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平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

誕生日♪

2008-01-27 14:15:22 | えりかの平安な日々 04~09
 今日はとても寒いです。今にも雪が落ちてきそう…。そして、お昼前に地震が3回ありました。震度1か2だったようですが、怖かったです~。どうかこれ以上揺れませんように…。

 そんな中、今年も無事に誕生日を迎えることができました。いつも暖かく見守ってくれる家族や友人、そして、こちらを見て下さる皆様に感謝です。

 今日は、だんなさんと近くのレストランにランチに行ってきました。上の写真は本日のメニューです。中央に映っているのがハンバーグステーキです。付け合わせはにんじんとジャガイモとブロッコリーです。上に映っているのはコーンスープとサラダです。どれもおいしかったです。幸せ♪検査の結果が悪かったのにこれだけ食べて大丈夫かって感じですが、1年に1回の誕生日だからいいですよね。これからの1年がすばらしく充実したものでありますように。

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血液検査の結果

2008-01-26 20:32:00 | えりかの平安な日々 04~09
 タイトルの通り、本日、2週間前に行った血液検査の結果を聞きに行ってきました。

 結果は……、予想したとおり、少し悪くなっていました。コレステロールの値は正常値を少し外れているし、肝臓の値も高くなっていました。それはそうですよね~。前回の血液検査が終わったあと、温泉に行ってたくさん食べ、それ以来3ヶ月間、すっかりダイエットに気を抜いてしまったのですから…。最近また疲れやすくなっているのもそのせいか…と、妙に納得もしてしまいました。それで、10月中旬から中止になっていた高脂血症の薬が復活してしまいました。

 その上、この前からもらっている苦~い漢方薬も出すというので、
「薬ってあまり多いと体に良くないのですよね。」
と聞いてみたのです。先生の答えは、一般的には5種類くらいなら大丈夫だとのこと。私の場合4種類ですからまだまだ大丈夫ですね。と言うか、かえって安心かもしれません。

 それと、血圧と神経の方は落ち着いているのでそれほど心配することはないとのこと。ただ、薬が増えた関係上、経過を見たいので、大変だけど2週間後にまた来るように言われました。私も、電車に乗って静岡まで出てくるのが気分転換になっているところもあるので、こうしてしっかり診てもらえるのはありがたいです。

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系図・紫式部の子孫 by咲希さん

2008-01-23 10:24:00 | 美術館
 画像の容量が大きいため、右側が欠けて表示されています。全体をご覧になるにはこちらをクリックして下さい。

 咲希さんから、「紫式部の子孫」の系図を頂きました。

 複雑に絡み合った紫式部の子孫たちも、このように系図にまとめて下さるととてもわかりやすいです。それに、紫式部の子孫は、私がブログで紹介した以外にも色々なところにつながっているようです。

 特に驚いたのは、藤原家成の妻が高階為章の子、宗章の女であることです。家成と宗章の女の間には隆季が生まれ、その隆季の子が「平家物語」にも登場し、清盛の女を妻に迎えた藤原隆房です。文章だけではややこしくてわかりにくいと思いますので、上に掲載させていただいた咲希さんの作られた系図をご覧下さいね。

 …ということで、紫式部の子孫の系譜は実は、「平清盛の子孫」で紹介した系譜にもつながっているのです。すごいですね。咲希さん、素敵な系図をどうもありがとうございました。

*この系図の著作権は咲希さんにあります。無断転載は絶対にしないで下さい。

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紫式部と天皇家・村上源氏

2008-01-19 20:38:07 | 系譜あれこれ
 1月8日にUPした「紫式部の子孫と親戚」中の、「紫式部の血は今でも天皇家に流れていますし、村上源氏をはじめとした貴族たちにも受け継がれています。」という文章に対して、咲希さんから掲示板で質問を頂きました。その回答については掲示板No934で簡単に書かせていただいたのですが、せっかくですのでこちらで一つの記事にまとめることにしました。前回に続いてちょっと複雑なお話ですが、おつきあいいただけますと幸いです。

 前回の記事にも書きましたが、高階為家は紫式部の娘、賢子が産んだ子であるとほぼ推定されています。その為家には為賢・為章などの子供がいました。そのうちの為賢の娘は藤原南家の藤原能兼という人の妻となって範兼をもうけます。範兼の娘が範子と兼子です。では、ここまでを略系図にしてみますね。

紫式部(藤原宣孝室) → 藤原賢子(高階成章室) → 高階為家 → 高階為賢 → 女子(藤原能兼室) → 藤原範兼 →藤原範子・兼子

*なお、一説によると、範兼の母は為賢の子、為時の女という説もあるそうです。つまり、為賢と藤原能兼室の間に「為時」という人物が入るということですよね。どちらにしても、紫式部の子孫であることには違いないのですが…。

 わ~、後鳥羽天皇の乳母として権勢をふるった卿二位藤原兼子さん、実は紫式部の子孫だったんだ~」と感動しました。でも、兼子のことはこちらに置いておいて、本記事で問題となるのは彼女の姉の範子の方なのです。この範子という女性が、紫式部の系譜と天皇家・村上源氏の系譜をつなぐキーポイントとなるのです。では、彼女の生涯を紹介しながらそのあたりをお話ししますね。

 藤原範子(?~1200)は、早く父を亡くし、叔父に当たる範季に養育されました。そしてまず、平時子(平清盛室)の異父弟に当たる能円と結婚し、在子という娘をもうけます。

 ところが親平家派の能円は、寿永二年(1183)七月、平家都落ちに同行して範子のもとを去ってしまいます。しかし、都に残された範子のもとに一人の男性が現れます。その男性こそ、村上源氏の源通親でした。

 範子は通親との間に通光・定通・通方といった子供たちをもうけます。さらに、能円との間にもうけた在子は通親の養女となって後鳥羽天皇の後宮に入り、皇子をもうけます。この皇子こそ、後鳥羽天皇のあとを受け手帝位についた土御門天皇です。通親はこうして天皇の外戚となり、内大臣として権勢をふるいました。範子も内大臣の妻として、また後鳥羽天皇の乳母として「刑部卿三位」と呼ばれ平穏な生活を送っていたと思われます。ただ、早く亡くなってしまったのが惜しまれますが…。

 話が少し横道にそれてしまいましたが、土御門天皇の系譜は、後嵯峨天皇→後深草天皇を通して、今の天皇家に受け継がれています。

一方、範子が通親との間にもうけた子供たちの子孫は、久我家・土御門家・中院家といった分家に分かれ、範子の血は村上源氏の中に受け継がれました。つまり紫式部の血は、範子を通して、天皇家と村上源氏にしっかり受け継がれているのです。すごいですよね。

 では、範子から天皇家・村上源氏に至るまでを略系図にしてみますね。

☆藤原範子 → 在子(承明門院) → 土御門天皇 → 後嵯峨天皇 → 後深草天皇 …… 今上天皇

☆藤原範子 → 通光・定通・通方

☆通光(太政大臣) …… 久我家・六条家・中院家

☆定通(内大臣) …… 土御門家

☆通方(大納言) …… 三条家・北畠家

 ところで、範子・兼子姉妹を養育した彼女たちの叔父、範季は、平清盛の姪、平教子(平教盛女)を妻にしたり、源範頼の養父になったりして、源平と深く関わりを持った人物です。彼の母親は兄の範兼と同じなので、彼もまた、紫式部の子孫ということになります。新しい発見です。

 そして、範季が平教子との間にもうけた重子は、後鳥羽天皇の後宮に入って順徳天皇をもうけました。つまり、土御門天皇の異母弟に当たる順徳天皇も、紫式部の子孫というわけです。

 では、こちらも略系図にしてみますね。

紫式部 →賢子 → 為家 …… 藤原範季(範兼の弟) → 藤原重子 → 順徳天皇

☆参考文献
 「平安時代史事典 CD-ROM版」 角田文衞監修 角川学芸出版
 「紫式部伝」 角田文衞 法蔵館

 なお、この記事を書くにあたって、咲希さんからも色々教えていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

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お義母さんと一緒に病院へ

2008-01-14 10:49:29 | えりかの平安な日々 04~09
 しばらく少し暖かかったのに、今日はすごく寒いです。冷え性なので足が冷えます。こういう日ってめまいも起こりやすいのよね。新しい薬を飲まなくては。

 …というわけで、一昨日は今年最初の病院診察に行ってきました。しかも「今日は血液検査、血を取られるのは嫌だなあ」と思いながら…。

 診察室に入って最初に出たのは、薬を増やす話でした。11月の終わりくらいからたびたびめまいが起こるようになったので、漢方薬を使ってみようと言われたのです。…漢方薬って苦いのよね…。でも、お薬に関しては先生に任せてあるので、お願いすることにしました。

 次に血圧を測ったのですが、意外なことに140/65で、今までの最低記録でした。更に、交感神経の方も安定しているとのことでした。

 それで、「安定しているようなので、次は1ヶ月後でいいですよ。何か聞いておきたいことは?」と先生に言われたので、私は「あれ?」と思ったのです。先生の口から「何か聞いておきたいことは?」という言葉が出たときは、「今日の診察はこれで終わりです。」と言われるのと同じなのです。あれ?血液検査は…。と思った私、「あの…、今日、検査をお願いしてあったのですが…」と言ってみました。それで先生がやっと気がついたようで、「そうでしたね、年明けに検査をすることになっていましたね。」というわけで、そのまま処置室に回されました。

 それで、「私が検査のことを言い出さなかったらこのまま痛い思いをしないで帰れたかも…」と思いながら、採決を受けました。忘れられているということは逆に、私は症状が軽いということなのかしら。
 でも、ここ最近、すっかり気を抜いてたくさん食べてしまっている私、悪くなっているのは覚悟しているのですが、2週間後に結果を聞きに行く予定です。

 私の診察はこれで終わったのですが、そのあとが長かったです。年末と同じく、お義母さんと一緒に診察を受けたのですが、私の診察が終わってもお義母さんの方はなかなか終わりません。何しろ高齢で悪いところもたくさんあるので仕方がないのですが…。

 ようやく診察室から出てきたお義母さんの言うことには、
「先生が優しく話を聞いてくれるので、つい長くしゃべってしまったのよ。ここの先生、何でも話したくなってしまう雰囲気あるよね。」
それで私も、
「お母さん、その気持ちわかります~。私もここにかかり始めた頃、ついつい色々しゃべってしまいました。そう思っていたのは私だけではなかったのね。」

 …というわけで、すっかり意気投合してしまった嫁と姑なのでした。

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紫式部の子孫と親戚

2008-01-08 14:06:18 | 系譜あれこれ
 昨年11月に購入した、角田文衞先生の「紫式部伝 ーその生涯と源氏物語」1ヶ月ほど前から読み始めています。専門書なので少し難しい箇所もありますが、面白いです。まだ半分くらいまでしか読んでいないので読了までには時間がかかりそうですが、読み終わりましたら「図書室1」で紹介したいと思っています。

 さて、この「紫式部伝」には、紫式部の子孫や親戚について、興味深い記述がありました。そこで「平安時代史事典」でも詳しく調べてみた結果、何と源氏や平氏、北条氏とつながっていることがわかったのです。今回はそのことについて少し書いてみたいと思います。

 紫式部の子供は、のちに後冷泉天皇の乳母となって「大弐三位」と呼ばれた藤原賢子一人ですが、「紫式部伝」によると、賢子には3人の子供が確認できるのだそうです。
 すなわち、藤原兼隆との間に女子が一人、この娘は醍醐源氏の源良宗との間に源知房をもうけます。中右記に、「源知房は大弐三位の孫」という記述があるので、これはまず間違いないです。

 一方、賢子はのちに高階成章と再婚し、男女一人ずつの子をもうけたそうです。娘の方は歌人として有名な大弐の母、息子の方は高階為家です。(なお、以前私が書いた「大弐三位藤原賢子」では、歌人大弐の母は記述していません。)

 このうち、高階為家に関してですが、彼が賢子の息子であるという確かな史料は残念ながら確認できないのだそうです。しかし、為家は後冷泉朝になってから出世のスピードが速くなっているので、後冷泉天皇の乳母子だと考えられることや、為家の「為」の字が曾祖父の為時からとられているのではないかということ、その他色々な理由から、彼は賢子の子と見て差し支えないのではないかということでした。私もそう考えたいと思います。

 そして、為家が賢子の息子だった…ということが事実だとすると、彼の子孫は思いがけないところにつながっているのです。つまり、紫式部の血は今でも天皇家に流れていますし、村上源氏をはじめとした貴族たちにも受け継がれています。
 何よりも一番びっくりしたのは、平重盛やその息子の維盛・資盛も紫式部の子孫だということでした。

 為家には為賢・為章という息子と、二人の娘がいたようです。このうちの一人の娘が源家実との間に息子をもうけます。この男子はおじに当たる高階為章の養子となって高階基章と名乗りました。
 そして、基章の娘が平清盛の妻となり重盛をもうけました。文章だけではわかりにくいと思いますので略系図で示してみますね。

藤原為時→紫式部 → 藤原賢子(大弐三位・高階盛章室) → 高階為家 →女子(源家実室) → 高階基章 → 女子(平清盛室) →平重盛 → 平維盛・資盛

というようにしっかりつながっています。すごーい!

 ところで、これで驚いてはいけません。紫式部のおばの子孫は、何と源氏や北条氏とつながっているのです。

 紫式部の父、藤原為時には、為頼・為長の他、二人の姉妹が確認できるのだそうです。そのうちの一人の姉妹は、桓武平氏の平維将の妻となりました。二人の間には娘が二人おり、紫式部と「姉君」「中の君」と呼び合っていたのはこのうちの妹娘だったようです。

 さて、この他にも維将には維時という息子がいました。そして、「平安時代史事典」によると、この維時の母も藤原雅正の女、つまり紫式部と親しかった娘と同母ではないか?とのことでした。これが事実とすると、紫式部と平維時はいとこ同士ということになります。

 ところでこの維時は道長に取り入る一方、武門として東国にも勢力を伸ばしていきます。そして、維時の子、直方は清和源氏の源頼義を婿とし、鎌倉の所領を譲ることとなります。頼義と直方女との間に生まれたのが源義家です。つまり、義家や彼の子孫である頼朝や義経は、紫式部のいとこの子孫ということになるのです。
 さらに、のちに鎌倉幕府の執権となる北条氏は直方の子孫を称していますので、これが本当だとすると、この血統は北条時政・義時・政子へもつながっていることになります。
 では、こちらも略系図にしてみますね。

☆藤原雅正 → 女子(平維将室・為時の姉妹・紫式部のおば) →平維時

☆平維時(紫式部のいとこ) →平直方 →女子(源頼義室) → 源義家 …… 源頼朝・義経

☆平維時(紫式部のいとこ) → 直方 …… 北条時政 →北条義時・政子

 もちろん、為家が賢子の子であるという確かな資料が出てこない限り、この事が100%正しいとは確認できませんし、「平安時代史事典」によると高階基章は出自不詳となっていました。維時の母が紫式部のおばという事実も確証はありません。また、北条氏が直方の子孫だという説も異論があるようです。何しろ遠い昔の話ですから、特に女性の系譜に関してははっきりしないことも多いようです。

 それでも、重盛が紫式部の子孫であり、頼朝や政子が紫式部の親戚とつながっているという話は夢があってわくわくします。

☆参考文献
 「紫式部伝 ーその生涯と源氏物語」 角田文衞 法蔵館
 「平安時代史事典 CD-ROM版」 角田文衞監修 角川学芸出版

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2008年 年賀状

2008-01-06 16:42:59 | 美術館
☆★☆明けましておめでとうございます☆★☆

 旧年中はお世話になり、ありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 2008年が皆様にとって幸多き年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 さて、今年は藤原公任が「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ(このあたりに若紫の姫君はいらっしゃいませんか?)」と、紫式部に向かって声をかけてからちょうど千年になります。声をかけられた紫式部は、「光源氏のような男性もいないのに、若紫の姫君なんているはずがないわ。」と思ったようですが…。

 それはともかく、この話は「紫式部日記」の敦成親王(後の後一条天皇)の五十日の祝いの席の様子を綴った場面に出てきます。つまり、寛弘五年(1008)のこの時期には、「源氏物語の「若紫」の巻はすでに完成し、世間に広まっていたと考えられるわけです。そして、この「紫式部日記」の記述が、「源氏物語」に関する最古の記録なのだそうです。

 それを記念し、今年は「源氏物語千年紀」と称し、様々な記念事業が行われるとのことで、私もとても楽しみです。もちろん京都にも行って、「源氏物語」を偲びたいと思っています。

 それともう一つ……、実は、私のもう一つの愛読書、L・M・モンゴメリ作の「赤毛のアン」が出版されてから今年がちょうど100年なのだそうです。そこで、こちらも色々な記念出版や催し物があるようです。早速、1月3日に、NHKで特別番組が放映されるとのことでとても楽しみです。

  …というわけで、今年は二つの愛読書「源氏物語」と「赤毛のアン」を思いっきり楽しみたいと思っています。(^^)/読書に夢中になりすぎて、相変わらずブログの更新はゆっくりになるかもしれませんが、今年も「平安夢柔話」をどうぞよろしくお願いいたします。

 写真は、今年の我が家の正月飾りと鏡餅です。鏡餅はキティちゃんと、今年の干支のねずみです。

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今年のお正月

2008-01-03 15:49:35 | えりかの平安な日々 04~09
 お正月3が日も今日で終わりですね。今年のお正月も例年通り、食べて、寝て、テレビを見て…というようにのんびりと過ごしました。もちろん家事もほとんどしていません。なので正月気分がなかなか抜けそうにありません。

 ところで、今年のおせち料理は例年と違い、思い切って一段重ねを買ってしまいました。浜松(ここから電車で約45分の所にあります)のお総菜屋さんで作ったおせち料理ですが、これがものすごくおいしかったです。(^_^)/

 おせち料理はパックの中に入っていました。中は9つに仕切られていて、煮しめ、栗きんとん、なますといったおせちの定番の他、ローストビーフや豚肉の角煮、ホタテの煮付けなど色々入っていました。
 一番おいしかったのはウナギの昆布巻きです。ウナギが入っているというのはいかにも浜松らしいですが…。甘辛く煮た昆布とウナギがよくマッチしていて何とも言えない味でした。このように、お正月からおいしい物を食べられて幸せでした。

 あと、しいたけの煮つけ(唯一、手作りしました)・静岡のデパートで買ったかまぼこや伊達巻きなどを食卓に並べました。昨日はボイルしたタラバガニまで買ってきてしまいました。

 それと、例年通り、夜はワインを飲みながらチーズを食べました。ワインとチーズなんて何ヶ月ぶりかしら?幸せ♪来週血液検査なのに大丈夫かって感じですが…。最近かなりダイエットに気を抜いているので多少悪くなっていることは覚悟していますし、何よりもお正月だからいいですよね。

 でも、ずっと食べていたわけではありません(笑)。掲示板にも書きましたが、年末から中断していた「紫式部伝 ーその生涯と源氏物語」の読書を昨夜から再開しました。

 この本、専門書という色が濃いので少し難しいですが、面白いです。特に、系譜好きの私には紫式部の親戚と子孫の話が面白かったです。子孫は平重盛につながっているし、親戚は北条氏や源氏につながっていることがわかったのです。これは1本記事が書けそう…とわくわくしています。もう少し系図を研究し、まとまったら記事にしますね。それと、「紫式部伝」の方も、読み終わりましたら「図書室1」で紹介したいと思っています。でもあと300ページもある…。読書のスピードが遅い私、いつ読み終わるかしら。

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