平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

「お城総選挙」を見て思い出したこと

2019-03-24 11:28:31 | 歴史雑記帳
 3月23日にテレビ朝日系で放送された、「お城好き1万人がガチで投票!お城総選挙」、放送開始1時間前にtwitterで番組のことを知り、見ることが出来ました。面白かったです。感想をtwitterでつぶやこうと思ったのですが、長くなりそうなのでブログ記事にしました。

*ランキングにネタバレがあります。ビデオなどに撮ってあって、まだ見ていらっしゃらない方はご注意下さい。
 それと、感想というより昔の思い出話が多いです。

 番組では30位から1位までが発表されたのですが。
 一番先に発表された30位の丸岡城、街頭インタビュー?の時点で「ああ、丸岡城だ!」とわかってしまった私、さい先良い!と思いました。そのあとも、インタビューだけでわかってしまったお城が多かったです。(岐阜城とか、小田原城とか)
 ランキング入りした大多数のお城が、行ったことがあるお城、歴史の本や写真集で見たことがあるお城でしたが、中には初めて聞いたお城も。兵庫県の竹田城、お恥ずかしながら知りませんでした。素敵なお城ですね。(^^)

 嬉しかったのは、1994年に訪れた青森県の弘前城が10位に入っていたことです。
結構、思い出多いので(^^)
 天守閣が3層でかわいらしかったです。でもちょっと傾いている気が。帰宅後、調べてみたら本当に傾いているということでした。
 天守閣の中には姫さまの碁盤とかごが展示してあって。おてんばな姫さまが、「わらわはかごに入るのは嫌じゃ。碁をやりたいのじゃ。」と言っているのを妄想したりしました。あと、庭で鳩を追いかけたりしたっけなあ。

 1位に輝いたのが姫路城だったのも嬉しかったです。
 司馬遼太郎さんの「新史太閤記」と「播磨灘物語」を読んで黒田如水が好きになり、如水の生まれ故郷を見てみたい!と思って、1996年6月に、だんなさんと一緒に訪れたのが姫路城です。
 如水は天文十五年(1546)の生まれなので、まだあの大きな天守閣はない時代ですが、その頃存在していた門などは残っているはずですし、何より、如水が踏みしめたであろうと思われる同じ地面を踏みしめていることにわくわくしました。
 もちろん、大きな天守閣にも感動。 

  松江城と彦根城は、もうちょっと上と予想していました。私がお城を3つ選ぶなら多分、姫路城・彦根城・松江城にしたと思うので。

 松江城は1987年に新婚旅行で行きました。
 その頃は、松江城が現存天守閣だったことを知らなくて、お城の中暗いし、階段急だし…?と思ったのですが。天守閣の最上階に登ったとき、何か気持ちがすっきりして。いいお城だなって思ったのです。
 そして、松江城の写真を見たり、ニュースで取り上げられたりするたびにだんなさんと、「また行きたいよね」と言っていました。

 彦根城は10回目の結婚記念日に行きました。
 番組でも取り上げられていましたが、確かに攻めにくいお城かもと思いました。お城の周りも歩いたのですが、突然、坂道になっていて転びそうになったり。 それでも天守閣がきれいだなって思いました。さすが徳川家四天王の井伊家のお城です。

 地元の駿府城も25位に入っていて嬉しかったです。家康のお城だと思っていたのですが、秀吉とも関係があったなんてびっくり。もし秀吉が駿府にお城を築いていたらどうなったのかしら。歴史が変わった?

 ただ、地元の掛川城と浜松城がランクインしていなかったのがちょっと残念。どちらもいいお城なんですけれどね。ということで宣伝。

掛川城散歩
 2006年9月、掛川城を訪れたときの旅行記

盛夏の浜松へ
 2009年8月、浜松へ石山寺展と浜松城に行ったときの旅行記。

 他にも、沖縄の首里城とか、函館の五稜郭とか、ちょっと毛色の違ったお城も見てみたいとか、安土城の天守閣が残っていたら間違いなく世界遺産だったのではとか、色々考えて楽しかったです。
 1人では知らない土地や階段が多いお城には行けませんし、何より今の体力では?とも思いましたが。
 でも「お城総選挙」、だんなさんの思い出と、20代・30代の時にお城が大好きだった気持ちを思い出させてくれました。見ることが出来て良かったです。

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「源氏物語 まんがで読む古典」再放送決定 そこでちょっと思い出したこと

2015-02-16 10:20:19 | 歴史雑記帳
 昨日の午後に知ったのですが、25年ほど前にNHKで放映された「源氏物語 まんがで読む古典」が、今週土曜日、午後4時からEテレで再放送されます。

参考ページはこちら

 再放送、しかも地上波のEテレでなんて嬉しすぎる~。((o(^-^)o))

 この「源氏物語 まんがで読む古典」は、25年ほど前に5回シリーズで放映されたもので、光源氏が若い頃に関わった5人の女性を取り上げ、まんが仕立てで物語風に解説されていました。取り上げられた女性は、夕顔、六条御息所、紫の上、末摘花、朧月夜の5人。

 今回はその中から夕顔と朧月夜の回が再放送されるのだそうです。私の記憶では確か、第1回目と最終回だったと思います。他の回も見てみたかったのですが、これだけでもすごく楽しみ。絶対に忘れないようにしなくては。

 ところで昨日はなぜか、「源氏物語」と縁のあった日だったような…。

 私が初めて「源氏物語」に興味を持ったのは、中学1年か2年の時に、図書館で紫式部の伝記を借りて読んだときだったと思います。
 その本は小学校上級から中学生向きに、紫式部の生涯をわかりやすく、物語風に書いた本だったと記憶しています。子供向きながら300ページくらいある、読み応えのあるものでした。しかもすごく面白かったです。

 その伝記の中に紫式部が中宮彰子に向かって、「源氏物語」の内容を語る場面がありました。彰子は紫の上が好きで、彼女が亡くなってしまうと聞いたときにすごく残念がっていた…というシーンもあったのを思い出します。それで、「源氏物語」も読んでみたいなあと何となく興味を惹かれたのでした。

 それから間もなく図書館で「源氏物語」を見つけ、読み始めてみました。こちらも子供向けの縮約版でしたが、何かよくわからなくて途中で挫折してしまいました。「女御」とか「更衣」という言葉で最初からつまずいてしまったのですよね…。私が「源氏物語」をしっかり読了したのは、それから約10年後のことです。

 で、どうしてこんな事を書いたかと言いますと、昨日の明け方の夢に、なぜかこの、中学の図書館にあった「源氏物語」を読んでいる夢を見たからなのです。

 それでこの本、どういう本だったのか気になって、色々ネット検索してみました。
 どうやらこの本は、偕成社から発行されていた世界少女文学全集の中の1冊だったようです。1971年発行の本なので、現在はもちろん絶版です。でも、どのように縮約されていたのか、すごく気になります。

 ちなみに、それより少し前に読んだと思われる紫式部の伝記は、同じく偕成社から発行されていた世界偉人伝の中の1冊「紫式部 王朝文化の光」のようです。こちらももう一度読んでみたいなあ。まだ、中学の図書館にあるのかしら。

 というわけで、なつかしい日当たりの良い中学の図書館と、「源氏物語」に思いをはせた1日でした。

 そして、夢の中に「源氏物語」が出てきた日に、「源氏物語 まんがで読む古典」の再放送の情報を知ることになるなんて、やっぱり何かの縁なのかなあと思ったりします。

☆追記(2015年3月8日)
 「源氏物語 まんがで読む古典」は2月21日に放送され、無事に見ることが出来まし
た。
 番組を見ながらtwitterで感想を少しつぶやいてみました。

えりか(@erika_heian)/2015年02月21日 - Twilog

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勝手に考察? 百人一緒の紫式部はなぜ桃色の袿を着ているのか

2014-03-03 19:48:12 | 歴史雑記帳
 本日はちょっと考察&妄想をしてみました。

 もう2ヶ月以上前のことなのですが、平安時代好きの友人と電話でお話をしているとき、百人一緒の紫式部はどうして桃色の袿を着ているのか?という話になりました。

 百人一緒というのは京都の時雨殿で売られている高さ2センチほどの百人一首の歌人たちの人形で、私は紫式部を含めて6体持っています。


       


 それで私が思いついたこと。

ももといふ 名もあるものを 時のまに 散る桜にも 思ひおとさじ

歌の意味。
 ももの名は百年(ももとせ)にも通じるだろう。百年添い遂げよう。うつろいやすい桜より軽んじたり、私はしないよ。(山本淳子著「私が源氏物語を書いたわけ 紫式部ひとり語り」より引用。

 この歌は、紫式部の夫、藤原宣孝が紫式部に向けて詠んだ歌です。この歌から、紫式部の幼名は「もも」と言ったのではないか?と考証されている研究者もいらっしゃるそうです。
 なので紫式部は桃色の袿を着ているのかなと、私は勝手に思ったのでした。
なお、友人の話によると、かさねの色目の「桃」も表が淡紅で裏が萌黄なので、紫式部の人形が着ている袿も桃かさねなのでは?ということでした。
 いずれにしても、紫式部の幼名が「もも」だったらかわいらしくて素敵♪と思いました。

 ところで、私が所持している百人一緒6体のうち、3体が姫なのですが、紫式部以外のお二人、清少納言と大弐三位藤原賢子はいわゆる十二単姿で裳もしっかりつけているのです。
 他の2人が十二単姿なのに、どうして紫式部は略装の袿姿なのか、こちらも勝手に考察してみました。そこで思いついたのは、歌が詠まれた時期によるのではということです。

大弐三位

       

清少納言

       

 清少納言の後ろ姿

      

*あまりうまく撮れていなくてすみません。

 百人一首に採られた紫式部の歌

 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな

 この歌は紫式部が娘時代に、久しぶりに会った女友達に向けて詠まれたものです。
 つまりこの歌を詠んだ時期の紫式部は、中級貴族ながら姫さまとしてかしずかれていたわけです。
 平安時代は、姫さまは普段は袿などの略装で、おつきの女房は十二単などの正装を着ていました。十二単のことを「女房装束」というのはこういうところから来ています。

 それに対して清少納言の

 夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

は清少納言が定子中宮に女房として仕えていた時期に宮中にて、藤原行成に向けて詠まれた歌ですし。大弐三位の

 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

は詠んだ時期、誰に向けて詠まれたものなのかは不明ながら、大弐三位は少女の頃から女房として宮仕えし、その後、後冷泉天皇の乳母となって出世したことから宮仕えの時期に詠まれたのは確実だと思います。

 もちろん、百人一緒は専門の先生がしっかり監修なさっていると思われるので、私の考察は勘違いかもしれませんが、こうしてちょっと妄想してみるのもいいかなと思って書いてみました。

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大河ドラマ「平清盛」 総括

2012-12-24 11:22:00 | 歴史雑記帳
 総括と言っても、たいしたことは書いていません。

 大河ドラマ「平清盛」、昨日が最終回でしたね。感想を一言で言うならば、某様もおっしゃっていましたが、面白くて、残念な作品でした。

 平安末期の人物がしゃべって、動いているところを見られたのは本当に嬉しかったです。

 特に私がお気に入りだったのは平忠盛と信西入道です。忠盛パパはとにかく格好良かったです。信西はキャラクターがユーモラスでした。なので、お二人が亡くなってしまうシーンはとても残念でした。
 他にも、藤原家成や待賢門院堀河など、今までドラマには絶対に出てこなかったような人物が登場してきて嬉しかったです。

 それから、平安時代の暮らしや風俗が詳細に表現されていたのも嬉しかったです。

 特にわくわくしたのは雅楽のシーン、その中でも、宗子さんと明子さんと、家盛の奥さんの女3人の琵琶と琴と笛の演奏が特に印象に残っています。

 残念だったことは、終盤になってからですが、色々なエピソードを詰め込みすぎていて、かえって描き方が中途半端になってしまったことでした。

 特に清盛の息子たちのうち、知盛と重衡の個性がよく見えなかったです。確か、小督の事件も無視されていたような…。
 主人公でありながら、清盛の影が薄いようにも思えました。

 それから、これは私の個人的な事情のためなのですが、集中して見られない時期が長すぎました。

 1月~3月は自宅で音声解説つきで見ることができて、内容もしっかり把握できたのですが、だんなさんの入院中の4月~6月中旬までは病院の音声解説機能がついていないテレビで見たので、画面を追うのが大変でした。
 そのあと、だんなさんが自宅に帰ってきてからは再び自宅のテレビで見ることができたのですが、その頃から忙しかったり気がかりなことが多かったりして、あまり集中できませんでした。

 10月から最終回までは、携帯電話のワンセグで見ていました。私のワンセグは一応、音声解説は聞けるようになっているのですが、「平清盛」はステレオ放送という影響もあるらしく、音声解説がどうしても入ってきませんでした。それに、「あれ?この人物が無視されている、あの出来事が無視されている」とつっこみを入れられるようになったのは、今月になってからです。

 そんなわけでブログに感想をUPすることはもちろん、twitterで一言感想をつぶやくことも、ほとんど出来ませんでした。

 幸いサピエ図書館に、「平清盛」のノベライズ本が順々にUPされていました。それで10月の時点で3巻までUPされてあったので、あちらに住んでいたとき3巻までをダウンロードすることが出来ました。

 そのあと周知のように、ネットを解約して引っ越しをしたので、サピエ図書館もしばらくは無理…とあきらめていたのですが、今月11日にネットにつなぎ、16日にはサピエ図書館にもつなぐことが出来ました。
 それでひょっとしたら、第4巻がUPされているかもしれないと思い、早速検索をかけてみたのですが、まだUPされていませんでした。そのうちUPされるよね、気長に待とうと思っていたところ、20日にUPされているのを発見、早速ダウンロードしました。これで全巻そろったことになります。
 なので、ノベライズ本をゆっくり読んで復習しようと思います。どうやらノベライズ本には、本放送ではカットされたシーンも書かれているとか。楽しみです。

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大河ドラマ「平清盛」第1回 感想

2012-01-12 20:12:53 | 歴史雑記帳
 楽しみにしていた2012年の大河ドラマ、「平清盛」第1回を見ました。遅くなってしまいましたが、感想を少し、書かせて頂きますね。

 初回を見た限りでは、面白かったです。1時間15分の拡大版でしたが、ストーリーに引き込まれてしまい、長いという感じを受けませんでした。

 ただ、気になったところはいくつかありました。箇条書きにしますと、

①天皇家のことをしきりに「王家」と言っていたのが気になりました。「帝」「主上」「院」で良いのではないかと思います。それか、これはネット友達がおっしゃっていたのですが、天皇家全体を指すなら「朝廷」の方がしっくり来るように思えます。

②「けがれ」を忌み嫌ったこの時代、盗賊を殺したばかりの忠盛がすぐに白河法皇に目通りするのはおかしい。

③これはだんなさんが言っていたのですが、平家滅亡の知らせを政子自ら頼朝に知らせに行くのはおかしい。普通、使者が直接知らせるか、家臣の誰かを行かせるのではないの?

 それから、画面が汚いとか、装束の時代考証がめちゃくちゃという声もあるようですが、私は視力が弱くて画面がよく見えないので、そのあたりのことはよくわかりません。

 とまあ、色々つっこみ所はありましたけれど、初めにも書きましたように、個人的には面白かったです。緊迫感があり、変に笑いを取ろうとしていないところは好感が持てます。

 何よりも、人物一人一人のキャラクターがはっきりしていて良かったです。

☆白河法皇
 「え、ここまでやるの?というくらい、あくの強いキャラクター。でも、そこが強烈で良いと思います。考えてみると昨年の「江 ~姫たちの戦国」には、このようなあくの強いキャラクターは登場しませんでしたものね。秀吉も家康も、何となく中途半端でしたし。
 でも、そんな法皇のために后である璋子を奪われ、位を降ろされてしまった鳥羽天皇がかわいそうでした。

☆平忠盛
 とにかく格好良い。演じているのは中井貴一さん。「義経」では頼朝役を熱演していましたが、それとはまた違ったキャラクターで良かったです。来週は、この忠盛さんにお会いするのが一番楽しみかも。

☆藤原宗子
 平太(後の清盛」のこともかわいく思っているのかもしれませんが、自分の実子の平二が一番と思っているらしいですね。平太へのビンタは強烈でした。
 平二は後の家盛だと思われますが、後に池禅尼となる宗子が、「亡き我が子、家盛に生き写しだから」と、清盛に頼朝の命乞いをする伏線なのでしょうか。

 あと、待賢門院の女房に、「堀河局」がいたことに大感激。彼女は後に、待賢門院堀河(百人一首80番の作者)と呼ばれることになる女性です。
 この待賢門院堀河、西行とも親しかったそうです。「平清盛」では、西行もかなりの重要人物として登場するようなので、そのあたりも描かれるのでしょうか。

 そんなわけで、次回が楽しみです。
 ただ、3年前の「天地人」のようにならなければいいのですが…。「天地人」は、初回はなかなか面白かったのですが、そのあとフェイドアウトしてしまいましたから。そんな風にならないことを願いつつ、来週以降も楽しもうと思っています。

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17年前の平泉の思い出

2011-07-12 16:00:31 | 歴史雑記帳
 先日、平泉が世界文化遺産に登録されましたね。
 奥州藤原氏四代が栄えた土地、義経最期の土地、そして江戸時代に松尾芭蕉が「夏草や つわものどもが夢の跡」と読んだ土地、歴史のロマンを感じさせる平泉が世界文化遺産に登録されたことはとっても嬉しいです。

 そんなわけで今回は、私が平泉に寄せる思いや、17年前に平泉に行ったときに感じたことを少し、書いてみることにしますね。

*本当は、平泉が世界遺産に登録された2週間前に、UPしようと記事を書いていたのですが、諸事情でこんなに遅くなってしまいました。すみません…。

 私が平泉と奥州藤原氏について初めて知ったのは、確か小学校6年生の時、歴史図鑑に載っているのを見たときでした。
 800~900年前に、都から遠く離れたところで栄えていた一族、そして華やかな文化、何かわくわくしたのを思い出します。歴代当主のミイラが保存されているという話も、神秘的に感じました。そして、「いつかぜひ、平泉に行ってみたい」と強く思いました。
 その後、中学・高校時代に授業で「奥の細道」を学んだり、藤原氏の女性たちを描いた「朱の流れ ー女人平泉(三好京三著)という小説を読んだり、平成五年~六年に放映された大河ドラマ「炎立つ」を見たりして、奥州藤原氏と平泉に対する思いを強くしたのですが、「炎立つ」が終わって間もなく、平成六年六月に思いがけなく、平泉に行けることになったのでした。

 その頃私は、だんなさんと一緒に鍼灸師の仕事をしていました。そして、その年の鍼灸学会が青森県の弘前であり、だんなさんは鍼灸師仲間2人と出席することになっていました。それで、だんなさんの鍼灸師仲間の方から、「えりかちゃんも一緒にどう?」と声をかけて頂き、思いがけず行くことになったのでした。
 1日目に弘前に行き、2日目に学会出席、その日のうちに盛岡に移動し、3日目に平泉を観光するというスケジュールで話がまとまりました。直前まで「炎立つ」が放映されていましたので、同行する方々もみんな、平泉には行きたかったのでしょうね。

 というわけで、平成6年6月上旬に、弘前と平泉への旅行を決行しました。
 まずは弘前へ…。鍼灸学会は、全国大会だったので規模が大きかったこと、食べ物、とくに帆立がおいしかったことなど、色々思い出します。弘前城も良かったです。

 さてそんなわけで、3日目の平泉の話に移りますね。でも、だいぶ昔のことなので、写真も載せられませんし、簡単にしか書けませんが…。

 前日は盛岡のホテルに泊まったので、まず東北新幹線で一関まで移動しました。車窓から見えた青々した広い田んぼが印象的でした。一関からは普通電車に乗り換えて、いよいよ平泉に向かいます。

 でも、あまり時間がなかったので、中尊寺しか行くことが出来ませんでした。それでも充分、堪能することが出来たと思います。

 中尊寺前のバス停を降りてまずびっくりしたのが急な上り坂です。中尊寺って1つの山のようになっていたのですね。

 そして、一番見てみたかった金色堂へ…。本当に金色でこちらも驚きました。まぶしかったです。
 後三年の役を経験した初代清衡が、戦乱のない、浄土のような世の中を願って建立したと伝えられる金色堂、金色の世界から、清衡の想いがひしひしと伝わってきました。
 しかし、四代目泰衡の時代に、平泉は源頼朝によって滅ぼされ、清衡の願いはかないませんでした。だんなさんは、「平泉は義経を引き受けてしまったのが失敗だった」と言っていましたが、私は、中央集権型の武士の世を目指す頼朝は、平泉が義経をかくまっていなくても、いずれは滅ぼしてしまったのではないかと思います。それでも中尊寺や金色堂がこうして今でも残っていることを、何となくありがたく感じました。

 さて、中尊寺を一通り観光し終わったあと、お寺の中にあった食堂でわんこそばを食べました。とってもおいしかったです。その頃まだ20代だった私は食欲旺盛で、30杯近く食べたのを思い出します。わんこそば、お薦めです。

 上でも書きましたが、この日は時間の関係で、中尊寺にしか行けませんでしたが、今度訪れる機会があったら、毛越寺や義経の館跡にも行ってみたいです。

 それにしても、中尊寺、金色堂、毛越寺…、どれも貴重な財産だと思います。世界文化遺産として、ずっと残していって欲しいです。これをきっかけに、奥州藤原氏についても世界中の多くの人に知って欲しいですね。
 私も、これを機に奥州藤原氏関連の本をもっと読んでみたいです。

 *平泉と前後して、小笠原諸島も世界自然遺産に登録されましたね。日本にある南の島、何か神秘的な感じがします。こちらもいつか行ってみたいなあ。

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「源氏物語の姫君占い」をやってみました

2009-03-11 11:35:26 | 歴史雑記帳
 私も参加させて頂いている源氏物語好き同盟」を主催なさっているなぎさんが、源氏物語の姫君占いを作って下さいました。そこで、私も早速やってみました。


えりか姫は紫の上 であらせられます!

● 紫の上さんのあなたは、自分をあまり飾らず、ありのままの姿を表現するタイプ。でも相手の心を思いやるあまり、自分を抑えて引いてしまうこともありませんか。打算的に行動することが出来ない、いわゆる世渡り下手。しかし逆にそういった態度が大物っぽくもあります。軽い流行に乗るのが好きではなく、しっかりと自分の好みを持っています。表現力を求められる芸術的な分野で力を発揮できます。ラッキーアイテムは「雀の子」。

● えりかさんに幸運を呼ぶカードは、ハイウェイカードです!


 わ~い!紫の上は「源氏物語」の女性の中で一番好きなのでとっても嬉しいです。今までもネット上で源氏物語占いを色々試したことはあるのですが、紫の上になったのは今回が初めてなのですよね~。

 つい最近まで、田辺聖子さんの「新源氏物語」を再読していたのですが、やっぱり紫の上は素敵でした。幼いときに源氏に引き取られて、源氏の理想のタイプの女性に育て上げられるという設定は、一見人形のようで意志がないように見えますが、単なる人形で終わらなかったのが紫の上の見事なところだと思います。頭はいいし、六条院の他の女性にも上手に気配りをしてうまくやっているし。私も紫の上に少しでも近づけたらいいなあ。「こんな素敵な女性を悲しませてはだめですよ」と源氏に一言言ってやりたいです。

 それで、占いの内容も何となく当たっているような…。確かに自分を押さえてしまうところはあるし、流行に乗るのもあまり好きではないです。ラッキーアイテムは雀の子ですか。なるほど。紫の上の最初のせりふ、「雀の子を犬君が逃がしつる」は印象が強いですものね。

 この占い、名前と生年月日と血液型を入れるだけですので、皆様もぜひお試し下さいませ。

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天武天皇と藤原夫人の贈答歌

2009-01-09 11:19:28 | 歴史雑記帳
 1月3日の日記でも書きましたが、元旦の夜、7時のニュースのあと、「何か面白い番組やっていないかな?」と思ってチャンネルを回していたところ、NHKハイビジョンで万葉集の番組をやっているのを見つけました。私が日本史に興味を持つきっかけの一つが万葉集だったので、何かなつかしくなり、途中からでしたが番組を見てしまいました。

 私たちが番組を見始めたとき、ちょうど解説されていたのがこちらの贈答歌でした。

天皇、藤原夫人に賜ふ御歌一首

 わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 落らまくは後

             天武天皇 巻2 103


藤原夫人、和へ奉る歌一首

 わが岡の おかみに言ひて 落らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ

          藤原夫人 巻2 104

 この歌は高校の古典の教科書にも載っていて昔から親しみを感じていました。それに、二人のかけ合いが面白いと思っていたのです。歌の意味は、

☆天武天皇の歌
 私の住んでいる里に雪が降ったぞ。お前の住んでいる大原の古びた里に降るのはずっとあとのことだろう。どうだ、すごいだろう?

☆藤原夫人の歌
 あら、こちらにもちゃんと降っていますのよ。あなたの所に降っている雪は、私の所で降った雪のかけらを神が降らせたのでしょう。それなのにお得意になって、おかしいわ。

 今まで私は、天武天皇の宮と藤原夫人の大原の里はだいぶ離れていると思っていました。ところが、番組での解説によると1キロほどしか離れていないのだそうです。つまり、今の感覚でいうと、1キロほどの距離に住んでいる恋人同士が、雪を見ながらメールをやっているようなものだとか。ちなみに「大原」というのは京都の大原ではなく、飛鳥の大原です。ここに藤原夫人の父の鎌足の邸があったそうです。

(私の歌に対する感想)
 確かに、1キロしか離れていなければ、ほぼ同じように雪も降っているでしょうね。それなのにこうして歌の贈答をするなんて、古代の人達は大らかだわ…と思いました。それでもこの歌を見る限り、藤原夫人の方が一枚上手のように思えるのですが…。

 ところで、番組には東儀秀樹さんが出演されていて、この贈答歌からイメージした曲を披露して下さいました。笙の音色が雪を表しているとのことです。その通り、まるで天から雪が降って来るのが目に浮かぶような素敵な曲でした。

 ついでに作者の二人についても簡単に書いておきますね。

☆天武天皇(631?~686 在位673~686)

 第40代天皇。

 名は大海人。舒明天皇の皇子。
 兄の天智天皇の皇太弟となるが、次第に兄の近江大津宮で疎外されるようになる。671年、天皇崩御の直前に自ら吉野に逃れた。しかし、天皇の崩御後に吉野で兵を挙げ、672年に天智の子、大友皇子に勝利する。(壬申の乱)673年、飛鳥浄御原宮にて即位した。

☆藤原夫人(生没年未詳)

 藤原鎌足の娘、五百重娘のことである。
 壬申の乱の後に天武天皇の妃となり、新田部皇子をもうけた。天武とは父と娘ほど年が離れていたらしい。天皇の崩御後、異母兄の不比等との間に麻呂をもうけた。


 この他にも、この番組では大伴旅人の歌や防人歌を紹介していました。そこで、万葉集関連の本も読んでみたくなってしまいました。そして、最後に紹介されていたのが大伴家持のこの歌です。

 新しき 年のはじめの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事

 この歌は、天平宝字三年(759)の元旦に、因幡の国庁で詠まれたもので、万葉集の最後を飾る歌でもあります。そして、今年はこの歌が詠まれてちょうど1250年に当たります。改めまして、今年も皆様に良いことがたくさんありますように。

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大河ドラマ「篤姫」のこと

2008-12-17 11:47:15 | 歴史雑記帳
 今年の大河ドラマ「篤姫」が14日に最終回を迎えましたが、平均視聴率が24%を超えたそうで、過去10年間の大河ドラマでは最高視聴率だったそうです。幕末を舞台にした大河ドラマはあまり視聴率が良くないということを聞いたことがあったので、なぜこれほどの視聴率を記録できたのか、私なりにちょっと考えてみました。

 まず第一に、幕末の複雑な歴史事項にあまり触れなかったことが一般受けしたのだと思います。
 実は私、日本史好きを自称していますが、幕末の歴史にはとっても弱いです。だいたい、桂小五郎と木戸孝允が同一人物だったことさえ知らなかったのですから…。あと、佐幕派とか勤王派という言葉の意味がよくわからなくて、拒否反応を起こしてしまうのです。最もあとでも触れますが、このことは幕末ファンにとってはかなり不満だったと思うのですが…。

 第二に、あくまでも篤姫を中心とした大奥の女性たちの視点から描いたというところ、つまりホームドラマ大河だったということがわかりやすかったのだと思います。第三には、これは家定に嫁ぐまでの篤姫が現代的だったということが親しみやすかったのでしょうね。

 以上、三つの理由から、幕末にはうとい私もある程度楽しむことができたドラマでした。…というか、途中からドラマの見方を変えたので、楽しむことができたのかもしれません。

 実は私、20年ほど前にこのドラマの原作本、「天璋院篤姫(宮尾登美子著 講談社)」を読んだことがあるのです。多分、幕末をあつかった歴史小説の中で読んだことのある唯一の作品だと思います。ただ、内容は所々しか覚えていなかったので再読しようかとも思ったのですが、「やはりここは原作は読まないでドラマを楽しもう」と思い、再読するのをやめてしまいました。

 それで歴史ドラマとして「篤姫」を見始めたところ、確かにわかりやすくて面白いと思ったのですが、篤姫があまりにも現代的ではちゃめちゃな姫様なので呆気にとられてしまいました。だいたい身分制度が厳しく、「男女は7歳になったら席を同じくせず」という時代に、分家とはいうものの島津の姫様が、家老の息子とあれほど仲良く歩き回っているわけがない…と思ったのです。
 最もこのドラマは、篤姫と小松帯刀の友情がキーポイントになるとも聞いていたので、それを言ったらおしまいなのかもしれない、それならこのドラマは歴史ドラマではなく、フィクションだと思って見て見ようと決心したのでした。
 それで、幕末の歴史にうといことも幸いし、ある程度楽しめたのかもしれません。篤姫と家定の心の交流についても、「こんな事はあり得ない」「描き方が原作と違う」とも思いつつ、結構感情移入して見ていました。特に家定の優しさにはちょっとときめいてしまいました。そのため、家定が亡くなった回は寂しかったです。

 しかし、そんな風にフィクションだと思って見ていても、やはり所々気になることはありました。例えば徳川慶喜の描き方がその一つです。島津斉彬の一派があれほど強く将軍に推した慶喜を、あれほど情けない人物に描く必要があったのでしょうか。
 確かに実際の篤姫も、慶喜をものすごく嫌っていたのだそうです。これは原作本に書いてあったのですが、篤姫は「家茂は慶喜に毒殺された」と思いこんでいたのだそうです。これは作者の宮尾さんが小説の執筆当時、まだ生存されていた家達の娘さんから取材した話だそ、うなので確かだと思います。そんな篤姫が、慶喜の助命嘆願なんてしたのかしら?と、疑問に思いますし…。
 つまり、ドラマでは篤姫の都合の良いように慶喜のキャラクターを描いているように思えるのです。
 ちなみに、原作を読んだのが大昔なのでうろ覚えなのですが、原作の慶喜は篤姫に嫌われていながら、読者から見ると何となく魅力的な人物に描かれていたように思えます。

 それと、幕府軍と政府軍の戦いが江戸城の無血開城で終わったように描かれていたのも疑問です。会津や函館ではまだ戦いが続いていて、たくさんの方が戦死しました。このあたりにナレーションでも全く触れていないことに、幕末好きの方はかなり怒っていると思いますよ、N○Kさん…。
 あと、重要な歴史事項もたくさんカットされていたようです。ナレーションでも全く触れなかったとか。これでは肝心の幕末好きの方々は全く満足していないのではないでしょうか。そうです、私が2005年の大河ドラマ「義経」に満足できなかったように…。もし紫式部が大河ドラマになったとして、中関白家の悲劇が丸ごとカットされたり、紫式部と清少納言が同じ時期に彰子と定子に使えていたりしたら怒ります。

 確かに一般受けして視聴率は良かったかもしれませんが、やはり「篤姫」を一番楽しみにしていたのは幕末が好きな方々だったと思うのです。なので、もうちょっとそのあたりを考えて欲しかったですね。それと、NHKの大河ドラマは影響が大きいので、知らない人はドラマが全部史実だと思ってしまいます。私も、「篤姫」に描かれたことが全部史実だと誤解しそうになりましたし。

 …と、色々勝手なことをとりとめもなく書いてしまいましたが、そろそろまとめといきますね。

 私は、ホームドラマ大河やフィクション、わかりやすいストーリーが悪いとは決して思いません。「篤姫」はフィクションのドラマとしてはかなりよくできていたと個人的に思っていますので…。
 でも、重要な歴史事項はナレーションでもいいので説明して欲しいですよね。それができなくて、史実を無視したり、主人公に都合の良いように他の人物の行動やキャラクターを変えたりするのであれば、「このドラマはフィクションです」というテロップを流して欲しいなあ…と、これは「義経」の時も感じたのですが、そんなことをふと思ってしまいました。

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徳川家康と三人の女 感想

2008-03-17 21:19:33 | 歴史雑記帳
 3月15日午後9時からテレビ朝日系列で放映された松平健さん主演の「徳川家康と三人の女」、見ました。従来あまり取り上げられなかった家康の二人の正室、築山殿と朝日姫にスポットを当てたドラマということで、以前から楽しみにしていました。ただ、三人目の女性は淀殿ではなくて阿茶局かお勝の方ではないかな?…と思ったりもしましたが、そこはまあドラマですから、あまりつっこまないことにしますね。

 ドラマの感想は…、一言で言うと、2時間ちょっとの短い時間にたくさんの内容を詰め込みすぎという印象を受けました。6回くらいの連続ドラマでやってもらった方が良かったかも…。合戦シーンが少ないことも戦国ものとしては物足りなかったですね。でも、家康や女性たちの描き方がなかなかおもしろかったので、そのあたりを簡単に書いてみますね。

☆家康
 このドラマは、家康が三方原で武田信玄に敗れたところから始まり、築山殿・信康切腹事件、本能寺の変、秀吉への屈服を経て、秀吉の死後に関ヶ原合戦が起こり、天下を取るまでの家康の姿を3人の女性と関わらせながら描かれていました。松平さんがどんな家康を演じるか楽しみでしたが、なかなか人情のある家康を演じていました。

 信長から切腹を命じられた築山殿を、最後まで助けようとしたり、病気になった朝日姫に薬湯入りのおかゆを作って食べさせたりするところなど、ホロリと来ましたね。

 ドラマで描かれる家康は、腹黒い狸親父というイメージが強いのですが、このドラマでの家康も、関ヶ原前夜ではそのような部分が少しあったものの、全体的には家族思い、家臣思いの人間的な武将に描かれていました。家康好きの方にとっては満足だったのではないでしょうか。そういう私も、家康は私の地元、静岡と縁の深い武将ですので、こういう描き方は嬉しかったです。

☆築山殿
 家康の最初の正室です。
 今川義元の姪であることを鼻にかけた高慢な女…というのが従来の描き方だったと思うのですが、このドラマでは、夫と子を愛する慈悲深い女性に描かれていて新鮮でした。

 ただ、信長が、築山殿と信康に唐突に切腹を命じていたので少々戸惑ってしまいましたが…。この事件に関しては、築山殿の病気を治した医者が武田の間者で、彼女は実際に勝頼と通じていたとか、築山殿と折り合いの悪かった信康の妻、督姫(信長の娘)が父信長に築山殿のあることないことを告げ口したとか、色々な説があるようですが、真相は不明なようです。

 このドラマでは、信康の優れた資質を恐れた信長の陰謀というような感じで描かれていました。そして築山殿は、徳川家を守るために自ら切腹してしまいます。以前読んだ本では、築山殿は遠江国で刺客に殺されたと書いてあったので「あれ?」と思いましたが、ドラマとしてはよくできた設定だと思いました。史実的にはかなり怪しいですが…。。

☆朝日姫
 家康の二番目の正室です。

 彼女は豊臣秀吉の妹です。秀吉の家康懐柔策のため、相思相愛の夫、副田甚兵衛と強制的に離縁させられ、家康に嫁がされた悲劇の女性です。このドラマでも、どこかはかない、影の薄い女性に描かれていました。「兄の道具になるのは嫌じゃ」というせりふが切なかったです。

 それでも、家康とは、短い間ながらも夫婦らしく幸せに過ごしていたと描かれていたところが救いでした。上でも触れたように、家康が薬湯入りのおかゆを自ら作って朝日姫に食べさせるところはなかなか良かったです。

☆淀殿
 浅井長政とお市の方(信長の妹)との間に生まれ、長じて秀吉の側室となり、秀頼を生んだ女性です。関ヶ原合戦の際、家康と敵対します。

 父を信長に、母を秀吉に殺された彼女は、天下人秀吉の子を生むことで自分が天下を取り、父母の無念を晴らそうと考えていた…と描かれていました。その周年はなかなかすさまじく、運命にもてあそばれたような所のある築山殿や朝日姫とは対照的だというイメージを受けました。最後に大坂の陣のシーンが少し映ったのですが、「終わった」という彼女のせりふが印象的でした。

そのほか、片岡鶴太郎さんの秀吉と、中村玉緒さんの大政所が面白かったです。秀吉は、いかにも農民から成り上がったという感じでしたし、大政所はしっかり者の田舎のおばあさんという感じでした。

 ただ、最初にも書きましたように、放映時間が短いせいもあるでしょうが、大事な歴史的事項がかなり省略されていました。小牧・長久手の戦もその一つですが…。この合戦は、家康と秀吉の対立を描く上で欠かせないような気がしますが、しっかりカットされていました。
 重要人物がたくさん無視されていたのも残念でした。淀殿を出すなら北政所も登場させて欲しかったです。また、徳川四天王のうち、酒井忠次と榊原康政が出てこなかったと思うのですが…。私の見間違いでしょうか。

 やはり、一昨年の11月~12月に同じテレビ朝日系列で放映された「太閤記」のように、家康の生涯も連続ドラマで取り上げて欲しいものです。

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