平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

今年もありがとうございました

2008-12-30 22:01:35 | えりかの平安な日々 04~09
 今年もあと1日ちょっとになりましたね。ここをご覧の皆様はどのような年末を過ごしていらっしゃるでしょうか?

 私はというと、本日、ようやく年賀状を出してきました。なので、静岡県外にお住まいの皆様の所には、元日には届かないと思います。すみません。
 そして、大掃除も一応終わりました。明日は注文してある御節料理を取りに近くのスーパーに行ったり、ちょっとした片づけをしたり、簡単なお正月料理を作ったりする予定です。かなり忙しくなりそう~。

 さて、今年の更新もこれで最後になると思いますので、私の2008年をちょっとふり返ってみますね。

 今年は「源氏物語千年紀」ということで、まず角田文衞先生の「紫式部伝」を読むことから始まりました。そのあとも源氏物語関連の色々な本を読みましたし、京都に行って「紫の縁」に参加し、十二単を体験できました。そうそう、京都にはもう1回、行くことができたのですよね。現在、旅行記を作成中ですが、六盛さんで創作平安王朝料理を頂くこともできました。京都でお世話になった皆様には心より感謝申し上げます。

 ただ心残りなのは、「源氏物語」の本文を久しぶりに全巻通読しようと思っていたのですが、できませんでした。これは来年の宿題ですね。

 それから今年は、私のもう一つの愛読書、「赤毛のアン」の出版百年でもありました。そのため、こちらも記念出版が目白押しでした。久しぶりにアンシリーズ10巻を通読できましたし、12月には集英社文庫版の「赤毛のアン」の翻訳者、松本侑子さんのアンについての講演会に行くこともできました。

 こうしてみると今年は、「源氏物語」と「赤毛のアン」を堪能できた充実した1年だったように思えます。

 それに何より、病気らしい病気もせず、事故や災害にも遭わず、無事に1年を送れたことは幸せだったと思います。世の中は不景気で、仕事や家を失った方々のことが連日報道されています。そのような方々のことを考えると胸が痛みます。世の中、なかなか思い通りにならないのですよね…。
 私も視力に障害があってなかなか思うようにいかないこともありますが、それでもこうして好きなことに没頭できるのは幸せです。

 今年も、皆様には大変お世話になり、ありがとうございました。1年間、拙ブログをご覧下さいましてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。どうぞ良いお年をお迎え下さいね。

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安倍川餅

2008-12-27 23:16:20 | 静岡大好き
 うたかた びとのsiroさんのブログつぶやきにて、京都の嵐山で安倍川餅を頂いたという話が紹介されているのを見て久しぶりに食べたくなり、静岡に行っただんなさんに買ってきてもらいました。

 安倍川餅というのは、私の地元、静岡の名物の和菓子で、つきたての餅や湯通しして軟らかくした餅に、きな粉や小豆のあんを混ぜたものです。

 安倍川餅の起源にはこんな話が伝わっています。

 江戸時代初期、徳川家康が安倍川(静岡市の西の方を流れている川。なお、安倍川の近くには現在、JRの安倍川駅という駅もあります。)の近くの茶店に立ち寄ったところ、お店の主人が、安倍川上流で取れた砂金を模してお餅にきな粉を混ぜ、「黄金餅」と称して出したのだそうです。餅を食べた家康は、「これはうまい。黄金餅ではどこの名物かわからないので、安倍川餅と名づけてはどうか?」と言ったとか。そこでこのお餅は「安倍川餅」と名づけられたそうです。

 現在では上でも書いたようにきな粉を混ぜた餅と小豆のあんを混ぜた餅が一般的ですが、最近ではわさびじょう油を混ぜた辛いお餅もあるとか。私はまだ食べたことがありませんが、こちらもいつか食べてみたいです。

 写真は、左の黄色く見えるのがきな粉の餅、右の黒く見えるのが小豆のあんの餅です。どちらも柔らかく、甘くておいしかったのですが、私はどちらかというと小豆のあんの方が好きです。まだ一袋残っているので、近いうちに食べたいと思っています。楽しみ♪

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平安夢柔話 4周年☆

2008-12-21 10:21:50 | お知らせ・ブログ更新情報
 本日12月21日をもちまして、「平安夢柔話」がめでたく4周年を迎えました。

 いつもご覧下さっている皆様、掲示板に書き込んで下さる皆様、検索からこちらにいらして下さった皆様、どなた様も本当にありがとうございます。ここまで続けてこられたのも、ご覧下さる皆様の励ましがあったからだと思います。感謝です。

 それにしても4年ですか…。本当に早いです~。

 4年前、ブログというものの存在を知り、IDとパスワードを取得して見切り発車で始めてしまったのがつい昨日のことのように思えます。「最初は日記中心でいいし、歴史のことも気楽に楽しく書いていこう」と思っていたのですが、私の知識のなさや漢字変換のミスなどで厳しい指摘を頂くこともありました。今だから言えるのですが「私は歴史ブログなんて書く資格はないのかしら?こんな事を考えるならやめてしまったら楽なのになあ」と思ったことも何度かあります。それでも続けてこられたのは、「私は歴史が好き」という強い気持ちと、嫌なことよりも楽しいことの方がずっと多かったからです。ブログを通じてたくさんの方とお知り合いになれ、自分の世界が広がったのが、わたしにとって大きな収穫です。それにより充実した毎日を送れるようになりましたし。やめなくて本当に良かったです。

 それでも、昔の記事を今読んでみると、稚拙な内容が多々あります。でもこれも「平安夢柔話」の歴史の一部なので、このまま残しておきますね。

 最近は更新もゆっくりで、どうやら京都旅行記も年を超すことになりそうです。また、複雑な人物伝も長い間書いていませんし、なかなか皆様のご期待にそえないのが心苦しいです。
 それでも構想を練っている人物伝がいくつかあります。ずっと前から予告している平安時代のある天皇の母君もその一人ですが…。「班子女王」のような独白形式も、「源俊房」のようなインタビュー形式もまたやってみたいなあ。平安時代の天皇の系譜のページもそろそろ更新しなくちゃ。そうそう、「図書室3」の新しい記事の下書きがもうすぐ出来上がります。年末は忙しいので今年中のUPは無理かもしれませんが来年早々にはUPしたいと思っています。

 このように、とにかくやりたいことはたくさんあるので、これからもマイペースでゆっくりと楽しみながら、ブログを続けていきたいと思っています。皆様、今後とも「平安夢柔話」をよろしくお願いいたします。

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大河ドラマ「篤姫」のこと

2008-12-17 11:47:15 | 歴史雑記帳
 今年の大河ドラマ「篤姫」が14日に最終回を迎えましたが、平均視聴率が24%を超えたそうで、過去10年間の大河ドラマでは最高視聴率だったそうです。幕末を舞台にした大河ドラマはあまり視聴率が良くないということを聞いたことがあったので、なぜこれほどの視聴率を記録できたのか、私なりにちょっと考えてみました。

 まず第一に、幕末の複雑な歴史事項にあまり触れなかったことが一般受けしたのだと思います。
 実は私、日本史好きを自称していますが、幕末の歴史にはとっても弱いです。だいたい、桂小五郎と木戸孝允が同一人物だったことさえ知らなかったのですから…。あと、佐幕派とか勤王派という言葉の意味がよくわからなくて、拒否反応を起こしてしまうのです。最もあとでも触れますが、このことは幕末ファンにとってはかなり不満だったと思うのですが…。

 第二に、あくまでも篤姫を中心とした大奥の女性たちの視点から描いたというところ、つまりホームドラマ大河だったということがわかりやすかったのだと思います。第三には、これは家定に嫁ぐまでの篤姫が現代的だったということが親しみやすかったのでしょうね。

 以上、三つの理由から、幕末にはうとい私もある程度楽しむことができたドラマでした。…というか、途中からドラマの見方を変えたので、楽しむことができたのかもしれません。

 実は私、20年ほど前にこのドラマの原作本、「天璋院篤姫(宮尾登美子著 講談社)」を読んだことがあるのです。多分、幕末をあつかった歴史小説の中で読んだことのある唯一の作品だと思います。ただ、内容は所々しか覚えていなかったので再読しようかとも思ったのですが、「やはりここは原作は読まないでドラマを楽しもう」と思い、再読するのをやめてしまいました。

 それで歴史ドラマとして「篤姫」を見始めたところ、確かにわかりやすくて面白いと思ったのですが、篤姫があまりにも現代的ではちゃめちゃな姫様なので呆気にとられてしまいました。だいたい身分制度が厳しく、「男女は7歳になったら席を同じくせず」という時代に、分家とはいうものの島津の姫様が、家老の息子とあれほど仲良く歩き回っているわけがない…と思ったのです。
 最もこのドラマは、篤姫と小松帯刀の友情がキーポイントになるとも聞いていたので、それを言ったらおしまいなのかもしれない、それならこのドラマは歴史ドラマではなく、フィクションだと思って見て見ようと決心したのでした。
 それで、幕末の歴史にうといことも幸いし、ある程度楽しめたのかもしれません。篤姫と家定の心の交流についても、「こんな事はあり得ない」「描き方が原作と違う」とも思いつつ、結構感情移入して見ていました。特に家定の優しさにはちょっとときめいてしまいました。そのため、家定が亡くなった回は寂しかったです。

 しかし、そんな風にフィクションだと思って見ていても、やはり所々気になることはありました。例えば徳川慶喜の描き方がその一つです。島津斉彬の一派があれほど強く将軍に推した慶喜を、あれほど情けない人物に描く必要があったのでしょうか。
 確かに実際の篤姫も、慶喜をものすごく嫌っていたのだそうです。これは原作本に書いてあったのですが、篤姫は「家茂は慶喜に毒殺された」と思いこんでいたのだそうです。これは作者の宮尾さんが小説の執筆当時、まだ生存されていた家達の娘さんから取材した話だそ、うなので確かだと思います。そんな篤姫が、慶喜の助命嘆願なんてしたのかしら?と、疑問に思いますし…。
 つまり、ドラマでは篤姫の都合の良いように慶喜のキャラクターを描いているように思えるのです。
 ちなみに、原作を読んだのが大昔なのでうろ覚えなのですが、原作の慶喜は篤姫に嫌われていながら、読者から見ると何となく魅力的な人物に描かれていたように思えます。

 それと、幕府軍と政府軍の戦いが江戸城の無血開城で終わったように描かれていたのも疑問です。会津や函館ではまだ戦いが続いていて、たくさんの方が戦死しました。このあたりにナレーションでも全く触れていないことに、幕末好きの方はかなり怒っていると思いますよ、N○Kさん…。
 あと、重要な歴史事項もたくさんカットされていたようです。ナレーションでも全く触れなかったとか。これでは肝心の幕末好きの方々は全く満足していないのではないでしょうか。そうです、私が2005年の大河ドラマ「義経」に満足できなかったように…。もし紫式部が大河ドラマになったとして、中関白家の悲劇が丸ごとカットされたり、紫式部と清少納言が同じ時期に彰子と定子に使えていたりしたら怒ります。

 確かに一般受けして視聴率は良かったかもしれませんが、やはり「篤姫」を一番楽しみにしていたのは幕末が好きな方々だったと思うのです。なので、もうちょっとそのあたりを考えて欲しかったですね。それと、NHKの大河ドラマは影響が大きいので、知らない人はドラマが全部史実だと思ってしまいます。私も、「篤姫」に描かれたことが全部史実だと誤解しそうになりましたし。

 …と、色々勝手なことをとりとめもなく書いてしまいましたが、そろそろまとめといきますね。

 私は、ホームドラマ大河やフィクション、わかりやすいストーリーが悪いとは決して思いません。「篤姫」はフィクションのドラマとしてはかなりよくできていたと個人的に思っていますので…。
 でも、重要な歴史事項はナレーションでもいいので説明して欲しいですよね。それができなくて、史実を無視したり、主人公に都合の良いように他の人物の行動やキャラクターを変えたりするのであれば、「このドラマはフィクションです」というテロップを流して欲しいなあ…と、これは「義経」の時も感じたのですが、そんなことをふと思ってしまいました。

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松本侑子さんの講演会に行って来ました

2008-12-13 20:17:36 | 読書日記
 集英社文庫の全文訳、・訳注つき「赤毛のアン」の翻訳者であり、NHK教育テレビの「3ヶ月トピック英会話 赤毛のアンへの旅」の講師でもある松本侑子さんの講演会「赤毛のアンへの旅 ~秘められた愛と謎」に本日、行って参りました。

 こちらの記事にも書きましたが、長いこと愛読してきた村岡花子さんの翻訳が完訳でないことを知り、松本さんの訳本を手に取ったのですが、とても読みやすい現代的な訳で、村岡さんの訳とはまた違った良さがあると思いました。それに何より、英米文学や聖書からの引用、当時の時代背景を解説した詳しい注釈がついており、「赤毛のアン」の奥の深さを再認識させられたものでした。その後、松本さんの「赤毛のアン」についての解説書も何冊か読みましたが、とても面白かったです。
 なので松本さんの講演が静岡であるという情報を知り、早速申し込みました。

 会場では、松本さんご本人と直接お話しでき、すごく嬉しかったです。テレビで拝見した通り、、いや、それ以上に素敵な方で感激です。
 まだ未購入だった松本侑子さん訳「アンの青春」「アンの愛情」も会場で売られていたので、購入しました。どちらも「赤毛のアン」同様、詳しい注釈がついているので、新しい発見ができそうで読むのが楽しみ。しかもサイン入りです~。そして、家から持参した「赤毛のアン」の時代背景や作者モンゴメリについてなどを解説してある「誰も知らない赤毛のアン(松本侑子著・集英社)」にもサインしていただきました。この本は宝物にします。

 講演の内容も、わかりやすく面白かったです。「
 アン・マシュウ・マリラはスコットランド系」とか、アンに登場する人名や地名の話とか、シェイクスピアの劇や聖書からの引用部分の話とか、わくわくしながら拝聴しました。

 そして、終了間近にお話して下さったのが「赤毛のアン」の幸福の哲学について。

1,アンのように前向きに生きること。
2,マリラのように堅実に生きること
3,マシューのように人を愛すること。
4,ロマンスや美しいものを愛すること。
5,今、生きているということを感謝すること。

だそうです。これは、毎日を明るく、楽しく生きるための五ヶ条とも言えそうですね。将来のことに不安になったり、色々悩むこと、迷うこともたくさんあるけれど、私も明るく前向きに生きなくちゃ…と思いました。

 そして最後に、今回も私のマニアックな趣味につき合わせてしまっただんなさんに感謝。ありがとう。

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平安神宮 ~秋の日帰り京都旅行5

2008-12-10 20:29:54 | 旅の記録
 平安神宮に到着したのは12時少し前、せっかく平安神宮に来たことですし、待ち合わせ時間までまだ少し時間があったので、中に入ってぶらぶらと歩いてみました。それにしても人が多かったです。さすが観光地ですね。

 平安神宮は明治二十八年(1895)、平安遷都1100年を記念し、平安遷都を行った桓武天皇を祭神として創建されました。そして昭和十五年(1940)、幕末の天皇、孝明天皇が祭神に加えられました。つまり、京都が都だったときの最初の天皇と最後の天皇が祀られているわけです。

 さて、それでは平安神宮の中をちらっと紹介しましょう。
 最初に目に入ったのはこれ、応天門です。壮大な門ですね。


  


 そしてこちらが本殿です。朱色の柱がきれいですね。


  


  


 平安神宮のご社殿は、平安宮内裏の朝堂院を8分の5に縮小したものなのだそうです。なので平安好きにとっては必見だと思います。私も、何か今にも平安時代の貴族が現れそうな錯覚を受けてしまいました。

 ところで私は、こちらを訪れるのは今回で3回目になります。
 最初に訪れたのは中学校の修学旅行の時でした。ちょうどその数日前、たまたまテレビで平安神宮からの中継を見ていたので、実物を見て「テレビと同じだ~」と感動したのを思い出します。でも、平安時代のことは紫式部と清少納言と藤原道長くらいしか知りませんでしたので、ご社殿を見てもあまりぴんと来ませんでした。

 次に訪れたのはちょうど10年前、その頃はすでに平安時代に興味を持っていて、「源氏物語」や平安時代の歴史小説を読んでいましたので、本殿や左近の桜を見て平安時代にタイムスリップしたような気分になっていました。やはり平安時代のことを知ると、京都の名所や旧跡に来る楽しみが増えます。(^^)

 そして今回、あまり時間はありませんでしたが、それでも充分、平安の雰囲気を堪能できました。手を浄めることもできましたしね。

 そうこうしているうちに、六盛さんでの「創作平安王朝料理を食す会」の参加メンバーが全員集合しました。以前お会いしたことがある方ばかりなので、再会を喜び合いました。
 それでは、いよいよ六盛さんへ向かいます。

平安神宮のホームページ

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実物大展示室 ~秋の日帰り京都旅行4

2008-12-06 14:02:34 | 旅の記録
 旅行記の第3回のラストでも書きましたが、今回は実物大展示室を紹介します。

 風俗博物館には「実物大展示室」という、平安時代の調度品や遊び道具、人形などを実物大で展示してある畳敷きの部屋があります。ここでは袿(女性の普段着)や狩衣(男性の普段着)を羽織って遊ぶこともできます。ここに来ると気分はすっかり平安貴族です。

 今回、実物大展示室に入って最初に目に入ったのはこれ。今回の旅行記のことを簡単に記した日記にも写真を載せていますが、こちらでは少し大きなサイズで載せますね。


  


 平安の姫様が二人、双六の盤を挟んで向かい合っています。

 では、せっかくなので姫様にはお一人ずつ、もう一度登場していただきましょう。


  


  


 長い髪と華やかな装束にはうっとりしてしまいます。私も袿を着て姫様と記念撮影をしたのですが、扇で顔を隠すのを忘れてしまったので、今回は写真を載せられません。すみません…。

 ところで、双六の盤を載せた台の上にはこのようなものが置いてありました。


  


 平安時代のデザート、唐菓子です。私も食べたことがありますが、クッキーのような感覚です。味はほんのりと甘くてなかなかおいしいです。

 ところで今回、私は赤い袿を羽織ってみたのですが、こちらの御帳台で袿を着たまま横になってみました。


  


 この中にいると、気分はすっかり平安の姫様です。幸せ♪

 それにしましても、こうして平安気分になって自由に遊べる博物館なんてなかなかないと思います。私が袿を着て姫様の人形と記念撮影をしていたとき、女性のお客さんが3人ほど部屋の入り口にいるのに気がつきました。彼女たちはこの部屋に入っていいのか、迷っておられたみたいなのですよね。そこで私は、「入ってもかまわないのですよ。こうして装束も自由に着られますし」と言ったところ、とても驚いておられました。
 このような機会を与えて下さる風俗博物館の井筒館長様、スタッフの皆様にはいつも大感謝です。ありがとうございます。

 11時40分にタクシーを予約してあったので、名残を惜しみつつ、風俗博物館をあとにしました。次は、食事をご一緒する皆様と待ち合わせをしている平安神宮へ向かいます。

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御冊子づくり ~秋の日帰り京都旅行3

2008-12-02 20:32:55 | 旅の記録
 今回の展示では、「源氏物語」だけでなく、「紫式部日記」から御冊子づくりの場面が展示されていました。

 出産のために里邸に下がった中宮彰子に付き従っていた紫式部ですが、寛弘五年九月十一日に彰子は無事に敦成親王を出産しました。紫式部もほっとしていたことでしょう。さらに一条天皇の土御門行幸や、敦成親王の五十日の祝い(この敦成親王の五十日の祝いの席にて、源氏物語千年紀の根拠となった藤原公任のせりふ「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」が発せられたのですよね)も終わり、十一月十七日の内裏還御に間に合うよう、女房たちは「源氏物語」の冊子作りをしています。


  


 紫式部が生きていた当時は印刷技術などはありませんので、一冊一冊を写本し、自分たちで製本して冊子を作っていたのですよね。当然写し間違いなどもあり、現在私たちが読んでいる「源氏物語」も紫式部が書いたものとは少し形が違っているのだと思います。

 それはともかく、展示されていた「御冊子づくり」の手順をご覧下さい。


  


 そうなのですよね、当時は墨をすって、筆で文字を書いていたのですよね。


  


 貼りつけたりとじたりして、製本をしています。大変そうですが、ご本人たちは結構楽しかったかも?


  


 こうして「源氏物語」の冊子が完成していきます。

 それにしても、四分の一に縮小すると紙も冊子もかわいらしいですね。私も1冊欲しいわ~なんて思ってしまいました。

 では、次回は実物大展示室を紹介します。

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