平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

あれこれ ~「ちりとてちん」のことなど

2008-03-31 10:06:44 | えりかの平安な日々 04~09
 3月も今日で終わりですね。今年ももう4分の1が過ぎてしまった。早いです~。

 今日は朝起きると鼻がむずむず、くしゃみも止まりません。このところ調子良かったのに~。とりあえず薬を飲んで少し落ち着きました。

 さて、久しぶりの日記、思いつくままに色々と書いてみますね。

 先週はなにやら忙しい1週間でした。

 月曜日は隣町のパソコンショップに買い物、火曜日はだんなさんとだんなさんのお友達と一緒にランチ、水曜日は特に用事がなかったのですが、木曜日はエリカのお食事の買い物とだんなさんと私の共通のお友達とのランチのために静岡まで行きました。しかもこの日はあまり体調が良くなかったのでちょっと疲れてしまいました。

 金曜日は出かける用事は最初なかったのですが、注文してあった「源氏物語の近江を歩く(畑 裕子著 サンライズ出版)が届いたと書店から連絡があったので、早く欲しいと思って前日に引き続いて静岡まで行って来ました。ついでに、薬が残り少なくなっていたので病院にも行って来ることに。病院の待合室で、「源氏物語の近江を歩く」をぱらぱらとめくっていました。カラー写真が多くてきれいな本です。石山寺の写真を見ていたら私の名前が呼ばれました。

 今回は、血圧は140で私にしては高くもなく低くもなく落ち着いているようでした。本当は120~130くらいになるといいのだそうですが…。そして、今回は体重を量られてしまいました。前回に比べて1キロ増えていてショックです。夜9時以降は食べないとか、おなかいっぱい食べることは控えるとか、色々やってはいるのですが、最近チョコレートやケーキを食べたのでそれが影響しているのかな。先生から「気をつけるように」と釘を刺されてしまいました。

 それでもわりと体調はいいし、夜もよく眠れます。昼と夜が逆になっていた1年前に比べると夢のようです。

 さて、先週の出来事で忘れてはいけないのが、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」がついに終わってしまったことです。

 こちらの日記にも書きましたが、私はこのドラマにすっかりはまってしまっていました。とにかく面白い、登場人物がみんな個性的で感情移入できる、そして感動して泣ける、こんなドラマは久しぶりでした。
 何よりも、ドラマの至る所に伏線が張り巡らされているので、脚本もすばらしいなと思いました。なのでノベライズ版を読んでも感動しましたし…。ただ、上巻しか読んでいませんが。

 ラストの喜代美ちゃんの決断は賛否両論あるようですが、私は潔いなと思いました。というか、不器用な喜代美ちゃんらしいです。「お母ちゃんのようになりたい」は目が熱くなりましたよ…。
 喜代美ちゃんが小浜を出るとき、糸子お母ちゃんに向かって「お母ちゃんのようになりたくないの!」と言った場面、実は見ていました。その頃はこのドラマを毎日見ていたわけではなく、その場面を偶然見たという感じなのですが、「何というひどいことをいう子!こういう朝ドラのヒロインには感情移入できない」と思ってしまったのです、その時は…。進学するでも就職するでもなく、ただ当てもなく一人で大阪に行くなんてむちゃくちゃだ…とも思いました。そのように思っていたのにこんなにはまってしまった自分が不思議です。そして、「お母ちゃんのようになりたくないの!」は、ラストの「お母ちゃんのようになりたい」の大きな伏線だったのですね。

 そんなことを考えると、最初からこのドラマをしっかり見ていなかったことがすごく悔やまれます。なので私は、できるだけ早く再放送をして欲しいなと思っています。そう言えば、平成8年10月から翌9年3月まで放映された朝ドラ「ふたりっこ」、かなり評判が良かったようで、平成9年10月から衛星放送で再放送が始まったと記憶しています。なので「ちりとてちん」も、もしかして今秋から再放送が始まるのでは…と密かに期待…。

 それから、mixiの掲示板では続編を切望する声がすごく多いです。私は以前は続編はどちらかというと反対だったのですが、番組があのように終わってしまうと、お母ちゃんになってからの喜代美ちゃん、草々兄さんを初めとする徒然亭一門の人たち、小浜の人たち、その他、「ねどこ」関係者や徒然亭一門以外の落語関係者のその後が見たくなってきました。なので今は続編も作って欲しいというのが正直なところです。
 とにかく、「ちりとてちん」はすばらしいドラマでした。なのでまず、手元にあるノベライズ版を読んで感動の余韻に浸ろうと思っています。

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源氏物語と東アジア世界

2008-03-25 09:40:58 | 図書室2
 今回は、「源氏物語」の研究者、河添房江先生のご著書を紹介いたします。

☆源氏物語と東アジア世界(NHKブックス 1098)
 著者・河添房江 発行・日本放送出版協会 税込み価格・1218円

本の内容
 「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と『紫式部日記』に記されて千年。以来、日本固有の美意識の源流として称揚されてきた『源氏物語』だが、果たして、本当に和の文学の極致と言えるのか。七歳で異国人である高麗人と出会い、その予言を起点に権力への道を歩みはじめた光源氏の物語を、東アジア世界からの“モノ・ヒト・情報”を手がかりに捉え直す。『源氏物語』を古代東アジア世界に屹立するヒーローの物語として読み直す、気鋭の野心的試み。

[目次]
序章   いま、なぜ『源氏物語』と東アジア世界なのか
第一章  「いづれの御時にか」の時代設定
第二章  鴻臚館の光る君
第三章  異人・高麗人の予言
第四章  「光る君」伝承の起源へ
第五章  紫式部の対外意識
第六章  黄金と唐物
第七章  転位する唐物
第八章  表象としての唐物
第九章  唐物による六条院世界の再生
第十章  光源氏世界の終焉
第十一章 光源氏没後の世界と唐物
終章   「国風文化」の再検討


 紹介文にもありますように、この「源氏物語と東アジア世界」は、光源氏を「東アジア世界のヒーロー」ととらえ、源氏物語を唐や高麗からの人・物(唐物)・情報(漢籍)から読み解いたものです。源氏物語のストーリーを追いながら、特に物語に出てくる唐物(唐や高麗からのいわゆる舶来ブランド品です)にスポットを当て、源氏物語を再検討しているところが新鮮でした。

 特に私が興味を引かれたのは、第十章で書かれている女三の宮と唐物を巡る物語です。

 女三の宮は、父である朱雀院から譲られた「唐物」に囲まれて光源氏に降嫁したこと、柏木との密通の原因となる「唐猫」について、更には、彼女の出家後に行われた女三の宮持仏開眼供養にも、光源氏が用意した「唐物」が重要な位置を占めていたこと、つまり、「唐物」は、女三の宮の人生に大きな影響を与え、光源氏の凋落の原因ともなったことも書かれています。その中でも、猫好きの私には、女三の宮の身代わりとも言える唐猫についての記述が興味深かったです。

 その他、平安京内の鴻臚館にて幼い光源氏の占いを行った人物を「渤海国人」とし、渤海国の歴史にも触れられていたところも興味深かったです。この国は高句麗の復興を目的として建国され、奈良~平安朝の我が国にたびたび使節を送ってきていたのですね。更には光源氏がこの渤海国人から様々な豪華な「唐物」をプレゼントされ、この「唐物」が「梅枝」の巻に登場し、六条院の栄華に大きな影響を与える…、このあたりは非常に面白いです。

 このように、「源氏物語と東アジア世界」では、「唐物」が、光源氏の栄華と凋落にいかに重要な位置を占めているかが強調されています。今まで、「唐物」に注目して「源氏物語」を読んだことは全くなかったのですが、今度読むときは注目してみます。…というか、「源氏物語」ってこんなところからも考察ができるのですね。やっぱり奥の深い物語です。

 ところでこの本は、昨年11月に出版されたのですが、河添先生は今年の3月にも、「光源氏が愛した王朝ブランド品」というご著書を出されました。こちらも、「源氏物語」と「唐物」について考察なさったものですが、「枕草子」や「落窪物語」に出てくる唐物にも触れられているそうです。こちらもぜひ読んでみたいと思います。

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第62代 村上天皇

2008-03-22 10:07:14 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  926~967
☆在位期間 946~967
☆両親
 父・醍醐天皇 母・藤原穏子(藤原基経女)

☆略歴

 名は成明。醍醐天皇の第十四皇子として延長四年(926)六月二日、内裏桂芳坊において誕生。同年十一月親王宣下されます。

 天慶三年(940)二月、綾綺殿において元服。即日三品に叙され、上野太守、大宰帥を経て、同七年、朱雀天皇の皇太弟となり同九年即位。即位当初、藤原忠平が前代に引き続き関白を務めましたが、天暦三年(949)忠平薨去後は関白を置かず、天皇親政を行いました。同年三月には、延喜十二年(912)以来行われなかった南殿(紫宸殿)における擬階奏を復活させています。親政が行われた醍醐天皇の治世とともに後世、「延喜天暦の治」とたたえられました。

 村上天皇は和漢の才に秀で、日記『村上天皇御記』、儀式書『清涼記』、家集『天暦御集』、詩集『天暦御製詩草』等を遺しました。政治面・文化面において優れた才能を持った天皇だったと言えそうですね。在位期間中には、有名な「天徳内裏歌合わせ」も行われています。

康保四年(967)五月二十五日、清涼殿において崩御。享年42歳。なお崩御直前に出家し、法名を覚貞といったそうです。山城国葛野郡田邑郷に葬られ、陵は村上陵で、現在京都市右京区鳴滝に所在しています。


☆父方の親族

祖父・宇多天皇 祖母・藤原胤子(藤原高藤女)

主なおじ
 敦慶親王 敦実親王 斉世親王 行明親王

主なおば
 均子内親王 柔子内親王(斎宮)

主ないとこ
 中務(父は敦慶親王)
 源 雅信 源 重信(父は敦実親王)
 源 庶明(父は斉世親王)


☆母方の親族

祖父・藤原基経 祖母・操子女王(人康親王女)

主なおじ
 藤原時平 藤原仲平 藤原忠平

主なおば
 藤原温子(宇多天皇中宮)

主ないとこ
 藤原保忠 藤原顕忠 藤原敦忠 藤原褒子(宇多上皇妃・京極御息所) 藤原仁善子(保明親王妃) 女子(克明親王妃) 女子(敦実親王妃) 女子(藤原実頼室)(以上、父は藤原時平)
 藤原暁子(有明親王妃)(父は藤原仲平)
 藤原実頼 藤原師輔 藤原師尹 藤原師氏 藤原寛子(重明親王妃・徽子女王の母)(以上、父は藤原忠平)
 均子内親王(母は藤原温子)


☆兄弟姉妹とおい・めい

主な兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟
 *克明親王 ○保明親王 *重明親王 *有明親王 ○朱雀天皇 *代明親王 *章明親王 *盛明親王 *源 高明 *兼明親王(源 兼明)

主な姉妹(○は同母姉妹 *は異母姉妹
 *勤子内親王 *雅子内親王 ○康子内親王 *勧子内親王 *英子内親王

主なおい・めい

 源 博雅(父は克明親王)
 慶頼王 熙子女王(父は保明親王)
 昌子内親王(冷泉天皇皇后)(父は朱雀天皇)
徽子女王(斎宮・村上天皇女御)(父は重明親王)
 源 重光・源 保光・源 延光・荘子女王(村上天皇女御)・厳子女王(藤原頼忠室)・恵子女王(藤原伊尹室)(父は代明親王)
 源 忠清・源 泰清・女子(藤原公季室)(父は有明親王)
 源 伊陟(父は兼明親王)
 源 俊賢・源 経房・女子(為平親王室)・源 明子(藤原道長室)(父は源 高明)
 藤原高光・藤原為光・尋禅・愛宮(藤原師輔室)(母は雅子内親王)
 深覚・藤原公季(母は康子内親王)


☆主な后妃と皇子・皇女

 藤原安子(藤原師輔女) → 憲平親王(冷泉天皇) 守平親王(円融天皇) 為平親王 輔子内親王 資子内親王 選子内親王

 藤原述子(藤原実頼女)

 徽子女王(重明親王女) → 規子内親王(斎宮)

 荘子女王(代明親王女) → 具平親王 楽子内親王(斎宮)

 藤原芳子(藤原師尹女) → 昌平親王 永平親王

 源 計子(源 庶明女) → 盛子内親王(藤原顕光室)

 藤原祐姫(藤原元方女) → 広平親王

 藤原正妃(藤原在衡女) → 昭平親王

 藤原登子(藤原師輔女) *最初、重明親王の妃となり、親王の没後に入内し、「貞観殿尚侍と呼ばれた。


☆末裔たち

・その後の皇位継承について
 村上天皇崩御後、皇位は憲平親王(冷泉天皇)、さらに守平親王(円融天皇)へ受け継がれ、その後は冷泉・円融天皇の皇子たちが交互に天皇となりましたが(花山天皇・一条天皇三条天皇)、最終的には円融系の一条天皇の子孫たちが皇位を継承することとなります。


・為平親王の子孫
守平親王の兄でありながら、為平親王は天皇になることができませんでした。しかも舅であった源高明が安和二年(969)に安和の変で失脚し、親王も昇殿を止められ、再び昇殿が許されたのは安和の変の17年後でした。
 それでも彼は、高明女との間に頼定・憲定・顕定(いずれも源姓を賜って臣籍に降下)、婉子女王(花山天皇女御・後に藤原実資室)・恭子女王(斉宮)・女子(具平親王室)といった子女をもうけました。ただ、源氏に降下した息子たちの子孫はあまり繁栄しなかったようですが…。

 なお、憲定には、藤原頼通の室となって通房を生んだ女がいます。


・具平親王の子孫
 為平親王の子孫とは対照的に子孫が大きく繁栄したのは具平親王の系統です。

 具平親王には、前述の為平親王女との間に師房(源姓を賜って臣籍に降下)・隆姫女王(藤原頼通室)・女子(敦康親王妃)・(女専)子女王(斎宮)といった子女をもうけます。

 師房は藤原尊子(藤原道長女)との間に俊房・顕房をもうけ、このうち顕房の子孫がいくつもの系統に分かれ、多数の大臣や大納言・中納言を輩出して後世まで繁栄しました。

 なお、師房には、身分の低い雑仕女との間に頼成という息子がおり、彼は紫式部のいとこに当たる藤原伊祐の養子となりました。その頼成の女には、藤原頼通の室となって師実や後冷泉天皇中宮の寛子を生んだ祇子がいます。つまり、頼通の3人の室、隆姫女王・源憲定女・藤原祇子は3人とも、村上天皇の血を引く女性だったわけです。

・その他の子孫たち
 藤原正妃の生んだ昭平親王の系統は藤原公任一家につながっています(「藤原高光とその子孫たち」参照)。

 源計子の生んだ盛子内親王は藤原顕光の室となり、重家・元子(一条天皇女御)・延子(敦明親王妃)をもうけました。

このように、村上天皇の子孫は色々なところとつながっていて興味が尽きないです。


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徳川家康と三人の女 感想

2008-03-17 21:19:33 | 歴史雑記帳
 3月15日午後9時からテレビ朝日系列で放映された松平健さん主演の「徳川家康と三人の女」、見ました。従来あまり取り上げられなかった家康の二人の正室、築山殿と朝日姫にスポットを当てたドラマということで、以前から楽しみにしていました。ただ、三人目の女性は淀殿ではなくて阿茶局かお勝の方ではないかな?…と思ったりもしましたが、そこはまあドラマですから、あまりつっこまないことにしますね。

 ドラマの感想は…、一言で言うと、2時間ちょっとの短い時間にたくさんの内容を詰め込みすぎという印象を受けました。6回くらいの連続ドラマでやってもらった方が良かったかも…。合戦シーンが少ないことも戦国ものとしては物足りなかったですね。でも、家康や女性たちの描き方がなかなかおもしろかったので、そのあたりを簡単に書いてみますね。

☆家康
 このドラマは、家康が三方原で武田信玄に敗れたところから始まり、築山殿・信康切腹事件、本能寺の変、秀吉への屈服を経て、秀吉の死後に関ヶ原合戦が起こり、天下を取るまでの家康の姿を3人の女性と関わらせながら描かれていました。松平さんがどんな家康を演じるか楽しみでしたが、なかなか人情のある家康を演じていました。

 信長から切腹を命じられた築山殿を、最後まで助けようとしたり、病気になった朝日姫に薬湯入りのおかゆを作って食べさせたりするところなど、ホロリと来ましたね。

 ドラマで描かれる家康は、腹黒い狸親父というイメージが強いのですが、このドラマでの家康も、関ヶ原前夜ではそのような部分が少しあったものの、全体的には家族思い、家臣思いの人間的な武将に描かれていました。家康好きの方にとっては満足だったのではないでしょうか。そういう私も、家康は私の地元、静岡と縁の深い武将ですので、こういう描き方は嬉しかったです。

☆築山殿
 家康の最初の正室です。
 今川義元の姪であることを鼻にかけた高慢な女…というのが従来の描き方だったと思うのですが、このドラマでは、夫と子を愛する慈悲深い女性に描かれていて新鮮でした。

 ただ、信長が、築山殿と信康に唐突に切腹を命じていたので少々戸惑ってしまいましたが…。この事件に関しては、築山殿の病気を治した医者が武田の間者で、彼女は実際に勝頼と通じていたとか、築山殿と折り合いの悪かった信康の妻、督姫(信長の娘)が父信長に築山殿のあることないことを告げ口したとか、色々な説があるようですが、真相は不明なようです。

 このドラマでは、信康の優れた資質を恐れた信長の陰謀というような感じで描かれていました。そして築山殿は、徳川家を守るために自ら切腹してしまいます。以前読んだ本では、築山殿は遠江国で刺客に殺されたと書いてあったので「あれ?」と思いましたが、ドラマとしてはよくできた設定だと思いました。史実的にはかなり怪しいですが…。。

☆朝日姫
 家康の二番目の正室です。

 彼女は豊臣秀吉の妹です。秀吉の家康懐柔策のため、相思相愛の夫、副田甚兵衛と強制的に離縁させられ、家康に嫁がされた悲劇の女性です。このドラマでも、どこかはかない、影の薄い女性に描かれていました。「兄の道具になるのは嫌じゃ」というせりふが切なかったです。

 それでも、家康とは、短い間ながらも夫婦らしく幸せに過ごしていたと描かれていたところが救いでした。上でも触れたように、家康が薬湯入りのおかゆを自ら作って朝日姫に食べさせるところはなかなか良かったです。

☆淀殿
 浅井長政とお市の方(信長の妹)との間に生まれ、長じて秀吉の側室となり、秀頼を生んだ女性です。関ヶ原合戦の際、家康と敵対します。

 父を信長に、母を秀吉に殺された彼女は、天下人秀吉の子を生むことで自分が天下を取り、父母の無念を晴らそうと考えていた…と描かれていました。その周年はなかなかすさまじく、運命にもてあそばれたような所のある築山殿や朝日姫とは対照的だというイメージを受けました。最後に大坂の陣のシーンが少し映ったのですが、「終わった」という彼女のせりふが印象的でした。

そのほか、片岡鶴太郎さんの秀吉と、中村玉緒さんの大政所が面白かったです。秀吉は、いかにも農民から成り上がったという感じでしたし、大政所はしっかり者の田舎のおばあさんという感じでした。

 ただ、最初にも書きましたように、放映時間が短いせいもあるでしょうが、大事な歴史的事項がかなり省略されていました。小牧・長久手の戦もその一つですが…。この合戦は、家康と秀吉の対立を描く上で欠かせないような気がしますが、しっかりカットされていました。
 重要人物がたくさん無視されていたのも残念でした。淀殿を出すなら北政所も登場させて欲しかったです。また、徳川四天王のうち、酒井忠次と榊原康政が出てこなかったと思うのですが…。私の見間違いでしょうか。

 やはり、一昨年の11月~12月に同じテレビ朝日系列で放映された「太閤記」のように、家康の生涯も連続ドラマで取り上げて欲しいものです。

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近況

2008-03-10 11:23:44 | えりかの平安な日々 04~09
 タイトルの通り、久しぶりに近況を…。

 現在、「系譜から見た平安時代の天皇」の新しい記事、「村上天皇」を準備中です。父方の親族と母方の親族と兄弟姉妹、おい、めいの下書きがほぼ終わりました。
 今日は后妃と皇子皇女の下書きを書く予定です。系譜が複雑なので頭が混乱しそうになりますが…。そのようなわけで、まだまだ道のりは長いです。今週中にUPできると良いのですが。頑張ります。

 それで、記事を書いていて気がついたのですが、「円融天皇」の「父方の親族」の中の、円融天皇の祖母の父親の名前が間違っていたことを発見!恥ずかしいです…。こっそり訂正しておきました。

 さて、話は変わりますが…、3日前、新しい駅舎になってから初めて、一人で電車に乗って静岡に行って来ました。途中、駅の中で少し迷ったものの、一応、無事に一人で電車に乗ることができて一安心です。ICカードも使えましたしね。あれは便利ですね。切符の自動販売機が液晶画面になった日に、ICカードが使えるようになったことはラッキーでした。

 それで、なぜ静岡に行ったかといいますと…、先日の日記に書いたように、私、今年は花粉症が少しひどくて、病院から漢方薬を処方され、何とか症状が治まっては来たのですが、今度は風邪でもないのに咳がひどくなったのです。私は元々気管支が弱く、咳が出ることが多かったのですが、こちらの病院にかかるようになってからは、咳が出ることがだいぶ少なくなっていたのです。それで、心配なのでもう一度診てもらうことにしたのでした。

 ちょうど、だんなさんも私のかかっている病院に用事があるというので、午後2時頃に静岡駅で待ち合わせてランチをしてから病院に行って来ました。
 それで、先生に胸の音を聞いていただいたところ、特に異常はないとのこと。なので花粉症から来ている咳のようなので、塗り薬を処方してもらいました。これ以上、飲み薬を増やすのは心配だとお話ししたら、そのような処置をして下さいました。

 ついでに血圧を測ってもらったところ、151/84でした。相変わらずちょっと高めです。1ヶ月前に測ったときは正常値だったのに…。

 それと、なるべく運動をするように言われてしまいました。最近、家の中で読書をしていることが多いのでどきっとしました。確かに体重もほとんど減っていないかも。暖かくなってきましたし、少しは散歩に出たり、室内でもできる軽い運動をした方が良さそうですね。

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夢熊野

2008-03-04 10:18:26 | 図書室3

          

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 今回は、院政期~源平時代をあつかった歴史小説を紹介します。

☆夢熊野
 著者=紀和 鏡 発行=集英社 税込み価格=3675円

本の内容紹介
 平家と源氏の栄枯盛衰の時代を、熊野別当の妻であり、義経の叔母でもあった丹鶴姫の謎の生涯を通して描く。熊野の闇の奥深さ、戦乱の時代が浮かびあがる、ドラマチックで壮大な歴史長編。


 この本は、源為義と熊野別当長快の女との間に生まれ、熊野別当の妻として母として、熊野を支えた丹鶴姫(小説では鶴(たづ)という名で登場していましたので、以下は「鶴」と表記します)を主人公にした歴史小説です。

 鶴は大治五年(1130)頃に生まれ、十代半ばで熊野別当で本宮別当家の湛快の妻となりますがやがて離別、30歳頃に後に熊野別当となる新宮別当家の行範と再婚します。その間に保元・平治の乱がおこり、父為義は敗死、鶴も乱に関わることとなります。40代初めに行範と死別、その後は平家寄りだった本宮別当家と源氏寄りだった新宮別当家を源氏方にまとめ、熊野の陰の実力者となり、最終的には鎌倉幕府の女地頭となります。

 この小説は、そんな鶴の生涯を、史実と虚構を織り交ぜ、多彩な人物と関わらせながら描いたものです。登場する歴史上の人物は、源為義、義朝、行家、頼朝、義経といった源氏の武将はもちろん、平清盛、重盛、それに奥州の藤原秀衡、更には藤原頼長や崇徳上皇、後白河院も登場します。このあたりは歴史好きにとってはたまらないです。

 私はお恥ずかしながら、源為義が熊野別当との間に娘をもうけていたことなど全く知りませんでした。当然、鶴の生涯についても今回初めて知りましたが、夫に縛られずに物事を推し進めたり、自由な恋愛をしたりするなど、自立したたくましい女性というイメージを受けました。
 そしてこの小説では、鶴の母方は熊野別当家であると同時に、熊野権現のお告げを伝える古い巫女の家系の血も引いており、鶴は巫女の継承者と見なされていたと描かれていました。このことが、小説の大きなキーポイントになっています。このように鶴は、様々な宿命を背負った女性だったようなのですよね。
 そんな鶴の波乱の生涯を追ってみるのも興味深いですが、やはりこの小説の面白さは、院政期~源平時代を熊野の立場で描いたところだと思います。

 熊野は霊験あらたかな地と言われ、鳥羽院や後白河院が何度も行幸をした場所です。つまり、熊野は都の実力者たちと深い関わりを持っていました。「平家物語」の所々にも熊野が登場しますよね。平重盛は熊野権現を信仰していましたし、文覚は熊野の那智の滝で荒行を行いました。源氏につくか平家につくか迷った熊野別当湛増の闘鶏の話も有名ですよね。(2005年大河ドラマ「義経」第33回感想参照)そのようなわけで、私は以前から熊野という土地に興味を持っていました。

 この小説では、熊野別当の歴史、熊野の立場の微妙さ、本宮別当家と新宮別当家の対立が詳細に書かれていて興味深かったです。また、熊野という土地の神秘的なところも十分描かれています。登場人物の性格や行動もわりとはっきり書かれているので、物語の世界に浸ることもできました。

 ちょっと残念に思えたのは、物語が進むにつれて主人公の鶴の存在が薄くなっていったところです。私の個人的な意見かもしれませんが、鶴が熊野の陰の実力者になっていくにつれて、物語でも陰の存在のようになってしまったような印象を受けてしまったのです。その代わり、存在が徐々に大きくなっていくのが湛増です。

 上でも少し触れた闘鶏の話でも有名な湛増は鶴の最初の夫、湛快の息子なのですが、鶴の産んだ子ではありません。ただ、そのような義理の親子という関係から、物語の前半からたびたび登場します。平治の乱の頃から清盛と接近し始め、完全な平家方として行動していたのですが、以仁王と頼政の挙兵の頃から源氏に接近し始めます。闘鶏の話はもちろん小説にも出てきますが、湛増はこの時点ですでに源氏方につくことを決めており、弱い鶏を平家方に、強い鶏を源氏方に仕立てて闘鶏を行った…と描かれていました。このように、湛増は世の中の動きに敏感なしたたかな人物に描かれています。でも、なかなか魅力的な人物だと感じました。

 ところで、「夢熊野」はあくまでも小説ですので、「あれ?」と思うところや明らかに虚構であろうという描写もたくさん出てきます。鶴が50歳を過ぎて出産する所など、その最たるものですが…。その虚構の一つが弁慶の出生の秘密についてです。しかし、この弁慶の出生が物語の大きなカギとなっています。ネタ晴れになってしまうかもしれませんが、紹介しておきますね。

 鶴は、湛快の妻であった十代後半に、突然神隠しにあってしまうのです。そして、鬼か天狗かという怪しげな様相の男に襲われ、その男の子供を身ごもってしまうのです。そして、生まれた子は鶴の幼友達の計らいで湛増に引き取られ、彼の子であるとされるのです。その赤子が後に弁慶となるのです。
 しかも、話はそれだけではありません。実は鶴は、その時にもう一人、子供を産んでいるのです。つまり双子だったわけですよね。もう一人の子はほとんど仮死状態で生まれたため、誰もが死んだと思っていたのですが、実はしぶとく生き残り、ある巫女に引き取られます。その子は「神無月」と名付けられるのですが、相手の精神をあやつったり世の中の先の動きを見通したりなど、様々な不思議な力を持っていました。彼女は重盛や文覚、後白河院や義経にとりつき、不思議な行動をとります。その行動はかなりオカルト的で、まるで怪奇小説を読んでいるような気分になりました。でも、神無月の怪しげな行動がなかったら、この小説の面白さはかなり減少していたかもしれません。つまりこの小説での神無月は、源平時代の歴史を動かす大きな力の象徴だったのかな…と思います。

 ともあれ、親子と名乗ることのできない鶴と弁慶の関係がなかなか面白く描かれていますし、弁慶が義経とともに平泉に逃亡したラストの方では、鶴と弁慶の心が通い合う感動的なシーンもあります。
 ただ、義経のその後の行方の描き方についてはかなり消化不良でしたが…。鶴と湛増が、義経一行を平泉から逃がしたと暗示されるような書き方をしていましたが、どのように逃がしたのか具体的に書いて欲しかったようにも思えます。まあ、史実では義経は平泉で自刃したということになっていますので、「そのあたりは読者の想像にお任せします」ということなのでしょうけれど…。

 このように、義経の行方にしても、熊野の神秘性についても、小説のタイトルにある「夢」に通じるものなのかもしれません。とにかく、かなりバラエティーに富んだ異色の歴史小説ですので、ぜひ堪能してみて下さい。

*ご参考までに、熊野別当とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の統轄にあたった官職だそうです。

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新しい駅・今日の病院診察

2008-03-01 21:49:27 | えりかの平安な日々 04~09
 今日は3週間ぶりの病院診察の日、そして、最寄りの駅の新しい駅舎の開業日でした。そこで、新しい駅から電車に乗って病院に行って来ました。

 さて、その新しい駅舎ですが…、入り口にはエレベーターとエスカレーターができ、すっかり別の駅のようになっていました。エスカレーターを利用して上に上がるとすごく明るくて、今までの「見るからに田舎の駅」といった駅舎とは大違いです。

 ただ、新しい駅の中を歩くのが慣れていないので迷ってしまいそうなことと、切符の自動販売機が今までの押しボタン式から液晶画面になっていたのには困りました。今日はだんなさんが一緒だったので大丈夫でしたが、これから一人で電車に乗るときはどうしようかと不安になりました。私の視力では液晶画面が見えません。つまり一人で切符が買えなくなるのです。

 そこで、今日からJR東海でも使えるようになったICカードを利用することにしました。これならいちいち切符を買わなくても自動改札を通ることができるので便利です。新しい駅も、何回か来るうちに慣れてしまうかもしれませんし…。いや、慣れないと困ります!こんなことで一人で外出できなくなるのは悔しいですもの。頑張ります♪

 さて、最近の私の体調ですが、胸が痛いとか苦しいという症状はないのですが、どうも漢方薬が合わないようで時々胃がむかむかすることがあります。その上、花粉症になってしまったようなのです。朝起きると必ず鼻が詰まっていますし、昼間はティッシュペーパーが手放せません。昨日も街を歩いていたら鼻がむずむずして苦しかったです。

 それで今日は、その症状を先生にお話ししました。その結果、今までの漢方薬は中止になり、花粉症の漢方薬を出していただくことになりました。薬が増えるかもしれないとちょっと憂鬱だったので助かりました。

 それから、血圧を測っているとき、「今日は腕が締めつけられる感覚が強いからちょっと高めかも…」と思ったのですが、やっぱりちょっと高くて142/82でした。それで、血圧の薬は継続ということになりました。
 コレステロールの薬は、次回の診察の時の血液検査の結果次第では中止になるようですが、今のところこちらも継続です。神経の薬は、以前ほどではないのですが今でも時々、急に不安になったり神経が高ぶって眠れなくなることもあるので、お願いして継続にしていただきました。

 …というわけで、まだまだこちらの病院にお世話になることになりそうです。でも、スタッフの皆様にはいつも良くしていただいて感謝です。本当にいい病院にかかることができて良かったです。

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