平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

少し安心…かな?

2007-08-31 10:40:06 | えりかの平安な日々 04~09
 掲示板にも書きましたが、この夏の猛暑の疲れが今になって出てしまい、先週末から今週初めにかけて少し夏ばて気味でした。でも、このようなときに限って出かける用事が多いのですよね~。

 先週の土曜日は同窓会でした。昨年、幹事をやった例の同窓会です。今年は参加するだけで良かったので気楽でした。何より、久しぶりの学生時代の友人との再会はとても楽しかったです。私と同じく血圧が高く、薬を飲んでいる人もいてびっくり。本当に、無理のできない年になったのね。

 翌日は静岡にお買い物。FAXに使うインクがなくなってしまったので買いに行ってきました。そのついでに、思い切って地上デジタル対応のテレビを購入してしまいました。昨日届いたのですが、画面がきれいで音も良くて快適です。

 そして今週の月曜日。二日連続で出かけたので疲れ気味で体調絶不調。でも、この日も用事がありました。この間の血液検査の結果を聞きに病院に行かなくてはなりません。

 この日はだんなさんも午前中、病院(私がかかっている病院とは別の病院です)診察と治療の日だったので、午後2時前に静岡駅で待ち合わせてランチをしました。そしてそのあと、この日で夏休みが終わっただんなさんの出勤時間に合わせて、私も病院に行ってきました。

 「病気の一歩手前」と言われたこの1ヶ月あまり、私はかなり努力をしたつもりでした。だんなさんが家にいないときの昼食はご飯と生野菜だけ。大好きでよく食べていたお菓子やケーキはいっさい禁止、もちろんアルコール類も口にせず、おやつ替わりだったチーズも全く食べませんでした。だんなさんの夏休みが始まってからは食べる量が増えてしまったのですが、それでも野菜や魚中心の食事にし、夜9時以降は食べ物を口にしませんでした。もっともどうしても我慢できなくなったときはミニトマト1個を口に放り込んでいましたが。これだけ頑張って血液検査の結果が悪かったら泣くに泣けないと思いました。なのでドキドキしながら先生のお話を聞きました。

 結果は、先日掲示板にもちょっと書いたのですが、おかげさまで中性脂肪とコレステロールの値は正常値になっていました。肝臓の方はまだ正常値にはなっていませんでしたが、だいぶ良くなっていました。思わず「良かった~」と口から出てしまいました。

 そして嬉しいことに、薬が効き始めたようで、血圧も下がっていました。今まで、最高血圧は160~170くらいあったのですが、143になっていました。体調が悪かったので絶対に高いと思っていましたので、この結果は嬉しくて、笑いが込み上げてきました。

 と言うわけで、こちらをご覧の皆様にはご心配をおかけしましたが、何とか良い方向に向かいそうです。

 ただ、今週からだんなさんのお仕事が始まりました。夜のお仕事なので、帰宅は10時半近くになり、夕食もそのあとということになります。このことを以前友人に話したら、「それは絶対に良くないよ。○○(えりかの本名)ちゃん、それでは体重が減らないんじゃないかな。一度先生に相談してみたら?」と言われ、「10時半の食事はやっぱり良くないですか?」と先生に聞いてみたのです。答えは「良くない」でした。
 夕食時はだんなさんとのコミュニケーションの時間なので一緒に食事をしたかったのですが、そのようなわけで10時半の食事は止められてしまいました。「夕食は早くすませてなるべく早く寝るように」とも言われてしまいました。でもそれは、だんなさんのお仕事のある週4日だけ、あとの3日は一緒に食べられますものね。それに、肝臓の値が下がり、もう少し体重が落ちれば、10時半の食事も許可してもらえるかもしれません。
 これから涼しくなれば体を動かすこともおっくうではなくなりますし、そうなったらチーズやケーキも食べられるかも。ストレスを感じない程度にダイエット頑張ります。(^^)

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夢と感動をありがとう!

2007-08-30 23:33:19 | えりかの平安な日々 04~09
 今年の夏は本当に暑かったですよね~。体調を崩していたこともあり、私は、少し外を歩いただけで疲れてしまうという感じでした。
 しかし、季節は確実に秋に向かっているのですよね。最近、朝が涼しくて過ごしやすいです。まだまだ暑い日はあると思いますが、「もう夏も終わりに近い」という印象を受けます。

 さて、この夏も例年のことながら夏の高校野球に夢中になりました。しかも今年は、地元代表の常葉菊川高校の春夏連覇もかかっていましたのでよけいに燃えました。このことに関しては、掲示板で日光山さんと何度かやりとりをさせて頂きました。日光山さん、そのせつはありがとうございました。でも、せっかくですのでブログの記事にまとめたいと思いました。夏の高校野球が終わって1週間以上も経ってしまい、今さらという感じがしなくもないのですが、書かせて頂きますね。


 常葉菊川の春の選抜高校野球優勝に関しては、4月2日の記事「☆祝☆・常葉菊川決勝進出」、同じく3日の記事「優勝!」にも書いてお騒がせしましたが、とにかく嬉しかったです。

 当然、常葉菊川には春夏連覇の期待がかかりました。しかし、その前に静岡県大会を勝ち抜かなければなりません。静岡県の高校野球は各学校の力が拮抗しているため、どこの学校が優勝してもおかしくないというところがありますので、「かなり難しいかも…」と思っていたのですが、8月1日の記事「やっぱり強かった~」で書きましたように、常葉菊川は見事静岡県大会を征し、甲子園への切符をつかんだのでした。

 ところで、春夏連覇をした学校は今までに6校しかありません。それだけ春夏連覇というのは難しいのですよね。しっかりしたデータが手許にないのでよくわかりませんが、春に優勝した高校のうち、半分近くは夏の地区予選で敗れているのではないかと思います。甲子園に出てきても、初戦で敗退してしまう学校も少なくないです。昨年春の選抜で優勝した横浜高校も、夏の甲子園では初戦で敗退してしまいました。なので、常葉菊川の甲子園の初戦は注目でした。

 常葉菊川は1回戦は不戦勝というくじを引いたため2回戦からの登場でした。8月13日の第4試合、山形県代表の日大山形と対戦することになりました。その日の第1試合が延長戦になった関係で、試合が始まったのは夕方5時過ぎ!なのでちょうど家にいた時間でしたので、夕食の支度をしながら試合のほとんどを見ることができました。

 相手の日大山形は、昨年夏の甲子園でベスト8に入っているため、決して弱くない素晴らしいチームなのですが、ふたを開けてみるとほとんど常葉菊川の一方的な展開でした。やっぱり春の覇者は違う、強いと思いました。
 9回裏を前にして12-2でしたので、常葉菊川はエースの田中投手を降板させました。そこで、田中投手とほとんど力の差のない2番手投手の戸狩投手が出てくるのかなと思ったら、何と、出てきたのは地方大会にもほとんど投げたことのない3番手投手。多分、点差も開いているので経験を積ませたいということで出してきたのでしょうけれど、なかなかアウトが取れず、あっという間に2点を献上してしまいました。これにはちょっと冷や冷やしましたが、最後はダブルプレイでゲームセット。とにかく初戦突破できて良かった、良かった。

 常葉菊川の3回戦はその4日後の17日。相手は宮崎県の日南学園でした。こちらも甲子園に何度も出場している強豪校で、初戦は延長13回を戦い抜いたという、かなり手強い相手です。

 それで、常葉菊川はなかなか得点することができません。その上、エースの田中投手が不調で、5回に3点を取られてしまいました。すると、元々調子の良かった相手投手の調子がさらに良くなり、こちらのバッターはなかなか打ち崩すことができません。こうなるのは静岡のチームが負けるときのパターンなのです。

 ところが、思いがけないドラマが待っていました。8回裏、久々にヒットが出てランナー2・3塁に。そこで出てきたのが代打の伊藤選手でした。それを見たうちのだんなさん、一言、「期待できないな」でした。
 ところがこの伊藤選手、意外に粘っているので驚きました。そして8球目、何と、3ランホームランを打って同点になったのです!これには驚きました。そして、嬉しかったです。そう言えば静岡県大会の時もこんな試合あったなあ。リードされていても、8回・9回に1発が出て追いついてしまうのです。それを甲子園でやってくれるなんて…。

 試合は9回で決着がつかず延長戦へ。そして10回裏、常葉菊川はランナー2塁というチャンスを作ります。その時に大きな拍手とともに出てきたのが、前の打席で同点3ランを打った伊藤選手。伊藤選手は期待に応え、見事さよならヒットを打ったのでした。まさに奇跡的な勝利でした。常葉菊川が今回甲子園で戦った4試合のうち、この試合が一番感動的でした。

 あとで知ったのですが、この伊藤選手、地方大会ではベンチに入っておらず、甲子園に来てから打撃を買われてベンチ入りしたそうです。監督さんの見る目のすばらしさには恐れるべきものがあります。すごーい!

 こうしてベスト8に進出した常葉菊川でしたが、準々決勝で当たることになった相手は、何と、春の選抜の決勝の相手、大垣日大高校でした。私は、大垣日大の試合を2試合、テレビ観戦していたのですが、「春に比べて一段と強くなった」という印象を受けていました。
 しかも大垣日大の監督さん、「次は選抜の決勝の相手、常葉菊川ですが」とインタビューで問われ、「楽しいね~」と余裕たっぷりに答えているところがすごく不気味でした。というのはこの監督さん、愛知県の東邦高校を率いて何度も甲子園に出場しているベテラン監督なのですから…。

 さて、準々決勝の日、20日は私、午後2時頃から用事を入れていましたので、試合を2回までテレビ観戦し、出かけました。「今日は田中投手がいい」という印象を受けたので何となく安心でした。ところが、だんなさんとの待ち合わせ場所である島田駅にて携帯電話でチェックしてみたところ、大垣日大に1点入れられていました。でも、「相手に先行されるのは常葉菊川のペースだわ」とあまり気になりませんでした。

 その通りになり、次にチェックをしたときは2-1と逆転していました。その後間もなく、買い物のためにスーパーに入った私たちですが…、何と、店内放送で実況中継を流しているではありませんか!考えてみると島田市と菊川市は町村合併によって隣同士になったのです。しかも、島田から常葉菊川に通っている子もかなりいるとか。

 私たちがスーパーに入ったとき、ちょうど8回の裏、常葉菊川の攻撃中でした。しかもノーアウト1塁3塁という大チャンスを迎えていました。買い物のことを忘れて、どうしても実況に耳が行ってしまいます。タイムリーとエラーで2点を追加したとき、私たちも周りのお客さんもみんな拍手をしました。しかもそれだけではなく、その直後にホームランが出てまた2点追加、6-1になりました。5点差あればまず大丈夫です。そのようなわけで、ゲームセットの瞬間も、しっかり聞くことができました。静岡県勢の夏の甲子園ベスト4は34年ぶりとか。喜びもひとしおです。しかも、3回戦の日南学園戦で不調だったエースの田中投手がこの試合で完投しました。その上、良いピッチングをしたとのことで、これは大きいと思いました。

 そして翌日…、準決勝の相手は広島県代表の広島広陵高校。広島県のチームは試合運びがうまいのでこちらも強敵です。それに、静岡のチームはなぜか、広島のチームに弱いのですよね…。

 この日、私は病院診察と検査の日で、そのあとにはだんなさんの用事につき合うことになっていました。なので試合をリアルタイムで見られないため、携帯電話からチェックをしていたのですが…、前半ですでに0-3とリードされてしまいました。でも、3点差くらいならいつでも逆転できるよねと気楽に考えていたのですが…、7回にもう1点入れられてしまったようで、「これはちょっとまずいかも」と思いました。
 そして午後1時過ぎにドキドキしながら携帯電話からチェックしたところ、何と4-3と1点差になっているではありませんか!「さすが!追い上げたんだわ。あと少し…」と思って画面をスクロールしたところ「終了」の文字が…。「そうか、負けてしまったのね…」とちょっとがっかりしましたが、1点差まで追い上げたのは立派だと思いました。

 帰宅後、夕方の地元の情報番組で試合の詳細を知りました。0-4とリードされた常葉菊川は、8回裏に1点を入れたのだそうです。そして9回裏に2点を入れ、ホームランが出たらサヨナラという場面まで行ったとか…。リアルタイムで見ていたら、「絶対に逆転してくれる!」と信じて応援していたと思います。そのくらい、最後の追い上げは見事でした。春の選抜で優勝しただけでもとても嬉しかったのに、夏の県大会で厳しい試合を勝ち上がって甲子園に出てきて、甲子園でも常葉菊川らしいねばり強い野球を見せてくれてベスト4まで勝ち上がり、私たちに夢と感動を与えてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。春夏連覇と周りから言われてプレッシャーも大きかったでしょうに、よく頑張ったと思います。本当にありがとう、そして、お疲れ様でした。


 ところで、甲子園で優勝したのは常葉菊川を破った広島広陵を決勝戦で大逆転で破った佐賀北高校でした。実は私、佐賀北高校については名前すら知りませんでした。決勝戦のあとにニュースで知ったのですが、この学校はどこにでもあるような普通の公立高校で、練習場は他のクラブと共有、もちろんナイター設備もないそうです。選手も全員、地元の子とか。
 でも考えてみると、今大会、引き分け再試合あり、延長13回でのサヨナラ勝ちあり…と、甲子園の主役だったように思えます。その勢いで優勝してしまったのでしょうけれど、こうした普通の高校が優勝したことは、全国の無名校の高校球児たちには大きな励ましになったのではないでしょうか。高校野球の原点を見たような感じがしてさわやかな印象を受けました。

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最近のエリカ

2007-08-18 10:42:24 | 猫のお部屋
 久しぶりに、我が家の小さなエリカの登場です。

 まるで犬が「お手」をしているように手を伸ばし、くた~としています。かわいい♪

 この格好、エリカはよくやるのですが、今までどうしても正面からの写真を撮ることができませんでした。きのう、エリカがこのポーズをしているのを見て、「今だ!」と思ったので、だんなさんに急いで携帯電話を渡して撮ってもらいました。その写真をパソコンに移して大きくしてもらったのが本日の写真です。大きいので目がくりくりしている様子もよくわかります。

 ところでこのポーズ、どこから見ても犬ですよね~。実は、だんなさんの職場の同僚に盲導犬を持っている方がいらっしゃいます。盲導犬とそのユーザーは常に一緒に行動しますので、その方はいつも盲導犬と一緒に職場に来ます。私も2~3回お会いしたことがあるのですが、ワンちゃんがすごくかわいいのです。思わずなでなでしてしまいたくなります。そしてそのワンちゃん、上の写真のエリカと同じ格好をよくやっているのです。その格好を見たとき、「エリカと一緒だ!」と嬉しくもほほえましくもありました。…というわけで、犬のようなポーズをしているエリカを堪能して下さいませ。この格好で「ワン」と鳴いたら本当に犬だわ~。

 さて、最近のエリカの近況も書いておきますね。

 7月の終わり頃、エリカの食欲がなくなったので心配だったのですが、幸い、1週間程で食欲が元に戻りました。現在もよく食べていますので安心です。ただ、最近ものすごく暑いので、昼間はほとんど寝ていますし、エアコンの吹き出し口の近くでくた~としていることも多いです。人間だってこの暑さにまいっているのですから、毛皮を着ている猫ちゃんが暑いのは当たり前なのですけれどね。

 そして、相変わらず甘えん坊です。特にお気に入りの場所はだんなさんの膝の上、暇さえあればだんなさんに向かって「抱いて、抱いて」と甘えます。そして、夜中は私にくっついて寝ています。くっつかれて暑いけれどやっぱり幸せ。エリカちゃん、これからもパパとママをいやしてね。

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禎子内親王 ~天皇家のために生きた女性

2007-08-14 13:45:40 | 歴史人物伝
 後三条天皇というと、桓武天皇の孫班子女王を母とする宇多天皇以来の藤原氏の娘を母に持たない天皇で、摂関政治の終焉を象徴する天皇とも言われています。そんな後三条天皇の母、禎子内親王については以前から興味を持っていました。
 そこで今回は、禎子内親王を紹介したいと思います。

 では、彼女のプロフィールから。

☆禎子内親王(1013~1094)
 三条天皇の第三皇女。母は藤原道長の二女妍子。

 禎子内親王が誕生したとき、皇子の誕生を期待していた外祖父道長は、「何だ、皇女か…」と不快をあらわにしたと伝えられています。それでも彼女は高貴な内親王であると同時に権力者道長のれっきとした外孫でした。彼女の人生には華やかな舞台が用意されていたのです。

 3歳の時に着袴、さらに三后に准ぜられます。5歳の時に可愛がってくれた父の三条天皇と死別しますが、そのあとは摂関家の一員として大切にあつかわれて育てられました。

 治安三年(1023)四月、太皇太后藤原彰子の土御門第で着裳、裳のひもを結んだのは彰子でした。禎子内親王の着裳については『栄花物語』などに記載されており、調度品も儀式も大変華やかだったと伝えられています。こうしてみても、禎子内親王は道長や彰子に可愛がられていたことが想像できると思います。

 万寿四年(1027)、禎子内親王は敦良親王(後の後朱雀天皇)に入内しました。
 この入内に関しては、この二年前に敦良親王の妃であった道長の娘、嬉子が親仁親王を出産後間もなく薨じているので、道長にしてみればその後釜という意味もあったと思います。敦良親王の妃候補としては、禎子内親王と同じく道長の孫である、教通の娘生子という選択肢もあったのですが、道長は、高貴な内親王である禎子内親王を選んだのかもしれません。

 しかし、15歳の禎子内親王は婚姻の当日になっても入内を嫌がって泣いてしまい、なかなか車から降りようとしなかったという話も伝わっています。それでも入内後は、敦良親王との仲はわりとむつまじく、二人の間には良子内親王、娟子内親王、尊仁親王が生まれました。

 敦良親王は長元九年(1036)に兄の後一条天皇のあとを受けて踐祚します。つまり後朱雀天皇です。それに伴い、禎子内親王は翌年長暦元年(1037)二月に中宮に冊立されました。

 ところが、禎子内親王が中宮になる前の長暦元年正月、頼通の養女(女原)子(実父は一条天皇皇子敦康親王)が入内し、3月に中宮に冊立されます。これに伴い禎子内親王は皇后と称されることとなります。

 当時、一条天皇中宮彰子に対して皇后定子、三条天皇中宮妍子に対して皇后(女成)子など、中宮は後ろだてに強い権力を有している后、皇后は後ろだてのない后という風潮がありました。禎子内親王の場合、頼もしい後見役になってくれるはずの祖父道長はこの時すでに薨じており、母の妍子も世を去っていました。つまり後ろだてがなかったのです。聡明な禎子内親王はそのあたりをしっかり理解していたと思われます。さらに禎子内親王にとっては、「皇子を生んだ私という后がありながら、自分の娘を割り込ませてくる頼通が許せない!」という感情を強く持っていたと思います。(女原)子が中宮に冊立されたことによって禎子内親王は後宮を下がり、後朱雀天皇が「後宮に戻ってきて欲しい」と勧めても戻ろうとしませんでした。

「皇子を生んで欲しい」という頼通の期待を一身に受けて入内した(女原)子でしたが、二人の皇女をもうけたあとに24歳という若さで亡くなってしまいます。それを待っていたように、今度は教通が娘の生子を入内させます。まだ(女原)子の喪が明ける前でしたので頼通は激怒、二人の兄弟仲は険悪なものになっていきました。さらに頼宗(頼通・教通の異母兄弟)も娘の延子を入内させます。このように、当時の貴族たちにとって、娘を入内させて皇子を生ませ、天皇の外戚になることは、権力の伸長を図る上で欠かせないことだったのです。が、どの妃にも皇子が生まれませんでした。そして間もなく、後朱雀天皇は病を得て崩御します。後朱雀天皇の皇子は結局、東宮に立てられていた親仁親王と、禎子内親王が生んだ尊仁親王の二人だけでした。当然のことながら、尊仁親王は後冷泉天皇となった親仁親王の東宮に立てられます。

 ところでその頃、禎子内親王と尊仁親王は強い絆で結ばれていました。というのは、後朱雀天皇の踐祚に伴い、良子内親王は伊勢斎王に、娟子内親王は賀茂斎院に卜定され、母の許を離れていったからです。一人残った尊仁親王は幼いながら、母の哀しみや寂しさを理解していたと思いますし、禎子内親王にとっても尊仁親王はただ一つの希望でした。そんな尊仁親王が東宮に立てられたことは、禎子内親王にとっては大きな喜びでした。

 ところが頼通は、尊仁親王が藤原氏腹の皇子でないという理由により、東宮累代の宝物である「壺切剣」を親王に渡さなかったそうです。(『江談抄』)。『栄花物語』は、この時期の禎子内親王の頼通に対する不信感が記されているようです。(女原)子の中宮冊立に始まる二人の対立はまだ続いていたのでした。
 頼通に関して私は、角田文衞先生の「平安の春」の影響で、心の優しい、ちょっと気弱なお坊ちゃんというイメージを持っていたのですが、禎子内親王や尊仁親王に対しては意外と執念深かったのですね~。それだけ頼通は焦っていたのかもしれませんね。父道長の築いた摂関体制を継承するため、何とか娘に皇子を生ませたかったのでしょうけれど、(女原)子は皇子をもうけることなく亡くなり、藤原祇子との間にもうけた寛子はまだ幼くて入内できないでいたのですから…。

 その後頼通は、成長した寛子を後冷泉天皇の後宮に入れますが、ついに皇子をもうけることはありませんでした。後冷泉天皇の他の后妃たちにもなぜか皇子が生まれず、皇位は藤原氏の娘を母としない尊仁親王に移ります。治暦四年(1068)、尊仁親王は踐祚、後三条天皇となります。

 これより先、禎子内親王は寛徳二年(1045)七月に出家をしています。法名を妙法覚と称しました。永承六年(1051)皇太后となり、治暦四年(1068)後三条天皇の踐祚に伴い、太皇太后となります。

 翌延久元年(1069)、院号(陽明門院)が授けられます。女院号を授かったことにより、禎子内親王は調停から上皇と同じ待遇を受けることとなりました。その発言力は絶大なもので、朝廷・後宮・政界に大きな影響を与えたと伝えられています。嘉保元年(1094)正月十六日、鴨院において疱瘡のため崩御。時に82歳でした。

 禎子内親王は摂関家の娘として入内したわけですが、頼通・教通・頼宗の外戚制作によって失速した生活を送り、結果的には摂関家と対立していきました。しかし、頼通らの外戚制作が失敗したため摂関家の力が衰え、禎子内親王はゴッドマザーとして朝廷で大きな発言力を持ちました。彼女は後三条天皇の子である貞仁親王(後の白河天皇)や、その子供たちにまで手をさしのべています。つまり、天皇家のために身を捧げた一生だったというイメージを受けます。
 入内を嫌がって泣いていた少女が様々な苦悩を乗り越えて成長し、発言力を持った一人の女性となった姿を思うとき、私は彼女に女性として、母としての強さを感じます。見事な生き方だと思います。

 ついでに、禎子内親王・後三条天皇親子を支えていたのが道長の息子の一人である能信だったということも注目していいと思います。能信の妻は閑院流藤原氏の藤原実成女であり、養女の茂子は東宮時代の後三条天皇の妃となり貞仁親王を生みました。つまり、禎子内親王は結果的には、新興勢力である閑院流藤原氏の繁栄の基礎をもたらしたわけです。新しい時代を作った女性とも言えそうです。

☆参考文献
 『平安時代史事典 CD-ROM版』 角田文衞監修 角川学芸出版
 『歴史のなかの皇女たち』 服藤早苗監修 小学館

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色々です♪

2007-08-08 18:09:58 | えりかの平安な日々 04~09
約1週間ぶりのブログ更新です。でも日記です。歴史記事を楽しみになさっていらっしゃる方、すみません…。

 では、タイトル通り色々と書いてみますね。


1.病院診察の日

 今週の月曜日、2週間ぶりの病院診察を受けてきました。

 その二日前、だんなさんが私の血圧を測ってくれたのですが…、相変わらず高かったのでどうしてなのかなと落ち込んでしまい、おまけにめまいもして体調が悪かったので、病院診察がかなり憂鬱でした。案の定、血圧は高いし、食事制限をしているのに体重は少しも減っていないし…。そこで、血圧の薬が別のものに変わりました。

 それから、もっと気持ちを楽に持つようにと言われましたが…。やはり、私のこの状態の7割は太りすぎのせいなのでしょうけれど、残りの3割は精神的に不安定なためなのかもしれません。主治医の先生はそこの所もわかっていらっしゃるようです。

 でも、肝臓の値が良くない。多分脂肪肝になっているのだろうけれど、状態を詳しく見たいのでということで、21日に腹部エコーの予約を入れられました。ついでにその日には血液検査もやって下さるそうです。肝臓が悪いと言っても自覚症状がないのであまりぴんと来ないのですが…。
 専門学校で解剖学を教えているだんなさんの話によると、「肝臓は沈黙の臓器、よほど悪くならないと自覚症状は出ないよ。」とのこと。でも、感情を司る臓器なので、やる気がなくなったり疲れやすくなったりするとのこと。うーん、やっぱり私、肝臓が良くないのかな?どうか悪い病気にだけはなっていませんように。そして、血液の状態が少しでも良くなっていますように。

 そのようなわけで、暑さのせいもあり、このところ体調があまり良くないです。少し外を歩いただけで疲れてしまうし、時々めまいはするし…、やっぱり今の私は、病気の一歩手前なのだなと実感します。焦っても仕方がないので、気長に治療をして治していきます。

 ところで、私の主治医の先生、私よりも年上だとずっと思っていたのですが、だんなさんの話によると3~4歳若いようです。びっくり~。そんな風には見えなかったです。それに、お医者さんって自分より年上というイメージがあったのですよね…。私も年を取ったのね。


2.来年の大河ドラマ「篤姫」

 NHKさんのサイトの「こちらのページ」で、島津家の分家から徳川十三代将軍家定の御台所となり、家定の死後は徳川家の女あるじとして見事に生き抜いた女性を描いた来年の大河ドラマ「篤姫」のキャストの一部が発表されました。

 このドラマの原作は宮尾登美子さんの「天璋院篤姫」という小説ですが、実は私、20年近く前に読んだことがあります。天璋院については、永井路子さんの「歴史をさわがせた女たち 日本編」で取り上げられていて、徳川家の幕引きを見事に演じたということで興味を持ちました。そのあとたまたま本屋さんで「天璋院篤姫」の上下二巻を見かけ、「ああ、あの天璋院を描いた小説があるんだ~」と感激し、即購入して読み始めたというわけです。幕末については知識がほとんどなかったものの、圧姫という女性がとても魅力的に描かれていて、なかなか面白かったです。

 しかし、この小説が1年間の大河ドラマになると知ったときはちょっと複雑な気持ちでした。古代史大河を期待していたこともありますが、全2巻の小説を大河ドラマで取り上げるにはちょっと無理があるのではないかなと思ったのです。このくらいの分量の小説なら、木曜時代劇で取り上げた方がいいのではないかなと…。

 それで今回UPされたキャスト等の情報を見て感じたことは、どうやら原作にはない篤姫の薩摩での少女時代にかなりスペースが割かれるようです。篤姫の幼なじみとか、親友なんて原作には一切登場しなかったと思いますので…。当然、このあたりは脚本家のオリジナルストーリーということになります。そこで、篤姫のキャラクターが変えられてしまうのではないかと、かなり不安です。でも、キャストはわりと豪華みたいですし…。少しは期待していいのですよね、NHKさん…。


3.読書の夏

 7年程前に一度読んだことのある黒岩重吾さんの小説、「天風の彩王 藤原不比等(講談社刊)」を再読し始めたところ、これがなかなか面白く、かなり夢中になっています。と言うか、このところ平安や源平をあつかったものを読むことが多かったので、古代史ものはすごく新鮮に感じます。それに何より、主人公の不比等さんは私の大好きな藤原氏の方々のご先祖様ですものね。(^^)

 それでこの小説なのですが、藤原不比等の幼少時代から始まり、父の死、壬申の乱、天武朝を経て、不比等が次第に実力をつけていく姿を描いたものです。天智帝の信任が厚かった鎌足の嫡子でもあり、壬申の乱で中立の立場を取ったために天武朝ではあまりふるわなかったものの、その策謀家ぶりと才気ゆえに次第に朝廷内で頭角を現し、ついに朝廷の実力者になっていく経過を、多彩な人物と絡ませながら描いていきます。
 不比等はかなりの策謀家に描かれていますが、やんちゃなところもあり憎めないです。持統天皇、草壁皇子を始め、この時代の有名人も総登場しますので興味深いです。これから先を読むのが楽しみです。読書の夏を思いっきり楽しみますね。

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やっぱり強かった~

2007-08-01 21:40:18 | えりかの平安な日々 04~09
 昨日、掲示板に書きましたように、夏の高校野球県予選の決勝が本日行われました。そして、これも掲示板に書いたのですが、私、今日は用事で外出しており、テレビで観戦することができませんでした。それで、携帯電話から途中経過をチェックしていたのですが…、選抜優勝の常葉菊川はやっぱり強かったです!!0-2と静岡商業に先行されながら、7回に一挙7点を入れて逆転、そのあとも2点を追加し、9-2で勝って甲子園への切符をつかみ、春夏連覇の夢に挑むことになりました。

 しかし、常葉菊川は決して、楽な試合をして勝ち上がったのではありません。実は静岡県の高校野球は各学校の力が拮抗していて、どの学校が優勝しても決しておかしくないのです。なので、甲子園への出場校は毎年コロコロと変わりますし、強豪校とか優勝候補とか言われた学校が早々と敗退してしまうことも少なくないのです。今年も、優勝候補と言われた第1シードの学校が3回戦で敗退してしまいました。

 ところで、このシード校というのは1回戦が不戦勝になっている学校で、春の大会のベスト8がそのままシード校になります。ところが、常葉菊川は特待生問題で主力選手のほとんどが春の大会に参加できず、早々と姿を消してしまったため、シード校になることができませんでした。当然、1回戦からの出場ということになりました。

 それで、決勝まで7試合を戦ったわけですが、ほとんどの試合が逆転勝ちで冷や冷やものでした。特に、3回戦の日大三島戦、相手に4点を先行されて9回にやっと追いついて延長戦へ…、しかし、10回・11回とサヨナラ負けのピンチがあり、それをしのいで13回に5点を入れ、結局9-5で勝ったのでした。4回戦の静岡高校戦も先行され、9回1アウトからのホームランでやっと追いつき、延長戦で勝ちました。でも、これって底力がある証拠なのではないかと思いました。ひょっとしたら…と思い始めたのはこの頃からです。

 そして、昨日の準々決勝もサヨナラ勝ち、今日の決勝戦も終盤での逆転勝ちでした。地元の選抜優勝チームをまた甲子園で見られるのはとっても嬉しいです。ぜひ頑張ってもらいたいです。皆様もぜひぜひ注目してあげて下さいね。

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