平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

色々あった1年でしたが…

2007-12-30 23:17:43 | えりかの平安な日々 04~09
 今年もあと1日と少し、今日は午前中に部屋のお掃除をし、午後は買い物に行ってきました。寒くて大変でした。どうして年末の押し詰まったこの時期になって寒波なんてやってきたのかしら。

 さて、私の今年1年をちょっとふり返って、重大ニュースを三つ挙げてみますね。

 まず、今年は3回も京都に行くことができてとても嬉しかったです。こちらで公表したのは、まだ旅行記のめどが全く立っていない5月19日・20日と、先日旅行記の連載が終わった11月24日だけですが、実は6月10日に、友人のお祝い事に出席するために京都に行っていました。
 この3回の京都行きでは、友人と会ったり、念願だった永井路子さんの講演を拝聴したり、十二単を体験したり、史跡巡りをしたりと、それぞれ楽しいひとときを過ごすことができました。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
 来年は「源氏物語千年紀」なので、また京都に行って楽しみたいと思っています。

 次に思い出すことというと…、私は野球観戦が好きで、プロ野球も高校野球も大好きです。そしてプロ野球では中日ドラゴンズのファン、高校野球は全国各地の色々な高校を応援していますが、やっぱり地元の高校を第一に応援してしまうところがあります。
 それで、今年は中日ドラゴンズが日本一になり、地元の常葉菊川高校が選抜で優勝しました。しかも、ドラゴンズはその後アジア一になり、常葉菊川は夏の大会でベスト4、秋の神宮大会の高校の部で優勝しました。すごく嬉しくて、長年中日ドラゴンズと高校野球のファンをやっていて良かったと心から思いました。このように野球に関しては精一杯楽しむことができ、とても満足な1年でした。

 そして3つ目…、とにかくアクシデントが多かったなという感じがします。
 5月に猫のエリカに病気が見つかり、その直後にだんなさんが体調を崩しました。そして今思うと、そのころから私も少しずつ体調を崩していたような気がします。それが6月末に飲み会で飲み過ぎてしまったことでぱっとひどくなってしまったのかな…。でもそのおかげで病院にかかって悪いところを見つけてもらい、健康に注意するようになったのですからいいとしなくてはいけませんよね。

 こんな風に、私にとってはとにかく色々あった1年でした。

 ブログの方は、色々あったおかげで更新が滞りがちで、更新スピードがゆっくりめの1年だったように思えます。それでもこんなブログにおつきあい下さった皆様、ありがとうございました。来年もこんな感じかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。どうか良いお年をお迎え下さいませ。

 皆様と出会えたこと、こうしてネットでやりとりできることを感謝しつつ、今年最後の更新とさせて頂きたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。

*掲示板に書き込みをして下さいました咲希さん、メールを下さいましたぱいんさん、ありがとうございました。お返事は明日以降に書かせていただきますのでもうしばらくお待ち下さいね。

☆トップページに戻る

今年最後の病院診察

2007-12-28 22:12:31 | えりかの平安な日々 04~09
 そんなわけで、行ってきました。

 午後1時過ぎ、数年ぶりで電車に乗るというお義母さんと一緒に静岡へ…。静岡で用事の終わっただんなさんと待ち合わせ、駅構内の店でランチを食べ、タクシーに乗って病院に行きました。

 だんなさんは2週間前、こちらの病院で血液検査をしたので、まずそのお話がありました。それほど悪くなかったので一安心。次にお義母さんの診察、何しろ高齢なので色々悪いところもあるようで、たくさんお話を聞いてもらっていたようです。

 そして最後に私、結論から言うと、薬は元に戻りました。まためまいがするのではないかと不安はありますが、掲示板No901でも書いたように、胸が苦しい方が辛いのでほっとしたという気持ちの方が強いです。とにかくなるようになるさ、気楽に考えようと思います。
 そのようなわけで、また副作用が出ることも考慮し、次の診察は2週間後ということになりました。

 ところで、日記には書きませんでしたが、実は4ヶ月ほど前、お義父さんもこちらで大腸ポリープの検査を受けていました。そしてだんなさんも、職場で具合が悪くなって診察を受けたことがあります。そして今日はお義母さん…。こちらの病院、何か我が家のかかりつけのようになってしまっています。電車で30分の所にあるかかりつけというのもちょっと(?)…という感じですが。でも色々良くしていただいて感謝です。こちらで診ていただけるようになったことは今年一番の収穫の一つかもしれません。来年もよろしくお願いします。

☆トップページに戻る
 

近況

2007-12-26 10:32:01 | えりかの平安な日々 04~09
 1ヶ月ぶりに日記を書きます。

 今年もあと1週間を切りましたね。私の住んでいる地域、明日の朝が今年最後のゴミ収集日なのです。なので本日中に片づけを全部やってしまわなくては…と思い、朝食後にいらないものをゴミ袋に入れていたらすぐにいっぱいになってしまいました。それでもまだ半分も終わっていないので、これを書き終えたらまた片づけに戻ります。

 さてさて、私の近況ですが…、この年末になって訃報が飛び込んできてしまいました。

 23日の明け方、専門学校時代の恩師が亡くなったのです。まだ68歳、心筋梗塞で突然だったそうです。信じられませんでした。

 その先生には私もだんなさんもすごくお世話になりましたし、結婚式にも出席していただいていたので、翌日、二人でお葬式に参列して参りました。お葬式には専門学校時代の友人も何人か来ていて、その中には数年ぶりに会う友人もおり、まるで先生が会わせて下さったのかな…と思いました。友人たちと先生の思い出を語るとなぜか楽しくて明るい思い出ばかりなので、これは先生の人徳なのかなと思ったりもしました。ただ、あまりにも突然だったので、ご遺体と対面しても亡くなってしまったという実感がわきませんでしたが…。やはり先生にはまず第一に、「楽しい思い出をありがとうございました。」と言いたいと思いました。

 それにしても、同窓会に行っても、もうお会いできないのかと思うと寂しいですね…。


 さて、話は変わりますが、ご心配していただいている私の体調についても書きますね。

 実は1ヶ月ほど前から、血圧を下げる薬を飲むとめまいを感じるようになってしまっていました。おまけに手足の力が抜けていくような感覚を覚えたりもしていたので、病院診察の2日前にだんなさんに血圧を測ってもらいました。その結果、薬を飲む前にもかかわらず135だったので、翌々日の診察の日に先生にそのことをお話しし、薬を換えてもらったのでした。薬を飲むとめまいがする上、血圧もわりと低めになっていたので、このままこの薬を飲み続けるのはすごく不安だったからです。

 ところが、この新しい薬、効き目が弱いようで、しばらくなりをひそめていた胸が苦しいという感覚が再発してしまったのでした。やっぱり私はまだ高血圧症なのかなと実感しています。

 そこで、次の診察が明後日なので、先生にこのことをお話ししてきます。掲示板には次の診察日を21日と書いていたのですが、28日の勘違いでした。…というわけで、元の薬に戻るかもしれません。そう言えば先生は、薬を換えることを迷っておられたので、私が今の症状をお話ししたら「やっぱりそうなりましたか?」と言われそうですが…。

☆トップページに戻る

開設3周年のご挨拶

2007-12-21 08:37:43 | お知らせ・ブログ更新情報
 当ブログ「平安夢柔話」は本日で開設3周年を迎えることができました。これも、いつもご覧下さっていらっしゃる皆様、応援して下さる皆様のおかげです。心より御礼申し上げます。ありがとうございます。

 それにしてももう3年ですか…。早いです。

 「私も自分のページを持ちたいけれど、ソフトを使って作るのは私には難しいし…」と思っていたところ、ブログというものの存在を知り、IDを取得したのが開設前日の夜、そのまま一気に開設に踏み切りました。
 なので全く準備もせずにページを作ってしまったので、これからどうなるかと思っていたところ、幸い翌年正月からの大河ドラマが私の得意な平安末期をあつかった「義経」で、毎週、感想を書くことで何とか形になったという感じがします。ただ、今だから言えることですが、1週間に一回、あれだけの内容を書くのはかなり大変でした。それでも、ドラマの内容や登場人物についてのあれこれを書いているうち、今までのネット上でのお友達に加え、色々な方と知り合うこともできて良かったです。

 そんなわけで1年目はほとんど「義経」だけで終わってしまいましたが、2年目からは、当初からやってみたかった平安時代の人物紹介や本の紹介がある程度できるようになりました。
 そのようなわけで、大変なこともあったけれど、それ以上に楽しいこともたくさんあり、3年間続けて来られて良かったと今は思っています。

 これからもゆっくりマイペースで楽しみながら、長く続けていけたらいいなと思っています。更新頻度はそれほど多くありませんが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、今年も何か企画を…と思ったのですが、相変わらず気の利いた企画を考えることができませんでした。そこで、昨年と同じになってしまいましたが、上に掲載した我が家の猫、エリカの最近の写真(エリカが窓ぎわでひなたぼっこをしている写真です。)をフリー配布にさせていただきますので、気に入った方、ご自由に持っていって下さいませ。もし、サイトやブログに載せていただけるというありがたい方がいらっしゃいましたら大変嬉しいです。(^_^)/その際は、「掲示板」「メール」でお知らせ下さいね。

☆トップページに戻る
 

晩秋の京都へ もくじ

2007-12-18 10:27:24 | 旅の記録
 このページは、2007年11月24日の日帰り京都旅行記、「晩秋の京都へ」をまとめて読むことができるページです。各項目に直接ジャンプできますのでご利用下さい。「旅行記の1回目を読む」→「ブラウザの戻るでこのページに戻る」→「旅行記の2回目を読む」というように、旅行記を順番に読むこともできます。

 また、他の旅行記のもくじのページへのリンクも貼ってあります。こちらもぜひご覧になってみて下さいね。

1.出発
2.風俗博物館
3.実物大展示室・昼食
4.枳殻邸(渉成園)
5.西陣
6.斎院御所跡
7.帰り・旅行の余韻



☆日帰り京都旅行2005年夏 もくじ

 2005年8月23日、当時京都文化博物館で開かれていた風俗博物館出張展示を観に行って十二単を体験し、その後、法住寺と三十三間堂を巡ったときの旅行記です。


☆京都1泊旅行2006年春 もくじ

 2006年4月6日・7日の京都1泊旅行の旅行記です。1日目には風俗博物館に行き、そのあと下鴨神社で平安装束を体験しました。2日目は京都御所、紫式部の墓、雲林院などを巡りました。


☆掛川城散歩 もくじ

 2006年9月14日、当時放映されていたNHK大河ドラマ「功名が辻」の舞台ともなった掛川城を訪れたときのミニ旅行記です。

☆日帰り小旅行 三島編 もくじ
 2007年1月16日、当時三島市の佐野美術館で開かれていた「よみがえる源氏物語絵巻 ー平成復元絵巻のすべて」の展示を見に行き、三島大社を参拝したときの旅行記です。

 ☆トップページに戻る

帰り・旅行の余韻 ~晩秋の京都へ7

2007-12-18 10:17:12 | 旅の記録
 斎院御所跡を訪れたあと、隣のおばちゃんに堀川通り沿いまで送っていただきました。ここでおばちゃんとお別れ、色々なところを案内して下さいまして本当にありがとうございました。とても楽しかったです。(^^)

 駅までバスで行こうかタクシーで行こうか迷いましたが、結局タクシーで行くことにしました。そして、今出川でみかんさんとお別れしました。みかんさん、ご一緒できて嬉しかったです。楽しい時間をどうもありがとうございました。(^^)

 私とだんなさんはそのままタクシーで駅を目指しました。やはり予想通り、道は少し混んでいます。それでも4時半に駅について一安心。

 さて、そんな私たちが向かったのは、伊勢丹デパートの地下にある食品店、ゆず大根の漬け物と、ごま豆腐を買おうと思ったのです。それでまずゆず大根を買おうと思って漬物の店に行ったのですが、人の山でびっくりしました。ゆず大根を見つけるにも一苦労、精算をしてもらうのも一苦労…、そんなわけで、ゆず大根を買うのに10分以上かかりました。「ごま豆腐の店もきっとこんな感じだよね。」と思い、伊勢丹でごま豆腐を買うのをあきらめ、駅の改札に入ることにしました。改札の中にも店はあるからです。

 ところが、改札の中も人がいっぱいでした。私たちは京料理のお弁当を買って家で食べるのがいつも楽しみなので、改札の中にあるお弁当の店に行ったのですが、ここでも買うのに一苦労でした。続いてあきらめきれずごま豆腐を捜しました。やっと見つけたもののここでも買うのに一苦労、京都でこれほど買い物に苦労したのは初めてです。この日の京都は劇混みだったことに改めて気づかされ、すいているところを案内して下さった隣のおばちゃんに改めて感謝しました。

 ついでに新幹線もほぼ満席でした。しかも私たちは、ぎりぎりになって席を取ったので、15号車の一番前の座席でした。一番前の座席はテーブルが座席からかなり離れているため、飲食にはとても不便です。仕方なくお茶やコーヒーを買うのをあきらめました。でも、この日の自由席はものすごく込んでいて、立っていた人も多かったとか、席が取れただけでも感謝しなくてはいけませんよね。

 往路と同じく浜松でこだまに乗り換えて掛川へ、掛川から普通電車に乗り換えて、帰宅したのは8時ちょっと前でした。上でも書いたように、家に帰ってからのお楽しみは京都駅で買ったお弁当を食べることです。

 私のお弁当は「京の町」というお弁当、中は9つに仕切られていて、それぞれにご飯やおかずが入っています。上に写真を載せてみました。梅干しの入ったご飯や巻きずし、フライ、ハンバーグ、唐揚げ、卵焼き、煮物などが入っています。デザートにゼリーまで入っていたのには驚きました。そして、とにかくおいしかったです。幸せ♪

 だんなさんのお弁当、どのようなお弁当だったのか本人に聞いてみたのですが、覚えていないとのこと、でも、お弁当箱がすごくこっていました。籐で編んだようなしゃれたパッケージで、中身はプラスチックの容器、その中にご飯やおかずが入っていました。お弁当箱が気に入ったので、今でもとってあります。

 ところで、お土産をたくさん買ったため、今回は京都旅行の余韻を長く楽しむことができました。ゆず大根もごま豆腐も、宗禅さんのおせんべいもおいしかったです。

 そして、忘れてはならないのが26日の午後7時半からNHK総合で放映された「クローズアップ現代」です。
 この番組では、京都の景観問題についてを取り上げていました。開発か景観保存かは難しい問題ですが、京都好きの私としては、やはり景観を大事にして欲しいという気持ちの方が強いです。西陣の昔ながらの町並みを思い出すと特にそう思います。
 それでも私は、番組の内容よりも、枳殻邸のきれいな紅葉や鳥のさえずりを楽しんでいるようなところがありました。そして、「この時私もここにいたんだ~」と思うととても嬉しい気持ちになりました。このように、この番組でもしっかり、旅行の余韻に浸ることができたわけです。

 やっぱり私は京都が大好きです。

                ー晩秋の京都へ 終わり ー

☆トップページに戻る
 

斎院御所跡 ~晩秋の京都へ6

2007-12-16 11:08:58 | 旅の記録
 宗禅さんを出た時に時計を見たら、まだ3時40分でした。私たちの帰りの新幹線は5時半なのでまだもう少しゆっくりできる…というわけで、前から行ってみたかった賀茂(紫野)斎院御所跡に案内していただくことにしました。

 斎院というのは、平安時代~鎌倉時代初期にかけて賀茂神社に奉仕した未婚の内親王、または女王、すなわち斎王が身を浄めて住まわれた所です。その敷地は大宮通りと廬山寺通りを東南の角とし、約150メートル四方を占めていたといいます。現在、このあたりの一部が櫟谷七野神社となっていて、その敷地内に賀茂(紫野)斎院あとを示す石碑が建っています。

 さて、その櫟谷七野神社は、宗禅さんから歩いて5分ほどの所にありました。たどり着いてみると30段くらいの石段があります。

 では、石段の下から上を見上げた写真をご覧下さいませ。これから石段を登っていきます。

 


 石段を登り切ると、斎院跡を示す石碑と、賀茂(紫野)斎院跡顕彰会による碑文が目に入りました。

 


 

 碑文の写真、途中で文章が切れてしまっていてすみません。

 碑文には斎院についてや斎院御所の位置の他、

○斎院は、嵯峨天皇皇女有智子内親王を初代として約400年続き、後鳥羽天皇皇女、第35代礼子内親王をもって廃絶した。
○歴代斎院の中には選子内親王や式子内親王といった卓越した歌人がおり、斎院御所ではたびたび歌合わせが催された。
○斎院御所には約500人の女官が使えており、その中には優れた歌人も少なくなかった。

 というようなことが書かれています。

 そう言えば有智子内親王は優れた漢詩人でしたし、後朱雀天皇皇女の(示某)子内親王に仕えていた宣旨という女房は「狭衣物語」の作者だと言われています。また、大斎院と言われ、57年間も斎院を勤めた選子内親王は、定子中宮・彰子中宮のサロンと並んで、華やかな文化サロンを形成していました。考えてみるとここは、大内裏とも近かったため(おそらく歩いてでも行けた距離では?)、中宮サロンの人たちや当時の貴族たちとの交流が盛んだったこともうなずけるような気がします。

 ところで、碑文に書かれている斎院の他にも、魅力的な斎院はたくさんいます。斎院御所跡で私が真っ先に思いをはせたのは尊子内親王です。短い生涯の間に様々な不幸にあい、天皇の女御という立場を捨てて出家をした彼女がいつもなつかしく思い出していたのは幼い時期を過ごした斎院御所ではなかったか…と、私は何となく思っていました。そして今この地に立ち、その思いは真実であったのではないかと確信に近いものを感じました。
 ちなみにみかんさんは娟子内親王を思い出したそうです。そうです、源俊房の奥様になったあの姫宮さまです。俊房さんとの恋愛はロマンティックですし、彼女もまた、魅力的な人ですよね。

 平安時代は華やかなサロンを形成した斎院御所ですが、残念ながら今はそれを伝える建物や遺跡は全く見あたりません。石碑だけがただ静かに、面影を伝えています。
 ただ、毎年の賀茂神社のお祭りである葵祭に先だち、斎王代が櫟谷七野神社を参拝するのだそうです。斎王代というのは文字通り斎王の代理、葵祭の主役です。葵祭は平安時代から続いている伝統のあるお祭り、これからもずっとこの伝統を守って欲しいと思いました。はるか昔、賀茂神社に仕え、退下後も精一杯生きていた皇女たちのことを忘れないために…。

☆トップページに戻る

西陣 ~晩秋の京都へ5

2007-12-12 17:42:38 | 旅の記録
 枳殻邸を出たあと、通りでタクシーを拾いました。タクシーは堀川通りを上がっていきます。思ったほど渋滞していないので一安心。しかし、運転手さんのお話によると、五条通は渋滞していて全く動けないとか。五条通というと清水寺に行く道、清水寺は込んでいて観光どころではないだろうなと想像されます。それに比べると私たちは枳殻邸でのんびり観光と紅葉狩を楽しむことができて幸せでした。

 タクシーは二条城のところで左に折れ、隣のおばちゃんの案内で西陣の大国町に着きました。ここは町並み保存に力を入れている西陣の織屋街だそうです。なるほど、格子戸を連ねた低い家が建ち並び、古き昔にタイムスリップをしたような気分になりました。

 ここには西陣織の工房もあるということで、見学させて頂こうと思って中に入ってみました。ところが、私たちは間違って隣の家に入ってしまいました。
 それでも、そのお宅のおかみさんらしい方、にこにこしながら、「どうぞごゆっくりと見ていって下さい」とおっしゃって、ちっとも嫌な顔をしませんでした。このお宅も何かのお店だったのでしょうけれど、それにしてもこの町の人たちは感じがいいなと思いました。

 時間がなかったのでこのお宅はすぐに失礼し、隣の工房に入ってみましたが、ちょうどお休みでした。確かに、3連休の2日目ですものね~。

 気を取り直し、私たちは西陣を歩いてみました。このあたりには、風俗博物館の館長さんの井筒さんの工房もあるとか。井筒さんが西陣に進出するらしいという話はだいぶ前に伺っていたのですが、ついに実現したようですね。さすがです。

 こうして古い町並みを見ながらゆっくり歩き、たどり着いたのは京せんべいのお店、宗禅さんです。
 こちらのお店のことは当ブログのこちらのページで紹介させていただいたことがありますが、あれ以来すっかりファンになってしまいました。それで、京都を訪れるときがあったら再びお店におじゃましたいとずっと思っていたのです。

 さて、宗禅さんは以前は隣のおばちゃんのお宅のご近所だったのですが、最近移転したそうで、新しいお店は通り沿いにありました。お隣は着物レンタルのお店です。つまり、着物に着替えた観光客の目にすぐにとまる場所ということになります。お店のたたずまいは前と変わらず京都の古い町屋といった雰囲気で落ち着きます。

 お店では昆布茶とおせんべいを少し頂きました。昆布茶には細かく切ったおせんべいが浮かべてあり、おいしかったです。来年には店内に茶房ができるそうです。その時にはまた来てみたいと思いました。

 もちろん、お土産におせんべいを購入させていただきました。今回購入したのは朱珍・吹き寄せ・黒胡椒あられの三種類です。朱珍の写真は以前載せたことがあるので、今回は吹き寄せと黒胡椒あられを上に載せてみました。

☆吹き寄せ(左)
 紙のお皿の上に、様々な形や味のおせんべいがのっています。形がどれもかわいらしいです。味も、しょうゆ味、ごま味、梅の味、はたまたピーナッツの味まであってバラエティーに富んでいます。おいしいです。

☆黒胡椒あられ
 赤茶色の木の実の形をしたかわいらしいおせんべいです。ちょうど今の季節を感じることができるおせんべいだと思いました。味はちょっと辛くておいしいです。お店で頂いて気に入ってしまったので購入してしまいました。

☆トップページに戻る

枳殻邸(渉成園) ~晩秋の京都へ4

2007-12-08 14:07:08 | 旅の記録
 私たちが京都を訪れた11月24日はちょうど、3連休の2日目、しかも紅葉のシーズンまっただ中とあって、嵐山や清水寺は人がいっぱいだろうということでした。そこで、「ここならすいていると思う」という隣のおばちゃんお薦めの紅葉の穴場、枳殻邸(きこくてい)に行くことになりました。しかもここは、「源氏物語」の六条院に擬せられている場所とか。わくわくします。(^^)
 レストランむとうの前からタクシーに乗り、2~3分ほどで枳殻邸に到着。確かに紅葉シーズンとしては人が少なめです。これならゆっくりできそうです。(^^)

 中に入ってみると紅葉がとてもきれいでした。みかんさんが「秋好中宮の秋の町の庭みたいですね。」とおっしゃっていましたが、全くその通りだと思いました。

 ではまず、紅葉の写真をご覧下さいませ。

 


 

 イチョウがとてもきれいです。

 さて、枳殻邸というのは東本願寺別邸、渉成園(しょうせいえん)の別名で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことに名前が由来するのだそうです。
 そしてここは、平安時代初期の左大臣、源融(みなもとのとおる)が、奥州塩竃の風景を写して難波から海水を運ばせて造られた河原院苑池の遺跡と伝えられています。ただ、実際に河原院のあった場所からは少し外れているようですが…。それでも、風流な池からは当時を十分偲ぶことができると思います。

 更に、河原院と言えば「源氏物語」の光源氏の邸宅、六条院のモデルと言われていますよね。なのでここは六条院に擬せられている場所、つまり源融と共に光源氏を偲ぶこともできるのです。そう言えば源融は、光源氏のモデルの一人とも言われていました。

 では、池の写真をご覧下さいませ。

 


 

 池にはコイが泳いでいました。

 ついでに、源融とはどんな人であったのか、簡単に書きますね。私の興味のある人物ですので…。

☆源融 (822~895)
 嵯峨天皇の第八皇子。母は大原全子。

 承和五年(838)、17歳の時に源姓を賜って臣籍に降下しました。つまり嵯峨源氏となったわけです。このことはみかんさんともお話ししたのですが、嵯峨天皇は子供を作りすぎたために皇室の財政が切迫し、そのため皇子皇女たちの多くを源氏に降下させました。早く言えば「皇室の財産に頼らず、一人で生きて行きなさい。」ということですよね。それにしても嵯峨天皇、何と52人も子供を作ったのだそうです。本当に子供を作りすぎ…。

 さて融は、それでも順調に出世し、35歳で参議となり、最終的には左大臣まで出世、「河原左大臣」と呼ばれました。

 融に関する最も有名なエピソードはやはり、天皇に立候補したことでしょうか。

 元慶八年(884)、陽成天皇が廃位され、次の天皇を誰にするか決めるため、公卿たちが会議を開きました。権力者藤原基経にはばかって誰もが発言しない中、融は、
「近い皇統をたどればこの融もいますぞ。」
と言ったのです。63歳の融は、帝位への野心満々だったのでしょうね。
 しかし基経に、
「一度臣籍に下った者が帝位についた先例はござらぬ。」
と突っぱねられてしまいました。つまり融は、上席にいた基経にすっかり権力欲を押さえつけられてしまったわけです。

 その代わりと言っては何ですが、融は風流な遊興に楽しみを見いだしていたようです。河原院に塩竃の風景を映し出した池を造ったこともその一つです。ここでは、「伊勢物語」81段に描かれたような優雅な和歌の会や主演がたびたび行われていました。池では魚が泳ぎ、塩焼きなども行われていたとか…。
 また、彼は宇治と嵯峨野にも別荘を持っていました。のち、前者は平等院となり、後者は清涼寺となります。融ってものすごいお金持ちだったのですね。
 でもそれだけではなく、彼はなかなか頭も良く、和歌にも優れ、人望もあったようです。「伊勢物語」の主人公に擬せられている在原業平にとって、融はパトロン的存在だったとか。そんなわけで、頼りがいのある人だったのでしょうね。

 融の没後、彼の息子、昇から河原院を譲り受けた宇田上皇は、ある夜半、河原院にて融の幽霊に遭遇したそうです。そこで恐れをなした宇田上皇は、河原院に常駐することはなかったようです。「河原院は誰にも渡さぬ」という融の執念が伝わってきそうな話ですが…。きっと融は、風流なこの邸宅や庭に強い思い入れがあったのでしょうね。

 そんなことを思いながら枳殻邸の庭を散策しました。庭も池も本当にきれいで落ち着いた雰囲気、京都の町中にこんな素敵なところがあるなんて知りませんでした。ご案内して下さった隣のおばちゃんに大感謝です。

 そしてもう一つ、ここで素敵な出会いがありました。

 ちょうどこの日、私たちがここを訪れたその時、NHKで月~木の午後7時半から放映されている「クローズアップ現代」の集録ロケを行っていたのです。私は、この番組を時々観ているのでこれには驚きました。もちろん、メインキャスターの国谷裕子さんも見えられていました。

 そこで、ミーハーな私は、集録が終わったのを見計らって国谷さんの所へ…。みんな考えることは同じのようで、国谷さんの周りにはすでに人垣ができていましたが、それでも握手をしていただき、写真まで撮っていただいてしまいました。国谷さんはテレビで拝見していてもおきれいで魅力的な方ですが、実際にお会いするともっと素敵な方です。写真には私の顔が出ている上、肖像権等の問題がありますのでここには載せることはできませんが、いい思い出になりました。

☆枳殻邸について詳しくは、真宗大谷派(東本願寺)のサイト様こちらのページでどうぞ。

☆トップページに戻る
 

実物大展示室・昼食 ~晩秋の京都へ3

2007-12-04 16:31:45 | 旅の記録
 風俗博物館には、「実物大展示室」という、畳敷きの部屋があります。ここには、調度品や平安時代の遊び道具、御帳台が展示されています。

 でも、ただ見て楽しむだけではなく、袿や狩衣が試着できるのです。しかも、遊び道具で遊んだり、御帳台の中に入ったりもできるのです。つまり、思いっきり平安気分に浸ることができるのですよね。

 それで私も、袿を羽織ってみました。着させていただいたのは紫色の袿です。今までも、こちらで袿を着たことは何回もあるのですが、紫色は初めて拝見しました。気分はすっかり紫の上です。もちろん、御帳台の中にも入ってみました。

 ただ今回は、扇が壊れていて使えなかったため、顔を隠した写真を撮ることはできませんでした。そこでその代わり、お部屋に飾られていた光源氏らしい貴公子の人形の写真を載せてみました。うーん、やっぱりかっこいい。

 このように、今回も風俗博物館を思いっきり堪能させていただきました。スタッフの皆様、いつも素敵な展示をありがとうございます。

 昼食は、博物館から100メートルほどの所、堀川通り沿いにある京都フレンチレストラン「むとう」というレストランに行きました。今年7月に開店したそうで、私も友人から話を聞いていて「行ってみたい」と思っていたレストランだったのでラッキーでした。

 入っていくと涼しげな水の音が…。まるで貴族の邸宅に来たような気分です。やがてエレベーターで2階のレストランに通されました。静かで落ち着いた雰囲気です。ここならゆっくり食事ができそうです。

 週替わりランチ1600円、シェフおすすめランチ3200円ということでしたが、めったに来られないので、私もだんなさんも思い切ってシェフおすすめランチにしました。
 前菜は、かつおと野菜のサラダ、かつおがすごくおいしかったです。それからベーコンとキノコのスープ、具だくさんでおいしかったです。
 次に出てきたのが、ライスとメインディッシュの牛ヒレ肉のステーキ、野菜がたくさんのっていてヘルシーな感じがしました。ソースは選ぶことができたので、私はコショウ味のソースにしました。もちろんおいしかったです。
 最後に、デザートのアイスクリームと飲み物。おいしくて満足でした。ごちそうさま~。

 食事をしながら、隣のおばちゃんやみかんさんと歴史の話や京都の話などに花を咲かせました。こうして歴史好きの方々と色々お話しするのは楽しいです。風俗博物館の展示に関連して、「朱雀院から持ちかけられた女三の宮降嫁の話を引き受けるか引き受けないかでうじうじしている光源氏、いらいらするよね」、何て話もしましたし…。

 さて、食事が終わって身も心も満足、次はタクシーに乗り、隣のおばちゃんお薦めの紅葉の穴場、枳殻邸に向かいます。

☆トップページに戻る