男子円盤投げ大井(岩手県洋野町)銅メダル大相撲秋場所初日上野(広)1勝、高橋尚(巨)6勝、平井(中)1勝、坂元(日)5勝、有銘(楽)2勝、小林宏(ロ)5勝村田(横)40号
「旧沢内村長・深澤晟雄資料館が10月開館 西和賀」
生命尊重行政を推進した旧沢内村長、故深澤晟雄(まさお)氏の功績を発信する「深澤晟雄資料館」は10月、西和賀町沢内に開館する。没後43年がたち、当時を知る人たちも高齢化する中、散逸している資料を収集し、小規模村が生き抜いてきた「住民の誇り」を内外に発信する。関係者は「全国初の乳児死亡率ゼロや老人医療費無料化の業績を次世代に伝える拠点にしたい」と完成を待ち望む。
資料館は西和賀町の特定非営利活動法人(NPO法人)深澤晟雄の会(太田祖電理事長)が整備する。
国保沢内病院敷地内にある豪雪モデル住宅第1号の旧看護婦宿舎を改築。1階に展示スペース、2階に研究室と資料室を設置する。改築費用約2200万円は日本宝くじ協会の助成を受けた。
深澤氏は1957(昭和32)年に沢内村長に就任。豪雪・貧困・多病多死の三重苦にあった村を変えるべく、「人命の格差は絶対に許せない」との政治理念を持ち、住民の先頭に立ち命を守る政策を展開した。在職中の65年に食道がんのため死去した。
記録映画「いのちの作法」や、及川和男さんの「村長ありき」再復刊を通して生命尊重行政がクローズアップされる中、昨年8月にNPO法人が発足、資料館整備を進めた。佐々木孝道副理事長(52)は「深澤村長の精神を目に見える形で残したい。資料収集を通して、住民に対する慈愛のまなざしを感じ取れた」と語る。
深澤氏の実家に保管されていた背広やコートは所々が擦り切れ、村長時代の激務を物語る。晩年の手帳には日程がびっしりと書き込まれていた。
旧沢内庁舎を解体した業者の手により執務机も保管されており、資料総数は千点近くに上る。妻の故ミキさんや助役とした活躍した故佐々木吉男さん、当時の沢内病院長や保健婦からも貴重な証言が集まった。
深澤村政時代に保健行政に携わった同町沢内の照井富太さん(82)は「深澤村長の理念や活動は風化してしまうのではと心配していただけに、実像を伝えてくれる資料館整備は本当にありがたい」と話す。
深澤晟雄氏(ふかさわ・まさお)1905-65年。東北帝大法文学部を卒業後、台湾総督府や満州国で働く。戦後沢内に帰郷。教育長、助役を経て57年から65年まで村長。「住民の生命を守るために、私は自分の生命をかけよう」と冬季交通の確保や医療費無料化を進め、乳児死亡率ゼロを達成した。旧沢内村太田出身。(2008/09/11 全国紙)
岩手県九戸村の「取り組み」を投稿したが、ほぼ同時に旧沢内村の活動も紹介された。
嬉しいことである。岩手県が誇れる自慢の話題が続く。
「住民の生命を守るために、私は自分の生命をかけよう」。今の時代にも共鳴するものがある。政治家もこれ位の意気込みでやってほしい。退陣する福田首相は「旧沢内村」の事を全く知らなかった。残念である。生命尊重の原点もいえる故・深沢村長の取り組みに学んでほしいものである。
「旧沢内村長・深澤晟雄資料館が10月開館 西和賀」
生命尊重行政を推進した旧沢内村長、故深澤晟雄(まさお)氏の功績を発信する「深澤晟雄資料館」は10月、西和賀町沢内に開館する。没後43年がたち、当時を知る人たちも高齢化する中、散逸している資料を収集し、小規模村が生き抜いてきた「住民の誇り」を内外に発信する。関係者は「全国初の乳児死亡率ゼロや老人医療費無料化の業績を次世代に伝える拠点にしたい」と完成を待ち望む。
資料館は西和賀町の特定非営利活動法人(NPO法人)深澤晟雄の会(太田祖電理事長)が整備する。
国保沢内病院敷地内にある豪雪モデル住宅第1号の旧看護婦宿舎を改築。1階に展示スペース、2階に研究室と資料室を設置する。改築費用約2200万円は日本宝くじ協会の助成を受けた。
深澤氏は1957(昭和32)年に沢内村長に就任。豪雪・貧困・多病多死の三重苦にあった村を変えるべく、「人命の格差は絶対に許せない」との政治理念を持ち、住民の先頭に立ち命を守る政策を展開した。在職中の65年に食道がんのため死去した。
記録映画「いのちの作法」や、及川和男さんの「村長ありき」再復刊を通して生命尊重行政がクローズアップされる中、昨年8月にNPO法人が発足、資料館整備を進めた。佐々木孝道副理事長(52)は「深澤村長の精神を目に見える形で残したい。資料収集を通して、住民に対する慈愛のまなざしを感じ取れた」と語る。
深澤氏の実家に保管されていた背広やコートは所々が擦り切れ、村長時代の激務を物語る。晩年の手帳には日程がびっしりと書き込まれていた。
旧沢内庁舎を解体した業者の手により執務机も保管されており、資料総数は千点近くに上る。妻の故ミキさんや助役とした活躍した故佐々木吉男さん、当時の沢内病院長や保健婦からも貴重な証言が集まった。
深澤村政時代に保健行政に携わった同町沢内の照井富太さん(82)は「深澤村長の理念や活動は風化してしまうのではと心配していただけに、実像を伝えてくれる資料館整備は本当にありがたい」と話す。
深澤晟雄氏(ふかさわ・まさお)1905-65年。東北帝大法文学部を卒業後、台湾総督府や満州国で働く。戦後沢内に帰郷。教育長、助役を経て57年から65年まで村長。「住民の生命を守るために、私は自分の生命をかけよう」と冬季交通の確保や医療費無料化を進め、乳児死亡率ゼロを達成した。旧沢内村太田出身。(2008/09/11 全国紙)
岩手県九戸村の「取り組み」を投稿したが、ほぼ同時に旧沢内村の活動も紹介された。
嬉しいことである。岩手県が誇れる自慢の話題が続く。
「住民の生命を守るために、私は自分の生命をかけよう」。今の時代にも共鳴するものがある。政治家もこれ位の意気込みでやってほしい。退陣する福田首相は「旧沢内村」の事を全く知らなかった。残念である。生命尊重の原点もいえる故・深沢村長の取り組みに学んでほしいものである。