平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

年末っていつも冬じゃないの?

2005-12-30 22:21:49 | えりかの徒然なるままに
 皆様は、年末をどのようにお過ごしでいらっしゃるのでしょうか?
そして、お正月のお支度はもうお済みなのでしょうね…

 私はというと、やっと今日になって大掃除らしいことをしたというところです。
でも、お恥ずかしながら年賀状もまだ全部書き終えていません。なので、来年の年賀状は到着が遅れます。特に静岡県外にお住まいの皆様、すみません…。と、昨年もこんな事を書いたような…。本当に成長しない私…。

 さて、「今日は大掃除をした。」と先ほど書きましたが、いつも年末に掃除をしていて思うことは、「この時期に窓を開けっ放しにして掃除をするのは寒くて辛い。なぜこんなに寒い時期が年末なのよ!!」ということです。そして、今日もとても寒かったので、ずっとこのようなことを考えていました。。

 ところが調べてみると、年末は将来春にも夏にも秋にもなるようなのです。天文学のような話になってしまいますがちょっとおつき合い下さいね。

 地球というのは太陽の周りを自転しながら回っているのですが、実は地軸がまっすぐではありません。地球の地軸は約23、5度傾いている、つまり地球はまっすぐ立って自転しているのではなく、約23、5度傾いて自転しているのです。そのおかげで四季があると言っても良いのですが…。
 さらにその傾きの方向は一定ではなく、独楽(こま)の首振り運動のように回転しています。つまり、北極星(北極からまっすぐ線を延ばしていくとたどり着く星。北極からこの星を見ると真上に見えるそうです。そして、北半球ではこの星は静止して見えます。)は永久に静止して見えているのではなく、約14000年後には織姫星が今の北極星の位置に静止して見えることになるのだそうです。つまり、14000年後は北極の真上に織姫星が輝いているということになります。
 そして約25900年後には、再び現在と同じ位置に北極星が見えることになるとか…。

 早く言えば地球の地軸の方向は一定ではなく、約25900年かかって1周することになります。当然、太陽に対しての向きも一定ではありません。約13000年後には季節が今と逆になるということになります。
 つまり、日本で言うと現在では一番寒い12月、1月、2月は13000年後は夏になるということになるのです。そう、約6500年後の日本の年末は最も過ごしやすい時期(になるわけで、その頃の日本人はさぞ年末の大掃除が楽だろうなとつい想像したくなってしまいます。

 ついでに余談ですが……、このように地軸が回転することによって、夜空の星の見え方も将来は現在とは全く違うものになるのだそうです。西暦13000年10月22日午前0時の東京の夜空は、南十字星(現在の東京では見ることができません。)が真南の方向、地平線から約23度の地点に見え、北の空には現在の夏の大三角形、つまり織姫星、彦星、白鳥座のデネブが輝いているとか…。ちょっと信じがたい話ですけれどこれは事実のようです。

 「何で年末はこんなに寒いのよ!!」という話がこんな方向にまで暴走してしまいました。でも、私は元々星とか宇宙の話が好きで、中学生の頃はよく簡単な天文学の本を読んでいたのです。幸い父と妹も星や宇宙が大好きでしたので、3人でよくその方面の話をして楽しかったです。
 そこで、高校ではぜひ地学の授業を取ってみたかったのですが、うちの高校には地学の専門の先生がいなかったので取ることができませんでした。そして、私が高校を卒業して2、3年ほど経った頃、天文クラブができたようで、文化祭で太陽系の惑星の模型の展示などを行っていました。「在学していたら絶対に天文クラブに入ったのに。」とちょっと残念でした。

 さて、明日は正月料理を1日がかりで作るので、「えりかの平安な日々」の今年の更新は、今日が最後になると思います。
 皆様、今年も1年間ありがとうございました。毎日訪問して下さった皆様、記事を読んで下さった皆様、掲示板に書き込みをして下さった皆様……、こちらにいらして下さったすべての皆様に感謝申し上げます。
 どうか良いお年をお迎え下さいませ。そして、来年も皆様と色々なお話しをしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

最近の出来事

2005-12-25 23:47:09 | えりかの平安な日々 04~09
☆雪が降りました ~12月22日

 この日の朝、ゴミを出しに行こうと思って玄関のドアを開けたら、何か景色が変……と思いました。そして、外に足を一歩踏み出したとたん何か柔らかい感触が…。そうです、雪が積もっていたのでした。景色が変に見えたのは、雪のために反射していたからなのでしょうね。

 以前にも書きましたが、私の住んでいる地方はめったに雪が降りません(7~8年に1回くらいかも)まして12月の雪なんて聞いたことがありません。今年の冬がいかに寒いかを実感しました。

 でも、珍しかったので思わず手で積もった雪に触って、その感触を楽しんでしまいました。。


☆クリスマスディナー ~12月24日

 この日の夜は、だんなさんと近くの洋食屋さんでクリスマスディナーを食べてきました。一人3000円のコースにシャンパンとお持ち帰りのケーキをつけてもらいました。
 では、お料理のメニューを紹介しますね。

・生ハムとベークドチーズのサラダ
 文字通り、生ハムとベークドチーズ(チーズを固めたものだと思います)とレタスの入ったサラダでした。オードブルにしては少しボリュームがあるかなという感じでしたけれど、おいしかったです。

・豆腐とイカの塩辛のせ ユッケ風
 冷や奴にイカの塩辛、ネギなどが乗っていました。だんなさんは、「これが一番おいしかった」と言っていました。

・たらこと大葉の春巻き
 たらことしその葉が入った細い春巻き。たらことしその味がとてもマッチしていておいしかったです。あまりにもおいしくて、私はとっても幸せな気分になりました。
 でも、だんなさんはたらこが苦手なのでほんのちょっとしか食べられなくて可哀想でした。その代わり、私がたくさんもらってしまいましたが…。

・エビとブロッコリーの中華炒め
 エビ、ブロッコリー、しめじ、赤ピーマンをオイスターソースで炒めたもの。こちらもおいしかったです。

・牛肉のトマト煮込みパイ包み焼き
 牛肉をサイコロ状に切ってトマトソースで煮込んであるものがカップに入っており、それをパイ生地で上から覆ってあるというしゃれた料理でした。こちらもおいしかったです。

・豆腐のミートグラタン
 豆腐とひき肉、みじん切りにしたたけのこなどをソースで煮込み、チーズをのせて焼いてありました。ソースは和風のしょうゆ味にも、洋風のトマト味にも思えるという不思議な味でした。こういったしゃれた味は私には絶対に出せません。

・チーズ ナッツ ポテトの盛り合わせ
 スモークチーズとピーナッツとポテトチップの盛り合わせ。ちょっとしたおつまみ風のお料理です。

 …と言うわけで、どれもとてもおいしかったです。そして、おいしいものをたくさん食べて幸せな気分になりました。素敵なクリスマスイブを過ごすことができて良かったです。

開設1周年の挨拶&1周年記念プレゼント企画

2005-12-21 00:00:00 | お知らせ・ブログ更新情報
 本日を持ちまして当ブログ「えりかの平安な日々」は、開設1周年を迎えることができました。

 これもいつもご覧下さっているみなさま、応援して下さるみなさまのおかげです。
心より感謝申し上げます。本当にどうもありがとうございました。

 思えば、ブログというものがホームページビルダー等のソフトを使わなくても開設できることを知ったのが開設3日前でした。そして、「これなら私でもできるかもしれない。では、まず日記から始めてみよう。」と思ってgooIDを取得したのが開設の前日でした。なので、準備も全くせずにブログを開設してしまったのです。
 当初は、いつまで続くか……という感じでしたけれど、1年間も続いてしまったのですね。自分でも何か信じられない気分です。

 この1年間は、今までのネット生活の中でこれまでにないくらい、忙しく充実した1年間でした。もちろん、楽しいことも大変なこともありました。
 特に歴史関係の記事を書くときは、下調べから始まって様々な調査、そして文章を書くのもなかなか気を使う(多くの歴史研究学者や関係書籍の方々の文章をまねることなく、私の言葉で書こうと言う気持ちが強くあり)作業でした。「やめてしまったら楽なのに…」と思ったことも正直あります。でもそんなときは、みなさまの掲示板での暖かい書き込みがとても励みになりました。そしてもう一つは、何よりも「私は歴史が好き!!」という、強い気持ちがあったから続けることができたのだと思います。

 これからも、みなさまのご期待に応えられるよう、そして自分自身が楽しめるよう、精一杯努力していきたいと思います。更新頻度の高いブログにはなれないと思いますが、皆様とのふれあいを大切にしながら頑張っていきたいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて……、そんないつも応援して下さるみなさまに感謝の気持ちを込めて、1周年記念プレゼント企画を用意させていただきました。

 では、プレゼントをご紹介させていただきますね。

A.光の君リカちゃん(1名様)
 風俗博物館より発売された、直衣(平安時代の男性貴族の普段着)姿のリカちゃんのキーホルダーです。直衣は布でできていますのでとてもリアルです。そして、とってもかわいいです♪。上の写真がその「光の君リカちゃん」です。

B.本 『古墳とヤマト政権』 白石太一郎 文春新書 1名様
 本のオビに「ここまでわかった日本のルーツ」と書かれています。

C.本『卑弥呼の居場所』 高橋徹 NHKブックス 1名様
 本のオビには「倭人伝を歩く旅 邪馬台国への道」と書いてあります。

*BとCの本についてですが、うちのだんなさんがすでに買ってあるにもかかわらず、間違ってもう1冊買ってしまった本です。(旦那さんは3世紀から5世紀の古代日本史の研究が大好きで、もう300冊を超えるほどの本を持っているのですが、書店で良さそうな本を何も考えないですぐ買ってしまう悪い癖があるのです。)この機会にみなさまへのプレゼントにさせていただくことにしました。ちなみにどちらも新品です。
 こちらで扱っている時代より少し前の時代を扱った本ですが、興味深い内容で、初心者でも楽しめると思います。

 ☆応募方法
 プレゼントを希望される方は、お名前(ハンドルネームでも可)とメールアドレス、希望するプレゼント名を一点記載の上、2005年12月29日(木)午後11時まで、ブログ内の「えりかへのお便り」より送信願います。
*過去にえりかとメールのやりとりをしたことがあり、えりかのメールアドレスをご存知の方は、お手持ちのメールソフト等からこちらに送っていただいてもかまいません。但しその場合は、「1周年記念プレゼント企画への応募」という件名にして頂けますよう、よろしくお願いします。
*応募はお一人様一点でお願いします。

 応募者が複数の場合は抽選とさせていただきます。
 当選なさった方には、2006年1月3日~5日頃までにこちらからメールを送らせていただきます。折り返し送付先のご住所とお名前をこちらにお知らせ下さいますよう、よろしくお願いします。……というわけで、当選なさった方は管理人にご住所やご本名をお知らせしていただくということになります。その点をご考慮の上、応募いただきますよう、お願い申し上げます。

 こちらのブログにはキリ番制度もありませんので、皆様への感謝の気持ちを込めて、このような企画を考えさせていただきました。締め切りまであまり時間がなくて申し訳ありませんが、多数のご応募をお待ちしております。ささやかなプレゼントですが、エリカからの小さなプレゼントだと思って、運試しのつもりで頑張ってみて下さいね。

近況

2005-12-19 21:53:25 | えりかの平安な日々 04~09
 先週の金曜日は友人2人と中華料理のランチ、そして今日は別の友人とイタリアンのクリスマスランチ……。どちらも久しぶりに会う友人でしたので会話がはずみ、ランチもとてもおいしかったです。とっても幸せな気分です♪

 そして今週の土曜日は、近所のいつもの洋食屋さんに、だんなさんと一緒にクリスマスディナーを食べに行きます。楽しみです♪

 でも……、食べ過ぎて体重が増えてしまうかも…。そろそろ健康のことを考えなければならない年齢ですから、脂肪の付きすぎには気をつけなくてはいけませんね。


 さて話は変わりますが…。最近、「大鏡」を読み始めました(もちろん現代語訳!)

 「大鏡」というのは、白河天皇御代から院政期の頃に成立した歴史物語です。文徳天皇御代から後一条天皇御代までの歴史が、藤原北家にまつわる出来事を中心に描かれています。
 内容は、大宅世継と夏山茂樹という190歳近い2人の昔なじみらしい翁が雲林院の菩提講で昔語りを語り合うというスタイルで書かれています。話の中には2人の主観が入っていて、そこがなかなか面白いです。

 それと、私が読んでいる講談社学術文庫版には史実や登場人物についての解説もついているので、平安時代の歴史の勉強にもなりそうです。

 まだ「帝記」の朱雀院の項までしか読んでいませんが、これから先を読み進めるのが楽しみです。

平家後抄 落日後の平家

2005-12-17 14:28:16 | 図書室1
 本日は、先日UPした、大河ドラマ「義経」の感想を書く上で参考にした本の中から、特にお世話になったこの本を紹介します。

☆平家後抄 落日後の平家(上・下)
 角田文衞・著  講談社学術文庫
価格 上巻=1313円  下巻=1418円(税込み)

☆上巻目次
学術文庫版のまえがき
まえがき
序 章 北山の准后
 貞子の回想
 源氏と平家(付記)
第一章 嵐の後
 女院の還御
 関東護送
 平家の生虜たち
 宗盛父子の最後
 三位中将重衡の場合

第二章 さまざまな運命
 平家の侍大将
 平貞能の東国落ち
 頼盛の軌跡
 流人発遣
 生虜の侍たち
 阿波民部大夫
第三章 平家の残党
 平孫狩り
 宗親と時実兄弟
 盛久と盛嗣の場合
 丹後侍従
 宗家の開祖
 平家谷
第四章 女人の行方
 清盛の娘たち
 女院の大原入り
 大原御幸
 時忠の一族
 治部卿局
 頼盛の遺族
第五章 北陸の空
 時忠と能登国
 時忠の末裔
 長兵衛尉信達
 越後平氏
 平永茂
 建仁の乱
 坂額の奮戦

補 註
諸家系譜抄
 桓武平氏高望流 桓武平氏高棟流 宗家 長家

☆下巻目次
第六章 鎮魂の歌
 冷泉大納言隆房
 平家公達草紙
 栄耀の日々
 草紙と絵巻
 女院の動静
第七章 時の流れ
 伊賀大夫
 悪七兵衛景清
 三日平氏の乱
 乱の余波
 流人召
 忠快僧都
 幻の旅路
第八章 おどろの路
 院の近臣
 維盛の遺族
 勢観房源智
 信範の一家
 従三位教子
第九章 暗 雲
 順徳院の周辺
 鎌倉家の末裔
 鎌倉家の御家人
 貞子の結婚
 頼盛の子孫
第十章 源平の黄昏
 四条局の禍福
 金仙院 ー建礼門院の末年
 貞暁僧都
 竹の御所
 脩明門院
終章 怨念無常
 四条家の隆昌
 『平家物語』の作者たち
 堂上平氏の存栄
 六波羅家の後裔
補註

諸家系譜抄
 西洞院家、平松家、石井家および梶野・小松両家
 四条家、西・生嶋家、東・生嶋家、豊嶋家
解説 角田史学の心髄をみる
人名索引


 題名の通り、壇ノ浦合戦以後の平家の軌跡が語られている本です。

 平家は維盛の子息六代が斬られたことによって滅んだ」と私はずっと思っていました。しかし、この本を読んでそれが大きな誤解であったことに気がつきました。

 例えば、清盛の娘の一人は藤原隆房に嫁ぎ、その血は四条流藤原氏や天皇家に脈々と受け継がれることとなります。
また、順徳天皇のそばには平家ゆかりの女性達がたくさんいたようなのです。順徳天皇は、そんな平家ゆかりの女達の昔語りを幼い頃から聞かされて育ったと考えられます。そんな順徳天皇が、後年鎌倉幕府討伐に立ち上がったことはごく自然なことだったのかもしれませんね。

 さらに、平家の生き残りの男子の中には処刑を逃れ、僧として活躍していた人物も何人かいることがわかりました。

 そして、私が最も興味をひかれたのは、のちに対馬国の領主となる宗家の系譜です。どうやら宗家は、平知盛の子孫である可能性がかなり強いようなのです。著者の角田先生は、その裏付けを色々と述べられていますが、「本当にそうかもしれない!!」と思い、私は読みながらわくわくしました。

 他にも、建礼門院の晩年など目からウロコが落ちるような話が満載です。ぜひ、壇ノ浦以後の平家の軌跡を堪能してみて下さい。
  

2005年大河ドラマ「義経」 もくじ

2005-12-14 23:59:59 | 2005年大河ドラマ「義経」
 このページは、『2005年大河ドラマ「義経」』の関連記事のもくじのページです。

 2005年に放映された大河ドラマ「義経」に時にはつっこみを入れ、時には妄想に走った私の感想と、ドラマの登場人物のうち、私が気になった人物、気になった出来事、また、ドラマでは無視されてしまった人物たちについてなどを書いています。

 各項目をクリックするとそれぞれの記事に直接ジャンプできますので、ぜひご利用になってみて下さい。

第1回 池禅尼
第2回 ちょっと妄想
第3回 源希義
第4回 遮那王と弁慶の出会いの前
第5回 建春門院滋子
第6回 蛭ガ小島の頼朝
第7回 藤原基房
第8回 常磐御前の後半生
三位さまって誰のこと?(7回・8回に登場した「三位さま」についての考察)
第9回 遮那王の元服
第9回 遮那王の元服(追記)
第10回 無視されてしまった藤原基成

第11回 鹿ヶ谷事件に関わった人たちのその後
第12回 源義仲の生い立ち
第13回 源頼政と以仁王
第14回 梶原景時
第15回 やっぱり無視されていた阿野全成
第16回 ちょっとつっこんでみました
第17回 平重衡と藤原輔子
第18回 清盛の遺言
第19回 源範頼
第20回 源行家

第21回 義経の正妻・河越重頼女
第22回 無視されている大夫房覚明
第23回 丹後局
第24回 無視されてしまった猫間中納言
第25回 巴御前のその後
第26回 一ノ谷合戦前の後白河法皇
第27回 重衡生け捕り
第28回 大姫の生涯
第29回 維盛入水の真相
第30回 後白河法皇の生い立ち

第31回 廊の御方
第32回 無視されている平教経
第33回 弁慶と湛増
第34回 守貞親王
第35回 能登殿最期
第36回 清盛出生にまつわるエピソード
第37回 建礼門院
第38回 今回の重衡をめぐるエピソードについて
第39回 大江広元
第40回 腰越状に対するさまざまな反応

第41回 重衡・宗盛の処刑
第42回 またまた無視されてしまった人物が…
第43回 小説「土佐房昌俊」
第44回 後白河法皇の心の内
38回・39回の記述の訂正のお知らせ
第45回 平維盛の妻
第46回 静御前
第47回 勧進帳、そして…
第48回 義経の娘と婿?
最終回 えりかが選ぶ名場面ベスト5
参考文献一覧

参考文献一覧

2005-12-14 10:58:06 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」の感想や人物紹介を書くに当たって参考にさせていただいた本の題名、著者名、出版社名を列挙させていただきます。小説から専門の歴史書まで様々ですが、私の力不足で「平家物語」や「吾妻鏡」の原文に当たることができなかったのがちょっと心残りです。


○書名の50音順に並べてあります。
○著者の敬称は略させていただきました。ご了承下さい。


『朱の流れ ー女人平泉』
  三好京三 中央公論社
『猪名の笹原風吹けば 紫式部の娘・賢子』
  田中阿里子 講談社
『炎環』
  永井路子 光風邪社出版
『公卿補任 第1編』
  黒板勝美 吉川弘文館
『源氏の花 平家の花 歴史に咲いた女たち』
  石丸晶子 廣済堂出版
『コンサイス日本人名事典 第4版』
  上田正昭 編 津田秀夫 監 永原慶二 監 三省堂

『最後の御大将 平重衡 義経が最も恐れた男』
  中津文彦 PHP研究所・PHP文庫
『式子内親王伝 面影びとは法然』
  石丸晶子 朝日新聞社
『史伝 後鳥羽院』
  目崎徳衛 吉川弘文館
『人物叢書 大江広元』
  上杉和彦 吉川弘文館
『人物叢書 後白河上皇』
  安田元久 吉川弘文館
『人物叢書 藤原忠実』
  元木泰雄 吉川弘文館
『人物日本の女性史3 源平争乱期の女性』
  円地文子 監修 杉本苑子他六名共著 集英社
『新・歴史をさわがせた女たち』
  永井路子 文藝春秋
『波のかたみ ー清盛の妻』
  永井路子 中央公論社
『二条の后 藤原高子 ー業平との恋』
  角田文衞 幻戯書房

『百人一首 100人の歌人』
  歴史読本特別増刊 新人物往来社
『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』
  野口実 新人物往来社
『平安朝 女の生き方 輝いた女性たち』
  服藤早苗 小学館
『平家後抄 落日後の平家(上・下)』
  角田文衞 講談社・講談社学術文庫
『平家物語(古典の旅7)』
  永井路子 講談社
『平家物語(日本古典文庫13)』
  中山義秀訳 河出書房新社
『平家物語の虚構と真実(上・下)』
  上横手雅敬 塙書房
『平家物語の女性たち』
  永井路子 文藝春秋・文春文庫
『平家物語を知る事典』
  日下力 編 東京堂出版

『源満仲・頼光(ミネルヴァ日本評伝選)』
  元木泰雄 ミネルヴァ書房
『歴史をさわがせた女たち 日本編』
  永井路子 文藝春秋
『歴代天皇 年号事典』
  米田雄介 吉川弘文館


 この中で私が特に気に入っている何冊かの本については、いずれ「お薦めの本」のコーナーで詳しく紹介させていただきたいと思っています。

☆1年間連載してきた大河ドラマ「義経」の感想も、今回が最終回です。読んで下さったみなさま、毎回掲示板に感想を書き込んで下さったりトラックバックを送って下さったみなさま、色々教えて下さったり間違いの指摘をして下さったみなさま、本当にありがとうございました。
     

大河ドラマ「義経」最終回&えりかが選ぶ名場面ベスト5

2005-12-13 00:21:29 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」最終回の感想です。

 色々つっこみを入れつつ観てきたこのドラマも、いよいよ最終回となりました。終わってしまうとなると寂しいですね。
この最終回、確かに感動的な部分も所々ありましたけれど、やっぱりつっこみ所も満載でした。

 今回の放送が始まったばかりの時点で、すでに鎌倉軍が白河の關を超えていたのにはびっくりしました。
 そして、おびえきっている泰衡さん……。あまりにも情けなさすぎて、「果たしてここまで情けなく描く必要があるのかしら。」と思ってしまいました。
 国衡や忠衡と、義経についての対処の仕方で対立する……というのも、何か唐突に思えますし…。忠衡が泰衡に殺されたときも「あれ、こんなところでなぜ殺されるの?」と、私の頭の中はしばらく?でいっぱいになりました。

それと、 泰衡が「頼朝からの脅迫まがいの書状」を読んでいる場面がなかったので、緊迫感が伝わってこなかったです。確かに頼朝からの書状らしいものを拡げ、手をぶるぶる震わせている場面はありましたが、それが頼朝からの書状なのか。また、どのような文面なのかもわからず、何となく、見ている側にはその実感が伝わっては来ないのですよね、実際のところ。「謀反人九郎義経を差し出さなければ平泉を攻める」という大まかな内容だけでなく、どんな文面の書状が来ていたのか、ちょっとぐらいバックで流すなり泰衡が震え声で読むなりして、頼朝からの書状がどれほど恐ろしいものであったのかを雰囲気だけでも伝えて欲しかったです。多田頼朝の書状に青ざめているだけだなんて、私には多田の臆病者にしか感じられませんでした。

 京都に目を向けてみると……、なんとそこには鼓判官こと平知康が、まだ後白河法皇の側近にいるではありませんか。史実では、とっくに後白河法皇から見捨てられているはずなのに…。これには呆れて声も出ませんでした。

 知康は、頼朝と義経が不和になった文治元年(1185)十一月、「義経に同調した」という理由で、頼朝の要求により他の何人かの院側近と供に解官されています。しかも翌文治二年には鎌倉に下向し、「私は義経に同調した事実は全くないので、解官を解除して欲しい。」と頼朝に直訴しているのです。
 しかし頼朝は知康には返事をせず、「朝廷の方で決めて欲しい。」と後白河法皇に書状を出しました。法皇からは長いこと返書がなく、知康も鎌倉に居座り続けていたため、頼朝もかなり困惑していたようです。
 そして文治三年になってやっと法皇から頼朝に返書が来ました。「知康は勝手に鎌倉に下向したのであり、その後もこちらに全く連絡がない。なので京に帰すなり何なり好きなようにして欲しい。」という返事でした。つまり知康は法皇に見捨てられたのです。そのあと、知康は京に帰って出家したとも、鎌倉に居座り続けて頼家の側近になったとも言われていますが、はっきりしたことはよくわかりません。いずれにしても、その後知康が再び後白河法皇の側近として仕えたという事実はないようです。

それはともかくとして、最終回のメイン、義経と郎党達の最期の場面の感想に移りますね。

 とにかくたった6人で戦っているのですから、勝敗は目に見えています。郎党達が次々に討たれていく場面は、さすがに切なかったです。
 そして最も壮絶だったのはやはりこの人!あれほど矢を討たれても倒れない弁慶はさすがです。「こんな事はあり得ない!」と思いながらついつい感情移入してしまいました。「とにかく殿を守るのだ!」という弁慶の執念が伝わってくるようでした。
 でも、それだけの覚悟があるなら、泰衡の兵達に向かって、「ここから先は一歩も通さぬ!」くらいのせりふは言って欲しかったなと、個人的には思ったりしました。

 そして義経の最期のシーン……。しかし、最後の最後まで清盛に想いをはせるとは、やはり何か違うような気がしてしまったのは私だけでしょうか。「それほど清盛さん命なら、あなたはどうして頼朝と供に平家討伐に立ち上がったの?」と、またまたつっこみたくなりました。
 義経が自ら刀で首を切ったとき、白い光のようなものが舞い上がって白馬が現れましたよね。。私はこれを観たとき、義経自刃は幻で、実際の彼は白馬に乗って平泉を去り、大陸に行ってしまったかと思いましたよ。
 でもこれだけ「新しい国」を連発していたのですから、先週うちのだんなさんが言っていたように、「義経は大陸に渡り新しい国(蒙古帝国)を造った」というストーリーでも良かったのではないかなと思いました。安徳天皇と守貞親王のすり替えという歴史の大捏造をやってのけたこのドラマなのですから、義経ジンギスカン説をやっても、それほどびっくりしなかったと思います。もしそのような描き方をしてくれたら、だんなさんはきっと、拍手喝采をして大喜びをしたと思います。

 結局、義経の目指した「新しい国」は、彼が幼い日に落書きをした屏風の中にあったということなのでしょうか…。


 さて、このドラマ全体の感想を書きますと、とにかく役者さんの演技が素晴らしかったなと思います。渡哲也さんの清盛、高橋英樹さんの秀衡、中井貴一さんの頼朝……挙げればきりがないです。ただし、タッキー演じる義経くんは期待を裏切ることばかりで、がっかりしましたが…。
 そこで、素晴らしいほどに人物を演じた役者さん達がみせてくれた数々の場面の中から、私が特に心に残った名場面ベスト5を発表させていただきたいと思います。
 このほかにも、重衡と輔子の涙の別れの場面、「新しい国」について熱く語る清盛、鶴岡八幡宮での静の舞いなど、涙を飲んで引っ込めたシーンもありますが…。

☆第5位 平家都落ちを前にしての知盛と治部卿局の会話
 あまり目立たないシーンですが、平家都落ちを前にしての知盛の覚悟と、それを冷静に受け入れる治部卿局の夫婦の会話がとても感動的でした。静かな場面ながら、胸に迫ってくるものがありました。

☆第4位 頼朝と義経の兄弟対面
 「父義朝最期の地で元服しました。」という義経の言葉を聞き、「九郎か。」と言った頼朝の声音と表情が何とも感動的でした。これを見て、中井頼朝がますます好きになってしまったえりかです。

☆第3位 安宅の関での弁慶と富樫の対決
 「何としてでも殿を守る」という弁慶の気迫と、義経主従とわかっているのかわかっていないのか判断がつかない富樫の対決はとても見応えがありました。結局彼はわかっていたのですね。出もとても奥の深い人物だなと私には映りました。富樫の人間味、人情にも感動。

☆第2位 頼朝と重衡の対面の場面
 捕虜として鎌倉に送られてきた重衡、頼朝の前でも悪びれず受け答えをしていたシーンはとても格好良かったです。そして、そんな重衡の立派な態度に感服する頼朝、何かとても感動してしまいました。

☆第1位 壇ノ浦での知盛入水のシーン
 合戦のすべてが終わったとき、「見るべきものは全部見た。もはやこれまで…」と言って錨を抱いて入水する知盛。オンエアーからすでに3ヶ月経っていますが、あの壮絶なシーンは今でも目に焼き付いて離れません。私にとっては文句なしの第1位です!!

 …と言うわけで、平家びいきの私にとってはやはり平家の方々にまつわるシーンで印象的なものが多いですね。

 でも……これだけ豪華な役者さんを集めていながら、ストーリー面では矛盾が多く、そこがとても物足りなかったです。それから、あくまでもドラマなのですから、多少の史実の歪曲は仕方がないとは思います。けれども、義経とその周辺の人物の心の動きなどはもっとしっかり描いて欲しかったです。何と言ってもドラマの大事な構成要素なのですから。

 そして最も不満だったのは、明らかに義経と関わりを持っていた人物がたくさん無視されたことです。義経の同母兄の全成や義円、陸奥の藤原基成、それに能登殿平教経や時忠女まで無視されているとは…。あまりにも不満だったので、ついついコノブログでそれら無視された人物の詳しい経歴などを紹介してしまいましたが…。そして、その人物達について調べたり妄想したりするのも楽しかったです。

 結論。何だかんだ言っていても結局は楽しんでドラマを観ていたということかもしれません。こうなったら今度はぜひ、「平家物語」そのものをドラマ化して欲しいです。

 最後に……、私の大好きな平安末期をあつかった大河ドラマ「義経」が放映されたおかげで、たくさんのものを得ることができました。最終回の平知康のように、「あれ?この人この時期にはここにいないはずなのだけど…」と思った人物について詳しく調べ、それをブログに発表したりしたおかげで、さらに深い知識を得ることができました。また、今まで気がつかなかった色々なことに気づかされたりしました。何よりも、平安末期や「平家物語」の好きなたくさんの皆様と巡り会うことができました。
 1年間、ずいぶん好き勝手なことを書いてきましたが、毎週読んで下さったみなさま、本当にありがとうございました。

 近日中に、ドラマ感想や考察、人物紹介を書くにあたって参考にした本を列挙した記事をUPさせていただきたいと思いますので、そちらもご覧下さいますと嬉しく思います。
 

大河ドラマ「義経」第48回&義経の娘と婿?

2005-12-09 00:00:00 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」第48回の感想です。

 エンディングの義経紀行で、私が前回紹介した珠洲神社の伝説について取り上げられていたのでびっくりするやら嬉しいやら…。でも、その解説の中にはつっこみ所もありました。それについては後半に述べることにして、まず感想を書かせて頂きますね。

 さまざまな苦難を乗り越え、ようやく平泉に到着した義経一行を秀衡が暖かく迎えていましたね。「九郎殿のすべてを受け入れる。」なんて、このご時世、普通だったらこんな事を言ってくれる人なんて、まずいませんよね。それだけ秀衡は器が大きいということなのでしょうね。

 でも、「争いもなく、家族が仲良く暮らせる理想の国を造りたい。」という今の時代でも夢のような、本当に「非現実的ではないの?」と聞きたいようなことを言う義経に対して、「そなたは成長した。」と感心する秀衡の気持ちがよくわかりませんでした。このドラマの中で義経は昔からこのようなことを言っていた様な気がしますが?
世の中が古代から中世へと音を立てて移り変わっている激動の時代をしっかり見ているはずの秀衡が、「そんなバカな!」と思われる義経のこの考えを、受け入れる。う~ん?…ちょっと理解に苦しむところです。

 それはともかくとして、今回、秀衡と泰衡の度量の違いの対比がなかなか面白かったです。

 『鎌倉に貢ぎ物を差し出せ。』という頼朝の命令に対して、「それでは鎌倉の言う通り、貢ぎ物を差し出して相手をいい気持ちにさせればいい。」と、悠々とした風情で構えている秀衡はさすが人物が大きいです。歴史に「もし」は禁物ですが、彼があと1年でも良いから長く生きていたら、義経の運命はだいぶ違ったものになったかもしれません。

 それに対して、頼りになる父親が亡くなり、平泉の新しい主になった泰衡、「わしはどうすれば良いのじゃ。」とは…。そう嘆きたいほど苦しい状況はわかりますが……、何か頼りなくてため息が出てしまいます。そのうえ、頼朝には泰衡の度量をすっかり見抜かれてしまったようですし…。
 泰衡はかつて、義経に命を助けられたことがあります。(第11回)そんな泰衡がどうして義経を裏切ることになるのか?、次回の最終回ではしっかりそこの?の理由を~説明して欲しいです。間違っても回想シーンをたくさん入れるといった手抜き(ごまかし)はして欲しくないです。

 ところで、ドラマを観ていると泰衡、国衡、忠衡の3人は仲が良いように見えますが、実際の彼らは大変仲が悪かったようなのですよね。

 泰衡は秀衡の正室藤原基成女の所生ですが、国衡は身分の低い側室の産んだ子供でした。しかも、国衡の方が年上であったと言われています。
 その結果2人には、「長幼の順か正妻腹を重視するか」ということで家督相続争いがあったと思われます。奥州藤原氏の場合は正妻腹が重視されて泰衡が跡を継ぐことになったのですが(それに泰衡には外祖父基成がついていますし…)、年長の国衡は少なからず泰衡が当主になることに不満を持っていたのではないでしょうか。

 そこに割り込んできたのが義経の存在です。元々泰衡は、義経を平泉に入れることに反対だったようです。当然、義経と泰衡の二人の関係はあまりうまくいっていなかったと考えられます。
 しかし、泰衡の同母弟の忠衡は親義経派でした。
 そして、ドラマでは国衡、泰衡、忠衡の3人しか登場していませんが、秀衡には他に少なくても3人の息子がいたようです。これらの息子達が、親義経と反義経、あるいは親泰衡と反泰衡に別れて複雑に争っていたのではないかと想われます。

 それでも秀衡が生きていた頃は兄弟争いが表面化することはあまりなかったようですが、彼の死後はもうどうしようもない状態に陥っていたと思われます。
 ドラマでも、こうした兄弟争いをもっとしっかり描いて欲しかったと思います。
なぜならば、このことが義経自刃の要因になっていると私には思えるからです。


 さて、初めの方で少し触れた、エンディングの「義経紀行」ですが、珠洲神社を取り上げてもらえたことは個人的には嬉しかったです。義経は笛の他に刀も奉納していたなんて興味深かったですもの。

 ところが、解説を聞いていて一箇所とても疑問に思えるところがありました。『義経の妻は一説によると平時忠の娘』というところです。
「一説によると」ではなく、私の知っている説に因ると、実際に時忠女は義経の妻だったのですが…。

 ただ、時忠が能登国に配流され、義経も都を去ったあとの彼女の消息については、こちらも全く不明なようです。
 平泉で義経と最期を共にしたのが時忠女であったという説もあるようですが……。もしそうだとすると、今回のエンディングで紹介されていたように、「時忠女は義経一行と一緒に平泉に向かう途中、義経の計らいによって晴れて父と対面した……」ということも充分考えられそうですね。
 しかし「吾妻鏡」の記述などから、最後まで義経と行動を共にしていたのは河越重頼女でほぼ間違いなさそうです。時忠女はおそらく、義経が都を離れる際に実家に戻されたのではないかと思います。

ところで、「義兄記」その他色々な伝説によると、義経と関わった女性は十人くらいいると言われています。「義経って、かなり女好きだったのでは……」という気がします。

 しかも義経には、平家を滅ぼした文治元年当時、すでに結婚適齢期を迎えた娘がいたようなのです。その娘は、源頼政の孫に当たる源有綱の妻となっていたようです。「吾妻鏡」の文治元年五月十九日條に、「有綱は義経の婿」といった記述があるそうです。
 当時は10歳くらいになると結婚適齢期になります。そこで彼女が当時10歳くらいだとすると、義経は一回目の平泉滞在中に、すでに父親になっていたということになります。
 現在京都女子大学教授の野口実先生の著書、「武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか」によると、この義経の最初の妻は、佐藤継信・忠信の縁者ではないかと推論されています。

 ついでに義経の婿と言われる源有綱についても少し調べてみました。

 祖父頼政が平家に反旗をひるがえして敗れたとき、有綱は伊豆国にいたため難を逃れました。
 有綱はやがて頼朝の配下に入り、寿永元年(1182)に頼朝の命令によって土佐国に出陣しています。頼朝の同母弟源希義を討った平家方勢力を討伐するためでした。

 土佐国において首尾良く平家方を討った有綱は、これと前後して義経の与力に加えられました。その後は義経の忠実な武将として行動していたようです。義経と頼朝が不和になったときも、迷わず義経方に身を投じました。
 文治元年十一月、義経の西国下向に同行、船が難破し義経が吉野に逃れたときも、彼は義経の身辺にあったようです。

 しかし、どのような経緯かははっきりしませんが、有綱はその後義経と別れ、伊賀国名張に単独で潜伏していたようです。文治二年、義経の残党を探索していた鎌倉方の配下に見つけだされ、合戦の末に討ち死にしています。なお、終焉の土地は下野国とも言われていますが、はっきりしたことはわからないとのことです。

 ただ、「有綱が義経の婿」という説には年齢的なことを考えると異論もあるようです。はっきりした史料がないため、当時義経に結婚適齢期の娘がいたかどうかは判断しかねるのかもしれません。
 それか、有綱と義経女は婚約していただけで、生活を共にしてはいなかったのかもしれませんね。

 でももし、「吾妻鏡」に書かれていた「有綱は義経の婿」が真実だとしたら……、
父親は謀反人として指名手配中、夫も鎌倉方と合戦の末戦死…。残された有綱室となっていた義経の娘は世間から隠れて生きるしか道がなかったと考えられます。彼女は一体どのような思いで、どのような後半生を送ったのでしょうか。
しかし、彼女についての史料は全くないので、想像するしかありません。
 そして義経の娘と同じく、父や夫を合戦で失い、運命を変えられてしまった女達がこの時代には数え切れないほどいたはずです。先に書いた義経の最初の妻や平時忠の娘もその一人と言えますよね。史料も何も残されていないそんな女達のことに想いをはせるとき、私はとても切ない気持ちになります。歴史の影にはこうした名もない女性が数多くいたことも、忘れてはならないと想います。

 さて、次回はいよいよ最終回ですね。
 義経の最期がどのように描かれるか、期待半分、心配半分で見守りたいと思っていま す。旦那さんは、『年齢からしてそんなことはまずあり得ないのだが、願望として(ドラマの中で勝手な歴史歪曲をしてきたのだから)……』としながら、『義経は生き延びて大陸に渡り、蒼きオオカミとなった…。なんてならないかな』と、テレながらこんなことを言っています。
 それにしても、色々つっこみを入れつつ観てきたこのドラマがいよいよ終わるとなると、ちょっと寂しいですね…。
 

湯豆腐

2005-12-04 23:20:43 | えりかの平安な日々 04~09
 12月に入り、本格的な冬の到来です。

 そして今日は、曇っていたこともあって底冷えがするくらい寒かったです。買い物に行くために街を歩いているときも寒かったです。大井川の上流では雪が降っていたとの友人からの連絡もありました。

 こういう寒いときに食べるのは鍋物に限る!!ということで、本日の夕食は温かい湯豆腐を作りました。中身は豆腐の他に、昆布、にんじん、白菜、しいたけが入っています。この湯豆腐を少し大きめのお茶碗に入れ、薬味にねぎとしょうがとかつおぶしを乗せ、しょうゆをかけて頂きました。体が中から温まるようでとてもおいしかったです。

 写真は今日作った湯豆腐です。