平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

駿府公園の桜

2009-03-29 11:13:21 | 静岡大好き
 昨日3月28日、静岡市にある駿府公園に桜を見に行ってきました。

 駿府公園は、駿府城跡に作られた公園で、天守閣はありませんが、門などはいくつか復元されています。静岡市内に住んでいた頃には時々訪れていたのですが、家を引っ越してからは全く行く機会もなく、今回、約6年ぶりに訪れてみました。久しぶりに歩く公園の中はすっかり整備されていてびっくりしました。

 「駿府公園の桜はほぼ満開」とニュースで報道されていたのですが、ここ2、3日寒かったので、開花がちょっと遅れているようでした。それでも、内堀の近くには満開の桜が咲いていてラッキーでした。

 では、内堀沿いに咲いている桜をご覧下さい。


  


 反対側から。


  


 では、もう一度拡大してみます。


  


 さて、上でも書きましたが、駿府公園は駿府城跡に作られた公園です。駿府城は天正十三年(1585)、室町時代の守護大名、今川氏の居館であった今川館のあった場所に、当時の駿府の領主であった徳川家康によって築城されました。
 家康は天正十八年(1590)、豊臣秀吉の令によって関東に国替えとなり、駿府を去りました。そして、秀吉の死後に関ヶ原合戦に勝利して江戸幕府を開き、征夷大将軍に任じられます。

 しかし家康は、慶長十年(1605)、将軍職を息子の秀忠に譲ってしまいます。そしてその二年後、駿府城を修築して移り住み、「大御所」と呼ばれるようになります。

 このように、駿府城は家康によって築城、改築されたお城なので、家康公ゆかりの城と言っていいと思います。そのため、駿府公園の中には家康の銅像が建っています。

 では、久しぶりに家康公とご対面です。


  


 左手に鷹を、右手には刀のようなものを持っていますね。格好良いです。

 更に、銅像の向かいには「家康公お手植えのミカンの木」があります。これは、家康公自らが植えたと伝えられているミカンの木です。今でも秋になるとミカンが収穫され、地元のニュースでその旨が報道されています。どんな味なのか一度食べてみたいです。


  


 金網でしっかり覆われていますね。これからも、おいしいミカンがたくさん収穫されるよう、大切に守られていくことを祈ります。

 ついでに、家康公の銅像の近くにはこのようなものもありました。


  


 「駿府城本丸跡」の石碑です。このようなものがあったなんて、今まで気がつきませんでした。

 このように、きれいな桜と、地元ゆかりの家康公に触れることができた楽しいひとときを過ごすことができて良かったです。


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本日のランチ&お買い物

2009-03-20 21:11:04 | えりかの平安な日々 04~09
 久しぶりのグルメレポートです。

 今日はお昼過ぎに電車に乗って静岡へ。いつものように1時半過ぎにだんなさんと静岡駅で待ち合わせて、昨年の夏頃から時々行っている駅前のホテルのレストランでランチを食べてきました。本日はベーコンとほうれん草のスパゲッティのセットにしました。


          

 こちらがメインのスパゲッティです。ほうれん草とベーコンがたくさん入っています。辛さもちょうど良く、さっぱりした味わいです。私はペペロンチーノのスパゲッティをどうしても上手に作れないので、こうして外で食べるのが楽しみなのです。


          


 こちらはサラダとドリンクです。サラダにはシーザードレッシングがかかっています。ドリンクは、本当はホットティーにするつもりだったのですが、あまりにも暑かったのでアイスティーにしました。スパゲッティもサラダもアイスティーもおいしかったです。おいしい物を食べるとやっぱり幸せ♪

 さて、お食事のあとは静岡の町中を歩いてきました。1月末で閉店してしまった新静岡センターのデパートの中にあったお店が、町中のあちらこちらに店を構えているというニュースを先日見たので、行ってみたのです。
 そのうち、書店とCDショップは、前のデパートから200メートルほど離れたビルの中にありました。書店は以前の店の半分の広さになったみたいですが、それでも本の種類は充実しているようです。これならまた利用できそうです。

 更に嬉しいことに、おいしいジャンボシューマイやロールキャベツが売られていた肉屋も、デパートの向かいに店を構えていました。郊外に移転するということを聞いていたのでこれにはびっくりするやら嬉しいやら…。それで早速行ってみたのですが、残念ながらシューマイは売り切れでした。
 でも、ロールキャベツを無事にゲットできました。そこで、夕食にコンソメとしょうゆを入れた自家製スープで煮込んで食べました。


          


 キャベツが甘くておいしかったです。スープの味つけもちょうど良かったみたいで満足。(^^)

☆WBCの日本代表、グループ1位で準決勝に進出しましたね。3年前の優勝がとても嬉しかったのですが、今回ももしかして…、という気分になってきました。ぜひ頑張って欲しいです。

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泥(こひ)ぞつもりて

2009-03-16 21:26:35 | 図書室3
 今回は、最近読んだ平安小説を紹介します。

☆泥(こひ)ぞつもりて
 著者=宮木あや子 発行=文藝春秋 価格=1550円

本の内容紹介
 入内できぬ女の思い。后になっても叶わぬ恋。報われることのない帝の愛──。平安王朝を舞台に様々な狂おしい愛のかたちを描く中編集。

 清和朝から醍醐朝までの後宮を主な舞台に、藤原高子を軸に展開される3編の連作小説集です。実在の人物たちを扱っていますし、歴史背景も史実にわりと忠実ですが、作者の創作部分と思われる箇所もかなりあります。なので、ストーリー全体を書くとかなりのネタ晴れになってしまいますので、それぞれの作品のストーリーのさわりと、私の感想を記す程度にとどめようと思います。*以降が私の感想です。

☆泥ぞつもりて

 陽成天皇をめぐる男と女の物語。

 ふとしたことから陽成天皇をかいま見て恋してしまった少女は、願いかなって入内し、紀君と呼ばれることになるのですが、天皇のお召しは全くありませんでした。と言うのは、天皇は乳母の全子以外の女には興味がなかったからでした。その全子の息子、益もまた、天皇を慕っていました。その他、天皇の母の藤原高子、高子のライバルの麗景殿女御、高子の兄の藤原基経など、様々な人物が関わって物語が展開します。

*陽成天皇は益を殺害したことで退位させられたと言われていますが、この小説でもこの事件のことが出てきます。そして、この事件がきっかけで紀君にも思わぬ運命が用意されていたことに不思議さを感じました。物語のラスト近くで、意地悪だと思っていた麗景殿女御の優しい一面がかいま見られるところもほっとします。

 それから、陽成天皇は確かにわがままで自分勝手ですが、きっと人を引きつける魅力があったのでしょうね。彼のことをもっと知りたくなりました。

☆凍れる涙

 清和天皇をめぐる女たちの物語。従って、「泥ぞつもりて」より以前の時代を扱っています。

 藤原良相の娘、多美子は、五節の舞姫に選ばれたときに清和天皇の目にとまり、天皇の元服と同時に入内します。しかし、多美子は子供を生むことのできない体でした。それでも天皇の寵愛を一身に受けるのですが、次第に天皇の愛情をうとましく思うようになります。

 一方、藤原基経の妹、高子は、やはり五節の舞姫に選ばれたのですが、天皇の目には止まりませんでした。それでも藤原北家の姫として入内が約束されていたのですが、彼女は在原業平と恋に落ちてしまいます。

 そしてもう一人…、古い源氏の娘、喧子は、お忍びで行幸した清和天皇の目に止まり、寵愛を受けるようになるのですが、入内することができませんでした。それでも何とかして天皇の子供を生みたいと考えた彼女ですが…。

*「泥ぞつもりて」に登場する高子と麗景殿女御の過去が、この物語で描かれています。高子と業平の逃避行と応天門炎上を重ね合わせるなど、ちょっと強引な展開の部分はありますが、ストーリーにぐんぐん引き込まれました。ラスト近くでの多美子の「天皇の愛を受け入れよう」と決心するところが感動的です。

☆東風吹けば

 益が殺害されたところから物語が始まり、その後の光孝天皇の即位、それに続く宇多天皇の即位、阿衡事件、宇多天皇の親政、宇多天皇の退位と醍醐天皇の即位、菅原道真の左遷と続く激動の時代を、宇多天皇(小説では『定省』という名前で通されていたので、以下、定省と記載します)と高子を中心に描いた物語。

*定省が登場する小説というと、杉本苑子さんの「山河寂寥 ある女官の生涯」が真っ先に思い浮かびます。この小説はとても面白いのですが、定省の描き方に関してはこちらの「泥ぞつもりて」の方がしっくり来ました。野心家で頭のいい青年に描かれていますが、菅原道真の左遷を哀しむなど、彼の多面的な部分がしっかり描かれています。「難しいことは道真に任せておけばよい。こちらは楽しいことだけ考えよう」という、定省が温子(基経の娘)に言った言葉は意外と真実だったかもしれません。また、脇役に過ぎませんが、温子の女房の伊勢が光を放っているような気がしました。

☆全体の感想

 やはり、三編の小説を通して中心になっている藤原高子に一番心引かれました。
 高子は清和天皇への入内が約束されていたのですが、在原業平と恋に落ち、それが露見して幽閉されてしまいます。それでも心をしっかりと持ち、「入内などしたくない」と意思表示します。しかし、やはり周囲に逆らうことができずに入内、陽成天皇の母となり、皇太后の照合を授けられます。その間も、何人かの男性と恋をしていた…と、この小説では描かれていました。 
 やがて清和天皇は崩御し、陽成天皇も退位させられます。高子も、「これで私の女としての生涯は終わりなのか」と思うのですが、思いがけなく、東光寺の座主、善祐という美しい僧が現れ、高子は彼と恋に落ちます。そしてそれが露見して皇太后の照合を奪われてしまうのです。奔放な生き方ですが、ある意味では自分をつらぬいた見事な生き方だと思います。この小説を読んで、高子が愛しくなりました。

 もちろん、「泥ぞつもりて」はあくまでも小説なので、作者によるフィクションも多いと思われますし、これは他の多くの歴史小説にも言えることなのですが「あれ?」と思う箇所もありました。藤原胤子の出自が基経たちと血縁がないと描かれていたり(実際は、胤子の父高藤と基経はいとこ同士なのですよね」、宇多天皇の実母も班子女王ではないような記述がありました。
 でも、それを差し引いても、平安時代前期というマイナーな時代を取り上げ、歴史事項に沿って登場人物たち一人一人の心情を細かく描いているところは見事です。私的にはかなりお薦めです。

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「源氏物語の姫君占い」をやってみました

2009-03-11 11:35:26 | 歴史雑記帳
 私も参加させて頂いている源氏物語好き同盟」を主催なさっているなぎさんが、源氏物語の姫君占いを作って下さいました。そこで、私も早速やってみました。


えりか姫は紫の上 であらせられます!

● 紫の上さんのあなたは、自分をあまり飾らず、ありのままの姿を表現するタイプ。でも相手の心を思いやるあまり、自分を抑えて引いてしまうこともありませんか。打算的に行動することが出来ない、いわゆる世渡り下手。しかし逆にそういった態度が大物っぽくもあります。軽い流行に乗るのが好きではなく、しっかりと自分の好みを持っています。表現力を求められる芸術的な分野で力を発揮できます。ラッキーアイテムは「雀の子」。

● えりかさんに幸運を呼ぶカードは、ハイウェイカードです!


 わ~い!紫の上は「源氏物語」の女性の中で一番好きなのでとっても嬉しいです。今までもネット上で源氏物語占いを色々試したことはあるのですが、紫の上になったのは今回が初めてなのですよね~。

 つい最近まで、田辺聖子さんの「新源氏物語」を再読していたのですが、やっぱり紫の上は素敵でした。幼いときに源氏に引き取られて、源氏の理想のタイプの女性に育て上げられるという設定は、一見人形のようで意志がないように見えますが、単なる人形で終わらなかったのが紫の上の見事なところだと思います。頭はいいし、六条院の他の女性にも上手に気配りをしてうまくやっているし。私も紫の上に少しでも近づけたらいいなあ。「こんな素敵な女性を悲しませてはだめですよ」と源氏に一言言ってやりたいです。

 それで、占いの内容も何となく当たっているような…。確かに自分を押さえてしまうところはあるし、流行に乗るのもあまり好きではないです。ラッキーアイテムは雀の子ですか。なるほど。紫の上の最初のせりふ、「雀の子を犬君が逃がしつる」は印象が強いですものね。

 この占い、名前と生年月日と血液型を入れるだけですので、皆様もぜひお試し下さいませ。

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最近ネットで購入した本

2009-03-06 18:26:11 | 読書日記
 最近、本屋さんが少なくなっていますよね。
 私がよく行っていた静岡駅前にあった大きな本屋さん、ビルの建て替えのために2年前に縮小移転してしまったのですが、今でも移転したままです。それから、先日閉店してしまった静岡市内のデパートの中にも本屋さんがあったのですが、デパート閉店とともになくなってしまいました。
 また、私の家の近所にも、20年前には4軒の本屋さんがあったのですが、今では1軒だけになってしまいました。それも、かなり小規模の書店です。

 そのため、最近はほとんどネット書店を利用して本を買っています。1週間ほど前、amazonを通して3冊、京都新聞社のホームページを通して1冊の本を注文したのですが、今週になってから、注文した本が次々と手元に届き、わくわくしています。

 というわけで、最近ネットで購入した4冊の本のリストです。

☆泥(こひ)ぞつもりて(宮木あや子著・文藝春秋)

 清和天皇から宇多天皇までの時代の後宮を舞台にした連作小説集。この時代にはすごく興味があるので、この本のことを初めて知ったときに「ぜひ読みたい」と思い、即、注文しました。今、読んでいますが面白いです。読み終わりましたら「図書室3」で紹介しますね。

☆ヨーロッパの「王室」がよくわかる本(河原崎剛雄監修 PHP文庫)

 私は日本史だけでなく世界史も好きです。高校のあとは専門学校に進んだのですが、入学試験は英数国社理の5科目。そのうち社会と理科はそれぞれ1科目を選択することになっていました。それで私は、社会は世界史で受験しました。そのため、今でも世界史、特にヨーロッパ史の本(もちろん一般向けの簡単な本です)を時々読んで気分転換しています。今回も気分転換のつもりで購入しました。

☆青い城(モンゴメリ著 角川文庫)

 「赤毛のアン」の作者、L・M・モンゴメリの書いた小説です。以前から気になっていたのですが、1ヶ月ほど前にネットでこの本のレビューを見て無性に読みたくなりました。
 でも、どうやら絶版になっているようでがっかり。そう言えば視覚障害者用に音声化されていたのでは…ということを思い出したのですが、記憶違いかもしれない、それでは図書館に問い合わせようかなとも思いながら検索したページを見ていたところ、「2009年2月25日に角川文庫から復刊されます。」という文字が…。こんな事もあるんだとすごく嬉しかったです。

☆平安京散策(角田文衞著 京都新聞社)

 この本のことも以前から気になっていたのですが、こちらも絶版のようで手に入りませんでした。
 でも、嬉しいことに復刊されたということを、くたくたさんなぎさんの日記で知りました。お二方とも、情報ありがとうございました。
 amazonでは取り扱っていないようなので、京都新聞社のサイトで注文。ちなみにこちらから注文できますのでご興味のある方はどうぞ。
 届いたあと、少し拾い読みしてみましたが、わかりやすくて面白そうです。私が今まで知らなかった平安京の史跡のことも書いてあるようでわくわく…。今はもう、故人になられてしまった角田先生にお礼を言いたい気分です。こちらも、読み終わりましたら「図書室1」で紹介できるといいなと思っています。

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源 師子 ~関白の妻への道

2009-03-02 10:15:16 | 歴史人物伝
 先日UPした、第72代 白河天皇」を書くに当たって色々調べていたところ、源師子という人物に興味を引かれました。それで、手持ちの本などで調べて彼女の生涯をまとめてみることにしました。相変わらず、妄想と推察が炸裂していますが、ご覧頂けますと幸いです。

☆源 師子(みなもとのもろこ 1070~1148)

 父は右大臣源 顕房(村上源氏)、母は権中納言源 隆俊女の隆子(醍醐源氏)。
 しかし、「栄花物語」では、後冷泉天皇の女房、式部命婦となっています。師子の母が誰なのかは謎ですが、彼女が賢房からほとんど認知されなかったこと、源麗子の女房になっていたこと、白河上皇の正式な妃になれなかったことなどを考えると、姉の賢子と同母と考えるのは不自然のような気がします。やはり彼女の母は式部命婦と考えた方が自然のように思えます。

 彼女の生涯を語る前にまず、姉の白河天皇中宮、賢子について触れておきます。源師子の前半生を語る上で、賢子は重要だと思いますので…。

 藤原賢子(1057~1084)、実父は源顕房、実母は源隆俊女の隆子。

 延久三年(1071)、藤原師実(頼通の子)の養女として東宮貞仁親王(のちの白河天皇)に入内しました。その時の華やかな様子は「栄花物語」などに記述されています。 賢子は3年後に、すでに即位していた白河天皇の中宮に冊立されました。白河天皇の寵愛を一身に受け、敦文親王(早世)、(女是)子内親王、善仁親王(のちの堀河天皇)、令子内親王、禎子内親王と、次々と皇子や皇女をもうけます。
 まさに幸せな人生を送っていたのですが、(1084)に発病し、あっけなく亡くなってしまいます。その際、白河天皇は(天皇が后の臨終に立ち会うなんて前例がない」と批判されながらも賢子をしっかりと抱きしめ、離そうとしなかったといいます。よほど賢子を強く寵愛していたのでしょうね。

 賢子のことが忘れられない白河天皇は2年後に賢子との間にもうけた善仁親王に譲位してしまいます。これが堀河天皇です。上皇として自由な身分になった白河は何人かの女性を近づけることとなるのですが、その一人が賢子の妹に当たる師子でした。

 師子はいつ頃からかはわかりませんが、源 麗子に仕えていたようです。麗子は賢子を養女とした藤原師実の妻で、師子の父方のおばに当たる女性です。もしかすると麗子は、顕房の愛情が薄かった師子を気の毒に思い、自分の身の回りの世話をさせるために手元に引き取ったのではないかとも考えられそうです。

 師子は18、9歳の頃に白河上皇の目にとまり、寵愛を受けるようになります。というのは、師子の面差しが賢子にそっくりだったからでした。白河上皇は賢子が生き返ってきたような気分になり、師子に夢中になったのでしょうね。やがて師子は懐妊、寛治五年(1091)に皇子を生みました。

 ところが、かわいそうに偽物はやっぱり偽物だったようで、やがて白河上皇の師子への寵愛は冷めていったようです。賢子は華やかなイメージがあり、明るく積極的な女性だったのではないかと思うのですが、師子は父からあまり顧みられなかったこともあり、控えめでおとなしい性格だったのではないでしょうか。そのようなわけで師子は麗子の身の回りの世話をしながら、まれに訪れてくる白河上皇をひたすら待つという日を送っていました。しかし、そんな彼女に大きな転機が訪れます。

 ある時、麗子の孫に当たる藤原忠実というまだ16、7の少年が麗子を訪ねてきました。その時、忠実は麗子に使える師子をかいま見て一目ぼれしてしまったのです。

「ああ、何て美しくて可憐な人なんだろう!しかし、あの女は上皇さまの愛妾なのだ。私には手の届かない方だ。私はあの女を盗み出すか、恋いこがれて死んでしまうかのどちらかだ。ああ、どうしたものだろうか」
 と、悩みに悩んだ忠実はついに麗子にこのことを訴えました。

「おばあさま、私は師子どのに恋してしまったのです。どうかあの女を私に下さるよう、おばあさまから上皇さまに頼んで頂けないでしょうか?」
「頼むのはよいが、上皇さまがお許し下さるかねえ」
と麗子は言ったものの、実は上皇の訪れがまれになって寂しい思いをしている師子をかわいそうに思っていました。

 このまま上皇のお手つきとして一生を終わってしまうのはあまりにも哀れだ、それよりも忠実の妻として落ち着いた生活をさせてあげた方がよっぽど幸せなのではないか。それに忠実も、最初の妻任子(源俊房女)との間に子をなしたものの、子供は早世、任子との中も冷え切ってしまったようだから、師子は新しい妻に適任なのでは……と考えた麗子は上皇に忠実が師子に恋していることを話し、何とか師子を忠実に譲るようにと頼み込んだのでした。

 意外にも白河上皇は、
「なに?師子を忠実にだと?うん、いいだろう」
とあっさりと承知。実は白河上皇も愛情が冷めた師子をもてあましていました。そうかといって、堀河天皇の叔母にも当たる師子を粗末にもできません。なので上皇も渡りに船だと思ったのでしょう。それに、忠実の頼みを受け入れたということで、これからは摂関家に遠慮する必要もあまりないのではないか…と考えたのかもしれませんね。

 こうして師子は忠実の許に行くことになったのですが、8歳年下の忠実との相性が良かったらしく、嘉保二年(1095)に女子を、承徳元年(1097)に男子を生みました。女子は後年、鳥羽天皇の後宮に入った高陽院泰子、男子は摂政・関白を歴任した忠通です。
 一方、白河上皇との間にもうけた皇子は、長治元年(1104)に出家、仁和寺に入って覚法法親王と名乗り、数々の仏事を行い、天下第一の僧と言われました。
 このように、師子の生んだ子供たちは、それぞれ立派に成長していきました。

 ところで、夫となった忠実は父師通が康和元年(1099)に死去したのを受けて氏の長者となり、続いて関白となりましたが、後に白河上皇と対立して関白を罷免されたりなど、かなり波乱に富んだ生涯を送ることとなります。師子はそんな忠実の嫡室として、康和四年(1102)従三位に叙され、天仁二年(1109)従二位に進み、政所を開設、更に従一位に昇りました。

 しかし、長承三年(1134)出家、次第に対立していく夫忠実と、息子忠通に心を痛めたためでしょうか。

 康治元年(1142)には仁和寺に堂舎を建てて常在の所としました。仁和寺というと、白河上皇との間にもうけた覚法法親王が入っている寺です。彼は多分、師子が忠実に嫁してからは別々に暮らしていたのでしょうし、14歳で出家してしまいましたので、母子の縁は非常に薄かったと考えられます。やはり師子はこの皇子のことが気になっていたでしょうし、覚法法親王も幼い頃に別れた母の面影が忘れられなかったのでしょうね。法親王は心をこめて母の世話をしたと思われます。

 久安四年(1148)十二月、病を得、その十四日、79歳の天寿を全うしました。晩年は宇治の別荘に居住していた忠実とは離れて住んでいたようですが、立派に成長した子供たちの世話を受け、心安らかな日々を送っていたことでしょう。
 何より、夫忠実と息子忠通が決定的に対立してしまった保元の乱を見なかったこと、仁平三年(1153)に世を去った覚法法親王や久寿二年(1155)に世を去った泰子よりも先に冥土に旅立ったことも幸せだったかもしれません。

☆参考文献・参考サイト
 『平安時代史事典 CD-ROM版」 角田文衞監修 角川学芸出版
 『人物叢書 藤原忠実』 元木泰雄 吉川弘文館
『歴代天皇と后妃たち』 横尾 豊 柏書房
 『源平争乱期の女性 人物日本の女性史3』 円地文子監修 集英社
 葉つき みかんさんのサイト 月桜村上源氏の人物紹介内の源 師子のページ。自作のイラストつきで師子のことを紹介なさっています。参考にすることを許可して下さいました葉つき みかんさん、ありがとうございました。

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