平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

寒~い…

2006-03-30 14:25:23 | えりかの平安な日々 04~09
 しばらく暖かい日が続いていたのですが、昨日から私の住んでいる地方は突然寒くなりました。

 昨日は、冬のコートを着て外出しました。外は冷たい風が強く吹いていてまるで真冬のようでした。
 そこで昨日の夕食は湯豆腐にしました。暖かくてとてもおいしかったです。3月も終わりに近づいたこの時期に湯豆腐を食べることができたのはラッキーでしたが、寒いのはやっぱりこたえます。

 そして今日もまた寒いです。現在、ストーブとエアコンを両方つけていますが、なかなか暖まりません。もうすぐ4月だというのに、この寒さは絶対に異常です…。早く暖かくなりますように。
 この寒さは全国的なもののようですね。寒さのために風邪をひいてしまわれた方も多いようです。ここを御覧の皆様も、風邪にはくれぐれもお気をつけ下さいね。

 さて、最近更新が滞りがちです。申し訳ありません…。一応、準備をしている記事はあるのですが、もうしばらくお待ち下さいませ。

 更新が滞っている理由の一つとして、実はまたまた読書に夢中になっているのです。

 つい先日までは気持ちがヨーロッパ史に飛んでいってしまい、「ハプスブルクの女たち」「ハプスブルクの子供たち」といったハプスブルク家関係の本に夢中になっていました。権力争いの蔭で運命に翻弄される女性や子供達の姿は、陽の東西を問わず一緒なのだなと感じました。でも、その運命の中で精一杯生きていた王妃や、皇子皇女たちがたくさんいたというのも、なかなかたのもしいです。日本史や世界史に関する本を読むということは、そんな素敵な人たちと出会うことができるということなのです。。私にとってはそれが大きな魅力であり、楽しみでもあります。

 そして現在読んでいる本は、「桓武天皇(三田誠広 作品社)」です。文字通り桓武天皇を主人公にした小説ですが、とても面白いです。末端の皇族が思いがけず皇太子になり、皇位についてからも様々な政変に巻き込まれながら、平安遷都を実行した桓武天皇、その生涯はなかなか劇的です。いずれこの本は、「図書室3」で紹介したいと思っています。

 写真は、6年前の誕生日プレゼントにだんなさんからもらった、赤いスカートをはいたキティちゃんのぬいぐるみです。目がくりくりしてかわいいです。何となく我が家の小さなエリカに似ているような気がします。

最近のエリカ

2006-03-26 11:47:44 | 猫のお部屋
 暖かくなってきたせいか、最近のエリカはよく鳴き、よく動き回ります。そして、とても甘えん坊になっています。

 とにかく、私やだんなさんの膝の上に飛び乗ってくることが多いです。そして、しがみついて甘えてきます。

 私たちの体に自分の頭をこすりつけてくることも多いです。そのあと、頭をこすりつけながら甘えた声で「ニャー」と鳴きます。そのようなときはとても愛しくなってしまいます。

 私たちが今から外出するという時などは、「行っては嫌!」と言わんばかりに体をこすりつけて甘えてきます。なので来月の京都旅行に出かける前が心配です。今回の旅行は一泊旅行ですが、エリカは健康なので、お留守番をさせるつもりでいます。なので、私たちが旅行に行く前はそれを察知してものすごく甘えてくると思うのですよね。ちょっと切なくなるかも…。でもエリカちゃん、たった2日だから我慢してね。

 本日のエリカの写真は、3日前の朝に撮ったものです。口を少し開けていますが、これがまさに今から「ニャー」と鳴く瞬間なのです。親ばかだと思われるかもしれませんけれど、かわいい♪

 そこで、当ブログも200記事を達成しましたので、「200記事達成記念企画」ということで、本日のエリカの写真は特別にフリー配布とさせていただきます。猫のお好きな方、そしてこの写真を見て「かわいい」と思って下さったありがたい方、どなた様もご自由にお持ち帰り下さいませ。もし、ご自分のサイトやブログに載せて下さるという方がいらっしゃいましたら、それはもう!泣きたいほど嬉しいことです。

むかし・あけぼの 小説枕草子

2006-03-23 11:39:27 | 図書室3
 本日は、平安中期を舞台にした歴史小説を紹介いたします。

☆むかし・あけぼの 小説枕草子 (上下)
 著者・田辺聖子 発行・角川書店
 価格・上巻=735円 下巻=777円

☆本の紹介文
美しいばかりでなく朗らかで怜悧、しかも文学的才能もゆたか、という類まれな女主人・定子中宮に仕えての宮中ぐらしは、今まで家にひきこもり、渇き喘いでいた清少納言の心をいっきに潤して余りあった。男も女も、粋も不粋も、典雅も俗悪も、そこにはすべてのものがあった。「心ときめきするもの」など、小さな身のまわりの品、事象を捉えて書きつけた『枕草子』。そこには、共に過ごし、話に興じた、細やかな情趣を解してくれた中宮への憧憬と敬慕、中宮をとりまく花やかな後宮の色と匂いと笑い声を、千年ののちまで伝えたいと願う清少納言の夢が息づいている―。平安の才女・清少納言の綴った随想を、千年を経て、今清少納言・田辺聖子が物語る、愛の大長編小説。


 タイトルや本の紹介文でおわかりのように、清少納言を主人公にした小説です。

 この小説は、定子中宮の許に宮仕えに出た清少納言と、もと夫の橘則光が再会した頃から始まります。そのあと、清少納言による回想が始まります。父の清原元輔のこと、父と一緒に周防に下った思い出、則光との結婚……。
 しかし清少納言は、単調な結婚生活にどうしてもなじむことができませんでした。そんな折々に綴ったのが、「春はあけぼの」で始まる一連の文章だったのです。
 そしてその文章は、清少納言の友人で中関白家に仕える女房、弁のおもとを通じて定子中宮の手に渡ったのでした。そのことが、清少納言が宮仕えに出るきっかけとなった……というのが、この小説の序盤のストーリーです。

 この小説の特徴は、「枕草子」の各章段が小説の中に非常にうまく織り込まれていることです。さらに、定子入内、中関白家の栄華、そして中関白道隆の死による中関白家の没落、長徳の変、道長の娘彰子の入内と中宮冊立、定子中宮の崩御といった歴史的事項も織り込まれているので、歴史小説として充分楽しむことができます。また、平安時代中期の宮廷の様子も細部にわたって描き込まれており、そのあたりも大変興味深いです。

 登場人物の性格や行動もとても生き生きと描かれています。特に女性読者にとってたまらないのは、タイプの違う素敵な男性がたくさん登場することではないでしょうか。清少納言の友人となる藤原斉信、藤原行成、源経房、藤原実方、そしてもと夫の橘則光やのちに再婚することとなる藤原棟世…。どの人物もそれぞれ格好良くて魅力的すぎます。こうした素晴らしい男性たちに会うことができるのが、この小説を読む一つの楽しみでもあります。好みのタイプの男性が絶対に見つかると思います。ちなみに私は行成さんと則光さんが好きです。

 そして忘れてはならないのが定子中宮です。美しく優しく知的な定子中宮と清少納言の友情は大変読み応えがあると思います。「清少納言は、定子中宮という素晴らしい友人との思い出だけで充分おつりが来るくらいの素晴らしい人生を送ったのではないか。」というのが作者の田辺さんの解釈です。
 定子中宮は、道長や娘の彰子の運の良さの影に隠れるように、3人目の子供を産んで間もなく崩御されます。清少納言は晩年、定子中宮の墓のそばの小さな家に住み、世捨て人のような生活を送った…と、この小説では描かれています。つまり、定子中宮一筋に生きたということでしょう。真偽のほどはともかく、こういう全力投球の生き方は清少納言らしいなと感じます。

 栄華を極めたあとに急激に没落するという波瀾の運命をたどる中関白家の人々や、晩年には世捨て人のような生活をすることになる清少納言を描きながらも、この小説の中には暗さや惨めさを感じる場面はほとんどありません。それは「枕草子」とも通じる部分があるような気がします。その理由は、定子も清少納言も、明るくて前向きで、ユーモアに富んだ性格の持ち主だったからにほかならないからだと思います。その明るさが「枕草子」やこの小説に表れているような気がします。

 この「むかし・あけぼの 小説枕草子」は、清少納言や定子中宮、その周りの人々の魅力がたくさん詰まった小説です。お薦めです。

おめでとう日本代表☆

2006-03-21 22:15:10 | えりかの平安な日々 04~09
 ゲームセットから7時間以上経っていますが、嬉しくてまだ興奮が冷めません。とにかく「良かった!」の一言です。イチロー選手、松中選手、松坂投手……、日本代表の選手、みんな素晴らしかったです。今まで名前を知らなかったのですが、川崎選手って走、攻、守そろった良い選手ですね。感動しました~。世界一って気持ちがよいですよね。

 このことは、先月のトリノオリンピックでの女子フィギュアスケートで荒川静香選手が優勝したときにも感じました。荒川選手の金メダルは本当に感動しました!!ただ、あの頃は気持ちに余裕がなく、こうして記事にすることができなかったのですが…。

 それはともかく今日の試合、終わってみれば10対6の快勝でしたけれど、中身はかなり冷や冷やものでした。1回裏に、先発の松坂投手がキューバの先頭バッターにいきなりホームランを打たれたときはひやっとしましたし、8回裏に1点差に詰め寄られたときは、「やはり簡単には世界一になれないものだ。」ということを思い知らされました。
 なので、9回表の4点は本当に嬉しかったです。あの4点がなかったらどうなっていたかわかりませんものね。9回裏2アウトから大塚投手が三振を取ってゲームセットになったときは、思わず「やった!!」と叫んで拍手をしていました。

 実は今日の夕方は用事があって静岡に行かなくてはならず、3時15分の電車に乗る予定でした。ゲームセットは3時頃でしたので、興奮が冷めやらぬ中、急いで出かけました。幸いだんなさんと一緒でしたので、近道を通って駅に行ったので電車には間に合いました。良かったです。

 さて、こうして閉幕したWBCですが、確かに色々問題のある箇所の多い大会のようにも思えました。だいたい、同じチームと3回も当たるなんていうことがおかしいのですよね。所々の情報によると、アメリカが自分たちに有利なように、組み合わせや日程を考えたとか…。
 でも、こうして自分たちに有利なようにしたり、疑惑の判定をしたりしても勝てないアメリカって……。現在の大リーグは、昔のようにアメリカ人中心ではなく、メキシコやドミニカ共和国、ベネズエラ、更には日本や韓国の選手も活躍しており、国際化されているのだと思います。アメリカも、「野球界は自分たち中心で回っている。」という考えは早くやめてもらいたいですね。

 ともあれ、こうして始まった野球の世界大会、これからも長く続くことを願っています。

 最後に、日本代表選手の皆様、世界一おめでとうございます!!そして、たくさんの夢と希望と感動をありがとう♪


☆最近、歴史関係の記事の更新が滞ってしまい申し訳ありません。今週中に「図書室3」を更新する予定ですのでもうしばらくお待ち下さいませ。

☆本日の記事を持ちまして、当ブログは200記事を達成しました。ここまで来られましたのも、ご覧下さっている皆様、応援して下さる皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。
 今後とも「平安夢柔話」をよろしくお願いいたします。
  

横になっているエリカ

2006-03-18 17:59:07 | 猫のお部屋
 カーペットの上に横になっているエリカを私が撮りました。少しピントがずれていますがお許し下さいね。

 それにしてものびのびしていますよね~。かわいい♪

 子猫の頃のエリカは、この格好からころっと寝返りを打ち、芋虫のようにころころと転がっていました。その格好が可愛らしくて、見ていて飽きませんでした。ついついなでなでしてあげたくなってしまい、エリカのおなかをさわろうとすると「邪魔しないで!」と怒られました(爪で引っかかれました)。エリカはそれだけ、ころころ転がるお遊びが大好きだったのでしょうね。今でもたまにこのお遊びをすることがあるのですが、見ていると何となく嬉しくなります。


久しぶりの日記

2006-03-18 16:25:57 | えりかの平安な日々 04~09
 久しぶりに日記を書きます。

 暑くなったと思ったら寒くなる、晴れたと思ったら雨が降るという目まぐるしい気候が続いているせいか、このところちょっと腰痛気味でした。特に座っていると痛いというのはどういうわけでしょう?

 そんなわけで、ずっと座っているときついので、昨日は思い切って静岡まで行くことにしました。家から駅まで歩いて約15分、電車に乗ってからは約30分で静岡に着きます。
 静岡駅で病院が終わっただんなさんと待ち合わせ、ランチをしたり買い物をしたりしました。歩いているうちに腰痛も治ってきました。どうやら私の腰痛は、運動不足とおなかの調子が悪かったせいだったようです。今日もまだちょっと痛いですが、だいぶ良くなりました。もう少しです。

 そんな中、昨日は嬉しいことが二つありました。

 一つは、来月の京都旅行に、HP「花橘亭 ~なぎの旅行記」、ブログ「晴れのち平安」のなぎさんも御一緒することが決まったことです。なぎさんとお会いするのは約3年ぶりなので楽しみです。
 この結果、来月の京都旅行は私たち夫婦となぎさん、里江さんご夫婦とご友人の方と、総勢6人ということになりました。皆様、よろしくお願いしますね。
 そう言えば今日から、下鴨神社で平安装束体験のイベントが始まりました。御盛況を心よりお祈り申し上げます。
 そして、あと2週間ちょっと経つと、私も行けるのですよね。楽しみです。

 二つ目は、平安時代とは全く関係ないことですけれど、WBCでの全日本チームの準決勝進出が決定したことです。

 韓国に負けてしまったので、準決勝はほぼ無理……と、ほとんどあきらめていたのですけれど、メキシコがアメリカに対して2点を取って勝ったので、失点率の低い日本が準決勝に行けることになりました!!嬉しかったです。やっぱり物事はあきらめてはいけないということなのでしょうね。

 たなぼたとか言われていますけれど、これは日本がヒットを打ったり足をからめたりして取れるときに点を取り、かつ、失点を最小限に抑えたという努力のおかげなのだと思います。
 全日本チームもチーム一丸になって戦っているところが素晴らしいですよね。特にイチロー選手が良いなと思います。韓国に負けたときの悔しがっている様子と、準決勝に行けることになった喜び……、イチロー選手って、こんなに感情を表に出す人だったのですね。何かとても人間的で、親しみがわいてきました。それだけイチロー選手は、この大会に自分を賭けているのかもしれませんよね。

 明日はこれまで2戦2敗の韓国戦です。明日の先発は上原投手のようですが、彼は国際試合は負けなしだそうです。期待できそうです。選手の皆さん、明日は自分の力を精一杯発揮して頑張って下さいね。良い試合を期待しています。

原作での一豊 ~「功名が辻」感想

2006-03-14 18:45:54 | 歴史雑記帳
 大河ドラマ「功名が辻」、第9話と第10話、2回まとめての感想です。

 何か、オリジナルストーリーが多いように思えます。でも、そのオリジナルストーリーを結構楽しんでいるところもあったりします。では、そのあたりのお話を…。

 前回(第9回)の一豊と小りんのエピソードは原作にもあるお話です。ストーリー展開もだいたい原作通りでした。
 でも、原作を読んだときも感じたのですが、あれが浮気なのでしょうかね。私から見ると一豊は、小りんの忍術に引っかかったように思えてなりません。つまり、小りんの忍術で「抱かされた」のではないかと思うのですよね。

 それはともかくとして、今回(第10回)はほとんどドラマのオリジナルストーリーでした。

 一豊は今回、千代に向かって「京で女を抱いた。」と白状していましたよね。それで千代は怒って実家に帰ってしまう……という展開でしたけれど。

 それにしても一豊さん、「そんなに何でもかんでも正直に言うことないのに…」とつっこんでいました。これは前回のお市にも言えることですよね。「私は浅井家の裏切りを知らせるために兄に小豆を送った。」と長政に白状していましたけれど、「黙っていた方が自分のためにも長政のためにもいいのではないの?」と思いました。

 ちょっと話が横道にそれてしまいましたが、一豊が小りんと契ったあと、原作の彼は千代にどのような態度を取ったのか……、ちょっと記憶があやふやでしたので該当箇所を読み直してみました。
 すると原作では、一豊は小りんとのことなど一言も話していませんでした。顔に受けた例のやり傷を受けたときのことを嬉しそうに話していて、この傷のおかげで200石に加増になった。」と自慢しているのです。
 すると千代は、「それなら御家来を増やさなくてはなりませんね。」と言い、2人で「どのようにして新しい家来を採用するか。」という相談を始める……というのが原作のストーリーです。

 いくら正直者でも、「私は浮気をした。」と正直に妻に打ち明ける夫というのも滅多にいないでしょうし、まして世は一夫多妻の戦国時代です。「浮気」に対する考えも今とは全く違うと思います。なのでこのエピソードに関しては、ドラマより原作に描かれていた話の方が真相に近いと思うのですが…。

 さて、話をドラマの方に戻しますと、千代は一豊の母に諭され、「戦に出る一豊のお見送りをしなくては。」と急いで家に戻るのですが、時はすでに遅く、一豊は戦に出たあとでした。その後飛び込んできたのが、「一豊が行方不明になった。」という知らせでした。しかも「川の深みに落ちたのでおそらく助からないであろう。」と言われ、あげくの果てには「弔いをせよ。」と秀吉から命令される始末…。千代は「私が悪かった。」と後悔し、尼になる決心をするのですが、そんな嵐の夜、一豊はひょっこり帰ってくるのです。そして2人は感動の再会、めでたし、めでたしで今回もエンディングとなりました。
 確かに出来すぎた話だなとは思いましたが、ついつい千代に感情移入してしまいました。「もし自分の夫が一豊のようになったら、私はどうするだろうか?」と思うと身につまされる部分もありますしね。
 何よりも、「一豊は土佐のお殿様になるのだからここで死ぬはずがない。」と思いながら、私も千代と一緒に一豊の身の安全を願わずにはいられませんでした。「一豊さん、無事なら早く千代ちゃんの許に戻ってあげなさいよ。」とも思いました。こんな風にドラマの中に入り込める理由は、今年の大河ドラマの脚本がよくできているからなのかもしれませんよね。残念ながら昨年の「義経」はそこまで感情移入できませんでしたから…。

 ところで、姉川合戦における一豊が原作ではどのように描かれていたか、記憶が定かではなかったので、こちらももう一度読み直してみました。
 すると、一豊が落馬をして川に落ちたという話は原作にもありました。でも、そのあとはドラマとは全く違っています。
 一豊は自力で川底からはい上がり、他の隊に混じって川を泳いで崖をはい上がり、対岸にたどり着きます。そして、敵の武将を落馬させて馬を奪い、何とか新右衛門や吉兵衛に追いつくことができました。何か勇ましいですね。一豊の気迫が文章から伝わってくるようですがすがしくもありました。

 ところで…、次回の予告を観たところ、一豊は小りんに命を助けられたようですね(多分そんなところだろうなと思っていましたが…)。
 実は原作では、六平太はこのあと一豊の家来として山内家に入り込んだり、忍びとして諸国を漫遊して千代に情報を伝えたりと、物語のラスト近くまで活躍するのですが、小りんに関してはこの先、一豊と2、3回逢瀬を重ねるものの、ほとんど行きずりのような形で退場してしまいます。
 でもドラマでは、どうやら重要な人物になりそうな予感がします。ひょっとすると原作にはない千代との対面もあるかも…。そう考えると一豊の「京で女を抱いた。」という告白は、今後のストーリーへの大きな伏線かもしれません。小りんの今後の活躍がとても楽しみです。
 

大弐三位藤原賢子 ー紫式部の娘

2006-03-11 11:25:37 | 歴史人物伝
 「百人一首」には、紫式部の歌「めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲かくれにし 夜半の月影」(57番)と、その娘大弐三位の歌「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」(58番)と、親子二代の歌が並べられています。紫式部というと「源氏物語」の作者として有名ですが、その娘の大弐三位というと名前は知っている方は多いと思いますが、その生涯についてはあまり知られていないのではないでしょうか。
 そこで今回の人物伝では、その大弐三位の生涯についてまとめてみることにしました。

 大弐三位は本名を藤原賢子といい、長保元年(999)頃に誕生しました。父は右衛門権佐や山城守などを勤めた藤原宣孝、母は上記に述べたとおり紫式部です。

 長保三年(1001)、父の宣孝が流行病で薨じます。その後賢子は、紫式部や母方の祖父の藤原為時の手で育てられたと考えられます。そして賢子は15歳頃、皇太后藤原彰子の許に出仕したのではないかと推定されます。出仕した当時の女房名は、祖父為時の官職「越後守」と「左少弁」にちなんで「越後の弁」と言いました。
 なお従来は、賢子は母の死後に彰子の許に出仕したと考えられていましたが、最近の研究によると紫式部の没年は寛仁三年(1019)以降と推定されるため、賢子は母と一緒に彰子の許に出仕していたようです。そこで賢子は、母から直接宮仕えの心得を伝授されていたのではないでしょうか。

 しかし賢子は、宮仕えにあまりなじめなかった母とは全く違う道を歩むこととなります。
 元々賢子は、母よりも父宣孝に似ており、明るく朗らかで細かいことにこだわらない性格だったようです。そのせいか賢子はたちまち貴公子たちの人気者となり、藤原定頼(公任の子)、源朝任(道長室の倫子の甥)、藤原頼宗(道長の子)などの恋人ができました。

 そして二十代半ば頃、賢子に運命の転機が訪れます。道長の甥に当たる藤原兼隆との間に子供を身ごもったのでした。(角田文衞氏の説)しかしこれには異説があり、「尊卑分脈」に賢子と兼隆の間の子供の記載がないため、賢子の子供の父親は兼隆ではなく藤原公信(藤原為光の子)だという説です。(萩谷 朴氏の説)
 ちなみに賢子を主人公にした小説「猪名の笹原風吹けば 紫式部の娘・賢子(田中阿里子著 講談社 昭和61年刊行 現在は絶版のようです。)では、賢子の許へはその頃、兼隆と公信が同時に通ってきていました。そして賢子の身ごもった子供はどちらの子供ともとれるような書き方をしてありました。しかし賢子は公信のことを嫌っていたため、「この子は絶対に兼隆殿の子」と信じていました。そのためか巻末の登場人物系図でも、子供の父親は兼隆となっていました。
 結局、賢子は娘を産むことになるのですが、この娘がどちらの子だったかは私も判断がつかないので結論は差し控えますが、ここでは角田氏の説に従って兼隆の子ということで話を進めさせていただきます。

 万寿二年(1025)に産まれたこの娘のおかげで賢子は大きな幸運を得ることとなります。
 賢子が娘を産んだのと同じ万寿二年、春宮敦良親王妃の藤原嬉子(道長の娘)が皇子を出産したのです。しかし嬉子はお産の影響と流行病のために皇子を産むとすぐになくなってしまったのですが…。皇子は「親仁」と命名されたのですが、その乳母に娘を産んだばかりの賢子が選ばれたのでした。
 賢子は当時の太皇太后彰子からの信任も厚く、のちに述べるようにかなりの長寿を保ったことからみても体も丈夫だったため、乳母に選ばれたものと思われます。しかしその結果、兼隆とはだんだん疎遠になっていったのではないでしょうか。賢子はやがて兼隆と離別し、娘も兼隆に託したのではないかと思われます。そして彼女自身は宮仕えに専念していったのではないかという気がします。

 それから約10年近く経った頃、すでに三十代後半にさしかかっていた賢子に一人の男性が現れます。
 その人の名は高階成章…。今までの賢子の恋人たちのような公達ではありませんが、何カ国もの受領を歴任してばく大な財宝をため込み、しかも賢子より10歳年上の頼りがいのある男性でした。もっとものちに「欲の大弐」と言われることになる成章ですから、「出世のため」という魂胆で彼の方から春宮(その頃親仁は親王宣下され、父後朱雀天皇の春宮になっていました)の乳母に近づいていったのかもしれませんが…。やがて2人は結婚し、賢子は長暦二年(1038)、成章との間に男児(後の為家)を産むことになります。

 寛徳二年(1045)、親仁親王が後冷泉天皇として踐祚すると、乳母である賢子は慣例によって従三位に叙され、典侍に任じられます。

 天喜二年(1054)、夫の成章は大宰大弐となって大宰府に下向、賢子は夫の官職にちなんで「大弐三位」と呼ばれることとなりました。
 賢子は天皇御乳母としての職務を遂行する一方、大宰大弐の妻としての役目も忘れず、夫の任地である大宰府にも下向しているようです。大宰府は母の書いた「源氏物語」のヒロインの一人、玉鬘が少女時代を送った土地です。大宰府に下向した賢子はそのことを思い出し、母のことを偲んでいたのかもしれません。
 天喜六年(1058)、成章は都へ帰ることなく大宰府で薨じます。終生の伴侶と決めた成章の死は賢子にとっては大きな哀しみだったことと思います。

 その後も、賢子は後冷泉天皇に献身的に仕えていたと思われますが、約10年後に人生で最も哀しい出来事が訪れます。。治暦四年(1068)、赤子の時から世話をしてきた後冷泉天皇は、まだ早すぎる44歳で、しかも皇子を残すことなく崩御されました。皇統は異母弟の後三条天皇に移ることとなるのですが、賢子にとっては後冷泉天皇の血を引く皇子が誕生しなかったことはさぞ心残りだっただろうなと察せられます。
 しかし賢子はまだまだ健在で、承暦2年(1078)に、内裏後番歌合にて、我が子為家の代詠をつとめているのです。この時、賢子は80歳になっています。
 彼女の没年は不明ですが、兼隆との間にもうけた娘や孫の源知房、あるいは成章との間にもうけた為家の世話を受け、平穏な晩年を送ったものと思われます。

 こうして彼女の生涯を見てみると、母の紫式部を反面教師にしていたような所があるように見受けられます。宮廷生活を思いっきり楽しみ、若い頃はたくさん恋をして、中年になってからお金持ちの頼りがいのある男性と結婚する、しかも天皇の乳母となって出世するなんて、現代に生きる私から見てもうらやましい人生です。もちろん彼女は彼女なりに苦労も悩みも哀しみもあったでしょうけれど、そこは彼女の明るくて前向きな性格で切り抜けていたのでしょうね。

 最後に、賢子は数々の歌合に出席し、「後拾遺集」以下の勅撰集に37首の歌が入集した優れた歌人であったこともつけ加えておきます。
 百人一首に取られた歌の意味は、有馬山の猪名から風が吹いてくるとあなたを思い出します。どうして恋するあなたを忘れることができるでしょうか。」という意味です。賢子は誰を思ってこの歌を詠んだのでしょうか。今では知るすべもありませんが…。


来月初めに京都に行って来ます♪

2006-03-08 00:09:36 | えりかの平安な日々 04~09
 来月の6日・7日に、だんなさんと一緒に一泊二日で京都に行くことになりました!!

 実は今年のお正月頃から、だんなさんの仕事が一段落する4月の初めか、5月の終わり頃のどちらかに京都に行きたいなと思っていたのです。

 そして2週間ほど前、4月の初め頃にお仕事のお休みがもらえそうだという「平安奏華」の管理人さんの里江さんから、「4月の初めの平日に京都を御一緒しませんか?」とメールを頂いたのです。

 ちょうどその頃、3月18日(土)から4月23日(日)まで、下鴨神社にて平安衣装体験のイベントが行われるのだそうです。壺装束や袿を着て下鴨神社を参拝したり、牛車に乗ったりできるとか。もちろん十二単体験もできます。詳しくは「お祭り大好き!」のサイト↓

http://www.iz2.co.jp/

の中の「時代衣装体験 お祭り大好き!」のページ↓

http://www.iz2.co.jp/report/taiken.html

をご覧下さいね。

 このイベントのことを知って私は、行きたくてたまらなくなり、里江さんに「行きます。ぜひ御一緒しましょう。」と返事をさせていただきました。私、壺装束って着たことがないのですよね~。なのでぜひ着てみたいのです。そして壺装束姿で牛車に乗ったら、気分はすっかり平安の姫様そのものです。わくわく。
 その他、このイベント会場には、「源氏物語」中の名場面、柏木が猫のいたずらによってあこがれの女三の宮をかいま見てしまう……、というシーンが人形や調度品によって再現されているそうです。こちらも楽しみです。

 ところで、一泊で行くことになった経緯も書いておきますね。

当初私は、「日帰りでも良い。」と思っていたのです。でも里江さんと「紫式部のお墓参りに行きたい。」「ちょうど京都御所の一般公開の時期みたいだから御所にも行ってみたい。」と話しているうちに、「それだけたくさん見て回るならやっぱり泊まりがけで行きたい!」と思ってしまったのです。
 ところが4月初めのこの時期はちょうど桜の時期とも重なって、ホテルが全く取れなかったのでした。「まだ1ヶ月以上先のことなのに…」と、びっくりしてしまいました。
 それなら日帰りでもいいか……と、半分あきらめていた時、だんなさんがJRツアー静岡に問い合わせてくれたのです。その結果、京都駅前のビジネスホテルのツインの部屋を取ることができました。
 というわけで、色々紆余曲折はありましたが、ホテルも新幹線の切符も無事に取れ、来月6日・7日の京都旅行が正式に決まりましたのでやっとこちらで報告できます。一泊旅行なんて約3年ぶりですので楽しみです。それに、ネットでお知り合いになった方とお会いするのも久しぶりですし…。里江さん、思いっきり楽しみましょうね。

 もちろん、昨年の夏の日帰り旅行同様、こちらの「旅の記録」で旅行記の連載をさせていただきたいと思っています。

 なお、紫式部のお墓やその後近所にある雲林院跡、賀茂齋院跡、京都御所へは当ブログのブックマーク欄のリンクにも登録させて頂いているブログ「おばあちゃんの日々好日」の穴瀬さんにご案内していただけることになりました。無理なお願いを聞いて下さいました穴瀬さん、どうもありがとうございます。当日はお会いできるのを楽しみにしております。
 

ちょっと太っているかも…

2006-03-05 18:22:29 | 猫のお部屋
 今年の猫の日(2月22日」には、いつも写真のUPを手伝ってくれるだんなさんが多忙だったので、残念ながらエリカの写真をUPすることができませんでした。そこで、だいぶ遅くなってしまいましたが、「猫の日記念」ということで、本日は我が家の小さなエリカの登場です。

 最近、エリカを抱き上げたときに感じることは「重くなった…」ということです。。エリカは寒い時期には食欲旺盛なので、当然体重も増えているのでしょう。それに抱き上げるとふわっとして、「脂肪が多い。」という感覚があります。特に下半身に脂肪がついているようです。ちょっとダイエットさせた方がいいかもしれませんね。

 ところで、2月22日の猫の日にテレビを観ていたら、何と15キロの猫が紹介されていました。
 この猫は中国の猫だそうですが、大好物は鶏肉で、1日に3キロの鶏肉をもりもり食べるのだそうです。でも、あまりにも太っていて一人でベッドに昇れないとか。
 確かに、いかにも太っていて大きな猫でした。猫というよりトラに近いような…。年齢はエリカより少し若い、9歳(人間の年に換算すると50代半ばだそうです)とのことでしたので、「どこか病気でもしているのでは?」と心配になったのですが、何と健康そのものだそうです。

 それに比べればエリカはかわいいものです。体重も3分の1の5キロですし、高いところにも昇れます。若いときのようにタンスの上にひとっ飛びで昇ることはできませんけれど、テーブルの上などに飛び乗っているエリカを見ると、「まだまだ身軽なのかも」と思って安心します。

 とにかくエリカにはずっと元気でいてもらいたいです。そして、1日も長く生きてもらって、私たちをいやして欲しいです。頼んだよ、エリカちゃん!!

 写真は、1ヶ月くらい前に撮ったものです。やっぱりちょっと太っているかも…。