平安夢柔話

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管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

史伝 後鳥羽院

2007-02-18 10:32:26 | 図書室1
 本日は、激動の時代の中、波瀾の生涯を送った天皇について書かれたこの本を紹介します。

☆史伝 後鳥羽院
 著者=目崎徳衞 発行=吉川弘文館 税込価格=2,730円

☆本の内容紹介
 異数の幸運によって帝位につき、天衣無縫の活動をしながら、一転して絶海の孤島に生を閉じた後鳥羽院の生涯を、史実に基づき描き出す。和歌などの才能にあふれた多芸多能な側面にもふれ、生き生きとした人間像に迫る。

[目次]
起の巻
 棺を蓋いて事定まらず/運命の四の宮/幼帝と権臣/十代の太上天皇
承の巻
 和歌への出発/『新古今集』成る/秀歌と秘曲/狂連歌と院近臣/鞠を蹴り武技を練り/習礼と歌論
転の巻
 北条殿か北条丸か/はこやの山の影/治天の君の苦悩/内裏再建の強行と抵抗/敗者の運命
結の巻
 『遠島御百首』の世界/人それぞれの戦後/歌道・仏道三昧の晩年/氏王

 この本は、長年にわたって後鳥羽院を研究して来られた目崎先生による後鳥羽院(1180~1239)の伝記です。後鳥羽院の生涯だけでなく、その時代背景、周囲の人々の動向にも触れられていて大変読み応えがあると思います

 彼は、以仁王の謀反の年に生まれ、4歳の時に、安徳天皇を奉じての平家の都落ちによって思いがけず皇位につきます。つまり、大変な幸運の星の下に生まれた…と言っても良い人物でした。そんな後鳥羽天皇は十代後半で土御門天皇に譲位します。その頃から側近の源通親によって和歌の道を教えられ、やがて夢中になっていきます。和歌への熱中が、やがて「新古今和歌集」を編む原動力となるわけです。それと同時に蹴鞠に熱中したり、石清水八幡宮に徒歩で登山したりもしていますので、文武両道に優れているという印象を受けます。
 また、この本は寵愛していた女房に死なれた後鳥羽院が、彼女を偲ぶ歌を詠むところから始まっていますので、なかなか情の厚い生年…というイメージも受けました。

 しかしそればかりではなく、後鳥羽院は宮中の古い行事を復興させたりもしています。つまり彼は、朝廷の権威を取り戻そうとしていたのでした。そんな彼が新興勢力の鎌倉幕府と戦うことになる……これはごく自然なことだったかもしれません。

 さらにこの本では、承久の変に至る朝廷の動きだけではなく、鎌倉幕府の動きにも詳しく触れられています。そして、戦いに敗れ、隠岐に流された後鳥羽院の晩年についても焦点が当てられています。後鳥羽院は孤独に耐えながら、「新古今和歌集」の改訂版を編むことになるのですが、彼にとって和歌がどんなに慰めになっていたかがひしひしと伝わって来るようで、切なくもあります。

 こうしてみると、後鳥羽院の生涯は源平合戦に始まり、鎌倉幕府の開幕から承久の変に至るまでの激動の時代を生き抜いた、波瀾の生涯だったと言えそうです。この本ではそんな後鳥羽院の生涯が、激動の時代と重ね合わせて描かれています。研究書という色の濃い本ですが、色々なエピソードも織り込まれていますし(私は、後鳥羽院と皇位を争った三の宮惟明親王のその後と、後鳥羽院のご落胤で、父とは対照的な生き方をした氏王が大変興味深かったです。)、詳しい注釈もついています。後鳥羽院や、鎌倉時代初期について知りたい方にはお薦めです。

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「なんて素敵にジャパネスク」 再読

2007-02-13 15:23:14 | 読書日記
 ↑のタイトルが、このところ更新をさぼっている理由です(汗)。

 「なんて素敵にジャパネスク」 (氷室冴子著 集英社・コバルト文庫)を先週の水曜日から再読し始めたところ、これが面白いの何のって…。 現在、4冊目の「続ジャパネスク・アンコール!」の3分の1くらいまでを読んだのですが、やめられそうもありません。多分、終わりまで読んでしまうと思います。

 ところで、この小説のことをご存じない方もいらっしゃると思いますので、内容をほんのちょっと紹介しますね。

 「なんて素敵にジャパネスク」は、早く言えば瑠璃姫という平安時代の姫を主人公にした少女小説です。平安時代の姫君たちは家の奥に引っ込んで琴を弾いたり、書道をしたりしておしとやかに過ごしているのが普通なのに、瑠璃姫はその正反対でした。乱暴で口が悪く、おてんばで外歩きが好きで…。でも明るくて正義感が強くて、何となく憎めないのですが…。とにかく風変わりな姫なのです。

 その上、瑠璃姫は、幼い頃吉野の里で一緒に遊んだ初恋の人、「吉野君」のことが忘れられず、「私は一生結婚しない!」と言い出す始末。「このままでは本当に行き遅れてしまう」と心配した瑠璃姫の父、大納言は、ある夜、権少将と瑠璃姫を無理やり結婚させようとします。そこを救ってくれたのが、おさななじみの高彬でした。

 そこで、「高彬もなかなか素敵じゃないの。」と思った瑠璃姫は、彼との結婚を決意…。するのですが、なぜか初夜のたびに何かが起こり、二人の結婚はなかなか成立しません。事が起こるとその真相を確かめずにいられない瑠璃姫は、色々とかぎ回るうちに恐るべき陰謀事件に巻き込まれてしまいます。そしてその事件が解決したあとも、また新しい陰謀事件が…。その結果瑠璃姫は瀕死の重傷を負ってしまい、その上あらぬ噂を立てられ、高彬との婚約も白紙に戻りかけます。

 そんな紆余曲折を経て、ついに二人はゴールイン!!しかし、それでめでたしめでたしとは行かないのが世の常。第一、瑠璃姫がおとなしく引っ込んでいるはずがありません。そして、またまた事件が…。恋愛あり、冒険あり、ミステリーあり、とにかく読み始めたらやめられない平安ラブコメディーです。

 ところで、この「なんて素敵にジャパネスク」が初めて出版されたのはもう20年以上前のことですが、平安好きを自称していながら、私はこの小説のことを5年前まで全く知りませんでした。初めて知ったのは、インターネットの平安サイトでです。そして、4年ちょっと前から平安サイトの掲示板への出入りを始め、この小説のことを色々聞いたりするうち、「読んでみたい」と強く思ったのでした。

 しかし、静岡で一番大きい書店にもこの本を置いてありませんでした。そこで仕方なく、書店に頼んで取り寄せてもらうことにしました。30代後半で少女小説を取り寄せるというのはかなり気恥ずかしかったのですが、「店員に変な顔をされたら娘に頼まれたとでも言えばいいか…」と思い、勢いで頼んでしまいました。幸いそれほど変な顔はされなかったです。ほっとしました~。
 そして、音声ソフトを使って読んでいる関係上、読書のスピードが超遅い私が、何と20日間で全10冊(なんて素敵にジャパネスクは、正編8冊と番外編2冊、)を読んでしまいました。

 今回は再読のため、大まかなストーリーは覚えているのですが、それでも楽しく読めています。何しろ4年ぶりですから、細かいところは忘れていますしね。瑠璃姫と高彬の一度目の初夜が流れたのは、高彬のおばあさんが亡くなったためだったこと、そのおばあさんが、高彬と兵部卿宮の二の姫との結婚を望んでいたことは忘れていました。唯恵の出自もうろ覚えでしたし…。

 ところどころに、平安時代の生活風習もしっかり盛り込まれているところも嬉しいですね。「少将」「侍従」「大納言」といった官職や、「二条堀川」「宇治」のような京都の地名、それと、「宮」「女房」「承香殿」といった言葉にもいちいち反応してわくわくしてしまう私は、やっぱり平安好きなのだなと実感してもいます。

 それに、初めて読んだときは変化に富んだストーリーを追うことで精一杯でしたが、今回はその時その時の登場人物の心理状態とか、「ああ、あそこはこの場面の伏線になっていたのか」などと考える余裕もあります。

 それと、4年前は私、読む順番を間違えてしまったのですよね…。2巻のあとに3巻を読んでしまったのでした…。「少し話が飛んでいる」とは思ったものの、意味はわかるのでそのまま読んでいました。
 ちょうどその頃、当時出入りしていたある掲示板に、「ジャパネスクの2巻を読み終え、3巻を読み始めました。」と書き込みしたところ、「2巻のあとはジャパネスク・アンコール!ですよ。」と管理人さんに教えていただき、びっくりしてまだ手許になかった番外編「ジャパネスク・アンコール!」「続ジャパネスク・アンコール!」を取り寄せたのでした。そして、6巻の途中で正編を一時中断し、番外編2冊をあわてて読んだ…という経緯があります。
 なので、番外編を読んでからの3巻や4巻がどんな感じなのか、今回は楽しみだったりします。もうすぐ3巻だ~。頑張らなくては。

 …というわけですので、しばらくは読書に夢中になっていると思います。こちらの更新はそのようなわけで更にゆっくりになってしまうかもしれません。どうか気長におつき合い下さいね。

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スリッパで遊ぶエリカ

2007-02-09 10:09:11 | 猫のお部屋
 久しぶりに、我が家の小さなエリカの写真を載せてみました。

 本日の写真は、エリカが私のスリッパで遊んでいるところです。スリッパの上に乗ってみたり、いじったりにおいをかいだりしていました。小さいときはポケットティッシュが大好きでしたが、最近は靴下やスリッパが好きなようです。猫用のおもちゃを与えてもほとんど興味を示さないのに、どうしてこういった物が好きなのかなあ。

 ちなみに目が緑色で少し光ってますが、これはターキッシュバーン種の猫の特徴なので、決して怪しく光っているわけではありません。

 では、いつものようにエリカの近況を少し…。

 最近、朝、目が覚めると、エリカが私のおなかの上に乗っていることがとても多いです。エリカにしてみれば、「ママ、早く起きて」と言いたいのでしょうけれど、5、5キロもある重いエリカに乗られてはたまりません。…と言いながら、「私に甘えてくれている」と思うとちょっと嬉しかったりします。

 さて、エリカが次にやることは、出かける支度をしているだんなさんに甘えることです。実はエリカ、だんなさんの膝の上が大好きなようで、彼が椅子に座っていると「抱いて、抱いて」としょっちゅう甘えます。でも、朝の忙しいときに甘えられてはだんなさんもたまらないようで、「エリカ、あっちへ行け!」と怒るのですが、エリカもなかなかあきらめません。仕方がないので、だんなさんは忙しい合間をぬってエリカを膝の上に乗せます。本当にわがままなのです…。

 だんなさんが出かけてしまい、ご飯を食べ終わると、エリカは今度は私に甘えてきます。パソコンの上に飛び乗ろうとする…という行動もその一つなのかな。

 でも、ある程度甘えてしまうと、エリカは押し入れの中に入って寝てしまいます。2~3ヶ月前のお気に入りは、押し入れの上の段のダンボールの中でしたが(詳しくはこちらの記事をご覧下さい)、今のお気に入りは押し入れの下の段の布団の中です。布団の中は暖かいし、その上ふわふわしていて気持ちがいいのでしょうね。この前、布団をめくってこっそり覗いてみたのですが、幸せそうな顔をして寝ていました。そんなエリカを見ていると私も幸せ。エリカちゃん、これからもパパとママをいやしてね。

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日帰り小旅行 三島編 もくじ

2007-02-06 08:09:16 | 旅の記録
 このページは、「日帰り小旅行 三島編(2007年1月16日に、当時静岡県三島市の佐野美術館にて開かれていた、よみがえる源氏物語絵巻 ~平成復元絵巻のすべて~を観に行き、ついでに三島大社を参拝したときのミニ旅行記です。)をまとめて読むことのできるページです。
 各項目をクリックするとそのページに直接ジャンプできますのでご利用下さい。「旅行記の第1回を読む」→「ブラウザの戻るでこのページに戻る」→「旅行記の第2回を読む」というように、旅行記を順番に読むこともできます。

 また、その他の旅行記のもくじへのリンクも貼ってありますので、ぜひご覧になってみて下さい。

1.出発
2.三島大社参拝

3.昼食

4.隆泉苑と源氏物語絵巻展
5.帰り


☆日帰り京都旅行2005年夏 もくじ

 2005年8月23日、当時京都文化博物館で開かれていた風俗博物館出張展示を観に行って十二単を体験し、その後、法住寺と三十三間堂を巡ったときの旅行記です。


☆京都1泊旅行2006年春 もくじ

 2006年4月6日・7日の京都1泊旅行の旅行記です。1日目には風俗博物館に行き、そのあと下鴨神社で平安装束を体験しました。2日目は京都御所、紫式部の墓、雲林院などを巡りました。


☆掛川城散歩 もくじ

 2006年9月14日、当時放映されていたNHK大河ドラマ「功名が辻」の舞台ともなった掛川城を訪れたときのミニ旅行記です。

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帰り ~日帰り小旅行 三島編5

2007-02-05 10:17:59 | 旅の記録
 展示室を出ると売店がありました。源氏物語絵巻に関する色々なものが売られていてわくわく♪そこで、今回の展示の図録と、「源氏物語絵巻」の復元模写の写真入りの絵はがきを購入しました。これで、源氏物語絵巻の素晴らしい世界をいつでも堪能できます。

 タクシーで三島駅に戻り、下り電車にて帰途につきました。新幹線で帰ることも考えたのですが、本数が少ないので普通電車にしました。

 三島から4つほど行ったところに「東田子の浦」という駅があります。田子の浦というと思い出すのが、百人一首の4番目の山部赤人の歌、「田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」です。この歌のもと歌は万葉集に入っている「田子の浦ゆ うちいでて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」です。前者の方は、「都にて雪が降っている富士山を想像しながら詠んだ」という感じがしますが、後者の方は、実際に雪が降り積もっている富士山を目の前にして詠んだという雰囲気が感じられるので、私は万葉集のもと歌の方が好きだったりします。

 それはともかくとして、「東田子の浦」を通りかかって赤人の歌を思い出した私、「電車の中から富士山を撮ってくれる?」とだんなさんに頼んでみました。ところが、今日は富士山の方は曇っているらしく、美しいその姿を拝むことができませんでした。と言うわけで写真も撮れませんでした。だんなさんの話によると、三島からは富士山が見えていたとのこと。でも私は、三島大社と源氏物語絵巻で頭がいっぱいで、富士山をすっかり忘れていたのでした…。今度こちらに来ることがあったらぜひ、美しい富士山を撮影してブログにUPしたいと思っています。
 ちなみに「田子の浦」というのは現在では静岡県富士市一帯の海岸を指すようですが、奈良・平安時代にはそれより西の駿河湾西部のことを言ったのだそうです。

 このようにして、私たちの三島への小旅行は終わりました。幸い途中で気分が悪くなることはなかったのですが、無理をして出かけたのはやはり響いたようで、その夜からまた体調を崩してしまいました。でも、念願の三島大社に参拝できたし、何よりも、源氏物語絵巻を生で見ることができたのは幸せです。復元された絵巻はとてもきれいでしたが、やはりそれと並べて飾ってあった国宝源氏物語絵巻は、たとえ色あせてしまっても貴重な財産だと思いました。これからもいつまでもいつまでも、国宝として大切に残していって欲しいなと思います。

          ー日帰り小旅行 三島編 終わり ー

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隆泉苑と源氏物語絵巻展 ~日帰り小旅行 三島編4

2007-02-02 11:07:40 | 旅の記録
 喫茶店でタクシーを呼んでもらい、佐野美術館に向かいました。降ろされたところは「財団法人 佐野美術館」と書いてある看板の前。でも、美術館らしい建物が見当たりません。後で知ったのですが、ここは美術館の裏口だったようです。

 その時はこのことを知らなかった私たちは、降ろされた場所から中に入り少し歩いていくと庭園が目に入ってきました。ここは「隆泉苑」という、佐野美術館の庭園なのだそうです。裏口から入ったおかげで、美しい庭園を堪能することができました。

 では、隆泉苑の様子をどうぞ。







 隆泉苑を抜けると、美術館の建物が目に入ってきました。入ってみると薄暗く、「絵巻展はどこで開かれているのかしら?」と思いましたが、「源氏物語は2階ですよ。」と案内され、階段を昇っていきました。2階の入り口で受付をすませ、いよいよ源氏物語絵巻の世界に入っていきます。

 さて、平成19年1月5日~2月5日までこちらで開かれている、「よみがえる源氏物語絵巻 ~平成復元絵巻のすべて」の概要を、佐野美術館さんのホームページこちらのページより引用させていただきたいと思います。


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現存最古の物語絵巻が、900年の時を越え、鮮やかによみがえる―
 
 国宝「源氏物語絵巻」は、紫式部が『源氏物語』を書いた約1世紀後、12世紀前半に制作されたと考えられています。現存する絵巻の場面は19図で、徳川美術館と五島美術館に所蔵されています。
 900年の時を経て、色あせ、絵具が剥がれ落ちたこの19図が、製作当時どのような姿であったのかを明らかにすべく、平成11年より「源氏物語絵巻復元プロジェクト」がはじまりました。復元模写は出来る限り当時と同じ素材・同じ技法で、最新の科学データと現代の絵師の技を駆使して製作され、平成17年秋に19図すべてが色鮮やかによみがえりました。
 この復元模写の様子はNHKの特集番組「よみがえる源氏物語絵巻」シリーズとして放送され、大きな反響を呼びました。
 本展では、19図の復元模写を一堂に展示するほか、江戸時代から現代までの模写作品、プロジェクト過程の様々な資料をあわせてご紹介いたします。
 平安時代の王朝人が見た「源氏物語絵巻」の世界を存分にお楽しみください。
               ーーーーーーー引用終了ーーーーーー


 今回の展示では、900年前の王朝人が見たものとほぼ同じ色彩の絵巻を見ることができる…というわけで、私はとても楽しみにしていました。

 ちなみに、現存する源氏物語絵巻は19図とのことですが、その内容は「蓬生」(一)「関屋」一)、「柏木」(三)、「横笛」(一)、「鈴虫」(二)、「夕霧」(一)、「御法」(一)、「竹河」(二)、「橋姫」(一)、「早蕨」(一)、「宿木」(三)、「東屋」(二)なのだそうです。物語の後半に属する部分が多く残っているようですね。 源氏物語絵巻が完成した当時は、全五十四帖の絵巻が存在していたのでしょうけれど、長い年月のうちに多くの絵巻が散逸してしまったのでしょう。少し残念に思えますが、考えてみると、十九図の絵巻が今日まで残ったというのはすごいことなのですよね。

 展示室に入ってまず目に入ったのは「蓬生」です。須磨から帰った光源氏が、長い間忘れていた末摘花を訪ねる部分で、末摘花の荒れ果てた邸の様子が描かれています。国宝の源氏物語絵巻はすっかり黄ばんでしまい、輪郭や色彩はよくわかりませんが、今回復元模写された絵巻はとても色鮮やかできれいです。

 なぜか気に入ったのが「橋姫」です。光源氏の次男、実は柏木と女三の宮の不義の子、薫が宇治の八の宮の山荘で、八の宮の二人の姫を初めてかいま見る場面が描かれていました。右側に薫が、左側に宇治の大君・中の君が描かれているのですが、薫の装束の色がとっても鮮やかな青なのです。何か色々な染料を使って出した色のように思えました。「ああ、今から900年前の人たちも、これと同じ色の絵を見て喜んでいたんだ~」と思うととても不思議な気持ちになりました。

 一つ意外だったのは、「絵巻って一枚一枚は小さいんだ~」ということ。畳一畳くらいの大きいものを想像していましたので…。これは実際に観に行かないとわからないことですね。

 部屋のすみの方に、女房装束(十二単)と直衣が飾ってあったのも嬉しかったです。女房装束も素敵ですが、いつか直衣も着てみたいなあ。

 展示室の出口の近くには大きなテレビが置いてあり、NHKで放映された特集番組「よみがえる源氏物語絵巻」を流していました。ちょうど「御法」の復元場面が流れていたので、テレビの前に置いてあった椅子に座って見物。

 御法」は、紫の上が亡くなる前の日の、光源氏と紫の上の最後の夫婦の語らいの場面が描かれています。重い病気におかされた紫の上が画面右側に、哀しみにうちひしがれる光源氏が中央に描かれています。
 紫の上は、庭の萩を見て、「私はまるで風に吹かれて揺られている萩の露のようにはかないんだわ。」という意味の歌を詠むのですが、左側には萩が風に吹かれて揺れている様子もしっかり描かれています。物語を忠実に絵で再現していますよね。

 また、国宝源氏物語絵巻の光源氏の顔の部分からは鉛が発見されたそうです。それで、今回復元された絵巻にも、同じように鉛を使ったとか…。900年前の絵師、そして、この素晴らしい絵巻を忠実に復元した現代の画家の皆様の技術の高さに感服する想いがしました。

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