平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

つれづれ

2008-04-30 10:17:26 | えりかの平安な日々 04~09
 最近、やらなくてはならない事とやりたい事がたくさんあってなかなか忙しいです。それで、こちらの更新がどうしてもゆっくりになってしまいます…。

 そうそう、先日UPした「系譜から見た平安時代の天皇」の「冷泉天皇」の更新のお知らせの中で、「花山天皇は資料が集まりそうにないので時間がかかりそうなので、次は院政期か、平安前期の天皇を取り上げます。」と書きましたが、どうやら次の更新は花山天皇になりそうなのです。
 というのは、冷泉天皇を調べたついでに花山天皇について少し調べていたら興味を持ってしまい、彼の後宮や皇子たちについても情報が集まってきたのです。それで、近いうちに下書きにかかります。この人、「大鏡」にもエピソードがたくさん書かれていてなかなか面白い人だなと思いました。なので系譜のカテゴリだけでなく、人物伝でも取り上げてみたくなってもいます。ゆっくり楽しみながら記事作成をしていきますので、どうか気長におつきあい下さいね。

 さて、色々忙しい中、今年も無事に結婚記念日を迎えることができました。今から21年前の4月29日に、私とだんなさんは式を挙げました。21年、考えるとよく続いたなと思います。これからも紆余曲折あると思うけれど、二人で仲良く歩いていきたいです。

 昨日はお祝いらしいお祝いはしなかったのですが、モスバーガーで軽い昼食を食べてからあちらこちら散歩してきました。買い物もたくさんしたので荷物も重くなってしまいましたが、充実したいい1日を過ごすことができました。

 それから…、ご報告が遅くなってしまいましたが、4月12日の病院診察で、3ヶ月ぶりに血液検査をしてもらいました。その結果を25日に聞きに行ったのですが、悪玉コレステロールが正常値になった変わりに、中性脂肪が高くなっていました。先生のお話によると、中性脂肪は直前の食事などで高くなることもあるのでそれほど神経質になることはないのだそうです。それで、10日・11日の食事を思い出してみたところ、11日に豚ロースのステーキを食べたことを思い出しました。それほど大きなステーキではなかったので大丈夫…と思って食べたのですが、甘かったようです。次回の血液検査の前には気をつけなくては。

 それと気になることは、相変わらず肝臓の数値が高いことです。それで、薬は相変わらず継続です。しかも体重がまた500グラム増えていたので、みんなに笑われてしまいました。次の診察は4週間後ということになったので、それまでに1キロは体重を減らそうねと言われてしまいました。甘いケーキや脂っこいものなど、食べ物の誘惑は多いですが頑張ります。
 あ、体調はすごくいいです。以前のように胸が苦しくなるとか、息苦しくなることはほとんどなくなりました。長い距離も歩けるようになりましたし、交感神経の薬を飲んでいるおかげか夜はぐっすり眠れます。昨年の6月~7月の状態を考えると夢のようです。

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源氏物語の脇役たち

2008-04-25 10:01:26 | 図書室2
 今年2008年は「源氏物語千年紀」ということで、今回も「源氏物語」関連の本の紹介です。

☆源氏物語の脇役たち
 著者・瀬戸内寂聴 発行・岩波書店 税込み価格・1575円

出版社による本の紹介文
 源氏物語の魅力は,筋の面白さもさることながら,物語を織り成す登場人物たちの性格の書き分け,心理描写の克明さにある.源氏に愛され,そろって不幸になっていく女たちは,すべてヒロインの貫禄を具えている.朱雀院,頭の中将,弘徽殿女御,源典侍,近江の君など脇役たちが,いきいきと行間から立ち上がってくる.

もくじ
朱雀院/頭の中将/明石の入道/惟光/
大夫の監/髭黒の右大臣/蛍兵部卿の宮/横川の僧都/
右大臣/弘徽殿の女御/源典侍/近江の君/
秋好中宮/花散里/八の宮/
浮舟の母(中将の君)/弁の尼/女房たち


 「源氏物語」の魅力は筋の面白さはもちろんですが、紫の上や明石の上、六条御息所といった個性的な女性がたくさん登場するところだと思います。しかし、そういったヒロイン級の女性たちだけでなく、脇役にも魅力的な人たちがたくさん登場するところも面白いです。そういった脇役たちの軌跡に迫ったのがこの「源氏物語の脇役たち」です。

 まず一番最初に紹介されているのが朱雀院です。寵愛していた朧月夜を源氏に密通され、密かに思いを抱いていた秋好中宮は、源氏と藤壺の策謀によって冷泉帝のもとに入内することになりその恋もかなわず…、といった、何かというと源氏に邪魔されてばかりいるけれど、そのことをちっとも恨まない、人のいい人物に描かれている人です。しかし朱雀院は、最愛の女三の宮を源氏に降嫁させることにより、本人はそういった意識は全くなかったのですが、結局は源氏に復讐を果たした…という瀬戸内さんの見解はなるほどと思いました。

 その次に紹介されているのは、源氏の親友であり、ライバルでもある頭の中将です。私、この人結構好きなのですよね。須磨で隠遁生活を送っている源氏を訪ねていくところなど、「いい男だなあ」と思います。

 「明石の入道が物語に果たした役割は大きい。」「惟光さん、夕顔の巻では大活躍ね」「横川の僧津、なかなかいい味出しているけれど、源氏物語に出てくるお坊さんってやっぱりおしゃべりね。横川の僧津も、浮舟のことを明石中宮にしゃべってしまうし。」など、この本を読み進めていくに従って、源氏物語の魅力的な脇役たちに魅了されます。
 右大臣や弘徽殿の女御のようなちょっと悪役っぽいキャラクターも、源典侍や近江の君のようなお笑いキャラも、すごく愛しく感じます。大夫の監のような、物語のワンシーン、ツーシーンにしか登場しない端役にまで、一度読んだら忘れられないような個性的で魅力的な性格を書き分けている紫式部ってすごいと改めて思いました。

 また、物語の所々にほんのちょっとだけ顔を出すキャラクター、惟光や源典侍、秋好中宮などですが、彼ら彼女らの軌跡がまとめて書かれているので、それぞれの人物の人生をたどれるようなきがして興味深いです。

 圧巻なのは、ラストの「女房たち」の章です。
 ここでは、藤壺の侍女の王命婦、夕顔の侍女の右近、浮舟の乳母子の右近、そして、やはり浮舟つきの侍女で右近より少し若い侍従、さらに源氏のいわゆるお手つき女房の中納言、中将などが紹介されています。彼女たちは源氏と女君の恋の手引きをしたり、女君の相談相手になったり、他の女のもとから朝帰りする源氏をこらしめたりと、物語に大きな役割を果たしています。彼女たちがいなかったら、「源氏物語」は成り立たないと思いました。
 また、彼女たちにもそれぞれ人生のドラマがあるのですよね。特に、浮舟の侍女の侍従の軌跡を読んだ時、そのことを強く感じました。

 このように、「源氏物語」を違った角度から色々楽しめる本だと思います。お薦めです。

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本日のランチ

2008-04-21 21:44:06 | えりかの平安な日々 04~09
 本日のランチ、「なすとピーマンのトマトスパゲッティー」です。

 このトマトスパゲッティーの作り方は、以前にも書いたことがあるのですが、写真を載せるのは初めてなので、もう一度書きますね。

 まず、トマト4~5個を四つ割りにします。今日のトマトは割と大きめだったので、4個にしましたが、念のためにミニトマトをもう一つ入れました。切ったトマトっていいにおいがするのですよね~。何か幸せ♪

 このトマトをミキサーにかけてつぶし、鍋に入れてふたをせずに20分ほど煮込みました。トマト液はピンク色なのですが、煮込んでいるうちに赤くなるので不思議です。

 トマトを煮ている間に縦割りにして、さらに斜めにスライスしたなす1本と、せん切りにしたピーマン1個を炒めてお皿に入れておきます。そしてスパゲッティー二人分をゆでました。スパゲッティーは少し堅めにゆでるのがコツです。このゆで加減、結構難しくて、時々柔らかくなりすぎたりするのですが、今日はうまく行きました。

 そうこうしているうちにトマトソースが出来上がりました。出来上がったトマトソースに塩とこしょうを入れて味を調えました。今日は塩もこしょうも3振りしました。

最後に、トマトソースにゆであがったスパゲッティーと炒めたなすとピーマンを入れて出来上がり。私は粉チーズをかけていただきました。今日の味加減はだんなさんにも評判が良かったので嬉しかったです。手間はかかるし、洗い物もたくさん出てしまうけれど、缶詰のトマトで作るよりもこちらの方がやっぱりおいしいです。

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第63代 冷泉天皇

2008-04-18 10:32:04 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  950~1011
☆在位期間 967~969

☆両親
 父・村上天皇 母・藤原安子(藤原師輔女)

☆略歴

 名は憲平。天暦四年(950)五月、但馬守藤原遠規第にて、村上天皇の第二皇子として誕生しました。生後二ヶ月で親王宣下、間もなく皇太子に立てられます。外祖父師輔の力によるものと思われます

 実は、村上天皇にはすでに、第一皇子広平親王が誕生していました。そこで、広平親王の生母である更衣祐姫も、外祖父の中納言藤原元方(藤原南家)も、広平親王の立太子に期待していたのですが、憲平親王の立太子によってその望みが絶たれてしまいました。そのため元方は失意のうちに憤死、祐姫も康保四年(967)の村上天皇崩御に殉じて出家をしてしまいます。
 憲平親王は生まれつき身体が弱く、精神的に弱いところがあり、しばしば奇行なども見られたため、元方の怨霊のせいだとまことしやかに噂されました。

応和三年(963)元服。康保四年(967)五月践祚。六月には藤原実頼が関白に任ぜられたことにより、十余年行われてきた天皇親政に終止符が打たれます。十月、紫宸殿において即位します。しかし、安和二年(969)八月、譲位。わずか2年間の在位でした。

 退位した冷泉上皇は冷泉院を後院としますが、翌天禄元年(970)四月、冷泉院の焼亡により朱雀院に遷御。更にいつのころからか鴨院を御所としていましたが、長徳元年(995)正月の焼亡により東三条第に遷御。南院を御所とします。
 しかしここも寛弘三年(1006)十月に焼亡。この時、避難する際の車の中で神楽歌を歌っていたという記述が「大鏡」に載っています。同五年十二月、新造の東三条南院に遷御しますが、同八年十月、当院において崩御。享年六十二歳。何か、家事に明け暮れた不運な生涯ですよね。

陵は桜本陵。歌人としては『詞花』以下の勅撰集に四首入集し、家集『冷泉院御集』があったそうです。病気がちで奇行の多かった冷泉天皇ですが、歌を詠むことによって生き甲斐を見いだしていたのでしょうか。


☆父方の親族

祖父・醍醐天皇 祖母・藤原穏子(藤原基経女)

主なおじ
 朱雀天皇・克明親王・保明親王・重明親王・代明親王・有明親王・盛明親王・兼明親王(源 兼明)・源 高明

主なおば
 勤子内親王・雅子内親王・康子内親王・勧子内親王・英子内親王

主ないとこ
 昌子内親王(父は朱雀天皇)
 源 博雅(父は克明親王)
 慶頼王・熙子女王(父は保明親王)
 徽子女王(父は重明親王)
 源 重光・源 保光・源 延光・荘子女王・厳子女王・敬子女王(父は代明親王)
 源 忠清・源 泰清・藤原公季室(父は有明親王)
 源 伊陟(父は兼明親王)
 源 俊賢・源 経房・為平親王室・源 明子(父は源 高明)
 藤原高光・藤原為光・尋禅・愛宮(母は雅子内親王)
 深覚・藤原公季(母は康子内親王)


☆母方の親族

祖父・藤原師輔 祖母・藤原盛子(藤原経邦女)

主なおじ
 藤原伊尹・藤原兼通・藤原兼家・藤原高光・藤原為光・尋禅・深覚・藤原公季・藤原遠度

主なおば
 藤原登子・三の君(源 高明室)・愛宮

主ないとこ
 藤原挙賢・藤原義孝・藤原義懐・藤原懐子(父は藤原伊尹)
 藤原顕光・藤原朝光・藤原正光・藤原(女皇)子(父は藤原兼通)
 藤原道隆・藤原道兼・藤原道長・藤原道綱・藤原超子・藤原詮子(父は藤原兼家)
 昭平親王室(父は藤原高光)
 藤原誠信・藤原斎信・藤原公信・藤原道信・藤原(女氏)子(父は藤原為光)
 藤原実成・藤原義子(父は藤原公季)
 源 俊賢・為平親王室(母は三の君)
 源 経房・源 明子(母は愛宮)


☆主な兄弟姉妹とおい・めい

主な兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟)
 *広平親王 ○円融天皇 ○為平親王 *具平親王 *昭平親王

主な姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹)
 *規子内親王 *楽子内親王○輔子内親王 *盛子内親王 ○選子内親王

主なおいとめい
 一条天皇(父は円融天皇)
 源師房・隆姫女王・具平親王二女(敦康親王室)・(女専)子女王(以上 父は具平親王)
 源頼定・恭子女王(父は為平親王
 藤原重家・藤原元子(母は盛子内親王
 藤原公任室(父は昭平親王)


☆后妃と皇子・皇女

 昌子内親王(朱雀天皇皇女)

 藤原超子(藤原兼家女) → 居貞親王(三条天皇)・為尊親王・敦道親王・光子内親王

 藤原懐子(藤原伊尹女) → 師貞親王(花山天皇・尊子内親王・宗子内親王

 藤原付子(藤原師輔女) *付は実際は「付)に下心という字


☆末裔たち

 冷泉天皇の退位後は、同母弟の守平親王(円融天皇)が即位、円融退位後は冷泉天皇の第一皇子、師貞親王が花山天皇として即位しました。しかし花山天皇は、自分の孫である懐仁親王(円融天皇皇子)の1日も早い即位を画策する藤原兼家の謀略によってわずか2年で退位させられてしまいます。

 懐仁親王が一条天皇として即位する際、冷泉天皇第二皇子である居貞親王が皇太子に立てられました。しかし、25年待ってようやく三条天皇として即位した居貞親王ですが、自分の孫である敦成親王(一条天皇皇子)の一日も早い即位を熱望する藤原道長の嫌がらせによってわずか5年で退位を余儀なくされます。

 このように、天皇となった冷泉天皇の皇子たちは二人とも、藤原氏の圧迫によって退位させられた不運な天皇でした。

 一方、冷泉天皇の第四皇子、敦道親王は、歌人の和泉式部との間に男児を一人もうけます。彼は後に出家して永角と名乗りました。


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「女人源氏物語」、読了

2008-04-12 20:42:01 | 読書日記
 昨年秋から読んでいた瀬戸内寂聴さんの「女人源氏物語」、ようやく読了しました。色々な本を読みながら読んでいたので、結構時間がかかってしまいましたが…。

 この「女人源氏物語」は、こちらと、こちらで紹介しているのですが、「源氏物語」を物語に登場する女君たちや女房たちの語りによってストーリーが展開するといった、ユニークな形の「源氏物語」です。

 再読でしたが、読み終わった感想は、やっぱり、面白かったです。「源氏物語」を女たちの立場で語るとこんな風になるのだ…と改めて感心させられたり、驚いたり…。特に、脇役にすぎない女房たちの語りが面白かったです。

 また、この物語には、瀬戸内さん独自の創作もかなり織り込まれています。第2巻に収められた、「藤壺の侍女王命婦のかたる薄氷」などは、藤壺が亡くなったあとの女房たちの後日談という色が濃いです。

 それから圧巻だったのは、ラストの浮舟の語りです。

 私は今まで、浮舟という女性が受領階級だと意識したことがなかったのですよね。彼女は八の宮の忘れ形見で大君に生き写しだという設定なので、ついつい王族の女性だと思ってしまったのですが、八の宮からは実の子と認められず、母が再婚した受領の家で育てられたので、身分は受領階級だということを見落としがちでした。確かに、薫も匂宮も、浮舟に対するあつかいは大君や中の君より軽々しいです。なので浮舟が哀れになってきますが、薫や匂宮が、浮舟を受領階級の女性としてあつかっていると考えると少し納得できるように思えます。ただ、薫が浮舟とさっさと契ったあげく、宇治に隠してしまうなんてちょっと…と思ったりしますが。

 そんなこんなで薫と匂宮、二人の男性に愛された浮舟は悩み苦しんだあげく宇治川に取水したものの横川の僧津に助けられ、出家をしてしまいます。浮舟は出家をすることによってでしか、救われる道がなかったのかもしれませんね。

 ラストの「薫はもちろん、弟にも会わない」という浮舟の決断について、二十代の頃の私は「どうして?」と思って納得できなかったのですが、今では何となく、浮舟の気持ちがわかるような気がします。はっきりではなく何となくですけれどね。このように、年齢によっても感じ方が違ってくるところも、「源氏物語」のすばらしさなのかもしれません。

 瀬戸内さんは、「女人源氏物語」で独自の「源氏」の世界を展開なさいましたが、原文に忠実な口語訳もしておられます。こちらもまた読み返してみたいです。

 とはいうもののかなり気が多い私、今度は急に徽子女王にお会いしたくなり、「斎宮女御徽子女王(山中智恵子・著 大和書房)」という本を読み始めました。朱雀天皇御代の斎宮、後に村上天皇の女御となった女性で、歌人としても知られる徽子女王の人物評伝です。実はこちらも再読ですが、「源氏物語」が生まれる前の朱雀・村上・円融天皇の御代を堪能しています。

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源氏物語の時代

2008-04-08 16:22:37 | 図書室1
 今回は、「源氏物語」の書かれた一条朝を描いた、歴史エッセイを紹介いたします。

☆源氏物語の時代 ー一条天皇と后たちのものがたり(朝日選書 820)
 著者・山本淳子 発行・朝日新聞社 税込み価格・1365円

本の内容紹介
 『源氏物語』を生んだ一条朝は、紫式部、清少納言、安倍晴明など、おなじみのスターが活躍した時代。藤原道長が権勢をふるった時代とも記憶されているが、一条天皇は傀儡の帝だったわけではなく、「叡哲欽明」と評された賢王であった。皇位継承をめぐる政界の権謀術数やクーデター未遂事件、当時としてはめずらしい「純愛」ともいうべき愛情関係。ドラマチックな一条天皇の時代を、放埓だった前代・花山天皇の、謀略による衝撃的な退位から書き起こし、現存する歴史資料と文学作品、最新の研究成果にもとづいて、実証的かつ立体的な「ものがたり」に紡ぎあげる。『源氏物語』が一条朝に生まれたのは、決して偶然ではない。

[目次]
 序章  一条朝の幕開け
 第1章 清涼殿の春
 第2章 政変と悲劇
 第3章 家族再建
 第4章 男子誕生
 第5章 草葉の露
 第6章 敦成誕生
 第7章 源氏物語
 終章  一条の死


 紹介文にもありますようにこの本は、花山天皇の衝撃的な退位から筆を起こし、一条天皇の即位、定子との結婚、中関白家没落と道長の登場、そして彰子入内、「源氏物語」の誕生、一条天皇の退位と死に至るまでの激動の時代を、「日本紀略」といった史書、「小右記」「御堂関白記」「権記」といった貴族の日記、「枕草子」「大鏡」「栄花物語」といった古典文学に基づき、一条天皇と彼の二人の后、藤原定子(藤原道隆女)、藤原彰子(藤原道長女)を中心に描いた歴史エッセーです。小説ではありませんが、物語風に書いてある場面もあり、親しみやすくわかりやすいです。それでいてとても正確で、この時代を理解する上で最適の本だと思いました。

 この本を読んで感じたことは、主役である3人…、一条天皇、藤原定子、藤原彰子の人間的な魅力でした。特に、一条天皇と定子の純愛については力を入れて書かれています。

 一条天皇は学問に優れ、人間的にも立派な人物であったこと、そしてその一条天皇の魅力にさらにみがきをかけたのが定子との愛情であったことが繰り返し語られています。定子は話題豊富で、明るくユーモラスな性格の女性でした。一緒にいて楽しい女性だったのでしょうね。そんな定子に、一条天皇が深い愛情を感じたことはごく自然なことだったのかもしれません。
 定子の実家、中関白家が没落してからも、一条天皇は定子に変わらぬ愛情を注ぎ、必死に守り抜こうとします。二人の純愛には胸を打たれます。

 一方彰子は、定子の崩御の1年前に入内したのですが、12歳という幼さのため、権力者道長の娘という立場がかえって痛ましく感じました。しかし、何もわからないお人形で終わらなかったところが彰子のすばらしいところです。
 彰子が紫式部に漢籍の講義を頼んだ本当の理由は、漢籍を学ぶことによって一条天皇の話し相手になりたい、そして、一条天皇の真の后になりたいという願いからだった…と、この本に書かれていましたが、私も同感です。彰子の一人目の子、敦成親王は、一条天皇が「道長との融和のため、何としてでも彰子を身ごもらせなくては」という必要に迫られてできた子であるのに対し、二人目の子である敦良親王は、二人の真の愛情によってできた子でした。しかし、それでも一条天皇が最も愛した女性はやはり定子であり、彼の辞世の句は定子に捧げられたものだったようです。

 その他、清少納言や紫式部も登場します。清少納言と定子は、信頼し合った友人同士という関係だったのに対し、紫式部と彰子は、「頼りない中宮さまを守ってあげなくては」という関係だったというのも面白いです。

 また、一条天皇が崩御したあとの彰子、清少納言、紫式部にも触れられていました。彰子が権力を持った立派な后になっていく姿には感動します。

 このように、各人物の性格や行動が具体的に描かれていますので入りやすい本だと思います。「源氏物語」は知っているけれど、物語の書かれた時代のことはよく知らないという方には入門書として最適です。もちろん、この時代や人物のファンの方にも、新しい発見がたくさんある本だと思います。お薦めです。

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