平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

出会いとご縁に感謝

2013-05-30 10:47:26 | えりかの平安な日々 10~18
 今日は、私にとって大切な記念日なので日記を書きます。

 私が歴史系のサイトの掲示板に初めて書き込みをしたのは、今から11年前の2002年12月のことでした。

 その頃はまだフェイスブックやmixiなどのSNSはなかったし(mixiは始まっていたかもしれませんが、一般には普及していませんでしたよね)、ブログもそれほど一般的ではなかったと思います。なのでサイトを持っている方の掲示板におじゃまして、そのサイトの管理人さんや、いらしている方々と掲示板で交流するというスタイルが主流でした。

 なので私もその頃から、複数の歴史サイトの掲示板に書き込みをするようになりました。少しずつお仲間も出来て、掲示板で歴史や古典の話をして、とても楽しかったです。

 翌2003年3月その年の5月30日と31日に、京都の仁和寺で「紫の心」というイベントが行われることを、出入りしていたサイトの一つで知りました。
 そのイベントでは私の15年来の夢だった十二単を着られる、その頃出入りしていたサイトの一つ、平安京探偵団の団長先生の平安京についての講義を聴ける、さらに王朝料理も食べられるというわけで、「行きたい!」と強く思いました。しかも仁和寺で、そのサイトのミニオフ会までやろうという計画もあり、「もしかして、掲示板で普段、お話しをしている方々と実際にお会いできるかもしれない」とも思ったのです。

 しかし、今だから話せることなのですが、その頃の我が家の経済状態はかなり大変だったのです。
 その前年、だんなさんが透析になってしまい、年末には仕事を辞めざるを得なくなってしまった上イベントのことを知る直前、京都に行ったばかりだったのです。ちょうどその頃、だんなさんの高額医療費が戻ってきたので、「もう行けないかもしれないからこの機会に京都に行ってこよう」ということになり、京都旅行を楽しんできたのでした。その上もう一つ、静岡市から島田市への引っ越しが決まっており、引っ越し代もいくらかかるかわからないという状態だったのです。

 なのでその2ヶ月後にもう一度京都に行き、参加費2万円のイベントに参加するなど、ほとんど不可能でした。私もそのことを理解していました。でも、私がよっぽど行きたそうにしていたのでしょうか。だんなさんが、「こんなチャンスはもうないだろうし、お金のことは何とかなるから、行ってこよう」と言ってくれたのです。

 このようなだんなさんの理解もあり、私は5月30日のイベントに参加することが出来ました。団長先生の講義、十二単、イベントのあとの皆さんとのお食事会と、夢のような1日でした。そしてその日から、今日でちょうど10年になるのです。

 考えてみると、この日、前向きでバイタリティのある方々と実際にお会いしたことが、私のその後のネット生活に大きな影響を与えてくれたように思えます。もしこのイベントに参加していなかったら、私はこうしてブログを書いていないと思うのです。もしかするとその翌年くらいにネットを辞めてしまったかもしれません。

 この日にご縁が出来た方々のおかげで私の世界や知識も広がりましたし、その方々から影響を受けて、「私も自分のページを持ってみたい」と強く思うようになりました。
 そんなとき、同じイベントに参加していらしたなぎさんのサイト「花橘亭」でブログというものを知り、色々調べていく内に、「これなら私にも出来るかもしれない」と思い、ブログ開設に践みきりました。そうしたらまた、そこから新しい方々とのご縁が広がり、SNSの世界にも誘っていただき、さらに新しいご縁が広がりました。

 もしブログをやっていなかったら、ネットをやっていなかったら…、今の私はもっと寂しく、辛い生活を送っていたと思います。逆に言うと、だんなさんが10年前の今日、無理をしてまでも私をイベントに参加させてくれたことで、今の私があるのかもしれません。お金では買えない色々なものを得ることができたように思えます。そう思うと感謝しても感謝しきれないです。

 元々私は新しいことに手を出すのがとても苦手です。
 だからだんなさんがパソコンを買ってくれてもなかなか使わなかったし、ネットにつないでも最初はリア友さんたちとのメールばかりやっていました。でもそれでは世界が広がらないからと、だんなさんがインターネットを教えてくれました。だんなさんがいなかったら、ネットなんてやっていなかったと思います。

 だから私は、今までの人生を後悔したくないです。今の自分が療養中で、仕事が出来ないことも…。その代わり、好きな本を読んだり、文章を書いてブログにUPする時間があるのですものね。
 これからも自分の思ったこと、平安時代を中心に歴史上の人物たちの紹介や妄想したこと、読んだ本の紹介をマイペースに書いていきたいと思います。そして、だんなさんとの出会いと、皆様とのご縁に感謝。ありがとうございます。

 皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

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一条天皇と猫の命婦

2013-05-26 19:19:32 | 妄想ショートストーリー
 内裏、几帳の蔭で一条天皇が笛を吹いている。

 突然、笛を吹くのを辞める一条天皇。几帳の中に1匹の猫が入ってくる。猫は嬉しそうに「ニャー」と鳴きながら、一条天皇の膝の上に乗る。
一条:おお、命婦。かわいいなあ。

 猫の命婦、嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らす。

一条:私はそなたに五位の位を与えてやった。位をもらった猫など、古今東西探してもそなただけしかいるまい。

 一条天皇はにこにこしながら命婦の背中を撫でる。

 突然、命婦が膝から降り、周りをきょろきょろ見回す。そして再び膝の上に乗り、顔をこすりつけて一条天皇の手をペロペロなめ、「アー」とかすれた声で鳴く。

一条:おや?そなた、おなかが空いているのではないのか?

 ちょうどその時、藤三位が通りかかる。一条天皇、鈴を鳴らして藤三位を呼ぶ。

藤三位:主上、何でございましょう?
一条:命婦がおなかを空かせているようだ。何か食べる物を持ってきてくれないか。
藤三位:かしこまりました。でも、変ですね。命婦のお食事は橘三位にお願いしてあったはずですのに。

 藤三位、心の中で、「橘三位、本当に気の利かない女」と思いながら局を出て行く。

 やがて命婦のもとに干し魚と水が運ばれてくる。命婦は目を輝かせ、一心不乱で食べている。
 やがて食事を終えた命婦、満足そうに「ギャー」と大きな声で鳴く。そして局の中を走り回る。そのうちぴょんと飛び上がり、几帳の上に乗ってしまう。そして几帳の上を歩いている。

一条:(几帳の上を歩いている命婦を見ながら)ははあ、うまいものだなあ。

 突然、命婦がバランスを崩して足を踏み外し、几帳の上から落ちる。一条天皇、びっくりして息を飲む。一瞬の後、命婦は一条天皇の前に四つ足で立っている。

一条:(命婦を抱きしめ)大丈夫か?怪我はないか?

 命婦はしっぽを振り、再び局の中を走り回る。

一条: ああ、良かった~。

 命婦、三度一条天皇の膝の上に乗り、膝の上でくるっと丸くなる。

一条:(命婦を撫でながら)本当にそなたはかわいい。ずっと元気でいてくれよ。

(登場人物紹介)
一条天皇
 第66代天皇。猫好き。

☆命婦
 一条天皇から五位の位を授かった猫。

☆藤三位
 一条天皇の乳母。平惟仲の妻。周辺人物、橘三位との関係については当ブログ内の「こちらの記事」参照。

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愛と野望 源氏物語絵巻を描いた女たち

2013-05-23 10:12:32 | 図書室3
 最近読んだ、院政期の宮廷社会と庶民たちの生活を生き生きと描いた小説を紹介いたします。

☆愛と野望 源氏物語絵巻を描いた女たち 上巻
 著者=長谷川美智子 発行=文芸社 価格=1575円

内容紹介
 時の最高権力者・白河法皇の財力のもとに、鳥羽天皇后璋子(たまこ)は「源氏物語絵巻」制作を下命する。絵巻制作プロジェクトに抜擢された若手の絵師あかねは、仲間たちと研鑽を積むが、彼女とその恋人には隠された出生の秘密があった。璋子の意図するものは何であったのか。複雑に絡み合う人間模様と絵師たちの心意気を描く歴史ファンタジー。

☆愛と野望 源氏物語絵巻を描いた女たち 下巻
 著者=長谷川美智子 発行=文芸社 価格=1575円

内容紹介
陰謀が渦巻く貴族社会は足元から崩壊しつつあった。迫り来る武士たちの雄叫びのなか、「絵巻」はいずこへ。七年の歳月と心血を注いでの完成は波瀾への旅立ちでもあったのだ。絵師たちが命を吹き込んだ作品は、その後、様々な人の手を経て現代に受け継がれてきた。千年の流転の果てに私たちの前に姿を現した「源氏物語絵巻」に捧げる歴史ファンタジー。


 この小説は、40歳くらいの絵師の男が、羅城門で立派な衣装にくるまれた女の赤児を拾うところから始まります。彼女は「あかね」と名づけられて、絵師の娘として育ち、長じて育ての父親と同じ絵師となります。

 ちょうどその頃、鳥羽天皇中宮璋子が顕仁親王を出産します。顕仁親王誕生を祝い、璋子とその養父であり恋人でもある白河法皇は、源氏物語絵巻を作ることを計画し、準備に取りかかります。
 あかねはかつて、璋子に絵の手ほどきをしたことがあり、璋子もあかねの源氏絵を気に入っていたので、彼女は源氏物語絵巻制作プロジェクトに抜擢されます。すでにあかねは父を失い、夫は仕事のため飛騨に行く途中に行方不明になっていたため、「私は千年のちまで残るような素晴らしい絵巻を作るという道を歩こう」と決心するのでしたが。…

 以上が、この小説の序盤のあらすじです。

 読んだ感想ですが、史実とフィクションが非常にうまく融合しているという印象を受けました。登場する歴史上の人物も藤原璋子や白河法皇、源有仁、藤原忠実など多彩ですし、個性的なオリキャラも多数登場します。

 紹介文にもありますが、あかねとその恋人には出生の秘密がありました。それが、この小説の大きなテーマになっています。あかねの真の両親は誰なのか、恋人との運命はどうなるのか、最後まではらはらさせられました。

 それともう一つの大きなテーマは、璋子と白河法皇の関係です。
 この時代を扱った多くの小説がそうですが、この小説も、顕仁親王は白河法皇の子ということになっていました。しかも宮廷のほとんどの人がその事実を知っていました。そしてそのことが、保元・平治の乱へとつながっていくのです。
 璋子は無邪気ともしたたかとも取れる性格の女性に描かれていて、昨年の大河ドラマ「平清盛」の璋子を彷彿とさせられました。

 あと面白いなあと思ったのは、璋子は源氏物語絵巻」を「女の物語」と考えているのに対し、皇位から遠ざけられてしまった輔仁親王の子である源有仁は、「女三宮と柏木の密通を絵巻にし、顕仁親王が正統な皇統ではないと告発する」と考えているところ、立場の違いなのでしょうね。

 そして最後に思ったことは、「この小説で描いているように璋子と関係を持ったり、あちらこちらで子を作っていたのが事実としたら、白河法皇ってやっぱり罪な御方」ということ、そして、絵巻の残りはいったいどこに行ってしまったのかということです。やっぱり源平合戦や応仁の乱、たびたびの火災で焼けてしまったのでしょうか。少し余韻の残る読後感でした。

 ただ難点は、最後の章が少し駆け足になってしまっていたこと、でも、次にどうなるかと気になり、上下2巻を二日で読み切りました。怪しげな陰陽師(この人が物語全体の大きな鍵を握っていたのですが)が出て来るなど、オカルト的、ファンタジー的なところもあり、文章も読みやすく個人的にはかなりお薦めです。

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久しぶりのお出かけ♪

2013-05-18 19:57:22 | えりかの平安な日々 10~18
 昨日17日は1日お出かけ、いつもの病院で診察を受けた後、友人2人と会ってランチや買い物を楽しんできました。諸事情で3週間以上、出かけられなかったので良い気分転換になりました。と言うわけで昨日の出来事を少し…

 いつものように母に最寄りの駅まで車で送ってもらい、電車に乗って約45分、この駅で降りると何かふるさとに帰ってきたような気がします。住んだことはないのにね。そして駅から病院まで歩きました。日光と風がこんなに気持ちが良かったなんて、長いこと、この感覚を忘れていたような気がします。暑すぎず寒すぎず、自然の空気を胸に吸い込んで、5分ほどで病院に到着。

 今回も、先生に色々お話を聞いていただきました。3週間、外出できなくて辛かったこと、何か気力がわかず、足の運動が出来ないことも、手足に力が入らなくなることがあることも話しました。血圧を測ったら最高血圧が147もありました。うーん、無理しても運動しないとまずいかも。

 それと、鉄剤の副作用についても話しました。先生は、もっと飲みやすい薬もあるけれどそちらにしますかとおっしゃって下さいましたが、副作用があると言ってもそれほどひどくないので、大丈夫、このままこちらを飲み続けますと返事しました。
 そのあと、予想通り、血をとられました。やせたおかげで肘から血がとれるようになって、あまり痛くなくてありがたいです。私の鉄欠乏性貧血、鉄剤を飲んでいることで改善されていますように。

 こうしていつも、真剣に話を聞いて下さる先生、親切にして下さる看護師さんや事務の方に感謝です。。最後には病院を選べなくなってしまっただんなさんは、病院選びの大切さを身を持って教えてくれたような気がします。少し遠いですが、通える限り、こちらの病院のお世話になろうと改めて思いました。

 11時に静岡駅で友人と会い、まずユニクロに。服を4着ゲット。どれも私好みの服で嬉しいです。

 そのあとはサンマルクでランチ。私は、前菜にサーモンのマリネ、主菜にチキンカツレツのトマトソースがけ、デザートにアイスクリームを頂きました。こちらのお店はパンが食べ放題になっているので、ガーリックロールやクロアッサンなどをたくさん食べました。おいしかったです。友人とおしゃべりしながらおいしい物を食べるととても幸せな気持ちになります。

 それにしても、楽しい時間はあっという間ですね。
 でも、今月末にまた外出できるので、しばらくの日常生活を頑張れそうです。

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望月のあと 覚書源氏物語『若菜』

2013-05-13 09:42:27 | 図書室3
 紫式部が探偵となって事件を解決するシリーズ、第3弾です。

☆望月のあと 覚書源氏物語『若菜』
 著者=森谷明子 発行=東京創元社 価格=1890円

本の内容紹介
 紫式部が物語に忍ばせた、栄華を極める道長への企みとは?平安の都は、盗賊やつけ火が横行し、乱れはじめていた。しかし、そんな世情を歯牙にもかけぬかのように「この世をばわが世とぞ思う…」と歌に詠んだ道長。紫式部は、道長と、道長が別邸にひそかに隠す謎の姫君になぞらえて『源氏物語』を書き綴るが、そこには時の大権力者に対する、紫式部の意外な知略が潜んでいた。

 「千年の黙 異本源氏物語」「白の祝宴 逸文紫式部日記」に続くシリーズ第3弾。この小説では、寛弘八年(1011)から寛仁三年(1019)までの出来事が物語られています。

 前半は、一条天皇崩御と三条天皇即位を背景に、道長が東三条殿の南殿に隠している謎の姫君を巡る物語、後半は三条天皇退位と一条天皇即位、それに続く敦明親王の東宮事態を背景に、都に頻発する貴族の邸宅や内裏への放火や強盗事件をミステリータッチで描いています。

 細かいストーリーを書くとものすごいネタバレになりますので、今回は私の気づいたことや感想に移りますね。ただ、感想の中に一部ネタバレが含まれていますのでご注意を。

 まず今作では、「白の祝宴」には登場しなかった承香殿の女御元子さまと、侍女の小侍従が物語の前半部分で登場します。元子さま、頼定さんに感化されたのか、すっかり明るい女性になっていて、「源氏物語」の熱狂的な愛読者になっていました。
 そして元子さまと頼定さんの駆け落ちの背景に、道長が隠していた謎の姫君の存在があったと、この小説では描かれていました。

 びっくりしたのは、その謎の姫君の出自です。

 確かに、東宮時代の三条天皇の尚侍だった綏子が密通によって身ごもった子供がどうなったかは不明ですし、子供の父親が本当に頼定さんだったのかは今となっては謎なので、「ああ、こういう想像も出来るんだ~」と、目からうろこ状態でした。そして紫式部が、その姫君の幸福を願って「玉鬘十帖」を書いたというのも面白いなあと思いました。

 後半部分には、修子内親王と敦康親王が登場してきます。「白の祝宴」では屈折したところがありましたが、2人とも立派に成長していました。
 そしてもちろん、阿手木や義清、小仲、糸丸、ゆかりの君も登場します。特に糸丸が大活躍します。
 後半部分では、内裏再建のために田舎から木材を運んできたり、その日の食べ物のために内裏や邸宅の建築に借り出される庶民たちの姿にスポットが当てられます。竹三条殿で修子内親王に仕える糸丸は、貴族たちと庶民たちのかけ橋のような役目をします。
 藤原道長が栄華を極める蔭で、まるで道具のように軽く扱われ、惨めな思いをしていた庶民たちの姿があったのだと、改めてはっとさせられました。そして自分の思うように世の中を動かす道長さん、ああやっぱり、このシリーズでの道長さんは悪役です。特に今作では本当に腹黒という感じでした。
 そして紫式部がそんな道長への皮肉を込めて、「若菜上」で光源氏が女三宮という、最高の身分、しかも藤坪の姪を妻にするという、栄華の極みを書き、「若菜下」でその栄華が一つ一つ消えていく物語を書いた、うん、そういう考えもできるのねとちょっと納得しました。

 全体の感想。

 今作も前の2作と同様、ストーリーに引き込まれ、楽しく読むことが出来ました。そして紫式部さん、さらに名探偵ぶりを発揮しています。
 それからいい味出しているのが和泉式部。特に前半部分の謎の姫君を巡る物語では大きな鍵を握っていました。

 この小説は寛仁三年、当時の太宰権帥の藤原隆家の家人である義清が、妻の阿手木を伴い、太宰府に到着するところで幕を下ろします。
 寛仁三年の太宰府というと、刀伊の襲来を間近に控えた時期です。義清がどうなるかは「千年の黙」のラストで明かされているのでわかっているのですが、阿手木たちと一緒に太宰府に下った小仲は?阿手木たちと太宰府で再会した瑠璃とその夫はどうなるのか?著者のあとがきによると、このシリーズはまだ続くようです。次回作が楽しみです。

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第56代 清和天皇

2013-05-11 19:24:27 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  850~880
☆在位期間 858~876

☆両親
 ちち・文徳天皇 母・藤原明子(藤原良房女)

☆略歴

 名は惟仁。文徳天皇の第四皇子。

 嘉承三年(850)、三月誕生。同年十一月、皇太子に立てられる。文徳天皇は第一皇子惟喬親王の立太子を望んでいたが、惟仁の外祖父である藤原良房に遠慮し、惟仁を皇太子に立てたと言われています。

 天安二年(858)、文徳天皇の崩御により九歳で即位。幼少の天皇に替わり、外祖父良房が政治を執り行った。

 貞観八年(866)、春に良房の染殿第にて盛大な観桜の饗宴が催される。天皇は釣殿から魚釣りを、東門からは農夫の耕田光景を観覧し、終日楽しんだ。
 この十日後、応天門炎上事件が起き、大納言伴善男が犯人として捕らえられ、伊豆国に流罪となる。この事件の後、良房は正式に摂政となるが、これが初の人臣摂政であり、藤原氏の摂関独占の基礎を作った。

 元慶元年(876)、二七歳で突如退位、太上天皇となる。

元慶三年(879)、出家。法諱は素真。山中にて厳しい仏道修行を行った。翌年の十二月四日に粟田山荘の円覚寺にて三十一歳で崩御。御陵は京都市右京区嵯峨の水尾山陵。

 清和天皇の後宮には、二十数人の后妃がおり、多くの皇子皇女が生まれました。これは天皇を後宮に引きつけることによって政治から遠ざけようという、良房の政策であったとも言われています。
 そのため鬱屈した思いがあったのでしょうか。晩年は仏道一筋に生きたようです。少しでも心が救われていたことを願いたいです。


☆父方の親族

 祖父・仁明天皇 祖母・藤原順子(藤原冬嗣女)

主なおじ

 時康親王(光孝天皇) 宗康親王 人康親王 本康親王
  常康親王 源多 源光

主なおば

 久子内親王(伊勢斎王) 時子内親王(賀茂斎王) 新子内親王

主ないとこ
是忠親王 是貞親王 源定省(後の宇多天皇) 源国紀 為子内親王(醍醐天皇妃) 綏子内親王(陽成天皇妃) 源和子(醍醐天皇女御) 源済子(清和天皇女御) 繁子内親王(伊勢斎王) *以上、父は光孝天皇

 操子女王(藤原基経室 時平・忠平らの母) 源興元 *以上、父は人康親王

 元子女王(伊勢斎王 *父は本康親王)


☆母方の親族

 祖父・藤原良房 祖母・源潔姫(嵯峨天皇皇女)

☆兄弟姉妹と甥、姪

主な兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟)
 *惟喬親王 *惟条親王 *惟彦親王 *源能有

主な姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹)
 *恬子内親王(伊勢斎王) *掲子内親王(伊勢斎王) *晏子内親王(伊勢斎王) 

主な甥と姪

 源厳子(清和天皇女御) 源昭子(藤原忠平室) 女子(貞純親王妃  )*以上 父は源能有
 直子女王(賀茂斎院) *父は惟彦親王

☆主な后妃と皇子・皇女

・藤原高子(藤原長良女) → 貞明親王(陽成天皇) 貞輔親王 敦子内親王

・藤原佳珠子(藤原基経女) → 貞辰親王

藤原多美子(藤原良相女)

 嘉子女王

 兼ね子女王

 源 厳子(源 能有女)

 源 貞子

 源 済子(光孝天皇皇女)

 平 寛子

 在原文子(在原行平女 → 貞数親王 包子内親王

 藤原良近女 → 貞平親王 識子内親王(伊勢斎王)

 藤原諸藤女 → 貞真親王

 藤原真宗女 → 貞頼親王

 佐伯子房女 → 源 長鑒 源 長頼

 橘 休蔭女 → 貞固親王

 藤原仲統女 → 貞元親王

 棟貞王女 → 貞純親王


☆末裔たち

 清和天皇が退位したあとは、藤原高子との間にもうけた貞明親王が即位します。これが陽成天皇です。
 しかし陽成天皇は、良房のあとを嗣いだ基経と対立することが多く、十七歳で退位させられてしまいます。そのあとを嗣いだのは清和天皇の叔父に当たる光孝天皇です。なので清和天皇の子孫はその後、皇位につくことはありませんでした。

清和源氏貞純親王流

 清和天皇が棟貞王女との間にもうけた貞純親王は、源能有女との間に経基王をもうけました。この経基が臣籍降下して「源経基」と名乗ることとなります。経基は諸国の国司を歴任し、平将門の乱や藤原純友の乱の鎮定に当たったりもしました。

 経基の子が満仲で、彼は摂関家に使え、武蔵、摂津、越後などの受領を歴任、摂津の多田盆地に所領を持ち、武士団を経営しました。

 満仲の子が、頼光、頼親、、頼信です。
・頼光

 摂津源氏の祖。大江山の酒呑童子退治で有名。藤原道長に仕えた。彼の子孫には源平時代に活躍した源頼政、源行綱などがいる。*当ブログ内の「こちら」と「こちら」の記事参照。

・頼親

 大和守となり、大和国で勢力を拡大、大和源氏の祖となった。

・頼信

 河内源氏の祖。平忠常の乱を平定したことで有名。
 頼信の子が頼義で、その後、この系統は義家→義親→為義→義朝→頼朝へと続く。また、室町幕府を開くことになる足利氏や、新田氏、武田氏もこの系統。つまり頼信の子孫は日本史上に大きな足跡を残したことになります。

     (以上、参考・歴史読本2012年5月号 新人物往来社発行)

*なお、経基は陽成天皇の孫であるという説もあります。詳しくは陽成天皇の系譜のページで記述する予定です。

清和源氏貞元親王流

 清和天皇が藤原仲統女との間にもうけた貞元親王には、源氏姓を賜った兼忠、兼信などの子供たちがいました。

 兼信は陸奥守となり、任期が終わったのち土着したと言われています。この兼信の子が「百人一首」48番目の歌の作者、源重之です。
 重之は、兼信の兄で参議となっていた兼忠の養子とされ、冷泉天皇に仕えたのち、左馬介や相模権守などを歴任、その後、陸奥守となった藤原実方に同行したりなど、東北から九州まで全国を巡りました。三十六歌仙の一人でもあります。

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満つる月の如し 仏師・定朝

2013-05-05 18:52:52 | 図書室3
 今回は、先日読み終わった平安時代を舞台にした小説の紹介です。

☆満つる月の如し 仏師・定朝
 著者=澤田瞳子 発行=徳間書店 価格=1995円

出版社による本の紹介文
 時は藤原道長が権勢を誇る平安時代。若き仏師・定朝はその才能を早くも発揮していた。道長をはじめとする顕官はもちろん、一般庶民も定朝の仏像を心の拠り所とすがった。が、定朝は煩悶していた。貧困、疫病が渦巻く現実を前に、仏像づくりにどんな意味があるのか、と。華やかでありながら権謀術数が渦巻く平安貴族の世界と、渦中に巻き込まれた定朝の清々しいまでの生涯を鮮やかに描き出した傑作。最少年で中山義秀賞を受賞した気鋭の待望の最新刊。

 この本のことを知ったのはtwitterのフォロアーさんたちのつぶやきででした。
 私の大好きな時代を扱っているようだし、評価も高かったので、読んでみたいと思い、手に取ったのですが、「はて、定朝って名前は聞いたことがあるけれどどんな人だったっけ?」と疑問に思いました。

 そこで読む前に少し調べてみたところ、「ああ、平等院の阿弥陀如来座像を造った人か~」ということがわかったのです。平等院は大好きなお寺です。阿弥陀如来座像に関しては、私は視力が弱いのでよく見えませんでしたが、ぴりっと張り詰めたような雰囲気は伝わってきました。

 そこで期待を持って読み始めたのですが、最初は仏教や仏像の話が多く、私にはちょっと難しいのかな…と思ったのです。
 でも第2章の途中からすっかり引き込まれてしまい、後半部分は一気に読みました。私は最近、平日は遅くとも10時半には寝るようにしているのですが、気がつくと11時でした。寝る時間を忘れて最後まで読みふけってしまった本は、今年2月に読んだ海堂尊さんの「スリジエセンター1991」以来かも。

 それでこの小説のあらすじなのですが、簡単に言えば仏像を彫る天才的な才能を持っていながら仕事をさぼりがちな定朝が、隆範という一人の僧と出会い、その才能を開花させていくという感じでしょうか。すみません、ストーリーはこれ以上書けないです。全文を読んで驚いて欲しいです。
 ちょっと種明かししますと、平安の都を震撼させたある事件がこんな風に描かれているなんて、驚きの連続でしたし、その事件が平等院の阿弥陀如来座像につながっていくストーリー展開の巧みさにははっとさせられました。

 また、「苦しみの多いこの世は地獄なのか」とか、「この世を救うものはいったい何なのか」と色々考えさせられます。
 登場する歴史上の人物の性格の書き分けも見事ですし、政争に敗れた者たちや、その日その日を生き抜く庶民たちにもしっかりスポットが当てられています。感動しました。お薦めです。

☆主な登場人物

定朝
 七条仏所のあととり息子。仏像を彫る天才的な才能があるのにさぼってばかりいたが、隆範にさとされ、改心して才能を開花させていく。この世を救う仏像とはどんな姿なのか仏像で人を救うことが出来るのかと、いつも苦悩している。

.隆範
 高階成忠の晩年の子。比叡山の僧。定朝の仏像に惚れ込み、彼に立派な仏像を造らせようと心をくだく。この小説の大半は隆範の視点で語られる。

藤原道雅
 左近衛中将。藤原伊周の子。隆範は年下の大叔父に当たる。通説では「荒三位」と言われた無法者とされるが、この小説ではおとなしい、常識的な人物に描かれている。敦明親王を敵視している。

敦明親王
 藤原道長によって東宮位を追われた親王。そのためたびたび暴力事件を起こしたり、強盗に押し入ったりして都じゅうから恐れられている。

小式部
 太皇太后彰子の女房。和泉式部の娘。藤原教通や藤原公成と交渉を持ち、「恋多き女性」と言われるが産後の肥立ちが悪く若くして亡くなる。その時生まれた子の真の父親は?

中務
 太皇太后彰子の女房。小式部の友人で敦明親王の幼なじみ。敦明親王は本当は優しい方だと神事、彼を改心させようと心をくだく。心が優しく姿も美しい。

☆舞台となっている年代
 序章 永承八年=天喜元年(1053)
第1章~第4章 寛仁四年(1020)~万寿二年(1025)
終章 その後、天喜五年(1057)まで

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