平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

エリカのお食事のことなど

2007-05-29 20:53:13 | えりかの平安な日々 04~09
 こちらをご覧の皆様には色々とご心配をおかけしましたが、おかげさまで、エリカのことに関しては何とかなりそうです。

 エリカは削り節や煮干しを入れても腎臓病食のキャットフードをほんのちょっとしか食べてくれませんでした。そこで、かわいそうだとは思いましたが無理やり食べさせたりもしてみました。しかし、嫌がられて2粒が限度でした。
 そこで私は、エリカの目の前にキャットフードをかざし、「ママも食べるからエリカちゃんも食べようね」と言って、キャットフードを自分の口の中に入れました。そして、「ほら、おいしいでしょう?」と言ってぼりぼりと食べました。キャットフードを食べたのは、今回が初めてです。何か、味のないクッキーのような感じがしました。それでも、エリカは相変わらず、あまり食べてくれませんでした。
「このままだと体力が落ちてしまう…。でも、病院に相談したらしたらで、点滴とか薬でものすごくお金がかかってしまう、どうしよう~」とどうしようもなくなってしまいました。

 だんなさんには、「エリカは症状が軽いし、もう12歳だからそれほど長く生きられるわけでもない。まずい物ばかり食べさせるのはかわいそうだからおいしいものを食べさせてやれ」と言われましたが、私はエリカの症状が悪くなることが心配で、どうしても腎臓病食のキャットフードにこだわるところがあったのです。でも、このままではエリカがかわいそうなので、腎臓病の猫ちゃんの介護経験のある友人に相談してみました。相談に乗って下さいました方、本当にありがとうございました。

 その結果、エリカの症状はごく軽いことがはっきりわかりました。

 腎臓病の症状を判断する値として、血中クレアチニンというのがあるのですが、エリカの血中クレアチニンはだいたい2~2、5なのだそうです。友人のお話しによると、2、5までは全く心配ないとのこと。ただ、「塩分やタンパク質には気をつけなさい」という程度だそうです。また、「これはものすごく早い発見だよ」とも言われました。エリカはラッキーだったのかもしれません。
 ただ、病院の先生は、「1、5以上になったら慢性腎不全なので、腎臓病食以外は食べさせないように」などと大げさに言っていたので、私も心配でたまらなくなってしまったのですよね。

 そのようなわけで、普通のキャットフードと腎臓病食を併合してみることにしました。

 でも、一般で売られているキャットフードでは不安だな…と思ったとき、ふと思い出したのが、4年前までエリカがかかっていた静岡市内の動物病院で売られていた7歳以上用のキャットフードでした。エリカはこのキャットフードを喜んで食べていたのですが、こちらに引っ越してきてから病院が遠くなってしまいましたし、その上、諸事情で院長先生がお辞めになってしまったのでずっとご無沙汰してしまっていたのです。
 それでも、先週の金曜日の夕方に思い切ってそちらの動物病院に連絡を取ってみたところ、エリカのことを覚えていて下さったので話が早かったです。

 そして先週の土曜日、そこの動物病院に行き、昔エリカが食べていた7歳以上用キャットフードを買ってきました。7歳以上用キャットフード4、腎臓病食のキャットフード1の割合で混ぜてやったところ、エリカは9割以上食べてくれました。まだまだ、味が混ざるのは嫌みたいで多少残してしまいますが、このくらい食べてくれればそれほど心配ないと思いました。あげているうちに、腎臓病食のキャットフードにも慣れ、全部食べてくれるようになるかもしれませんしね。

 このように、皆様にはご心配をおかけしましたが、エリカのことは一件落着のようです。

 ところで、エリカのキャットフードを買って家に帰ろうとしたとき、大ハプニングに巻き込まれてしまいました。

 11時頃用事が済んだのですが、のどが渇いてしまったのでマクドナルドに入り、1時間ほどお茶を飲み、そろそろ帰ろうと思って電車のホームに上がったところ、何と電車が止まってしまっていたのです。

 静岡から私の住んでいる島田までは、電車で約30分ですが、その間に安倍川・用宗・焼津・西焼津・藤枝・六合という駅があります。それで、藤枝と六合の間で人身事故があり、最低1時間は動かないと言われてしまいました。

 そこで昼食を食べようかなと思ったのですが、まだほとんどおなかがすいていませんでした。どうしようかと思ったときひらめいたのは、「電車がだめならバスがあるじゃないの。」ということです。静岡からは藤枝行きのバスが出ています。藤枝は島田の隣町ですから、そこまで行けば何とかなります。

 そこで急いでバス乗り場に行ったところ、10分後に藤枝行きのバスが来ることがわかって一安心。しかも、判断が早かったので、私は何と、列の一番前で待つことができたのでした。これなら絶対に座れます

 バスが来たときはもう長居列ができていて、まるで京都のバスのよう…と思いました。約1時間10分で藤枝に着いたので、駅前でお昼ご飯を食べ、藤枝から家まではタクシーで帰ってきました。藤枝はもう生活圏内なのでタクシー券も使えるため、かなり安くなりました。時間はかかりましたが、無事に家に帰ってこられて一安心でした。


☆だんなさんですが、こちらも少しずつ、体調が回復しています。

 ただ、今回体調をくずしたのとは別に、だんなさんは3ヶ月程前から目を悪くしていまして、先週の木曜日に、静岡でも1,2と言われる腕の良い眼下に予約を入れていました。それで、体調が万全ではなかったのですが、その眼科に行って治療を受けてきました。今週の木曜日も、もう一度治療を受けてきます。眼科の先生には「治るよ」と言われたようなので、少しずつ何とかなると思います。

 ただ、現在の段階ではあまりはっきりと見えないため、私がだんなさんの通院に付き添っていっています。帰宅してからも、出かけている間は出来ない家事がたまっていて用事も多く、用事が終わると疲れて横になってしまうことも多いです。なかなかパソコンの前に座れないのが現状です。

 また私は、視覚障害者用図書(点字図書や録音図書・拡大図書)以外の一般で売られている本をパソコンで読むため、外で読書ができません。なので、調べ物のための本もなかなか読めないです。ただ、携帯電話を使って外でもインターネットが見られるので、そのことに関しては助かっているのですが…。

 そこで、こちらの更新ですが、もうしばらくお待ちいただけますよう、よろしくお願いします。今回の京都旅行記も、いずれは、「旅の記録」にUPしようと思っていますが、今さら…という感じのUPになってしまうと思います。その点も、どうかよろしくお願いします。

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色々ありすぎて…

2007-05-23 10:16:46 | えりかの平安な日々 04~09
 20日の夜、無事に京都から帰って参りました。旅行はとても楽しかったです。そして、京都でお会いした皆様、楽しい時間をありがとうございました。(^_^)

 今回もブログにて、旅行記を少しずつ連載しようと思っていますが旅行から帰ってきてから数日間、色々なことがありすぎて疲れてしまいました。それで、連載開始は来週以降になりますがよろしくお願いします。
 また、「系譜から見た平安時代の天皇」の方ですが、次は平安初期の平城天皇を取り上げようと思い、資料を集めました。あとは文章に起こすだけなのですが、現在は余裕のない状態ですので、こちらも来週以降となります。

 …というわけで、旅行から帰ってきてからのことを少しお話ししますね。

 今回の旅行中、我が家の小さなエリカを病院に預け、検査をしてもらったのですが…、年も年なので覚悟はしていたのですが、病気が見つかってしまったのです。仕方がないこととはいえ、やはりショックでした。

 病院の先生によると、7、8歳の猫では半分、12歳の猫では9割がこの病気になるのだそうですが、エリカの腎臓がかなり弱っているようなのです。(ちなみにエリカは先日、満12歳になったばかりです)

 ただ幸いなことに、まだ薬を使う段階ではないそうです。というのは、病院で抗腎臓食を与えたところ、かなり数値が改善されたとか…。そこで、病院で処方した食事以外は与えないように言われてしまいました。病院ではエリカ、この食事をおいしそうにたくさん食べていたのだそうです。

 そして、血液検査には定期的に来て下さいと言われたので、また来週あたりに来なければならないかなと思ったのですが、2ヶ月先でいいとのこと。でも、「この子の腎臓=この子の寿命」と言われたときは、余命宣告をされたようでかなりショックで、涙が出てきました。

 それでもよく考えてみると、今回こうして病院に連れてきて検査を受けなかったら、もっと大変なことになっていたのですよね。早く病気がわかって良かったのかもしれません。

 そこでエリカを家に連れてきた21日、夕食として、病院で処方されたキャットフードをあげてみました。ところが、エリカはあまり食べてくれないのです…。病院ではおいしそうに食べていたというのに~。多分、いつもの物がもらえると思ってわがままを言っているのだと思いますが、今回ばかりはそのわがままを聞いてあげるわけにはいきません。本当に可哀想ですが仕方がないです。病気で苦しむのはエリカですから…。

 でも、「食べ物を食べてくれなくて、本当に元気がなくなってしまったらどうしよう…」と心配にもなりました。今のところすごく元気なので。何としてでも食べてもらわなければ。

 このように早く病気がわかったのですから、少しでも長く元気でいてもらえるよう、気を遣ってあげなくてはと思っています。そして、出来るだけ楽に旅立たせてあげたい…と、こんな事を書くとエリカが重病猫のように思われてしまうでしょうけれど、本当に元気で、ニャーニャー鳴きながら部屋中を飛び回ったり、母屋に遊びに行ったりしています。あとは、わがまま心を捨てて病院のキャットフードを食べてくれると良いと思っていたのですが…。昨日になってもやっぱり食べません。でも、おなかはすいているらしく、食べ物が入ったお皿の前でぶつぶつ文句を言っているのです。そして時々、「ギャー!」とすごい声で鳴きました。見ていて切なかったです。

 そこで、こんな事をやったら病院の先生に怒られるだろうし、数値も少し上がってしまうかもしれないけれど、エリカの大好物のかつおの削り節をほんの少し、キャットフードに混ぜてみました。するとエリカは、ぶつぶつ文句を言いながらも半分くらい食べてくれました。それで少し安心し、体の力が抜けていくようでした。このようにしてこのキャットフードの味に少しずつ慣れ、削り節も少しずつ減らしていけばいいかなと思っています。


 もう一つは、だんなさんが21日の夜から体調を崩してしまったことです。ここ2ヶ月、仕事でほとんど休みもありませんでしたので疲れたのかもしれません。それで、エリカのこととも重なり、私もその夜は一睡も出来ませんでした。次の日はだんなさんの病院の日だったので、心配だったので一緒について行き、だんなさんの診察・治療中、私は病院のご好意で空き部屋のベッドで休ませて頂きました。

 このように、続くときって色々続くものですね。病院から帰宅後、今度は私が、画鋲が足の裏に刺さって出血をしてしまいました。痛かったです。すぐに手当をしたので化膿するようなことはありませんでしたが…。

 幸い、だんなさんは快方に向かっているのでひとまず安心ですが、エリカの方は今朝のお食事をまたまた少ししか食べてくれません。でも、エリカが朝食をあまり食べないのはよくあることですし、夕べは半分食べてくれたのですから、あまり考えすぎないようにしようと思っています。それでも色々ありすぎて、ブログの更新や読書に気持ちが向かわないのも事実ですので、今週いっぱいはお休みをいただき、来週から少しずつ復活しようと思っています。

☆掲示板に書き込みをなさって下さった皆様、本当にありがとうございました。レスの方ですが、今週末には書きたいと思っています。申し訳ありませんが、しばらくお待ち下さい。そしてこれにこりず、これからもよろしくお願いいたします。

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エリカ、12歳の誕生日

2007-05-15 00:22:08 | 猫のお部屋
 わ~い!!今年も元気に誕生日が迎えられたのニャン!嬉しいニャン!

 というわけで、我が家の愛猫エリカ、本日で12歳になりました。エリカちゃん、お誕生日おめでとう!!☆

 猫の12歳は人間の年に換算するともう60代です。なのでエリカはおばあさん猫と言ってもいい年なのですが、やっていることは相変わらず子猫のようです。未だに甘えた声で鳴き、私たちに体をすり寄せてきます。

 そして何よりも、元気なところが嬉しいです。エリカちゃん、これからもずっと元気で、パパとママをいやしてね。


 ところで今週末、エリカは4年ぶりのお泊まりに出かけます。

 というのは、私たちも今週末、泊まりがけで京都に行くことにしたので、エリカを近くの動物病院で預かってもらうことにしました。
 まだ5月ですが、私たちの住んでいる部屋は西側と南側に窓があり、しかも2階なのでかなり暑くなるのですよね。エアコンをすれば涼しいのですが、もし何かでエアコンが止まったりしてしまっても困りますし。その中にエリカを二日間も閉じこめておくのは心配なので、思い切って預けることにしました。その間に健康診断もしてもらうことになっています。年も年なので弱っているところもあるかもしれませんし。でもどうか、悪い病気にだけはかかっていませんように。

☆今回の京都旅行は、博物館を巡ったり友人と会ったりすることがおもな目的なので、史跡巡りはあまりできないと思います。その代わり、ものすごく楽しみなことがあるのです。

 現在、京都国立博物館にて、藤原道長が金峰山に埋経をしてから今年でちょうど1000年になるのを記念し、「藤原道長 極めた栄華 願った浄土」という展覧会が行われています。この展覧会を見るのも楽しみですが、もっと楽しみなのはこの展覧会に関連して行われる、私の大好きな作家さん、永井路子さんの講演会「この世は我が世だったのか ー藤原道長ー」なのです。

 この講演会は、往復はがき申し込みで先着300人が当選ということを聞き、遠方に住んでいることもあってだめもとで応募してみました。そうしたら、嬉しいことに当選してしまったのです。永井路子さんというと、私が平安時代に興味を持つきっかけとなった「歴史をさわがせた女たち」シリーズや、「この世をば」の著者なので、感謝しても感謝しきれない御方です。その御方のお話を拝聴できるなんて夢のようです。講演の内容も、大好きな道長さんに関することのようですし。当日(19日)がとっても楽しみです。

 もし、エリカを家に置いたままですと、心配で心配で集中できないところでしたが、病院で預かってもらうので安心して講演会を拝聴できます。良かった、良かった。(^_^)/

☆過去のエリカの誕生日の記事もよろしければご覧下さい。
 10歳の誕生日
 11歳の誕生日

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第80代 高倉天皇

2007-05-11 12:22:59 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  1161~1181
☆在位期間 1168~1180

☆両親
 父・後白河天皇 母・建春門院平滋子(平時信女)

☆略歴

 名は憲仁。仁安元年(1166)、6歳で立太子、二年後に八歳で踐祚します。平徳子を中宮とするなど平氏との関係が深く、岳父平清盛の専権と父後白河院の院政との間にあって傀儡的な存在だったようです。そのうえ、父と清盛との軋轢に悩み、治承四年(1180)二月、位を第一皇子、言仁親王(安徳天皇)に譲った直後、、厳島神社に御幸しています。この前年、後白河院は清盛のクーデターによって鳥羽殿に幽閉されていますので、「清盛の怒りを沈め、二人の仲を何とかしたい」という、高倉上皇の必死の想いが込められた御幸だったと思われます。

 高倉上皇はその年のうちに再度、厳島神社に御幸していますが、その頃から病におかされており、御幸の3ヶ月後、治承五年(1181)正月十四日、21歳という若さで崩御しました。誰からも愛される穏和な性格で、笛の名手であったとも伝えられています。


☆父方の親族

 祖父・鳥羽天皇 祖母・待賢門院藤原璋子(藤原公実女)

主なおじ
 崇徳天皇 近衛天皇 覚姓法親王

主なおば
 統子内親王(上西門院) 子内親王(八条院) (女朱)子内親王(八条院)

主ないとこ
 重仁親王(父は崇徳天皇)
 海恵(母は(女朱)子内親王

☆母方の親族

 祖父・平時信 祖母・藤原祐子

おじ
 平時忠 平親宗など

おば
 平時子(平清盛室) 女(平宗盛室)など

主ないとこ
 平宗盛 平知盛 平重衡 平徳子(以上 母は平時子)
 平清宗(母は平宗盛室)


☆主な兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟)
 *二条天皇 *守覚方親王 *以仁王

☆主な姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹) 
 *亮子内親王(殷富門院) *式子内親王 *観子内親王(宣陽門院)

☆主なおい
 六条天皇(父は二条天皇)
 北陸宮(父は以仁王)
☆主なめい
 (イ善)子内親王(父は二条天皇)


☆后妃と子供たち

 平 徳子(平清盛の女 建礼門院) →言仁親王(安徳天皇)

 藤原殖子(藤原信隆女 七条院) → 守貞親王(後高倉院)・尊成親王(後鳥羽天皇)

 帥局(藤原公重女 高倉天皇乳母) → 功子内親王(伊勢斎王)

藤原頼定女 → 潔子内親王(伊勢斎王)

小督局(藤原成範女) →範子内親王(土御門天皇准母 坊門院)

平 範子(平義範女) → 惟明親王


☆末裔たち

 帝位はまず、高倉天皇の第一皇子言仁親王に譲られます。これが安徳天皇です。しかし、安徳天皇は8歳の時、壇ノ浦で入水自殺をしていますので子孫は残していません。

 これより先、安徳天皇が平家とともに都落ちした直後、後白河院は新しい天皇を立てます。これが高倉天皇の第四皇子尊成親王、つまり後鳥羽天皇です。帝位は後鳥羽天皇の皇子、土御門天皇、さらにその弟の順徳天皇、そして順徳天皇の皇子仲恭天皇へ受け継がれていきますが、後鳥羽上皇は承久三年(1221)に鎌倉幕府倒幕計画を結行します。これが承久の変ですが、上皇方は破れ、後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は配流、仲恭天皇は退位させられます。

 そして、「後鳥羽上皇の血統からは天皇を出さない」という鎌倉幕府の方針により踐祚したのが、それまで日陰の存在であった高倉天皇の第二皇子、守貞親王の皇子茂仁王でした。茂仁王は後堀河天皇として位に就き、守貞親王は後高倉院として院政を執ることとなります。

 後堀河天皇のあとは、その皇子の四条天皇が即位しますが、四条天皇は皇子を残さず崩御したため、そのあとは土御門天皇の皇子、邦仁親王が後嵯峨天皇として踐祚しました。こうして、天皇家の血統は結局、後鳥羽天皇の子孫たちによって継承されていくこととなります。

☆守貞親王に関しては、こちらのページもご覧下さいませ。

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第66代 一条天皇

2007-05-04 09:08:34 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  980~1011
☆在位期間 986~1011

☆両親
 父・円融天皇 母・藤原詮子(藤原兼家女)

☆略歴

 名は懐仁(やすひと)親王。円融天皇の第一皇子として誕生しました。

 永観二年(984)、5歳で皇太子となり、寛和二年(986)、7歳で即位。正暦元年(990)、11歳で元服しました。

 性格は温厚で学才があり、、藤原道隆、藤原道長などとの融和を図ったため、中関白家が失脚した長徳の変の他は目立った政変もなく、在位期間中は政治的にも安定し、王朝文化の最盛期を迎えました。清少納言や紫式部が活躍したのもこの時代です。

 寛弘八年(1011)六月、病のため皇太子居貞親王に譲位、間もなく崩御しました。享年32。笛の名手としても知られています。


☆父方の親族

 祖父・村上天皇 祖母・藤原安子(藤原師輔女)

おじ
 広平親王 冷泉天皇 為平親王 具平親王 昭平親王など

おば
 選子内親王 規子内親王 盛子内親王(藤原顕光室)など

いとこ
 花山天皇・三条天皇・為尊親王・敦道親王・尊子内親王(以上 父は冷泉天皇)
 源師房・隆姫女王・具平親王二女(敦康親王室)・(女専)子女王(以上 父は具平親王)
 源頼定 恭子女王(父は為平親王
 藤原重家・藤原元子(以上 母は盛子内親王
 昭平親王の女(藤原公任室)など


☆母方の親族

祖父・藤原兼家 祖母・藤原時姫(藤原中正女)

おじ
 藤原道隆 藤原道兼 藤原道長 藤原道綱

おば
 藤原超子 藤原綏子

いとこ
 藤原道頼 藤原伊周・藤原隆家・藤原定子(以上 父は藤原道隆)
 藤原兼隆・藤原尊子(以上 父は藤原道兼)
 藤原彰子・藤原頼通・藤原教通・藤原妍子 藤原頼宗 藤原能信(以上 父は藤原道長)
 三条天皇・為尊親王・敦道親王(以上 母は藤原超子)など


☆后妃と子供たち

 藤原定子(藤原道隆女)→敦康親王・脩子内親王・(女美)子内親王

 藤原彰子(藤原道長女)→敦成親王(後一条天皇)・敦良親王(後朱雀天皇)

 藤原義子(藤原公季女)

 藤原元子(藤原顕光女)

 藤原尊子(藤原道兼女)


☆末裔たち

 天皇家の系譜は、一条天皇が彰子との間にもうけた後一条・後朱雀両天皇に受け継がれていきますが、子孫が続いていくのは弟の後朱雀天皇の系統です。
 帝位は後朱雀天皇の皇子の後冷泉天皇、さらにその弟の後三条天皇、さらに後三条天皇の皇子白河天皇へと継承され、今上天皇へとつながっています。

 一方、一条天皇が定子との間にもうけた敦康親王は、残念ながら帝位につくことが出来ませんでしたが、具平親王二女と結ばれて娘を一人もうけました。その娘は後に藤原頼通の養女となり、藤原(女原)子と名乗って後朱雀天皇の許に入内しました。二人はかなりうまく行ったらしく、(女原)子は天皇との間に二人の皇女、祐子内親王と(示某)子内親王をもうけています。
 しかし、(女原)子は、(女美)子を出産してすぐに崩御された祖母の定子と同じく、(示某)子内親王を出産後、間もなく崩御しています。祐子内親王・(示某)子内親王ともに一生未婚だったため、この系統はとだえてしまいました。

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