歴史上の人物で好きな人はたくさんいますが、「管理人からのご挨拶」の私の自己紹介の中では、その中でも特に好きな6人、藤原道長、紫式部、在原業平、徽子女王(齋宮女御)、平教経、黒田如水を挙げさせていただいています。
そして今日は、その中の一人の誕生日であることに今朝気がつきました。
その人物とは……、私が挙げさせていただいた6人の中で唯一の戦国時代の武将、つまり黒田如水です。
黒田如水は天文十五年(1546)十一月二十九日に今の兵庫県姫路市で生まれています。当時は旧暦ですから十一月と言えば真冬、如水が生まれたその日も雪が降っていたそうです。
ついでに彼のことをちょっと紹介しておきますと、最初は播磨の小大名小寺氏に仕えていましたが、織田信長が播磨に進行するに当たって小寺氏が一時その配下となり、如水はその関係で信長の代官であった秀吉の軍師となりました。
播磨平定の途中で如水は一時、荒木村重の伊丹城に幽閉されるといったハプニングはありましたが、播磨平定に当たっての彼の功績は大きかったと私は思います。
さらに、秀吉の中国攻めの時には、備中高松城を水攻めすることを提案したり、毛利氏との交渉役にもなっています。ちょうどその頃は、信長が本能寺で殺されているのですが、そのあとの「中国大返し」を計画したのも彼です。言ってみればまさしく彼こそが、「秀吉に天下を取らせた男」なのです。
このように書くと、如水という人は策謀家でつかみ所のない人に思えるかもしれませんが、実はかなり誠実で家臣からも領民からも慕われていた人物だったようです。のちに領主となった豊前中津では、時々領地を回り、領民たちに気を配っていたといいます。
私が如水のことが好きな理由は、このような色々な面があることが興味深いと言うことと、波乱に富んだ生涯を彼なりに精一杯生きたところに共感できるからだと思います。とにかく、「黒田如水」のことを初めて私が知ることになった司馬遼太郎さんの小説「新史・太閤記」と、やはり司馬遼太郎さんの小説で、彼を主人公にした「播磨灘物語」に感謝です。
彼については人物紹介の項でまた詳しく書いてみたいなと思っています。
そして今日は、その中の一人の誕生日であることに今朝気がつきました。
その人物とは……、私が挙げさせていただいた6人の中で唯一の戦国時代の武将、つまり黒田如水です。
黒田如水は天文十五年(1546)十一月二十九日に今の兵庫県姫路市で生まれています。当時は旧暦ですから十一月と言えば真冬、如水が生まれたその日も雪が降っていたそうです。
ついでに彼のことをちょっと紹介しておきますと、最初は播磨の小大名小寺氏に仕えていましたが、織田信長が播磨に進行するに当たって小寺氏が一時その配下となり、如水はその関係で信長の代官であった秀吉の軍師となりました。
播磨平定の途中で如水は一時、荒木村重の伊丹城に幽閉されるといったハプニングはありましたが、播磨平定に当たっての彼の功績は大きかったと私は思います。
さらに、秀吉の中国攻めの時には、備中高松城を水攻めすることを提案したり、毛利氏との交渉役にもなっています。ちょうどその頃は、信長が本能寺で殺されているのですが、そのあとの「中国大返し」を計画したのも彼です。言ってみればまさしく彼こそが、「秀吉に天下を取らせた男」なのです。
このように書くと、如水という人は策謀家でつかみ所のない人に思えるかもしれませんが、実はかなり誠実で家臣からも領民からも慕われていた人物だったようです。のちに領主となった豊前中津では、時々領地を回り、領民たちに気を配っていたといいます。
私が如水のことが好きな理由は、このような色々な面があることが興味深いと言うことと、波乱に富んだ生涯を彼なりに精一杯生きたところに共感できるからだと思います。とにかく、「黒田如水」のことを初めて私が知ることになった司馬遼太郎さんの小説「新史・太閤記」と、やはり司馬遼太郎さんの小説で、彼を主人公にした「播磨灘物語」に感謝です。
彼については人物紹介の項でまた詳しく書いてみたいなと思っています。