平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

一豊と千代の結婚 ~「功名が辻」感想

2006-01-31 13:38:21 | 歴史雑記帳
 不定期更新の、大河ドラマ「功名が辻」の感想です。

 かなり強引な設定だと思う部分もちらほらありますが、今のところはかなり面白いです。何よりも、キャラクター一人一人の性格が個性的にはっきりと描かれているのが良いと思います。個人的には特に秀吉が良いなと…。人豊の2人の家臣も漫才のように面白いですし、不破市之丞もなかなか愛すべきキャラクターです。このあたり、やっぱり役者さんの演技のうまさも大きく影響しているのでしょうね。

 ただ、第4回の放送ではつっこみ所もありました。

 稲葉山城を陥落させる際、秀吉は西美濃三人衆と呼ばれる稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就を諜略によって織田方に寝返らせています。しかし、ドラマではそのあたりが無視されていました。これはいかがなものでしょうか?

 というのは、千代のおじさんの不破市之丞、「不破」という姓を考えると西美濃に領地を持っていたのではないかなと考えられるからなのです。つまり、千代のおじさんは西美濃三人衆の誰かに帰属していたのではないかなと思うのです。
 実際、どらまでは市之丞と親しいという設定になっていた竹中半兵衛は、西美濃三人衆の一人である安藤守就の婿なのです。だから市之丞も稲葉山城落城前に織田方に帰属していたのでは…?つまり、市之丞が妻や千代を連れて稲葉山城に籠城する……なんてことはあり得ないと思うのですが。

 しかし、ドラマであえて千代を稲葉山城に籠城させた理由は、一豊と炎の中で愛を確かめ合うという名シーンを作りたかったからなのでしょうね。この2人、お互いに愛し合っていながら敵味方に別れ、長い間寂しい思いをしていたのですから。かなり強引な設定でしたけれど、ドラマとしては面白かったです。

 そして、市之丞の邸の焼け跡から見つかったのが金十両…。西美濃はすでに織田方に帰属しているのですから、市之丞の邸が焼き払われるということは実際はないと思うのですが、これも物語をドラマティックにする演出なのでしょう。この十両で、千代は将来、一豊のために馬を買うことになるのですが、この有名な伝説が今回のドラマでどのように料理されるか、楽しみです。

 さて、前回の感想でも書きましたが、司馬さんの原作は一豊と千代の結婚から始まっています。そしてその結婚の時期は、今回描かれていた通り、信長が美濃に移った直後……ということになっていました。それもあって、ドラマでは少々強引な持っていき方で、2人を結びつけたのだと思います。
 いずれにしても、これからはいよいよ原作を脚色したドラマの始まりということになります。司馬さんの原作をどのように膨らませていくか、一豊と千代がどのように描かれるか、楽しみにしています。


☆リンク1軒追加のお知らせ☆
 ブックマーク欄のリンクに、里江さんのサイト「平安奏華」を追加させていただきました。里江さんは掲示板にもよく書き込んで下さったり、かわいい猫ちゃんのお写真を送って下さったりしていました。そして、このたびホームページを開設されました。
 歴史と旅行が好きな里江さんが、旅先で撮影なさった写真を掲載しています。またこれからは、かわいい猫ちゃんやワンちゃんの写真も載せていくそうです。私は猫好きなので、そちらも楽しみにしています。これからの発展に期待していますね。

車屋さんで出会った子猫 by里江さん

2006-01-30 00:00:00 | 美術館
 「平安奏華」の里江さんから子猫ちゃんの写真を頂きました。
 我が家の小さなエリカも「お友達ができた♪」と喜んでおります。

 上の写真の子猫ちゃんは、里江さんがご主人と一緒に、広島県と島根県の県境付近にある「三次風土記の丘」に行ったついでに、ご主人行きつけの車屋さんに寄った折に出会った子猫ちゃんだそうです。この写真、撮るのに苦労したそうです。子猫ちゃんが里江さんの携帯ストラップにじゃれついて大変だったとか…。子猫というのは好奇心旺盛で、珍しい物を見るとすぐにじゃれついてしまうのですよね~。我が家のエリカも子猫の時そうでしたから、よくわかります。ちなみにエリカが子猫の時じゃれついたものは、私の服のボタン、私の髪の毛をしばってあるゴム、ポケットティッシュの袋などでした。

 こんな風にいたずら者でも、子猫ってとってもかわいいんです。まるでぬいぐるみみたいに小さくて、思わず抱き上げてなでなでしたくなります。それにこの写真の子猫ちゃん、のどかな顔をしていますよね。写真を見てとってもいやされました。里江さん、素敵なお写真をどうもありがとうございました。

*この写真の著作権は里江さんにあります。無断転載は絶対にしないで下さい。

☆里江さんのサイト「平安奏華」はこちら

今日は誕生日♪

2006-01-27 19:48:07 | えりかの平安な日々 04~09
 今日は、私の??回目の誕生日♪もう、お祝いなんてしてもらえないような年齢なのですが、今年も、「誕生日が嬉しい♪」と思えたことに感謝。

 そこで今日は、だんなさんと静岡でランチをすることにしました。今日は、だんなさんは病院の日なので一足先に静岡へ。私は、朝食の片づけや朝のホームページ巡りをしたあと、大好きな竹内まりやさんのCDを聞きながらゆっくりと出かける仕度をしました。

 お昼前に家を出て電車で静岡へ行き、まず向かった先は駅ビルの5階にある行きつけの美容院です。前髪が伸びすぎて困っていたので、美容院で切ってもらおうと思ったのです。ついでにシャンプーもしてもらい、後ろ髪も15センチ切りました。それでも背中の真ん中当たりまで髪が伸びていました。ほっとしました~。

 髪の毛を切ってもらいながら、美容師さんと京都や装束体験の話で盛り上がってしまいました。やっぱり京都や装束体験は若い女性のあこがれなのですね。
 私の隣のお客さんを担当していた美容師さんはかなりの京都通とのことで、年に2~3回行くのだそうです。御室の仁和寺の遅咲きの桜のこともちゃんとご存知でした。そして、その方の情報によると、現在、西本願寺と東本願寺が改修工事中なのだそうです。気をつけなくては…。
 西本願寺の名前が出たので、風俗博物館さんを宣伝してしまいました。風俗博物館さんのある井筒南店ビルは、西本願寺の斜め向かいですから…。お二人ともご存知なかったようで、「装束体験ができるならぜひ行ってみたい!」とおっしゃっていました。

 美容院が終わったあとは、だんなさんとイタリアンのランチを食べてきました。だんなさんはハヤシライス、私はエビのクリームスパゲッティーを食べました。おいしかったです。

 そしてランチのあとは書店にて、「もっと知りたい源氏物語(大塚ひかり著 日本実業出版社)」という本を買ってもらいました。
 この本は、なぎさんのブログ「晴れのち平安」で1月25日に紹介されていました。そして、ずっと以前から書店に置いてあるのを見て気になっていた本でもありました。なぎさんが目次を紹介されているのを見て、「面白そう!!」と思ったので買ってもらうことにしました。「源氏物語」関連の本はかなり読んでいますけれど、新しい本が出るとつい読みたくなってしまうので不思議です。それだけ「源氏物語」は奥が深く、色々な解釈ができる作品なのでしょうね。1000年も読み継がれている理由がわかるような気がします。

 サンドイッチとチキンを買ってきたので、夜食にいただく予定です。楽しみです~。夜食を食べると太ると言いますが、せっかくの誕生日ですもの。このくらい良いですよね。

異文・業平東国密行記

2006-01-25 00:12:16 | 図書室3
 今回は、あまり歴史小説に取り上げられることのない9世紀半ばを扱った小説を紹介します。

☆異文・業平東国密行記
 著者・中園英助 発行・新人物往来社 定価・1800円

ーオビに書かれた本の紹介文引用ー

 在原業平の「東下り」は蝦夷偵察行だった!

 「伊勢物語」に秘められた謎を、現地取材とともに解き明かす、著者渾身の歴史紀行推理。

              ー引用終了ー

 題名や本の紹介文でおわかりのように、在原業平を主人公にした小説です。

 皇族の血を引く在原業平は、30歳を過ぎても従五位下・左近衛少監という官位に甘んじていました。そして、彼が得意なことは歌を詠むことでした。
 業平は、右大臣藤原良相の娘で文徳天皇の女御だった多賀幾子の四十九日法要に参加したり、異母弟の惟仁親王が清和天皇として即位したために皇位の望みを絶たれた惟喬親王のお供をして狩りに出かけたりと、当時の権力者であった摂政藤原良房とは対立する勢力に接近していました。

 そんなある日、業平は五節の舞姫に選ばれたある女性を見そめます。彼女の名は藤原高子、摂政良房の姪で、将来清和天皇に入内させようと、良房が大切に大切にかしずいていた姫でした。
 しかし、業平は高子の女房の手引きで、彼女の寝床に忍んでしまいます。業平は高子に夢中になり、ある夜彼女を邸から連れだしてしまいます。しかしたちまち追っ手(高子の兄の基経や国経)に捕まってしまい、2人は引き裂かれてしまいました。

 その翌年の貞観四年(862)、業平は突然昇叙されて従五位上となり、東国への旅に出発することとなります。これには、良房の「后候補者に手を出した業平を都から追い出す」という思惑が込められていました。そして、朝廷からの表向きの命令は「東国の歌枕を観て参れ。」、でしたが、良房と対立する藤原良相からは「東国や陸奥の蝦夷の動きを探索せよ。」という密命を帯びていたのです。しかしそれとは別に、業平には大いなる野望があったのでした。……

 以上がこの小説の序盤のあらすじですが、当時の在原業平を取り巻く情勢をもう少しお話ししますね。この小説のネタばれも含まれていますのでご注意を…。

 上で名前を挙げた惟喬親王は、実は文徳天皇の第一皇子でした。清和天皇となった惟仁親王は文徳天皇の第四皇子だったのです。

 ではなぜ惟仁親王が皇位につけたかと言いますと、早く言えば外戚の力です。惟仁親王の母は藤原良房の娘、明子でした。そのような藤原氏の強大な力をバックに、惟仁親王は生後間もなく皇太子に立てられ、9歳で即位して清和天皇となったのでした。天皇の外祖父となった良房は、絶大な権力を握ることとなりました。

 一方の惟喬親王の母は、紀名虎の娘、紀静子でした。紀氏は古代の名族ですが、平安初期のこの時代は新興勢力の藤原氏に押されてすっかり力が衰えていました。
 業平が惟喬親王に加担した理由は、自分と同じ不遇さだけではなく、実は親王が彼の姻戚だったからでした。業平の妻は紀有常の娘であり、その有常は惟喬親王の母方のおじだったのです。そのため業平は惟喬親王とは兄弟のように親しくつき合っていたのでした。「伊勢物語」には、そんな2人の交流が随所に描かれています。

ところで、この小説で重要な舞台となる東国や陸奥についても少し…。

 この時代の東国や陸奥は、都や西国の植民地のような状態でした。つまり、中央の行政は何とか行き届いていたもののそれに反乱する者も多く、しばしば暴動が起こっていたのです。
 特に陸奥は、この時代から約250年後に栄えることとなる奥州藤原氏に代表されるように、都からの独立国のようになってもおかしくないような状態でした。そして皇位に敗れた皇族が陸奥の王になることも充分に考えられたわけです。
 つまり、惟喬親王に加担していた在原業平が東国や陸奥を偵察する理由は、「陸奥に新しい国を造る」ためだったというのがこの小説のテーマなのです。そしてその国の王は……、このことを書いたらものすごいネタばれになりますので、書くのをやめますね。

 この小説全体の感想ですが、「伊勢物語」確章段の内容や和歌があちらこちらにうまく織り込まれていて、とても興味深く感じました。
 ただ、ちょっと難点もあります。小説ですのでもちろんストーリーになっているのですが、合間合間に著者の紀行文が挟まれているのです。業平がしゃべっていたかと思うと突然著者の現地取材の話になることもあります。初めて読んだとき、このあたりの頭の切り替えがちょっと大変でした。
 でも、それを差し引いてみてもとても面白い小説だと思います。読んでいると、業平や著者と一緒に東国を旅しているような気分になることができます。もちろん創作も数多く含まれていると思いますが、「業平は本当に東国や陸奥を偵察するために東下りをしたのかもしれない!」という気分になってしまうので不思議です。

 それに、この小説の業平、とっても魅力的なのです。多少色好みなところはありますが、勇気があってたくましい武官として描かれています。それでいて繊細で感受性が強くて、そこがまた魅力的です。

 業平や「伊勢物語」が好きな方はもちろん、平安初期の東国や陸奥に興味がある方、旅の好きな方にもお薦めの1冊です。
    

警察からの電話!?

2006-01-23 17:45:23 | えりかの平安な日々 04~09
 本日お昼前、我が家の電話が鳴ったので出てみたら、「○○警察の交通課です。」と言うではありませんか!「まさか、だんなさんが事故?……そうか、これが噂のふりこめ詐欺ってやつかもしれない。気をしっかり持たなくては……」と思いました。だって、今日はだんなさんは病院の日、ついさっき、「今から病院に入る。」と電話があったばかりですもの。だからだんなさんが事故なんてことは絶対にないのです!!

 ドキドキしながら、警察官らしい人の次の一言を待ちました。

「あの、駅前の信号機の件なんですけれどね。」

 なあんだ、そのことだったのか・…と、私はここでやっと安心しました。というのは、数日前の夕方、「駅前の信号機は渡れる時間が短い。あれでは老人や障害者は全部渡りきる前に赤になってしまって危ない。何とかならないか。」と、だんなさんが駅前にいた警察官に話していたのを思い出したからなのです。その時、住所と名前と電話番号も聞かれましたので、警察の交通課はその件で我が家に電話をしてきたのでした。ほっとしました~。

 信号機の件も幸い、青になっている時間を少し長くしてもらえそうなので安心です。


☆リンク追加のお知らせです☆
 葉つき みかんさんのサイト「月桜」をブックマークのリンクに加えさせていただきました。リンクを許可して下さいました葉つき みかんさん、ありがとうございます♪

 「百人一首」の歌人たちをはじめとする歴史上の人物を素敵なCGイラストと丁寧な解説で紹介されています。自作の歴史漫画や歴史小説も公開されており、「どこから読もうかしら」と迷ってしまいそうです。

 また、ワインについての紹介コーナーもあります。私はアルコールにはあまり強くないのですが、ワインは好きなのですよね。ドイツ製の白ワインを飲みながらチーズやハムをつまむひとときは至福の時です。なのでワインに関する記事も興味深く読ませていただきました。とにかく見て読んで楽しめるサイトです。お薦めです。

原作とドラマの違いなど ~「功名が辻」感想

2006-01-16 19:24:20 | 歴史雑記帳
 今年の大河ドラマ「功名が辻」の放送が2回まで終了しました。でも私が大河のことをちっともブログに書かないので、「今年はえりかさん、大河感想を書かないのでは?」
と思われた方、たくさんいらっしゃると思います。

 確かに昨年は、「義経」の細かい部分にあまりにものめり込んでしまったため、平安時代の人物紹介や歴史・古典関係の本の紹介がほとんどできませんでした。私は一つのことにのめり込むと他のものが全く見えなくなる性格のようです。
 そこで今年の大河ドラマ「功名が辻」の感想は、不定期に思ったことを気ままに書く……という方針で行きたいと思います。2~3週間に1回くらい(ひょっとしたらもっと間隔が開くかも)のペースで「えりかの雑記帳」の方に書いていきます。戦国時代はかなり好きで興味もあるのですが、「義経」の平安末期に比べると手許にある本もずっと少なく、そのため知識もないのでそのくらいがちょうど良いかもしれませんね…。

 さて、2回まで見終えた感想は、「今年の大河はかなり面白いかも」です。ただ、気になったことも多少あるのでまずそのあたりから書かせていただきますね。

 というのは、私はこのドラマの原作「功名が辻 全4巻 (司馬遼太郎・著 文春文庫)」を12、3年ほど前に読んだことがあるからなのです。そしてこの原作本、とても面白かったです。すっかりストーリーに引き込まれてしまい、気がついたら夜中の2時だった……というときもありました。あまりにも面白かったのでだんなさんにも薦めたところ(彼は戦国時代も好きなので…)すっかり夢中になってしまいました。でもその時は、「将来この小説が大河ドラマになる。」なんて夢にも思いませんでした。

 さてその原作本ですが、実は一豊と千代の結婚から物語が始まっています。つまり、ドラマの序盤は脚本家のオリジナルストーリーで展開されるということになります。当然、幼い千代が両親と死に別れ、一豊に命を助けられ、彼の母法秀尼の世話になる。」というストーリーは脚本家のオリジナルだと思います。

 そこで気になったのが千代の母についてです。原作では千代の母は一豊と千代の結婚時まで生きているのです。そして2人の結婚後、尼になったという設定になっています。そして「千代は一豊殿に嫁ぎますが、私は御仏に嫁ぎます。」という名せりふを言うのですが…。
 でもそんな千代の母をあえて第1回で死なせてしまった理由は、「幼い千代に苦労をさせて物語をドラマチックにする。」というのと、「千代と一豊を最初から絡ませて物語を面白くする。」というねらいが込められているのだと思います。原作との矛盾が生じるのは残念ですが、「これはこれでよいのかな…」という気もします。

 もう一つ気になったのは演じている役者さんが高齢だということです。信長も秀吉も当時は20代のはずなのに、演じている役者さんはどう見ても50過ぎですものね…。でもこれは原作でも重視されている秀吉~関ヶ原の時代を見据えてのことだと思います。秀吉の妻ねねもかなり老けていますけれど、彼女は後年、千代のお姉さん的な存在になるので多少年齢が高い女優さんでないと釣り合いがとれなくなります。最初のうちは違和感があるかもしれませんけれど、そのうち慣れてくるかもしれません。

 ただ、どうしても最後まで違和感が消えそうもないのがお市と濃姫です。お市は濃姫を「姉上」と呼んでいますけれど、どう見ても濃姫よりお市の方が老けていますよね。しかもお市は30代で亡くなっているのですから、もう少し若い女優を起用した方が絶対に良かったと思います。早く言えば、お市と濃姫が逆になった方が、観ていて違和感がないような気がします。

 以上、色々と述べたように気になった点はありましたけれど、最初で書いたようにドラマとしてはとても面白かったです。法秀尼を「かかさま」と呼ぶ千代を観て思わず涙が出てしまいましたし、秀吉とねねのなれそめを観て大笑いもしました。文字通り「笑いあり、涙あり」です。
 そして、口では一豊に反発しているけれど、心の中では常に彼のことを思っている千代の心情がとてもうまく描かれていると思いました。千代は一豊と偶然再会し、結婚へと話が進んでいくのでしょうけれど、今後の展開は期待大です。

 また、千代の幼友達として第1回にちらっと登場した六兵衛太ですが、彼は後年、千代に諸国の様々な情報を教えるという大変重要な役どころになるのです。(原作ではそうなっていました。)その六兵衛太を千代の幼友達にしたというのは、これからの伏線なのでしょうね。「なるほど、そう来たか!」という感じでした。

 そのようなわけで、来週の放送がとても待ち遠しいです。
 

赤染衛門

2006-01-13 20:28:01 | 歴史人物伝
 やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

あなたが来て下さると言ったから、私はずっと待っていたのよ。
 待って、待って、とうとう月が西の空に傾くまで…。
でもあなたは来て下さらなかった。
こんな事ならさっさと寝てしまえば良かったわ。

素直な歌ですよね。「百人一首」の歌の中でも、私が最も好きな歌の一つです。

百人一首59番目の歌、作者は平安中期の女流歌人、赤染衛門です。

作者の赤染衛門の妹(姉とも)の許に、少将だった頃の藤原道隆が通っていました。その妹の許に、「今夜必ずそちらに行くよ。」と言ってきた道隆でしたが、とうとうその夜は来ませんでした。そこで赤染衛門が、妹に代わって代作したのがこの歌です。でも、代作と言うには惜しいくらい、恨んだりすねたりしている感情がよく表現されていると思います。。

 では、この歌の作者、赤染衛門とはいったいどのような人だったのでしょうか?

☆赤染衛門(957?~1046以降)
 平安中期の歌人。文章博士大江匡衡の妻。『栄花物語』の作者とも言われています。

 彼女は赤染時用の娘ということになっていますが、実は平兼盛の娘という説もあるようです。彼女の母は兼盛の妻でしたが離婚し、その後赤染時用の妻となりました。時用の妻になったとき、母は兼盛の子を妊娠していました。そして産まれた子が赤染衛門……というのです。でも、DNA鑑定のないこの時代のこと、真相は不明というより他はありません。

 なお平兼盛は光孝天皇の子孫で、百人一首40番目の歌で知られる歌人です。(当ブログの2005年7月9日の記事『田辺聖子の小倉百人一首』を参照して下さいね)

 赤染衛門は10歳前後の頃、源雅信の邸に出仕したと考えられます。そして最初は、雅信の娘倫子(964年生)の女童として、彼女の遊び相手のようなことをしていたようです。やがて倫子つきの正式な女房となり、ずっと後には彼女が藤原道長との間にもうけた一条天皇中宮彰子の女房として宮中にも出仕することになります。

 赤染衛門が、最初に紹介した百人一首にとられている歌を詠んだ時期は、藤原道隆が少将だった時期である天延二年(974)から貞元二年(977)の間ということで、彼女は十代の後半~二十歳頃だったと推定されます。

 そしてちょうどその頃、法華八講にて彼女を見そめた2人の男性がいました。
 その一人は大江匡衡、、もう一人は彼のいとこの大江為基でした。2人とも文章生出身の官僚で人柄も大変優れた人物でしたが、赤染衛門は為基の方に心を引かれ、彼との結婚を決意します。しかし為基は、親の薦める娘との結婚を決めてしまいます。
 傷心の赤染衛門は匡衡の愛を受け入れることとなります。しかし彼女は為基のことをどうしても忘れることができませんでした。
 こうして彼女は匡衡と結婚生活を送りながら、為基と歌のやりとりをしたり、時には会ったりしていたようです。しかし、この時代の結婚は大変不安定なものなので、必ずしも彼女を責めることはできませんが…。匡衡にとっては「赤染衛門を為基に奪われるのではないか…」と気が気ではなかったでしょうね。そして、この状態は10年近く続き、為基の「重病と愛妻の死による出家」によりピリオドを打つこととなります。

 その頃赤染衛門は匡衡との間に娘を産み、本格的に彼と同居するようになったようです。その後の彼女は、匡衡に協力する良き妻としての人生を歩むこととなります。長保三年(1001)には、尾張守となった匡衡に付き従い、尾張に下向しています。
 赤染衛門には、歌を詠むことによって夫や息子を出世させたり、住吉明神に歌を奉納することによって息子の病気を治したりと、様々な伝承が残っています。しかしそれらは、当時の貴族の日記との矛盾もあるようで、真偽のほどは疑わしいという説もあります。それはともかくとして、彼女が夫や子供達に尽くし、王朝の世をしたたかにたくましく生きたということは事実だと思います。長和元年(1012)に匡衡と死に別れ、その後長元四年に出家しています。没年は永承元年(1046)頃に彼女の家集が完成しているのでそれ以降のようです。つまり90歳過ぎくらいまで生きていたということになります。

 赤染衛門は交際範囲が広く、多くの友人を持っていました。先に書いたように、彼女は一条天皇中宮彰子の宮廷に出仕していたのですが、同僚女房の紫式部や和泉式部はもちろん、清少納言とも親しくつき合っていました。また、色々な人から歌の代作を頼まれてもいます。これは彼女が姉御肌的な性格で、誰からも慕われる人物だった証拠ではないでしょうか。特に、道長の妻倫子の彼女に寄せる信頼は並々ならぬものだったのではないかと思います。。

 あり得ないかもしれませんが、もしどこかの放送局が一条天皇の後宮を中心にした平安中期の宮廷を舞台にしたドラマを作ることがあったら、交際範囲の広かった赤染衛門をぜひナレーター役に起用して欲しいなと、密かに思っています。登場人物すべての情報に通じた彼女のナレーションはさぞ面白いのではないでしょうか。

初詣

2006-01-08 01:58:19 | えりかの平安な日々 04~09
 七日になってようやく、私も初詣に行って来ました。

 詣でた場所は家から歩いて約10分の所にある大井神社という神社です。

 この神社の祭神は天照大神だそうです。かなり由緒ある古い神社で、「清和天皇御代の貞観七年には、駿河国に正一位大井神社が存在した。」という記録があるとのことです。
 確かに一歩境内の中に入ると、うっそうとしげった木々がたくさんあり、俗世とは別世界のようなイメージを受けます。私の家の近くで唯一の、「平安時代を感じられる場所」とも言えるかもしれません。

さすがに七日ともなると参拝客も少なめで、ゆっくりとお参りすることができました。どうか今年も良い年になりますようにとお祈りして参りました。

 ここ数年、何か怖くておみくじを引くことができなかったのですが、なぜか今年は「おみくじを引いてみたい!」という気分になりました。もちろん、「凶が出たらどうしよう…」と半分びくびくしながら引いてみたのですが…。
 そして出たのは……、何と「大吉」でした!!びっくり。
 私の今年の運勢は、「何事もスムーズに事が運ぶ」のだそうです。特に、「学問が成就する。」というのが嬉しいですね。このブログにUPする歴史関係の記事も、スムーズに書けるということなのでしょうか。でも、あまり有頂天になりすぎると落とし穴があるかもしれませんから、そのあたりは気をつけなくてはいけませんよね。
 ちなみにだんなさんは「吉」を引きました。一安心です。

 このようにして、今年の初詣も無事に終わり、いよいよ本格的に主動です。明日くらいには「系譜あれこれ」を更新しますので楽しみにしていて下さいね

 写真は、大井神社の境内です。神殿に詣でる前に手を清めるという場所です。

☆プレゼントに当選なさった皆様へ
 現在、発送の準備をしております。連休明けくらいには発送できると思いますので、もうしばらくお待ち下さいね。

武家の棟梁・源氏はなぜ滅んだのか

2006-01-06 00:02:39 | 図書室1
 本日は、大河ドラマ「義経」の感想や考察を書く上で、特に源氏関係の記事を書いたときに参考にさせていただいたこの本を紹介します。

☆武家の棟梁・源氏はなぜ滅んだのか
 野口 実・著 新人物往来社 本体2800円

☆目次
八幡太郎は恐ろしや(源義家の実像〉
 後三年合戦 源氏の奥州軍事介入
 作られた英雄 源義家
城外の乱逆 (義平と義賢の闘い〉
 大蔵館の奇襲
武者の世になりにけるなり〈保元・平治の乱と為義・義朝〉
 保元・平治の乱6のなぜ?
 平治の乱
 平治の乱で敗走する源義朝の一日
源氏、平氏相並びて(武家の棟梁義朝と平清盛〉
 平清盛と源義朝-源平相並ばず-
 源義朝の妻藤原季範女
日本国第一の大天狗(後白河院と源氏〉
 後白河院と清和源氏
歎きて二十年の春秋を送り〈伊豆の流人頼朝〉
 頼朝の伊豆配流は清盛の失策か
 頼朝の配流先が海の孤島でなく、「陣」の蛭ケ小島だったのは?
 伊豆北条館で挙兵する源頼朝の一日
 黄瀬川の対面で、頼朝が義経を「弟」と確認できたのは?
 頼朝逆襲! 成功の条件
骨肉同胞の俵すでに空しきに似たり〈範頬と義経の悲劇〉
 源範頼の軌跡-その政治的立場と緑戚・家人に関する覚書-
 義経の郎等たち
 源義経の妻 河越重頼女・平時忠女
武芸は廃るるに似たり〈将軍実朝と法印貞暁〉
 源氏滅亡への途
在京の武士ことごとく以て馳せ下りおわんぬ〈源氏の御台所〉
 竹御所小論ー鎌倉幕府政治史上における再評価ー
 (付論) 武家の棟梁の都
 源氏の軍事基盤、京都・鎌倉・平泉
 関係略年表
 出典一覧
あとがき


 目次を御覧頂いておわかりだと思いますが、源義家から実朝・竹御所までの清和源氏の歴史について書かれた本です。
 源義家と後三年の役から始まり、義賢と義平の闘い、義朝と平治の乱、頼朝、範頼、義経、さらに実朝暗殺後の源氏の軌跡まで、様々な論考が収められています。特に、義朝の妻と義経の妻の項は興味深く、大河感想を書く上でも大変参考になりました。

 さらにこの本にて、私は長い間疑問を持っていた2つのことが解決しました。

 その一つは、清原真衡の養子となった平成衡についてです。

 平成衡は源頼義(義家の父)の娘と政略結婚し、清原真衡の養子となった人物です。このエピソードは平成5年から6年にかけて放映された大河ドラマ「炎立つ」にも取り上げられていました。しかしドラマでは、後三年の役のあとの彼の消息については何も語られませんでした。

 この本にはその成衡の消息が紹介されているのです。
 成衡は後三年の役後、妻の兄弟である義家の庇護を受けて下野国で暮らしていました。しかし、義家はある時期になると成衡の存在が不用になり、在地の豪族に命じて彼を討たせてしまったようです。ある程度予想はしていましたが、成衡の末路は悲惨だったようです。

 二つ目は、鎌倉四代将軍藤原頼経の御台所、竹御所についてです。

 竹御所は二代将軍源頼家の娘で、「源氏嫡流最後の生き残り」と言われた女性です。政略によって15歳も年下の藤原頼経と結婚させられ、彼との間の子を死産して間もなく、31歳で世を去っています。

 私は彼女については、小説等でその生涯についてはある程度知っていたのですが、「政略結婚の犠牲になった悲劇の女性、何か弱々しくてはかない女性」というイメージを持っていました。しかし一方では、「頼家の娘として産まれた彼女が、そんなに弱々しいわけがない」という疑問も持っていたのです。

 この本に収められた「竹御所小論」によると、彼女は北条政子の後継者として、鎌倉幕府内で重要な位置を占めていたらしいのです。そこには、悲劇の女性とはほど遠い、権力を持ったたくましい女性の姿がありました。
 確かに彼女の生涯は短く、ある意味では悲運の女性とも言えるかもしれませんが、私には鎌倉幕府内で自らの才能を発揮し、強くたくましく生きていた女性のように思えてきました。

 他にも、この本は読みどころが満載です。源氏がお好きな方、興味のある方にはお薦めの1冊です。

お知らせ&今年のお正月

2006-01-04 23:00:59 | えりかの平安な日々 04~09
 まず「1周年記念プレゼント企画」についてのお知らせです。

 1周年記念プレゼント企画の当選者が、抽選の結果決定しましたので、当選者の方に通知メールを送らせていただきました。すでに返信メールにて住所をお知らせ下さったみなさま、ありがとうございます。ちゃんと届いていますのでご安心下さいね。来週初めくらいまでにはプレゼントの品をお送りしたいと思っています。

 なお、ブログ内での当選者発表は行わないことにしましたのでご了承下さいませ。

 外れてしまった皆様、本当にごめんなさい…。今後も、このようなプレゼント企画を行っていきたいと考えていますので、次の機会にまたぜひ応募してみて下さいね。


 さて、お正月三が日は食べてテレビを観てインターネットや読書をして、眠くなったら寝るという風にまったりと過ごしました。特に、「今年はよく食べた」という気がします。
 そうですね、朝食はお雑煮とおせち料理、昼食はラーメンか焼きそば、夕食はおせち料理をつまみながらご飯を食べました。そして夜には、ハムやチーズをおつまみにワインを飲みました。なのできっとものすごく太ったと思います。
 ちなみに我が家のおせち料理は、

 野菜と薩摩揚げの煮しめ
 干ししいたけの煮付け
 伊達巻き
 かまぼこ
 ロースハム
 白菜のゆず漬け
 マグロのお刺身
 
といったところでしょうか。どれもとってもおいしかったです。ただ、おせちの定番の黒豆やイクラ、かずのこなどは私もだんなさんもあまり好きではないので、我が家の食卓には上りません。黒豆を煮るのはものすごく難しいようですし、イクラやかずのこは値段が高いので、かえって楽だったりします。

 このように家でゆっくり過ごしたため、まだ初詣に行ってないです…。

 でも今日はもう4日、そろそろお正月気分から抜け出さなくてはいけませんよね。

 「開設1周年」やそれに続く「1周年記念プレゼント企画」、そして新年と私のブログもしばらくお祭りモードでしたが、そろそろ本腰を入れて更新しようかなと思っています。今のところ、「平安時代中期の某女流文学者の紹介」と、「源平関係の本の紹介」の記事を準備中です。この次か、次の次の更新でどちらかをUPできると良いのですが…。頑張りますね。

 このように、無理をせず楽しみながら更新していきますのでよろしくお願いしますね。