平安夢柔話

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第58代 光孝天皇

2013-08-27 10:35:50 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  830~887
☆在位期間 884~887

☆両親
 父・仁明天皇 母・藤原沢子

☆略歴

 名は時康。仁明天皇の第三皇子。

 承和十二年(845)元服。嘉祥元年(848)、常陸太守となり、以後、中務卿、大宰帥を歴任、貞観十八年(876)式部卿に任じられ、元慶六年(882)一品となりました。

 このように皇位とは縁のない一親王としての道を歩んでいたのですが、元慶八年(884)、陽成天皇が藤原基経の不興を買って退位させられると、公卿たちの会議によって天皇に選ばれ55歳で践祚しました。
 時康親王が天皇に選ばれた理由については、権力者藤原基経にとっては母方のいとこであり親しかったこと、性格が穏和で政治には無関心であったこと、皇統も仁明天皇の皇子で申し分ないことなどが挙げられます。

 天皇の在位は約3年間と短かったものの、服御の絹綿を省減して経費の節約を図り、赴任しない国守や貢調違期の国司等を戒飭して地方官の粛清を行ったことなどが挙げられます。

 仁和三年(887)八月崩御。五十八歳。後田邑陵に葬られました。

 私は、百人一首15番目の光孝天皇の歌、「君がため 春の野に出て 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ」が大好きです。これは天皇がまだ若かった頃に詠んだ歌だそうですが、彼の他人を思いやる優しい気持ちと穏やかな性格がよく表現されていると思います。


☆父方の親族

祖父母
 祖父・嵯峨天皇 祖母・橘嘉智子

主なおじ

 源信 源融 源定 源常 源弘 源生

おもなおば

 正子内親王(淳和天皇皇后) 有智子内親王(初代賀茂斎王) 
 仁子内親王(伊勢斎王) 源潔姫(藤原良房室) 源全姫

主ないとこ

 源昇 源淡*以上、父は源融)
 源唱*父は源定
 恒世親王 恒貞親王*以上、母は正子内親王

☆母方の親族

 祖父母

 祖父・藤原総継(藤原魚名の孫) 母・藤原数子

主なおば

 藤原乙春

主ないとこ
 藤原基経 藤原高子(清和后 陽成母)*以上、母は藤原乙春

☆兄弟姉妹と甥・姪

兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟

 *道康親王(文徳天皇) ○宗康親王 ○人康親王 *本康親王
 *常康親王 *源多 *源光

姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹
 ○新子内親王 *久子内親王(伊勢斎王) *時子内親王(賀茂斎王) 

主な甥と姪

 惟仁親王(清和天皇) 惟喬親王 惟条親王 
 惟彦親王 源能有 恬子内親王(伊勢斎王) 掲子内親王(伊勢斎王)
  晏子内親王(伊勢斎王)*以上、父は文徳天皇

 操子女王(藤原基経室 時平・忠平らの母) 源興元 *以上、父は人康親王

 元子女王(伊勢斎王 *父は本康親王)


☆主な后妃と皇子・皇女

 班子女王(仲野親王女) → 是忠親王 是貞親王 源 定省=定省親王(宇多天皇) 忠子内親王 簡子内親王 綏子内親王(陽成天皇妃) 為子内親王(醍醐天皇妃)

藤原佳美子(藤原基経女)

 平 好風邪女

 藤原山蔭女

*以下、光孝天皇には多数の女御・更衣がおり、多くの皇子皇女をもうけています。しかしながら、皇子皇女たちそれぞれの生母についてははっきりわかっていません。

 なお、班子女王所生以外の皇子皇女たちの中で私が注目しているのは、清和天皇女御の源済子、醍醐天皇女御の源和子、「↓の「末裔たち」の項で取り上げる源国紀などです。


☆末裔たち

・その後の皇位継承について

 光孝天皇のあとは、班子女王との間にもうけた源定め省が親王に復し践祚しました。これが宇多天皇です。宇多天皇譲位後は皇子の醍醐天皇が継ぎ、皇位はこの系統が代々受け継いでいくことになります。

源国紀の子孫たち

 源国紀は光孝天皇の皇子として生を受けましたが、母は不詳だそうです。後に臣籍降下して源姓を賜りました。特に目立った業績はないようですが、彼の子孫がとても興味深いので、紹介することにします。

源 公忠
 国紀の子。三十六歌仙の一人。醍醐・朱雀両天皇の蔵人,近江守などを経て従四位下,右大弁に至る。宮廷歌人として活躍した。 

源 信明
 公忠の子。父と同じく三十六歌仙の一人。若狭・陸奥などの国守を歴任。従四位下に至る。

・ここでちょっと寄り道、源 信明の娘たち

 信明は歌人中務(宇多天皇皇子敦慶親王と歌人伊勢の間の女)との間に井殿をもうけました。井殿も両親のDNAを受け継いだのか歌人として知られています。藤原伊尹との間に光昭をもうけました。

 信明は他の妻との間にも娘がいたようです。

 その一人が源明子。彼女は藤原説孝の妻となり、また宮中にも仕えて「源典侍」と呼ばれました。
 ここで、ピンと来た方もいらっしゃると思います。彼女こそ「源氏物語」で光源氏と関係を持った色好みの老女として描かれている源典侍のモデルとなった女性です。
また明子の夫、藤原説孝は紫式部の夫、宣孝の兄に当たります。つまり紫式部は義兄の妻をモデルに、源典侍のお笑いキャラを書いたわけで、式部が明子にかなりのライバル意識を持っていたことが伺えます。実際、明子はやり手の女官だったようです。

源 国盛
 話を国紀の男系に一端戻します。

 信明は男子も多かったようですが、そのうちの一人が源国盛です。国盛は道長の家人をつとめました。「今昔物語」には、道長の乳母子だったと記述されています。彼にも、紫式部とちょっと関係のあるエピソードがあるので、紹介したいと思います。

 十世紀末、若狭国に宋の商人が漂着し、しきりに貿易を求めてくるという事件が起こります。時の権力者、藤原道長は、若狭は窓口ではないという理由で、宋人たちを隣国の越前に移します。

 しかし困ったことに、彼らと言葉が通じない。そこで淡路守に内定していた藤原為時を急遽越前守に変更します。為時は学者で、宋の言葉にも通じていたというのが理由です。そしてこの為時こそ、紫式部の父ですよね。

 ところで、この時に最初に越前守に内定していたのが、誰であろう、この源国盛だったのです。越前は大国、淡路は下国でしたので、越前守に任じられた為時は嬉しかったと思いますが、逆に下国の淡路の国司になってしまった国盛の心中はどうだったのでしょうか…。

*このあとは、国盛女の系統のお話しをします。これがまた、思いがけないところとつながっているのです。

源 国盛女
 歌人として知られる。他にも、琴・琵琶にも優れていたそうです。宇多源氏の源道方の妻となり、経信を生みました。

 この経信こそ、「百人一首」71番目の歌の作者です。(宇多天皇の系譜のページ参照)

 色々寄り道をしてしまったのでちょっとわかりにくいと思います。源国紀から源経信までの流れを図にしてみますね。

 国紀→公忠→信明→国盛→国盛女(源道方の妻)→経信

 系図って本当に面白いです。

是忠親王の子孫

 ところで、光孝天皇が班子女王との間にもうけた是忠親王の子孫にも、百人一首の歌人がいます。

 是忠親王の子の一人には、「百人一首」28番の歌の作者で三十六歌仙の一人でもある源宗于がいます。

 また、親王の子孫には「百人一首」40番の歌の作者、平兼盛もいます(宗于の子孫ではない)。
 そして、兼盛の妻は子供を身ごもったまま兼盛と離別し、赤染時用と再婚したとも言われていますよね。そして生まれた子が59番の歌の作者、赤染衛門と言われています。もしこれが事実なら、赤染衛門も是忠親王の子孫ということになります。

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一泊二日旅行?同窓会その他

2013-08-04 13:21:07 | えりかの平安な日々 10~18
今更ですが、7月20日・21日に同窓会のため1泊二日で浜松に旅行(?)したことを書きます。お泊まりなんて久しぶり、羽を伸ばせる~と、楽しみにしていたのですが…。

その前日のお昼頃から喉が痛くなってしまったのです。母が風邪をひいていたので、移されたのか…と思い、今年の2月にいつもの病院から処方された風邪薬が残っていたので飲んでみました。この風邪薬、とてもよく効くのです。そのおかげで、当日になってもひどくなっておらず一安心。

 しかし~、旅行にはアクシデントがつきものの私、いつもはいている靴が壊れていることに気がつき愕然。そこで予備の靴をはいてみたのですが、どうやら私が一番太っていた時期に買ったものだったらしく、ゆるくてどうしようもありませんでした。仕方なくティッシュペーパーを靴に詰めてみました。そうしたら何とかなりそうと思い、母の車で最寄りの駅まで送ってもらうことに。

 そんなわけで予定の時間通り、9時前には駅に到着。でも、歩くたびに詰めたティッシュが動いてしまいます。靴は脱げそうになってしまうし、転んでしまいそうで会談などが怖いので、駅員さんに誘導を頼むことにしました。

 駅員さんに誘導して頂私は上り電車のホームへ…。あれ?浜松に行くには下り電車のホームに行かないといけないのにどうして?と思われた方もいらっしゃると思います。

 実は私は寄り道をすることにしていました。この翌日は参議院選挙の投票日。でも明日は行けるかどうかわからないし、投票所は段差が多くて大変だと聞いていたので、それなら市役所に期日前投票に行こうと思ったのです。そこで上り電車に乗って一駅先に移動し、タクシーで市役所まで往復しようと思ったのでした。

 というわけで私は上り電車に乗り、次の駅で降りました。こちらでも駅員さんに誘導していただき、タクシー乗り場まで連れて行っていただきました。そしてタクシーで市役所へ。お恥ずかしながら、こちらの市役所に一人で来たのは初めてです。そこで市役所の方に案内していただき、無事に期日前投票所に到着することが出来ました。

 昨年末の衆議院選挙も、6月の県知事選挙も、諸事情で投票できなかったので、私にとっては久しぶりの選挙でした。結果は見えていましたけれど、こうして政治に参加できることを幸せに思いました。あらかじめ選挙管理委員会に電話もしておいたからなのかどうかはわかりませんが、こちらでも親切にしていただきました。
 投票をすませ、投票証明書を発行していただいてタクシーで駅に戻りました。行きも帰りも親切な運転手さんに当たって一安心。そして再び駅員さんに誘導していただき、下り電車に乗り、まず、一緒に同窓会に行く友人との待ち合わせ場所、静岡駅へ向かいました。このように駅でもタクシーでも投票所でも、色々な方に親切にしていただきました。ありがとうございました。

 静岡で友人と会い、まず靴屋さんに行くことにしました。やはりゆるゆるのこの靴ではどうしようもないと思ったからです。そこで友人に手伝ってもらい、ぴったり合う靴を探してゲット。早速新しい靴にはきかえました。新しい靴なので少し足が痛いですが、先ほどまではいていた靴に較べればだいぶましです。

 そのあと、よくだんなさんと行ったお店でスパゲッティのランチを食べ、新幹線で浜松に向かいました。新幹線に乗るなんて2011年の広島旅行以来です。ちょっとわくわく~。

 浜松駅の新幹線の待合室で少し休憩してから、普通電車に乗ってみんなとの待ち合わせの舞阪駅へ向かいました。私と友人が待ち合わせ場所に行くと、もう5,6人くらい来ていて、会話もはずみます。楽しい同窓会になりそうです。

 さて、今回の同窓会の場所はエクシブ浜名湖です。私はここを訪れるのは今回で3回目、食事もおいしく、部屋もゆったりしているので気に入っています。6時半開始の夕食兼宴会までまだだいぶ時間があったので、部屋でみんなとおしゃべり。私はみんなに話したいこと、聞いてもらいたいことがたくさんありました。みんな優しく、私の愚痴を聞いて下さいました。

 同窓会に出席したのは17人だったようです。夕食は中華料理のコースでした。前菜からおいしくてわくわく。スープはエノキダケが入ったとろりとしたスープでした。そう言えばだんなさんはエノキダケが食べられなかったっけ…なんて思い出していました。

 そのあとも何種類かのお料理が出ましたが、一番おいしかったのはエビのチリソースと牛肉の炒め物。もちろんチャーハンやデザートも美味でした。おいしいものを食べるとやっぱり幸せ。それも、気を許せる仲間たちと食べるともっとおいしいです。(^^)

 夕食後はカラオケ。私の同期はカラオケ好きの人が多いので、曲がとぎれることがありません。最初、1時間の予定だったようですが、2時間に延ばしてくれたようで、私も3曲、歌うことが出来ました。
 私は喉が少し痛いので、あまり高音がない曲を選曲。まずドリカムの「Love Love Love」、1曲目は緊張します。次に歌ったユーミンの「中央フリーウェイ」、最後の尾崎亜美さんの「マイピュアれでぃ」は結構満足に歌えました。
 私はどこに行ってもこうしてマイペースな曲を歌いますが、誰でも知っているような曲、例えば「セーラー服と機関銃」とか、「宇宙戦艦ヤマト」などを歌う人もいて、まるで歌声喫茶のようにみんなで大合唱になったりしました。一人で歌うのも大好きですが、みんなで歌うのも楽しいですね♪

 カラオケのあと、他の女の子たちはお風呂に行きましたが、私は風邪気味なのでパス。ちょっと疲れたので横になり、携帯でSNSに書き込みをしたり目をつぶってぼうっとしたりしていました。こうして家以外の場所でくつろいでいるなんて夢みたい、だんなさんに、「私は今夜は幸せです」と語りかけたい気持ちになりました。

 夜中の12時頃から再びみんなで集まりおしゃべりしながら飲むことに。私は相変わらずアルコールは止められているので、ウーロン茶と3%のカクテルを頂きました。

 そんなわけで執心したのは夜中の3時頃でした。でも、興奮しているせいかあまり熟睡できなくて、何度も目が覚めてしまいました。翌朝の朝食は7時半からだったので、7時には起きて身支度をしなければならないのに。結局3時間くらいしか寝られなかったかも。でも起きたとき、不思議なことに体のだるさはあまり感じませんでした。

 朝食は洋食でした。過去2回、泊まったときは和食だったので、どんな物が出るのか楽しみです。

 最初に前菜が運ばれてきましたが、品数が多くてびっくり。ホタテやサーモンなどのシーフードのオードブル、スープ、3種類のジュース、それにサラダもあります。主催はスクランブルエッグとベーコンに、ポテトもついています。パンはおかわり自由だったので、バターロールやクロアッサンの他、トーストを2枚も食べてしまいました。こうしてすっかりおなかいっぱいになってしまいました。

 チェックアウトは10時でしたが、その前に売店へ。こちらが話しかけるとかわいい声で口まねをする人形など、変わったものがたくさん売られています。私がちょっと心惹かれたのはトラのぬいぐるみ。手触りやしっぽの感じが猫のエリカちゃんに似ていました。でも、顔を見るとやっぱり「トラ」という感じでちょっと怖い。これが猫だったら即購入だったのに。

 こうして楽しかった同窓会は終了。皆さん、どうもありがとうございました。来年もぜひ、参加したいと思います。

 浜松駅でおみやげを買い、このあと用事があって帰らなくてはならない静岡で待ち合わせをした友人とお別れしました。彼女にはいっぱい、世話になりました。ありがとう。私は待合室でちょっと休憩をし、上りの普通電車に乗り込みました。このあと1時に、だんなさんが県立盲学校で解剖学を教えていたときの生徒さんの治療院に予約を入れてあったので、電車で最寄りの駅へ向かいます。朝食をたくさん食べておなかも空いていないし、「これなら多分、夕食まで持ちそう」と判断し、昼食は抜くことにしました。

 生徒さんの治療院の最寄りの駅の一つ手前の駅のすぐ近くにだんなさんのお墓があるので、ホームから手を合わせようといったん電車を降りることにしました。本当は行けると良かったのですが、視力の弱い私には一人でお墓を見つける自信がなかったので。ホームから手を合わせるだけで今回は許してねと心の中でつぶやきながら、その次の電車に乗り込み、次の駅で降り、タクシーで治療院へ、無事に到着して一安心です。

 こちらの治療院は、だんなさんと一緒に何度も来たこともある、思い出の場所です。
 生徒さんにマッサージを受けながら、だんなさんの思い出話から始まり、色々な話をして楽しかったです。マッサージも気持ち良く、体が軽くなりました。何より、生徒さんがだんなさんのことを忘れずにいて下さること、私のことも仲間として受け入れて下さっていることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。ありがとうございます。

 そして、3時過ぎの電車で自宅の最寄り駅に向かいましたが、またまたアクシデントが…。
 冷房が強かったので体が冷え、おなかがおかしくなってしまったのです。今考えると風邪と前の晩にあまり寝ていないせいもあったのでしょうけれど。本当に、「早く最寄りの駅に着いて欲しい」としか考えられませんでした。何とか家まで持ったので良かったのですが、何か、最後までアクシデントの連続だったような…。
 それでも久しぶりの選挙、学生時代の友人との再会、だんなさんの生徒さんとの再会、色々な方々の親切など、実りの多い、楽しい2日間でした。お世話になったすべての皆様に感謝です。ありがとうございました。

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