平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

赤毛のアンシリーズ 読了

2008-09-27 12:58:52 | 読書日記
*よろしければこちらの記事もお読み下さいませ。

 8月3日から読み始めた「こんにちはアン」上下と「赤毛のアンシリーズ新装版」全10巻を昨日の夜に読了しました。

 途中、「アンの夢の家」を読み終えてから、後一条天皇の記事を仕上げるためと「藤原氏千年」を読むために1週間ほど中断したので、7週間で12冊を読了したことになります。アンの両親の新婚時代から始まり、アんが誕生、やがて両親が亡くなってよその家や孤児院に引き取られて苦労をしながら成長、しかし11歳の時、思いがけなくマシュウ・マリラ兄妹に引き取られてやっと恵まれた子供時代を過ごせるようになり、一人前の女性に成長していきます。やがて愛する人と結婚をして大勢の子供に恵まれ、幸せな生活を送っていたのですが、アンの子供たちは第一次世界大戦に巻き込まれてしまいます。小さかったアンは最終巻では50代、子供たちを立派に育て上げ、自らも赤十字の仕事に携わる貫禄のある女性として登場します。19世紀後半から20世紀初頭を生き抜いたカナダの女性の50年あまりにわたる物語を読み終えて、何か長い時間旅行をしてきたような気がします。

 「アンシリーズ」は今までも何度も読み返してきたのですが、今回も感動しました。アンや周りの人たちのドラマに笑って泣きました。「こんにちはアン」ではとにかくアんがかわいそうだったので、「赤毛のアン」を読み始めたときにはほっとしたというのが正直な感想です。アンが真実の愛情に目覚める「アンの愛情」や、アンの隣人レスリーをめぐるミステリアスでロマンチックな物語「アンの夢の家」なども良かったのですが、今回の収穫は今まであまり面白いと思えなかった巻が面白いと感じたことです。

 まず、2冊の番外編、「アンの友達」と「アンをめぐる人々」は、アンの住むアヴォンリーとその周辺の村に住む人々のドラマを綴った短編集で、アンは脇役かうわさ話で登場するに過ぎません。なので今まではあまり親しみを持てなかったのですが、思いがけない展開の短編が多く、とても面白く読めました。貧しい老女が昔の恋人の娘に贈り物をする「ロイド老淑女」、男嫌いで犬嫌いの女と、女嫌いで猫嫌いの男がふとした事から1軒の家に隔離されてしまう「隔離された家」、恋人を持ったことがない女が自分の空想で造り上げた恋人の思い出、ところがその空想とそっくりの人物が実在し…というちょっとできすぎた物語「偶然の一致」などが好きです。

 それから最終巻の「アンの娘リラ」、アンの子供たちが第一次世界大戦に巻き込まれる話なので、暗くてあまり好きになれなかったのですよね、今までは…。でも、今回読んで感動しました。
 主人公はアンの末娘のリラなのですが、物語の最初の方ではわがままで何の目的もない女の子として登場します。でも、戦争で兄たちや恋人が出征し、自らもふとしたことで戦争孤児を引き取ることになったり、赤十字少女団を結成したりなど、多くのことを経験しながら成長していくのです。このように、様々な苦しみや悲しみを乗り越えていくリラの姿に感動しました。
 また、アンの長男ジェムと愛犬マンデーのドラマにも感動。戦争に行ってしまったジェムを5年間も駅で待ち続けるマンデー、ジェムが帰ってきたときのマンデーの喜びいっぱいの姿、涙なしでは読めませんでした。
 アンシリーズというと夢見る女の子の夢物語だと思っていらっしゃる方、ぜひ、「アンの娘リラ」だけでも読んでみて下さい。戦争を背景にした現実的な物語です。第一次世界大戦に関する事項も豊富に出てきますので、歴史物語としても楽しめるのでは?

 ところで、別の意味で感動したのが第9巻の「虹の谷のアン」です。この「虹の谷のアン」、旧版ではすごく省略が多かったのですよね。今回読んだ新装版は省略部分が補われていたので、まるで初めて読むような感覚で読むことができました。多くのエピソードが追加されていたので、人物一人一人の描き方にも深みが増しているように思えました。それとこの巻はアンの子供たちや近所の牧師館の子供たちが中心になっている物語なのでアンの影が非情に薄いのですが、新装版ではアンの登場場面が増えていて嬉しかったです。

 このように、12冊のアンの物語を読み終えた今、私は充足感でいっぱいです。やっぱりアンシリーズはいいですね~。

 このようにはまってしまった本を読み終わったあとに読む本は本当に難しいです。来月に松本侑子さん訳の注釈つき「アンの愛情」が出るし、その松本さんの「赤毛のアンに隠されたシェークスピア」という本も読んでみたい。でも、ブログの更新感覚がこれ以上開いてしまっても…と思い、平安時代ものを読むことにします。書きかけの「系譜から見た平安時代の天皇」の新しい記事、「後冷泉天皇」の下書きも仕上げなくては。相変わらずやりたいことが山積みです。

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藤原氏千年

2008-09-22 10:42:17 | 図書室1
 今回は、藤原氏の歴史をコンパクトにまとめた本を紹介します。

☆藤原氏千年
 著者=朧谷 寿 発行=講談社・講談社現代新書 価格=756円

本の内容
 始祖・鎌足から不比等、良房らをへて道長に至り、ついに満天に輝く望月となった藤原一族。権謀、栄華、零落、風雅、伝統…。今に伝わるその足跡をたどる。

[目次]
プロローグ
第1章 草創と権力奪取の時代―鎌足・不比等と藤原四家
第2章 躍進する藤原氏―三家の衰退と北家の進出
第3章 栄華への道―骨肉の争い
第4章 望月の人―道長と摂関絶頂期
第5章 欠けゆく望月―院政期の藤原諸流
第6章 家意識の確立―中・近世の公家
エピローグ

*画像は、私が所持している旧版の表紙です。現在では表紙のデザインが変わっています。本の内容は同じです。


 本の内容紹介や目次でおわかりのように、藤原氏の千数百年にわたる歴史を綴った歴史評論です。藤原鎌足が中大兄皇子とともに起こした大化の改新から始まり、二代目不比等の登場、藤原四家の成立、北家の躍進、他氏排斥、藤原北家内での骨肉の争い、道長の栄華、院政の始まりによって摂関家が衰退、五摂家の成立、更にはその後の戦国・江戸・明治の藤原氏についてまでをコンパクトにまとめた本です。

 私がこの本を初めて読んだのは6年ほど前のことですが、平安時代に関する専門書をほとんど読んでいなかった頃にもかかわらず、楽しく読むことができたのを思い出します。つまり、2008年8月15日に紹介した「平安王朝」と同じく、初心者にも親しみやすく読める本だと思います。平安時代に多くのスペースを割いていますので、「平安王朝」と合わせて読めば、平安時代により親しみを増すこと、間違いなしです。

 圧巻なのは「第3章 栄華への道」です。実頼と師輔の性格の違いの書き分けが面白く、安和の変が興味深く描かれていました。しかし、最も面白かったのは、兼通・兼家兄弟の対立を、兼通の立場で書いてあった部分でした。兼通は兼家に比べると器量がなかったため、陰謀を働かせるしか道がなかったようなのです。そのため、安子中宮に「摂関は兄弟の順に」という誓約書を書いてもらったりしたとか。その結果、兼通は、兼家の摂関を阻止したわけなのですよね。

 第4章の道長の話も面白かったです。この章で多く引用されていたのはやはり「小右記」。実資さんが存在感ありました。それと、若い頃に道長の側近として彰子の中宮冊立などに力を尽くし、道長と同日に世を去った藤原行成について、「つきあいのいい男」などと書かれていて、まじめな歴史評論なのにくすっと笑ってしまいました。

 更に忘れてはならないのが第6章とエピローグ。鎌倉時代以降の藤原氏がスポットを当てられることって、あまりないですよね。この本では、五摂家の成立はもちろん、風流人・三条西実隆や、地方に流れていった一条兼良など、室町・戦国時代の藤原氏の人たちが紹介されています。更には明治時代、公家が京都から東京に移ったあと、京都での留守居役を命じられた冷泉家(藤原定家の子孫)についての記述も興味深いです。伝統を守り続けている冷泉家についての記述は、藤原氏が現代でもしっかりと生き続けていることを再認識させられます。

 このように、藤原氏を追いながら、飛鳥時代から近現代までの歴史をたどることもできる1冊です。藤原氏の変化に富んだ歴史、ぜひ堪能してみて下さい。


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最近のエリカ

2008-09-17 10:09:44 | 猫のお部屋
 久しぶりの我が家の愛猫、エリカの近況です。

 今年の夏は暑かったせいか、エリカも夏ばて気味で、くたーっと疲れたように横になっていることもしょっちゅうでした。でも、食欲はわりとあり、無事に暑い夏を乗り越えることができました。
 そして、相変わらずわがままで甘えん坊です。今でもだんなさんの膝の上が好きで、だんなさんに膝の上にのせてもらうまではてこでも動かないことが多いです。でも、なぜか夜寝るときは私にくっついているんですよね~。やっぱりかわいいです。老猫なのであと何年生きられるかわかりませんが、できるだけ元気で長生きできるよう、精一杯かわいがってあげなくては。

 さて今回も、エリカの写真を2枚、載せておきますね。


  


 あ、いいものみーつけた♪やっぱりパパの靴下大好き。

 エリカはだんなさんの靴下が大好きです。だんなさんが隠しておいた靴下を見つけ、大喜びをして遊んでいるところ。目がかわいいです。でも、どうしてこういう物が好きなのかしら?


  


 お布団の上はふわふわしていて気持ちがいいけれど、そろそろ起きて遊びに行こうかな。

 布団の上に横になっていたエリカが起きあがろうとしています。ちょっと面白い格好だと思ったので写真に撮ってみました。


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天神 菅原道真

2008-09-12 10:42:14 | 図書室3
 今回は平安小説の紹介です。

☆天神 菅原道真
 著者=三田誠広 発行=学習研究社・学研M文庫

本の内容紹介
 天満宮、天神社として祀られ、人々の信仰の対象となった儒教の学者・菅原道真。平安初期に宇多天皇(太上帝)に重用され右大臣・右大将にまで昇進しながらも、時の権力者・藤原時平の讒言により太宰府に左遷され、不遇の生涯を終えることになる。その死後、飢饉と疫病、天変地異が続き、更には清涼殿への落雷、時平ら公卿の相次ぐ急死など凶変が重なり、世の人は天神・道真の怨霊の祟りだと恐れおののく!

*現在では絶版になっているようです。興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。

 5年前に初めて読んだとき、道真の人間離れした設定についていけず、あまり興味をそそられませんでしたが、今回再読してみたところ、かなり面白く感じたので、紹介することにしました。

 この本は、菅原道真の誕生から、死後に天神として祀られ、正一位を追贈されるまでを描いた歴史小説です。ちょうど、2008年7月18日に紹介した「山河寂寥 ある女官の生涯」の舞台になった時代に当たる仁明天皇から醍醐天皇までの激動の時代を、道真の立場で描いた作品ということになります。

 ただこの小説、作者による創作と思われる箇所がかなり多いです。道真が、父菅原是善が行きずりに出会った誰ともわからぬ不可思議な女との間の子であったり、幼いときの記憶がなかったりするところ、また、人間離れした頭の良さ、はたまた雷のようになって讃岐から京に飛んでいき、基経のもとに現れて叱責をするなど…。また、在原業平が皇太子候補であったと描かれていたりするなど、「あれ?」と思うところも数箇所あります。その点で、好き嫌いが分かれる本かもしれません。私も、以前読んだときにそれらについていけなくて、あまり興味深く読むことができなかったのですよね。

 しかし今回、再読してみて、道真の実母が誰とも知れぬ不可思議な女であったり、雷のようになって空を飛んでいったりする場面などは、死後に怨霊となって人々から恐れられ、「天神さま」とあがめられるというラストにつながる伏線のような気がして、それはそれで良いのではないかなと思いました。しっかり読んでみるとこの小説、道真も完全無欠の人間には描かれていません。確かに頭が良く、「義」を重んじ、強い信念を持った立派な人物ですが、融通が利かない上にあまりにも厳しすぎるため敵も多く、それが太宰府に左遷という悲劇につながってしまったような気がしました。

 それはともかく、この小説では、道真が太宰府に左遷されるまでの流れが、当時の時代背景を織り交ぜ、多彩な人物と関わらせながら描かれています。登場する主な人物は、道真の盟友で野心家の橘広相、人の良い紀長谷雄、もちろん良房・基経・時平も登場します。藤原淑子も登場するので、「山河寂寥」と合わせて読むのも面白いかもしれません。

 それで、私が特に印象に残った人物は源融です。道真のライバル的な存在なのであまり好意的には描かれていませんでしたが、陽成天皇の退位後、新しい天皇を決めるときに存在を発揮したり、最後まで帝位にこだわったりと、とにかく人間くさく、そこが魅力的でした。

 融に限らず、この小説に出てくる「源氏」の公卿についてはかなり興味を引かれました。陽成天皇の退位当時の源氏の公卿には融の他、仁明天皇皇子の源光、文徳天皇皇子の源能有などもおり、それぞれ帝位をねらっていたという描写はなるほどと思いました。特に、陽成天皇の次の帝に選ばれた光孝天皇と同じく仁明天皇の皇子であった源光の口惜しさは融以上だったかもしれません。その上、光孝天皇のあとは自分と同じく臣籍に下っていた源定め省が宇多天皇になってしまったのですから、納得できなかったでしょうね。

こうした源氏の公卿たちの皇位継承を、学問や古文書を解釈した結果、阻止したのが道真だった…と、この小説では描かれていました。それで光は後に道真をおとしめる一因を作ることになるのですが、彼らの存在をこの小説で再認識させられ興味深く感じました。

 さらにこの小説では、応天門の変や阿衡事件などと言った事件もかなり詳細に描かれています。文章も読みやすい上、280ページくらいの本なので長すぎず短すぎず、気軽にさらっと読める本だと思います。


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第68代 後一条天皇

2008-09-05 11:48:47 | 系譜から見た平安時代の天皇
☆生没年  1008~1036
☆在位期間 1016~1036
☆両親
 父・一条天皇 母・藤原彰子(藤原道長女)

☆略歴(平安時代史事典より)
 名は敦成。一条天皇の第二皇子。

 寛弘五年九月十一日誕生、同年十月十六日親王宣下、同八年六月十三日皇太子に立ち、長和五年正月二十九日践祚、二月七日即位。寛仁二年(一〇一八)正月三日、十一歳にて元服。同年三月七日道長の三女尚侍威子を納れて妃とした。この時威子は二十歳で、天皇に長ずること十歳。同年四月二十八日女御、十月十六日立后して中宮となり、章子・馨子内親王を生んだ。天皇在位二十一年、長元九年四月十七日に清涼殿に崩じた。年二十九歳。

*後一条天皇は即位したとき、9歳だったので、まず外祖父に当たる藤原道長が摂政となりますが、寛仁元年(1017)、その子頼通がこれに替わり、寛仁三年に関白となって政治を行いました。後宮の女性も威子ただ一人です。道長ファミリーにしっかりと守られていた天皇だったと言えそうです。

 ところで、後一条天皇の若すぎる崩御は、色々なところに波紋をもたらしたようです。

 天皇の寵臣であった源顕基(醍醐源氏の源俊賢の子)は、天皇の崩御後間もなく大原にて出家し、横川に隠棲してしまいます。天皇をよほど慕っていたのでしょうね。

また、中宮威子は、天皇の崩御の約5ヶ月後、痘瘡を病んで天皇の跡を追うように亡くなります。上でも触れたように、威子は天皇よりもかなり年上の后でしたが、小柄で初々しい威子と大人びた天皇は、それほど年が離れているようには見えなかったそうです。後宮のただ一人の女性として、威子は天皇と仲睦まじく生活していたのではないでしょうか。


☆父方の親族

祖父・円融天皇 祖母・藤原詮子(藤原兼家女)

*後一条天皇の父である一条天皇には兄弟姉妹がいませんので、後一条天皇の父方にはおじ・おば・いとこはいません。


☆母方の親族

祖父・藤原道長 祖母・源 倫子(源 雅信女)

おじ
 藤原頼通 藤原教通 藤原頼宗 藤原顕信 藤原能信 藤原長家

おば
 藤原妍子 藤原威子 藤原嬉子 藤原寛子 藤原尊子

主ないとこ
 藤原通房 橘 俊綱(橘 俊遠養子) 藤原師実 藤原寛子(以上、父は藤原頼通)
 藤原信長 藤原生子 藤原歓子(以上 父は藤原教通
 藤原俊家 藤原能長(藤原能信養子) 藤原延子(以上 父は藤原頼宗)
 藤原道家 藤原忠家(以上 父は藤原長家)

 禎子内親王(母は藤原妍子
 章子内親王 馨子内親王(以上、母は藤原威子) *実際は子供ですが、母方の親族から見るといとこにも当たるわけです。
 後冷泉天皇(母は藤原嬉子)
 敦元親王 環子内親王(実際の字はぎょくへんではなくにんべんだそうです)(以上 母は藤原寛子)
 源 俊房 源 顕房 源 麗子(以上 母は藤原尊子)


☆兄弟姉妹とおい・めい

兄弟(○は同母兄弟 *は異母兄弟
 *敦康親王 ○後朱雀天皇

姉妹
 *脩子内親王 *(女美)子内親王

おいとめい
 藤原(女原)子(藤原頼通養女・後朱雀天皇中宮・実父は敦康親王)
 後冷泉天皇・後三条天皇・良子内親王・娟子内親王・祐子内親王・(示某)子内親王・正子内親王(以上、父は後朱雀天皇)


后妃と皇女

 中宮 藤原威子(藤原道長女) → 章子内親王 馨子内親王


☆末裔たち
 後一条天皇には皇子が生まれなかったので、皇統は弟の後朱雀天皇に移りました。皇女たちも子を生まなかったので、後一条天皇の血は耐えてしまったのですが、「末裔たち」の項に何も書かないというのも、後一条天皇がちょっとお気の毒なような気がしたので、彼が残した二人の皇女、章子内親王と馨子内親王について、「平安時代史事典」の記述をもとに簡単に記すことにします。

・章子内親王(1026~1105)
 後一条天皇の第一皇女。
 万寿四年(1027)に内親王宣下、長元三年(1030)に袴着、内親王の最高位である一品に叙されました。長暦元年(1037)十二月、いとこに当たる東宮親仁親王(のちの後冷泉天皇の妃となります。天皇の践祚後、寛徳二年(1045)、女御となり、翌年に中宮となりました。
 後冷泉天皇が崩御した翌年の延久元年(1069)に落飾、女院となって二条院と呼ばれました。晩年は亡父後一条天皇の御陵のかたわらに菩提樹院を営み、長治二年九月同所で崩じました。

・馨子内親王(1029~1093)
 後一条天皇の第二皇女。
 長元二年(1029)四月、内親王宣下。ついで袴着を行い、二品に叙されました。長元四年(1031)、賀茂斎院に卜定されます(大斎院選子内親王の後任)。同九年、父帝の崩御のため斎院を退下します。
永承六年(1051)十一月、いとこに当たる東宮尊仁親王(後の後三条天皇)の妃となりました。天皇践祚の翌年の延久元年(1069)、中宮となります。しかし同五年、後三条天皇の出家とともに尼となりました。承保元年(1074)六月贈皇太后。西院皇后と称せられました。寛治七年九月崩御。

*道長の娘である威子を母とする二人の内親王は、二人とも天皇の中宮になっているのですね。摂関家の縁につながる二人の内親王が、いかに特別待遇を受けていたかがわかるような気がします。

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遅ればせながら、週末の出来事

2008-09-01 13:17:09 | えりかの平安な日々 04~09
 本日も日記です。今日から9月ですね。今年もあと4ヶ月なんだ~。時が経つのは早いです。

 さて、ここ数日間、不安定な天気が続いていましたよね。全国各地で集中豪雨もありました。被害が出たというニュースを見ると心が痛みました。今回の集中豪雨で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。そして、1日も早く復旧されますように。これ以上被害が出ませんように。これ以上異常気象が起こりませんように…。

 私の住んでいる地域は、土曜日に雨が降っただけでした。金曜日からずっと雨が降るという予報だったのですが…。ただ、その雨が降った土曜日、我が家は少しごたごたしていました。11年間使っていた瞬間湯沸かし器が突然壊れてしまったのです。仕方なく新しいものに買い換えることにしました。痛い出費です。

 その前日の金曜日は、ありがたいことに天気予報が外れ、とても良い天気になってほっとしました。なぜならば久しぶりに外出の予定が入っていたからです。

 私は、出かける前に音楽を聞きながらゆっくりと支度をするのが好きです。このようなことは、一人で外出するときにしかできません。この日は久しぶりの一人でのお出かけ。支度のお供のCDはchemistryにしました。支度が出来上がって家を出たのはお昼過ぎ、考えてみると、一人で電車に乗って静岡に行くのは1ヶ月ぶりなのでは…。

 そのようなわけで、2時前にだんなさんと静岡駅で待ち合わせていつものお気に入りの店にランチを食べに行きました。私は今回はトマトの冷製スパゲッティーにしました。すごくおいしかったので、写真を載せておきます。急いで撮ったのであまりうまく撮れていませんが…。


           


 めんは、おそうめんのような細いめんを使ってありました。でも、こしが強くて歯ごたえがあります。具は、生ハムとルッコラとフルーツトマトです。おいしくて幸せ♪天気予報では大雨と言っていたので外出できないと思っていたのですが、こうして出てこられたことも幸せでした。

 ランチのあとは、私の4週間に一度の病院診察に行ってきました。

 まず、私のこの前の血液検査の結果のお話。それで、

先生 この前は体調が悪かったのかな?白血球が多かったけれど。
私  あの…、皮膚に湿疹ができていたんです。それに口内炎もできていましたし…。

 と言うわけで、どのように切り出そうかと思っていた皮膚科への受診のことも、すんなりと言うことができました。それで、皮膚の湿疹は薬で一応回復してきているということで、そちらはしばらく皮膚科の方にお任せすることになりました。ただ、何かあったらいつでも相談していいと言われたのでほっとしました。

 血圧の方は、薬を減らしたのにもかかわらず、正常値を保っていたので、このままの量で継続ということになりました。薬を減らしてからはめまいもしませんし、そうかといって胸が苦しくなるということもないので、薬が増えなくて本当に良かったです。


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