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平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

大河ドラマ「義経」最終回&えりかが選ぶ名場面ベスト5

2005-12-13 00:21:29 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」最終回の感想です。

 色々つっこみを入れつつ観てきたこのドラマも、いよいよ最終回となりました。終わってしまうとなると寂しいですね。
この最終回、確かに感動的な部分も所々ありましたけれど、やっぱりつっこみ所も満載でした。

 今回の放送が始まったばかりの時点で、すでに鎌倉軍が白河の關を超えていたのにはびっくりしました。
 そして、おびえきっている泰衡さん……。あまりにも情けなさすぎて、「果たしてここまで情けなく描く必要があるのかしら。」と思ってしまいました。
 国衡や忠衡と、義経についての対処の仕方で対立する……というのも、何か唐突に思えますし…。忠衡が泰衡に殺されたときも「あれ、こんなところでなぜ殺されるの?」と、私の頭の中はしばらく?でいっぱいになりました。

それと、 泰衡が「頼朝からの脅迫まがいの書状」を読んでいる場面がなかったので、緊迫感が伝わってこなかったです。確かに頼朝からの書状らしいものを拡げ、手をぶるぶる震わせている場面はありましたが、それが頼朝からの書状なのか。また、どのような文面なのかもわからず、何となく、見ている側にはその実感が伝わっては来ないのですよね、実際のところ。「謀反人九郎義経を差し出さなければ平泉を攻める」という大まかな内容だけでなく、どんな文面の書状が来ていたのか、ちょっとぐらいバックで流すなり泰衡が震え声で読むなりして、頼朝からの書状がどれほど恐ろしいものであったのかを雰囲気だけでも伝えて欲しかったです。多田頼朝の書状に青ざめているだけだなんて、私には多田の臆病者にしか感じられませんでした。

 京都に目を向けてみると……、なんとそこには鼓判官こと平知康が、まだ後白河法皇の側近にいるではありませんか。史実では、とっくに後白河法皇から見捨てられているはずなのに…。これには呆れて声も出ませんでした。

 知康は、頼朝と義経が不和になった文治元年(1185)十一月、「義経に同調した」という理由で、頼朝の要求により他の何人かの院側近と供に解官されています。しかも翌文治二年には鎌倉に下向し、「私は義経に同調した事実は全くないので、解官を解除して欲しい。」と頼朝に直訴しているのです。
 しかし頼朝は知康には返事をせず、「朝廷の方で決めて欲しい。」と後白河法皇に書状を出しました。法皇からは長いこと返書がなく、知康も鎌倉に居座り続けていたため、頼朝もかなり困惑していたようです。
 そして文治三年になってやっと法皇から頼朝に返書が来ました。「知康は勝手に鎌倉に下向したのであり、その後もこちらに全く連絡がない。なので京に帰すなり何なり好きなようにして欲しい。」という返事でした。つまり知康は法皇に見捨てられたのです。そのあと、知康は京に帰って出家したとも、鎌倉に居座り続けて頼家の側近になったとも言われていますが、はっきりしたことはよくわかりません。いずれにしても、その後知康が再び後白河法皇の側近として仕えたという事実はないようです。

それはともかくとして、最終回のメイン、義経と郎党達の最期の場面の感想に移りますね。

 とにかくたった6人で戦っているのですから、勝敗は目に見えています。郎党達が次々に討たれていく場面は、さすがに切なかったです。
 そして最も壮絶だったのはやはりこの人!あれほど矢を討たれても倒れない弁慶はさすがです。「こんな事はあり得ない!」と思いながらついつい感情移入してしまいました。「とにかく殿を守るのだ!」という弁慶の執念が伝わってくるようでした。
 でも、それだけの覚悟があるなら、泰衡の兵達に向かって、「ここから先は一歩も通さぬ!」くらいのせりふは言って欲しかったなと、個人的には思ったりしました。

 そして義経の最期のシーン……。しかし、最後の最後まで清盛に想いをはせるとは、やはり何か違うような気がしてしまったのは私だけでしょうか。「それほど清盛さん命なら、あなたはどうして頼朝と供に平家討伐に立ち上がったの?」と、またまたつっこみたくなりました。
 義経が自ら刀で首を切ったとき、白い光のようなものが舞い上がって白馬が現れましたよね。。私はこれを観たとき、義経自刃は幻で、実際の彼は白馬に乗って平泉を去り、大陸に行ってしまったかと思いましたよ。
 でもこれだけ「新しい国」を連発していたのですから、先週うちのだんなさんが言っていたように、「義経は大陸に渡り新しい国(蒙古帝国)を造った」というストーリーでも良かったのではないかなと思いました。安徳天皇と守貞親王のすり替えという歴史の大捏造をやってのけたこのドラマなのですから、義経ジンギスカン説をやっても、それほどびっくりしなかったと思います。もしそのような描き方をしてくれたら、だんなさんはきっと、拍手喝采をして大喜びをしたと思います。

 結局、義経の目指した「新しい国」は、彼が幼い日に落書きをした屏風の中にあったということなのでしょうか…。


 さて、このドラマ全体の感想を書きますと、とにかく役者さんの演技が素晴らしかったなと思います。渡哲也さんの清盛、高橋英樹さんの秀衡、中井貴一さんの頼朝……挙げればきりがないです。ただし、タッキー演じる義経くんは期待を裏切ることばかりで、がっかりしましたが…。
 そこで、素晴らしいほどに人物を演じた役者さん達がみせてくれた数々の場面の中から、私が特に心に残った名場面ベスト5を発表させていただきたいと思います。
 このほかにも、重衡と輔子の涙の別れの場面、「新しい国」について熱く語る清盛、鶴岡八幡宮での静の舞いなど、涙を飲んで引っ込めたシーンもありますが…。

☆第5位 平家都落ちを前にしての知盛と治部卿局の会話
 あまり目立たないシーンですが、平家都落ちを前にしての知盛の覚悟と、それを冷静に受け入れる治部卿局の夫婦の会話がとても感動的でした。静かな場面ながら、胸に迫ってくるものがありました。

☆第4位 頼朝と義経の兄弟対面
 「父義朝最期の地で元服しました。」という義経の言葉を聞き、「九郎か。」と言った頼朝の声音と表情が何とも感動的でした。これを見て、中井頼朝がますます好きになってしまったえりかです。

☆第3位 安宅の関での弁慶と富樫の対決
 「何としてでも殿を守る」という弁慶の気迫と、義経主従とわかっているのかわかっていないのか判断がつかない富樫の対決はとても見応えがありました。結局彼はわかっていたのですね。出もとても奥の深い人物だなと私には映りました。富樫の人間味、人情にも感動。

☆第2位 頼朝と重衡の対面の場面
 捕虜として鎌倉に送られてきた重衡、頼朝の前でも悪びれず受け答えをしていたシーンはとても格好良かったです。そして、そんな重衡の立派な態度に感服する頼朝、何かとても感動してしまいました。

☆第1位 壇ノ浦での知盛入水のシーン
 合戦のすべてが終わったとき、「見るべきものは全部見た。もはやこれまで…」と言って錨を抱いて入水する知盛。オンエアーからすでに3ヶ月経っていますが、あの壮絶なシーンは今でも目に焼き付いて離れません。私にとっては文句なしの第1位です!!

 …と言うわけで、平家びいきの私にとってはやはり平家の方々にまつわるシーンで印象的なものが多いですね。

 でも……これだけ豪華な役者さんを集めていながら、ストーリー面では矛盾が多く、そこがとても物足りなかったです。それから、あくまでもドラマなのですから、多少の史実の歪曲は仕方がないとは思います。けれども、義経とその周辺の人物の心の動きなどはもっとしっかり描いて欲しかったです。何と言ってもドラマの大事な構成要素なのですから。

 そして最も不満だったのは、明らかに義経と関わりを持っていた人物がたくさん無視されたことです。義経の同母兄の全成や義円、陸奥の藤原基成、それに能登殿平教経や時忠女まで無視されているとは…。あまりにも不満だったので、ついついコノブログでそれら無視された人物の詳しい経歴などを紹介してしまいましたが…。そして、その人物達について調べたり妄想したりするのも楽しかったです。

 結論。何だかんだ言っていても結局は楽しんでドラマを観ていたということかもしれません。こうなったら今度はぜひ、「平家物語」そのものをドラマ化して欲しいです。

 最後に……、私の大好きな平安末期をあつかった大河ドラマ「義経」が放映されたおかげで、たくさんのものを得ることができました。最終回の平知康のように、「あれ?この人この時期にはここにいないはずなのだけど…」と思った人物について詳しく調べ、それをブログに発表したりしたおかげで、さらに深い知識を得ることができました。また、今まで気がつかなかった色々なことに気づかされたりしました。何よりも、平安末期や「平家物語」の好きなたくさんの皆様と巡り会うことができました。
 1年間、ずいぶん好き勝手なことを書いてきましたが、毎週読んで下さったみなさま、本当にありがとうございました。

 近日中に、ドラマ感想や考察、人物紹介を書くにあたって参考にした本を列挙した記事をUPさせていただきたいと思いますので、そちらもご覧下さいますと嬉しく思います。
 

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