口を閉じ鼻だけで呼吸します。 肩の力を抜き全身をリラックスします。 頭のてっぺんが天から引っ張られているような感じで、上体を維持します。 姿勢をよくしようとして、上体を反っては筋力が働きますので、筋力が働かないように上体を維持します。
私は布団の上で羽毛の枕の上に、半跏趺坐の胡坐で座ります。 長い間、普通の胡坐でしたが、私自身は胡坐のスタイルには、こだわりはありません。 結跏趺坐が何故よいか、それは足の裏を天に向けて座りますので、また足の裏は天の気を吸います、という理由で宇宙と自分の体が、一体になる感覚を感得できるからです。
お尻に引くものは、出来るだけ低いものがよいと、私自身は思っております。 禅宗のHPを見ますと、お尻と両膝の3点で上体を維持するように書かれていますが、力学的に考えますと、重心は3点の中心に来ることになります。 長時間、胡坐を組むことを考えた時には、無理が生じます。 むしろ、上体をお尻全体で受け、両膝を転倒しないように床につけるべきなのです。 お尻、上体、天が、真っ直ぐになる感覚がよいのです。
吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中する呼吸を伴いながら、1時間の座禅を継続的に行っていけば、ごく当たり前のように、生来もっていた気感を感得することになるのです。 人によると、これは神秘体験だ、特別なことだという言い方をする方がいますが、私は特別なことではなく、誰もが本来持っていたもの、肺呼吸を行うようになってから眠っていたもの、と考えています。
ただし、ひとりで座禅を行う時の心構えとして大切なことは、無理をせず、いつも気の自由な動きに任せ、自然の摂理に委ねる気持ちを持っていることなのです。 必ずしも、座禅を行うときに、それなりの禅僧(指導者)がいるとは、限らないからです。
ご自分が修行されたつらい経験を、そのまま私達に伝えようとするからです。 私達にほしいのは、修行時代を踏まえ更に、ご自分が座禅を行なう中で、その座禅の中から何を伝えたいかです。 座禅はつらい、苦しいものではありません。 むしろ私は座禅は、楽しいものと思っているのです。 そういう感覚を禅僧の方たちから、伝えてもらいたいことなのですが。