平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

氷室冴子著「マイ・ディア」読了

2008-06-23 11:30:22 | 読書日記
 私は、平安時代の歴史や文学が大好きですが、それとは別に外国の家庭小説も大好きです。小学校の高学年から中学生時代は、そうした外国の家庭小説を好んで読んでいました。そして、「赤毛のアン」や「若草物語」や「あしながおじさん」を原書で読むのが夢でした。その夢は結局挫折しましたが、今でも特に、赤毛のアンシリーズ全10巻は大切な愛読書です。

 ところで…、私の好きなこの二つのもの、平安時代と外国の家庭小説を結びつけて下さっていらしたのが、先日逝去された氷室冴子さんだったのです。

 氷室さんは、「なんて素敵にジャパネスク」「ざ・ちぇんじ」といった平安時代を舞台にした少女小説の作者ですが、外国の家庭小説を紹介したエッセー、「マイ・ディア 親愛なる物語(角川文庫)」という本も出しておられます。この本のことは以前から知っていたのですが、絶版ということだったので購入をあきらめていました。ところが先日、氷室さんの逝去を知ったあとに、ネット上で著書を色々検索していて、この本のレビューにも行き当たったのです。レビューを読んで無性に読みたくなりました。だって、外国の家庭小説は私の少女時代の思い出がたくさん詰まっているのですもの。しかも著者はあの氷室さん…。そこで、ネット上の古書店を探し回り、やっと購入できました。そして、あっという間に読んでしまいました。

 この本では、「赤毛のアン」や「秘密の花園」のような有名どころだけでなく、「少女レベッカ」や「若草のいのり」のようなマイナーなものも紹介されていました。でも、だいたいの作品は読んだことがあるので、「そうそう、そんなお話だったのよね」となつかしく、うなずきながら読みました。
 ただ、正編は読んでいるものの続編は未読のもの、抄訳版で読んだために満足し切れていなかったものもいくつか紹介されていましたが…。氷室さんが絶讃していた「リンパロストの乙女」がそうでした。今回初めて知ったのですが、私が読んだ抄訳版、ラストの方のヒロインの恋愛のエピソードを丸ごとカットしてたんですね…。よって私は、ヒロインが最後にどうなるのかを知りません。これはぜひ完訳版を読まなくてはと思いました。

 こうしてみると氷室さん、私と同じようなことに興味がおありだったんだ~」と、何かとても親しみを感じました。逝去されてしまったことが改めて残念に思えます。

 なおこの本は、家庭小説の紹介だけでなく、氷室さんとご両親、・お姉様との暖かいエピソードなども盛り込まれています。文体も氷室さんらしくユーモラスで親しみやすいです。ご興味のある方、手に入りにくいかもしれませんがぜひ手に取ってみて下さいませ。

 ところで最近、私はこの「マイ・ディア」の他にも、行きつけの書店やネット古書店から色々な本を購入してしまいました。では、今月えりかが購入した本&近々購入する予定の本を…。

☆母の慟哭 中島道子著 夏目書房
 信長・秀吉・家康の母の生涯を描いた小説。個人的には、この3人の中では一番波乱に富んだ人生を送ったと思われる家康の母、お大の方に興味があります。

☆末世炎上 諸田玲子著 講談社文庫
 講談社のメールマガジンでタイトルを見て興味を引かれ、ネットで検索していくつかのレビューを見て面白そうだと思い、購入しました。伴善男が失脚した事件、「応天門の変」を、200年後の永承年間(後冷泉朝)の世から描いた平安サスペンス。現在読んでいますが面白いです。

☆アンのゆりかご 村岡恵理著 マガジンハウス
 今年は「赤毛のアン」出版百周年なので、アン関連の出版も目白押しです。源氏物語千年紀の「源氏物語」関連本の出版と共に嬉しい悲鳴を上げています。
 この本は、「赤毛のアン」を初めて日本語に訳なされた村岡花子さんの生涯を、お孫さんに当たる村岡恵理さんがまとめたものです。私が初めて読んだ「赤毛のアン」が村岡花子さん訳だったので、興味を引かれて購入しました。

☆こんにちは、アン (上・下) バッジ・ウィルソン/宇佐川晶子訳 新潮文庫
 「赤毛のアン」以前のアンを描いた小説だそうです。カナダではかなり評判が良かったとか…。アンがグリーンゲイブルスに引き取られる前の日常はかなり不幸だったと思うのですが、やっぱり読んでみたいです。7月1日発売なので、来月になったら本屋さんに走ります。楽しみ♪

☆トップページに戻る

カラオケボックスでお誕生会

2008-06-18 20:55:05 | えりかの平安な日々 04~09
 今日は友人二人とカラオケボックスに行って来ました。

 それで、友人の一人がカラオケボックスの会員になっている上に誕生日が近いため、バースデーサービスということでケーキとシャンパンをサービスしてもらいました。

 写真はそのバースデーケーキです。ろうそくの火がついているときにも写真を撮ったのですが、失敗してしまいました~。それでろうそくはすでに消えてしまっていますが、豪華なケーキでしょう?スポンジの部分はチョコレートが入っていておいしかったのですが、クリームがちょっと甘かったです。それでもおいしく頂きました。
 シャンパンはあまりアルコールがきつくなく、炭酸のジュースのような感じでしたが、飲んだら少しテンションが高くなってしまったような…。やっぱりちょっと酔っぱらってしまったかもしれませんね。

 あ、もちろん、カラオケも楽しみました。多分、12、3曲は歌っていると思います。

 今日の収穫はmisiaの「果てなく続くストーリー」、2002年のソルトレイク冬季オリンピックの時、NHKで流れていた曲と言えば、「ああ」と思い出される方もいらっしゃるかもしれません。この曲は大好きなのですが、キーが高い上にスローテンポで息継ぎが難しそうだったので敬遠していました。それで今日、初めて歌ってみたのですが、意外と歌いやすかったです。これからレパートリーにします♪

トップページに戻る

新緑の京都で装束体験 もくじ

2008-06-16 12:56:49 | 旅の記録
 このページは、「新緑の京都で装束体験(2008年5月16日)」のもくじのページです。各項目に直接ジャンプできますのでご利用下さい。「旅行記の第1回を読む」→「ブラウザの戻るでこのページに戻る」→「旅行記の2回目を読む」というように、旅行記を順番に読むこともできます。

 また、他の旅行記のもくじのページへのリンクも貼ってあります。


1.源氏物語千年紀展

2.十二単体験

3.昼食・お買い物

4.平安邸宅巡り

5.帰り



☆日帰り京都旅行2005年夏 もくじ

 2005年8月23日、当時京都文化博物館で開かれていた風俗博物館出張展示を観に行って十二単を体験し、その後、法住寺と三十三間堂を巡ったときの旅行記です。


☆京都1泊旅行2006年春 もくじ

 2006年4月6日・7日の京都1泊旅行の旅行記です。1日目には風俗博物館に行き、そのあと下鴨神社で平安装束を体験しました。2日目は京都御所、紫式部の墓、雲林院などを巡りました。


☆掛川城散歩 もくじ

 2006年9月14日、当時放映されていたNHK大河ドラマ「功名が辻」の舞台ともなった掛川城を訪れたときのミニ旅行記です。

☆日帰り小旅行 三島編 もくじ
 2007年1月16日、当時三島市の佐野美術館で開かれていた「よみがえる源氏物語絵巻 ー平成復元絵巻のすべて」の展示を見に行き、三島大社を参拝したときの旅行記です。

☆晩秋の京都へ
 2007年11月24日、風俗博物館に行ったあと、枳殻邸(渉成園)で紅葉を堪能し、西陣・斎院御所跡を訪れたときの旅行記です。

 ☆トップページに戻る

帰り ~新緑の京都で装束体験5

2008-06-16 12:48:42 | 旅の記録
 私たちは平安邸宅巡りを終え、烏丸御池駅より地下鉄に乗り、京都駅に向かいました。京都にはしょっちゅう来ているのに、地下鉄に乗るのは久しぶりです。10年ぶりくらいかも…。何かとても新鮮な感じがしました。

 京都駅に着き、改札の前でなぎさん、ろすまりんさんとお別れしました。今日は1日、楽しい時間をどうもありがとうございました。

 新幹線の時間までまだ間があったのですが、改札の中にある店で買い物をしたかったので、中に入ることにしました。まず、いつも楽しみにしている京漬け物を購入。今回はゆず大根と千枚漬けを買いました。では、ゆず大根の写真をどうぞ。


        


 このゆず大根、甘みと酸味と辛みがほどよくてとってもおいしいのです。

 それから夕食用のお弁当を買ってホームに上がりました。ホームには修学旅行の中学生であふれていました。どうやら私たちと同じ新幹線に乗るようです。ひょっとして私たちと同じ車両なのでは…?2年前の京都旅行の帰りの新幹線で、韓国からの団体さんと遭遇してしまったことを思い出し、ちょっとひやっとしましたが、私たちの2、3両前の車両に乗るようだったのでほっとしました。

 そんなわけで新幹線のこだまに乗り込んだ私たちです。日帰りでちょっとあわただしかったけれど楽しい1日でした。今度はいつ京都に来られるかしら…。

 新幹線に乗ると突然眠気が…。考えてみると今日は、昼食時を除くとずっと歩きっぱなしか、重い十二単を着ていたかのどちらかでしたので。私の携帯電話には歩数計がついているのですが、確認してみると12000歩を超えていました。疲れるわけだ~。と言うわけで、掛川までの2時間、うとうとしたりゆったりとくつろいだりしていました。そして掛川駅で降りると、さっき京都駅のホームで見かけた修学旅行の中学生たちにばったり。地元の中学生だったのねとちょっと驚きました。

 家に帰り着いたのは夜の9時前、荷物を下ろしたあと、お楽しみのお弁当を食べました。私の買ったお弁当は昨年11月の日帰り京都旅行の時と同じ、「京の町」です。その時の旅行記にも写真を載せたのですが、今回も載せておきますね。


        


 ご飯もおかずもおいしかったです。おいしい物を食べるとやっぱり幸せ♪

 夕食後、ネットサーフィンをしている途中、友人の日記にて、京都文化博物館の前進である平安博物館の館長をなさっていたこともある角田文衞先生の訃報を知り、大変驚きました。そう言えば高倉宮の発掘の際にもご尽力なさったことなど、今日の旅行の時にも折に触れてお名前を思い出していました。でも、その角田先生がすでに亡くなっていたなんて、夢にも考えませんでした。
 角田先生の著書は内容が専門的であるにもかかわらずとてもわかりやすく、私のような素人にも楽しく読めるので愛読していました。また、先生の監修なさった「平安時代史事典」には、ブログの歴史記事を書く上で大変お世話になっています。これからも先生のご著書は愛読したいですし、お世話にもなると思います。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。(合掌)

               「新緑の京都で装束体験」 終わり

☆トップページに戻る

平安邸宅巡り ~新緑の京都で装束体験4

2008-06-13 11:18:56 | 旅の記録
 お買い物のあとは、なぎさん、ろすまりんさんと一緒に、京都文化博物館の周りの平安時代・源氏物語関連の邸宅巡りに出かけました。と言っても遺跡はほとんど残っておらず、案内板や石碑のみがその痕跡を伝えているだけなのですが、色々妄想できて楽しかったです。

 ではまず、現在、京都文化博物館が建っているあたりにはどんな邸宅が建っていたのかを紹介しますね。

 京都文化博物館の建っている場所は平安京の住所でいうと、北側を姉小路(現在の姉小路通)、西を東洞院大路(現在の東洞院通)、南を三条大路(現在の三条通)、東を高倉小路(現在の高倉通)に面した左京三条四坊四町になります。

 このあたりは、「源氏物語」では、紫の上の祖父、按察使大納言の邸宅(紫の上が光源氏の二条院に引き取られるまでを過ごした邸宅)があった場所だそうです。「若紫」の巻に、光源氏が、紫の上の祖母を見舞う場面や、その祖母を失ったばかりの紫の上を訪ね、強引に彼女の御帳台に入って添い寝をするという場面がありますが、ここが舞台だったのですよね。
 また、薫が浮舟を引き取るために用意させていた三条の邸宅がここだったという説もあるそうです。

 史実では、平安末期に以仁王の御所、高倉宮があった場所として知られています。その高倉宮に関してはのちに述べるとして、まず京都文化博物館のあった所から姉小路(現在の姉小路通)を挟んだ北隣にあったとされる在原業平の邸宅に行ってみました。

 在原業平(825~880)
 平安時代の歌人、六歌仙の一人。平城天皇の皇子、阿保親王の五男として生まれ、2歳で在原の姓を賜って臣籍に降下しました。言わずと知れた「伊勢物語」の主人公に擬せられている人物で、二条の后藤原高子や、斎宮恬子内親王との恋で有名です。最終官職は従四位上右近衛権中将美濃守。

 そんな在原業平の邸宅は、西に東洞院大路(現在の東洞院通)、北に三条坊門小路(現在の御池通)、東に高倉小路(現在の高倉通)に囲まれた左京三条四坊三町にありました。邸宅の場所を示す案内板は御池通沿いに建っています。


        


 在原業平は大好きな人物なので、彼の邸宅に来ることができて幸せでした。(^^)

 なお、ここから南にまっすぐ1キロあまり行った所にあったのが、当時、藤原高子がおばの藤原順子と住んでいた東五条第で、業平と高子のロマンスの舞台になった邸です。

 さて、在原業平の邸宅から御池通を挟んだ北側、東を高倉小路(現在の高倉通)、北を押小路(現在の押小路通)、西を東洞院大路(現在の東洞院通)に囲まれた左京三条四坊二町は、「源氏物語」の女三の宮の三条宮があった場所とされています。女三の宮は光源氏の死後にここに移り、仏道三昧の日々を送ったとされています。そして、女三の宮の息子の薫も、ここに住んでいたということです。

 史実では、一条天皇の中宮(のちに皇后)の定子が、敦康親王と(女美)子内親王を生んだ竹三条宮があった場所です。ここは定子中宮の中宮大進、平生昌の邸宅で、「枕草子」に、定子中宮の行啓の際、中宮の入る東門は立派な四足門にしてあったのに、女房の入る北門は狭すぎて車が入らず、女房たちは仕方なく車から降り、歩いて邸の中に入らなければならなかった話が記述されています。

 さて、このあたりでまた、京都文化博物館の方に戻ってみましょう。博物館のそばには、以仁王の高倉宮があった場所を示す石碑が建っています。


        


 この高倉宮は、後白河天皇の第三皇子、以仁王の御所でした。ここは元々、権大納言藤原季成(藤原公実の子)の邸宅で、後白河天皇の寵愛を受けた娘の成子の里第でした。成子は後白河天皇との間に以仁王を初めとする6人の子をもうけました。しかし、皇子の一人は仁和寺へ入り、皇女たちは斎宮や斎院に僕定めされ、以仁王も一時園城寺に入っていましたが還俗したため、この邸に残ったのは結局、以仁王だけでした。そのため、以仁王の御所となったわけです。

 以仁王は治承四年(1180)五月、源頼政とともに平家打倒の兵を挙げました。当然、高倉宮にて挙兵計画が立てられたと考えられます。この挙兵は失敗に終わるのですが、以仁王の「平家を打て」という令旨は、諸国の源氏を立ち上がらせるきっかけとなりました。つまり、壇ノ浦合戦へと続く源平合戦はここから始まったとも言えそうです。そう考えると、高倉宮址は歴史を変えた重要な場所なのですよね。

 さて、高倉宮址から東洞院大路(現在の東洞院通)を渡った西側、北を姉小路(現在の姉小路通)、西を烏丸小路(現在の烏丸通)、南を三条大路(現在の三条通)に囲まれた左京三条三坊十三町は、白河法皇の御所、三条東殿があった場所です。
 ここは元々、播磨守藤原家保の邸宅で、彼が白河法皇の命で造進したものです。これは、家保の祖母が法皇の乳母、藤原親子であったことが関係しているようです。

 三条東殿はその後、法皇の養女で鳥羽天皇の中宮であった待賢門院璋子に伝領され、さらに彼女処生の統子内親王(のちの上西門院)に受け継がれました。たびたび火災にもあいましたが、平治の乱の斎、源義朝の襲撃を受けたことは、「平治物語絵巻」にも描かれて有名です。

 そして更に西に向かい、烏丸小路(現在の烏丸通)を渡った所、平安京の住所で言うと、北を姉小路(現在の姉小路通)、西を室町小路(現在の室町通)、南を三条大路(現在の三条通)に囲まれた左京三条三坊十二町にあったのがやはり白河法皇の御所、三条西殿です。烏丸通りを渡って地下鉄烏丸御池駅を少し南に下がったところに石碑も建っていました。


        


 三条西殿は元々、白河法皇近臣の藤原基隆から法皇に進上されたものです。その後は待賢門院璋子の行啓も多く、彼女の里第のような形になっていました。璋子が顕仁親王(のちの崇徳天皇)を出産したのもこの御所です。
 璋子は先にも書いたように白河法皇の養女となり、鳥羽天皇の中宮となった女性ですが、白河法皇ともただならぬ関係だと噂されました。そのため、顕仁親王は法皇の子だという説もあります。それでも法皇の生存中は鳥羽天皇との仲もうまく行っていたらしく、璋子はこの御所の寝殿に、白河法皇は西の対に、崇徳天皇に譲位して上皇となった鳥羽上皇は東の対に住んでいたこともあったようです。

 法皇の崩御後は東殿と同様に璋子や統子内親王に伝領されますが、長承元年(1132)に消失、康治2年(1143)に再建されますが2ヶ月後に再び消失してしまいます。その後30年近く再建されなかったのですが、承安二年(1172)に藤原成親の功によって再建、後白河上皇と建春門院滋子の御所となりました。このように三条西殿は、院政期の三代の上皇と、女院たちが住んだ重要な邸宅だったのですよね。

 こうして平安邸宅巡りを終え、地下鉄の烏丸御池駅より地下鉄にて京都駅に向かった私たちです。短い間でしたが、平安邸宅巡りができて嬉しかったです。今度こちらに来ることがあったらまた色々妄想できそうです。案内して下さったなぎさん、改めましてどうもありがとうございました。

参考文献
 「平安時代史事典 CD-ROM版」 古代学協会 古代学研究所・編 角田文衞監修 角川学芸出版
 「京都源氏物語地図」 社団法人紫式部顕彰会・編纂 角田文衞・監修 加納重文・編集責任 思文閣出版

☆トップページに戻る

ホテルでランチ♪

2008-06-10 20:12:34 | えりかの平安な日々 04~09
 今日は、だんなさんや友人たちと、ホテルでランチを食べてきました。せっかくなのでグルメレポートします。(^^)

 まず、メインはこんな感じ。これにご飯と赤だしのみそ汁、漬け物がつきました。


  


 お料理は上の段、左から

 ホタテと野菜のサラダ。ホタテが好きなのでおいしかったです。
 しらすのおろし和え。さっぱりしていて良かったです。
 お刺身。まぐろやたいなどが入っていたと思います。

 下の段、 左から

 天ぷら。揚げたてはやっぱりおいしい~。
 オードブル サツマイモの煮物やエビ、卵焼きなどが入っていました。
 魚の煮物。味つけがほどよくておいしかったです。私にはこういう味は出せません。

 そして、デザートにスイートポテトがつきました。


        


 サツマイモで作ってあると思うのですが、ケーキのような感覚でおいしく頂きました。

 そして、もう一つデザートが出ました。実はこれがすごく楽しみだったのです。やっぱり私はスイーツが好きなのね。


        


 イチゴのショートケーキです。やっぱりおいしい~。(^_^)/ホテルのケーキだけあって手作りという感じがしました。

 何よりも、大勢でおしゃべりをしながらのランチはとても楽しかったです。皆様、楽しい時間をどうもありがとうございました。

☆トップページに戻る

まだ半分信じられないのですが…

2008-06-07 10:46:19 | 読書日記
 先月の角田文衞先生の訃報はとてもショックでした。掲示板にも書きましたが、拙ブログでも先生の著書をいくつか紹介していますし、歴史記事を書くときにも大変参考になっています。先生の著書は初心者にもわかりやすく、興味深く書かれているので大好きでした。まだまだ未読の著書もたくさんありますが、これから少しずつ読んでいきたいと思っています。

 そんな平安時代を愛する角田先生の逝去からまだ間もないのに、昨日、信じられないショックなニュースが飛び込んできました。

 「なんて素敵にジャパネスク」の著者、氷室冴子さんが肺ガンのため逝去されたというのです。まだ51歳の若さだそうです。信じられませんでした。
 しかも肺ガンだったというのが何かショックで…。一昨日まで、地元の放送局が「白い巨塔」の平成版を再放送していて、私はかなり夢中になってみていました。平成版では、主人公の財前医師は肺ガンで亡くなるので、進行してしまった肺ガンの恐ろしさを痛感したのですよね…。平安時代を愛する氷室さんも、その肺ガンで亡くなってしまったなんて…。そんなわけで、昨日はショックで文章をまとめることができませんでした。

 実は2~3日前、拙ブログの「こちら」「こちら」の記事を読み返していました。その記事の中で私は、「なんて素敵にジャパネスクはあそこで完結しているのでは。あとは、自由に想像すればいいのかな」という趣旨のことを書きました。でも読みながら、「もしかすると氷室さん、いつか続編を書いてくれるのかも?突然、第9巻か番外編が出るかもしれない。情報を見逃さないようにしなくては」と思ったのです、その時に…。でも、私がそんな思いを抱いているとき、氷室さんはすでに危篤だったのかもしれません。そんなこと、夢にも思いませんでした。もう続編が出ることは絶対にないのだ…と思うと寂しくてなりません。

 私は氷室さんの作品は「なんて素敵にジャパネスク」と「ざ・ちぇんじ」、それに自伝的小説の「いもうと物語」しか読んでいませんが、どれもストーリー展開が面白く、登場人物の描き方もすばらしいです。特に「なんて素敵にジャパネスク」は、ここ5年間に読んだ小説では一番はまった作品です。まだ信じられない気持ちはありますが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

☆トップページに戻る
 

お出かけの日

2008-06-06 23:00:00 | えりかの平安な日々 04~09
 今日は久しぶりにとてもいい天気でした。こういう日は気分も晴れ晴れします。

 さて、今日はお昼からお出かけ。お昼前に静岡駅でだんなさんと待ち合わせて、駅構内のレストランでランチを食べました。私はあさりのスパゲッティーのセット、だんなさんはアスパラとあじのトマトスパゲッティーのセットを注文しました。貝類は大好きなのでおいしかったです。だんなさんのスパゲッティーは、生麺で作ってあるということでちょっともらってしまったのですが、きしめんのようなスパゲッティーでした。こちらもおいしかったです。今度、このお店に来たら私も頼んでみようと思いました。

 ランチのあとはお買い物。今夜のおかずと、静岡でしか買えない生ラーメンとスープ、それにロールキャベツを買いました。そのあとバスに乗って、2週間~4週間に1回の割合で受けている私の病院診察に行ってきました。そうなんです、体調を崩して初めて受信してからもう1年近くになるのですが、まだ通院しているのでした…。今回は2週間ぶりの診察です。

 それで、前回から高脂血症の薬が新しいものになったため、予告なしに血液検査をすることに…。しかもいつもよりたくさん血を抜かれました。当然、検査料も高かったです。どうしてなのかな?と思ったのですが、食事をしてきてしまったので、色々と詳しく検査をするのかもしれません。結果を聞きに来るのは4週間後でいいと言われたのですが、あまりひどい結果だったら早めに連絡が来るそうです。4月に検査したとき、脂肪と肝臓の値が高かったのでちょっと心配です。どうかいい結果が出ますように!

 あ、問題の血圧の方は130~140で落ち着いています。私にははっきり知らされていなかったのですが、私がこちらを受診したばかりの時は180くらいだったこともあったそうです。それに比べればだいぶ良くなっていますが、薬は続けるように言われました。
 そのせいか、体調の方も、昨年の今頃に比べたらものすごくいいし、気力、やる気も充分です。なのでそれほど悪い結果は出ないと思っているのですが、さてさて…。

☆トップページに戻る

昼食・お買い物 ~新緑の京都で装束体験3

2008-06-06 10:05:13 | 旅の記録
 さて、平安装束体験のあとは、みんなで食事に行くことに。それで、どこに行こうかということで、ヨウダさんが提案したのが京都文化博物館の1階にある鳥彌さんでした。この名前を聞いて私はぴんと来ました。3年前の夏、やはりここ、京都文化博物館で装束体験をしたときに、昼食を食べたお店なのです。(「こちら」の記事参照)

 それで、あの時と同じく、お店の入り口を入ってから左側の階段を降りたところにあるお座敷「あざみ」で食事をすることになりました。ただ、3年前と違っていたのは、テーブルといすがあったこと、あの時は座布団だったのです。私は足をねんざしたことがあるせいか座布団は苦手なので、この方がありがたいです。

  では、私の頼んだ「嵐山御前」の画像をどうぞ。


      


 3年前にこちらで食べた天ぷらがおいしかったのを思い出し、このセットにしてしまいました。天ぷらのほか、お刺身、厚焼き卵などがついていました。おいしかったです~。

 それに、食事をしながら、皆様と楽しくお話もできました。ありがとうございました。(^_^)/

 食事のあとは、1階のロビーにて源氏物語千年紀展の図録を購入。ずっしりと重い本ですが、思ったより安価でした。


         


 今回の展示の内容がたくさん載っています。家でも堪能できるので楽しみ♪

 そのあと、一応解散となりました。皆様、楽しい時間をありがとうございました。

 私はだんなさんと一緒に、3階の売店へ。なぎさん、ろすまりんさん、くたくたさんと売店で再会しました。売店には、源氏物語関連の本がたくさん売られていました。思わず手が出そうになりましたが、最近また本を買いすぎているので我慢しました。その代わり、くたくたさんお薦めのオリジナル扇子を購入しました。


         


 開いてみるとこんな感じ。お香をたきしめてあるようで、いい匂いがします。


         


 金色できれいです。この扇子を右手で持って顔を隠すしぐさをしたら、平安気分に浸れそうです。

☆トップページに戻る

小袖日記

2008-06-02 12:16:19 | 図書室3

          

*画像をクリックすると、アマゾンでの紹介ページに飛ぶことができます。
このサービスは、Amazonと協定している「ブクログ」を利用しています。↑のリンク先の紹介ページから「小袖日記」をお買いあげの場合は、「ブクログ」の収益となります。


 今回は、最近読んだ異色の平安小説を紹介します。

☆小袖日記
 著者・柴田よしき 発行・文藝春秋 価格・1600円

本の内容紹介
 不倫に破れて自暴自棄になっていたあたしは、平安時代にタイムスリップし、『源氏物語』を執筆中の香子さまの片腕として働くことに…。平安の世も、現代も、女は哀しくて強い―。「夕顔」「末摘花」「葵」「明石」「若紫」をめぐる物語。


 この小説を歴史・時代小説に入れるのは異論があるかもしれませんが、一応、平安時代が舞台であり、「源氏物語」をあつかっているので、ここで紹介することにしました。

 主人公は現代の京都に住む29歳のOLの「あたし」です。会社の上司との不倫に破れ、自暴自棄になり、「死んでやる!」と思った「あたし」は、ふとしたことから平安時代にタイムスリップしてしまいます。そして、小袖という名の17歳の少女の体内に入ってしまうのです。
 そんな「あたし」に目をかけてくれるのが「源氏物語」を執筆中の香子さま(紫式部)。そこで「あたし」は、香子さまのアシスタント役となり、「源氏物語」のモデルになりそうな女性たちのもとに取材に行き、物語のネタを提供していく…というのが、この小説のストーリーです。

 この小説を読み始めたところ、平安時代の歴史が好きな私としては「あれ?」と思う点が所々ありました。彰子が中宮だった時代の左大臣は藤原道長のはずなのに、道長はすでに太政大臣、左大臣と右大臣は別に登場し、それが歴史上の人物たちとはまるで関係ない人のようなのです。左大臣の息子なども登場しますが、当然、歴史上の人物に該当する人が見あたりませんでした。

 ただ、夕顔のモデルになった女性の恋人であり、光源氏のモデルであるらしい胡蝶の君という人物は、天皇家の血を引いていることなどから具平親王なのかな?と思いましたが、物語が進むにつれ、そうではないらしいとわかります。そして、「あたし」がタイムスリップをしてきた平安時代は現代よりも重力が小さい、つまり現代とはつながっていないらしいと実感する、すなわちこの小説は史実の平安時代を描いているのではなく、完全なフィクションなのです。そう思うと道長が左大臣でないことも妙に納得しました。

 それはともかく、現代の女性が突然、平安時代にタイムスリップした事への驚きやとまどいが面白かったです。周りはみんなおかめ顔、そして独特のにおいがします。食事は質素で、「スイーツが食べたい」と思ってもそんなものは平安時代にはない、そのため「あたし」は唐菓子をいつもふところに入れています。
 用事をしながらついつい小柳ゆきのバラードを口ずさんでいると、突然香子さまが忍びより、「悪霊がついた」と大騒ぎ、たちまち加持祈祷が始まってしまいます。確かに、平安時代の人たちにとっては、今の流行歌は奇妙に聞こえるのだろうなあ。「平安時代のメインストリートは今の千本通り、つまり平安京の中心地は今の市街地よりも西にずれている感じ」など、平安京と今の京都の地理を対比させる描写も興味深く感じました。

 でも、この小説の読みどころはやっぱり、著者による「源氏物語」の新しい解釈がストーリーに盛り込まれているところだと思います。「こんな解釈ができるんだ~」とうならされます。夕顔や葵の上の死の原因など、「そういうのもありかもしれない」と納得しました。そして、千年経っても変わらない女性の哀しみや強さ、男性のエゴ、さらには男女の愛の不可思議さも描かれています。「源氏物語」と同じく、魅力的な女性も登場します。特に、六条御息所のモデルとなった女性が素敵でした。

 そして最大のクライマックスは、「あたし」が現代に戻れるかどうかということですが、「あたし」はある日、小紫という、紫の上のモデルになり得るような少女と出会い、思いがけない話を聞かされることになります。それがどんな話かはネタ晴れになるのでここには書きませんが、小説のラストはとてもさわやかでした。「辛いことがあっても自分の人生を強くたくましく生きなくちゃ」という気持ちになります。切ないけれどさわやかな風が吹いている、この小説はそんな一編です。

トップページに戻る