平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

誕生日

2009-01-27 20:57:32 | えりかの平安な日々 04~09
 今年も、無事に誕生日を迎えることができました。ここ2年ほど、年を取ることに複雑な思いを感じている私ですが、やっぱり自分の生まれた記念日は嬉しいものです。

 今日はだんなさんとお昼過ぎに静岡駅で待ち合わせて、駅構内のよく行くレストランでランチを食べてきました。
 私は最近、ここではあさりのスパゲッティーを食べることが多かったのですが、今日は魚介のペスカトーレのプレートにしました。色々な貝や、イカやエビが入ったトマト味のスパゲッティーで、とてもおいしかったです。プレートはこれにサラダと飲み物がつきます。サラダはいつもは生野菜とポテトサラダなのですが、今日はポテトサラダの替わりにマカロニサラダが入っていました。私はマカロニサラダが好きなので嬉しかったです。

 ランチのあとは駅から歩いて5分ほどの所にある新静岡センターでお買い物。ここはバスターミナルや私鉄の駅の入っているデパートなのですが、耐震工事のため取り壊すそうで、今月いっぱいで閉店してしまいます。こちらのデパートは、県の職員住宅に住んでいたときと、清水の一戸建て住宅に住んでいたときによく買い物に来ていたので、閉店はとても寂しいです。

 それでまず、ポイントカードを商品券に引き替えることに。そうしたら千円分のポイントがたまっていたのでちょっと驚きました。最近あまり来ていなかったのに意外とたまっているものなのね。
 せっかくなので地下の肉屋で、ジャンボシューマイと冷凍ロールキャベツを引き替えた商品券で買いました。どちらもお肉と野菜がたっぷり入っていてすごくおいしいのです。でも、これを買うのも今日が最後なのよね。それで夕食にジャンボシューマイを味わって食べました。近いうちにロールキャベツも、コンソメスープで煮込んで食べようと思います。

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創作平安王朝料理その3 ~秋の日帰り京都旅行8

2009-01-25 10:02:34 | 旅の記録
 六盛さんで頂いた「創作平安王朝料理」の3回目、今回は六進からラストの十進までを紹介します。

*このページの写真はすべて、『花橘亭~なぎの旅行記~』の なぎさん撮影です。快く転載を許可して下さいましたなぎさん、ありがとうございました。


六進 挙物(あげもの)


  


 天ぷらです。しいたけが入っていたように記憶しています。他に掻き揚げもあったようです。四種器の塩をかけて頂きました。京都で食べる天ぷらはやっぱり塩で食べたいです。

 ところで、天ぷらを食べている途中、「平安時代に天ぷらはあったのか」ということが話題になりましたが、六盛さんから頂いた説明書を帰宅後に読んだところ、平安時代に油で揚げたのは唐菓子という揚げ菓子(十進を参照)だけで、天ぷらはまだなかったそうです。天ぷらが登場するのは室町時代からのようです。

 そうそう、食べながら、「家康は鯛の天ぷらを食べ過ぎて死んだのよね」というようなマニアックな話題も出ました。


七進 窪坏物(くぼつきもの)


  


 もずくの酢の物。ところてんのような感じでした。ところてんが好きなだんなさんが食べたら喜ぶだろうなあという味と食感です。私はところてんがあまり好きではないので、「このお料理はちょっと苦手」と思いながら結局、全部食べてしまいました。それにしても器がこっていますね。


八進 姫飯(ひめいい)

  


 赤米の湯漬けです。
 赤米はおめでたい色をしたお米です。品種改良をしていないので、当時の味をそのまま味わえる一品だそうです。

 この姫飯は、「創作平安王朝料理その1」でも書きましたが、2003年5月に仁和寺にて食べたことがある料理の一つです。その時も「おいしい!」と感じたのですが、今回もとってもおいしかったです。薄味ながらだしが効いていましたし、わさびの味もしてぴりっとしていました。もっとたくさん食べたかったです。


九進 木菓子(きがし)


  


 梨です。
 平安時代の菓子と言えば果物=果実だったそうです。今回は梨が出されましたが、他に桃、李、橘などがあったそうです。

 ところで、私たち夫婦は梨が好きで、秋になるとよく買ってきて食べています。この前日も食べたばかりでした。六盛さんで王朝料理を頂いたあとも何度か食べたのですが、そのたびに王朝料理の味を思い出して幸せ気分でした。


十進 唐菓子(からがし)


  


 餅米(もちまい)の粉、小麦粉、大豆、小豆などを素材に、酢、塩、胡麻や甘葛汁(あまがら)、水飴を加え、油で揚げたお菓子だそうです。ドーナツよりもクッキーに近いような感じがしました。ほどよい甘さでおいしかったです。ちょうど風俗博物館で模型を見た直後だったので、食べることができて嬉しかったです。


 以上のように、一進から十進まで、皆様とおしゃべりをしながら楽しく、おいしく頂くことができました。御物以外は全部食べましたが、一つ一つのお料理の量が手頃なので、おなかいっぱいで苦しいということはなく、ほどよい満腹感でした。途中、熱いお茶と、漬け物も出して頂きました。おいしかったです。

*写真の転載を許可して下さいましたなぎさん、改めましてありがとうございました。なお、写真の著作権はなぎさんにありますので、無断転載は堅くお断りいたします。

 また、なぎさんもご自分のサイト、花橘亭 ~なぎの旅行記~内の、平安時代好きの京都旅行記にて、創作平安王朝料理のレポートをUPなさっています。とてもわかりやすく、詳しいレポートですので、ぜひご覧下さい。


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創作平安王朝料理その2 ~秋の日帰り京都旅行7

2009-01-21 13:19:10 | 旅の記録
 六盛さんで頂いた「創作平安王朝料理」の第2回目、今回は二進から五進までを紹介します。

*このページの写真はすべて、『花橘亭~なぎの旅行記~』の なぎさん撮影です。快く転載を許可して下さいましたなぎさん、ありがとうございました。


二進 羮(あつもの)


  


 お吸い物です。ハモやまつたけが入っていました。ハモというのがいかにも京都らしいですね。薄味ながらだしが効いていておいしかったです。

 今回は懐石料理や西洋料理のフルコースのように1品1品の料理を順番に出して頂きましたが、平安時代には供宴の席であっても全部の料理が一度に出されていたそうです。なので、ほとんどが冷めた料理で、唯一、汁物だけが温かい料理でした。当時の汁物の具は、野菜や海草が中心のもの、肉や魚が中心のものの2種類があったそうですが、今回私たちが頂いたお吸い物のような野菜と魚が入ったものは、大変なご馳走だったそうです。


三進 割鮮(かつせん)


  


  


 お刺身です。平安時代、生の魚の身を食することは最大のご馳走だったそうです。冷蔵庫のない時代、魚はほとんど干したり焼いたりして食べていたので、生の魚は貴重だったのでしょうね。また、貴族たちは天皇の前で包丁さばきを見せることを自慢にしていたとか。

 今回頂いたものは鯛とイカのお刺身で、それぞれ別のお皿に盛りつけられて出されました。盛り合わせはしないという平安時代の習慣がここでも生かされていますね。お刺身には味がついていなかったので、四種器の塩をスプーンですくい、かけて頂きました。おいしかったです。

 ところで、この王朝料理を頂くときに使った箸についてもちょっと…。箸は、普通の木の箸と銀色の重い箸が用意されていました。平安時代には重い箸の方を使っていたそうで、「箸より重い物を持ったことのない」の語源はこの重い箸なのだそうです。
 私もせっかくなので、最初は重い箸を使って食べていたのですが、ずっしりと重くてなかなかうまく食べられませんでした。なので三進の途中から木の箸に切り替えました。うん、やっぱりこちらの方が食べやすいです。


四進 炙(あぶりもの)


  


 鯛の焼いたもの。照り焼き風に味がついていてとてもおいしかったです。鯛って私にはなかなかうまく焼けないのですよね…。味つけもうまくできないし。

 なお、平安時代は素焼きにするのが普通で、みそをつけたりかば焼き風にする手法は室町時代から始まったのだそうです。


五進 調菜(ちょうさい)


  


 野菜と松茸のおひたし。松茸ってあまり好きではない…と思っていたのですが、おいしかったです。さっぱりした味わいでした。

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創作平安王朝料理その1 ~秋の日帰り京都旅行6

2009-01-18 11:10:35 | 旅の記録
 前回の更新から時間が経ってしまいましたので、まずちょっとおさらいを…。

 2008年10月24日、京都に日帰りで行ってきました。午前中は風俗博物館へ。4分の1に縮小して再現された光源氏の邸宅、六条院春の御殿の中に展示された「源氏物語」のシーンを堪能し、実物大展示室で遊んできました。

 そして次はいよいよ、平安神宮の近くの京料理のお店「六盛」さんで行われる「創作平安王朝料理を食す会」に参加します。

 今回もだんなさんと一緒に京都を訪れたのですが、今回彼は、平安神宮とその周りをゆっくり散策したいとのことで、お食事会はパスすることに。それで私はお言葉に甘えて一人で参加することにしました。平安神宮で参加メンバーの方々と合流。偶然にも、お食事会の参加メンバーは、5月の京都文化博物館での装束体験参加者と全く同じメンバーでした。

 さて、六盛さんの玄関は、いかにも料亭といった感じのしゃれた玄関でした。お店の方の暖かい歓迎に大感激。そしてまず通されたのが待合室のような所。でも、丸い大きなテーブルに人数分の椅子が用意されていて、ここで食事をしてもおかしくないしゃれたお部屋でした。
 ここでは、参加メンバー6人で六盛さんから配られたお料理の説明書を見て予習をしたり、「源氏物語散策帖(らくたび文庫」という本を見せて頂いたりしました。この本には、六盛さんの創作平安王朝料理の紹介が載っているのだそうです。
 また、「道長は蘇にはちみつをかけて食べていたんですって。」「だから糖尿病になったのね」「道長の家系って絶対に糖尿病の家系よ。だって、お兄さんも甥御さんも糖尿病だもの」など、マニアックな話にも花が咲きました。

 そうこうしているうちにお店の方がお迎えに来て、食事をする部屋に案内していただきました。畳敷きの広い部屋です。

 まずここでお店のおかみさんから、創作平安王朝料理の説明を受けました。このお料理は、当時の史料に基づいて5年の歳月をかけて研究されたお料理なのだそうです。ただ、今となっては手に入らない食材もあるようです。例えば鹿の肉は、現在では鹿が禁猟になっているので手に入らないとか。なので他の材料で補ったり、現代風に少しアレンジを加えたりしてあるようですが、それでも平安時代の貴族の食事の雰囲気は充分味わえそうです。料理は一進から十進まであるようです。全部食べられるかちょっと不安ですが…。

 というわけでお食事が始まりました。最初に食前酒、白くにごった濃厚なお酒です。おいしかったのですが、私はアルコールにとても弱いので、少し飲んだだけであとは残してしまいました。

 次はいよいよ一進のお料理です。


  


 なお、この写真は『花橘亭~なぎの旅行記~』の なぎさんの撮影です。快く転載を許可して下さいましたなぎさん、ありがとうございました。

 右側にある四つの小さな器は四種器(よぐさもの)です。これは調味料で、塩、酒、酢、醤(ひしお)です。醤は後世の醤油の祖となったものだそうです。これを好みに応じて、銀のスプーンですくってお料理に味つけをしていただくのだそうですが、今回の料理はわりと味つけがしっかりされていて、薄味の好きな私はあまり使いませんでした。
 なお、身分の低い者の調味料は塩と酢の2種類だったそうです。なので私たちは、身分の高い貴族の最高の食事を味わったわけですよね。(^^)

 一方、左側にあるのは一進の祝菜(ほがいな)です。これは西洋料理でいうとオードブルに当たるものです。

 中央にあるのは御物(おもの)と言って、白米を高く盛りつけたものです。これでお茶碗3杯分あるとか。堅くぎゅっと盛りつけてあるので、箸で少しずつほぐしながら頂きます。なお、この御物は残しても良いしきたりになっていたとのこと。

 御物の周りにあるのは「おまわり」と呼ばれるもの。平安時代は、お料理を一品ずつそれぞれのお皿に盛りつけて食べました。現在のように、複数のお料理を一枚の皿に盛りつけることはなかったそうです。そして、おまわりの数が多いほどご馳走だったところから「かずもの」の別称が生まれ、やがてそれが「おかず」と呼ばれるようになったということです。

 さて、その「おまわり」の中身ですが…、焼きたこ、干しあわび、いのししの肉、鰹の干したもの、山芋の上に海鼠腸(このわた)がのったもの、きじの肉を塩漬けにして干したものなどが並べられていました。どれも滅多に食べられないものなので味わって頂きました。どの料理もなかなかおいしかったですが、特においしかったのは蘇(そ)と、鱚(きす)の肉を干したものに大根おろしが添えられた料理でした。

 実は私、六盛さんの王朝料理を食べるのは今回が初めてではなく、2003年5月に仁和寺で行われた「日本文化フォーラム21 紫の心 ~源氏物語の世界」というイベントで一度食べたことがあるのです。その時出たのはこの祝菜と、今回八進で出された姫飯でした。
 その時も鱚の干したものはとてもおいしかったです。今回と同じように大根おろしが添えられていました。でも、蘇はいまいちでした。何か味のないクッキーのように思えたのですよね…。

 ちなみに蘇というのは、牛の乳をじっくりと時間をかけて煮詰めて造ったもの、現在のチーズのようなものです。おかみさんのお話によると当時は山羊の乳を煮詰めていたそうですが、現在では山羊の乳は手に入らないので牛の乳を用いているようです。
 それはともかく、今回頂いた蘇は、濃厚なチーズのような感じでコクがあり、5年前に頂いた時よりもはるかにおいしかったです。道長さんのようにはちみつをかけなくても充分おいしいと思いました。今でも、家でチーズを食べると、この時の蘇の味を思い出し、とっても幸せな気分になることができます。

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裸足の皇女

2009-01-15 11:18:10 | 図書室3
 久しぶりに古代史小説が読みたくなり、この本を再読してみました。

☆裸足の皇女
 著者=永井路子 発行=文芸春秋

内容(「BOOK」データベースより)
 曽我赤兄を祖父にもつ、天智帝の皇女山辺は大津皇子と結ばれる。まさに皇后の座にいま一歩―。古代の朝廷に渦まく熾烈な権力争いと、奔放な恋の顛末を描き出した9篇の小説。

*画像は、私が所持している単行本ですが、現在では単行本・文庫版ともに絶版のようです。興味を持たれた方、図書館か古書店を当たってみて下さい。

 では、この本に収められている9篇の短編と簡単な内容を紹介します。なお、☆以降はえりかによる一言感想です。

冬の夜、じいの物語

 冬の夜に、白橿のじいが、姪の娘に当たる亜香女に語る昔物語。白橿のじいは若い頃、蘇我稲目の邸に仕える奴だった。蘇我稲目には、欽明大王の妃になった娘、堅塩媛と小姉君がいたが、堅塩媛の子供たちは大王位についたりして優遇されているが、小姉君の子供たちはなぜか悲運の人生を送った。この小説は、白橿のじいと亜香女の会話によって、そのあたりの謎に迫ったものである。

☆白橿のじいと亜香女の会話が次第に緊迫感を帯びてきてスリルを感じました。それにしても古代史はわからないことが多いですね。

裸足の皇女

 天武天皇の崩御の直後、謀反の疑いをかけられて非業の最期を遂げた大津皇子の妃、山辺皇女の生涯を、父天智天皇の崩御、壬申の乱、その後に続く祖父、蘇我赤兄の流罪などの歴史事項と絡ませて描いた小説。

☆この小説に出てくる大津皇子、私のイメージとはちょっと違っていました。彼はもう少し、影のある人物だと思うのですよね。それと、皇女の乳母、胡奈女が怖かったです。彼女は有間皇子の恋人だったのかしら?こんな風に、ちょっとミステリーっぽいですし、山辺皇女の心の動きが詳細に描かれていて面白かったです。裏切り者というイメージのあった蘇我赤兄の人間的な一面もかいま見られました。

殯の庭

 天武天皇と藤原鎌足の娘、五百重娘との間に生まれた新田部皇子の生涯を、様々な人々と絡ませながら描いた小説。

☆父帝のモガリで兄たちの様々な言動を耳にし、世の中のことを少しずつ知っていく様子、母方のおじに当たる藤原不比等や、不比等と母との間に生まれた藤原麻呂への愛憎の入り交じった複雑な思い。色々なことを見聞しながら、自分の進むべき道を見つけていく新田部皇子の心の動きがとても面白いです。彼の周りの人たちも魅力的に描かれているので、短編ながらとても読み応えある作品だと思いました。当時の同母兄弟の結びつきの強さ、異母兄弟の結びつきの稀薄さも感じられます。

*以下四編は、大伴坂上郎女を主人公にした小説です。

恋の奴

 大伴坂上郎女の最初の夫は、天武天皇の皇子、穂積皇子。そして穂積皇子は過去に、高市皇子の妃になっていた但馬皇女と許されぬ恋をした経験があった。そのことを異母兄の大伴宿奈麻呂から聞かされた郎女は、皇子が遠くに行ってしまうような寂しい気持ちを味わうのだが…。

☆若い郎女を静かに恋している穂積皇子と、やはり郎女を暖かく見守っている宿奈麻呂、二人とも素敵です。郎女がこれからどうなるのか、先が気になります。引用されている「万葉集」に収められた穂積皇子と但馬皇女の歌もいいですね。

黒馬の来る夜

 次に郎女の夫になったのは藤原不比等の四男、藤原麻呂だった。しかし宿奈麻呂は、この結婚には反対のようだ。そして間もなく、麻呂の訪れはまれになり、郎女と宿奈麻呂はついに結ばれることになる…。

☆もう一人の異母兄、大伴旅人が郎女の結婚に賛成した理由は、「これを機に大伴の家が権力者、藤原氏に近づけるかもしれないという思わくがあったのですね。それに対して、郎女をひそかに恋している宿奈麻呂は、ただ郎女の幸せのことだけを考えて反対したような気がします。それと、ところどころに郎女の歌が引用されていたところが興味深かったです。

水城相聞

 郎女が宿奈麻呂と結ばれて数年後、もう一人の異母兄で大宰帥となっていた旅人の妻が亡くなり、郎女が主婦替わりに太宰府に呼ばれたため、彼女は奈良の都からはるばる九州に旅することとなる。そこで彼女が出会ったのは、旅人の部下の大伴百代だった。

☆初めは鈍感で実直すぎる百代にいらいらしていた郎女が、突然彼を恋してしまうところがとても面白いです。旅人の描き方や、太宰府を舞台にしているところも新鮮ですし、短いながらとても読み応えある作品だと思います。

古りにしを

 九州から奈良に戻った郎女、しかし彼女を待ち受けていたものは…。万葉の女流歌人を描く四部作、完結編。

☆郎女のその後の生涯を、藤原四兄弟の死、それに続く聖武天皇の都移りなどの歴史事項も織り込みながら描いた作品です。宿奈麻呂が大津皇子と草壁皇子に同時に愛された石川郎女と恋仲だったという事実には驚かされます。それを知ったときの郎女の複雑な心の内がリアルに描かれていて心に迫ってきます。また、郎女が娘に変わって読んだ情熱的な歌も感動的です。

火の恋

 高級の蔵部に使える女嬬、狭野弟上娘子と下級官人、中富宅守との許されぬ恋。だが、二人は人目を忍んで逢瀬を重ねた。しかし、宅守の父、東人が大伴子虫に殺されたことをきっかけに、二人の恋は露見してしまう。娘子は女嬬を解かれ、宅守は女嬬と密通した罪で越前に流されてしまう。離ればなれになった二人は情熱的な恋の歌を取り交わすことになるが、やがて娘子は若くしてこの世を去る。

☆女嬬というのは天皇に捧げられた聖女、つまり他の男と口をきいてはいけない、歌を取り交わしてもいけないという決まりになっていました。娘子はあえてその禁忌を破り、宅守との秘めた恋の道を選んだのです。そして娘子は女嬬を解かれて初めて、堂々と宅守との恋の歌を詠むことができるようになったのでした。
 娘子がもう少し長く生きていたら、罪を許されて都に帰ってきた宅守と幸せになれたでしょう。しかし、その望みはかないませんでした。それでも娘子は、自分の人生に悔いはなかったと思います。

妖壷招福

 菅原清公の下級従者として遣唐船で唐にやってきた登紀麿は、博多に住む水手、川樫からもらった砂金で玻璃壷を買う。彼は川樫の美しい娘、泉女に恋いこがれており、この壺を使って泉女を手に入れようと考えていたが…。

☆この小説は、福岡市の鴻艫館跡から発掘されたガラス瓶の破片から想像をふくらませた話なのだそうです。(作者あとがきより)
 私は、平成2年に福岡を訪れたことがあるのですが、その時にたまたま鴻艫館跡の発掘現場の前を歩いて通りました。その時、「ここがこの小説のモデルとなったガラス瓶の破片が発掘されたところなのね」とわくわくしたのを思い出します。庶民の目で見た遣唐使派遣を描いたという点でも面白いと思います。延暦寺を開いた最澄もちらっと登場しますよ。

 以上、蘇我稲目の時代から平安初期までをあつかった9篇の短編が収められています。

 この本で最も圧巻なのは私見的には、大伴坂上郎女を主人公にした4部作だと思います。

 大伴安麻呂の娘で、家持の叔母・姑にも当たる大伴坂上郎女は、「万葉集」に短歌77首、長歌6首、旋頭歌1首が収められている女流歌人です。最初、穂積皇子(天武天皇皇子)に嫁し、その死後には藤原麻呂(藤原不比等四男)の妻となり、続いて異母兄の大伴宿奈麻呂の妻となって二人の娘をもうける…といった、なかなかドラマティックな生涯を送った女性です。
 「恋の奴」以下の四編は、そんな彼女の生涯が「万葉集」に収められた歌を引用しながら描かれています。四編を通して読むと、彼女の波瀾の人生と当時の歴史が鮮やかに浮かび上がってきます。

 ちなみに…、私は彼女の歌の中では「来むと言ふも 来ぬ時あるも 来じと言ふも 来むとは待たじ 来じと言ふものを」が好きですが、これは麻呂に送ったものだそうです。「来ると言って来ないあなたですもの。来ないと言うならもしかしてくるかしら?いいえ、来ないに決まっているわ。来ないって言っているのですもの」という意味です。

 あと、今回再読してみて感動したのが、同じく「万葉集」の歌を題材にした「火の恋」です。思わず上で力の入った感想を書いてしまいました。

 もちろん、その他の物語も骨格がしっかりしていて、どれも読み応えがあると思います。

 そして、「裸足の皇女」から「火の恋」までは、壬申の乱から奈良時代中期頃までの物語がほぼ年代順に並べられていると共に、各話の登場人物に関連性があるので、それを楽しむのも一興です。「裸足の皇女」の山辺皇女と「恋の奴」の穂積み皇子は、同じ蘇我赤兄の孫ですし、「殯の庭」の藤原麻呂は「黒馬の来る夜」」でも登場してきます。歴史というものはつながっているのだと実感できます。
 ぜひこの本で、古代の世界を堪能してみて下さい。

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天武天皇と藤原夫人の贈答歌

2009-01-09 11:19:28 | 歴史雑記帳
 1月3日の日記でも書きましたが、元旦の夜、7時のニュースのあと、「何か面白い番組やっていないかな?」と思ってチャンネルを回していたところ、NHKハイビジョンで万葉集の番組をやっているのを見つけました。私が日本史に興味を持つきっかけの一つが万葉集だったので、何かなつかしくなり、途中からでしたが番組を見てしまいました。

 私たちが番組を見始めたとき、ちょうど解説されていたのがこちらの贈答歌でした。

天皇、藤原夫人に賜ふ御歌一首

 わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 落らまくは後

             天武天皇 巻2 103


藤原夫人、和へ奉る歌一首

 わが岡の おかみに言ひて 落らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ

          藤原夫人 巻2 104

 この歌は高校の古典の教科書にも載っていて昔から親しみを感じていました。それに、二人のかけ合いが面白いと思っていたのです。歌の意味は、

☆天武天皇の歌
 私の住んでいる里に雪が降ったぞ。お前の住んでいる大原の古びた里に降るのはずっとあとのことだろう。どうだ、すごいだろう?

☆藤原夫人の歌
 あら、こちらにもちゃんと降っていますのよ。あなたの所に降っている雪は、私の所で降った雪のかけらを神が降らせたのでしょう。それなのにお得意になって、おかしいわ。

 今まで私は、天武天皇の宮と藤原夫人の大原の里はだいぶ離れていると思っていました。ところが、番組での解説によると1キロほどしか離れていないのだそうです。つまり、今の感覚でいうと、1キロほどの距離に住んでいる恋人同士が、雪を見ながらメールをやっているようなものだとか。ちなみに「大原」というのは京都の大原ではなく、飛鳥の大原です。ここに藤原夫人の父の鎌足の邸があったそうです。

(私の歌に対する感想)
 確かに、1キロしか離れていなければ、ほぼ同じように雪も降っているでしょうね。それなのにこうして歌の贈答をするなんて、古代の人達は大らかだわ…と思いました。それでもこの歌を見る限り、藤原夫人の方が一枚上手のように思えるのですが…。

 ところで、番組には東儀秀樹さんが出演されていて、この贈答歌からイメージした曲を披露して下さいました。笙の音色が雪を表しているとのことです。その通り、まるで天から雪が降って来るのが目に浮かぶような素敵な曲でした。

 ついでに作者の二人についても簡単に書いておきますね。

☆天武天皇(631?~686 在位673~686)

 第40代天皇。

 名は大海人。舒明天皇の皇子。
 兄の天智天皇の皇太弟となるが、次第に兄の近江大津宮で疎外されるようになる。671年、天皇崩御の直前に自ら吉野に逃れた。しかし、天皇の崩御後に吉野で兵を挙げ、672年に天智の子、大友皇子に勝利する。(壬申の乱)673年、飛鳥浄御原宮にて即位した。

☆藤原夫人(生没年未詳)

 藤原鎌足の娘、五百重娘のことである。
 壬申の乱の後に天武天皇の妃となり、新田部皇子をもうけた。天武とは父と娘ほど年が離れていたらしい。天皇の崩御後、異母兄の不比等との間に麻呂をもうけた。


 この他にも、この番組では大伴旅人の歌や防人歌を紹介していました。そこで、万葉集関連の本も読んでみたくなってしまいました。そして、最後に紹介されていたのが大伴家持のこの歌です。

 新しき 年のはじめの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事

 この歌は、天平宝字三年(759)の元旦に、因幡の国庁で詠まれたもので、万葉集の最後を飾る歌でもあります。そして、今年はこの歌が詠まれてちょうど1250年に当たります。改めまして、今年も皆様に良いことがたくさんありますように。

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2009年 年賀状

2009-01-07 10:47:24 | 美術館
 2009年1月1日から6日まで、トップページを飾った文章と画像です。


☆★☆明けましておめでとうございます。☆★☆

 旧年中はお世話になり、どうもありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。2009年が皆様にとって幸多き1年でありますように。

 さて、今年は丑年ですね。牛と言えばこれ、平安時代の貴族の自家用車、牛車です。平安時代には牛が大活躍だったのですよね。
 と言うわけで、今年も昨年以上に平安時代を極めたいと思っております。まだまだ知りたいことも多いし、読みたい本もたくさんあります。ブログに書いてみたいことも多いです。でも、あまり欲張りすぎるとかえって大変なので、ゆっくりとマイペースで更新していきたいと思っています。今年も、「平安夢柔話」をよろしくお願いします。

 画像は、今年の我が家のお正月飾りです。

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今年のお正月&お正月料理

2009-01-03 20:16:37 | えりかの平安な日々 04~09
 お正月三が日も今日で終わりですね。

 今年のお正月も例年と同じく、食べて、寝て、テレビを見てというようにまったりと過ごしました。家事もほとんどしていませんし、初詣にもまだ行っていません。と言うわけで、当分、お正月気分が抜けそうもないです。

 ところで、今年は新年からいいことがありました。

 1日の夜、7時のニュースを見たあと、「何か面白い番組をやっていないかなあ」と思ってチャンネルを回していたら、ハイビジョンで「万葉集」の番組をやっているのを発見。途中からではありましたが見てしまいました。なかなか面白い贈答歌を紹介していたので、後日「歴史雑記帳」で記事を書いてみたいと思っています。それはともかく、元旦から興味深い番組を見られて幸せ♪

 そして、昨日と今日に行われた箱根駅伝では、だんなさんの母校が優勝しました。なのでだんなさんは大喜びで母校の応援歌を歌っていました。私も嬉しいです。今夜はこのあと、ワインで祝杯を挙げようと思っています。

 さて、タイトルのお正月料理のことも書きますね。

 今年も昨年同様、お総菜屋さんから御節料理を買いました。


          


 黒豆やなます、たたきごぼう、かまぼこなど、御節料理の定番がたくさん入っていました。やはり昨年と同じく、ウナギの昆布巻きがおいしかったです。あと、個人的にはたたきゴボウがおいしかったかな。それから、「ちょっと苦手だな」と思っていた栗きんとん、何かモンブランのケーキのような感覚でとてもおいしかったです。

 そして、こちらは我が家のお雑煮です。


          

 我が家のお雑煮は角餅で醤油味、具は白菜です。そして、削り節と青のりをたっぷりかけて食べます。薄味ですが、だしが効いていてとってもおいしいです。そしてすごく暖まります。ついついたくさん食べてしまいました。

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