活を選ぶのに友達のすすめたところにしか入れませんでした。体が弱いのにバスケに入り、喘息の発作を起こして大変でした。

その中学は一学期だけ通って、神戸に引っ越すことになったのでバスケからは解放されましたが……。
いやだといえば、嫌われるのではないかという恐れがあったからです。

なぜこんなに優柔不断だったのでしょうか……。『みんな言ってる』という言葉と『恐れ』を心の中に入れてしまったからです。


昨日の家庭集会では「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)」という聖書の言葉からお話を聞きました。

心を見張るとはどういうことでしょう……。心の入口を守ることです。

『怒りや嫉妬など悪い思いを心の中に入れないように。』と言われましたが、悪い思いが心の中から次々湧いてくるようなときがあります。
悪い思いを作り出しているのではなく、入ってきているのですね。

イエス様は心に見張りを立てておられました。人々がイエス様を王としてエルサレムに連れて行こうとしたとき、イエス様はそのことを知ってひとり山に退かれます。傲慢にならないため、十字架の使命を果たすためです。

また、イエス様が弟子たちにこれから起こる十字架の苦しみのことを話したとき、ペテロがいさめて「そんなことがあなたに起こるはずはありません」と言いました。
そのときイエス様はペテロに向かって「下がれ。サタン」と言っています。
弟子をサタンと呼ぶとはずいぶんですが、きっぱりと拒否するためには、そのぐらい強く言わなければならなかったのです。

イエス様も十字架は恐ろしかったと聞いて、ゲッセマネの丘で苦しみ悶えて祈っているイエス様の姿を思い浮かべました。
十字架の道を避けることはいくらでも可能でした。でも、避けて通ってしまえば、人類を救うという神様のみこころを実行することができません。それで、恐ろしいという思いを心に入れないよう、心を守られたのです。


今のわたしはどうでしょう。悪い思い、誘惑、嫉妬や怒り……そのようなものが心の入口まで来ています。うっかりすると中に入って、あっと言う間に増大するでしょう。

祈るしかありません。
イエス様、どうか心の入口に来てください。そしてわたしの心のドアを守ってください。
「心を守ると、いのちの泉がこれからわく」のですね。いのちの泉をあふれさせてください。

追記
2012年10月31日に書いた「みんな恐怖症」という関連記事あります。ここをクリックして下までスクロールしてご覧ください。

写真はパリの凱旋門。


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