平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

最近こっているもの

2008-07-28 05:57:26 | えりかの平安な日々 04~09
 最近私がこっているお菓子、「シュウアイス」です。


        


 見た目はシュークリームですが、このお菓子、クリームの替わりにバニラのアイスクリームが入っているのです。なので当然、冷凍保存しています。


        


 半分に切ってみました。切り口が白くなっていますよね。これがバニラのアイスです。

 食べた感想は、シュークリームの皮とアイスクリームの甘さがマッチしてすごくおいしいです。そして、最近暑いのでアイスクリームは冷たくて気持ちがいいです。わりと小さめなので、一息に食べられます。ちょっと何か食べたいと思ったときにもぴったり♪では、頂きます。

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ちりとてちん外伝 まいご三兄弟

2008-07-28 05:51:50 | えりかの平安な日々 04~09
 最近、暑さのせいかよく眠れない日が2~3日に1回あります。今日も、11時半頃布団に入ったのですがなかなか寝つけず、やっと寝ついたと思ったら目が覚め、そのあと再び眠ることができたのですが、朝4時に完全に目が覚めました。まだ起きる時間まで間があるのでもう一度寝ようと思ったのですが眠れそうもないので、5時に起きあがってパソコンを立ち上げました。なのでこんな早い時間にUPすることになってしまいました。

 …と、前置きはこのくらいにして本題に行きますね。

 昨日の午前11時からNHKのBS2で放映された「ちりとてちん外伝 まいご三兄弟」、前から楽しみにしていたので、テレビの前に座って43分間、しっかり見ました。やっぱりちりとてちんワールドはいいですね。(^^)

 このドラマは草々兄さんの創作落語という形を取っているので、草々兄さんの「ようこそのお運びで…」という口上から始まりました。もう、それを聞いただけでなつかしくてうるうるでしたよ。
 草々兄さんの口から、本編では証されなかった子供の性別や(私の思っていた通りでしたが)、若狭ちゃんの近況を聞くことができて嬉しかったです。若狭ちゃん、子供に落語を聞かせているなんて、しっかり落語の世界と関わっているんだ~と、何か嬉しくなりました。

 さて、そうこうしているうちに本編がスタート。1996年4月、福井県小浜市に草々・若さ夫婦を訪ねた草原・小草若・四草の3人が大阪に帰るまでの珍道中を描いたのが今回のドラマです。車で大阪に帰る途中、なぜか道に迷ってまいごに…。そのうえ車がガス欠を起こして動かなくなってしまいます。そこで3人はたまたま近所にあった扇骨職人夫婦の家に一晩の宿を借りることになるのですが、その扇骨職人と四草が因縁があるらしいことがわかり、思わぬ展開に。なので、このドラマの主人公は四草だったわけです。

 四草と扇骨職人がどんな因縁で結ばれているのかなどストーリーの詳細は、総合テレビでの全国放送(8月10日の午前10時5分からだそうです)がまだなので書くのは控えますが、誰が本当のことを言っていて誰が嘘を言っているのかわからない展開でした。でも、本編同様、笑って泣けました。草原・小草若・四草のキャラクターや三人の掛け合いには笑えました。そして最後の方で、「四草さん、あなたは一人じゃないんだよ」と思わされる場面があり、そこでは涙が…。
 それと、若狭ちゃんを初め、緑姉さん、草若師匠、「寝床」の熊五郎さんと咲さん、九官鳥の平兵衛など、このドラマには登場しなかった人物たちの存在もしっかり感じられて、「ちりとてちん」の人物たちの描き方の深さに改めて感服しました。ぜひ続編を見てみたいと思いました。それが無理なら、今回のような外伝ドラマをまた放映して欲しいなあ。NHKさん、ぜひぜひお願いします。

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第71代 後三条天皇

2008-07-25 10:10:06 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  1034~1073
☆在位期間 1068~1072

☆両親
 父・後朱雀天皇 母・禎子内親王

☆略歴

 名は尊仁。後朱雀天皇の第二皇子として生まれました。寛徳二年(1045)、12歳の時に東宮に立てられました。この立太子はもちろん父、後朱雀天皇の意向によるものだったのですが、これに助力した藤原能信の功績も大きいと言えます。しかし、藤原摂関家を外戚に持たない東宮だったため関白藤原頼通らにうとまれ、東宮累代の宝物である「壺切剣」も渡されないといった嫌がらせも受けました。

 治暦四年(1068)、35歳で即位。帝位にあること約4年半、延久四年(1072)十二月八日、第一皇子貞仁親王(白河天皇)に譲位しました。翌延久五年(1073)四月二十一日、急病により出家し(法名金剛行)、同年五月七日、40歳で崩御しました。

 後三条天皇は上でも書いたように藤原摂関家を外戚に持たない天皇であったため、摂関家以外の有能な人材を重用し、思い切った天皇親政を行いました。また、荘園整理令と記録荘園券契所の設置活動などの改革も行っています。後三条天皇の出現は、藤原摂関家の衰退を招き、やがて新しい時代、院政期への橋渡しとなりました。


☆父方の親族

 祖父・一条天皇 祖母・藤原彰子(藤原道長女)

おじ
 敦康親王・後一条天皇

おば
 脩子内親王・(女美)子内親王

いとこ
 藤原(女原)子(藤原頼通養女・後朱雀天皇中宮) 実父は敦康親王
 章子内親王(後冷泉天皇中宮)・馨子内親王(後一条朝の賀茂斎院・後三条天皇皇后) 父は後一条天皇


☆母方の親族

 祖父・三条天皇 祖母・藤原妍子(藤原道長女)

おじ
 敦明親王(小一条院)・敦儀親王・敦平親王・師明親王

おば
 当子内親王(三条朝の伊勢斎王)・子内親王

主ないとこ
 源 基平(大僧正行尊・後三条天皇女御の源 基子の父)・敦貞親王・敦賢親王(白河朝の伊勢斎王、淳子女王の父)・嘉子内親王(後冷泉朝の伊勢斎王)・斉子女王(白河朝の賀茂斎院) 父は敦明親王
 敬子女王(後冷泉朝の伊勢斎王) 父は敦平親王


☆兄弟姉妹

兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟
 *後冷泉天皇

姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹
 ○良子内親王(後朱雀朝の伊勢斎王)・ ○娟子内親王(後朱雀朝の賀茂斎院・源 俊房室) *祐子内親王 *(示某)子内親王(後冷泉朝の賀茂斎院)


☆主な后妃と皇子・皇女

 馨子内親王(後一条天皇皇女)

 藤原茂子(藤原公成女・藤原能信養女) → 貞仁親王(白河天皇)・聡子内親王・俊子内親王(後三条朝の伊勢斎王)・佳子内親王(後三条・白河朝の賀茂斎院)・篤子内親王(白河朝の賀茂斎院・堀河天皇中宮)

 源 基子(源 基平女) → 実仁親王・輔仁親王

 藤原昭子(藤原頼宗女)

 侍従内侍(平 経国女) → 藤原有佐(藤原顕綱養子)


☆末裔たち

・その後の皇位継承について
 後三条天皇のあとに帝位についたのは、略歴の項でも述べましたように藤原茂子の生んだ第一皇子、貞仁親王、すなわち白河天皇です。そして白河天皇の東宮に立ったのは、源 基子の生んだ第二皇子、実仁親王でした。そして後三条上皇は、実仁親王のあとはその同母弟、輔仁親王の即位を望んでいたのでした。

 ところが実仁親王は1085年、東宮のまま15歳で世を去ってしまいます。そこで白河天皇は、弟の輔仁親王ではなく、自分の皇子である善仁親王を東宮に立て、即日譲位してしまいます。これが堀河天皇です。以後、堀河天皇の子孫が帝位につくこととなり、輔仁親王は天皇への道を閉ざされてしまいました。


・輔仁親王と源 有仁
 輔仁親王(1073~1119)は英明な皇子で、東宮に立てられるにふさわしい人物でしたが、上でも書いたように堀河天皇の即位により、天皇への道を閉ざされてしまいました。しかし、堀河天皇に皇子が生まれるまでは、村上源氏を中心に「輔仁親王を東宮に」という動きもあったようですが、堀河天皇の皇子、宗仁親王が東宮に立てられ、やがて鳥羽天皇として即位してからは完全に道が閉ざされ、失意の輔仁親王は仁和寺に入ってしまいます。

 そんな輔仁親王には、何人かの妻との間に源 有仁、守子内親王(崇徳朝の伊勢斎王)、怡子内親王(崇徳・近衛朝の賀茂斎院)、信証、行恵といった子供たちがいます。

 そのうち源 有仁(1103~1147)は一時、白河天皇の猶子になりますが、1119年に臣籍に降下して源姓を賜り、最終的には左大臣にまで昇進しました。美貌で詩歌・管絃の才に優れていたので、光源氏のようだと讃嘆されたそうです。


・後三条天皇の一人のご落胤とその子孫
 後三条天皇は侍従内侍と呼ばれた女性を寵愛し、その間に男児を一人もうけました。その男児は藤原顕綱の養子となったのですが、これは顕綱の母である藤原明子が、禎子内親王の乳母だったことに関係しているようです。それはともかくとして、彼は藤原有佐と名乗り、受領階級としてその一生を送りました。同じ後三条天皇の子である輔仁親王は政争に巻き込まれてしまいましたが、それに比べると有佐の生涯は平穏で、ある意味では幸せだったかもしれませんね。

 ところで、この有佐の子孫は思いがけないところとつながっているので、そのあたりを紹介してみたいと思います。

 有佐には娘がおり、その娘は藤原知信(藤原氏長良流)という官人と結婚しました。その間に生まれたのが歌人としても知られる為忠です。

 為忠の息子たちが、いわゆる大原三寂と言われる寂念(為業)、寂超(為経)、寂然(頼業)の三兄弟です。このうち寂超が美福門院加賀との間にもうけたのが隆信です。美福門院加賀はのちに藤原俊成と結婚して定家をもうけるので、隆信は定家の異父兄ということになります。

 隆信は歌人でもありますが、どちらかというと肖像画描きの名人として有名だと思います。そして、隆信の子が佐竹本・三十六歌仙絵巻を書いたことでも知られる藤原信実です。おお、後三条天皇の遺伝子がこんな所に!何かわくわくしますね。

*後三条天皇から藤原信実までの略系図
 後三条天皇 → 藤原有佐 → 女(藤原知信室) →藤原為忠 → 寂超(藤原為経) → 藤原隆信 → 藤原信実


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山河寂寥 ある女官の生涯

2008-07-18 09:20:15 | 図書室3
 今回もまた、平安小説の紹介です。

☆山河寂寥  ある女官の生涯 上
 著者=杉本苑子 発行=文藝春秋・文春文庫 価格=630円

本の内容
 「賢すぎる子供は油断がならない」宮仕えの第一夜に淑子を傷つけた一言。しかし藤原一門の有力者の係累として、時に兄に叔父にまもられながら、後宮の恋を生き、文徳帝の変死、応天門の変、異母妹の美姫高子と在原業平の禁断の恋などを目の当たりに、宮中での地位と評価を築いてゆく。藤原淑子の前半生を描いた杉本文学の最高峰。

☆山河寂寥  ある女官の生涯 下
 著者=杉本苑子 発行=文藝春秋・文春文庫 価格=670円

本の内容
 藤原一族全盛の礎は築かれた。定省というみめよい養子を得た淑子は息子への愛情にかまけはじめる。しかし清和帝が譲位し、相次ぐ帝位の移り変わりに、宮中でいずれおとらぬ実力者となった淑子、高子、基経らは血類で野心を剥き出しにする。天変地異が続き揺れ動く都で、光孝帝が崩御し淑子の夢がかなう日がきた。


 この本、実は再読です。しかし、5年ほど前に初めて読んだとき、ちょうど家の引っ越しなどでごたごたしていた時期で、あまり集中して読むことができませんでした。なので、猫が出てきたことと宇多天皇が怖かったことと、藤原高子のわがままぶりが面白かった以外はそれほど強く印象に残りませんでした。なので、いつかもう一度しっかりと読んでみたいと思っていたのですが、最近ようやく読むことができました。以前に読んだときと比べるととても面白く感じたので、こちらで紹介することにします。

 この小説の主人公は、女官として最高位に昇った平安時代の女性、藤原淑子(838~906)です。
 淑子は藤原北家の藤原長良(冬嗣の長男)を父に、難波淵子を母に生まれ、両親や母方の祖父に慈しまれて少女時代を送っていたのですが、母と祖父の死によって運命が一変します。11歳になった淑子は、父の本妻である藤原乙春の住む本邸に引き取られるのですが、継母に冷たくされたことに反発したため、まるで追われるように、いとこに当たる皇太子妃、藤原明子のもとに宮仕えに出されます。

 しかし、それを不幸だと思わず、淑子はたくましく生き抜いていきます。やがて成長した淑子は、叔父の良房、兄の基経の計らいで、30歳近く年の離れた藤原氏宗と政略結婚します。氏宗には何となく好意を持っていたものの、「政略の犠牲になるのは嫌!」と思った淑子ですが、文徳天皇の死の真相を知ってしまいます。それは毒殺という衝撃的な事実だったのですが、淑子はこのことで、」女の指一つで政治を動かすことができるのだ「ということを学び、良房や基経の片腕となる決心をします。間もなく淑子は明子のもとを離れ、宮中の内侍司に出仕することとなります。

 30代前半で夫と死別した淑子はやがて、親しく交際していた時康しんのう・班子女王夫婦の三男である定省を養子に向かえ、時康親王が光孝天皇、定省が宇多天皇として即位する際に大きな役割を果たすこととなるのです。こうして、従一位尚侍という女官の最高位に上り詰めた淑子の生涯を、仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐と移り変わる激動の時代の歴史とともに描いた長編歴史小説です。

 この本を読んだ感想は、「久しぶりに正統派の歴史小説を読むことができた」ということでした。もちろん私は、完全なフィクションとして書かれた時代小説や、ファンタジー色の強い伝奇的小説も好んで読むのですが、このように一人の人物の生涯を時系列に沿って描いた歴史小説はやっぱり安心して読むことができます。

 もちろんこの「山河寂寥」もあくまでも小説ですので、作者の創作や推察も多いと思います。その中には、上で挙げた文徳天皇の毒殺のくだりなど、「そんなことあるのか…」と、私個人としては賛同しかねる部分もありました。しかし、全体的には史実をふまえて書かれていますので、この時代のことを楽しみながら学ぶことができると思います。特に、応天門の変については圧巻です。

 それから、ここが大切なことなのですが、登場人物がみんな個性的で生き生きしています。その筆頭は基経だと思いました。今回読んでみて、私は基経に対するイメージが少し変わりました。
 もちろん今までのイメージ通り、策略家で手段を選ばない部分(高子と業平を引き離し、二人の仲立ちをした高子の乳母をさっさと解任してしまうところなど)も描かれていますが、ちょっと抜けているところがあるのが人間らしいと思いました。基経は、清和天皇のもとに自分の娘を入内させ、その娘は貞辰親王という皇子をもうけているのです。基経は陽成天皇の退位のあとも次の光孝天皇の崩御のあとも、孫である貞辰親王の即位を熱望していたのですが、淑子の政略に推され、結局実現できなかった…と、この小説では描かれていました。もちろん基経の病気や地震など、色々な不運も重なったのですが私は、「彼の養父の良房だったら、絶対に貞辰親王の立太子・即位を実現させたのでは」と読みながら思いました。基経はそれだけ、人が良かったのかもしれません。このように小説の所々に、基経の人の良さそうな笑顔が浮かんでくるような場面があってとても好感が持てました。

 その他、在原業平・菅原道真・藤原高子といった脇役も魅力的で、彼ら彼女らについてもっと知りたいという意欲もわいてきました。これらの人物については、これから関連論文や小説を読んでみたいと思っています。

 それからこれは前回読んだ時と同じ感想なのですが、定省(宇多天皇)はやはり、私の思い描いているイメージと少し違っていました。何を考えているかよくわからなくて何となく怖いというか…。でも、この小説に登場する天皇の中では一番非情で、ある意味では帝王らしいです。何か後世の後白河天皇に似ているようにも思えました。これも宇多天皇の一つの姿なのかもしれませんね。

 最後に主人公の淑子について…。平安前期のこの時代に、政略に流されず、逆にそれを利用して自分の運命を切り開き、臣下の女として最高の位を手に入れた彼女の生き方は見事だと思いました。この時代の陰の権力者は藤原淑子だったのかもしれません。そんな一人の女性の生涯と平安前期の歴史、ぜひ堪能してみて下さい。


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第60代 醍醐天皇

2008-07-12 10:34:12 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  885~930
☆在位期間 897~930
☆両親
 父・宇多天皇 母・藤原胤子(藤原高藤女)

☆略歴
 宇多天皇の第一皇子。名は初め維城と言い、後に敦仁と改めました。寛平五年(893)に皇太子に立てられ、その4年後に13歳で践祚しました。これは、先帝の宇多天皇が形の上では院政を執り行おうとして譲位したためです。以後、33年にわたって帝位についていたのですが、平安時代の天皇では最も在位期間が長い天皇となりました。

 醍醐天皇は最初、父の宇多天皇の訓戒に従い、藤原時平と菅原道真を重く用いました。そのため時平を左大臣に、道真を右大臣に任じて、親政の両翼として政務を推進させていました。

 しかし権門の時平は、寒門であるのに宇多上皇の強力な推挙で昇進した道真を苦々しく思い、延喜元年(901)正月、醍醐廃帝とこれに代わって女婿の斉世親王(醍醐の弟)を帝位につけようと企てたという讒訴により道真を大宰権帥に流してしまいます。その後の政界は、時平が天皇を支えるという形で主導権を撮り、種々の改革を行いました。時平が薨じたあとは、その弟忠平が廟堂を掌握して醍醐親政を支えました。

 醍醐天皇は生まれつき英明で、その治世は「延喜の治」と称されました。また、醍醐天皇の御代には文化事業が大変盛んでした。

・醍醐天皇御代に手がけられた文化事業
①『日本三代実録』 五十巻 国史編纂事業として時平らに命じて撰進させた六国史の最後を飾る史書
②『延喜格』十二巻、『延喜式』五十巻 時平・三善清行・紀長谷雄らが関わった格式の編纂。
③『古今和歌集』 紀貫之・友則らに命じて編纂させた日本最古の勅撰和歌集。

 天皇自ら和歌に優れ、『後撰』278以下の勅撰和歌集に四十首余りが収められています。その他『風土記』の再編修なども行いました。
 また、天皇は大変勉強家で、『漢書』『後漢書』を三善清行や紀長谷雄から学び、大江千古には『白氏文集』の教えを受けました。詩歌を物し、その作品も多く遺し、ほかに『醍醐天皇御記』という日記も遺しました。和漢の文化に通じたオールマイティーな天皇という印象を受けます。

 延長八年(930)秋、病を得て出家、8歳の皇太子寛明親王(朱雀天皇)に譲位。九月二十九日に崩御しました。享年四十六。


☆父方の親族

祖父・光孝天皇 祖母・班子女王(仲野親王皇女)

主なおじ
 是忠親王・是貞親王・源 国紀

おもなおば
 為子内親王(醍醐天皇妃)・綏子内親王(陽成天皇妃)・繁子内親王(伊勢斎王)・源 和子(醍醐天皇女御)

主ないとこ
 興我王 源 宗于*百人一首28番目の歌の作者(以上、父は是忠親王)
 源 公忠*三十六歌仙の一人(父は源 国紀)


☆母方の親族

祖父・藤原高藤 祖母・宮道列子(宮道弥益女)

主なおじ
 藤原定方 藤原定国

主ないとこ
 藤原朝忠・藤原朝成・藤原朝頼・女(藤原兼輔室)・藤原能子・女(代明親王妃)・女(藤原師尹室)・女(藤原雅正室) 以上、父は藤原定方
 藤原和香子(父は藤原定国)

その他、こんな方も!
 母、藤原胤子のいとこ=藤原兼輔(紫式部の曾祖父)


☆兄弟姉妹とおい・めい

主な兄弟(○は同母兄弟、*は異母兄弟
 ○敦実親王 ○敦慶親王 ○敦固親王 *斉中親王 *斉世親王 *斉邦親王 *行明親王

主な姉妹(○は同母姉妹、*は異母姉妹
 ○柔子内親王(伊勢斎王) *均子内親王(敦慶親王妃) *君子内親王(賀茂斎院)

主なおいとめい
 源 雅信・源 重信(父は敦実親王)
 中務(父は敦慶親王)
 源 庶明(父は斉世親王)


☆主な后妃と皇子・皇女

 藤原穏子(藤原基経女) → 保明親王・寛明親王(朱雀天皇)・成明親王(村上天皇)・康子内親王(藤原師輔室)

 為子内親王(光孝天皇皇女) → 勧子内親王

 藤原能子(藤原定方女) *のちに敦慶親王、敦実親王、藤原実頼と通じる。

藤原和香子(藤原定国女)

 源 和子(光孝天皇皇女) → 常明親王・式明親王・有明親王・慶子内親王・韶子内親王・斉子内親王

 藤原桑子(藤原兼輔女) → 章明親王

 藤原淑姫(藤原菅根女) → 兼明親王(源 兼明)・源 時明・英子内親王(伊勢斎王)

 源 周子(源 唱女) → 源 高明・盛明親王・勤子内親王(藤原師輔室)・雅子内親王(伊勢斎王・藤原師輔室)

 藤原鮮子(藤原連永女) → 代明親王

 源 封子(源 旧鑑女) → 克明親王

 源 昇女 → 重明親王


☆末裔たち

・その後の皇位継承について
 醍醐天皇の皇太子にまず立てられたのは、第一皇子の保明親王でした。ところが保明親王は923年、父帝に先だって21歳の若さで世を去ってしまいます。そこで、保明親王の子、慶頼王が皇太孫に立てられるのですが、彼もまた、925年に5歳で亡くなりました。これらの不幸は、菅原道真の怨霊のせいだと噂されました。

 そのような中、次に皇太子に立ったのが保明親王の20歳年下の同母弟、寛明親王でした。彼は醍醐天皇の譲位後に朱雀天皇として践祚しました。朱雀天皇の次に帝位についたのは3歳年下の同母弟の成明親王、つまり村上天皇です。帝位はその後、この村上天皇の子孫によって受け継がれていきます。

・源 高明の子孫
 醍醐天皇の子孫たちには、臣籍に降下して源姓を賜った方がとても多いですが、男系の子孫が一番栄えたのは源高明の子孫だと思います。しかし私は、高明の子孫すべてを把握しているわけではないので、有名な方のみを紹介させていただきたいと思います。

 高明は源氏に降下して左大臣にまで昇進した人物ですが、969年に起こった安和の変で失脚し、太宰府に左遷されてしまいました。後に赦されて都に戻ってきたものの、失意のうちに世を去ります。

 そんな高明の子供たちには、源 俊賢(四納言の一人と称された有能な人物)、源 経房(道長に我が子のようにかわいがられました。)、源 明子(道長の室)、女子(為平親王妃)などがいました。

 このうち俊賢の系統が、有能な公卿を輩出して栄えていきます。有名な方としては、俊賢の子で「宇治大納言物語」を編集した隆国、隆国の子で閑院流の藤原公実の関白就任を阻止した俊明、確証はありませんが『鳥獣戯画』を描いたと伝えられている鳥羽僧正覚猷などがいます。

 一方、明子は藤原道長の室となり、頼宗、能信、顕信、長家、寛子(小一条院敦明親王妃)、尊子(村上源氏の源師房室)をもうけました。頼宗の子孫は中御門家、長家の子孫は御子左家となります。このように明子の血統は藤原氏や村上源氏にしっかりと受け継がれています。為平親王の妃となった女は、源頼定や恭子女王(伊勢斎王)、婉子女王(花山天皇女御・藤原実資室)などの母となりました。一見男系が目立っていますが、高明流の女系もしっかりと繁栄したのですよね。

・代明親王の子孫
 男系が繁栄した高明流に対し、女系が繁栄したのが代明親王の子孫ではないでしょうか。

 代明親王の子供たちには、臣籍に下って源姓を賜った重光、保光、延光、そして荘子女王、厳子女王、恵子女王がいます。このうち娘たちの血がそれぞれ、村上源氏や、藤原公任や行成の家につながっていきます。男系も思いがけないところとつながっていてなかなか面白いです。詳しくは当ブログ内の「代明親王の子孫たち」のページをご覧下さいませ。

・有明親王の子孫
 有明親王の子供たちには、臣籍に降下して源姓を賜った忠清、泰清、そして昭子女王、藤原公季の室となった女などがいます。

 このうち泰清は、四納言の一人、藤原行成の妻の父です。昭子女王は兼通との間に朝光をもうけました。藤原公季の室となった女は公季との間に実成をもうけ、彼女の血は閑院流藤原氏の子孫たちに受け継がれていくこととなります。

・雅子内親王の子孫
 雅子内親王は藤原師輔の室となり、高光、為光、尋禅、愛宮をもうけました。

 このうち高光の子孫については、当ブログの「藤原高光とその子孫たち」をご覧下さいませ。思いがけないところとつながっていて興味深いです。

 為光の子供たちには、誠信、斉信(四納言の一人)、公信、道信、(女氏)子(花山天皇女御)、中関白家事件と関わった三の君や四の君などがいます。

 愛宮は源 高明の室となり、経房や明子の母となりました。このうち明子の子孫に関しては本記事の源 高明の子孫の項をご覧下さいませ。

・康子内親王の子孫
 康子内親王は雅子内親王の没後、藤原師輔の室となり、師輔との間に深覚、公季をもうけます。つまり公季の子孫である閑院流藤原氏は、有明親王の女と共に、醍醐天皇の子孫の血が色濃く流れているのですよね。

・以下、その他の醍醐天皇の子孫のうち、有名な方や個性的な方を挙げておきます。

 源 博雅(克明親王の子) そうです、「陰陽師」に登場するあの博雅さんです。笛の名手として有名です。

 徽子女王(重明親王の女) 朱雀天皇御代の伊勢斎王。斎王退下後は村上天皇の女御となり、規子内親王をもうけました。規子内親王は後に円融天皇御代の伊勢斎王に卜定されるのですが、徽子女王はその際、娘に付き従って再び伊勢に下向しています。

 済子女王(章明親王の女) 花山天皇御代の伊勢斎王に卜定されますが、野宮にての滝口武士、平致光との密通が露見し、伊勢に行かずに斎王を退下しました。

 煕子女王(保明親王の女) 朱雀天皇の女御となり、昌子内親王(冷泉天皇皇后)をもうけました。

 この他、源姓を賜って左大臣にまで昇進しながら、藤原兼通の謀略によって二品の親王に戻されてしまった兼明親王と、彼の子、源 伊陟親子もなかなか面白いので、いつか人物伝で取り上げてみたいと思っています。

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暑い~

2008-07-05 22:18:16 | えりかの平安な日々 04~09
 今年もこの時期がやってきました~。私の掲示板、「えりかの談話室」の契約更新の時期です。
 この掲示板は2006年7月7日に設置したのですが、有料版なので契約期間は1年と決まっているのです。それ以上契約したいときは1年ごとに契約更新をすることになっています。それで、今週の月曜日に年会費を振り込み、契約更新をしました。そこで、「えりかの談話室」はもう1年間、使用できることになりました。

 …というわけで、「えりかの掲示板」はこの7日でめでたく開設2年となります。皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、昨日から急に暑くなってきましたね。昨日の明け方の雨もすごかったです。おかげで電車は止まるし、動いたと思ってもダイヤは乱れているし…。実は昨日は病院診察の日だったので、午後1時前に家を出て、出かけました。そうしたら暑くて暑くて、家から駅まで歩くのがしんどかったです。まだ体が暑さに慣れていないせいでしょうか。駅についたときは頭が痛くて、「早く電車に乗ってゆっくり座りたい」という気分でした。

 ところが、電車は15分ほど遅れていて込んでいました。当然座席もいっぱいです。「ああ、静岡まで30分立ちっぱなしか…」とうんざりしましたが、病院に行くのだから、気分が悪くなったらついでに診てもらえばいいか…と思ったりしました。でも、ラッキーなことに二つ目の駅で私が立っている前の座席が一つ空いたので、無事に座ることができました。良かった~。おかげで頭痛も治まりました。

 さて、そのようなわけで、2時前にだんなさんと静岡駅で待ち合わせ、まずランチを食べに行きました。久しぶりにあさりのスパゲッティを食べました。おいしかったです。そのあと買い物をして、バスに乗って病院へ行きました。

 さて、こちらの日記でも書いたのですが、前回の診察の時に抜き打ち的に血液検査をされ、しかもなぜかたくさん血を取られたのでちょっと気になっていたのですが、結果は思ったほど悪くなかったです。ただ、肝臓のガンマGOTの値がかなり高いです。私はアルコールはほとんど飲まないので、どうやら脂肪がたまっているらしいです。そのため中性脂肪も当然高いのですが、こちらはそれでも前回の検査の時より下がっていました。あと、貧血や腎臓の検査もして下さっていたみたいですが、こちらは異常なしとのことでした。

 そして嬉しいことに、血圧が117/60と、正常値になっていました。これには驚きました。でも、薬は続けるように言われたのでちょっと心配になり、「飲んでいることによって下がりすぎるのでは…」と聞いてみたのです。先生の話によると、100以下にならなければ大丈夫とのこと、あとはこのままの数値でしばらく行けば薬を減らすことも考えて下さるそうです。高血圧からはもうすぐ脱出できるかな?

 帰りは駅まで歩いたので、頭痛がぶり返しました。家に帰って少し寝たら治ったのですが…。
 今日もまた、昨日に劣らず暑かったです。私たちの部屋は南と西に窓があり、西日がまともに当たるために特に午後からはものすごく暑くなります。しかも2階建ての家の2階に住んでいるので、屋根にたまった熱もまともに受けてしまい、よけいに暑いのですよね。そのようなわけで今日は、1日中エアコンをつけていました。夕ご飯は冷や奴にしました。豆腐にショウガと削り節をかけ、しょうゆをかけて食べました。冷たくておいしくて幸せ♪やはり私は最後は食べ物の話になってしまうのね。


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末世炎上

2008-07-02 09:03:18 | 図書室3
 今回は、最近読んだ平安小説をご紹介します。

☆末世炎上
 著者・諸田玲子 発行・講談社
 価格・単行本=1995円 文庫版=880円

本の内容紹介
 豊かな髪を持つ美貌の娘、髪奈女。記憶を失った髪奈女を拾い上げた、うだつの上がらぬ役人、橘音近。名門に生まれながら、無為に遊び暮らす在原風見。付け火に怯え、末法思想の蔓延る平安京で、大掛かりな政治的陰謀に巻き込まれるなか、三人は、ぎこちなくも、自らの生きる道を選び出す。傑作時代青春小説。

*画像は、私が所持している文庫版です。

 講談社のメールマガジンでタイトルを見て興味を持ち、ネット上のレビューを読んで面白そうだと思ったので読んでみました。期待通り、大変面白かったです。600ページ余りある厚い本なのですが、すっかり引き込まれて1週間で読み終えました。読書のスピードが超遅い私には珍しいことです。

 この小説の主人公は衛門府の下級官人の橘音近、貧民の娘の髪奈女、在原業平の末裔である在原風見の3人で、時代は天喜六年=康平元年(1058)秋から1年間と、その9年後です。

 ではまず、簡単なストーリーを紹介しますね。

 都では放火が頻発し、衛門府の下級官人である音近は内裏の警備と放火犯人の探索に追われていました。しかし音近は出世欲もなく、仕事にも身が入らず、妻子からはそっぽを向かれ、鬱々とした日々を送っていました。

 一方、髪奈女は右京七条に住む名もない庶民の娘ながら、大変美しい髪を持っていました。
 その髪奈女はある日、浮浪児の少年から、一晩の宿を借りたお礼に「魔よけの筒」を渡されます。そして同じ日、河原で貴族の少年達にさらわれて乱暴され、うち捨てられてしまうのです。そんな彼女を救ったのが音近だったのですが、彼女はすべての記憶をなくしていました。ただ覚えているのは夢の中で呼ばれていた「吉子」という名前だけだったのです。そこで音近は彼女のことを「吉子」という貴族の娘だと思いこみ、彼女が持っていた魔よけの筒を手がかりに身元を探し始めたのでした。髪奈女も音近の助けを借り、記憶を取り戻そうとします。

 そしてもう一人の主人公、風見は、15歳になったというのに悪友たちと都をふらつき回り、悪事をはたらいたりして遊び暮らしていました。そんな彼の仲間には、伴善男の末裔の伴信人や、紀貫之の末裔の紀秋実がいました。ある日、信人と連れだって内裏に忍び込んだ風見は、殺人事件を目撃してしまいます。そこで風見はこの殺人事件に興味を引かれ、犯人探しに乗り出します。この一見関係ないと思われる二つの出来事が一つに重なり合うことになるのです。

 さて、次第に記憶を取り戻したかに見えた髪奈女でしたが、彼女の記憶は彼女自身のものではなく、「吉子」という女性のものだったのです。それとは知らず音近は吉子について色々調べていくうちに、この女性は200年前に実在した女官で、どうやら応天門の変に関わっていたらしいことがわかるのです。
 更に、満月の晩に民衆を集めて怪しげなお経を唱える御導師や、烏羽玉という謎の女も登場し、音近や髪奈女・風見たちと関わってくるのですが、彼らも200年前の人物の蘇りであるらしいこともわかってきます。このように、応天門の変、音近が探索している内裏の放火事件、風見が興味を引かれた殺人事件など、色々な出来事が複雑に重なり合い、物語が展開していきます。髪奈女が持っていた筒の正体は?吉子とはいったい誰なのでしょうか…。

ー以下、私がこの小説を読んだ感想です。少々ネタ晴れもありますのでご注意を…。

☆応天門の変
 この小説は上でも述べてきたように、フィクションや伝奇的要素の強い作品ですが、どうしてどうして、背景となっている歴史事項もかなりしっかりと描かれています。

 小説の下敷きになっているのは、清和天皇御代の貞観八年(866)に起こった応天門の変です。簡単に言えば、内裏の応天門が放火され、犯人として大納言伴善男が逮捕され、流罪になった事件ですが、犯人とされた伴善男は冤罪であるという見方も強いです。

 この応天門の変が起こった時代は、清和天皇の外祖父として栄華を極めた藤原良房が権力を握っている一方、文徳天皇の第一皇子であるにもかかわらず藤原氏との血縁関係がないために政界から排除されてしまった惟喬親王とその取り巻きたちも虎視眈々と復活をねらっていた時代でした。そして、小説の舞台となっている後冷泉天皇の世も、藤原頼通が権力を握っている一方、藤原氏を外戚に持たないために東宮累代の宝物である「壺切剣」も渡されず、不安定な立場であった東宮、尊仁親王がいました。もちろん、惟喬親王と尊仁親王を同列にするのはちょっと無理があるようにも思えますが、この小説で描かれているように、尊仁親王をおとしめようとする動きは実際にあったかもしれません。

 それはともかくとして、この小説では、後冷泉天皇の世で進行しようとしている東宮排除の陰謀事件を描きながら、200年前の応天門の変の謎を解いていくというスタイルで物語が進行していきます。応天門の変は謎が多く、今となっては真相は全くわかりません。応天門火災は放火ではなく単なる不審火で、他氏排斥をもくろむ良房がこの火災を利用しただけとも考えられますが、この小説で描かれた良房の陰謀による放火という見方も一つの仮説としては納得という感じがしました。

☆歴史好き・平安好きにとってたまらないこと、
・応天門の変の謎を解きながら、仁明・文徳・清和朝に生きた人たちについても触れられていて面白いです。業平や小町の和歌も引用されていますよ。

・大江匡房、源師房、藤原能信、藤原頼通がかなり重要な役どころで登場します。
 特に匡房は、音近と風見を結びつける重要な人物として描かれています。彼には今まであまり興味がなかったのですが、これを機にお近づきになってみようかなと思いました。ただ、頼通があまり良く描かれていなかったのはちょっと…。まあ、尊仁親王VS頼通という部分が多分にある小説ですから仕方がないですが。

・平安京の色々な通りの名前や建物が出てきます。
 髪奈女の記憶を取り戻させるため、音近の従者が髪奈女と一緒に平安京を歩き回るシーンなど、この小説は舞台が平安京全体に及んでいます。なので私も、登場人物と一緒に平安京を歩いている気分になりました。閑院、小野宮といった邸宅も物語の舞台となります。特に興味を引かれたのは、藤原氏の身寄りのない女性たちを収容していた崇親院です。ここに住む女性たちの暮らしぶりがリアルに描かれていて興味深かったです。

 以上、述べてきましたようにどちらかというと、平安時代の華やかな部分よりも、貴族たちの権力争いや、庶民たちの厳しい生活にスポットが当てられていますが、平安好きの方にはかなり満足できる小説だと思います。 

 そしてこの小説の一番の読みどころは、ストーリー展開の面白さではないでしょうか。このあたりは、特に平安好きでなくても充分楽しめると思います。一見関係ないと思われる事件が一つにつながり、大きな謎が解けていく後半はとても読み応えがあります。また、音近や風見、信人、秋実が悩みながら自分の生きる道を見つけていく姿はすがすがしいです。
 更にクライマックスは、髪奈女の記憶が戻るかどうかということですが…、私は「あのようなラストで良かった。」と思いました。やはり人は、与えられた環境で精一杯生きていくのが幸せなのかもしれません。読後感は少し切なく、それでいてさわやかで感動的です。お薦めです。

☆追記(2015年11月15日)

 7年ぶりに再読しました。

 初めて読んだときは、歴史的事項、平安京の様子、人々の暮らしに目が行ってしまったのですが、今回は純粋にストーリーを楽しみながら読みました。

 で、前半とラストのストーリーは覚えていたのですが、後半部分がすっぽり抜けていました。。
 髪奈女が小野宮で関白方の手にゆだねられたこと、そのあと、帝の行幸の日に起きた火事騒ぎに乗じて烏羽玉に救い出される所、放火の犯人として風見、信人、秋実が10日ほど楼に入れられる所などは全く記憶に残っていなかったので、初めて読むような気がして楽しかったです。

 そして何より、

 200年前の事件と現在(後冷泉朝)を重ね合わせて描いているところも面白かったです。特に、髪奈女が持っていた魔除けの筒の持ち主についても記憶がなかったのでああそうだったのか~音近の嫌みな部下は伏線だったのねと感心してしまいました。
 登場人物も生き生きと動き回っているのでそれぞれ感情移入できました。特に、音近の人の良さにとても好感が持てました。

 そして今回も読後感はさわやかでした。小野小町は無事に故郷に帰り、髪奈女は子供に恵まれて平穏な生涯を送り、音近と風見は後三条天皇の側近、更に天皇崩御後はその子白河天皇や孫の堀河天皇に仕えたのかもしれないと想像を巡らすことができました。

 この小説で扱っている時代、摂関政治が衰退し、院政に向かっていく時代のことももっと調べてみたいです。


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