平安夢柔話

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(示某)子(みわこ)内親王 ~物語や和歌に慰められて

2016-02-07 16:08:34 | 歴史人物伝
 最近、7,8年前に読んだ歴史小説を再読することが多いです。
 しかもそれらの小説、みんな面白くてはまってしまう。
 昨年の11月にこちらで紹介した「望みしは何ぞ」以前に書いた記事に追記した「末世炎上」など…。

 そしてやはり、以前に紹介したことのある「七姫幻想」もその一つ。七夕の七姫をモチーフに、機織りを家業とするある一族の古代から江戸時代までの歴史を描いた連作小説。再読にも関わらず面白くて3日で読了しました。

 それで、「七姫幻想」でネット検索をかけたら、こんなページがヒットしました。
 株式会社双葉社 | 森谷明子「七姫幻想」

 著者の森谷明子さんが、「七姫幻想」の創作の裏側について語った記事だそうです。興味深く読みました。

 で、びっくりしたのは、私がこの連作集の中で一番好きな「朝顔斎王」について語った箇所。

 この小説は後朱雀天皇の皇女で賀茂斎王を勤めた娟子内親王と源俊房の物語なのですが、娟子内親王の後任の賀茂斎王で、、彼女の異母妹に当たる(示某)子内親王も、「みわ」という名前で登場します。
 その(示某)子内親王、病気で斎王を退下した、しかも狂病で亡くなったとは…。知らなかった。というか、本で読んだはずなのに忘れてた。
 確かに小説の(示某)子内親王、思い込みは強いし、夜中に斎院御所を抜け出すなど、かなり破天荒な皇女さまに描かれています。
 それで、実際の彼女はどんな女性だったのかとても気になり、少し調べてみることにしたのでした。

 では、平安時代史事典と岩佐美代子先生の「内親王ものがたり」をもとに、彼女の人生を追ってみることにします。

 (示某)子内親王(みわこないしんのう)は、長暦三年(1039)八月、丹波守源行任(藤原彰子の乳母子)第で産まれました。
 父は後朱雀天皇。母は中宮藤原(女原)子(藤原頼通養女)、実父は一条天皇皇子敦康親王。敦康親王の母は「枕草子」の清少納言が仕えていた藤原定子なので、(示某)子内親王は定子の曾孫に当たります。
 なお、敦康親王室と頼通室隆姫女王は具平親王を父とする姉妹だったので、(女原)子は早くから頼通に養われていたようです。

 しかし、(女原)子は(示某)子を産んで9日後に世を去ってしまいます。祖母の定子が(女美)子内親王を産んですぐ亡くなってしまったことを彷彿とさせますが…。まだ数え2歳の祐子内親王、産まれたばかりの(示某)子を残していかなければならなかったことはさぞ心残りだっただろうと拝察されます。

 それでも、母が関白頼通養女ということで外戚はしっかりしており、同年十二月、百日の儀に際し内親王宣下されます。
 皇子が産まれなかったことに頼通は落胆しましたが、母を失った2人の皇女を妻隆姫女王の自邸、高倉第に引き取り、大切に養育しました。

 翌年十一月、姉の祐子内親王は准三宮(太皇太后・皇太后・皇后に准する位)の宣旨を受け、家司(事務局長)に頼通の弟、長家が任じられます。
 そして十二月、(示某)子内親王の家司に頼通の養子になっていた源師房(内親王の母方の祖母の兄弟)が任じられます。頼通はこのように、信頼できる弟や養子を2人の内親王の側近に任じたのでしょうね。頼通が、2人の内親王をどんなに大切にしていたかがわかるような気がします。

 寛徳二年(1045)、父の後朱雀天皇が崩御します。
 それに伴い、賀茂斎王を勤めていた異母姉、娟子内親王が斎王を退下します。

 翌永承元年(1046)、(示某)子内親王が賀茂斎王(以下、斎院と記します)に穆定されます。その時内親王は8歳でした。
 永承三年、10歳になった(示某)子内親王は潔斎を終えられ、紫野の斎院御所に入りました。その時の行列の華やかさは、藤原資房の日記「春記」にも記載されています。最も資房は、女房たちの装束について、「贅沢きわまりない」と
少し批判的に見ていたようですが…。

 さて、斎院御所に入った(示房)子内親王はどのような日常を送っていたのでしょうか。

 もちろん、斎院としての勤めや神事もたくさんあったと思いますが、大斎院と呼ばれた選子内親王と同じく、歌才や文才に優れた女房が多かったようで、御所ではしばしば歌合わせが催されました。
 そんな女房たちの影響を受けたのでしょうか。(示房)子内親王も自ら歌を詠むようになったと想われます。

 彼女が詠んだ歌で最も初期のものは、永承四年十二月、11歳の時に行われた歌合わせに出詠した作品。               

谷深くすむ鴬もわがごとや心にかけて春を待つらむ

 谷深くの古巣に住む鴬も、私のように絶えず気にかけて、春の来る
のをひたすら待っているだろうか

 こうして2年ほど、「宮殿」という名前で何回か歌合わせに出詠していたのですが。

 14歳の永承七年四月賀茂祭御禊、次いで神事を執り行ったのち、内親王は突然、背中に腫れ物が出来て重症に陥ります。驚いた頼通は、自ら斎院御所に赴き、治療法についての相談をしています。その後、女房たちは歌合わせや物語合わせを行って内親王を慰めていたようですが、自らは出詠出来ないくらいの病身になってしまいました。

 ようやく天喜五年(1057)になって2回ほど出詠しているようですが、翌康平元年(1058)、20歳で病気を理由に斎院を退下します。

 斎院退下後は、曾祖父具平親王から伝領した六条殿に住み、「六条斎院」と称されました。
 相変わらず病気がちで心も病んでいたようですが、岩佐美代子先生によると、いつもそのような状態ではなく、大好きな物語や和歌、付き従う女房たちに慰められ守られて、心穏やかに過ごしていた時期もあったのではないかとのこと、私もそのように考えたいと思います。
 晩年は祖父頼通ゆかりの宇治に住み、時期はわかりませんが出家もしたようです。
 永長元年(1096)九月に薨去。なお、「狂病」と記述されているのは藤原宗忠の日記「中右記」のようです。

 (示某)子内親王の功績は何と言っても二十数回に及ぶ歌合わせ、天喜三年(1055)の物語合わせ、そして、多彩な女房たちとの文化サロンを作っていたことでしょうか。
 美作・中務・讃岐・出羽・小馬・加賀左衛門などの歌人。「狭衣物語」は、六条斎院宣旨の作と言われています。
 また、天喜三年の物語合わせにより、「堤中納言物語」に収められた「逢坂超えぬ権中納言」は小式部という女房の作と推定されていますし、散逸してしまった多くの物語の作者も、(示某)子内親王の女房たちだったようです。

 これだけ多くの女房を集められたのは祖父の頼通の力も大きいでしょうけれど、やはり主人の(示某)子内親王が一条朝に華やかな斎院文化サロンを作っていた選子内親王と同じく、頭の良く、貫禄ある女性だったからではないでしょうか。

 最後に、勅撰集に選ばれた(示某)子内親王の歌を一首、紹介します。岩佐美代子先生は斎院在任中、、18、9歳の頃の作と推定されています。

賀茂の斎院と聞えける時、本院の透垣に、朝顔の花の
咲きかかりて侍りけるを詠める
神垣にかかるとならば朝顔もゆふかくるまで匂はざらめや        (詞花集三四)

斎院であられた時、その御所の垣根に朝顔のからんで咲いていたのを詠まれた歌。
「神域であるここの垣根に咲くとなれば、朝顔だって、神垣に木綿をかけるように、『夕かける』(夕方だよと告げる)まで美しく咲き匂つていないはずはないわ」

 ところで、気になるのは、同じく斎院を勤めた異母姉、娟子内親王を(示某)子内親王がどのように見ていたのかということです。
 やはり母の違う姉、しかも、この記事の最初の方で触れた「七姫幻想」の中の一編「朝顔斎王」にも描かれていたように、自分の持っていない物(生母が健在、相思相愛の恋人など)を持っていることなど、複雑な思いが多々あったと思います。
 「朝顔斎王」は、娟子内親王が
「私は物語の斎院とは違う生き方をしよう」
と決心するところで終わります。                         
 このあと娟子内親王は源俊房のもとに走り、そのため俊房は謹慎処分を受けることになるのです。しかし2人は周囲の反対にもめげず、愛を貫き通したのでした。

 当時、(示某)子内親王は斎院在任中。それでも紫野は平安京の目と鼻の先、2人の噂はしっかりと耳に入っていたと思います。そして、やはりかなりのショックを受けたのではないでしょうか。

 しかし、娟子内親王とは逆に(示某)子内親王は
「私は姉とは違う、物語の斎院のように一生を神の妻として生きよう。神垣に咲く朝顔のようにりんとして…。」
とその時、、決心したのかもしれません。
 物語の斎院とはもちろん、「源氏物語」の朝顔斎院のことです。
 物語好きだった(示某)子内親王は当然、「源氏物語」を愛読していたはずですし、自分と同じ立場の朝顔斎院には親近感を持っていたと思うのです。源氏に言い寄られてもその愛を拒み、ひっそり生きていく姿に…。
 勅撰集に選ばれた朝顔の歌からは、そんな彼女のりんとした姿が見えるような気がします。

 周囲の反対にもめげず、愛する人のもとに走った娟子内親王の生き方も好きですが、(示某)子内親王の「私は私」という生き方も素敵だと思います。
そして、大好きな物語や和歌に慰められ、病気がちでも心穏やかに生涯を終えたと考えたいです。

☆参考文献
 『平安時代史事典 CD-ROM版』 角田文衞監修 角川学芸出版
 『内親王ものがたり』 岩佐美代子 岩波書店

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