アブソリュート・エゴ・レビュー

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恋の秋

2013-10-10 19:18:24 | 映画
『恋の秋』 エリック・ロメール監督   ☆☆☆☆☆

 ロメール監督の四季四部作の一つ、『恋の秋』をブルーレイで観賞。あまりの美しさ、映画としての豊穣にため息が出た。ロメール監督の映画はこれまでいくつか観てなかなか面白いと思いながらも、自分の中で最高の評価までは行かなかったが、これは文句なく最上級の、殿堂入りレベルのフィルムである。これで私にとってロメール監督は、キェシロフスキやカウリスマキや小津に並ぶ偉大なる映画監督の一人となった。もちろん、四季四部作は全部観るしかない。

 四季四部作はそれぞれ『春のソナタ』『夏物語』『恋の秋』『冬物語』と邦題が付いているが、原題は『春のコント』『夏のコント』『秋のコント』『冬のコント』である。そして四部作全体のタイトルが「四季のコント」。例によって私はシンプルな原題の方が好きだし、「~のコント」で統一されている方が洒落ていると思う。四部作それぞれは独立した映画であり物語で、登場人物やストーリーに関連性はないようだが、こうしてシリーズとして束ねることで魅力を増すところはキェシロフスキ監督のトリコロールやデカローグに似た感触がある。

 さて、『恋の秋』。何が美しいといって、まずこの美しい街並みと美しい郊外の光景。それもただ映像がきれいというだけでなく、極力音楽を排して自然の音を取り込んだロメール監督の手法やドキュメンタリー風のナチュラルな俳優たちの所作、言動があいまって、もはやこの映画の空気そのものが美しいという以外に形容の方法がない。まるで胸の中を南仏の風が吹き抜けていくような爽やかさ、心地よさだ。

 「春」「夏」「冬」の三作は若い男女がメインのようだが、この『恋の秋』の主人公は中年女性二人である。満ち足りた結婚生活を送るイザベルと、数年前に夫をなくした寡婦のマガリ。マガリは田舎で葡萄園を営んでいるが、イザベルは寂しいマガリのために雑誌に恋人広告を出し、相手を見つけてやろうとする。やってきたのは営業マンのジェラルド。イザベルはまず、自分がマガリのふりをしてジェラルドの人柄を見極めようとするが、ジェラルドはイザベルにだんだんと熱を上げ始める。一方、マガリの息子の恋人ロジーヌは恋人には冷ややかなくせにマガリを慕い、自分の元カレである哲学教師のエティエンヌを紹介しようとする。エティエンヌはロジーヌに未練たっぷりながら、マガリの写真を見せられるとまんざらでもなさそう。こうして、恋と友情とちょっとしたすれ違いのロンドが始まる…。

 というのがあらすじだけれども、実際のところ、この映画においてはプロットそのものはあまり重要ではない、と思う。神はディテールに宿る。たとえばある登場人物が嘘をつく、するともう一人が反応する、あるいは反発する。ある人物が告白する、すると別の人物が嫌悪する、あるいは好意を持つ、自己防衛する、自己正当化する。人と人の係わり合いが一連の連鎖反応を引き起こす、あるいは単に何らかのケミストリーを作り出す。するとそこに詩が生まれる。この映画の美しさと豊かさはそういうダイナミズムに依存している。だからストーリーは言ってみれば単なる器なのだ。物語の構造が緊密というより非常に柔軟で、自在であるように感じるのはそのためである。

 人の行為や感情には数多くの理由があり、多義性にみちみちている。表面的な理由の下に秘められた理由があり、抑圧があり、欲望があり、無意識の願望、あるいは恐れがある。そしてそれらは常に揺れ動いている。ロメール監督の映画を観ているといつもそういう人間心理がリアルに息づいている印象を受けるが、本作でもそれは例外ではない。ただ、たとえば『緑の光線』ではそれが非常に苦しい葛藤として顕れていたように思うが、この『恋の秋』ではそこにアイロニーと滑稽さと苦味が絶妙にブレンドされ、観る者をえもいわれぬ愉悦で陶然とさせる。映画の中でマガリが作るワインのように、熟成し、円熟した味わいがあるのだ。それがなんとも素晴らしい。

 そうした感情のせめぎ合いの多義性、リアルな感じはとりもなおさずテレビドラマみたいな紋切り型、記号のような説明的演技が一切ないということであり、この映画の中では人々のリアクションが予想できない。こう来たらこう返す、みたいな公式がなく、常に微妙であり穏当でありつつもどこか思いがけなく、だからこそリアルであるという浮遊感が一貫して漂っている。無理がないプロット、日常的な会話の連続で成り立っていて、どこにも誇張された激情がないにもかかわらず非常にスリリングなのは、そのためだ。

 それにしてもこの映画を観ていると、いい年して妙に自由でしかも適当な大人たちばかり出てきて、なるほどこれがフランスの空気なのかと妙に感心する。みんな大人なようで幼稚、幼稚なようで子供だけれども、まあ人間って結局こんなもんである。日本人社会はストレス社会なんていわれるが、私たちももうちょっと人生に適当になってもいいのかも知れない。

 ただし、その自由で適当で子供っぽい中に、そっと孤独の痛みや苦味が混じっていることも忘れてはいけない。おそらく、これこそがロメールの映画が一流である証拠である。そしてそれらの混沌とした人間悲喜劇は、イザベルとその他の人々が歌い踊る見事なラストシーンの中に吸い込まれていく。音楽に乗って歌われる歌詞はこのようなものだった。私たちの人生が旅なら、晴れた日が多ければいいな……。

 熟成されたワインの如き芳醇さと、恋と孤独と人間心理の綾が織り成すロンド。それが『恋の秋』である。とりあえずこの映画を自宅で観る場合は極力ブルーレイで観ることをお薦めしたい。美しさに言葉を失うこと間違いなしだ。



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