平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
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今回も楽しくて素敵な時間 ~濱田金吾さんライブ2018年4月21日

2018-04-29 17:15:15 | えりかの徒然なるままに
 4月21日、またまた行ってきました。今回で通算24回目の参加となる濱田金吾さんのライブ。今回もとっても楽しかったので、レポートさせていただきます。
 場所は、大阪のMister Kelly's、少し遠いですが、音響も良く、このあとに執筆予定の旅行記にも書きますが、ライブのあとの打ち上げも楽しいので、今回も参加しました。
ちなみにこちらに来るのは今回で6回目になります。会場のほぼ真ん中のテーブル席で、ファン友さん3人と楽しくライブ鑑賞しました。

 オープニングはとてもさわやかでおしゃれな曲から。でもこの曲、何という曲だっけ?CD化はされてないし、提供曲でもないよね。
 そうしたら歌詞に「風の島」という言葉が出てきたので、あ、この曲、松下誠さん、村田和人さんとのユニット「moon kids」の曲「風の島」なのではと気がつきました。そうそう、2年前の春の大阪ライブでもやったよね。聴いたのはその時1回だけなので、すぐにはわからなかったのでした。
 で、後日UPされたセットリストを見て、ああ、間違いなくオープニングは「風の島」だったのねと、安心しました。滅多にやってくれないこの曲、またぜひ聴きたいです。

 2曲目もCDとは一味違ったさわやかなイントロ。でもこちらの曲はライブで何回か聴いているのですぐわかりました。学生時代の楽しい思い出がいっぱいある曲、そして、私が音楽から離れていた時期にも、お出かけ用のテープに入っていた曲、「夜風のインフォメーション」、CDでのアレンジも好きですが、「なんちゃって君」をつかってのライブアレンジもいいなあ。

 こうしてさわやかに始まった今回のライブ、2曲目が終わってから、ドラゴンズファンとしては今年もあまり触れて欲しくない野球の話をし、この日にジャイアンツが勝ったということで喜ぶ金吾さん。

 そんなこんなで3曲目へ。私にとってのサプライズが待っていました。
「滅多にやらないSentimental momentをやります」
 思わず「嬉しい」と口から出ていました。大好きなこの曲、本当に久しぶりにライブで聴いたって感じです。しかもボサノバ調でギター1本の弾き語りがとても素敵で最高でした。金吾さん、ギターすごくうまいって思ったし。(^^)

 この時期にぴったりな「Hotel Surfrider」のピアノ弾き語りに続いて、本日初めて来られた方のリクエストに応えて「涙もろいペギー」、高橋真梨子さんへの提供曲です。3拍子の素敵な曲、
 この曲をリクエストした方、カラオケで歌ってみたいとのことだったのですが、聴きながら「私も歌ってみたいなあ」と思ってしまいました。少し難しそうですが。。

 続いてアーシアンの挿入歌「Good night」、お隣のToshiさんのお気に入りの曲なので「良かったね」と私が言ったのと、Toshiさんが「やった!」と言ったのがほぼ一緒だったと思います。
で、Toshiさんの「やった!」が金吾さんに聞こえたようで、
「じゃあ、別の曲にしようか」
と金吾さん。わあ、私もこんな風にいじられたいなあ。さっきの「Sentimental moment」の「嬉しい」、もっと大きな声で言えば良かった。
 あ、そのあとに「一緒に歌う?」とも言われていましたし。

 続いてこの時期にぴったりな「青空の翳り」。いつ聴いてもいい曲です。

 そのあとで話題になったのが、NHKでやっているガンダムの曲人気投票のことでした。
 金吾さんも、「銀色horizon」というガンダムの主題歌を作曲して、中瀬聡美さんという方に提供しているので、この人気投票のことを知ってすぐ、私も、「銀色horizon」に1票入れさせていただきました。
「1人2票あるっていうんだけど、この曲を投票した理由で自分の曲だからって書くのも恥ずかしいから、投票していないんだけどね」
と言い、そのあと投票を呼びかける金吾さん。
 そうだ、2票入れられるんだっけ。忘れてた。帰宅したら早速、もう1回、投票しなくては…と思ったら、会場から、
「投票、終了したって」
という声が。
「何だ、最下位になったらどうするの」
と、金吾さんがいったので、私
「1票入れたよ」
といったら、
「だからさ、1票じゃだめなんだよ、2票入れなくちゃ」
 そうですよね、もう1票、入れられることをすっかり忘れていた私がぼけていたのですから。でもこうしていじられるのを嬉しく思うのも事実で。(^^)
 でてっきり、そのあとに「銀色horizon」をやるのか鳴って思ったのですが、演奏されたのは、カップリングの「オレンジ色の花」の方でした。こちらはライブでは滅多にやらないような気がするので嬉しかったです。

そして1-setラストの曲は、明日、娘さんが結婚するという大阪ライブの常連の方に送りますということで、CD未収録の「リボン」。
 この曲はクリスマスライブの時期にしか演奏されないと思うので、春と秋に行われる大阪ライブのお客さんの中には、初めて聴かれた方も多かったと思います。
 それにしても、ファンの方の娘さんの結婚を祝う企画なんて、ライブハウスならではですよね。「リボン」を聴きながら、とても温かい気持ちになりました。

 以上で1-setはおしまい。

 2-setの最初はなんちゃって君を使っての演奏でMay sick」。超素敵なAORアレンジ。こちらのバージョンでCD化して欲しいって思ってしまいました。あ、その時はSentimental moment」のボサノババージョンもぜひ。
 2曲目は大好きな「悲しきby-player」ますますテンション上がります。

 そしてそのあと、
「4枚目のアルバムな~んだ?」
と、会場に問いかける金吾さん。
 私、アルバムジャケットと入っている曲はすぐに頭に浮かんだのですが、なぜか1枚目のアルバムタイトルが口から出てしまったのでした。でも、「Manhattan」まで言って気がついて口を押さえたのですが。
「聞かなかったことにしておくね」
と金吾さんに言われてしまい。あわてて「Midnight cruisin」と言い直したのですが。ああ、今日はぼけてる~。

 そう言えば、ステージの金吾さんと絡めたことがもう一つありましたっけ。
 実は今年、御年65歳になられた金吾さん、役所から、「老人の証明書がいっぱい来る」のだそうです。
 で最近、指がつったり咳が止まらなくなったりすることがあるとか。
「どうして咳が出るのかなあ」
と金吾さんが言ったので、私、
「花粉症とか。花粉症になると喉がかゆくなって咳が出るよ」
と言ってしまいました。実はこれ、私の症状なんですよね。
 あ、他にもPM2、5という説も。いずれにしても、金吾さんには健康に気をつけて長くライブを続けて頂きたいです。
 とはいうもののこの日の金吾さん、声がとてもよく出ていたような気がします。そうだよね、今の60代なんて若い若い。まだまだ大丈夫。(^^)

 ところで、ライブならではの企画。
「何かリクエストアル?」
という金吾さんの問いかけに「Jazz singer」という声が。
「じゃあ、これ、やろう」
 わあ嬉しい~。この曲大好きなのです。聴けて幸せ(^^)

 他にも、「Listen baby」「American night」という声もあったのですが。
 ギターでこの2曲のイントロを弾き、なぜかとても低い声でワンフレーズだけ歌う金吾さん。そして、
「この2曲は6月30日の京都でやるから来て」
ですって。残念ながら私は、今年も京都には行けないのですが。

 2-setでは他にも、ピアノの弾き語りがとても素敵だった「Modern times」や、これも大好きな「シャレード」、CD化されていないのでライブでしか聴けない「君はもう泣いちゃいけない」、みんなでコーラスを合唱していつも楽しい「Piano man」(今回私は、思い切って一番高いパートを歌いました)など、素敵な曲をたくさん聴かせて頂きました。
 そしてラストは、4年前に天国に行った親友のDanny石尾さんに提供した「Dear song」。いつもじーんと心に浸みる一曲です。

 2-set終了のあとはアンコールへ。

 1曲目はブルージーなアレンジの「Midnight Cruisin’」。手拍子で盛り上がりました。
 2曲目は、これも手拍子で盛り上がった「Portrait Woman」。
 実はこの日は春を通り越して夏のような気候でした。よって会場は暑くて熱くて。でも負けてはいられません。頑張って手拍子を続ける私。そして思いました。楽しいなあ、終わって欲しくないなあと。
 でもその次の曲がラストの曲でした。

 2ヶ月ほど前、こちらMister Kelly'sの店長を勤められていた窪田さんが急逝されました。多分、私と同じくらいの年齢だったと思います。子供さんもまだ小さいようで、お気の毒としか言えません。
 何より、関西の音楽シーンになくてはならない方だったそうで。

 とは言うものの私、何回もこちらに来ているのに、どなたなのかよくわからなくて。(すみません)
 でも聞くところによると、こちらの会場に入るときにいつも出てきて下さり、「こんにちは」と声をかけて下さった方だったとわかりました。帰るときはレジもされていたこともあるようで。うんうん、わかるって思いました。
 そして、私の席についても融通を利かせて下さっていた方だったかもしれません。それから、始めてこちらのライブに参加する際、電話予約をしたときと、会場までの行き方と入り口の様子を電話で問い合わせたときに応対して下さった方かも。知らないうちにたくさんお世話になっていたのだと思います。

 金吾さんもこの訃報はかなりショックだったようで。
「窪田さんに捧げる曲をやろうと思い、大好きな曲で、沢田研二さんの君をのせてという曲を。ハミングでもいいから、最後にみんなで歌おうよ」。

 ん?私、沢田研二さんは知っているけれどこの曲知らない。どうしようと思いましたが。
 始まったギター弾き語りの「君をのせて」、聞き覚えがありました。
 それにとてもやさしいメロディーだったので、すんなりと頭に入ってきて、途中からでしたがハミングで歌うことが出来ました。
 そして思いました、窪田さんにもきっと、金吾さんの歌と演奏が聞こえているのではと。改めましてご冥福をお祈りいたします。

 こうしてさわやかで楽しくて、感動的なライブが終わりました。
 素敵な3時間を下さった金吾さん、楽しい時間を共有した参加された皆様ありがとうございました。

 次回の金吾さんのライブ参加は。
 ちょっと時間があいてしまうのですが、夏のbITのライブに行こうと思っています。また楽しくて素敵な時間を、多くの皆様と共有するのを楽しみにしています。

濱田金吾さんの公式ホームページこちらのページにて、2018年4月21日のセットリストをご覧頂けます。

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忘れられない1日 ~女子会とライブと

2018-04-20 19:02:42 | えりかの平安な日々 10~18
 毎週月曜日、「あなたのブログの先週のアクセス数」がメールで送られてくるのですが、どうやら拙ブログ、1日に200近いアクセスがあるようで。本当にありがとうございます。
 でもなかなか更新できなくて。
 それで、今さらという気もするのですが、ずっと書きたいと思っていた3週間前の思い出を書きます。

 3月31日土曜日
 朝9時半過ぎに家族に車で最寄りの駅に送ってもらい、下り電車で藤枝へ。
 藤枝に着いたのは11時半頃、待ち合わせまでまだだいぶ時間があったので、駅前のドトールコーヒーに入って紅茶を飲みながらメールとネットサーフィン。1時間があっという間でした。

 そして12時半から、急遽誘われた、駅前の喫茶店で、静岡県内や山梨県などあちらこちらから集まった5人で女子会。ランチしながら楽しくおしゃべりしました。
 私はこちらの喫茶店に来るといつも注文する、豚肉のショウガ焼きセットを注文。ショウガ焼きの味付けがちょうど良く、付け合わせのサラダもとってもおいしいのです。セットのスープもとっても美味。
 さらにデザートにレアチーズケーキを注文。レアチーズケーキ、残りが1個だったそうで、それを聞いたら何か食べたくなってしまったのよね。

 で、結局4時近くまでおしゃべりしていて、とっても楽しい時間でした。

 その間も私のテンションは最高潮に。

 いつもならこれで家に帰るという時間なのですが、今日の本番は実はこれから。

 帰りが遅くなるため家族に心配されて止められ、一度はあきらめてしまった富士市のカフェ、BLITZでの山田秀俊さんのピアノ弾き語りライブに、ひとちゃんとよしこ☆さんご夫婦と一緒に行くことになっていたのです。((o(^-^)o))
 それで女子会が終わると私とひとちゃんは電車で草薙駅へ。駅前でよしこ☆さんご夫婦と合流し、車で富士へ向かいました。私が今回、ライブに参加できるようになったのは、よしこ☆さんとご主人が、ライブ終了後に私を自宅まで送りますと言って下さったおかげなのです。もう感謝感謝です。

 BLITZの会場は思ったより大きく、食事も出来るとのこと。
 「本日のメニュー」はロールキャベツのポトフだったのでそれを注文。前菜のサラダ、チーズ入りでとてもおいしかったです。ポトフは少し食べにくかったですが、こちらも色々な具が入っていて味も良く、おいしく頂きました。

 食事が終わった頃にライブ開始。
 山田秀俊さんは、金吾さんに再会し引き寄せられた頃に、金吾さんのバックでピアノの演奏をされていたことがあるということでお名前を知りました。
 でも、後に書きますが、他にも色々なアーティストさんの色々な有名な曲のバックでピアノの演奏をされていたそうで、多分、昔から何百度、何千度も耳にしていたのかもしれません。

 オープニングは今の時期にふさわしい「卒業写真」。AOR風にアレンジされていてとてもおしゃれで心地よかったです。
 実はこの日の同じ時間に金吾さんも横浜でライブをされていたのですが、偶然にも「卒業写真」を演奏されたとか但し、山田さんはオープニングだったのに対し、金吾さんはエンディングだったのだそうですが。

 こうして心地よく始まったライブ、休憩を挟んで約2時間、昨年に発売されたオリジナルアルバム「How do you do?」、私このアルバム大好きなのですが、その中の曲や、他のアーティストに提供された曲、カバーなど、バラエティーに富んだ盛りだくさんな内容でした。

 個人的にツボにはまったのが「私、この曲の演奏やっています自慢」のコーナー。
「今から私が演奏しますから、一緒に歌って下さい」
と、山田さんがおっしゃったので、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」「スイートメモリーズ」、中森明菜さんの「セカンドラブ」など、ついつい調子に乗って大声で歌ってしまいました。ほとんどカラオケをやっている気分で歌ってしまったのですが、考えてみたら山田さんのピアノ演奏で歌えるなんてすごいことなのですよね。
 後日、山田さんからのメッセージで「歌詞は全部覚えていて大きな声で歌っていて、素晴らしかったですね」と言われてしまい、何かとても嬉しかったです。

 他にも大滝詠一さんの「君は天然色」「さらばシベリア鉄道」も演奏して下さって。(^^)
「これは知っている人、少ないのでは」 
ということで演奏された濱田省吾さんの曲も知っていましたし。ただ、タイトルを失念していました。で、帰宅して調べてみたら「愛という名のもとに」という曲だそうで。私、この曲結構好きだったんですよね。
 それで「知っている人」と問いかけられたとき、手を挙げさせて頂きました。

 もう一つ嬉しかったのは山田さんがmisiaさんに提供した「あの夏のままで」が聴けたことです。この曲大好きなので(^^)聴きながら「カラオケで歌ってみたいな」と思ってしまったのですが、でも、やっぱり難しそう。
 MCも、お茶目で、それでいて誠実なお人柄が伝わってきて楽しかったです。
 とにかくオリジナルも、カーペンターズやビリー・ジョエルの曲のカバーも素晴らしくて。ピアノも迫力があり、さすがピアニストだと思いました。山田さん、素敵なライブをありがとうございました。

 で、休憩時間とライブ終了後にご本人ともお話しでき、何度も握手をしていただいて、写真も撮っていただき、こちらもいい思い出になりました。

 上の方でも書きましたが、帰りはよしこ☆さんご夫婦に車で家まで送っていただきました。
 自宅の最寄り駅まで行くときはいつも家族の車だし、買い物は静岡で友達と会ったときとインターネットで済ませるのがほとんどの私、寄って、こちらに戻ってきてからは家の周りを歩いたことがないので、案内できるか心配だったのですが、カーナビがとてもしっかりしていて、目印の近所の公会堂までスムーズにたどり着くことが出来ました。しかも会場から1時間かからなかったです。
 公会堂から細い道を100メートル近く行ったところが我が家なのですが、暗くて全く見えないので、よしこ☆さんに一緒に行って頂きました。ありがとうございました。そして無事に帰宅。昨年10月に手に入れた鍵で家の中に入ることが出来ました。考えてみると、この鍵がなかったら、日帰りでライブになんて行けなかったんだよね。それに、家族以外の人に送られて夜10時半に帰宅なんて初めての経験、10歩くらい前進したみたいです。

 こうして盛りだくさんの1日が終了。
 疲れているはずなのに、興奮していてなかなか寝つくことが出来ませんでした。
 でも、とっても幸せな気分でした。忘れられない1日になりそうです。

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笑えないエイプリル・フール ~6年前の今日

2018-04-01 17:32:28 | えりかの平安な日々 10~18
 今日4月1日が、6年前と同じ日曜日だということに気がついたので、ちょっと書いてみようかなと。
 で、2012年4月1日の出来事を書く前に、その前々日からのことを少し。

 その頃私はまだ、だんなさんと一緒に島田市で暮らしていました。

 その日、だんなさんが 
「すき焼きを食べたい」
と言ったのです。それで、翌日の天気予報が雨だったこともあり、すき焼きの材料と、その他食料品をたくさん買い込み。
 その帰り道でだんなさんが道で転んでしまったのです。幸い怪我もなく、すぐに立ち上がって、何もなかったように歩き始めたのですが。でも考えてみたらその頃からだんなさん、足の力が弱っていたようで、時折転ぶことがありました。
 でその時に私、もし、骨折でもされたらどうしようと思ったのです。それで、もし転んでしまいそうになったら、骨折しないようにうまく転んでねと口から出かけたのですが、なぜか飲み込んでしまったのでした。この時にこのことを口に出していればと、後になって後悔したものです。

 そんなわけでたくさんの荷物を持って2人で帰宅したのですが、その日はなぜかすき焼きを作りませんでした。
 すき焼きを作ったのは翌31日の土曜日の夕方。
 みりんを煮立て、その中に砂糖を入れ、みりんと同じ量のしょうゆを入れて、水を少し入れたたれで、牛肉、糸こんにゃく、ネギ、しいたけ、焼き豆腐などを煮込みました。
 こうして出来上がったすき焼き、だんなさん、「おいしい、おいしい」と言って食べてくれました。私も、温かくておいしくて幸せ~と思いました。まさかこれが、2階のマイルームで食べた最後の夕食になってしまうなんて…。

 翌4月1日、日曜日の朝も、昨夕の残りのすき焼き。更に味がしみ込んでおいしくなっていました。
 朝食に食べてもまだ少し残っていたので、「夕方にまた食べようね」と言って、私はすき焼きを冷蔵庫にしまいました。

 さてその日は、だんなさんが勤めていた専門学校の入学式が、東静岡駅近くのグランシップで行われるということで、だんなさんは8時頃、出かけていきました。入学式は午前中に終わってしまうので、私も12時頃、静岡へ行って、だんなさんとランチすることにしていました。

 こうしていつものように始まった1日。

「昨日とはうってかわっていい天気、今日はお昼から外出なので、それまではネットサーフィンをして過ごします。読書もするかも」この日の9時22分のtwitterへの投稿です。

 それから30分くらい経った頃でしょうか。携帯電話が鳴ったので出てみたらだんなさんからでした。
「足を折って救急車で病院に運ばれちゃった」
というのです。今日は4月1日、冗談かと思いました。思わず、
「冗談でしょ」
と言ってしまいました。
「いや冗談じゃなくて。」、
 そのあと、だんなさんと女性の会話が聞こえてきました。
「ここ、何て言う病院でしたっけ?」
「県立総合病院です」
 え、これはマジで冗談じゃないよ…と、その時初めて思いました。
 どうやら、東静岡駅の改札からグランシップに歩いている途中で転んでしまったというのです。
 そして、「今から県立総合病院まで来て欲しい」と言われました。

 この時になってようやく、事態の深刻さに気がついた私。急いで支度をし、母屋にいる義父母には心配をかけたくなかったので、いつもと同じ感じで「出かけてきます」と言って家を出発しました。
 道中、だんなさんが心配でたまらなかったのですが、自分で電話をかけてきたということは、命に別状はないんだよねと気持ちを奮い立てていました。

 こうして電車とタクシーをノリ嗣いで、家から1時間以上かかって県立総合病院に到着。診断結果は大腿骨頸部骨折で全治3ヶ月~半年とのことでした。「最悪」と本人も言っていました。
 こうして夕方5時近くまで病院にいたのですが、ここに泊まることも出来ないので、家に帰ることにしました。

 家に帰ると疲れが…。それに、これから私たちの生活はどうなるのだろうと思い、絶望的な気持ちになりました。
 そんなときふと思い出したのが、
「そうだ、濱田金吾さんの曲に、エイプリル・フールってあったよね」
ということでした。そして
「あの曲の中に、笑えないエイプリル・フールって歌詞があったけど、本当にその通りだよね」
と思いました。でも、ますます辛くなりそうな気がして、テーぷ(その頃はCD持ってなかったので)を取りだして聴いてみる気にはなれなかったのですが。

 その後のことを簡単に書いておきますと

 手術は一応、うまく行きました。
 そして、リハビリのために転院した病院にいた頃には、何とか2本の杖で歩けるようにはなったのですが。

 でも、こうなった以上、10年間お世話になった静岡市内の設備のいい透析病院には島田から通えなくなり、退院後、近所の透析病院に転院することになりました。
  でも、そちらの病院と合わなくて、それでも市に一つしかない透析病院だったため、そこから転院することも出来ず、足のリハビリのためのデイサービス施設もなかなか見つからなくて。とにかく、すべてがうまく行きませんでした。退院して家に帰っても、2階に上がることができなくて、2人で母屋に間借り状態になってしまいました。当然、私はとても気を使いました。

 それに私も、視力の関係で充分な介護が出来ませんでした。現在、半身不随の父の介護を完全にやっている母を見ていると、だんなさんに対して申し訳なかったと思います。
 というか、色々出来なくて周りからひどいことを言われることも多くて、私も精神的に追い詰められていきました。
 そんなわけで、だんなさんも精神的に辛かったと思うし、大手術や環境の変化で、体への負担も大きかったのだと思います。次第に体調を崩すようになり、骨折して半年で旅立ってしまいました。

 でもある意味ではだんなさん、私を助けてくれたのかなと。
 透析もやっていたし、足の回復も思わしくなかったし、だんなさん、もう治らないことを薄々感じていたのかもしれません。
 私もあと半年、あの生活が続いていたら壊れてしまったと思うし、こうなったのは仕方がなかったというか、あそこで旅立ってしまうことで私を助けてくれたのかなと。

 でも、運命が変わってしまう前日の2012年3月31日にすき焼きを食べている所へ時間を戻して、そのまま時間を止められたらいいのにと何度も思いました。それが出来ない以上、今の生活を続けて行かなければならないのですが。

 何か重い内容になってしまいましたが、今年と6年前の曜日配列が同じだということに気がついて、ちょっと追体験してみたいと思って記事を書いてみました。こんな記事を読んで下さった皆様、ありがとうございました。

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