平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

今年もありがとうございました

2010-12-31 20:32:13 | えりかの平安な日々 10~18
 何とか駆け込みで年内に日記を更新できました。

 まず、私の近況を少し…。

 3日前に、10月初めから受診していた歯科の治療が完了しました。年内に終わって良かった、良かった。おかげで痛みもなくなりましたし。歯の大切さを実感しました。3ヶ月後に定期検診に来て下さいと言われたので、忘れずに行こうと思っています。

 さて、この1年をふり返ると、真っ先に思い出すのはやはり、愛猫エリカとの悲しいお別れです。そのせつは、皆様から暖かいお言葉を頂きまして、本当にありがとうございました。

 今でも、エリカがいなくて寂しいと思うことはありますが、「エリカちゃん、今頃あちらで楽しくやっているかもね」と、だんなさんと笑って話せるようになりました。今では、「エリカという、かわいくて頭の良い猫ちゃんと15年近く、一緒に暮らせて幸せだった」と思っています。エリカはいつでも、私たちのことを見守っているから、私も毎日を楽しく、明るく過ごそうと思います。

 その他、今年も本をたくさん読んだし、カラオケにもたくさん行きました。おいしい物も食べましたし。2年ぶりに大好きな京都にも行くことが出来ました。全体的には楽しい1年だったかも。

 ブログの更新の方は……、気持ちが落ち込んだり、夏がものすごく暑かったりなどして、あまり出来なくて心苦しく思っています。特に、人物伝を一人も書けなかったのは、大いに反省。来年は何とか、人物伝を更新したいですね。

 …と言うわけで、皆様、今年も1年間ありがとうございました。来る2011年が皆様にとって幸多き年となりますように…。寒い年明けになりそうですが、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

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町屋カフェでランチ ~京都3日物語6

2010-12-27 21:26:09 | 旅の記録
 晴明神社をあとにした私たち、狭い通りを通ってランチのお店に向かいます。通りの両側には、昔の町屋風の家が目立ちます。タイムスリップしているような気分にもなりましたが、所々に、現官房副長官のFさんと、元文部大臣のIさんのポスターが貼ってあって、「ああ、このお二人、京都が地盤の政治家さんだったわ」ということを思い出し、ちょっと現実に引き戻されたりもしました。

 こうして約7、8分ほど歩いたでしょうか。町屋カフェ、卯晴さんに到着。木造の建物で、いかにも京都の町屋という雰囲気のお店です。

 ランチは、お豆腐と但馬牛ハンバーグのパイ包みと、持ち豚とトマトのピザがあり(もっとあったかもしれませんが、2種類しか目に入らなかったので)、どちらが柔らかくて葉に負担がかからないか考えた末、ハンバーグの方にしました。実はこの時、歯が少し痛んできていたので。だんなさんはピザのセットにしていました。

 前項の最後の方でも書きましたが、お料理の写真を撮り忘れてしまったので、私の文章のみでの説明となります。

 ハンバーグのセットには、4種類のお料理がついていました。

 まず、メインの但馬牛のハンバーグ。でも、ただのハンバーグではなく、ハンバーグをパイ生地で包んであるのです。なので、外はカリッとしていて、中は柔らかくてジュウシー。チーズも入っていて、とてもおいしかったです。

 副菜は豆腐料理。小さく切った豆腐に味がつけられた料理でした。野菜も入っていたと思います。豆腐大好きなのでおいしかったです。

 サラダには、昨日の夕食、今朝の朝食のサラダと同じく、水菜が入っていました。そして、ご飯は玄米を使ったご飯。玄米を食べるのは高校時代以来です。おいしかったです。ごちそうさま。

*頂いたときは玄米だと思ったのですが、帰宅後にお店のホームページを見たところ、「八穀米」と書いてありました。雑穀米の一種かもしれませんね。

 食事をしながら、皆さんと楽しくおしゃべり。特に、京都の人は、今でも天皇さんは東京に行幸しはっていて、いつか京都に戻ってくると思っているという話は、京都人の天皇陛下に対する特別な思いが感じられて、興味深かったです。

 昼食が終わると、来たときとは違う道を通って堀川通へ向かいました。通ったのは、昔ながらの道という雰囲気の狭い通りです。車が一台通るのがやっとという広さだったので、私たちは車が通るたびに、止まって端に寄り、車が通りすぎるのを待っていました。そしてこちらの通りでも、FさんとIさんのポスターが目立ちました。

 こうして堀川通に出てタクシーを拾い、風俗博物館に向かいます。

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平安夢柔話 ☆6周年☆

2010-12-21 08:48:51 | お知らせ・ブログ更新情報
 おかげさまで、当ブログ「平安夢柔話」は本日、開設6周年を迎えることが出来ました。
 これも普段、ご覧下さっていらっしゃる皆様、応援して下さる皆様のおかげです。ありがとうございます。これからも、マイペースで楽しみながら、のんびりと続けていきますので、変わらぬご声援、どうぞよろしくお願いいたします。

 …と、毎年、同じようなことを書いていますが、このあとはちょっと、当ブログ開設についてのあれこれを少し、書かせていただきますね。

 私が、「自分のページを持ちたいなあ」と何となく思ったのは、2004年の9月頃だったと思います。
 でも、私の場合、視力の障害などでホームページ製作ソフトを使うのが困難なこと、歴史に対しても知識不足なことなどから、「私には出来ない」と決めつけていたところがありました。

 それでも、自分のページを持ってみたいという気持ちは次第に大きくなるばかり、そんな時、2004年12月18日か19日だったと思いますが、なぎさんのブログ「晴れのち平安」さんからgooのトップページを何気なく見に行ったところ、ブログは、IDとパスワードを取れば、ソフトを使わなくても自分のページを作ることが出来るものだということを始めて知りました。「掲示板のように気軽に書き込んで、自分のページが作れます。」ということも書かれていたので、「これなら私にも出来るかもしれない」と思ったのでした。

 そこで、IDとパスワードを取ったのが20日の夜、そして翌日、つまり6年前の今日、始めての日記を書いてブログ開設に踏み切りました。

 その日から、記事作成とコメントのお返事で、楽しく忙しい日々が始まりました。特に、歴史関連の記事を書くには、下調べから始まって確認や終生など、色々大変でしたが、記事をUPするたびにとても大きな満足感があり、それがたまらなく嬉しかったです。。でも、今だから言える苦労もあったなあ。

 一番苦労したのは、迷惑トラックバックを送られることでした。
 キーワード検索だけで、記事とは全く関係のないトラックバックを送られたとき、現在のように迷惑トラックバック対策もトラックバックフィルターもなかった時代です。送られたらそのつど削除するしかありませんでした。削除するたびに、クレームが来ないかととても怖かったです。それに、削除しても再び送ってくるブログもあって、苦労したなあ。
 そこで非常手段を取らざるを得なくなりました。それが、gooの検索機能を切ってしまうことでした。多くの人に見てもらえなくなったのは少し寂しかったですが、そのおかげで、迷惑トラックバックはほとんどなくなりました。あ、現在では、迷惑トラックバック対策が充実したので、gooの検索にヒットするようになっています。ブログ機能もこの6年で大きく進歩したように思えます。

 …と、こんな苦労もありましたけれど、楽しいことの方がずっと多かった6年間でした。ブログを始めた頃は、リンクの仕方も写真の張り方も全くわからず、手探り状態でしたが、それらのことが一つ一つ出来るようになっていったのも、嬉しかったです。

 それに何より、たくさんの素敵な方々と巡り会うことが出来ました。本当に、「続けてきて良かった」と心から思います。皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

☆ついでに、京都旅行記「京都3日物語」のこと

 現在、のろのろと連載中の「京都3日物語」ですが、第7回と第8回に予定している風俗博物館レポートに使用する写真を、編集ページにUPし終わりました。でも、このあと、1年で一番忙しい時期にさしかかってしまうので、風俗博物館レポートそのもののUPは年明けになってしまうと思います。

 それに先日、「京都3日物語」にUPしようとしている記事のタイトルをざっと書き出してみたのですが、15タイトルになってしまいました。
 2泊旅行だからそのくらいの数になるのは仕方がないかな?と思いましたが、このままのペースでいくと、完結するのは来年2月末くらいになってしまうと思います。紹介したい本や人物もたくさんあるのですが、どうやらしばらくは旅行記にかかりきりになりそうです。

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晴明神社 ~京都3日物語5

2010-12-17 11:35:52 | 旅の記録
 晴明神社に到着したときは、雨はほとんど上がっていました。良かった~。こちらで、隣のおばちゃんと合流、計6人で楽しくお参りしました。

 晴明神社は堀川通沿いにあり、安倍晴明を祭神とする神社です。そして、彼の邸宅跡だという伝説があります。
 しかし、最近の研究によると、晴明の邸宅はここより少し南東に行ったところにある、西洞院大路(現在の西洞院通)の東、土御門大路(現在の上長者町通)の北、平安京内の左京北辺三坊二町にあったという見解がなされています。そこは、現在の京都ブライトンホテル付近に当たるそうです。
 それでも、彼の邸宅は晴明神社の場所にあったという話は、伝説としては夢があるような気がします。彼は毎日、一条戻り橋を渡って平安京の役所に通勤していたと考えるのも色々妄想をかき立てられて楽しいです(ちなみに晴明神社は、平安京の区域内からは少し北に外れたところにあります)。晴明神社は、そんな晴明さんのロマンの世界だと思って、神社内を見て歩きました。

 ついでに、晴明さんについて、「平安時代史事典」をもとに、簡単にまとめておきます。

☆安倍晴明(921~1005)

 平安中期の陰陽師。

 天文得業生から天文博士、左京大夫、穀倉院別当、播磨守等を歴任。従四位下に至った。陰陽道に秀で、摂関家をはじめとする当時の貴紳に重用され、各種行事の勘申や泰山府君祭を行ったりなどした。陰陽の書、『占事略決』を著した。

 それと忘れてはならないこと、晴明さんにはたくさんの逸話があるのですよね。同じく「平安時代史事典」をもとに、少し紹介しますと。

 ☆花山天皇の譲位を天文の異常により察した。
☆十二神将を召し使った。
☆花山上皇の熊野御幸の折には、その命により那智山の天狗を封じた。
☆藤原道長が法成寺供養を行った際、凶変を占い呪詛者を発見した。

 その他にも、一度死んで生き返ったとか、母親が狐だったとか、一条戻り橋の下に式神を隠し、必要に応じて取り出していたとか、色々な伝説があります。なるほど、奥の深そうな人物ですよね。実は私、晴明さんに関する本をそれほど読んでないので、これから色々読んで勉強しようと思います。

 それでは、晴明神社の中を紹介します。

 私がこちらを訪れるのは2003年9月以来、2回目になります。その頃と比べると見どころが増えたような気がしました。

 まず、目に入ってきたのは晴明さんの銅像。髭を生やしていて、立派な顔立ちをしていました。写真に撮ったのですが、失敗していました。残念~。

 そして、厄よけの桃。銅像も桃も、7年前にはありませんでした。対面できて幸せ。

          

 良いことがたくさんあるように、厄よけの桃をしっかり撫でてきました。

 本殿でお参りをしたあと、7年ぶりに式神さまとご対面。こちらも頭を撫で撫でしてきました。

          

 式神さまの隣にある、模型の一条戻り橋を渡って売店へ。売店には雅楽が流れていました。こちらでは、以前から欲しかった桃のドロップを購入しました。

          

 昔なつかしいサクマドロップの缶と同じ形をしています。中のドロップはこんな感じ。

          

 桃の味がして、とてもおいしかったです。

 さて、そろそろ12時。おなかも空いてきたので、食事に行こうということになりました。次回は昼食のレポートですが、写真を撮り忘れてしまいました。それで、こちらも私の文章のみでの説明となります。

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京都御所 ~京都3日物語4

2010-12-14 21:32:46 | 旅の記録
 京都御所をレポートする前に、お詫びです。

 京都御所では、だんなさんにデジカメで写真を何枚か撮ってもらったのですが、京都御所を参観し終えた時点で、ちょうどメモリーカードがいっぱいになってしまいました。
 それで、いっぱいになったカードを私が預かっていたのですが、不注意で紛失してしまいました。いくら探してもカードが見つからないので、この項では、私の携帯電話で撮影した写真2枚しか載せることが出来ません。あとは、私の文章のみでの説明となります。本当に、申し訳ございません。

 なお、新しいメモリーカードは昼食をとったあと、風俗博物館近くのコンビニで買ったため、次の晴明神社の項での写真も、私の携帯電話で撮った写真のみとなります。ご了承下さい。

 私にとっては4年ぶりの京都御所、あの時は、9時には人でいっぱいでしたが、この日はその時に比べると空いているような気がしました。これならゆっくりと御所を堪能できそうです。

 実は現在の京都御所は、平安時代、天皇が日常を送っていた内裏のあった場所ではありません。平安時代、天皇が日常を送っていた御所、いわゆる内裏と、政務を執り行う役所のあった大内裏は、今の京都御所より更に西に行ったところ、朱雀大路(現在の千本通)を中心とした区域にありました。

 しかし、平安時代中期頃より、内裏はたびたび焼亡し、そのたびに再建が繰り返されることとなるのです。

 内裏を再建している間、天皇は大内裏内の役所の建物や貴族の邸宅に居を移し、これが「里内裏」と呼ばれるようになります。円融天皇や堀河天皇が居を移した堀川殿や、一条天皇が居を移した一条院なども、いわゆる里内裏だったわけです。

 こうして内裏は、焼亡と再建を繰り返していましたが、嘉禄三年(1227年)四月、造営中だった内裏が焼亡すると、それ以降は再建されず、天皇は里内裏を転々とするようになります。
 そして、元弘元年(1331)に即位した光厳天皇の土御門東洞院内裏が、その後、内裏として定着しました。これが現在の京都御所です。

 とはいうものの、京都御所の紫宸殿や清涼殿は、平安時代の雰囲気を充分伝えていますし、実は、京都御所を含む京都御苑一帯は、平安時代には貴族の高級住宅地だったのです。この一帯には、藤原道長の土御門殿や、藤原済時の小一条殿など、錚々たる邸宅が並んでいました。なので、御所の建物を見ながら平安時代の雰囲気を感じるのもよし、「このあたりには○○さんが住んでいたんだなあ」と妄想するのもよし、京都御所は色々な楽しみ方が出来そうです。

 もっとも私はものすごい方向音痴で、今、歩いている方向が西なのか東なのかもわからなかったので、平安時代の邸宅に関する妄想は今回は封印し、御所の建物や内部の様子をかいま見て、平安時代や源氏物語の雰囲気に浸ることにしました。

 まず、目に入ってきたのはこれ、葵祭の出発の様子です。華やかです。

          

 見学コースに従って、紫宸殿から清涼殿へ。建物の立派さに圧倒されます。

          

 どこからか、光源氏が出てきそうです。

 清涼殿の呉竹の木は、以前、枯れてしまったこともあったそうですが、今回はとても元気でした。私も元気をもらえそうでした。

 今回、嬉しかったことは、4年前には見られなかった庭園や池を見ることが出来たことです。松の紅葉がきれいでした。池も、日射しに反射してきれいに光っていました。池に舟を浮かべて遊んでみたい気分になりました。庭園と池の写真を載せられないのが残念です…。

 庭園を見たあとは御常御殿へ。天皇がお食事をした二の間が公開されていました。ここから、大文字の送り火もご覧になったそうです。昔は、ここから送り火を見ることが出来たのですね。ちょっとびっくり。後水尾天皇や、その娘さんの明正天皇も、ここから送り火をご覧になったのでしょうね…と、江戸時代の天皇にも妄想を膨らませていました。

 御常御殿を見ている頃から、突然、冷たい風が吹いてきました。そして、何か底冷えがしてきたと思ったら、ぽつぽつと雨が…。そして、雨は少しずつ強くなってきました。
 ちょうど、休憩所のテントが近くにあったので、避難できましたが、ますます寒くなってきたような気がしました。これが京都の底冷えする寒さなのだと実感。

 幸い、しばらくすると雨が弱くなってきました。空も明るくなったので、どうやら通り雨だったようです。
 そこで、休憩所を出て、御所のおみやげ屋さんへ行ってお買い物。そして、京都御所をあとにしました。次は、晴明神社へ向かいます。

☆お薦めリンク

 京都御所をご一緒したくたくたさんのブログ、京と陰陽道楽の日記 つばらつばらこちらのページ
 高御座、庭園や池、御常御殿の二の間などの写真を載せておられます。私の文章だけではわかりにくいと思いますので、こちらのページ、ぜひご覧になってみて下さい。
 改めまして、快く京都御所のページへのリンクを許可して下さったくたくたさん、どうもありがとうございました。

☆当ブログ内の、京都一泊旅行2006年春京都御所のページ
 4年前の春に、私が京都御所を参観したときのレポートです。

☆参考文献
 『源氏物語』の京都を歩く 槇野 修 著 山折哲雄 監修 PHP新書


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京都2日目の朝 ~京都3日物語3

2010-12-10 11:35:49 | 旅の記録
 京都2日目の朝は6時起床。9時に、本日ご一緒する皆さんと、京都御所の宜秋門の前で待ち合わせているので、8時半にホテルの玄関前へタクシーをお願いしてあります。それまでに、身支度と朝食を済ませなくてはなりません。

 そこで、着替えをして化粧をして、7時過ぎに、昨夜ディナーを食べた洋食レストランへ向かいます。私は普段は、朝食はご飯なのですが、旅行中はなぜか、洋食の方がお気に入りなのです。そのようなわけで、こちらのホテルの洋食レストランの朝食、すごく楽しみにしていたのでした。

 食事は、パンはトーストとロールパンから、卵料理はスクランブルエッグとオムレツと目玉焼きとゆで卵から、付け合わせはハムとベーコンとソーセージから、ジュースはトマトジュースとオレンジジュースから、飲み物は紅茶とコーヒーから、それぞれ選ぶことになっていました。
 私は、トースト、スクランブルエッグ、ハム、トマトジュース、紅茶にしました。だんなさんも私とほとんど同じ、ただ、飲み物はコーヒーを選んでいました。

 これに、サラダがついています。サラダには昨夜のディナーと同じく、水菜が入っていました。ドレッシングがディナーとは少し違った味でしたが、おいしかったです。

 こうして、朝食をおいしく頂きました。特に、ふわっとしたスクランブルエッグと、酸味と甘みがほどよいトマトジュースがおいしかったです。だんなさんは、トマトジュースがパセリのような味がすると言っていましたが…。彼はパセリが苦手なので、気になってしまったのでしょうね。私はほとんど気になりませんでしたが。そこで、だんなさんのトマトジュースを半分もらってラッキーでした。

 それと、心配していた歯痛の方も落ち着いているようでひと安心。

 朝食を済ませるといったん部屋に戻り、口紅を塗ったり荷物の生理をしたりしていました。服装は、コートにするかブレザーにするかちょっと迷いましたが、それほど寒くなさそうだと判断して、ブレザーに決定。
 8時半ちょっと前にホテルの玄関へ。ここからタクシーに乗り込みます。今日は素晴らしい晴天、雨の心配は全くなさそうです。ちょっと空気が冷たいですが、服装もブレザーで充分なようでした。

 この日はちょうど、秋の京都御所一般公開の最中でした。そこで、せっかくなので京都御所に行こうということになり、この項の初めの方でも書きましたが、ご一緒する皆さんと9時に京都御所の宜秋門の前で待ち合わせていました。
 タクシーに乗り込むと、京都御所の宜秋門の前まで行って欲しいと、タクシーの運転手さんにお願いしました。ところが、宜秋門は今出川通沿いですかと、逆に尋ねられてしまいました。

 私は、宜秋門は多分、今出川通沿いだろうなと思ったのですが、記憶があやふやでした。もし、間違っていて、違う門に連れて行かれたら大変です。なのでよくわからないと答えました。
 そこで運転手さんは無線を使って宜秋門の位置を尋ねていましたが、無線の状態が悪く、相手の声が小さくて聞き取れないようでした。何度も、何度も無線で交信しているのを見て、私はちょっと心配になってきました。

 ひょっとして、宜秋門は「ぎしゅうもん」ではなく、別の読み方だったかもしれない、どなたかに電話をして、尋ねてみようかなとも思いました。
 私が声に出してそのことをだんなさんに言ったので、運転手さんに、宜秋門とはどんな字を書くのか、尋ねられてしまいました。そこで私がどのような字を書くか説明すると、車を止めて携帯電話をかけ始めました。どうやら無線はあきらめたようです。

 そんなこんなではらはらさせられましたが、9時ぎりぎりになってようやく宜秋門の前にたどり着くことが出来ました。まあ、これも旅行のハプニングというか、旅行記のネタというか…。今となっては一つの土産話です。

 宜秋門の前には、京都御所をご一緒する里江さんニテコ池の河童さんくたくたさんがすでにいらしていました。お待たせしてすみませんでした…。

 と言うわけで私も、王朝のみやびが色濃く残っている京都御所の中に入っていきます。4年前にこちらを訪れたときは春でしたが、今は秋、今回はどのようなものが見られるか、楽しみです。

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京都1日目の夜 ~京都3日物語2

2010-12-01 21:20:01 | 旅の記録
 今回は、静岡駅から新幹線のひかり号に乗り、京都まで直行です。京都までの所要時間は、約1時間半です。
 いつもなら、最寄りの駅から掛川まで出て、そこから新幹線のこだま号、そして、浜松でひかり号に乗り換えて京都に行きます。でも今回は、出発の日がだんなさんの静岡の病院の日だった関係で、このようなルートで行くことになりました。乗り換えなしなので楽です。

 静岡は小雨が降っていましたが、名古屋あたりは晴れていたのでひと安心。どうやら、今回の旅行は雨の心配はなさそうです。
 秋の日は暮れるのが早く、滋賀県にはいるとあたりは薄暗くなっていました。そして、逢坂山と音羽山のトンネルを越えると、京都はもうすぐです。

 眼鏡を外していたおかげで、頭痛はだいぶ楽になりました。でも何か、顔がほてって熱っぽくなっていました。京都に来て、興奮しているからでしょうか。

 京都駅は複雑で、いつまで経っても道を覚えられません。やっと烏丸口に出て、歩いて2~3分の所にある今回の宿泊ホテルへ向かいます。こちらのホテル、駅前にあることや、京都でもかなりランクが上のホテルのようなので人気があるらしく、宿を取れないことも多いのですが、今回は2晩続けて取ることが出来てラッキーでした。

 チェックインをすませると、ホテルの従業員の方が、10階にある私たちの部屋まで案内して下さいました。こういうところが高級ホテルの良いところです。

 部屋に荷物を置くとすぐ、私たちは駅前の地下街「ポルタ」に買い物に出かけました。

 私は旅行用の洗顔クリームが、だんなさんはコンタクトレンズを洗うときに使う生理食塩水が残り少なくなっていたので、まずそれを探しに行きました。私の洗顔クリームはポルタの化粧品店でゲット。だんなさんの生理食塩水は、ポルタにはなくて、結局、伊勢丹の中にあるドラッグストアーで買いました。その後、夜に食べようと、お菓子を少しゲット。

 こうしてホテルに戻った私たちです。でも、部屋の番号を忘れていました。
 2階にある受付で、部屋番号は1053号室だと教えて頂き、エレベーターに乗り込みます。うーん、どんな風にして部屋の番号を覚えようかなとしばらく思案。西暦1053年というと平安時代のまっただ中。そうか、末法の世になった次の年だ、でも、これではちょっと覚えにくい、1053年って何が起こった年なのか、しばらく思い出そうとしていました。そして、エレベーターをおり、部屋へ向かって歩いている途中にひらめきました。そうだ、院政を始めた白河天皇の産まれた年だ、うん、それで行こう。

 7時になると、予約を入れてあった2階の洋食レストランへディナーを食べに行きました。ここの洋食レストラン、すごくおいしいので、楽しみにしていたのです。

 まず出されたのは水菜のサラダ、水菜やレタスをフレンチドレッシングであえてあります。野菜が新鮮な感じがして、すごくおいしかったです。

 次は、にんじんのポタージュ。甘くてとろりとしていて、スプーンで口に運ぶたびに幸せ気分。私が注文したパンも運ばれてきました。オリーブオイルにつけていただきます。こちらもおいしかったです。

 次は、ベーコンと玉ねぎのトマトパスタ。私は玉ねぎが少し苦手ですが、細かく刻まれているのでほとんど気になりませんでした。量もほどよく、トマトの酸味もちょうどよくておいしいです。(^^)

 そして、メインディッシュのハンバーグ。

          

 今まで出された料理は、ついつい写真に取り忘れてしまったのですが、こちらはメインディッシュなので写真に撮ってみました。

 ハンバーグの上には目玉焼きが載っています。味は甘辛く、和風と洋風をミックスしたようなハンバーグでした。好みでみそだれを上にかけていただきます。

 私は、ハンバーグと卵の味が混ざってしまうのはちょっと…と思い、まず目玉焼きを食べてしまいました。そのあと、たれをかけてハンバーグをいただきました。おいしい~。
 つけあわせにはポテトやなすがついています。こちらもおいしいです。

 そして、最後は紅茶でしめくくり。ごちそうさまでした。

 顔のほてりは、食事をしているうちに治ってしまいました。やっぱりおいしい食事は私にとって何よりの薬のようです。

 部屋に帰ってからは、テレビを見たり、携帯電話でインターネットを見たりして、ゆっくりと過ごしました。そして、買ってきたお菓子も食べました。

          

 ↑の写真は、紡き歌(つむぎうた)という和菓子です。ひょうたんの形をしていてかわいいです。
 食べてみると、おまんじゅうのような生地に、白の漉し餡が入っています。さっぱりした甘さでおいしかったです。すっかり気に入ってしまいました。
 そう言えば、紡き歌のとなりには、「つばらつばら」という名前の和菓子も売られていました。こちらは2日目の夕方に買って、帰宅後に食べました。半円形の形で、お餅のような生地に粒餡が入っていました。こちらもおいしかったです。

 こうして身も心も満足のうちに、京都での第1日目が終わりました。明日は、ネットで知り合った方々と色々なところを巡るので、今夜はしっかり眠っておかなくてはなりません。、携帯電話の充電もしっかりやって、お休みなさい。

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