平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

斎宮参上! ~斎王に逢う旅2

2009-11-25 09:56:40 | 旅の記録
 さて、掛川駅で熱いお茶を買い、新幹線の時間まであと10分もあるというのに急いでホームに上がった私たちです。そうです、今回は指定席が取れなかったので、自由席の方に並ばなければなりません。
 それで、「こだま号は自由席が多いから大丈夫、座れるよね」と思ったのが甘かった。ホームに上がると、意外と人がいっぱいいて何か嫌~な予感。やがて入ってきた新幹線を見て更に愕然としました。一番前の1号車はほとんどいっぱい。私たちは5号車に並んでいたのでもう絶望的です。「万一、自由席がいっぱいなら、グリーン車に行けばいいよね」と思っていたのですが、これではグリーン車も空いているかどうかわかりません。

 と言うわけで、まず自由席で何とか空いている席を探すため、5号車から4号車に移った私たち。でも、ここもあいていません。そして更に3号車へ…。そうです、3号車は喫煙車でした。…と言うわけで、あいている3人がけの席を発見。ああ、良かった!

 そのようなわけで、やっと朝食にありつくことが出来ました。お茶を飲みながら、鶏五目のおにぎり二つとウナギのおにぎり1つを頂きました。おいしかったです。朝食後は少しうとうとし、あっという間に名古屋に到着。ここで電車を乗り換えるために下車しました。

 伊勢方面に行くには、JRを使う方法もあるようですが、私たちは近鉄を利用することにしました。鉄道会社が違うためか、乗り換え時間が35分もありましたが、JRと近鉄のホームは少し離れているので、時間に余裕があって良かったです。それで、9時10分発の近鉄特急に無事に乗り込むことが出来ました。こちらは指定席を取ってあったので安心です。

 電車に乗り込むと、再び食事。とにかく、今日は見られるだけ色々な所を見ようと思っているので、昼食は簡単に済ますつもりでいるので、食べられるときに食べておかなくてはなりません。こちらでは、鮭のおにぎりとゆで卵を食べました。

 食事のあとは、携帯電話でインターネットを見ました。電車の中で携帯でインターネットをするなんて、5年前には考えられなかった話です。いい時代になりました。
 色々と見ている途中で、mixi友達のNさんと、本日お会いすることになっているE先生からの私宛のメッセージを発見。まずE先生に返信し、Nさんに返信しようと思ってふと外を見ると、何と薄日が差しているではありませんか!雨はいつの間にか上がっていたのでした。

 電車での最終目的地、斎宮駅に最も近い特急の停車駅は松坂駅なのですが、切符を手配した旅行会社から渡された切符は、伊勢中川駅で乗り換えになっていました。旅行の1週間前にそのことに気がつき、びっくりして旅行会社に問い合わせてみたところ、松坂駅で乗り換えた場合、待ち時間が30分もあるということ。何か今回の旅行、乗り継ぎがあまり良くなかったです。だから時間がかかってしまったのですよね…。

 そのようなわけで伊勢中川駅で特急電車から降りました。この駅は、京都・大阪方面への乗換駅にもなっているので、降りる人もかなり多くて、入り口が込んでいました。
 駅で待つこと約10分、来た方向とは反対方向から各駅停車の電車が入ってきました。ちょっとびっくりしてしまいましたが、誰も乗っていなかったので納得。そうです、伊勢中川駅始発の電車だったのでした。

 こうして、何回か特急電車や急行電車の通過待ちをしながら、ようやく10時55分に斎宮駅に到着。家を出発してから約4時間半の長い旅でした。ちなみに斎宮は「さいぐう」ではなく「さいくう」と読みます。このあたり、どうしても間違ってしまいます。
 それはともかく、駅を降りたとたんになぜかわくわくしてしまった私です。ついに、ついに、長年の念願だった斎宮の地を踏みしめたのです。深く、深く、空気を吸ってみました。何か空気の匂いからして新鮮です。

 旅行会社の人からあらかじめ聞いていた話によると、斎宮駅にはタクシーもあるとのこと、でも、とても小さな駅だったので、だんなさんは「こんな小さな駅にタクシーなんてあるのかな」と心配していましたが、ちゃんとタクシーが待機していたのでひと安心。タクシーに乗り込み、斎宮歴史博物館に向かいます。博物館までは歩いて15分くらいだそうですが、初めての土地なのできっと迷ってしまいますし、それで時間が取られてしまったらもったいない…と思って、タクシーを利用することにしました。そのようなわけで5分足らずで博物館に到着。

 斎宮歴史博物館は、文字通り、斎宮跡遺跡から出土した土器や硯などをはじめ、斎宮に関する色々な物を展示してある博物館で、以前から一度訪れてみたいと思っていました。しかも、私が訪れた日は、特別展、「伊勢物語 ー狩の使と斎宮」の真っ最中でした。常設展も特別展も楽しみです。(^^)

 入り口でロッカーのような所に傘を入れ、鍵をかけました。そして、鍵はだんなさんの上着のポケットへ。博物館の中に入ると、ここにどのような物が展示されてあるのか楽しみでわくわくします。
 上でも少し書きましたが、午後2時頃まで、E先生に博物館を案内していただくことになっていました。E先生は専門の研究者で、本も何冊か出されている方なのですが、縁あってお知り合いになることが出来ました。伊勢神宮の神様に感謝したい気持ちです。オフでお会いするのは今回が2回目なのですが、ちょっと緊張します。それでもお会いするのは嬉しいです。お忙しい中、お時間を作って下さったことに感謝です。

 と言うわけで、最初に常設展示をご案内していただきました。まず目に飛び込んできたのは、床に貼られた斎宮の航空写真です。

 後醍醐天皇の建武の中興が失敗したあと、斎王制度は終わりを告げ、斎宮も消滅してしまいます。しかし、「斎宮」という地名は残り、「ここに斎宮があった」という伝説は長い間伝えられていたのだそうですが、確証はなかったそうです。それが昭和四十年代になって偶然、遺跡が見つかり、昭和四十五年から本格的に発掘調査が始まりました。そして、発掘された出土品から、ここに斎宮があったことが実証されたのです。こうして、私たちは当時の斎宮の様子を知ることが出来るのですよね。

 斎宮の航空写真のあとは、平安時代の調度品などを少し見たのですが、旅行記の第4回に写真を載せますね。

 次回は、映像展示「斎王群行」をレポートしたいと思っています。

*ちなみに、天皇の名代として伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王または女王(親王の娘)のことを「斎王」と呼び、伊勢に下った斎王が日常を過ごしていた宮殿や、宮殿の周りにあった役所を「斎宮」と呼んでいました。私が今回、訪れた三重県多気郡明和町は、7世紀後半から14世紀前半にかけて、「斎宮」があったところです。


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本日のランチ

2009-11-20 22:02:30 | えりかの平安な日々 04~09
 11月12日の日記でも書きました、静岡駅から歩いて5分くらいの所にあるホテル「デュオ」のイタリアンレストランに本日、行ってきました。そこで、本日のランチに頂いたお料理の写真を載せますね。

 まず、私が注文した「かきとベーコンと野菜のバジルスパゲッティー」です。


          


 私はかきが好きなので、大きなかきが3つも入っていて幸せ。野菜は、ブロッコリー、グリーンアスパラなどが入っています。味はコンソメ味で、バジルの風味がします。おいしかったです。(^^)

 こちらが、だんなさんが注文したプレートのセットです。


          


 ハーフサイズのスパゲッティー、肉料理、魚料理、サラダ、ヨーグルトのセットです。スパゲッティーはミートソースのような感じだったそうです。ヨーグルトがおいしかったとか。肉料理とサラダを少しもらってしまいました。今度、私もこれにしてみようかな。

 こちらは、お料理についている焼きたてパンです。


          


 暖かくてふわふわしたパンです。おいしかったです。こちらのお店、すっかり気に入ってしまった私です。また行きたいです。

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出発 ~斎王に逢う旅1

2009-11-19 11:01:56 | 旅の記録
 私は、1993年と1999年の合計2回、伊勢神宮に参拝したことがあります。その頃にももちろん、古代から中世まで、天皇に変わって伊勢神宮に仕えた未婚の内親王または女王、つまり斎王に興味を持っていました。

 ところがお恥ずかしいことに、斎王が普段、生活していた所、つまり斎宮が発掘されていること、斎宮に関する博物館があることなど、その頃は全く知りませんでした。伊勢神宮に行く前にもっと色々調べていたらわかったと思うのですが、もったいないことをしました。
 三重県多気郡明和町にて、斎宮跡の遺跡が見つかったこと、近鉄線松坂駅から4つ目の駅が「斎宮」駅であること、斎宮駅で電車を降りれば、斎宮歴史博物館や斎宮に関する色々な史跡に簡単に行くことが出来ることを知ったのは、2004年頃だったでしょうか。

 そうなったらいても立ってもいられず、「斎宮に行ってみたい」と思いながら、その頃は諸事情で思うように旅行に行くことが出来ませんでした。しかも斎宮は、京都と違い、新幹線で直接行くことが出来るわけではないので、なかなか行くことが出来なかった…というのが正直な話です。

 それでも今年(2009年)の10月になって、「この前の京都旅行からもう1年経つから、そろそろ旅行に行こうか」という話になったとき、「今回は斎宮に行きたい」と思ったのです。
 ちょうどその頃、斎宮歴史博物館で、特別展「伊勢物語 ~狩の使と斎宮」が11月23日まで行われていることを知りました。
 狩の使と斎宮というキーワードですぐに思い出されるのは、狩の使として伊勢にやってきた在原業平と、斎王恬子内親王の恋愛です。「伊勢物語」69段には、2人の出会いと別れがロマンチックに描かれています。私が最も関心がある斎王は、「斎宮女御」と呼ばれた徽子女王ですが、恬子内親王にも興味がありますし、「伊勢物語」も大好きです。特別展、ぜひ見てみたいと思いました。

 そのようなわけで、11月14日・15日と1泊2日で行くことにし、まず近鉄伊勢市駅周辺のホテルをいくつか当たってみたのですが、どのホテルもあいていませんでした。あとで知ったのですが、その頃、伊勢神宮でイベントがあり、その日は泊まり客でいっぱいだったのだそうです。仕方がないですね。

 と言うわけで、14日だけの日帰り強行軍…ということになってしまいました。それでも斎宮には6時間くらい滞在できるので、見たい所は十分見ることが出来そうです。切符も、行きの掛川~名古屋の新幹線以外は全部、指定席を取ることが出来てひと安心。指定席が取れなかった行きの新幹線は、こだまだから自由席が多いので、何とかなると前向きに考えることにしました。

 何はともあれ、長い間の念願だった斎宮行きが決まってわくわく…。斎宮跡で色々妄想できるように、私が斎宮や徽子女王に興味を持つきっかけになった「華麗なる宮廷才女 ー人物日本の女性史1」に収められた「斎宮の系譜」と、「伊勢斎宮と斎王」を読み、斎宮に行くのがますます楽しみになりました。そして、ついに旅行の前日になりました。

 ところが…、その日に出た旅行当日の天気予報にショック!全国的に雨で、特に近畿・東海・関東では午前中、風が強く、雷を伴って雨が激しく降る」というのです。午前中というと、ちょうど電車に乗っている時間です。東海道線は、普通電車も新幹線も雨や風に弱く、ダイヤが乱れたり止まってしまうことが多いのです。もしそうなったら…、斎宮に着くのが遅れる、もしかすると行けなくなるかもしれません。まさに最悪の天気予報でした。

 だんなさんはというと、「なーに、雨なんて朝には上がってしまうよ。大丈夫だ」と楽観的でした。それでも私が心配ばかりしているので、「うるさい!」と言われてしまいました…。

 そのようなわけで、楽しみな気持ちと不安な気持ちが入り交じった、複雑な気持ちのまま布団に入りました。そして、少しうとうとしては目が覚め、それから寝つけなくなり…というのを繰り返し、結局2~3時間くらいしか眠ることが出来ませんでした。
 朝4時には目がぱっちり覚めてしまったので、布団から出てパソコンを立ち上げてインターネットを1時間ほどやっていました。
 外は雨が降っていましたがそれほど強くないので、レインコートを着ていくか、普通のコートを着ていくか迷いました。そこで、ネットで三重県の天気をチェック。特に、史跡巡りをすることになっている午後の天気が気になります。正午から午後6時までの降水確率20%、ああ、良かった!では、普通のコートを着ていこう。ただ、雨が強くなって電車が止まらなければいいけど。

 5時にだんなさんを起こして身支度にかかりました。そして、身支度からハプニングが…。私は化粧品を床に落としてしまうし、だんなさんのコンタクトレンズはなくなるし…。幸い、両方とも見つかったので良かったのですが、何か波瀾の予感です。

 猫のエリカが私たちのお出かけを察知したらしく、機嫌の悪い声で鳴きながら私たちにすり寄ってきました。エリカちゃん、ごめんね。削り節をたくさんあげるから、今日はおとなしく留守番していてね。

 6時25分頃、家を出発。歩いて10分くらいで最寄りの駅に着きました。朝食は新幹線の中で済ませることにしていたので、私たちは前日、近くのコンビニで鶏五目のおにぎり3個セットを買ってありました。1ヶ月ほど前に、家から歩いてすぐの所にオープンしたコンビニです。近所にスーパーはなくなってしまいましたが、コンビニが出来たおかげで少しは便利です。でも、2人でおにぎり3個では足りませんので、駅の売店でおにぎりをもう3個と、ゆで卵2個を買いました。

 最寄りの駅から新幹線の掛川駅までは、普通電車で20分弱です。新幹線は7時32分なので、こちらを7時発の電車に乗っても充分間に合うのですが、余裕を持って一つ前の6時50分の電車に乗り込みました。これが運命の分かれ道だったとは!

 歩いているときは、雨も風も強いという感じがしなかったのですが、大井川を渡ったあたりから、急に風雨が強くなったような感じがしました。何か嫌~な予感がしたのですが、掛川の一つ前の菊川駅の手前でそれが的中してしまったのです。

 まだ駅から相当遠くのはずなのに、電車が急にスピードを落とし始めたのでした。しばらくすると今にも止まりそうなスピードに。私は、顔から血の気が引くのを感じました。1分くらいこんな感じだったと思いますが、ついに止まってしまったのでした。そして、「ただ今、赤信号のため、この電車は停車しております。」というアナウンスが入りました。

 まさか、人身事故?もしそうだったら、1時間は動きません。予定の新幹線にはもちろん間に合いません。1時間後の新幹線に乗っていったら、名古屋に着く時間も遅くなります。当然、そのあとに乗ることになっている近鉄特急にも間に合いません。遅い時間の近鉄特急の指定席も取れるかどうかわかりません。ひょっとすると斎宮に行けなくなるかもしれないのです。私たちのために、斎宮の史跡巡りの案内をして下さるガイドボランティアさんを手配して下さっていたので、斎宮歴史博物館に電話をして、事情を話さなければなりません。たちまち、携帯電話で博物館に電話をする私を妄想していました。

 外は、雨と風がかなり強いようです。ひょっとしてこの天気のため、電車が止まってしまったのでしょうか?何か絶望的な気持ちになりました。止まっている時間がやけに長く感じました。

 止まっていた時間はほんの5分くらいだったと思いますが…、ずいぶん長く止まっていたような感じがしました。ガタンと音がして、電車が動き出したときは反射的に、「良かった~」と口から言葉が漏れていました。どうやら、強い風のため、ビニールが線路に入ってしまったのだそうです。電車は菊川駅に7分ほど遅れて到着。掛川に到着したのも7時17分頃で、新幹線の時間に充分間に合いました。良かった~。

 それにしても…、後続の電車も止められていたのでしょうから、7時の電車に乗っていたら…と思うとぞーっとしました。何とかぎりぎりで新幹線には間に合ったとは思いますが、かなりきつかったかも…。ひょっとして…ということにもなったかもしれません。

 そのようなわけで、波瀾含みの「斎王に逢う旅」はこうして始まったのでした。


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斎宮に行ってきました♪

2009-11-16 10:59:17 | えりかの平安な日々 04~09
 遅くなってしまいましたが、一昨日14日の斎宮への日帰り旅行のダイジェスト日記を書きます。

 旅行の前日はいつもあまりよく眠れない私ですが、今回は初めての斎宮行きということで前日から興奮していて、結局2時間くらいしか眠れませんでした。

 そして4時前に起床、外は雨が降っていましたがそれほど強くありません。レインコートにするか普通のコートにするか迷ったのですが、三重県の午後からの降水確率が20%だったので普通のコートにしました。

 午前6時半頃、家を出発。電車と新幹線を乗り継いで伊勢に向かいます。途中、これでは斎宮に着く時間が遅れてしまう、もしかして行けなくなるのでは…」とひやっとする出来事もありましたが、このことは旅行記の方で書きますのでお楽しみに…。

 そんなこんなで、11時前に無事に斎宮駅に到着。ついに斎宮に来たのだと思って、空気を吸うごとにわくわくした気持ちになります。
 まず、駅からタクシーに乗って斎宮歴史博物館へ。斎宮から出土した土器、斎王に関する色々な展示、それから平安時代の調度品などを見学しました。楽しみにしていた良子内親王(後朱雀天皇御代の斎王)の斎宮群行を描いたビデオも見ることが出来て大感激。そしてもちろん、「伊勢物語 ~狩の使と斎宮)」の展覧会も見ることが出来ました。「伊勢物語」をもう一度読んでみたくなりました。

 午後2時過ぎに博物館をあとにし、ガイドボランティアさんの案内で斎宮の史跡巡りをしました。外はすっかり晴れ上がっていて嬉しかったです。訪れた場所は、「斎王の森」「斎宮の10分の1模型」「竹神社」「いつきのみや歴史体験館」。どの場所もとても良かったです。徽子女王や(女専)子女王、雅子内親王、大伯皇女など、斎王についての妄想もたくさん出来ました。斎宮は自然も豊で素敵な場所です。またぜひ訪れてみたいと思いました。なお、写真は「斎王の森」です。

 5時に斎宮をあとにし、帰途につきました。新幹線の車内で名古屋駅で買ったお弁当を食べて大満足。でも、なぜか甘い物が欲しくなりました。疲れていたのでしょうね。そこで、1ヶ月前に我が家のすぐ近所にできたコンビニ「ミニストップ」でソフトクリームを買ってみました。「ミニストップのソフトクリームはおいしいよ」と幾人かの友人から教えて頂いていたので、前から食べてみたかったのですよね。家に帰ってから味わっていただきました。甘くておいしかったです。

 そして、今日1日のことを思い出して幸せな気分になりました。斎宮に行くことが出来て良かったです。お世話になった皆様、ありがとうございました。

 準備ができ次第、「斎王に逢う旅」と題して、「旅の記録」にて旅行記を連載しようと思っています。

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伊勢斎宮と斎王

2009-11-13 09:02:01 | 図書室1
 2004年に初めて読んだこの本、久しぶりに再読しました。

☆伊勢斎宮と斎王 祈りをささげた皇女たち
 著者=榎村寛之 発行=塙書房 価格=2415円

[目録情報]
 天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた皇族の女性「斎王」の生活やその特色を分かりやすく解説。

[目次]
 第1章 古代国家と伊勢斎宮
 第2章 王朝物語の時代のいつきのみや
 第3章 「古代」の終焉と斎王たち
 付篇 斎宮跡を歩く

 タイトル通り、斎宮や斎王の歴史に迫った本です。

 この本の冒頭部分に、「高校の日本史教科書には、斎宮についての記載がない。」というようなことが書かれてありました。確かに私も、歴史の授業で斎宮について学んだ記憶がありません。
 私が斎宮・斎王について初めて知ったのは多分、22歳の時、「源氏物語」を初めて読んだ時だと思います。「源氏物語」の中に、六条御息所の娘が斎王となり、伊勢に赴く場面が出てきます。「平安時代には、こんな制度があったのね」とちょっとびっくりしました。

 それから2年ほどあとに、『華麗なる宮廷才女  ー人物日本の女性史1(円地文子監修 集英社)』に収められた『斎宮の系譜』(国文学者の清水好子先生の書かれた文章です)を読みました。
 この文章は、斎宮女御と呼ばれた徽子女王(929~985)の生涯を綴ったもので、幼い頃に斎王として伊勢に赴き、帰京後は村上天皇の女御となり、天皇の崩御後、かつての自分と同じように斎王となった娘につき従い、母が娘につき従って伊勢に下るという先例がないのにもかかわらず、再び伊勢に下った彼女の生涯に衝撃を受け、斎王と徽子女王に興味を持ちました。
 それから、「斎宮や斎王についてもっともっと知りたい」とずっと思っていました。しかし、斎宮について書かれた本はなかなか手に入りませんでした。なので、2004年にこの本を手にしたときは感激しました。

*ちなみに、天皇の名代として伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王または女王(親王の娘)のことを「斎王」と呼び、伊勢に下った斎王が日常を過ごしていた宮殿や、宮殿の周りにあった役所を「斎宮」と呼んでいました。ただ、賀茂の斎王(京都の賀茂神社に奉仕する未婚の内親王または女王)のことを「斎院」と呼ぶこともあったため、伊勢の斎王についても便宜的に「斎宮」と呼ぶこともありますが、ここでは「斎王」と記載させていただきます。

 では、本の内容と感想に移りますね。

 第1章では、斎宮の始まり、大来皇女を初め、井上内親王・酒人内親王・朝原内親王のいわゆる「三代の斎宮」と呼ばれる古代~平安初期の斎王たちの紹介、斎王に関する儀式、斎宮の発掘調査などが解説されています。

 この章で私が特に興味深かったのは、斎王卜定から伊勢群行までの儀式や手順についての解説でした。占いによって斎王に卜定された内親王または女王は、すぐに伊勢に赴くのではなく、まず書斎院で1年を過ごし、さらに1年、野宮で禊を受けます。こうして神に仕える身となった斎王は、天皇から「別れの御櫛」をさしてもらい、ようやく伊勢に群行することになるのです。
 また、これはあまり知られていないことかもしれませんが、任を終えて京に帰還する途中、斎王は普通の内親王に戻るための禊を受けることになっていました。やはり、「斎王」というのは神聖なものなのですね。

 第2章では、平安中期の斎王たちを古典文学と絡ませながら紹介しています。「伊勢物語」の69段に描かれた恬子内親王について、詳しく紹介されていて読み応えがありました。

 そして、「源氏物語」に登場する斎王、六条御息所の娘で、後に冷泉帝に入内して「秋好中宮」と呼ばれることになる女性についても紹介されていますが、実は、六条御息所・秋好中宮は徽子女王がモデルだと言われているのです。
 つまり徽子女王は、教養が高いところ、娘につき従って伊勢に下ったところは六条御息所に、斎王を降りたあとに天皇に入内したところは秋好中宮によく似ていますよね。もちろん、徽子女王の生涯についても詳しく紹介されていて嬉しかったです。

 さらに今回、再読してみて私がなるほどと思ったのは「百人一首と斎宮」の項目でした。実は、百人一首に歌が採られている斎王は一人もいないのですが、その周囲の人物の歌はいくつか採られているのですよね。
 私は、三条天皇御代の斎王、当子内親王との悲恋で有名な藤原道雅しか、思い浮かばなかったのですが、紫式部の曾祖父の藤原兼輔は、醍醐天皇御代の斎王、柔子内親王を伊勢に送ってきた長奉送使の随身だったそうです。また、彼と親しかった藤原定方も、使者として斎宮に行ったことがあるのだそうです。これらの話は目からウロコでした。

 第3章では、斎宮託宣事件から始まり、源平時代の斎王、更に鎌倉時代の斎王、そして、斎宮の滅亡に至るまでの歴史が解説されています。
 鎌倉時代になると、財政難のため、卜定はされたものの伊勢には赴かない斎王も多くなります。最後に斎王を卜定したのは後醍醐天皇ですが、建武の中興の失敗により、斎宮制度も終わりを告げます。これも時代の流れなのでしょうね。

 そして付編では、斎宮の10分の1模型や斎宮の森、竹神社などの史跡が写真入りで紹介されています。これを読むと斎宮に行ってみたくなります。

 以上、本の内容を簡単に紹介させていただきましたが、読み終えて思ったことは、「斎王たちのたくましさ」です。

 先例など気にも止めなかった徽子女王や斎宮託宣事件の(女専)子女王はもちろん、恬子内親王や古代の斎王たち、さらには、伊勢に行く気満々だったのについに斎宮に来ることはなかった最後の斎王、祥子内親王など…。肉親から引き離されて未知の土地、伊勢斎宮に赴かなければならなかった斎王たちを「かわいそう」とは捕らえたくないです。彼女たちは天皇の名代であり、誇りを持って斎王を勤めていたのだと思います。

 それと、著者の榎村先生も書いておられますが、伊勢は京都に比べると温暖で魚介類などの食べ物も新鮮でおいしく、更に周りの人たちが斎王が京にいたときと同じように過ごせるように気を配っていたので、案外楽しかったのではないかなと思ったりします。

このように、「伊勢斎宮と斎王」は、斎王について多面的に、しかもわかりやすく解説されている読みやすい本だと思います。各項目の本文のあとには、「もっと知りたい人のために」と題して、さらに掘り下げた解説をして下さっているので知識欲をそそられます。お薦めの1冊です。

☆斎宮や斎王について詳しく知りたい方は、斎宮歴史博物館の公式ホームページもお薦めです。歴代斎王一覧、斎宮百話、斎宮千話一話、斎宮の史跡案内など読み応え満載です。

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今日も、病院診察とランチ

2009-11-12 16:45:13 | えりかの平安な日々 04~09
4週間というのは本当にあっという間ですね。タイトル通り、今日は病院診察の日でした。

 それでまず、この前の血液検査の結果から。中性脂肪と肝臓の値が高くなっていました。そう言えば、この夏は焼き肉をたくさん食べたっけ…と、今さらながら思い出しました。
 それと、私はいつも白血球の数が多めなのですが、今回はぎりぎり正常値でした。それと、薬を減らしたのにもかかわらず、血圧が正常でひと安心。そう言えば最近は、胸が苦しくなるという症状もほとんどないので嬉しいです。ただ、膀胱炎の方は時たま症状が出ることがあるので、漢方薬は継続してもらいました。

 そして、診察を終えたあと、季節性インフルエンザの予防接種の2回目を打っていただきました。こちらの病院でインフルエンザの予防接種を打ってもらうようになった2年前から、なぜか風邪をひかなくなった私です。ありがたいです。

 さて、病院が終わったあとは、だんなさんの新しいコンタクトレンズを取りに行き、そのあとは、静岡駅から歩いて5分くらいの所にあるホテル「デュオ」のイタリアンレストランでランチを食べました。
 こちらのレストランに入るのは今回で3回目です。前々回はランチのコース料理を、前回はかきと野菜のバジルスパゲッティを食べたのですが、どちらもおいしかったです。今日はえびと野菜のペペロンチーノのスパゲッティを食べました。おいしくて幸せ♪今度、こちらのお店に行ったらお料理の写真を撮って日記に載せますね。

☆久しぶりに、本の紹介記事(斎宮旅行の予習のために読んだ本の紹介です)を書きました。今夜、文章の最終チェックをしますので、パソコンが動かなくなったとか、急用ができて出かけるというアクシデントがない限り、明日の午前中に記事をUPしますね。

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斎宮に行きます♪

2009-11-06 18:35:41 | えりかの平安な日々 04~09
 現在、三重県の斎宮歴史博物館にて、11月23日まで、「「伊勢物語 ~狩の使と斎宮」の展覧会が開かれています。
 狩の使と斎宮というキーワードですぐに連想されるのが、在原業平と恬子内親王です。「伊勢物語」の69段には、狩の使として伊勢にやってきた在原業平と、斎王恬子内親王の恋愛が描かれていますよね。この2人には興味津々です。

 それで、ぜひ展覧会を見てみたいと思い、来週、斎宮への日帰り旅行を決行することにしました。朝6時半に家を出発、夜9時に帰宅予定です。斎宮滞在は約6時間、その間に、展覧会や斎宮歴史博物館の常設展示を見たり、斎宮跡を歩いて妄想したりしようと思っています。何しろ数年間、熱望していた斎宮行きですから、思いっきり楽しもうと思います。

 そこで、斎宮でたくさん妄想できるようにと、現在、本を読んで予習しています。

 まず最初に読んだのは、『華麗なる宮廷才女 ー人物日本の女性史1(円地文子監修 集英社)』の中に収められている『斎宮の系譜』です。
 この文章は、国文学者の清水好子先生が書かれたもので、朱雀天皇御代の斎王、村上天皇女御の徽子女王(929~985)の生涯を綴った文章です。私が、斎宮や徽子女王に興味を持つきっかけになった文章でもあります。
 今回読み返してみて、「徽子女王はやっぱり素敵」と思いました。自分の考えや意志を持ったしっかり者の女性、それでいて優雅で女らしく、才能も豊かです。
 徽子女王の人物伝を書いてみたいと思っているのですが、思い入れが強すぎることや、何よりも彼女の原点というべき斎宮に行ったことがないのでイメージが思い浮かばず、なかなか実行できません。彼女が少女時代と、中年になってからの数年間を過ごした斎宮に実際に行ってみたら、少しは考えがまとまるかもしれないし、妄想もふくらむかも…と、ちょっと期待しています。

 そして現在は、斎宮歴史博物館の学芸員、榎村寛之先生の書かれた『伊勢斎宮と斎王 祈りをささげた皇女たち(塙書房)』を読んでいます。拙ブログ内の『(女専)子女王 ~神がかりした斎宮』を書くときに参考にした本で、斎宮制度や斎王たちのエピソードや歴史をわかりやすく解説してあります。お薦めの本なので、図書室で紹介してみたいとも思っています。

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近況

2009-11-05 22:09:36 | えりかの平安な日々 04~09
 皆様お久しぶりです。2週間も更新しなかったなんて、ブログを開設して初めてなのでは…。これからは、歴史記事を書けないときでも、日記だけは1週間に一度くらいは更新しなくてはと思っています。

 それはともかくとして、私は元気です。最近また、用事でも遊びでも出かける事が多いです。ここ10日の間にも、カラオケに行ったり、地元で行われたマラソン大会に出場した友人を応援に行ったりなど、楽しいことがたくさんありました。そして、来週は久々に遠出を計画していますが、このことは別の記事に書きますね。

 さて、なぜこれほど外出が多くなったかといいますと、実は、私の家の一番近くにあったスーパーが9月末で閉店してしまったからです。このスーパーは、家から歩いて7、8分の距離だったので、「外出」というほどのものではなかったのですよね…。
 そのようなわけで、少し遠くのスーパーに行かなければならなくなり、買い物のための外出に2時間以上もかかることになってしまいました。それで、仕方がないので2~3日分の食料をまとめ買いしているので、買い物の量が多いこと、多いこと。家に帰ってくるとすっかり疲れてしまいます。体力がなくて情けない限りですが…。

 それにしても思うことは、買い物に行く途中の市のメインストリートには、シャッターを閉めた貸店舗が目立つということ、この貸店舗を利用して、食料品店でもやってくれないかなということです。ああ、私の家から徒歩10分圏内にスーパーが5軒もあった20年前が夢のようです。

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