平安夢柔話

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河内源氏 ~頼朝を生んだ武士本流

2017-09-30 20:03:48 | 図書室1
 久しぶりに歴史評論の本を紹介します。

☆河内源氏 ~頼朝を生んだ武士本流
 著者=元木泰雄 発行=中央公論新社・中公新書 本体価格=800円

本の内容
 十二世紀末、源頼朝は初の本格的武士政権である鎌倉幕府を樹立する。彼を出した河内源氏の名は武士の本流として後世まで崇敬を集めるが、祖・頼信から頼朝に至る一族の歴史は、京の政変、辺境の叛乱、兄弟間の嫡流争いなどで浮沈を繰り返す苛酷なものだった。頼義、義家、義親、為義、義朝と代を重ねた源氏嫡流は、いかにして栄光を手にし、あるいは敗れて雌伏の時を過ごしたのか。七代二百年の、彼らの実像に迫る。

目次
1 河内源氏の成立
2 東国と奥羽の兵乱
3 八幡太郎の光と影
4 河内源氏の没落
5 父子相剋―保元の乱の悲劇
6 河内源氏の壊滅―平治の乱の敗北
むすび―頼朝の挙兵

 河内源氏の祖、頼信から頼朝挙兵までの一族の歴史が述べられている本です。専門の先生が正確な史料に基づいて書かれたものですが、新書という形態なので一般向けに書かれたと思われるのでわかりやすいですし、何よりとても面白いです。

 上でも書きましたが、主に頼信以降のことが書かれていますが、武門源氏の祖、源経基についても少し触れられています。
 経基の出自については、同じ元木先生の「源 満仲・頼光」(ミネルヴァ書房)に詳しく書かれていて、私もこちらの本を参考にさせて頂き、こちらに記事を書きました。
 で、今回読ませていただいた「河内源氏」によると、経基は貞純親王が夭折してしまったため元平親王の養子になったのではないかという説が紹介されていました。これは納得の行く説だと思いました。

 このように冒頭から興味深い記述が。それで、私の読み違いや勘違いもあるかもしれませんが、興味を惹かれた内容を少し紹介させて頂きますね。

☆満仲の3人の子のうち、頼信が一番暴れん坊。彼は平忠常の乱を鎮圧したことで有名だが、実はそれよりずっと以前、忠常を攻撃し降伏させたことがある。それ以来、2人は主従関係を結んでいたのだそうです。紹介されていた「今昔物語」に書かれた頼信のエピソードにも興味津々。

☆前九年の役・後三年の役で活躍した義家は決して栄光の人生を歩んだわけではない。後三年の役は私闘とされ、朝廷からの恩賞もなく、弟の義綱と対立し、嫡男の義親は西国で暴動を起こすなど、挫折の連続だった。特に、一歩間違えれば義綱が嫡流になったかもしれなかったなんて、このことは知りませんでした。

☆為義と義朝は、親子でありながら対立していたというのは知っていたのですが、義朝は一時廃嫡され、投獄に追いやられていたのですね。
 そしてなぜ、保元の乱で為義が崇徳方、に、義朝が後白河方についたのかも納得。
 元々為義は摂関家の忠実・頼長と主従関係で、義朝は鳥羽院・美福門院と主従関係だったのですね。

 更に、河内源氏嫡流だけではなく、傍流についても記述されていますし、藤原氏や天皇家、平氏との人間関係にも触れられていて興味深かったです。私はこのような、「一族の歴史」みたいな本が大好きなのかもしれません。

 それにしても親子・兄弟での苛烈な嫡流争いは河内源氏の伝統なのかなと思ったり。でも、全国各地に勢力を広め、土着の武士たちと主従関係を結んでいくところは見事だなと思いました。壊滅しても復活する、これが河内源氏の底力なのかもしれません。読んで良かったと思えた1冊でした。興味を持たれた方、ぜひどうぞ。

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紫式部と平安の都

2015-09-21 15:11:54 | 図書室1
 今回は、紫式部と源氏物語に関する本の紹介です。

☆紫式部と平安の都 (人をあるく)
 著者=倉本一宏 発行=吉川弘文館 価格=2160円

内容(「BOOK」データベースより)
 千年の時を超え、世界最高の文学と称えられる『源氏物語』。不遇な学者の女から中宮彰子への出仕に至った作者・紫式部の生涯を追い、物語執筆の謎に迫る。平安京や須磨・明石、宇治を訪ね、物語の舞台に想いを馳せる。

目次
王朝の文化サロンと中宮彰子の後宮(後宮とは何か
「国風文化」について
一条天皇後宮の推移
彰子サロンの空気
後宮への眼差し)
1 紫式部の履歴書(家系と生い立ち
少女時代
源氏物語の執筆
中宮彰子への出仕
三条朝の紫式部と晩年)
2 源氏物語の構想(『源氏物語』の構想
『源氏物語』の構成)
3 源氏物語をあるく(紫式部の遺跡
源氏物語の風景)


 吉川弘文館から発行されている「人をあるく」というシリーズの1冊。
 紫式部の生涯や源氏物語の舞台についてなどが130ページほどでコンパクトにまとめられています。

 まず、後宮の基礎知識や紫式部が生きた時代の後宮についての解説がなされたあと、「紫式部の履歴書」として、紫式部の生涯について解説されています。
 内容は、「紫式部集」「紫式部日記」などをもとに、少女時代、越前への下向、結婚、夫との死別、彰子中宮への出仕などが簡潔にまとめられています。

 読んでいてはっとさせられたのが、「源氏物語」のような長大な物語を書くのには膨大な紙が必要だったということ、貧乏学者の為時(紫式部の父)一家にはとてもこのような膨大な紙の調達は出来なかったのではないか?これには今まで気がつきませんでした。
 紫式部が「源氏物語」を書き始めたのは彰子中宮に出仕する数年前のこと。そこで著者の倉本先生は、「源氏物語は最初から道長の依頼を受け、道長から紙が調達されて執筆されたのではないか」という説を提示されていました。

 次の「源氏物語の構想」では、紫式部がどのように物語を構想したかが考察されていました。
 紫式部はそれまでの女子供の読むようなおとぎ話ではなく、人間の深さを描いた物語を書きたかったのではないか。
 源氏物語は、父帝の后藤壷との密通で生まれた皇子が天皇になるという罪を犯した光源氏が、正妻女三の宮と柏木との密通によって生まれた子を自分の子として育てるという罰を受け、最後に浮舟が出家することでこの罪を償うという構成になっている。 
 なるほど、奥が深いです。

 そして最後の章「源氏物語をあるく」では、
 まず紫式部の邸宅址とされる廬山寺を初め、紫式部が出仕した里内裏、一条院内裏址、紫式部が父と共に下向した越前など、紫式部ゆかりの地が紹介されています。越前の紫式部公園、一度訪ねてみたいと思いました。

 そのあと、源氏物語五十四帖それぞれの大まかなストーリーを紹介しながら、京都から宇治、須磨、明石など物語の舞台となった場所を簡潔に紹介しています。登場人物の邸宅と推定される場所、物語に出てくる寺院のモデルについては最近の研究に基づいているので安心して読むことが出来ました。写真も豊富に掲載されています。

 このようにコンパクトにまとめられた本ですが、内容はなかなか専門的。興味深く読むことが出来た1冊でした。源氏物語と紫式部に興味のある方なら誰でも楽しめる本だと思います。

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平安朝の父と子 貴族と庶民の家と養育

2015-07-06 10:00:04 | 図書室1
 久しぶりに歴史評論の本を紹介します。

☆平安朝の父と子 貴族と庶民の家と養育
 著者=服藤早苗 発行=中央公論新社・中公新書2044 

商品の内容[要旨]
 歴史上、父と子の強い関係が見え始めるのは平安時代初期のことである。『御堂関白記』は、子をたくさん産み育てることを称揚し家の力を拡大させていった藤原道長の姿を、『小右記』は、子どもを寵愛した藤原実資の日常を伝えている。貴族の日記や説話から見えてくる父と子の絆は、現代の子育てを考えるうえでも多くの示唆を与える。「母と子」「女と男」につづき、歴史から現代の家族を考える三部作の完結篇。

[目次]

 序章 父と子の史料を探して(勘当する父;貴族層の父親像と家)
 第1章 子どもの成長と父(子どもの誕生;生育儀礼と父親;子育てと教育)
 第2章 家の成立過程と父権(家業と子;父権の成立)
 終章 家と父権のゆくえ(父への孝養;父権から育児する父親へ;現代の父親論への視座)

*すでに絶版のようです。興味を持たれた方、古書店か図書館を当たってみて下さい。

 紹介文にありますように、「御堂関白記」「小右記」などの貴族の日記、「今昔物語」「栄花物語」「大鏡」などの古典から貴族と庶民の父子関係、父権から見た家の成立などを論じた本です。

 第1章では主として、父親の子育てについて論じています。

 この章で最も興味を惹かれたのは藤原実資の子育てについてです。但し、有名な千古ではなく、6歳で早世した千古の姉について書かれています。

 彼女の七日のお祝いの時、清原元輔と平兼盛が歌を詠んでおり、この時代の思いがけない人間関係にわくわくしました。逆に言うと実資さん、愛するわが子のお祝いに当代の歌人を総動員したのかもしれませんが。でも、人脈がなければ歌人も動員できませんものね。

 しかしこの娘は体が弱く、実資の日記には心配する様子があちらこちらに書かれていて、切なくなりました。千古に対してもそうでしたが、実資さん、娘に対する愛情はかなり強かったようです。

 その他、菅原道真が太宰府に左遷された際、2人の幼い子供を同行することが許された話も興味深かったです。太宰府では子供たちと食事をしたり、同じ部屋で寝ていたりしたようです。都では多分、部屋は別々だったでしょうから、道真と子供たちは太宰府で、固い絆が出来たのでしょうね。

 えっ?と思ったのは藤原道綱と兼経の場合です。
 兼経の母(源雅信と藤原穆子の娘)は彼を生むとすぐ、世を去ってしまいます。すると道綱は兼経の養育を妻の母、穆子に任せ、自分は源頼光の婿になってしまいます。
 妻が亡くなっても一人で子育てする男性もいたようですが、道綱のような男性も多かったのでしょうね。まさに人それぞれ…。

 第2章では、父権から見た家の成立についてが論じられています。

 特に興味深かったのは摂関家の成立について。
 藤原基経の3人の男子、時平、仲平、忠平の母は光孝天皇の同母弟人康親王の女です。基経と光孝天皇が母方のいとこ同士であることはよく知られていますが、彼らの息子たちもまた、天皇家の親戚だったわけです。
 息子たちの中では結局、忠平が摂関家を継ぐことになるのですが、忠平の子、師輔の母は文徳天皇の孫に当たります。そのことが師輔の地位を高めることに役立ち、その師輔は醍醐天皇の3人の皇女たちを次々と妻に迎えます。こういった天皇家との関係が、摂関家成立に大きな役割を果たしたようです。

 それと、平安中期までは母親の身分が重要だったという話にも興味を惹かれました。

 特に親王の子の場合、母の身分が重要だったようです。
 例えば具平親王が身分の低い雑仕女との間にもうけた頼成は、具平親王に認知されず、家人の藤原伊祐の子として育てられます。
 また「蜻蛉日記」に道綱母の恋敵として登場する町の小路の女も、「さる親王のご落胤」だったようです。多分、母親の身分が低く、認知されなかったのでしょう。道綱母も「取るに足りない身分の女!」と切り捨てていますし。町の小路の女はその後、兼家に捨てられてしまっています。このようにたとえ天皇の孫でも、母の身分が低いと貴族の正式な妻になることも難しかったようですね。

 それが次第に「腹は借り物」という考えが生まれ、母親の身分がそれほど重要視されなくなるのは院政期頃からだそうです。そして父権がさらに強くなっていくのです。婿取り婚から嫁入り婚が主流になっていくのもこの時代ですよね。そして権力も貴族から武士へ…。院政期って歴史の大きな転換点だったのですね。そんなこともこの本を読みながら興味深く感じました。

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平安京遷都 シリーズ日本の古代5

2014-12-13 20:33:08 | 図書室1
 今回は、平安時代前期について書かれたこの本を紹介します。

平安京遷都 シリーズ日本の古代5
 著者=川尻秋生 発行=岩波書店(岩波新書) 価格=800円(本体価格) 

[要旨]
権力争いの結果、予期せず皇位について桓武は、皇統の革新を強調すべく二度の遷都を行った。以後長らく日本の都として栄えることとなった平安京。その黎明期、いかなる文化が形成されたのか。天皇を中心とした統治システムの変遷や、最澄・空海による密教の興隆、また地方社会の変化にも目配りしつつ、武士誕生の時代までを描く。

[目次]
はじめに―平安時代を脱ぎ、着る明治天皇
第1章 桓武天皇とその時代
第2章 唐風化への道
第3章 「幼帝」の誕生と摂政・関白の出現
第4章 成熟する平安王朝
第5章 唐の滅亡と内乱の時代
第6章 都鄙の人々
おわりに―起源としての一〇世紀

 桓武天皇による長岡京遷都、それに続く平安京遷都、から安和の変あたりまでの政治情勢、文化、地方の同行などが専門の先生により、正確な史料に基づき、時には著者独自の説も盛り込みながら述べられている本です。
 新書という性質上、内容はコンパクトでわかりやすいです。でも、今まで私の知らなかったことやマニアックなこともたくさん書かれていて、とても勉強になりました。

 以下、私が興味を惹かれた内容を少し拾ってみます。

 仁和三年(887)の7月末から8月にかけて、大地震(南海地震、あるいは東南海地震と思われる)が近畿地方を襲い、更に追い打ちをかけるように台風が襲来し、都では大きな被害が出た。
 この台風の直後、光孝天皇が崩御した。天皇は7月に3日連続で相撲を見ていることなどから、大きな病気をしていたとは考えにくいので、この2つの災害が心身に大きな影響を与えたのではないか。
 光孝天皇の皇太子は決まっておらず、天皇の急な崩御によって源定省が急遽、皇族に復して即位した(宇多天皇)。つまり、2つの大災害がなかったらひょっとすると宇多天皇は即位していなかったかもしれない。つまり2つの災害は歴史を大きく変えたとも言える。


 平将門の乱が後の貴族社会に与えた影響は大きく、源頼朝が伊豆で挙兵したとき、藤原兼実は日記で「義朝の子が伊豆で挙兵した。まるで将門のようだ。」と書いている。
 そして将門を討伐した平貞盛と経基王の子孫が、後に「武士」として認識されるようになった。
なお、将門討伐のもう一人の功労者、藤原秀郷の子孫に関しては、秀郷の子、千春が安和の変に連座したため、「武士」としてはっきり認識されることはなかったが、鎮守府将軍として東北地方などで活躍した。


 他にも、最澄と空海の経歴と2人の関係、東アジア諸国の興亡、東北地方の反乱の歴史なども興味深かったです。
 特に東北地方に関しては、坂上田村麻呂による反乱鎮定が有名ですが、9世紀末にも大きな反乱があったのですね。ただ、それ以降、200年近くの東北地方の情勢については記録がなく、ほとんどわかっていないそうです。9世紀末の反乱から前九年の役につながる東北地方の歴史について知りたくなりますが、今後の発掘の成果を期待するしかないようですね。

 また、日本の文化や伝統のもとは平安時代にあることも繰り返し述べられていました。

 でもやっぱり一番興味深いのはこの時代の皇位継承の事情と摂関家の誕生、特に光孝天皇・宇多天皇父子には興味が尽きないなと…。

 平安時代というと藤原道長の時代や源平時代につながる院政期がメジャーなような気がしますが、それ以前の時代も面白いです。そんな時代を幅広く、コンパクトに学べるのが本書だと思います。

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アマテラス 最高神の知られざる秘史

2014-06-14 17:41:46 | 図書室1
 本日は、先日読んだこの本を紹介します。

☆アマテラス 最高神の知られざる秘史

 著者=斎藤英喜 発行=学研パブリッシング・学研新書088 価格=842円

商品の内容[要旨]

 天皇家の祖神アマテラスとはいかなる神なのか?古代神話が語る「戦う女神」「岩戸ごもりの太陽神」は、やがて「天皇を祟る神」となり、ついには仏と合体して秘儀のための「蛇体本尊」にまで姿を変じていく―最高神の知られざる秘史を読み解く。

[目次]

プロローグ アマテラスの「秘史」へ
第1章 伊勢神宮創建の深層
第2章 祟りなすアマテラス
第3章 内侍所神鏡という謎
第4章 本地垂迹から蛇体の神へ
第5章 江戸と明治のアマテラス
エピローグ 「パワースポット」の彼方へ

 当ブログのリンク先の一つ、「京と陰陽道楽」の管理人さん、くたくたさん@斎藤ようこさんのだんな様で仏教大学歴史学部教授の斎藤英喜先生のご著書。2011年に出版されたものなのですが遅ればせながら拝読しました。
 私は神道についての知識はほとんどないので難しい箇所もありましたが、わりと興味深く読むことが出来ました。新しいことを知るって楽しいことですね。(^^)

 紹介文にもありますようにこの本は、日本神話にも登場し伊勢神宮に祀られているアマテラス(天照大神)がどのように信仰されてきたか、どのように変貌してきたのかを正確な史料に基づいて古代から現代までの歴史を論じたものです。

 まず私が興味を引かれたのは、岩屋に籠もったアマテラスの前に集まった神たちが、後に祭司を司ることになる神祇官系の氏族の始祖神であったことでした。
 その次に述べられている伊勢神宮の創建についても興味深かったですが、平安文学好きの私にとって最も興味を引かれたのが、「更級日記」の著者・菅原孝標女がアマテラスを信仰していたという記述でした。

 孝標女の夢にアマテラスが登場したことは私も印象深く覚えていたのですが、実はそれはその後の彼女の人生にとってとても意味深いことであったこと、私は読み流してしまったようで記憶がなかったのですが、彼女は宮仕えをしていたとき、宮中の内侍所に祀られているアマテラスにお参りしていたのですね。そして内侍所に仕えていた老女官からアマテラスについての話を聞いているようなのです。
 後年、彼女はあちらこちらに物詣でをするのですが、これもアマテラス信仰に基づいたものであったということ。決して単なる「受領の妻の旅行」ではなかったのですよね。

 その他にも、戦国時代には伊勢神宮の内宮と外宮で戦闘が行われたとか、興味深いことがたくさん書かれていたのですが、印象深かったのはやはり「アマテラスという神の変貌ぶりでしょうか。シャーマンになったり戦う女神になったり、たたりをなす神になったり太陽神になったりすると思えば、蛇となって夢に現れたり全国各地に飛来したり、これはすごい神様だと思いました。
 でも現在は、エピローグの章の斎藤先生の文章によると、「国家神、皇祖神といった単一の神格へと封じ込められ、今は家内安全や無事を感謝するといった世俗の神と成り下がった」のだそうです。

 そんなアマテラスの変化に富んだ歴史をたどってみるのも意味のあることではないでしょうか。専門的な内容ですがかなり読みやすく、短期間で読了することが出来ました。お薦めです。

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私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り

2013-12-09 09:47:06 | 図書室1
 今回は、紫式部の生涯について書かれたこの本を紹介します。

☆私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り
 著者=山本淳子 発行=角川学芸出版 価格=1470円

☆内容
 紫式部が宮廷生活を語る。数々の悲しい別れ、創作の秘密…。源氏物語の舞台裏が今、明らかに。源氏物語研究の第一人者が、資料を駆使して、その時代と人間模様を描き出す。

[目次]

 会者定離―雲隠れにし夜半の月
 矜持―男子にて持たらぬこそ、幸ひなかりけれ
 恋―春は解くるもの
 喪失―「世」と「身」と「心」
 創作―はかなき物語
 出仕―いま九重ぞ思ひ乱るる
 本領発揮―楽府といふ書
 皇子誕生―秋のけはひ入り立つままに
 違和感―我も浮きたる世を過ぐしつつ
 女房―ものの飾りにはあらず
 「御堂関白道長妾」―戸を叩く人
 汚点―しるき日かげをあはれとぞ見し
 崩御と客死―なほこのたびは生かむとぞおもふ
 到達―憂しと見つつも永らふるかな

 この本は専門の研究者が、「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」といった紫式部の著書、平安時代の古典や貴族の日記、様々な研究書などを参考に紫式部を研究した成果によって彼女の生涯を再構築したものです。
 そして大きな特徴は、紫式部ご本人が自分の人生を語るというスタイルで書かれていることです。小説ではありませんが、紫式部の行動や考えていることがストレートに伝わってきて、大変わかりやすい1冊でした。

 では、内容と私の感想を書かせていただきますね。

 まずこの本は、紫式部の少女時代から始まります。
 女友達との歌のやりとりや、父から「この子が男の子なら良かった」と残念がられる話はもちろん、彼女の曾祖父である兼輔や定方のエピソードも出てきて嬉しかったです。
 その後、越前下向、藤原宣孝との結婚、夫との死別、宮仕えなどが彼女の鋭い観察力や洞察力によって語られています。

 それで私の感想ですが、正確な史料に基づいて書かれていることもあり、「紫式部って本当にこんな事を考えていたかもしれない!と読みながらうなずけるところが多かったです。

 印象に残ったところを紹介してみますと。

1,結構笑える場面がありました。

 高階成忠について、「変わり者」と言っているところなど。
 当時の娘を持つ貴族は、娘を早く結婚させたがるのが当たり前なのに、成忠は娘を結婚させたがらず、宮仕えに出しているところが変わっていると紫式部は言っています。でも、娘の一人、貴子は摂関家の息子、道隆に見初められ結婚、、「成忠も道隆さまなら良いと思っている、つまりけんりょくよくの固まりなのね」と言っている所など、くすっと笑ってしまいました。確かに、紫式部ならこのようなことを考えるかも。

2,紫式部の本音が聞けました

 紫式部に向かって「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と話しかけた公任に対しても、「光源氏を気取っているけれど、源氏の君とは似ても似つかない、でも、公任さまがこのように語りかけて下さるのは嬉しい」など、つい本音が出てしまったような感じでほほえましかったです。

 その他、「宮仕えは嫌だ」とか、清少納言や定子サロンへのライバル意識を口にしてしまう場面などもありました。

 更に、彰子に漢文の手ほどきをした理由についても納得。今まで、「枕草子」に描かれた清少納言と定子との親しい主従関係、強い信頼関係ほど注目されていないような気がするのですが、紫式部と彰子も、強い信頼関係で結ばれていたのだと思います。

 そして最も共感したこと、それは大切な人との永遠の別れの場面です。

 紫式部が結婚前、藤原宣孝とやりとりした歌からは、彼のことが大好きだったのだなあということが伝わってきます。宣孝には他に妻があり、結婚後も紫式部は嫉妬をしたり、寂しさを感じたこともあったと思いますが、20歳近く年の離れた宣孝を精神的に頼りにしていたのでしょうね。
 なので、宣孝の急死は紫式部にとって、言葉では言い表せないくらいの悲しい出来事だったと思います。心細さからもショックからもなかなか立ち直れなかったのですが、心の中は何にも縛られないと気づき「源氏物語」を描くこと、つまり、別の精神世界を作り出すことにより、立ち直っていったと、この本では描かれていました。
 考えてみると私も、ブログで本を紹介したり、小説風の人物伝を書くことによって少しずつ立ち直ったように思えます。もちろん、「源氏物語」のような千年も残った名作と、私のつたないブログとでは比べものにはなりませんが、大切な人を失ったあとの私と紫式部の心の中は、似たような状況だったのではないかと思います。この本のラストに書かれている、「この身が消えるまで、それでも私は生き続ける。」という言葉も印象的でした。

 このように、紫式部がとても身近に感じられ、楽しく、しみじみと読むことが出来ました。紫式部の生涯や時代背景に興味のある方はもちろん、これからどのように生きていったらいいのか迷っている方にもぜひお薦めしたい1冊です。

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悪霊列伝

2013-03-09 19:43:11 | 図書室1
 今回は、奈良~平安中期を扱った歴史エッセイを紹介します。

☆悪霊列伝
 著者=永井路子 発行=毎日新聞社

(目次)
 吉備聖霊 忘れかけた系譜
 不破内親王姉妹 呪われた皇女たち
 崇道天皇 怨念の神々
伴大納言 権謀と挫折
 菅原道真 執念の百年
 左大臣顕光 不運と復讐

*この本は、昭和53年に毎日新聞社から刊行され、その後新潮社より文庫化されましたが、現在では単行本・文庫本共に絶版のようです。
 また、その後刊行された「続悪霊列伝」を1冊にまとめ、角川文庫からも発行されていたようですが、そちらも絶版のようです。ご興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。

 奈良~平安時代中期に不当に罪を被せられ、死後に「悪霊」と恐れられた人々と、その悪霊が後生に与えた影響について考察した本です。
 でも、内容はそれほど難しくなく、歴史エッセイとして楽しく読むことが出来た1冊でした。

 では、一つ一つの章について内容を簡単にご紹介します。

☆吉備聖霊
 京都の下御霊神社に祀られた神々の中で、身元不明の「吉備聖霊」について、著者の永井さんは長屋王妃の吉備内親王であると仮定し、彼女の生涯とそれを取り巻く政治情勢について解説しています。
 長屋王の変について、「藤原四兄弟が真に恐れたのは長屋王よりも、元正上皇の妹の吉備内親王と、彼女の生んだ皇位継承権を持った皇子たちだったというご意見は説得力があると思いました。

☆不破内親王姉妹
 聖武天皇を父に、県犬養広刀自を母に生を受けた井上内親王と不破内親王。彼女たちを中心に、奈良時代の政争を綴っています。2人の生涯はとにかく波瀾万丈。おっとりしていて流れのままに生きた井上内親王と、勝ち気で自ら政争の世界に飛び込んでいった不破内親王の書き分けが小説を読んでいるようで興味深かったです。
 でも後生、悪霊として恐れられたのはおっとりした井上内親王の方なのですよね。確かに、彼女は政争の犠牲になったようなところがあります。多分無実だったでしょうから、恨みを持って死んでいったのかも。

☆崇道天皇
 崇道天皇とは、藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、桓武天皇によって皇太弟の地位を剥奪され、淡路に流される途中で自ら食を断って命を絶った早良親王のことです。
 この章では、早良親王本人ではなく、桓武天皇に焦点を当て、その生涯を綴っています。権力のためなら何でもやってしまうようなところがある反面、早良親王を廃したあと次々と近親者の死に遭い、親王の悪霊におびえたり、その悪霊に対して最後まで責任を取り続けるといったところが人間的です。帝王もただの人ということなのでしょうか。

☆伴大納言
 応天門の変炎上事件の犯人とされ、伊豆に流されてその地で世を去った伴善男の生涯を綴っています。
 彼は没落した古代の名族、大伴氏の出身で実力で出世した人ですが、実は権力者、藤原良房に取り入っていたようです。ところが、良房には天皇に入内させる娘がもういない、そこで善男はすでに娘を入内させている良房のライバル、良相に乗り換えたのです。そこを良房につけ込まれ、応天門炎上事件を利用されて失脚させられたようです。善男も無実だったでしょうから、恨みはあったことでしょうね。

☆菅原道真
 この章では、菅原道真の悪霊が後生に与えた影響を中心に書かれていました。
 道真の悪霊のため、ライバルの時平やその一族が次々と世を去っていった話は有名ですが、庶民の女や神社の巫女に霊が乗り移り、道真を祀る神社を建てることになったり、高い位を与えることになったという話は詳しく知りませんでしたので、興味深かったです。
 また、道真の悪霊を一番利用したのは、どちらかというと道真と親しく、時平に対抗意識を持っていたと思われる弟、忠平だったというのはなるほどと思いました。確かに、道真の悪霊を宣伝すれば、ライバルの時平を悪役に仕立てることが出来る→自分の権力を保持できるということですよね。

☆左大臣顕光
 関白をつとめた兼通の息子でありながら、できのいい弟に先を越され、出世も遅かったのに、疫病で上席の公卿が死んでいったために思いがけなく左大臣にまで昇ることになった藤原顕光の生涯が語られています。
 彼は道長の引き立てで大臣になり、次女の延子の夫、敦明親王は皇太子にまでなったのですが、孫を皇太子にと願う道長に押されて敦明は皇太子を辞任、更に敦明は道長の婿になってしまいます。そのため顕光は道長を恨み、彼の死後、道長の近親者が次々と世を去っていったところから、悪霊になったと言われています。文字通り不運と復讐の人生を送ったことになります。

 この本は主に、悪霊というものはそれを恐れる後生の人々によって作られるということを述べたいのだと思います。確かに納得という感じはしました。
 でもそれとは別に、私は、この本に描かれた人間模様に興味を持ちました。エッセイでありながら小説のように、人物1人1人が生き生きしています。
 上で書いたおっとりした井上内親王、勝ち気な不破内親王のほか、伴善男は融通の利かない学者タイプ、菅原道真は気が弱くて世渡り下手、藤原顕光はおっちょこちょいで家族思いの人の良いおじさん(元子を無理やり尼にしたのも、娘思いの裏返しなのかなと思ったりします)というイメージが伝わってきて、おどろおどろしい悪霊の話も楽しく読むことが出来ました。

 この本には、武士の世の悪霊を扱った続編もありますので、そちらもぜひ読んでみたいと思います。

☆当ブログ内の関連リンク
 藤原元子 ~天皇の女御から情熱的な恋愛へ *左大臣顕光女、藤原元子を紹介しています。

 天平の三姉妹 *聖武天皇の3人の皇女の生涯と、奈良時代の政争を論じた歴史評論の紹介です。

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平安朝の母と子

2012-01-23 11:21:59 | 図書室1
 今回は、平安時代を扱った歴史評論の本を紹介します。

平安朝の母と子 貴族と庶民の家族生活史
 著者=服藤早苗 発行=中央公論新社・中公新書1003 価格=861円

☆本の内容
 今日、子育てノイローゼによる子どもの悲劇、夫婦関係のひずみによる母子癒着、そのための家庭内暴力などの子どもの病理等々、子育てによる様々な問題が生じている。親子関係、子育て、子どもの生活は歴史的に変化をしてくるが、本書では「家」の成立途上にある、また女性の男性への従属・子どもの父権への従属が開始される、社会の一大転換期であった王朝時代の貴族と庶民の家族生活史に、これら今日的問題の具体的あり方を探る。

[目次]

 序章 ある母子の話
 第1章 さまざまな結婚のかたち
 第2章 子育ての単位・家の成立
 第3章 生命を賭した出産
 第4章 子育てと生活
 第5章 たくましく生きる子どもたち

 平安時代中期の貴族や庶民の家庭生活について、「大鏡」「栄花物語」「今昔物語」などの古典文学、「小右記」などの貴族の日記からエピソードを引用しながら、主に女性と子供の立場について論じた本です。

 まず冒頭部分に、子供を人質にして盗賊から逃げる母親という、かなりショッキングな内容の話が載っていて、「いったいこの本、どんな内容の話が出てくるのか…」とちょっとどきどきしてしまいました。たしかに、今まで私が知らなかった色々なエピソードが載っていて、「えっ」と驚くような話が満載で、貴族と庶民の家族生活のエピソードが興味深ったです。。印象に残ったものをいくつか紹介します。

☆道長の息子たちのうち、倫子所生の頼通と教通は、結婚の時期も記録に残っており、「栄花物語」等にも「婿取り」という記述が見られるが、明子所生の頼宗と能信は、「婿取り」という記述が見られない、つまり、正式な手順を踏んで婿入りしたかは不明とのこと。特に能信に関しては、結婚の時期さえ不明だそうです。
 ただ、同じ明子所生でも、倫子の養子となっていた長家に関しては、婿入りの記録が残っているそうです。
 娘に関しても、倫子所生の娘たちは、天皇や皇太子に入内していますが、明子所生の娘たちは皇太子を降りた親王や臣下と結婚していますよね。やっぱり、明子所生の子供たちは一段下に見られていたのね。

☆「春記」を著した藤原資房は、舅の三河守源経相に経済的な援助を受けていたが、経相の死後、遺産相続を受けられず、その時の苦悩を日記に書いています。その原因は、経相の妻(後妻で、資房妻の実母ではない)が、遺産を全部持っていってしまったからのようです。
 もちろん資房は、経相の後妻のことを日記でさんざん悪く書いていますが、この女性、経相と協力して家政を取り仕切ったり、従者の統括を行ったりなど、なかなかやり手だったらしい。平安時代の強い女性をまた一人発見したようで、ちょっと嬉しかったです。

☆この時代の出産は命がけ。出産で命を落とした女性を挙げてみますと、天皇の后妃では、藤原安子、藤原定子、藤原嬉子、藤原(女原)子、貴族の妻では藤原教通の妻や藤原行成の妻など、更には「更級日記」の作者の姉もそうですよね。
 特に、藤原教通の妻となった藤原公任女は、十代前半の若さで初産を体験し、そのあと、6~7人の子を産み、最後の子を産んだ直後に亡くなります。肉体的にもかなり負担だったのでしょうね。このような女性、意外と多かったのかもしれません。

☆この時代は、子供も命がけ。経済的な理由から捨て子も多かったそうです。勘当されて一人でたくましく生きていく子供もいたとか…。女童や牛飼い童なども、一人でたくましく生きていった子供たちの良い例ですね。

 この本を読んだ感想は、平安時代の家族も色々な形態があったようで、それがとても興味深かったことと、「この時代の女性や子供たちは大変だったのだなあ」ということ。
 でも、どんな時代に生まれても、人はそれなりに苦労するし、それと同時に喜びや楽しみもあるのだということも感じました。人はそれぞれの時代に順応し、たくましく生きていくことが求められるのかもしれません。

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斎宮志 ー伝承の斎王から伊勢物語の斎宮まで

2010-11-12 18:30:06 | 図書室1
 今回は、斎王の人物列伝の本を紹介します。

☆斎宮志 伝承の斎王から伊勢物語の斎宮まで
 著者=山中智恵子 発行=大和書房

目次

1. 伝承の斎王たち
2. 大来(伯)皇女
3. 文武朝の斎宮
4. 女帝時代の斎宮
5. 井上内親王
6. 酒人内親王
7. 淳和・仁明朝の斎宮
8. 晏子内親王
9. 恬子内親王

☆すでに絶版だそうです。ご興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。私も図書館で借りました。なので今回は画像はありません。

 倭姫などの伝承の斎王たちから、「伊勢物語」69段のモデルとされる恬子内親王までの歴代斎王たちについての人物評伝です。当時の史料をもとに、斎王たちの生涯に迫った貴重な本という印象を受けました。

 ただ、最初に書いておきますが、この本、「日本書紀」「続日本紀」「日本紀略」などの史料はすべて、漢文で引用されています。また、「古事談」や「伊勢物語」、和歌などの古典文学の現代語訳はついていません。なので、原文引用の部分は私にとってはちょっと難しかったです。勉強不足を痛感…。

 特に、私は伝承の斎王たちの時代についての知識はほとんどないので、「1 伝承の斎王たち」の部分はかなり難解でした。
 でも、大伯皇女以降は、漢文や古文の意味があまりよくわからないながらも、かなり楽しく読むことが出来ました。その理由はやはり、私が斎王に興味があるから、飛鳥~平安時代初期に関心があるからだと思います。興味があれば、わからないながらも何とか読めるものですね。

 それにこの本、各斎王たちの母方の系譜が詳しく述べられていて、興味を引かれました。平安初期までの斎王には、母方の系譜をたどっていくと天武天皇に行き着く斎王が目立つような気がしました。

 今までほとんど存在を知らなかった、文武・元明・元正天王時代の斎王や、淳和・仁明・文徳天皇時代の斎王のことを知ることができたのも、この本を読んだ大きな収穫ですが、最も興味深く読んだのは、三代の斎王と言われる斎王たちの項と、恬子内親王の項です。

 でも、三代の斎王のうち、朝原内親王の項目がない…と思われた方、安心して下さい。朝原内親王については、酒人内親王の項で詳しく述べられています。

 三代の斎王のうち、まず井上内親王ですが、斎王→白壁王の妃→白壁王が光仁天皇になったことによって皇后に→謀反の罪を着せられて廃后→獄死という、あまりにも苛烈で波乱に富んだ人生を改めて認識させられました。怨霊になったのも当然…とも思いました。
 それと同時に、謎の多い女性という印象も受けました。
 例えば、彼女が産んだ多戸親王について…。実は、井上内親王が多戸親王を産んだ年齢は45歳なので、不自然だという考えも根強いようなのですよね。それで、多戸親王は実は、井上内親王の母方の一族、県犬養氏の女性が生んだ子で、生後間もなく、井上内親王の養子になったという説があるそうでこの説のことは初めて知りました。
 私は、多戸親王はやはり、井上内親王自身が産んだと思うのですが、1300年近く前のことですから、真相は謎ですよね。

 酒人内親王に関しては、獄につながれてしまった母や弟のことを気にかけながら、伊勢に下っていったという経験が、その後の彼女の人生に大きな影響を与えたようです。でも、酒人内親王は生涯、母の井上内親王に守られ、幸福な一生だったのではないかと書かれていました。井上内親王に守られていたという点では、朝原内親王も同様です。酒人内親王も朝原内親王も、斎王として天皇の妃として、更に一人の女性として、たくましく生きたという印象を受けました。

 そして、私がこの本で最も楽しみにしていた恬子内親王の項も、とても読み応えがありました。
 恬子内親王は、斎王として伊勢に赴いている間に、母の紀静子、兄の惟條親王、それに、頼もしい後ろ盾になってくれるはずだった伯父の紀有常まで失っていたのですね…。親族との縁の薄い女性だと感じました。

 そうそう、伊勢物語69段は史実なのか虚構なのかについても少し、触れられていました。著者の山中さんのご意見は、業平が、惟喬親王の消息などを携えて伊勢に来たことがあり、恬子内親王とも会っていたかもしれないが、恬子内親王が業平との間に子を産んだのは疑問だとされています。
 そして、もしかすると、高階茂範の養子となった師尚は、実際に業平の子だったかもしれないが、業平が別の女性との間にもうけた子だったかもしれないとも書かれていました。
 更に言えば、天武天皇の後裔である高階氏が、業平と恬子内親王の恋の噂によって、平城天皇の後裔とされたのだから、それだけ皇統と近くなったということだ。高階氏にとっては、この噂は歓迎すべき話だったのでは…と述べられていました。これはなるほどと思いました。

 それにしても、もし、業平との逢瀬が真実だったとしたら、恬子内親王にとっては、この一夜の思い出が一生の宝物となっていたのでしょうね。

 このように、「斎宮志」は、斎王たちについて、色々な興味深いことが書かれた本でした。斎王に興味のある方、斎王についてもっともっと知りたいと思っている方にはお薦めの1冊です。

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承香殿の女御

2010-10-18 11:32:31 | 図書室1
 今回は、最近、再読した角田文衞先生の歴史評論を紹介いたします。

☆承香殿の女御 復元された源氏物語の世界
 著者=角田文衞 発行=中央公論新社 中公新書25

[目次]
 まえがき
 第一章 北の藤波
 第二章 後宮の女人たち
 第三章 父と母
 第四章 元子入内
 第五章 飛香舎と承香殿
 第六章 一条院
 第七章 頼定の過去
 第八章 堀河の女御
 第九章 悪霊大臣
 第十章 斜光
 終章

☆40年以上前に出版された本なので、すでに絶版になっているようです。興味を持たれた方、図書館か古書店で探してみて下さい。

 「復元された源氏物語の世界」という副題がついていますが、源氏物語に関する本ではありません。源氏物語が書かれた頃に生きていた女性で、一条天皇の女御、そして後に源頼定の妻となった藤原顕光女の元子(979?~?)の生涯を綴った歴史評論です。でも、元子の生涯はとても波乱に富んでいるので、源氏物語と通じる部分が多々あるような気がしました。。

 それはともかくとして、平安中期のこの時代を、彰子や定子の立場で書かれた本はよく見かけますが、元子の立場から書かれた本はほとんどないと思いますので、この本は貴重だと思います。
 また、父の顕光をはじめ周辺人物についてや、当時の時代背景も詳細に述べられているので、170ページ余りのわりと短めの本ですが、読み応えは充分です。

 ところで、実は私は以前、藤原元子について、こちらのページで紹介したことがありました。元子の生涯については当該記事で書きましたし、この「承香殿の女御」は参考にした本の一つなので、彼女の生涯についてはここでは詳しく述べないことにします。
 本記事では、今回、この本を再読してみて、改めて気がついたことや感じたことを少し、書いてみることにしますね。

☆顕光について
 この本では、元子の生涯と同時に、その父である顕光の生涯についても、詳しく述べられていました。

 顕光は、藤原兼通と、昭子女王(陽成天皇皇子元平親王女)の間に生まれ、円融天皇女御の女御、(女皇)子と同腹です。
 ところが、兼通と昭子女王の仲が早く切れてしまったため、顕光は、父親の愛情をあまり受けずに育ったようです。その上兼通は、後に別の妻との間にもうけた朝光を寵愛したため、兄でもあるにもかかわらず、顕光は朝光に比べると出世も遅く、そのことにかなりコンプレックスを持っていたようなのですよね。顕光の内向的でひがみっぽく、卑屈な性格は、若い頃のこのような体験から形成されたのかな…なんて思いました。

 それにしても顕光さん、考えてみれば気の毒な人ですよね。
 一条天皇に入内させた元子は皇子に恵まれず、敦明親王と結婚したその妹の延子は皇子に恵まれたのに、敦明親王が皇太子を降りた上に道長の婿になってしまい、延子や子供たちはすっかり取り残されてしまったのですから…。道長を恨むのも当たり前です。それでいて、延子が産んだ皇子が皇太子になり、自分が摂関になる望みを捨てきれないところが人間くさいのですが…。

☆元子と彰子
 元子は、一条天皇の愛情をそこそこ受けていたようですが、道長や彰子の権勢に押され、天皇と会う機会も少なくなり、女御とは名ばかりの存在になっていきました。この頃の元子にとって、一条天皇の中宮となった彰子は、仇以外の何者でもなかった存在だと思います。

 ところが、一条天皇の崩御後は、2人はかなり親しい間柄になっていったようなのです。

 顕光は、源頼定の妻になった元子を勘当し、彼の邸宅堀河殿の相続者を元子から延子に切り替えてしまいます。元子は堀河殿の相続権を主張し、父と争うことになるのですが、そんな元子の後ろ盾になってくれたのが、彰子だったそうで、これには驚きました。
 おそらく、一条天皇の崩御ののちは、頼定の妻となった元子と、権力者の娘として、皇太子の母として生きていくこととなった彰子は、同じ一条天皇の後宮にいた女性同士、お互いに同志のような感情を抱いたのかもしれません。そして、心の広い彰子は、元子と頼定のことを応援していたのかもしれませんし、権力欲のない元子も、そんな彰子の気持ちを素直に受け入れたのだと思います。
 またのちに、元子と頼定との間の娘が、頼通の養女(女原)子が後朱雀天皇に入内するとき、女房の一人として宮中に上がったようですが、元子と頼通の橋渡しをしたのが彰子だったのかもしれません。

 …とこんな風に、当時の貴族たちの人間関係のこともたくさん出てきて、色々と妄想できる本でした。堀河殿や東三条殿がどのように伝領されたかも詳しく述べられていて、興味深いです。
 何より、藤原元子という一人の女性が、この時代を真摯に精一杯生きた様子がひしひしと伝わってくる、好感の持てる1冊だと思いました。

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