大河ドラマ「義経」第27回の感想です。
やっと、義経の英雄としての、また指揮官としての部分が描かれましたね。
そして、彼の戦の天才としての部分もよく現れていたと思います。
「三草山に敵がいる。」とかぎ取ったところはさすがです。
軍を二つに分けたあと、鵯越の奇襲を実行するところを観て、「義経くんもやっと勇ましい武士に成長したわね。」と思いました。これなら、屋島や壇之浦での彼の描き方に期待できるかもしれません。でも、前回までの描き方が描き方だけに、あまりにも急に武士らしくなった義経に戸惑う部分もありましたが…。
このように、今回は義経の描き方に関してはかなり満足だったのですけれど……、相変わらず今回もつっこみ所満載でした。特に、重衡の生け捕りのシーン、「あれはいったい何?……」という感じで、とても違和感がありました。
その重衡については後に述べることにして、まず法皇さまからつっこませていただきます。
「平家には負けてもらおう」って……。この時点の法皇さまは三種の神器を取り戻すことが第一の目的であって、勝敗についてはそれほど気にしていなかったと思うのですが?…。でも、院宣を出した以上は源氏に勝ってもらいたかったのでしょうね。
それで、法皇さまが二月上旬に、平家の陣に対して和議についての書状を出していた事実があったかどうか。色々調べてみたのですが、どうしてもはっきりしたことはわかりませんでした。私の考えでは、一ノ谷合戦の直前、法皇さまは平家の陣に書状などは送っていないと思うのですが…。
前回の感想でも書いたように、法皇さまは正月二十六日頃に、「静賢法印を和議の使者に遣わす。」という旨を書状に書いて平家の陣に送っています。しかし、二十九日には強硬派に押し切られるような形で平家追討の宣旨を出すこととなります。
平家追討の宣旨を出した以上法皇は、「和議の使者は派遣しないことにした。」という書状をわざわざ平家の陣に送る……という馬鹿なことはしていないはずです。
つまり平家の陣ではずっと、静賢法印が和議の使者に来ると思いこんでいたということになります。そこへ範頼と義経の大軍が攻めてきたのですから、平家のみなさまはきっっと「法皇にだまされた。」と思ったはずです。
つまり、ドラマで描かれていた合戦直前の法皇さまの書状は、史実ではないと思うのですが、平家は結果的には法皇にだまし討ちにされたということになります。
しかし史実での法皇さまご本人は、だまし討ちという意識が全くなかったと思うのですよね。。
三草山の合戦から鵯越に至るまでの義経の動向は、だいたい「平家物語」の記述通りだったと思います。ただ、鷲尾三郎が出てきたのは良いとしても、一緒に出てきたのがお父さんではなく妹だったというのには戸惑ってしまいましたが…。
それと、義経の周りには畠山重忠、和田義盛、佐々木高綱などの錚々たるメンバーの鎌倉武士がいたはずなのに、その人達の姿が全く見えなくて残念でした。さらに、義経軍の数も1万人ほどいたと言われていますが、画面を観る限りとてもそんなにいたとは思えませんでした。エキストラを使うなどして大軍に見せて欲しかったです。
さて、一ノ谷合戦の描写は今までの橋合戦や宇治川合戦、法住寺合戦に比べるとかなり良かったと思います。というより、義経にとっては重要な合戦なのですから、あのくらいきちんと描いて当たり前なのですが…。
でも、やっぱり不満はたくさんありました。
史実ではこの一ノ谷合戦において、平通盛(教盛の子)、平敦盛(経盛の子)、平忠度(清盛の弟)、平経正(経盛の子)、平知章(知盛の子)など、たくさんの平家の公達が討ち死にしています。しかし、ドラマではそれらをすべてカットしていました。
義経が主人公だから仕方がないとは思うのですが、どれも一ノ谷合戦の名場面なのですから、ほんの少しでも映像で見せて欲しかったです。
特に、敦盛が熊谷直実に討ち取られる哀切な場面と、知盛をかばって討ち死にする知章の壮絶な場面はぜひ観てみたかったです。そして知盛には、「鵯越の側にも軍勢を配置しておけば良かった。」と後悔させるより、自分の子供を死なせてしまったことに対して後悔させて欲しかったです。実際の知盛も、知章を死なせてしまったことに自責の念を禁じ得なかったと思うのです。
それはともかく、私が一番がっかりしたのは、最初にも書いた重衡生け捕りの場面です。義経に矢を射ろうとして弁慶に生け捕りにされた重衡を観て、私の頭の中は「?」でいっぱいになりました。そして、画面の中に梶原景季の姿を捜してみたのですが見あたらなかったので、余計に混乱してしまいました。
では、「平家物語」巻の九「重衡生け捕り」の項から、彼が生け捕りになった経緯を辿ってみますね。
重衡は東側の生田の陣の副将軍でした。生田というと、範頼が攻め込んだ方ですよね。
しかし、戦の結果は平家軍の惨敗でした。平家軍はちりぢりになり、重衡も乳母子の後藤盛長と主従二騎で、西に向かって逃走することとなります。それを追跡していたのが鎌倉軍の梶原景季と庄高家でした。
海上には、逃走用の船も用意されていたのですが、追跡されている以上、乗り移ることもできなかったため、重衡と盛長は西に向かって逃走するよりほかはありませんでした。幸い二人とも名馬に乗っていたため、追跡する景季と高家との距離は徐々に広まっていきました。
あせったのは景季たちです。そこで景季は意を決して、重衡主従に矢を射かけました。すると矢は重衡の乗った馬に当たります。馬は見る見るうちに弱り、またたく間に動けなくなってしまいました。
それを見た乳母子の盛長は、自分の馬に乗り換えられたら困ると思ったらしく、馬にむちを当てて逃げていってしまいます。重衡は、「何という仕打ちを!…。死ぬも生きるも一緒だと誓ったのを忘れたのか。」と叫びますが、盛長は聞こえないふりをしてどんどん逃げていってしまいます。
本来、乳母の一族というのは若君を守る親衛隊のようなものです。つまり、若君が出世をすればその恩恵を受けますが、若君の一大事には命をかけて守るというのが役目なのです。なので、盛長のこの行為はとんでもない裏切り行為でした。
覚悟を決めた重衡は馬から降り、自刃しようとしたところを高家に生け捕られてしまいました。一緒に追跡をしていた景季もそばにいたはずです。「平家物語」は虚構もかなりありますが、この場面はかなり史実に近いのではないかと思います。
つまり、弁慶が重衡を生け捕ったという今回のドラマでの描写は、全く根拠のない創作だと思うのです。多分、義経と重衡を劇的に再会させたくてこのシーンを作ったのでしょうけれど、私から見ると何ともやりきれない思いでした。景季が重衡を生け捕って義経の許に連れてくる。そして義経が名前を尋ねて二人が再会する……。せめてそのような描写にしても良かったような気がします。
このドラマでは、義経を清盛と関わらせることによって「平家」を描きたかったのかもしれませんが、やはり無理があるのかもしれませんね。
このように、今回の大河ドラマの流れを観ていると、義経を主人公にしたドラマではなく、単純に「平家物語」を放映した方が良かったのではないかとさえ思います。
さて来週は、史実にはない義経の鎌倉一時帰還が描かれるようです。そしてなんと、義高の処遇について頼朝に直訴するとか…。
そのようなわけで、いよいよ義高と大姫の悲劇が描かれるようです。これはかなり辛いシーンになるかもしれませんね。
そして、義経と共に鎌倉に下る重衡にも注目です。
やっと、義経の英雄としての、また指揮官としての部分が描かれましたね。
そして、彼の戦の天才としての部分もよく現れていたと思います。
「三草山に敵がいる。」とかぎ取ったところはさすがです。
軍を二つに分けたあと、鵯越の奇襲を実行するところを観て、「義経くんもやっと勇ましい武士に成長したわね。」と思いました。これなら、屋島や壇之浦での彼の描き方に期待できるかもしれません。でも、前回までの描き方が描き方だけに、あまりにも急に武士らしくなった義経に戸惑う部分もありましたが…。
このように、今回は義経の描き方に関してはかなり満足だったのですけれど……、相変わらず今回もつっこみ所満載でした。特に、重衡の生け捕りのシーン、「あれはいったい何?……」という感じで、とても違和感がありました。
その重衡については後に述べることにして、まず法皇さまからつっこませていただきます。
「平家には負けてもらおう」って……。この時点の法皇さまは三種の神器を取り戻すことが第一の目的であって、勝敗についてはそれほど気にしていなかったと思うのですが?…。でも、院宣を出した以上は源氏に勝ってもらいたかったのでしょうね。
それで、法皇さまが二月上旬に、平家の陣に対して和議についての書状を出していた事実があったかどうか。色々調べてみたのですが、どうしてもはっきりしたことはわかりませんでした。私の考えでは、一ノ谷合戦の直前、法皇さまは平家の陣に書状などは送っていないと思うのですが…。
前回の感想でも書いたように、法皇さまは正月二十六日頃に、「静賢法印を和議の使者に遣わす。」という旨を書状に書いて平家の陣に送っています。しかし、二十九日には強硬派に押し切られるような形で平家追討の宣旨を出すこととなります。
平家追討の宣旨を出した以上法皇は、「和議の使者は派遣しないことにした。」という書状をわざわざ平家の陣に送る……という馬鹿なことはしていないはずです。
つまり平家の陣ではずっと、静賢法印が和議の使者に来ると思いこんでいたということになります。そこへ範頼と義経の大軍が攻めてきたのですから、平家のみなさまはきっっと「法皇にだまされた。」と思ったはずです。
つまり、ドラマで描かれていた合戦直前の法皇さまの書状は、史実ではないと思うのですが、平家は結果的には法皇にだまし討ちにされたということになります。
しかし史実での法皇さまご本人は、だまし討ちという意識が全くなかったと思うのですよね。。
三草山の合戦から鵯越に至るまでの義経の動向は、だいたい「平家物語」の記述通りだったと思います。ただ、鷲尾三郎が出てきたのは良いとしても、一緒に出てきたのがお父さんではなく妹だったというのには戸惑ってしまいましたが…。
それと、義経の周りには畠山重忠、和田義盛、佐々木高綱などの錚々たるメンバーの鎌倉武士がいたはずなのに、その人達の姿が全く見えなくて残念でした。さらに、義経軍の数も1万人ほどいたと言われていますが、画面を観る限りとてもそんなにいたとは思えませんでした。エキストラを使うなどして大軍に見せて欲しかったです。
さて、一ノ谷合戦の描写は今までの橋合戦や宇治川合戦、法住寺合戦に比べるとかなり良かったと思います。というより、義経にとっては重要な合戦なのですから、あのくらいきちんと描いて当たり前なのですが…。
でも、やっぱり不満はたくさんありました。
史実ではこの一ノ谷合戦において、平通盛(教盛の子)、平敦盛(経盛の子)、平忠度(清盛の弟)、平経正(経盛の子)、平知章(知盛の子)など、たくさんの平家の公達が討ち死にしています。しかし、ドラマではそれらをすべてカットしていました。
義経が主人公だから仕方がないとは思うのですが、どれも一ノ谷合戦の名場面なのですから、ほんの少しでも映像で見せて欲しかったです。
特に、敦盛が熊谷直実に討ち取られる哀切な場面と、知盛をかばって討ち死にする知章の壮絶な場面はぜひ観てみたかったです。そして知盛には、「鵯越の側にも軍勢を配置しておけば良かった。」と後悔させるより、自分の子供を死なせてしまったことに対して後悔させて欲しかったです。実際の知盛も、知章を死なせてしまったことに自責の念を禁じ得なかったと思うのです。
それはともかく、私が一番がっかりしたのは、最初にも書いた重衡生け捕りの場面です。義経に矢を射ろうとして弁慶に生け捕りにされた重衡を観て、私の頭の中は「?」でいっぱいになりました。そして、画面の中に梶原景季の姿を捜してみたのですが見あたらなかったので、余計に混乱してしまいました。
では、「平家物語」巻の九「重衡生け捕り」の項から、彼が生け捕りになった経緯を辿ってみますね。
重衡は東側の生田の陣の副将軍でした。生田というと、範頼が攻め込んだ方ですよね。
しかし、戦の結果は平家軍の惨敗でした。平家軍はちりぢりになり、重衡も乳母子の後藤盛長と主従二騎で、西に向かって逃走することとなります。それを追跡していたのが鎌倉軍の梶原景季と庄高家でした。
海上には、逃走用の船も用意されていたのですが、追跡されている以上、乗り移ることもできなかったため、重衡と盛長は西に向かって逃走するよりほかはありませんでした。幸い二人とも名馬に乗っていたため、追跡する景季と高家との距離は徐々に広まっていきました。
あせったのは景季たちです。そこで景季は意を決して、重衡主従に矢を射かけました。すると矢は重衡の乗った馬に当たります。馬は見る見るうちに弱り、またたく間に動けなくなってしまいました。
それを見た乳母子の盛長は、自分の馬に乗り換えられたら困ると思ったらしく、馬にむちを当てて逃げていってしまいます。重衡は、「何という仕打ちを!…。死ぬも生きるも一緒だと誓ったのを忘れたのか。」と叫びますが、盛長は聞こえないふりをしてどんどん逃げていってしまいます。
本来、乳母の一族というのは若君を守る親衛隊のようなものです。つまり、若君が出世をすればその恩恵を受けますが、若君の一大事には命をかけて守るというのが役目なのです。なので、盛長のこの行為はとんでもない裏切り行為でした。
覚悟を決めた重衡は馬から降り、自刃しようとしたところを高家に生け捕られてしまいました。一緒に追跡をしていた景季もそばにいたはずです。「平家物語」は虚構もかなりありますが、この場面はかなり史実に近いのではないかと思います。
つまり、弁慶が重衡を生け捕ったという今回のドラマでの描写は、全く根拠のない創作だと思うのです。多分、義経と重衡を劇的に再会させたくてこのシーンを作ったのでしょうけれど、私から見ると何ともやりきれない思いでした。景季が重衡を生け捕って義経の許に連れてくる。そして義経が名前を尋ねて二人が再会する……。せめてそのような描写にしても良かったような気がします。
このドラマでは、義経を清盛と関わらせることによって「平家」を描きたかったのかもしれませんが、やはり無理があるのかもしれませんね。
このように、今回の大河ドラマの流れを観ていると、義経を主人公にしたドラマではなく、単純に「平家物語」を放映した方が良かったのではないかとさえ思います。
さて来週は、史実にはない義経の鎌倉一時帰還が描かれるようです。そしてなんと、義高の処遇について頼朝に直訴するとか…。
そのようなわけで、いよいよ義高と大姫の悲劇が描かれるようです。これはかなり辛いシーンになるかもしれませんね。
そして、義経と共に鎌倉に下る重衡にも注目です。