平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

アンの思い出の日々

2013-11-25 09:34:59 | 読書日記
 赤毛のアンシリーズの最終巻「アンの思い出の日々」を先日、読了しました。

 赤毛のアンシリーズについては、「こちら」と「こちら」で書きましたが、「アンの娘リラ」で完結だとずっと思っていたので、続きの巻が出ていたとは驚きでした。

 実はこの巻の原稿は、作者L・M・モンゴメリが亡くなった当日(1942年4月24日)に何者かによって出版社に持ち込まれたものだそうです。しかし、そのままの形で出版されることは長い間ありませんでした。
 どうしてそうなったかと言いますと、この原稿は反戦の色が強く、第2次世界大戦のまっただ中だった当時としては差し支えあったとのこと。その後、何らかの理由によって埋もれてしまったのでしょうね。
 そして4年前、ようやくモンゴメリが望んだ形で本国カナダで出版され、昨年、アンを初めて日本語に翻訳した村岡花子さんのお孫さんの村岡美枝さんによル邦訳で日本でも新潮文庫から刊行されました。購入しようかとも思ったのですが、「もう少し待てばサピエ図書館(視覚障害者用のネット図書館)にUPされるかもしれないので少し待ってみよう」と思って待っていたのですが、2週間ほど前にUPされているのに気がついたのでようやく読むことが出来たわけです。

 それで本の内容なのですが、15編の短編と、アンやアンの息子で第1次世界大戦で戦死したウォルターによる詩、それとブライス家の人たちの語らいで構成されています。

 短編はアンの住んでいるグレンセントメアリ村周辺の人たちのエピソードが中心で、アンやアンの家族たちは脇役か噂話で登場する程度です。でも、アンの世界と設定は同じなので、親しみ深く読むことが出来ました。思いがけない展開の話が多かったですが、幼い頃、心を病んだ伯母と庭を散歩したときに出会った生年を忘れられずにいる妄想いっぱいの女性が主人公の「思い出の庭」と、両親と死に別れ、親戚をたらい回しにされる愛情に飢えた少年が主人公の「パットはどこへ行く」が特に好きです。
 特に「パットはどこへ行く」は、「こんな偶然な話ってあるのかしら」という展開のようにも思えますが、運命に引き寄せられるとか、偶然とか、最近そのような体験をしたばかりの私なので、「こういう事もあり得るかも」と思いながら読みました。

 アンやウォルターの詩やブライス家の人たちの語らいの部分では、アンの家族たちの新たな一面が発見出来ます。「アンの娘リラのリラとケネスは無事に結婚したんだ~」とか…。
 それと同時に、ウォルターの戦死がブライス家の人たちに与えた影の大きさも感じました。特に、ウォルターが詩を書くことを批判的に見ていた家政婦のスーザンが、彼の死後、そのことを後悔するくだりが印象的でした。

 この「アンの思い出の日々」は、第2次世界大戦勃発の時期、つまりアンの孫の世代までの時代の出来事が語られます。喜びや夢といった明るい部分だけでなく、復讐や死や裏切りなど、人生の闇の部分、戦争が人に与える悲しみなど、思い部分もありましたが、読むことが出来て良かったと思います。やっぱりアンシリーズは私の永遠の愛読書です。

アンの思い出の日々(上・下)
 ルーシー・モード・モンゴメリ 村岡美枝・訳 新潮文庫 各778円


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今、幸せですと昨年の自分に伝えてあげたい

2013-11-11 12:51:22 | えりかの平安な日々 10~18
 夜、寝つきが良くないことがあるので眠剤は飲んでいますが、ここ1ヵ月間、安定剤を飲んでいないことに気がつきました。
 いつもお世話になっている病院の先生や薬剤師さんのお話では、安定剤よりも眠剤の方が体への負担が少ないそうです。特に先生は、「今のえりかさんはテンションが高いから安定剤では強すぎる。絶対に眠剤のほうがいい」とおっしゃっていました。

 そのようなわけで眠剤を飲んでから寝るようになって約1ヶ月、だんだん長い時間、眠れるようになってきました。それどころか、たまにですが薬なしでもすうっと眠りに入り、眠りは浅いですが6時間くらい眠れる日もあります。薬なしで眠れたのは3年ぶりくらいだと思います。確実に進歩しています。

 日常生活の中では時々落ち込むこともありますし、家族とも色々ありますが、おかげさまで幸せな気持ちで毎日を送っています。
 そして、こちらの日記で書いた濱田金吾さんの音楽が、今の私に大きなパワーを下さっています。感謝しても感謝しきれません。

 そして、来月には友人2人と東京にライブに行くことが決まりました。一人は30年前、金吾さんを薦めてくれた人で、彼女にもとっても感謝しています。もう一人もやはり、彼女から金吾さんを薦められ、大好きになったという人です。とっても楽しみです。楽しみなことがあると日常生活を頑張れます。
 それで、リクエスト曲も1曲、お願いしました。もし採用されたら幸せすぎてどうなってしまうのかしらという感じです。

 ところで、金吾さんは1980年代に7枚のオリジナルアルバムを出されているのですが、1枚目から5枚目までのCDアルバムを9月~10月半ばにかけてamazonで購入しました。
 ところが、残りの2枚はamazonでは入手不可でした(6枚目は中古で売られていましたが、私はクレジットカードを持っていないし、今の状況では持てないので)。
 それで入手をあきらめていたのですが先月末、タワーレコード通販で買えるという情報を得て早速調査。もし、クレジット専用だったらどうしようと思いながらアクセスすると、宅配だけではなく、手続きをすればお店に取り置きをお願いして直接買えることがわかりました。
 調べてみると静岡店では取り置きOKになっていました。ちょうど3日後に静岡市内に出ることになっていたので、間に合うかどうかお店に電話して確認、「大丈夫だと思いますよ」という返事を頂けたので、早速、購入手続きをしました。

 実はタワーレコード静岡店は駅のすぐ近くにあり、何回か利用したこともあったのです。そんなところも本当にラッキーでした。そんなわけでこちらも無事に手に入れて、金吾さんのオリジナルアルバムをCDでコンプリートすることが出来ました。(^^)

 6枚目のアルバム「heart cocktail」は、28年前にリアルタイムで聴いていたので色々な思い出があります。友人たちと一緒に聴いて、「私はこの曲が好き」とおしゃべりしたり、あ、そうそう、結婚したばかりの頃、夜にだんなさんとお茶を飲みながら聴いたこともありました。

 7枚目の「fall in love」には思い出の曲が入っていました。
 6曲目の「心のままに once again」(動画が見つからなかったので貼り付けることが出来なくて残念です)、この曲、渡辺美里さんの「マイレボリューション」や、角松敏生さんの「no end summer」とともに、あんま鍼灸の国家試験の追い込みの時期に、元気を頂いていた曲なのです。
それで、この曲が入っていたテープが度重なる引っ越し(何しろ結婚生活25年の間に5回、引っ越しましたので)でなくなってしまい、今回20年ぶりくらいに聴くことが出来てとても嬉しかったです。あの頃も元気をもらっていましたが、今の私への応援歌のような気もしました。ありがとうございます。

 さて、CDをタワーレコードで購入した日は、友人2人(ライブに行く友人とは別の友人です)とカラオケに行ってきました。それで金吾さんつながりの話をもう少し…。

 私はカラオケのディスプレーの文字が見えないので、あらかじめ歌詞を歌詞サイトなどから点字に書き写してカードを作り、読みながら歌っています。特に初めて歌う曲は点字の歌詞カードが必須です。

 今回、友人とカラオケに行く約束をしてから、岩崎宏美さんの「摩天楼」と、高橋真梨子さんの「スフィア」を絶対に歌おうと決めていました。なぜならこの2曲、金吾さんの作曲だからなのです。なので歌詞カードも作り、わくわくしながらカラオケの日を待っていました。

 それでこの日、歌うことが出来てとっても幸せでした。難しかったですが、初めてにしては上出来かなと思いました。

 ところでそれとは別に、私はもう1曲、金吾さんの作品で出来たら歌いたい曲がありました。10代の頃から大好きだった「青空の翳り」(太田裕美さんが歌っています)です。でも、ないよねと思いながらやっぱり気になって、友人に検索をしてもらったところ、ありました。そこで、歌詞カードはありませんでしたが、歌ってしまいました。最高に幸せでした。こちらも音域が広くて難しかったですが。
 それに、帰りの電車の中で原曲を聴いてみたら、歌詞を1カ所、間違っていました。今度は正確に歌います♪

 考えてみると昨年の今頃は一番辛い時期でした。
 ちょうど実家に戻ってきた頃で、「どうしてこんな事になってしまったのかしら」といつも考えていました。だんなさんが入院していたときの病院の部屋代をローンで組んでいて、その支払いが残ってしまったため、色々嫌なことを言われました。あまりにも辛いのでついつい安定剤を飲んで寝ていることも多かったし、明け方になると体が震えて目が覚めて、涙が出て来ることもありました。好きなことや趣味を楽しむことも出来ませんでした。
 生きているのでこれからも苦しいことはあるかもしれません。でも、一番辛い時期は過ぎたと思います。
 何よりもだんなさんとお別れしたとき、こんなに幸せな思いをする日が来るとは想像も出来ませんでした。1年前の自分に「来年の今頃は幸せな思いをしているから頑張って」と伝えてあげたいです。

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第55代 文徳天皇

2013-11-04 09:30:17 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  827~858
☆在位期間 850~858

☆両親
 父・仁明天皇 母・藤原順子

☆略歴

 名は道康。仁明天皇の第一皇子。

 承和九年(842)二月、仁寿殿において元服。同年、承和の変により皇太子恒貞親王が廃されるとそれに伴い、八月立太子。

 嘉祥三年(850)四月、仁明天皇の崩御に伴い即位する

 文徳天皇の即位によって皇太子に立てられたのは、藤原良房女明子所生の生後間もない第四皇子、惟仁親王でした。天皇は紀静子所生の第一皇子惟喬親王を愛し、皇太子に立てたいと願っていましたが、権力者良房の勢力に押され、惟仁親王を立体視せざるを得なかったと伝えられています。
 良房は後年、外孫惟仁親王の即位(せいわてんのう)により、人身初の太政大臣となり、権勢を振るうこととなります。
 このように天皇は、良房によって敷かれたレールの上を歩いて行かざるを得なかった感が強いです。歴代藤原氏の人物の中でも政治力はトップクラスだった良房と同時代に生きていたことが、文徳天皇にとっては不運だったとしか言えないような気がします。

 天安二年(858)八月、三二歳で崩御。山城国葛野郡田邑郷真原岳の田邑陵(現在の京都市右京区太秦)に葬られました。


☆父方の親族

祖父母
 祖父・嵯峨天皇 祖母・橘嘉智子

主なおじ

 源信 源融 源定 源常 源弘 源生

おもなおば

 正子内親王(淳和天皇皇后) 有智子内親王(初代賀茂斎王) 
 仁子内親王(伊勢斎王) 源潔姫(藤原良房室) 源全姫

主ないとこ

 源昇 源淡*以上、父は源融)
 源唱*父は源定
 恒貞親王*母は正子内親王


☆母方の親族

祖父母

 祖父・藤原冬嗣 祖母・藤原美都子

主なおじ

 藤原長良 藤原良房 藤原良相 藤原良門

主ないとこ
 藤原基経 藤原国経 藤原遠経 藤原高経 藤原清経
 藤原高子(清和天皇女御)藤原淑子(藤原氏宗室) 藤原有子(高棟王室)*以上、父は藤原長良
 藤原明子(文徳天皇女御・染殿后)*父は藤原良房
 藤原常行 藤原多可幾子(文徳天皇女御) 藤原多美子(清和天皇女御)*以上、父は藤原良相
 藤原利基 藤原高藤*以上、父は藤原良門


☆兄弟姉妹と甥・姪

兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟

 *時康親王(光孝天皇 *宗康親王 *人康親王 *本康親王
 *常康親王 *源多 *源光

姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹
 *新子内親王 *久子内親王(伊勢斎王) *時子内親王(賀茂斎王) 

主な甥と姪

 定省親王(宇多天皇) 是忠親王 是貞親王 綏子内親王 為子内親王 源国紀 源済子 源和子*以上、父は光孝天皇

 操子女王(藤原基経室 時平・忠平らの母) 源興元 *以上、父は人康親王

 元子女王(伊勢斎王 *父は本康親王)


☆主な后妃と皇子・皇女

 藤原明子(藤原良房女) → 惟仁親王(清和天皇) 儀子内親王

 藤原古子(藤原冬嗣女)

 藤原多可幾子(藤原良相女)

 紀 静子(紀 名虎女 → 惟喬親王・惟条親王・恬子内親王(伊勢斎王)・述子内親王・珍子内親王、

 滋野岑子(滋野貞雄女) → 源 本有・源 載有・源 淵子

 伴氏 → 源能有


☆末裔たち

・その後の皇位継承について

 略歴でも触れたように、文徳天皇崩御後は藤原明子所生の惟仁親王が践祚し、清和天皇となりました。清和天皇のあとはその皇子貞明親王(陽成天皇)が皇位を継承しますが、陽成天皇は藤原基経(良房の甥で養子)の不興を買って退位させられます。
 陽成天皇の皇太子は定まっていなかったため、公卿たちの協議の結果、文徳天皇の異母弟に当たる道康親王が践祚しました。(光孝天皇)。皇位は光孝天皇の子孫へと受け継がれていくこととなります。

・惟喬親王

 文徳天皇が皇太子に立てることを望んでいた惟喬親王とはどのような人だったのか、「平安時代史事典」をもとにまとめてみました。

惟喬親王(844~897

 文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎女静子

 天安元(857) 元服。四品に叙される。
天安二(858) 大宰帥。
 貞観五(863)二月 弾正尹。常陸太守・上野太守を兼任。
 貞観十四(872)七月、藤原良房薨去の直前、病気を理由として急に出家し、山城国愛宕郡小野に隠棲した。

 文徳天皇は晩年、惟仁を辞めさせて惟喬を皇太子に立てようとし、左大臣源信に諫められ、止められたこともあったそうです。あきらめきれなかったのでしょうか。

 惟喬親王はその後失意のうちに風流の道に生き、渚の院で在原業平、紀有常らと桜狩りをした様子は、「伊勢物語」82・83段に描かれています。

 なお、新能の子には歌人として知られる兼覧王がいます。

・源能有の娘たち

 文徳天皇が伴氏の女性との間にもうけ、後年、右大臣にまで昇進した源能有の娘たちの系譜がなかなか面白いので紹介しておきます。

 娘の一人、昭子は藤原忠平の妻となり、師輔をもうけました。
 師輔の子が兼家であり、その子が道隆や道長であることを考えると、文徳天皇の血がこんな所に!とびっくりしました。

 また別の娘は貞純親王の妻となり、源経基をもうけています。
 異説はありますが、経基の子が満仲、その子孫から日本史で活躍する義家や頼朝、義経などが出ています。これも系図の不思議なところです。(清和天皇の系譜のページの「末裔たち」、及び陽成天皇の系譜のページの「末裔たち」参照)

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