平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

出発 ~京都3日物語1

2010-11-29 10:34:58 | 旅の記録
 風俗博物館と創作平安王朝料理を堪能した京都日帰り旅行から2年近く経ちました。そろそろ京都に行きたい…と思っていたところ、だんなさんの仕事の都合もついたので、11月に行こうということになりました。

 そこで、11月10日~12日か、11月17日~19日のどちらかの日程で行こうということに決め、さて、どちらにするか…と思っていたとき、里江さんのmixiの予定表にて、彼女が11月16日に上洛することを知りました。
 それなら、せっかくなのでお会いしたい、日にちを合わせることにしようと思い、17日~19日の日程で行くことに決め、9月下旬に新幹線の切符とホテルを手配しました。幸い、行き帰りの新幹線の指定席と、京都駅前のホテル2泊分も確保でき、あとは旅行の日を待つばかりとなりました。
 そこで、私の京都でのいやしの場所だった風俗博物館が、12月から約1年半ほど休館してしまうので、今回の旅行では絶対に行こう、久しぶりの晴明神社にも行きたい、小説で読んだ待賢門院ゆかりの法金剛院にも行ってみようなど、色々想いを巡らしていました。

 ところが…、旅行の前には何か起こるという、私のジンクス通り、旅行の前の晩に歯が痛くなってしまったのでした。

 私は、旅行の手配をして間もなく、左上にあった虫歯が痛み出し、10月初めから歯医者に通っていました。
 虫歯はかなり悪くなっていて、神経を抜きました。そのあと4回ほど治療を行って土台を作り、旅行の前の週の土曜日に銀歯を被せて治療が終わるはずでした。
 ところが、出来上がった銀歯は小さすぎて、土台となった歯に被さりませんでした。銀歯はもう一度作り直しとなり、虫歯の完治はもう1週間、伸びることになってしまいました。ああ、京都旅行までには治ると思っていたのに…。

 おまけに、土台となった歯がかなり小さくなってしまったせいか、隣の出っ張った歯に負担がかかることになってしまい、その週の水曜日頃から腫れて痛み出してしまったのです。右側でかんでも、痛い歯に当たってしまい、食べ物がなかなかかめません。でも、これも隣の歯に銀歯が被されば治ってくると思っていたのですが、被さらないとなると、負担がかかり続けてもっと痛くなる、つまり旅行中においしい物が食べられなくなります。
 そこでそのことを先生にお話しし、出っ張った歯を少し削ってもらいました。確かに、出っ張りがなくなれば、歯にかかる負担も少なくなります。

 削ってもらったあと、痛みと腫れは少しずつ治まっていきました。そこで旅行の前日、牛肉が安く売っていたこともあり、ステーキを焼いて夕食に食べたところ、肉がかなり堅くて歯に負担がかかってしまい、例の歯が再び腫れて痛み出してしまったのでした。

 とにかくあまりにも痛くなってしまったので、歯医者さんから処方されていた炎症止めの薬を飲むことにしました。この薬は、もし京都に旅行中に痛み出したときのためにと、とっておいたものだったのですが、これほど痛ければ仕方がありません。幸い、薬が効いたようで、2時間ほどするとそれほど痛まなくなりました。

 そんなこんなで旅行の当日を迎えました。
 朝食を食べたところ、右側の歯でかむ分には全く問題ないし、左側の歯でも、柔らかい物をかむ分にはそれほど痛まなくなっていたのでひと安心です。これならおいしい物をたくさん食べられそうです。ただ、ステーキだけは避けようと思いましたが…。

 この日は水曜日で、だんなさんの病院の日なので、彼は朝、家を出発。私は、洗濯や家の用事を済ませ、お昼頃に家を出発しました。
 外に出ると、空がどんよりと曇っています。でも、雨は降っていませんでした。荷物になるので、傘を持たずに出発。最寄りの駅まで歩いている途中、ぽつりぽつりと雨が降ってきましたが、ぬれるほどではありませんでした。良かった~。

 静岡駅でだんなさんと落ち合い、駅前のホテルの喫茶店でランチを食べました。ところが、食事をする頃から今度は頭が痛み出してきました。歯痛の次は頭痛、笑うしかないですね…。

 新幹線は静岡駅を3時12分発なので、2時45分頃、ホテルを出発。静岡駅の駅ビルの喫茶店で、明日、ご一緒する皆さんへのお土産にクッキーを買いました。
 改札口は喫茶店のすぐ前にあります。さて、切符を自動改札に入れようと思ったら、切符が一枚、足りないことに気がつきました。だんなさんに切符を探してもらいましたが、見つかりません。時計はもう、3時5分近くを指していました。もし見つからなければ、残りの切符の払い戻しをしたあと、新しく切符を買わなければなりません。当然、3時12分の新幹線には乗れません。私の頭にはそんな想像が…。頭はますます痛くなってきました。
 どのくらい経ったでしょうか。今考えるとほんの2分くらい後だったと思いますが、だんなさんの「あった!」の声にひと安心。切符は、喫茶店のカウンターの下に落ちていたそうです。

 そんな波瀾はあったものの、私たちは無事に3時12分発の新幹線に乗り込むことが出来ました。新幹線に乗って私が一番最初にやったことは、眼鏡を外したことでした。頭が痛いとき、眼鏡を外せばかなり楽になるからです。
 新幹線が動き出したとき、いよいよ京都に行くのだと胸がはずみました。頭痛は相変わらず続いていましたが…。

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虫歯が完治しました

2010-11-25 10:21:07 | えりかの平安な日々 10~18
 昨日、何回目かの歯の治療に行ってきました。

 歯医者さんの待合室で、「源氏物語の京都を歩く(PHP新書)」という本を読んでいました。文章がわかりやすくてなかなか面白い本です。歯医者の待合室で本が読めるようになったくらい、私も歯の治療に慣れてきたのかな…と、ちょっと嬉しくなりました。

 それで、2ヶ月ちょっとかかりましたが、おかげさまで私の虫歯、新しい銀歯を被せてもらい、ようやく完治しました。銀歯を被せたときはかなりの違和感があって、大丈夫かと思いましたが、慣れてきたようで、今ではほとんど違和感がありません。良かったです。
 ただ、虫歯が完治したと行っても、まだまだ治療しなければならない箇所があるので、歯医者通いはまだ続きます。次回からは新しい治療が始まります。どんな治療をするのか不安で、次回は待合室で本を読む余裕はないかもしれませんね。

 ところで実を言うと、10日くらい前に銀歯を被せるはずだったのですが、出来上がった銀歯は小さすぎて被さりませんでした。そのうえ、先々週から先週にかけて、治療している歯の隣の歯が痛くなったりなどして、ちょっと大変だったのです。詳しいことは、近々連載開始予定の京都旅行記に書きますね。

 それにしても、旅行間近になって歯が痛くなってしまったというのも、旅行記へのネタ提供のために天が授けて下さったのかも…なんて思ったりしますが…。旅行中にそれほど痛くならなかったのが不幸中の幸いです。

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2年ぶりの京都

2010-11-22 21:20:05 | えりかの平安な日々 10~18
 遅くなってしまいましたが、先日の京都旅行のダイジェストです。

 17日(水)は、だんなさんの病院の日だったので、お昼過ぎに静岡駅で待ち合わせて昼食を食べ、3時過ぎの新幹線で京都に向かいました。
 そして、5時ちょっと前に京都に到着。駅前のホテルにチェックインしたあと、私は旅行用洗顔クリームが、だんなさんはコンタクトレンズを洗う生理食塩水が、それぞれ残り少なくなっているのに気がつき、駅前の店で購入。その後、ホテルに戻り、洋食レストランでおいしいディナーを食べ、そのあとは部屋でくつろぎました。そして、その日は終了。

 18日(木)は、8時半頃ホテルを出発し、京都御所へ。ちょうど、京都御所の秋の一般参賀の最中だったので、御所の中をたくさん見ることが出来ました。庭園がきれいでした。
 そのあとは晴明神社へ。7年前に一度訪れたことがありますが、その頃よりも整備され、見どころも多くなっていました。晴明さんの銅像とも対面できて大感激。念願のモモのドロップも購入できました。

 昼食後は風俗博物館へ。実はこちらの博物館、来年から約1年半、休館されるそうなので、今回の旅行では絶対に行きたかった場所でした。六条院春の御殿の4分の1模型の中に展示されている王朝絵巻さながらの展示はどれも素敵でした。実物大展示室では、袿を着て姫様気分。御帳台の中にも入ることが出来て幸せでした。
 この日は、ネット友達4人にだんなさんと私を加えた6人で回ったのですが、久しぶりにみんなと会えたのも嬉しかったです。

 夕食は、別の友人に京料理のお店に連れて行っていただきました。お料理は内容盛りだくさんでとってもおいしかったです。幸せ♪

 19日(金)はまず、山陰本線で花園駅まで行き、待賢門院璋子が晩年を過ごした法金剛院を参拝しました。庭園がきれいで素敵なお寺でした。大賢門院のこともたくさん妄想できて満足です。

 そのあとはタクシーで、班子女王が祭神になっている福王子神社へ。こちらでは、班子女王のことを色々妄想しながら参拝しました。

 福王子神社をでたあとは、まっすぐ東に歩き、久しぶりの仁和寺を参拝しました。こちらでは光孝天皇や宇多天皇のことを妄想。あと、こちらは7年前、私が始めて十二単体験をさせていただいた思い出のお寺でもあるので、その時のことも色々思い出していました。

 こうして、楽しいひとときを過ごしましたが、考えてみると京都ではとにかくたくさん食べました。18日の夜は、ルームサービスまで頼んでしまいましたし。でも、旅行中だからいいですよね~。食事はどれもおいしかったし。その点でも幸せでした。

 最後に、旅行中にお世話になった皆様、楽しい時間をありがとうございました。またぜひご一緒いたしましょう。

☆写真は、風俗博物館の六条院春の御殿の模型内に展示されていた女童の人形。かわいいです。

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斎宮志 ー伝承の斎王から伊勢物語の斎宮まで

2010-11-12 18:30:06 | 図書室1
 今回は、斎王の人物列伝の本を紹介します。

☆斎宮志 伝承の斎王から伊勢物語の斎宮まで
 著者=山中智恵子 発行=大和書房

目次

1. 伝承の斎王たち
2. 大来(伯)皇女
3. 文武朝の斎宮
4. 女帝時代の斎宮
5. 井上内親王
6. 酒人内親王
7. 淳和・仁明朝の斎宮
8. 晏子内親王
9. 恬子内親王

☆すでに絶版だそうです。ご興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。私も図書館で借りました。なので今回は画像はありません。

 倭姫などの伝承の斎王たちから、「伊勢物語」69段のモデルとされる恬子内親王までの歴代斎王たちについての人物評伝です。当時の史料をもとに、斎王たちの生涯に迫った貴重な本という印象を受けました。

 ただ、最初に書いておきますが、この本、「日本書紀」「続日本紀」「日本紀略」などの史料はすべて、漢文で引用されています。また、「古事談」や「伊勢物語」、和歌などの古典文学の現代語訳はついていません。なので、原文引用の部分は私にとってはちょっと難しかったです。勉強不足を痛感…。

 特に、私は伝承の斎王たちの時代についての知識はほとんどないので、「1 伝承の斎王たち」の部分はかなり難解でした。
 でも、大伯皇女以降は、漢文や古文の意味があまりよくわからないながらも、かなり楽しく読むことが出来ました。その理由はやはり、私が斎王に興味があるから、飛鳥~平安時代初期に関心があるからだと思います。興味があれば、わからないながらも何とか読めるものですね。

 それにこの本、各斎王たちの母方の系譜が詳しく述べられていて、興味を引かれました。平安初期までの斎王には、母方の系譜をたどっていくと天武天皇に行き着く斎王が目立つような気がしました。

 今までほとんど存在を知らなかった、文武・元明・元正天王時代の斎王や、淳和・仁明・文徳天皇時代の斎王のことを知ることができたのも、この本を読んだ大きな収穫ですが、最も興味深く読んだのは、三代の斎王と言われる斎王たちの項と、恬子内親王の項です。

 でも、三代の斎王のうち、朝原内親王の項目がない…と思われた方、安心して下さい。朝原内親王については、酒人内親王の項で詳しく述べられています。

 三代の斎王のうち、まず井上内親王ですが、斎王→白壁王の妃→白壁王が光仁天皇になったことによって皇后に→謀反の罪を着せられて廃后→獄死という、あまりにも苛烈で波乱に富んだ人生を改めて認識させられました。怨霊になったのも当然…とも思いました。
 それと同時に、謎の多い女性という印象も受けました。
 例えば、彼女が産んだ多戸親王について…。実は、井上内親王が多戸親王を産んだ年齢は45歳なので、不自然だという考えも根強いようなのですよね。それで、多戸親王は実は、井上内親王の母方の一族、県犬養氏の女性が生んだ子で、生後間もなく、井上内親王の養子になったという説があるそうでこの説のことは初めて知りました。
 私は、多戸親王はやはり、井上内親王自身が産んだと思うのですが、1300年近く前のことですから、真相は謎ですよね。

 酒人内親王に関しては、獄につながれてしまった母や弟のことを気にかけながら、伊勢に下っていったという経験が、その後の彼女の人生に大きな影響を与えたようです。でも、酒人内親王は生涯、母の井上内親王に守られ、幸福な一生だったのではないかと書かれていました。井上内親王に守られていたという点では、朝原内親王も同様です。酒人内親王も朝原内親王も、斎王として天皇の妃として、更に一人の女性として、たくましく生きたという印象を受けました。

 そして、私がこの本で最も楽しみにしていた恬子内親王の項も、とても読み応えがありました。
 恬子内親王は、斎王として伊勢に赴いている間に、母の紀静子、兄の惟條親王、それに、頼もしい後ろ盾になってくれるはずだった伯父の紀有常まで失っていたのですね…。親族との縁の薄い女性だと感じました。

 そうそう、伊勢物語69段は史実なのか虚構なのかについても少し、触れられていました。著者の山中さんのご意見は、業平が、惟喬親王の消息などを携えて伊勢に来たことがあり、恬子内親王とも会っていたかもしれないが、恬子内親王が業平との間に子を産んだのは疑問だとされています。
 そして、もしかすると、高階茂範の養子となった師尚は、実際に業平の子だったかもしれないが、業平が別の女性との間にもうけた子だったかもしれないとも書かれていました。
 更に言えば、天武天皇の後裔である高階氏が、業平と恬子内親王の恋の噂によって、平城天皇の後裔とされたのだから、それだけ皇統と近くなったということだ。高階氏にとっては、この噂は歓迎すべき話だったのでは…と述べられていました。これはなるほどと思いました。

 それにしても、もし、業平との逢瀬が真実だったとしたら、恬子内親王にとっては、この一夜の思い出が一生の宝物となっていたのでしょうね。

 このように、「斎宮志」は、斎王たちについて、色々な興味深いことが書かれた本でした。斎王に興味のある方、斎王についてもっともっと知りたいと思っている方にはお薦めの1冊です。

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これからも応援します

2010-11-10 15:40:41 | えりかの平安な日々 10~18
11月7日、私が応援している中日ドラゴンズの今シーズンが終わりました。千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズの結果は、2勝4敗1分けでした。

 試合を見た感想、これはジャイアンツとのCSでも感じたことですが、打線の弱さが目立ったということです。チャンスでダブルプレーになってしまった場面が何回あったことか…。クリーンナップを打てる打者がもう一人、欲しいですね。

 それでも、緊迫した試合が多く、最後まで私たちファンを楽しませてくれました。
 特に嬉しかったのは第4戦、10回裏にノウアウト満塁にされたときは、正直言ってサヨナラ負けを覚悟しました。でも、高橋投手が無失点に抑えたときは嬉しかったですね。それが、その次の回の勝ち越しにつながったのですから。「ドラゴンズ、まだまだ大丈夫」と思いました。

 でも、第6戦で、延長になってからチャンスが5回もあったのにサヨナラ勝ちできなかったのは悔やまれますね…。あの試合を勝っていたらもしかして…とどうしても思ってしまいます。
 そんなわけで、悲願のセリーグ優勝からの日本一はまた、果たすことが出来ませんでした。完全優勝は来年以降の楽しみにとっておきます。とにかく選手の皆様、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。これからも中日ドラゴンズを応援し続けます。

〈その他、近況〉
 もっと早く、日記をUPしようと思っていたのですが、月曜日は1日出かけていましたし、昨日は来客などもあって1日中ばたばたしていたので、結局今日になってしまいました。ほぼ完成している図書室1の記事は、2~3日中にUPしますので、もうしばらくお待ち下さい。

 虫歯の治療の方も、削った歯の残りの部分で土台を作り、今週土曜日にその上から銀歯をかぶせて治療が終わることになっています。抜かずにすんで良かった…。でも、この次はいよいよ歯石を取る治療が待っていますし、反対側の欠けた歯をどうするのかも決めなくては…。まだまだ歯医者のお世話になりそうです。

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