平安夢柔話

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紫式部日記(ビギナーズクラシックス 日本の古典)

2009-05-27 11:16:11 | 図書室2
 今回は、「源氏物語の時代 ー一条天皇と后たちのものがたり」の著者、山本淳子先生が編集なさった「紫式部日記」の本を紹介いたします。

☆紫式部日記(ビギナーズクラシックス 日本の古典)
 著者=紫式部/山本淳子・編 発行=角川学芸出版・角川ソフィア文庫
 価格=700円

本の内容紹介
 平安時代の宮廷生活を活写する回想録。華麗な生活に溶け込めない紫式部の心境描写や、同僚女房やライバル清少納言への冷静な評価などから、当時の後宮が手に取るように読み取れる。道長一門の栄華と彰子のありさまが鑽仰の念をもって描かれ、後宮改良策など、作者が明確に意見を述べる部分もある。話しことばのような流麗な現代語訳、幅広い話題の寸評やコラムによる、『源氏物語』成立の背景を知るためにも最適の入門書。

[目次]
 1 出産まで
 2 敦成親王誕生
 3 豪華な祝い事
 4 一条院内裏へ
 5 消息体
 6 年次不明の記録たち
 7 寛弘七年記録部分


 「紫式部日記」は文字通り、紫式部が著した日記で、寛弘五年の中宮彰子の出産前後の記録をはじめ、女房勤めのあれこれ、同僚女房たちやライバル清少納言の評価などを綴ったバラエティーに富んだ日記です。
 私は5年ほど前に、講談社学術文庫から出ている「紫式部日記 全訳注(宮崎荘平 校注)」を読んだことがあります。その時の感想は、「面白いけれど、何か話があちらこちらに飛んでいて不思議な日記」でした。なので、「紫式部日記」をやさしく解説したような本があったら読んでみたいとその頃から思っていました。

 それで最近、山本淳子先生の編集なさった「紫式部日記」が出版されたという情報を聞き、ぜひ読んでみたいと思って購入してみました。わかりやすい訳と詳しい解説で、とても読みやすい1冊でした。

 この本の構成は、確章段ごとにまず現代語訳が掲載されていて、その次に原文が掲げられ、続いて山本先生によるその章段の解説が掲載されています。ただ、現代語訳と原文は全文ではなく抜粋です。それでも、解説が充実しているので、これだけ読めば「紫式部日記」のだいたいの内容がわかると思います。

 それで、この本の読みどころはやはり、山本先生の解説だと思います。とにかくわかりやすく、的確で詳しいです。

 例えば、道長が初登場している章段の解説では、道長の生涯、天皇の外祖父になるということの大変さがわかりやすく解説されていて、初心者にも興味が持てるように工夫されています。でも、このような平安時代の基礎知識的な内容だけでなく、「なるほど」という事項も色々と解説されていました。その例を少し挙げてみますね。

 私がこの本で楽しみにしていた章段の一つが、敦成親王生誕五十日の祝の段です。そうです、あの有名な、藤原公任の「あなかしこ、 このわたりに若紫やさぶらふ」が出てくる章段です。

 この段では、めでたいお祝いの席だけあって、列席の貴族たちはみんな酔っぱらっていて、いつもとは違う顔をのぞかせています。紫式部は、その一人一人を細やかに描写しているのですが、最も好感を持って描いたのは藤原実資だったのではないかと思います。紫式部はこの時、実資のことを「感じのいい人」と思って話しかけてもいるのですから…。
 ただ、この時の実資も酔っぱらっていて、女房たちの衣の枚数を数えたりしていたようなのですよね。やはり実資さんも酒の席では羽目を外すのね…と、私は今まで思っていたのですが、山本先生は全く違う解釈をされていました。

 実はこの時期の帝、一条天皇は質素倹約を重んじており、自らもそれを実行していました。なので貴族たちにも倹約令が出ていたのです。そのため実資は、女房たちがしっかりと倹約令を守っているかどうか、着ている装束の枚数を数えて確認していたというのです。やはり神経質で几帳面な実資さん、やることが違いますね。これには「なるほど」とうならされました。

その他、紫式部が清少納言を批判していた理由も解説されていました。
 つまり、控えめであまり仕事の出来ない女房の多かった彰子の後宮に比べ、定子の後宮の女房たちは機知に富み、明るく華やかだった。そのため、定子の後宮をなつかしむ貴族たちがとても多かったようなのです。そのようなわけで、彰子を一条天皇の真のナンバーワンの后にするため、紫式部にとっては清少納言と「枕草子」は超えなければならない大きな壁であり、清少納言と「枕草子」を否定することにより、彰子を持ち上げようとしたようなのですよね。

 ところで、山本先生も強く強調されていることなのですが、私はこの本で今まで気づかなかったことに気づかされました。それは、紫式部の女房としての成長です。寛弘五年頃は、引っ込み思案で、行事の日に遅刻ぎりぎりに出仕し、弘徽殿女御に使えていたことのある左京の馬をからかっていた紫式部が、寛弘七年には行事の日は早々と出仕し、何よりも、彰子の後宮を改良しようと真剣に考えています。そして、彰子の信頼をしっかりと勝ち得ていますよね。やっぱり紫式部はただ者ではないです。


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伊勢物語 謎多き古典を読む

2009-05-18 10:58:38 | 図書室2
 今回は「伊勢物語」について解説した本を紹介します。

☆伊勢物語 謎多き古典を読む
 著者=杉本苑子 発行=中央公論新社・中公文庫

本の紹介文
 『伊勢物語』は在原業平の恋愛遍歴を描いた、作者不詳の歌物語である。複数と思われる作者たちは、なぜ業平を主人公に選び、どんな世界を彼に託して描こうとしたのか。物語の裏にみえかくれする、慚愧にみちた宮廷の恋物語をすかしてみて、作品成立にまつわる謎を読み解く。

目次
 『伊勢物語』の、うさんくささ
 軽み、そして鄙びと貧
 アウトローの自覚
 業平に至る血の系譜
 二条ノ后と惟喬親王
 物語を生んだ心理的母体

*現在では絶版のようです。興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。


 「伊勢物語」は、「昔 男ありけり」で始まる125編の短い歌物語集です。私は、この「伊勢物語」という古典が大好きです。なぜ好きかというと、この物語の主人公に擬せられている在原業平が好きだから、更に、彼の生きた時代に興味があるからです。そして、歌物語という物語形式が何か軽快で、読んでいてわくわくします。でも、読めば読むほどわからなくなり、ますます謎が深まっていく…、そんな不思議なところも興味をそそられます。

 この、「伊勢物語 謎多き古典を読む」は、本の内容紹介文と目次から興味を引かれ、6年前に初めて読みました。ちょうど、同じ杉本苑子さんの山河寂寥 ある女官の生涯」と同じ頃に読んだのですが、「山河寂寥」の紹介でも書きましたように、その頃、家の引っ越しなどでごたごたしていて、あまり集中して読むことができませんでした。それと私の知識不足も手伝って、読み終わったあと、「伊勢物語」がますますわからなくなってしまいました。

 今回、6年ぶりに再読してみたのですが、これを読んで「伊勢物語」に関する謎が解けたかどうかと尋ねられれば、残念ながらノウと答えることになりそうです。おそらく、「伊勢物語」に書かれたエピソードは史実なのか、物語がどのように成立したのか、業平とはどんな人なのかに関しては、永遠に謎のままなのかもしれません。

 でも、この本に書かれている内容は6年前に比べると理解できたかなという感じがします。そこで、本の内容をかいつまんで紹介しますね。

 まず冒頭の「『伊勢物語』のうさんくささ」の書き出しの部分で著者の杉本苑子さんが、『伊勢物語』はよくわからない古典である』と、私と同じことを言っていてびっくりしました。
 そのあと、伊勢物語がなぜわかりにくく、うさんくさい古典であるかを述べ、その最も顕著な例として69段を紹介していました。この段は、主人公の男と伊勢の斎宮が密通する話ですが、書き加えのオンパレードとか。特に最後の、「斎宮というのは清和天皇御代の斎宮、文徳天皇皇女で惟喬親王の妹の恬子内親王である」というのは完全に後世の書き加えだそうです。つまりこの段で描かれている話はフィクションであり、しかも中国の古典を下敷きにしている話だとか。でも、真相は誰にもわからないようです。こうしてみると69段はちょっと頭が混乱してしまいそうな章段ですよね。

 次の「軽み、そして鄙びと貧」と「アウトローの自覚」では、『伊勢物語』の中から著者が興味を引かれている段(東下りや筒井筒の話など)を選び出し、原文と訳を紹介しながら、『伊勢物語』の魅力や特徴を解説しています。

 そしてその次の「業平に至る血の系譜」では、在原業平とはどのような人だったのかに触れ、桓武天皇→平城天皇→阿保親王と、業平の祖先たちの数奇な歴史を紹介しています。

 その次の「二条ノ后と惟喬親王」では、再び伊勢物語本文に戻り、業平と関係の深かった二条ノ后藤原高子と惟喬親王が登場する章段の原文と訳を紹介し、二人の不遇の生涯にも触れています。

 そして最後の「物語を生んだ心理的母体」では、再び業平やその祖先たち、特に父の阿保親王の生涯に触れ、彼らがいかに藤原氏に利用され、運命を狂わされてきたかが強調されています。

 更に、「伊勢物語」のモデルがなぜ業平だったのか、著者の推論が述べられていました。つまり業平は、藤原氏が手中の玉として入内を切望していた高子と通じることによって藤原氏に挑戦した。そして、そんな業平の行為は、藤原氏に手も足も出ない廷臣たちにとっては痛快だった。そんな業平像が人々に語り伝えられていくうちに、業平は偶像化され、人々のアイドルとなり、『伊勢物語』が生まれる心理的母体が作られていったのではないか…と、著者の杉本苑子さんは述べていましたが、非常に納得がいく説だと思います。つまり、業平を偶像化した人達によって、物語の書き加えもされたのかもしれませんね。

 以上、この本の内容を簡単に述べてきましたが、私のつたない説明ではすべてを伝えることはできないです…。『伊勢物語』や在原業平、平安時代前期の歴史に興味のある方はぜひ、この本を手に取って欲しいと思います。

 私は、この本を再読して、『伊勢物語』の全文をもう一度読んでみたくなりましたし、在原業平や当時の歴史を調べてみたくなりました。確かに杉本さんもおっしゃっているようにわかりにくくて厄介な古典ですが、これからも私は『伊勢物語』とつき合っていきたいと思います。


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エリカ、14歳の誕生日♪

2009-05-15 10:16:21 | 猫のお部屋
 今日は、私の14歳の誕生日なのニャン。誕生日はいつもお祝いしてもらえるから嬉しいニャン!でも、年は取りたくないニャン…。

 と言うわけで、今年もエリカは無事に誕生日を迎えることが出来ました。今日で14歳になったエリカ、相変わらずわがままで甘えん坊で、やっていることは子猫のようです。

 ところで、2年前に、「腎臓が弱っている」と言われてしまったエリカですが、今のところはまだ元気で食欲もあり、子猫の時と同じように私たちをいやしてくれます。エリカちゃん、これからも元気で、パパとママをいやしてね。

*ここでちょっと説明

 ずっと前にも書いたことがあるのですが、エリカは、生後2ヶ月の時にだんなさんの職場の同僚から譲っていただいた猫です。
 それで、前の飼い主さんに誕生日を尋ねたところ、「5月の中頃に生まれたが、はっきりした日にちはわからない」とのことでした。そこで、5月の中頃=15日ということで、私がこの日をエリカの誕生日に決めました。それと、5月15日というと「覚えやすい」というイメージもあったものですから。

 そのようなわけで、その頃の私は、5月15日が葵祭の日だということを知らなかったのです。なので、この事実に気がついたときは驚きました。エリカは平安時代や京都とも縁があったのですね。

 さて、お誕生日ということで、久しぶりにエリカの写真をお披露目したいと思います。

 まず、1枚目です。


  


 わ~、こうしていると気持ちいいニャン♪

 手足を延ばしてのびのびと横になっているところです。かわいいです。

 では、2枚目です。


  


 お水、おいしいニャン!

 実は1ヶ月ほど前、エリカが水を飲むのに使っていたお鍋に割れ目が出来てしまったようで、水漏れするようになってしまったのです。
 そこで、家にあった小さな食器から水を飲ませようとしたのですが、嫌がってなかなか飲んでくれません。そのため、100円ショップで買ってきた少し大きめの食器に水を入れ、エリカの前に置いたところ、エリカは嬉しそうに飲んでくれました。ほっとしました。

 写真は、その新しい食器で嬉しそうに水を飲んでいるところです。

 ついでにエリカの近況も書きますね。

 エリカの今のお気に入りは、押し入れの上の段にある箱の中です。最近、暑くなってきたので、カーペットの上や布団の中は辛いのでしょうね。それと、箱の中はすっぽりと身を隠すことが出来るので、落ち着くみたいです。

 ところが、昇ったのはいいけれど、降りるときになると、「下ろして、下ろして」と大騒ぎします。そこで、私が助け下ろしてあげるととても喜びます。エリカちゃん、降りられないなら昇らなければいいのに…と思いますが…。

 ところが先日、エリカをお留守番させてだんなさんと二人で朝から外出したことがありました。私たちが出かけるとき、エリカはすでに押し入れの上の段の箱の中に入っていました。しかも、朝食をほとんど食べてありません。ちょっと心配でしたが、そのまま出かけてしまいました。
 そして帰ってきたら、エリカは相変わらず、押し入れの上の段の箱の中にいました。ところが、食器の中の食べ物はちゃんと減っていました。エリカちゃん、しっかり自分で下に降りて食事をしたのね。

 そのようなわけで、結局、私たちと一緒にいるときは甘えているだけなのだということがわかりました。
 確かに…、2、3日前も、「下ろして、下ろして」と騒いだことがあったのですが、無視していたらいつの間にか下に飛び降り、水を飲んでいました。相変わらず甘えん坊なのね…と少しあきれながらも、まだ一人で飛び降りることが出来るくらいの体力があることに安心したりしている私たち夫婦なのでした。

 最後になりましたが、エリカちゃん、お誕生日おめでとう☆これからも出来るだけ長く元気で長生きして欲しいです。


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華麗なる藤原一族 by咲希さん

2009-05-14 10:23:46 | 美術館
 咲希さんより、「華麗なる藤原一族」という小説を頂きました。藤原道長、頼通、師実、師通、忠実、忠通とその妻たちが総登場する華やかな小説です。どうぞお楽しみ下さいませ。

 なお、この小説の著作権は咲希さんにありますので、無断転載、転用は絶対にしないで下さい。


          華麗なる藤原一族    咲希さん作

藤原道長ー頼通ー師実ー師通ー忠実ー忠通の正室の話でございます。

源倫子(鷹司殿)「初めまして私は源倫子と申します。御堂殿(道長)の正室で勤めております。」
隆姫女王(高倉北政所)「私は隆姫と申します。宇治殿(頼通)の正室でございます。」
源麗子(京極北政所)「源麗子と申します。京極殿(後宇治殿と呼ぶこともあり。師実)の北の方で勤めております。」
藤原全子(一条殿)「藤原全子です・・・。後二条殿(師通)・・・なんでしょう・・。離婚してますけど・・・何を言えばいいでしょうか?」
源師子「源師子と申します。富家殿(知足院殿と呼ぶこともあり。忠実)の二番の正室?です。」
藤原宗子(法住寺北政所)「藤原宗子です。法性寺殿(忠通)の正室でございます。」
師子さんだけないですね。○○殿と○○北政所・・でやつ。
もしかしたら富家北政所か知足院北政所と呼ばれた可能性があり?わからんね。

レポーター(男性)「ほ~。流石に華麗なる藤原一族の正室でございますな~。凛凛がありますなぁ。」

正室達「あらま~お上手ですこと。」  異口同音・・・。う~む流石に藤原家の御正室。

夫はあっちにお茶を飲んでいます。

道長「向こうは凄いことに起こってるなぁ・・・」
頼通「もしかしたら私達の悪口を言ってるなんじゃぁ・・(オロオロ・恐妻家でしょうか?頼通)」
師実「私達に文句に言いそうな気がするなぁ。」
師通「仕返しに文句言えばいいでしょう。(やる気マンマン?)」
忠実「ちっ父上・・・・それは無理なんじゃぁ・・・。」
忠通「文句に言ってもあちらに凄くお返しに言いそうですね。」
レポーター(女性)「こちらの男性はオロオロだわねぇ~。大丈夫なの?」

場所に変えて・・・
レポーター(男性)「貴女達は摂関家の正室ということは苦労がありますか?」
倫子「ありますわ。跡継ぎとか・・・でしょ。私は6人の子を産みましたし・・・。」
レポーター(男性)「娘さんが四人いますね。高貴なお人(天皇・皇族)嫁ぎましたね。息子さんは2人で摂関になっておりますなぁ。」
麗子「殿(師実)の側室がたくさんいるの。子供もたくさんいて・・・なんかねぇ・・・」
師実は側室がたくさんいて子もたくさんいる・・。
レポーター(男性)「それは大変ですね。よく考えると師実さんは隆姫さんの子ではないんですよね。側室の子である自尊心(プライド)があるかもしれませんよ。」
全子「後二条殿は・・・この私が離婚を!呪ったわ!フフフ。」
レポーター(男性)「・・・信長さんの養女を妻を迎えていたんですよね。信長さんは頼通さんの弟教通さんの子だから・・。
つまり内部の長年の対立に終止符を打つものだったんでしょう。仕方がないんですよね・・・。」
うまくフォローをしますねぇレポーターさん・・・。

レポーター(男性)「倫子さんと麗子さんと全子さんと師子さんと宗子さんは夫より年上なんですね。隆姫さんだけは年下。倫子さんの時は雅信さんが天皇の后をする野望がありましたね。でも当時の天皇(一条)と東宮(三条)は倫子さんより年下。
雅信さんは悔しくでたまらんでしょう。穆子さんのお陰ですよね。穆子さんは偉い!24歳と22歳・・。
隆姫さんは頼通との縁談を「男は妻がらなり」と歓迎したといいますね。頼通が他の妻に迎えると隆姫を悲しませたくないと拒否、
また病床に伏した頼通の元に具平親王の怨霊が現れたともいわれ、結局沙汰やみになったんですって。仲がええじゃんか~羨ましいね。
麗子さんは后がねとして育てたんですけど結局摂関家の正室におさめましたね。結婚したのは1051年・・永承6年・・師実は10歳、麗子さんは12歳か・・早えーな。全子さんは・・・17歳の頃2つ年下の師通の妻になって2年後忠実を産んだけどあっという間に離婚しちゃったね。
訳は前に言ったように・・・。やむえないこと・・で・・。師子さんは初めは白河院の後宮で・・・妊娠したまま忠実に嫁ぎ、皇子を産みましたね。これは・・・ありねー。宗子さんは宗通の娘。つまり頼宗の子孫ですね。宗通は幼少時代、白河院のもとで養育され、寵童であったんですね。宗通は全子さんの弟。つながりがあったためでしょうかね。」 
長っ!

倫子「凄い説明ですわね。そうですわね。父上は心配すぎるんだし・・一生結婚できないと思った事も考えたことがあったわ。」
隆姫「私は子が授かることが出来なかったですか宇治殿は優しくしてくれました。」
麗子「幼き頃后になるんだよと言われましたけど結果は京極殿の奥方に決まりましたけど。結婚した年は早いって普通ですよ。」
全子「せっかく子を産んだのに離婚ってイラッとしましたよ。あちらでも必死だったかもしれませんね。内部の対立に終止符を打ったんですから。」
師子「だって・・・あの方が妻に迎えたいって驚きました・・・。私より8つも年下なんですけど・・・。何かに疑問を持ったり・・」
宗子「そうかもしれませんね。父上は院の側にいて・・。」
レポーター(男性)「うむうむ・・。結婚した理由は色々なことがあったんですね。次は寿命ですか・・・女性からで順番に言いますね。
90歳・93歳・75歳・91歳・79歳・61歳・・・宗子さん除いて長生きッスね。あくまでもスゲェよ。男性は62歳・83歳・60歳・38歳・85歳・68歳・・・頼通と忠実お二人は80歳越えですよねぇ。血筋だろうねぇ。師通はのろ・・・ったせいで・・・ちょっとマジかも・・・。気が付いたけど、師子さんは1149年、全子さんは1150年にお亡くなりですよね。嫁が先にお亡くなりか
・・・。びっくりした。」

麗子「師通殿は若く死んでしまって悲しかったわ。シクシク。」
レポーター(男性)「うんうん・・・。師実さんはショックだったろうね。忠実さんは22歳で摂関家を継ぐって大変だったと思うよ。」
師実(突然現れた)「シクシク・・・。我らの家はおしまいだと思ったわい。忠実を支えなければならなかったんだ・・・。」
レポーター(男性)「わっ!突然に現れるなよ。頑張ったね。師実さん・・・。」
師通「悪うございますね。父上と母上は申し訳ないことにしましたか、忠実を面倒を頂いて感謝をしています。」
忠実「すみません。力がなくで・・・。お祖父様とお祖母様・・・面倒を頂いてありがとうございます・・・。母上は長生きで驚きましたか。」
全子「ねえ~。私じゃなくで貴女が先に逝くなんで驚きだったわ。」
師子「そうですか。これは運命でしょうか。」
聖子「母上~」
レポーター(男性)「なんであなた達が・・・。ってこの子は?」
レポーター(女性)「旦那さんにアレ(母の日)を言ったからお祝いをしなくちゃね。ああ、忠通さんと宗子さんの娘さん。」

レポーター(女性)と話していた夫達の会話はこれです。
レポーター(女性)「あのね。現代は母の日がありましてね。5月の第二週間頃お祝いするんですよ。母を感謝をするんですよ。
え~と頼通さん、師通さん、忠実さん、忠通さん、お祝いを如何でしょう?師実さんは隆姫さんの子ではないけど育ての母でしょう。お祝いをしたら?宗子さんの子は娘さんだけなので聖子さんに連れてきましょうか?」聖子は忠通と宗子の娘。
頼通「母の日か・・・現代はいい日があるね。」
師実「・・・隆姫様は育ての母だし・・そうだね。」
師通「どんなにお祝いをするんだ?」
忠実「褒め言葉でもいいのかな?」
忠通「母上は大変だったことがあったけど・・・そういう祝いはいいね。聖子?そうだな。宗子が喜ぶ。」
・・・と言う会話でした。

レポーター(男性)「ああ・・・そうだな。母の日か・・・いいじゃん。」
レポーター(女性)「でしょ。皆さん~ごゆっくり~道長さんだけはお茶を飲んでごゆっくりして~」
道長「うん。母の日か・・良い日だな。後で私も母上(時姫)の所へ行くかな。」

頼通「母上、あの、色々なことがあって・・・お疲れ様です!」
倫子「フフ。頼通殿、ありがとう。現世の頃は頼通殿は必死で苦労したように見えましたよ。」
頼通「スミマセン。私も父上のようにしたかったんです・・・。」

師実「隆姫様、子がおらぬゆえに私は側室の子で意識があったんです。でも隆姫様は感謝をしています。」
隆姫「師実殿、宇治殿が子がいないと摂関は弟君達に移る可能性があったかもしれません。他の女性の間に子を儲けてよかったと思います。師実殿は感謝をしていますよ。摂関をきちんと果たしていますし。」
師実「あっありがとうございます・・・。」

師通「・・・(モジモジ)はっ母上は私の子を育てて感謝をしています。」
麗子「師通殿は問題があり過ぎでびっくりしたわ。忠実を産んだ後、全子殿が離婚して・・もー驚きだわー。」
師通「んーゴメンナサイ・・・スミマセン。でも父上は側室がたくさんいて我慢できましたね・・・」
麗子「ん~もう呆れたような気がしたし、もういいわと思ったし~」
師通「へ~母上らしいや。」

忠実「母上、父上の事嫌いですか?嫌いではないですよね?」
全子「嫌いじゃないし・・・あの頃はイラっとしたけど今はもう諦めたわよ。あなたが立派に育ったからいいわよ。」
忠実「母上~。私は家族と一緒に暮らしたかったと思います。」
全子「私もその気持ちがあったと思うわ。でもあなたの気持ちをありがたく受けるわ。」

忠通「母上、・・・晩年頃父上達と不和をしてしまい、申し訳がありませんでした。私はあの頃、娘だけでしたから弟(頼長)を譲れと言ってムカッとなってしまい・・・」
師子「いいえ。忠通殿は自分の責任を果たしていたんですし、でもようやく息子達を儲けて・・・。」
忠通「はい・・。でも私は自分の子を跡継ぎをしてしまい、戦になってしまいましたか・・・でもむしろ母上は知らなかったことは良かったと思います・・・。知ったら苦労をしてしまいますから・・・。」
師子「ありがとう。忠通殿、もし私が知ったらやむ得ないと諦めていたかもしれませんか・・。」

聖子「母上、私は父上と母上の娘でよかったと思います。」
宗子「聖子・・・ありがとう。あなたは苦労されたことは大変だったでしょう。」
聖子「いいえ。父上の為ですから。でもその役目を果たせたのでしょうか?」
宗子「ええ。きっと果たしたと思いますよ。法住寺殿はあなたの事を感謝をしてると思いますよ。」
忠通「そうだぞ。お前は感謝してるよ。」

レポーター(男性)「色々な話をして楽しかったです。」
レポーター(女性)「質問をして下さってありがとうございました~」

正室達「いえいえ~こちらでも楽しかったわ。」
聖子さん「ありがとう~ございました~」
夫達「凄い会話だったか、楽しい日を過ごせたよ。」

                  ー 終わり ー


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トンカツ屋さんでランチ

2009-05-07 22:31:27 | えりかの平安な日々 04~09
 今日は、お昼に家を出て電車に乗って静岡に行って来ました。午前中で仕事が終わっただんなさんと東静岡駅で待ち合わせ、「たまにはちょっと違うお店でランチをしよう」ということになり、トンカツ屋さんに行くことに。

 そこで、草薙総合運動場の近くにあるトンカツ屋さん、「かつ蔵」に行ってきました。こちらのお店は、6年前まで住んでいた家から徒歩30分くらいの所でもあったので、前の家に住んでいた頃はちょくちょく行っていたのですが、引っ越してからはほとんど行かなくなりました。でも、トンカツやみそ汁がおいしいのでいつか行ってみたい…とずっと思っていたのでした。

 そのようなわけで、久しぶりにお店に入ってわくわく…。私もだんなさんもヒレカツミックスランチを注文しました。


          


 ヒレカツの他にキャベツ入りメンチカツとエビフライが載っています。そしてたっぷりのせん切りキャベツ。どれもおいしかったです。揚げ物というとお店によっては脂っこくてくどい物もありますが、こちらの揚げ物は衣がさくさくしていて柔らかく、わりとさっぱりしているのでありがたいです。
 これにご飯と汁物がつきました。汁物はみそ汁か豚汁のどちらかを選べるのですが、私は豚汁、だんなさんはみそ汁を注文しました。どちらも具がたくさん入っていて豪華です。嬉しいことに、ご飯・汁物・せん切りキャベツはお代わり自由です。でも、一人前の量が多いので、私もだんなさんもお代わりをしなくても充分…と思ったのですが、だんなさんはみそ汁をお代わりしていました。それで、私もみそ汁を少しもらってしまいました。

 それからこのような物もついてきます。


          


 左側は昆布の佃煮、ご飯にまぶして食べるとおいしいです。右側はキュウリの漬け物です。こちらもおいしかったです。これだけ食べて、二人で1994円でした。

、更に、写真の手前に見えるのはトンカツソースです。このトンカツソース、実は自分たちでごまをすり、その上にソースを入れたものなのです。このソースでトンカツやフライを食べるので、余計においしいのでしょうね。(^_^)/ちなみに奥に見えるのはごまをすったすりこぎです。小さくてかわいいすりこぎですよね。

 このように、久しぶりのトンカツ屋さん、おなかいっっぱいおいしい物を食べることが出来て満足でした。また行ってみたいです。

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「御堂関白記」の現代語訳が出版されます

2009-05-01 10:49:16 | 読書日記
 月桜の葉つき みかんさんから情報を頂きました。今月12日に、講談社学術文庫から「御堂関白記」の現代語訳が発売されるそうです。

 あの道長さんの日記が現代語訳になってよみがえる、こんな嬉しいことはありません。
私が平安時代に興味を持つきっかけは、22年前に永井路子さんの小説「この世をば」を読んで道長さんが好きになったことからなのですから…。

 「御堂関白記」の原文はもちろん漢文です。私は学生時代、古典はわりと好きだったのですが漢文だけは大嫌いでした。「私は日本人なのに、どうして漢文なんてやらなければいけないのよ!」という考えでしたので、当然、まじめにやりませんでした。今では、どうして古典の時間に漢文を学ぶのかがわかります。「源氏物語」にしても「枕草子」にしても、中国の古典の影響を受けていますし、貴族の男性は漢文で日記を書いていたのですよね。

 とはいうものの、今さら漢文の勉強をする気も根性もないし、それに何より、私は視力に障害があるため、漢字を一字一字読んだり、レ点や返り点を解読したりするのがとても困難なのです。
 それでも、「平安時代史事典」で人物を調べているとき、貴族の日記から短い漢文が引用されているのにぶつかるときもありますが、そんな時は使われている漢字から意味を取ったり、だんなさんに手伝ってもらったりして何とか意味を理解しています。それも短い文章だからできるのであって、「御堂関白記」全文なんてとっても無理です。
 それが現代語訳で、それも手ごろな価格の文庫で出るなんて夢のようです。

 あ、すっかり書き忘れていましたが、訳者は「人物叢書 一条天皇」「奈良朝の政変劇」などの著者、倉本一宏先生です。倉本先生、ありがとうございます…と、お礼を申し上げたい気分です。

藤原道長 御堂関白記 上 全現代語訳 倉本一宏 講談社学術文庫 amazonでのページはこちら

 上巻ということは、これから続きも出るのでしょうね。楽しみです。

 ところで、「御堂関白記 全現代語訳」で検索をかけてネットサーフィンしていたら、こんな本も見つけてしまいました。

紫式部日記 山本淳子編 角川ソフィア文庫 amazonでのページはこちら

 あの源氏物語の時代の著者、山本淳子先生の編集なさった「紫式部日記」だなんて、ものすごく興味を引かれました。そこで、さらに検索をかけて内容と目次を見てみたのですが、わかりやすい訳のようですし、彰子中宮の宮廷生活の様子も詳しく解説されているとのこと、ぜひ読んでみたいと思いました。

 幸い昨日、静岡に出る用事があったので、ついでに、1月末に閉店したデパートから近くに移転した大きな書店によって購入してきました。少し拾い読みしてみたのですが、とても面白そうです。こちらも読むのが楽しみ♪

 そう言えば「御堂関白記」は1500円以下なのでamazonで注文すると送料がかかってしまうのですよね。でも、今月の12日~15日くらいにまた、静岡に行く用事もあると思います。そこで、「紫式部日記」が置いてあるなら当然、「御堂関白記」も入ってくるはず…。そのようなわけで、「御堂関白記」もこちらの書店で購入しようと思っています。

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