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平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
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大河ドラマ「義経」第23回&丹後局

2005-06-15 16:13:41 | 2005年大河ドラマ「義経」
大河ドラマ「義経」第23回の感想です。

 今回も、頼朝・義経・義仲のそれぞれの性格や考え方の違いが、とてもうまく描かれていたように思いました。
 特に、上洛したことに有頂天になり、何も見えなくなっているような感じの義仲や、相変わらず女々しくて貴族的気持ちの抜けない義経に比べ、「上洛はしばらく待つ。法皇から頼まれて仕方なく上洛する……という形を取った方が、相手に恩を売ることにもなり、こちらが有利になるからな。」と冷静に計算している頼朝はさすがだと思いました。こういう人でないと、真の武家の棟梁には絶対になれませんよね。

 また、相も変わらぬドラマの創作だと思われる、義経と義仲の対面の場面も二人の性格の違いが現れていて見応えがありました。あくまでも理想を追い求めてしまう義経と、現実的な義仲といったところでしょうか。でも、義経の口から義高の名前が出たとたん、一瞬父親の顔になり「どうしておる?」と言った義仲がとても印象的でした。
私はこの場面を観る限り、義仲の方が義経よりもずっと魅力的に思えました。

 でも、上洛した義仲は貴族社会のことがちっともわかっていないようですね。後白河法皇との対面の時も、すでに八条院蔵人に補されたことのある行家の方が先に法皇に返事をするのは当然であって、無官の義仲は顔を上げることも許されないはずです。その当たりをわかっていない義仲を見て、「何とも粗野だな。」と後白河法皇は言っていましたが、そう思われてしまうのは当然でしょうね。

さて、今回いよいよ平家が都落ちをしました。でも、都落ちの描かれ方はとても不満でした。忠度と俊成の歌の話や、経正が琵琶の名器「青山」を仁和寺に返す話などは、義経や源氏の武将たちと直接関係ないので、百歩譲ってカットされても仕方がないかなという気はしますが(本当はカットして欲しくなかったですけれど…)、頼盛と維盛の話は絶対にカットして欲しくなかったです。

 頼盛は、途中まで都落ちする平家の一行と行動を共にしていたようですが、途中で都に引き返してしまいました。頼盛はこの時点で完全に平家と袂を分かつことになったわけですね。
 もっとも頼盛は、第20回の感想でも書きましたが、頼朝の命乞いをした池禅尼の息子であったことや、平家と対立していた八条院子内親王の許に出入りしていたことなどから、平家一門とは以前から孤立していたような所がありました。
 そこで、宗盛の息子清宗と頼盛の娘を結婚させることによって、頼盛をしっかり一門に取り込もうとしたわけです。しかしドラマでは、二人の結婚のことは取り上げて描いておきながら、なぜか肝心な頼盛の都落ちからの脱落については無視していました。
頼盛はこのあと、頼朝に招かれて鎌倉にも下っています。義経との接点はないかもしれませんが、頼朝とは大きく関わりを持つ重要な人物です。
 また、一ノ谷合戦のあと維盛も平家の戦線を脱落するのですが、維盛の頭の中には「頼盛殿も脱落したのだから…」という考えがあったと思います。つまり頼盛の脱落は維盛の脱落の複線になり得ると思うのです。そのようなことを考えると、今回ドラマの中で頼盛の都落ちからの脱落をカットしたことはかなり理解に苦しみます。
 その維盛に関してですが、彼と妻子との涙の別れの場面もぜひ取り上げて欲しかったです。維盛の脱落の一因には、都に残してきた妻子のことが忘れられなかったという理由もあるのですから。福原での維盛と知盛の会話も、そのあたりを描いておけばもっと心にしみるものになったのに……と、とても残念でした。

ところで、後白河法皇を捜し回っていた宗盛が着ていた直衣は冬のものですよね。平家都落ち直前の出来事ですからこの時期は寿永二年七月です。七月というと当時の暦では初秋なので、彼らは夏の直衣を着ていなくてはいけないのに、これはいったいどういうわけなのでしょう……?
ちなみに当時は通常、夏と秋(四月~九月)は夏の装束を、冬と春(十月~三月)は冬の装束を着ていました。直衣は貴族の男性の平常服ですが、夏の直衣は二藍、三重襷で、冬の直衣は白、浮線綾です。今回宗盛が着ていた直衣は白、浮線綾でした。これは冬の直衣なので7月に着ることはありません。このようなこともドラマでもっと考慮して欲しいものです。

さて、平家によって都から連れ出される前に、後白河法皇はさっさと比叡山に登ってしまいましたね。そして、法皇のそばにはいつものように丹後局がいました。丹後局、相変わらずお化けのようで怖いですよね。
 ところで、後白河法皇は安徳天皇を廃位にして、新しい天皇を立てることとなるのですが、その際丹後局も何かと口出しをしています。そのあたりもまたドラマではカットでした。天皇を誰にするか決める際、丹後局が例によって毒のあるせりふを言うのではないかと密かに期待していたのですが…。(残念でした)

 それでは今回は、丹後局についてと後鳥羽天皇踐祚の事情についてを書かせていただきます。

 丹後局について述べる前に、彼女の高祖父(祖父の祖父)、高階成章について簡単に述べさせていただきたいと思います。

 高階成章は中級貴族の家格の人で、何カ国かの受領を歴任して最終的には大宰大弐になっています。受領歴任中にばく大な財宝をため込み、「欲の大弐」と呼ばれました。しかし、大宰大弐在任中に任地の大宰府で薨じています。天喜六年(1058)正月七日に、正三位に叙されていますが、その月か翌月に薨じたものと思われます。(享年六十九歳)。
 余談ですが成章の妻の一人は、紫式部の娘の藤原賢子(大弐三位)です。丹後局は成章の子孫ではありますが、成章と別の妻との間に生まれた子の系統なので、残念ながら紫式部との血のつながりはありません。でも、このように丹後局と紫式部が間接的につながっていたというのも興味深いです。

 では、丹後局とはどのような女性だったのでしょうか?

 丹後局(?~1216)、本名は高階栄子といい、比叡山の僧・法印澄雲(成章の曾孫)の娘です。そして、同じような家格の平業房という人の妻となり、何人かの子をもうけています。

しかし業房はあまりぱっとした官僚ではありませんでした。そこで栄子は祖先から受け継いだばく大な財産を賄賂に使って、夫のために必死に就職運動をしたようです。その結果、業房は中年になってようやく相模守に任じられ、後白河法皇の近臣になったようです。
 次に栄子がやったことは、彼女所有の浄土寺の山荘に後白河法皇を招くことでした。こうしたことにより業房は法皇の信頼がますます厚くなり、前途は明るく輝いていたのですが……。

 治承三年(1179)、法皇は密かに平家打倒計画を練り始めており、業房もそれに加担していたようです。しかしそれは平家の知るところとなり、業房は捕らえられて伊豆国に配流されました(一説には殺されたとも言われています)。
 栄子が後白河法皇の寵愛を受け始めるのは業房が捕らえられる前後のようですが、これもはっきりしたことはわかりません。ただ言えることは、治承三年十一月、清盛のクーデターによって法皇が鳥羽殿に幽閉されたとき、女房に姿を変えて密かに鳥羽殿に入り込んだのが栄子だったようです。と言うわけでこの後、栄子の「丹後局」としての第二の人生が始まったのでした。

 法皇の丹後局に対する愛情は並々ならぬものだったようです。やがて丹後局は絶大な権力を持つこととなります。後述する後鳥羽天皇踐祚の際の活躍もそうですが、のちには鎌倉幕府との交渉も行っています。また、法皇崩御後は、源通親と結んで関白藤原兼実を失脚させ、その娘で後鳥羽天皇の中宮となっていた任子を宮中から追放することに成功しました。

では、後鳥羽天皇踐祚の時の事情についてを書かせていただきます。

 安徳天皇が平家や三種の神器と共に西国に去った後、後白河法皇はまず天皇と神器を平家から取り戻すことを考えたようです。そこで、平時忠に使いを送り、その旨を申し渡しました。しかし時忠の返事は「都が平定されてからでないと、帝も神器も還御できない。」というものだったため、法皇は安徳天皇の廃位を決定したのでした。

 安徳天皇のすぐ下の弟である二の宮守貞親王は、安徳天皇の皇太子として平家が西国に連れ去っていました。そこで、残った三の宮と四の宮から後嗣を決定することとなったのですが、その時横やりを入れた人物がいました。このことはドラマでも取り上げられていましたよね。そうです、義仲が「以仁王の遺児の北陸宮を天皇に。」と言い出したのです。
 そこで陰陽師に占わせたところ、第一位が四の宮、第二位が三の宮、第三位が北陸宮ということになったようです。しかし、この結果は義仲にとっては面白くないものでした。
 このように後嗣問題でもめているとき、「ぜひ四の宮を!!… 私の夢にお告げがあったのですから…。」と言った女性がいました。言うまでもなく丹後局でした。
 丹後局の夢の中において、四の宮がまるで行幸をするように、松の枝を杖にして歩いていた……というのです。そこで法皇は四の宮を後嗣に決定したと言われています。
またこんな話もあります。法皇が三の宮と四の宮に対面したとき、三の宮は恥ずかしがってむずがっていたのに対し、四の宮はなつかしそうに法皇を見つめ「おじいさま」と言ったといいます。法皇は「なんてかわいい子じゃ。」と言い、そばで見ていた丹後局も大いに喜び、「この子は帝王の相がおありです。」と言ったというようです。
 以上に挙げた話は色々誇張はあるでしょうが、丹後局が後嗣決定に関与していたことは、ほぼ間違いないような気がします。
なお、念のために書いておきますが、この時即位した四の宮は、後年承久の乱を起こすこととなる後鳥羽天皇その人です。

 ドラマではかなりあくの強い、お化けのような女性に描かれている丹後局ですが、前半生は夫に尽くす妻であり、後半生は法皇のために権力をふるった女性なのです。
確かにあくの強い部分はあったと思いますが、ドラマのイメージとはちょっと違うような気がします。もっと賢い、政治家タイプの女性だったのではないでしょうか。

 さて来週は、義仲のクーデターが描かれるようですね。ここでは義仲と知康の対決が楽しみです。勿論、義仲がクーデターを起こすきっかけなどもしっかり描いてくれることを期待します。
 それと、やっと義経は義仲と戦う気を起こすようですね。女々しい義経からやっと脱皮をするのでしょうか。来週も楽しみに観ます。


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