平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

誕生日の1日

2010-01-27 22:00:37 | えりかの平安な日々 10~18
 今年も、無事に誕生日を迎えることが出来ました。年を取ることは複雑な気持ちですが、自分の生まれた記念日はやはり嬉しいものです。

 でも、今年の誕生日はだんなさんが仕事だし、掲示板にも何回も書いていますように、猫のエリカは具合が悪くなって入院してしまって家にいないし…。ちょっと寂しいです。

 エリカが具合が悪くなった原因は、やっぱり、腎臓が少し悪くなったからでした。猫の腎臓病は老化現象のようなもの。12歳の猫の9割りは腎臓が弱くなっているそうです。

 エリカも12歳になったばかりの時、腎臓が少し弱っていると言われました。
 そこで療法食を与えてみたものの全く食べなかったので、前に住んでいた所で通っていた病院から7歳以上用のキャットフードを買って、その中にネフガードという薬を混ぜてあげていました。それで、ずっと元気でいたのですが、年が明けたくらいから食欲が落ち始め、今週の日曜日にはすっかり元気がなくなってしまったので、一昨日、病院に連れて行き、すぐに入院になりました。このところ、とても寒い日が続いたので、エリカもまいってしまったのでしょうね…。

 そんなわけで、だんなさんもエリカもいない家の中が広く感じました。それでもエリカが少しずつ回復しているので、落ち着いた1日を過ごすことが出来ました。

 午前中にはネットサーフィンをしたり、携帯にお祝いメールをくれた友人と電話でおしゃべりしたりしてあっという間に過ぎてしまいました。昼食には、ゆでたスパゲッティーに、1週間前に作ったミートソースの残りを冷凍してあったものを解凍して暖めたものをかけて頂きました。おいしかったです。そのあと、夕方にエリカに会いに行くことになっているので、早めに夕食の支度をしました。

 4時に家を出て歩いて20分くらいの所にある病院へ。一人で病院まで歩くのは今日が初めてです。
 幸い迷うこともなく、到着…するはずだったのですが、病院がなかなか見つけられずやっぱり迷ってしまう。ちょうど通りかかった人がいたので、「このあたりに動物病院があると思うのですがどこですか」と尋ねたところ、親切に連れて行って下さいました。なんと、道を尋ねた地点から10メートルくらいしか離れていませんでした。そんなわけで無事に到着。

 エリカは寝ていたようで、私が行っても鳴かなかったので、「やっぱり元気がないのかな?」と思ったのですが、さわったとたん、パット起きあがり、「ニャー」と鳴きました。病院の先生も少し驚いたようです。
 しかも、私の指をほんの少しなめてくれました。指をなめるというのは食欲がある証拠なのです。今回、元気がなくなってしまったときも、10年前に胃腸炎をやったときも、食欲がなくて指をなめようとしませんでしたから、少しでも指をなめたというのはかなりの進歩です。

 でも、まだまだ決して良くない状態なのだそうです。実は、食欲を促進する薬を使わないとまだ食事をしないとか。でも、血液の数値は少しずつ良くなってきているので、決して悲観しなくてもいいそうです。良かった~。家に帰ってきたら思いっきり甘えさせてあげなきゃ。そんな誕生日の1日でした。

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王朝女流歌人抄

2010-01-20 12:17:08 | 図書室2
 今回は、昨年の暮れに読んだ平安時代関連の本を紹介します。

☆王朝女流歌人抄
 著者=清水好子 発行=新潮社

内容(「BOOK」データベースより)
 美麗な衣の下で、ひそかに心をときめかし、苛烈に競い、その真情を歌に托した女性たち―。その生涯をたどり時代を見つめ、彼女たちの才華を愛でる著者が、積年の想いを、源氏物語の背景とも重ねて、その歌底にひそむ、心の襞を繙いた待望の書。

[目次]
 伊勢
 斎宮女御徽子女王
 和泉式部
 右大将道綱母
 清少納言
 赤染衛門

*現在では絶版のようです。興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。

 平安時代中期の6人の女流歌人を取り上げ、彼女たちが遺した家集を中心に和歌を紹介しながら、その生涯に迫った本です。

 では、この本を読んだ私の感想を、歌人ごとに簡単に書いてみますね。

☆伊勢

 「伊勢集」の書き出しが、「源氏物語」の書き出しと酷似していて驚きました。紫式部は、「伊勢集」を意識して「源氏物語」の冒頭部分を書いたのかもしれませんね。
 伊勢というと、藤原仲平や宇多天皇、敦慶親王との恋で有名ですが、宮使え先の主人の宇多天皇中宮、藤原温子(藤原基経女)とも、堅い主従関係で結ばれていたようで、伊勢の新しい一面をかいま見たような気がしました。

☆斎宮女御徽子女王

 この方は何と言っても、交際範囲が広く、様々な人と歌のやりとりをしています。
 夫の村上天皇とはもちろん、継母であり後宮の競争相手でもあった貞観殿尚侍藤原登子(藤原師輔女)、馬の内侍、源順、また、村上天皇皇女の資子内親王や選子内親王(いずれも徽子女王の産んだ皇女ではない)など…。徽子女王が様々な人たちから慕われていたことを、改めて感じました。

☆和泉式部

 和泉式部というと、為尊親王や敦道親王との恋で有名ですが、最初の夫、橘道貞との贈答歌も意外に多いことに驚きました。また、家集からは、晩年にも年若い恋人がいたらしいこともわかるそうです。和泉式部は何歳になっても恋する心を忘れなかった女性なのかもしれませんね。
 ただ、娘の小式部内侍に先立たれたときに詠んだ哀切な挽歌が紹介されていなかったのがちょっと残念でした。

☆右対照道綱母

 言わずと知れた、「蜻蛉日記」の著者。
 なのでこの章は、主に「蜻蛉日記」から歌を紹介しています。彼女が詠んだ歌は、日常生活の中での恋愛の歌が中心で、物詣に出かけた時など、旅行中にはほとんど歌を詠まなかったようです。風景に絡めて恋情をつづった歌なども詠んで欲しかったですね。

☆清少納言

 清少納言は、「枕草子」の中では、楽しいことや美しいことを中心に書いていて、日常生活の苦悩についてはほとんど書いていません。しかし家集には、恋の苦しみを綴った歌もあるようで意外でした。
 ただ、清少納言の家集は散逸している部分が多いそうです。もっと完全な形で現在まで残っていたら、私たちは清少納言についてもっと知ることが出来たのに…と、ちょっと残念に思いました。

☆赤染衛門

 夫の大江匡衡を支える賢夫人というイメージが強い赤染衛門ですが、若い頃の恋人、大江為基のことをずっと忘れなかったようです。彼女が晩年に編んだ「赤染衛門集」は、為基を追慕する目的で作られたとも言われているそうです。彼女もまた、恋多き女性だったのかもしれませんね。

*赤染衛門については、当ブログ内のこちらのページもよろしければご覧になってみて下さい。

☆まとめ
 「王朝女流歌人抄」を読んで、平安時代は歌を詠むのが日常的だったということを再認識させられました。現代でいうとメールのようなものなのかもしれません。
 そんな彼女たちが詠んだ歌の意味を理解するのはなかなか大変ですが、この本では、一つ一つの歌の意味についても現代語訳されているので、内容がわかりやすいと思います。

 それと、この本のもう一つの特徴は、各章の冒頭に、その章で取り上げている歌人の詳しい系図がついていることです。
 伊勢や道綱母は藤原北家の人で、遠縁ながら藤原摂関家と血縁関係がありますし、清少納言は天武天皇の血を引いています。このように、和歌だけでなく、彼女たちの系譜も興味深いです。


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嬉しかったこと、でも、ちょっと心配なことも…

2010-01-15 12:21:32 | えりかの平安な日々 10~18
 寒いですね。そのためか最近、我が家の小さなエリカがあまり元気がないです。老猫なので体調不良は仕方がないのですが、やはり心配ですね。
 昨日は朝から外出していたのですが、私たちの留守中、部屋が暑すぎるのではないかと心配したことは何回もあるのですが、寒すぎるのではないかと心配するのは今回が初めてです。今日は私が家にいるので、エアコンをかけて部屋を暖めています。エリカはエアコンの吹き出し口のすぐ近くに敷いた毛布の上で丸くなって寝ています。このまましばらく寝かせておきます。

 さて、昨日は外出したと書きましたが、掲示板にも少し書きましたとおり、4週間に1度のいつもの病院に行ってきました。血圧は正常、体調もいいし、特に問題がある所はないようです。

 そして、月に一度の体重測定も受けました。嬉しいことに、1、5キロ、減っていました。(^^)
 やはり年末から始めた毎日の腹筋運動と、10~15分の駆け足の効果でしょうか。なぜなら、この1ヶ月間はクリスマスとお正月でたくさん食べましたから。クリスマスにはチキンをおなかいっぱい食べ、お正月はご馳走を食べ、夜食にお餅を焼いて食べ、ワインを飲みながらチーズを食べ、極めつけはこの1ヶ月間に2回もケーキを食べました。これだけ食べていたので、1、5キロも減ったなんて信じられないです。

 でも実は、先月の体重測定で体重の新記録を更新してしまっていて、今回1、5キロ減ったといってもまだまだ太りすぎ、標準体重をはるかにオーバーしているという状態なのです。それでも運動して体重が減ったのは嬉しいですね。なので、これからも大変だけど運動を続けていきます。風邪をひいたり、足をねんざして運動できなくなったらすぐに体重が増えてしまいそうなので、病気と怪我には気をつけなくては。もちろん、夜食も辞めなくてはいけませんね。頑張ります。

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斎王の森 ~斎王に逢う旅6

2010-01-13 11:50:30 | 旅の記録
*斎宮歴史博物館は、平成21年12月から平成22年3月まで耐震補強工事のため臨時休館されるそうです。詳しくは、斎宮歴史博物館のホームページでご確認下さいませ。

 特別展「伊勢物語 ー狩の使と斎宮」を見終わった時は、すでに午後2時を少し回っていました。
 ここで、このあと用事があるというE先生とお別れ。お忙しい中、私たちのために時間を作って下さり、貴重なお話をたくさん聞かせていただいて本当にありがとうございました。

 こうして斎宮歴史博物館をあとにし、E先生が手配して下さった地元のボランティアガイドのSさんのご案内で斎宮の史跡巡りに出かけます。外は今朝の雨が嘘のようにすっきりと晴れ上がって鋳ました。ありがたいことです。

 現在の斎宮は、町全体が史跡になっている雰囲気です。自然も豊で、人もあまり歩いていませんでした。斎王として下向してきた皇女たちの歌碑が並んでいる道もありましたし。少し気になったのですが、時間もあまりないのでさあっと通り過ぎることになってしまい、残念でした。こうして15分くらい歩いたでしょうか。最初の目的地、「斎王の森」に到着です。

 「斎王の森」、心引かれる名前です。ここは長いこと、斎宮跡であると言い伝えられていた場所なのだそうです。そして、昭和40年代になって、この近くから斎宮の遺跡が発見されたのですから、伝説は真実だった…ということですよね。しかし、斎宮の森の東側を発掘した結果、大きな建物は出てこなかったのだそうです。どうやらこのあたりは、斎宮の乾の守りである祭禮の場ではなかったかということです。(「伊勢斎宮と斎王」)による)

 では、斎王の森に近づいてみましょう。


  


 緑の森と鳥居のコントラストが美しいです。うっそうとした森からは、今にも白い装束を着た斎王が現れそうな雰囲気です。

 斎王の森のかたすみに大伯皇女の歌碑が建っていました。


  


 歌碑には次のような歌が刻まれています。

 わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露に わが立ち濡れし

 大伯皇女(大来皇女とも)は正史に現れる最初の斎王で、大海人皇子(のちの天武天皇)の皇女として、(斉明七年(661)に誕生しました。母は中大兄皇子(のちの天智天皇)の皇女の大田皇女です。同母弟に大津皇子がいました。

 大伯皇女はまだ幼いとき、母と死に別れました。母と子の絆の強いこの時代、母がいないということは致命的なことでした。彼女は、弟の大津皇子と肩を寄せ合うようにして成長したものと思われます。よって、二人は普通のきょうだいに比べてずっと強い絆で結ばれていたのでしょうね。

 天武二年(773)、前年の壬申の乱に勝利した大海人皇子は飛鳥浄御原の都にて即位します(天武天皇)。大伯皇女が斎王として伊勢に遣わされたのはその翌年のことでした。
 天武天皇は壬申の乱に勝利できたのは、伊勢の大神側が身を護ってくれたためであり、そのことに感謝し、あわせて天皇の身に備わっていた深い敬神の念をこめて、娘を伊勢に送ったのでした。

 ところで、天武天皇の皇后に立てられたのは、大伯皇女・大津皇子姉弟の母の妹に当たる菟野讃良皇女(のちの持統天皇)でした。そして、皇后の一人息子、草壁皇子が皇太子に立てられます。
 しかし天皇は、才気があって頭も良く、有能な大津皇子を惜しみ、「皇太子の次の位の皇子」として政治に参加させたりもしていたようです。つまり、皇后にとって大津皇子は、我が子草壁皇子のライバルとして脅威の存在だったとも言えそうです。

朱鳥元年(686)、天皇が病に倒れ危篤となると、皇后は天皇に代わって政治を執り行い、大津皇子を遠ざけるようになります。
 大津皇子は身の危険を感じたのでしょうか。それともこれから起こりうる自分の運命を悟ったのでしょうか。密かに都をあとにし、大伯皇女のいる伊勢に下ります。

 伊勢斎宮にて、十数年ぶりに会った二人はどのような会話を交わしたのでしょうか。おそらくつもる話で会話がとぎれなかったのでは?しかし、この逢瀬が生涯最後のものであることもわかっていたのかもしれません。

 斎王の森のかたすみに建てられた歌碑に刻まれた歌は大伯皇女が、飛鳥浄御原の都に帰る大津皇子を見送ったときに詠んだ歌です。夜あけの露がしっとりと身をぬらすまで、私はいつまでもいつまでも、あなたの立ち去った彼方を見送っていましょう。」という意味です。その後の大津皇子の運命を考えると、この歌はとても哀切な響きがあります。

 大津皇子が都に帰って間もなく、朱鳥元年(686)九月、天武天皇は崩御します。そして、それから一月も経たないうちに、大津皇子は謀反の疑いで捕らえられ、斬首されてしまうのです。

 天皇の崩御、それに続く大津皇子の死によって斎王の任を解かれた大伯皇女は、弟のいない飛鳥浄御原の都に帰京します。彼女は大津皇子に向けて挽歌を何首か詠んでおり、これらの歌は「万葉集」によって今日まで伝えられています。
 こうして大伯皇女は、大津皇子の冥福を祈りつつ、大宝元年(701)にひっそりと世を去りました。

 斎宮で過ごした13年という長い年月、大伯皇女はどのような気持ちでどのような日常を過ごしていたのでしょう?神に仕えると同時に、都に残してきた弟のことをいつも心にかけていたのではないでしょうか。そして、斎王を退下したあとの彼女の後半生は、亡き大津皇子への哀切な思い一筋で毎日を送っていたのでは…と思います。そんな大伯皇女に思いをはせつつ、斎王の森をあとにしました。

☆参考文献
 『伊勢斎宮と斎王 祈りをささげた皇女たち』 榎村寛之 塙書房
 『万葉の女性たち』 山本藤枝 立風書房

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今年のお正月

2010-01-08 23:31:20 | えりかの平安な日々 10~18
 今さらですが、今年のお正月の報告を…。

 昨年と一昨年は、近くのスーパーのお総菜屋さんから御節料理を取り寄せたのですが、スーパーが閉店してしまったため、今年はそれができませんでした。
 そこで、煮しめと干ししいたけの含め煮を手作りし、あとは、伊達巻き、かまぼこ、まぐろのお刺身、カニ、チーズやハムなどをあちらこちらのお店で買ってきました。なので、今年もお正月から贅沢なお料理を食べることが出来ました。もちろんダイエットも休止です。でも、お正月くらいはいいかなと思いまして…。

 それから今年も、だんなさんの母校が2日・3日に行われた箱根駅伝で優勝しました。だんなさんは泣いて喜んでいました。私も、だんなさんが応援しているのを見るとついついつられて、一緒に応援してしまいます。なのでとても嬉しかったです。

 それにしても今年も、5区の柏原くんの山登り、すごかったですよね。去年、あれだけ驚異的な走りをしたので、今年はどうなのかな?と、正直言って心配だったのですが、今年も6人抜きの快走、しかも2位に3分半の差をつけて往路優勝ですからすごいです。復路も、一度も首位を明け渡すこともなくそのままゴールしました。

 そこで、3日の日は祝杯を挙げようと思ったのですが、前の日もワインを飲んでいたので二日酔気味だったため、その日は私は昆布茶、だんなさんはコーヒー、カニのボイルしたものをおつまみに乾杯しました。

 お正月のその他の出来事というと、日光山さんから情報を頂いた、静岡駅前に出来たという、家康公と竹千代君の銅像を見に行ってきました。
 竹千代君の銅像は駅のすぐ前にあってすぐ見つかったのですが、家康公の銅像はそこからぐるっと回り道をして200メートルほど行った所にあり、探すのに苦労しました。竹千代君の銅像は小さめでかわいらしく、家康公の銅像は大きくて立派でした。どちらも写真を撮ってきたので、今月中くらいに「静岡大好き」のカテゴリで紹介しますね。

 …というわけで、年が明けてすでに1週間、経ってしまいました。そろそろ「斎王に逢う旅」の記事も準備しなくては。でも、明日からまた3連休なのよね。またお正月気分が戻ってしまわないか心配ですが、ブログもダイエットもマイペースでやっていこうと思います。

☆写真は、だんなさんの大学の帽子です。だんなさんは1年生の時、1週間のうちの半分くらい、この帽子をかぶって大学に通っていたそうです。


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2010年 年賀状

2010-01-06 12:15:28 | 美術館
☆★☆皆様、明けましておめでとうございます☆★☆

 旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 2009年が皆様にとって幸い多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 さて、私の今年の目標ですが、やはりブログ作成を頑張りたいと思います。まず、「斎王に逢う旅」完成させなくては。そのあとは「系譜から見た平安時代の天皇」と「図書室」を更新したいですね。もちろん人物伝もやってみたいです。やりたいことはたくさんあります。でも、更新は今年もゆっくりかも?そのようなわけで、今年も「平安夢柔話」をどうぞよろしくお願いいたします。

 そしてもう一つの目標はダイエットですね。

 昨年末の病院診察で、肝臓の値が悪くなっていること、体重が増えていることがわかったので、10日程前から室内でも出来る運動、腹筋運動と駆け足を始めました。
 本当は外でジョギングするのが一番良いのでしょうけれど、私は視力の関係で一人で走ることが出来ません。それで、昔、鍼灸治療院をやっていた部屋で駆け足を1日10分ほどやっています。今のところ、3分くらいでふくらはぎが痛くなってくるので、途中でスピードを落としたりもしているのですが、最終的には30分くらい続けて駆け足できるようになるといいなあ。そうしたら少しはやせるかな?と思っています。頑張ります。

 それから、忘れてはいけない…、今年2010年は、平城遷都1300年なのですよね。なので久しぶりに奈良に行ってみたいですね。そして、奈良時代や万葉集に関する本も読んでみたいです。今年も良い本にたくさん巡り会えますように。

 写真は、我が家の今年の正月飾りです。

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初詣

2010-01-02 12:00:41 | えりかの平安な日々 10~18
 寒い年明けになりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 大晦日~元旦にかけての夜はものすごい強い風が吹いていました。こちらは普段、ほとんど雪が降らないのですが、夜中に雪が降ったようです。もちろん、元旦の朝はとても寒かったです。

 それにもかかわらず、朝10時前に家を出て、近くの神社に歩いて初詣に行って来ました。とにかくものすごく冷たくて強い風、おまけに小雪が舞っています。だんなさんは、「こんなに寒い元旦は生まれて初めてだ」と言っていました。

 元旦に初詣なんて何年ぶりでしょうか。でも、神社は元旦ならではの華やかな雰囲気に包まれていました。元旦の初詣は気持ちからして何か違いますね。お参りをしたあと、神社で振る舞われていた御神酒を頂きました。私はお酒はあまり飲まないのですが、縁起物ということでおいしく頂きました。

 神社には元日ならではの屋台も出ていたので、たこ焼きとお好み焼きを買いました。お昼ご飯に頂きましたが、おいしかったです。

 そして、今年の干支、寅の置物も買ってしまいました。白い寅と赤い子寅のセットです。上に写真を載せてみました。寅の両側にはみかんを置いてみました。
 寅は猫科なので、何となく猫と似ていてかわいいです。ずっと前、寅を特集した番組を見たことがあるのですが、顔がエリカと似ているのでびっくりしたことを思い出します。そんなわけで、今年はエリカにも活躍してもらわなくては。何よりも元気でいて欲しいです。

 そのようなわけで、今年も良い年になりますように。

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「えりかの平安な日々」が新しくなりました

2010-01-01 00:16:43 | えりかの平安な日々 10~18
 以前の日記のページが150記事近くになったので、年が改まったのを機にURLを変更して、新たに書き始めることにしました。
 これからも、私の日常、主にお出かけやグルメレポートが多くなるかもしれませんが、気ままに好きなことを書いていこうと思っています。良かったらトップページの「えりかの平安な日々」をクリックして時々のぞいてみて下さいませ。今後ともよろしくお願いします。

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