『他人まかせの自伝――あとづけの詩学』 アントニオ・タブッキ ☆☆☆☆
久しぶりにタブッキの新刊が出た、ということで飛びつくようにして買った『他人まかせの自伝』。残念ながら小説じゃないが、テキストの虚構性とその依って立つコンテキストにきわめて意識的なタブッキの場合、エッセーと小説の境界線はそれほど明確ではないのである。アマゾンの内容紹介にも「フィクションと現実を行き来するように語られるエッセイは、それ自体ひとつの作品として豊かな味わいをもつ」と書いてある。
というわけで期待して買った本書、やはり期待は裏切られなかった。これは『レクイエム』『遠い水平線』『供述によるとペレイラは…』『ピム港の女』『いつも手遅れ』といった自作の解説、というか特定の視点からの注釈であり、同時にそれ自体作品でもあるテキスト集である。自作の解説、と言い切ってしまうのに躊躇するのは、決してタブッキはこれらの作品の創作過程や意図を包括的に説明しているわけではないからだ。ファンサービスの種明かしはしていない。むしろ作品世界をさらに広げるような、「それホント?」と疑いたくなるようなエピソードが紹介されていたりする。
つまりこれは、過去の自分の作品に更なる多義性を付与するという、きわめてタブッキ的なテーマともくろみを持った作品集と考えられる。テキストの形式もさまざまで、エッセー形式もあればタブッキ自身の書簡、あるいは第三者が書いた書簡の引き写しまである。どこまで本当か疑わしい。おおむねあちこちに発表した文章の寄せ集めだが、純然たる書き下ろしもあれば、過去の作品集に入れるはずだったがなぜか漏れてしまったテキスト、などというものも収録されている。なんだかいかにもタブッキの短編集にありそうな仕掛けじゃないか。その場合、先行する作品集のイメージ、そこから漏れたテキスト=欠落分という付加価値、それをここで発表することの意味、そしてテキスト自体の隠喩性、などが渾然一体となってタブッキの「作品」になるのである。明らかにタブッキはこういうことを意図的にやる作家だ。『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』収録の「今はない或る物語の物語」を思い出してみるといい。
また、『ピム港の女』(邦題『島とクジラと女をめぐる断片』)の中で、ある人物から聞いた話ということになっていた物語が実は完全に虚構であったことを(これまた虚構的な状況の中で)ひょいと告白することによって、作品そのものはもちろん、本書エッセー中のあらゆる言明の虚実が一層あやふやになってしまっている。その告白そのものも、本当かどうか分からないのである。どこまで計算なんだろう、この人は。
さて、そういう本書であるので、採り上げてある作品ごとにタブッキのアプローチは微妙に異なっている。『レクイエム』では、実際に自分が見た父親の夢が主要なテーマであり、ほぼこの話題に終始している。『遠い水平線』では、先週のレビューにも書いた通りラストのスピーノの笑いに焦点を絞っている。なぜスピーノは笑ったのかという疑問に対し、作者自身のいくつかの「解釈」を提示していて、この「解釈」を読むと『遠い水平線』の作品世界がさらに広がっていくのが実感できる。また『供述によるとペレイラは…』に関しては、自分のもとにペレイラが現れたという創作のきっかけの話がメインで、この作品にこめられている社会的メッセージそのものには直接触れられていない。
このように本書はきわめて暗示的な、たくらみに満ちたテキスト集となっている。本書の中に次のような一文がある。「作者にとって(そして読者にとってもだと思いますが)、本は、それが終わるところで終わっているのでは決してありません。本は、膨張を続ける小さな宇宙なのです」これを単なるレトリックに終わらせず、本を読み終えるとそこで思考停止してしまう怠惰な読者にもはっきり分かるように、実際に実践してみせたのが、本書のテキストの数々という見方もできるように思う。
ところでタブッキの熱心な読者ならご存知の通り、『いつも手遅れ』なる作品は日本語に翻訳されていない。書簡体の作品集で、連作短編集みたいなものらしい。いろんな人物が書いた書簡によって、その背後に隠された物語を暗示するといった趣向のようだ。面白そうだ。なぜ日本の出版社は翻訳しないのか。他にも『トリスターノは死ぬ』とか『時は老いを急ぐ』とか未訳作品があるようで、訳者はあとがきで短編集『時は老いを急ぐ』のレベルの高さについて語り、読んでみてください、と書いている。だったらはやく翻訳してくれ。お願いします。
久しぶりにタブッキの新刊が出た、ということで飛びつくようにして買った『他人まかせの自伝』。残念ながら小説じゃないが、テキストの虚構性とその依って立つコンテキストにきわめて意識的なタブッキの場合、エッセーと小説の境界線はそれほど明確ではないのである。アマゾンの内容紹介にも「フィクションと現実を行き来するように語られるエッセイは、それ自体ひとつの作品として豊かな味わいをもつ」と書いてある。
というわけで期待して買った本書、やはり期待は裏切られなかった。これは『レクイエム』『遠い水平線』『供述によるとペレイラは…』『ピム港の女』『いつも手遅れ』といった自作の解説、というか特定の視点からの注釈であり、同時にそれ自体作品でもあるテキスト集である。自作の解説、と言い切ってしまうのに躊躇するのは、決してタブッキはこれらの作品の創作過程や意図を包括的に説明しているわけではないからだ。ファンサービスの種明かしはしていない。むしろ作品世界をさらに広げるような、「それホント?」と疑いたくなるようなエピソードが紹介されていたりする。
つまりこれは、過去の自分の作品に更なる多義性を付与するという、きわめてタブッキ的なテーマともくろみを持った作品集と考えられる。テキストの形式もさまざまで、エッセー形式もあればタブッキ自身の書簡、あるいは第三者が書いた書簡の引き写しまである。どこまで本当か疑わしい。おおむねあちこちに発表した文章の寄せ集めだが、純然たる書き下ろしもあれば、過去の作品集に入れるはずだったがなぜか漏れてしまったテキスト、などというものも収録されている。なんだかいかにもタブッキの短編集にありそうな仕掛けじゃないか。その場合、先行する作品集のイメージ、そこから漏れたテキスト=欠落分という付加価値、それをここで発表することの意味、そしてテキスト自体の隠喩性、などが渾然一体となってタブッキの「作品」になるのである。明らかにタブッキはこういうことを意図的にやる作家だ。『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』収録の「今はない或る物語の物語」を思い出してみるといい。
また、『ピム港の女』(邦題『島とクジラと女をめぐる断片』)の中で、ある人物から聞いた話ということになっていた物語が実は完全に虚構であったことを(これまた虚構的な状況の中で)ひょいと告白することによって、作品そのものはもちろん、本書エッセー中のあらゆる言明の虚実が一層あやふやになってしまっている。その告白そのものも、本当かどうか分からないのである。どこまで計算なんだろう、この人は。
さて、そういう本書であるので、採り上げてある作品ごとにタブッキのアプローチは微妙に異なっている。『レクイエム』では、実際に自分が見た父親の夢が主要なテーマであり、ほぼこの話題に終始している。『遠い水平線』では、先週のレビューにも書いた通りラストのスピーノの笑いに焦点を絞っている。なぜスピーノは笑ったのかという疑問に対し、作者自身のいくつかの「解釈」を提示していて、この「解釈」を読むと『遠い水平線』の作品世界がさらに広がっていくのが実感できる。また『供述によるとペレイラは…』に関しては、自分のもとにペレイラが現れたという創作のきっかけの話がメインで、この作品にこめられている社会的メッセージそのものには直接触れられていない。
このように本書はきわめて暗示的な、たくらみに満ちたテキスト集となっている。本書の中に次のような一文がある。「作者にとって(そして読者にとってもだと思いますが)、本は、それが終わるところで終わっているのでは決してありません。本は、膨張を続ける小さな宇宙なのです」これを単なるレトリックに終わらせず、本を読み終えるとそこで思考停止してしまう怠惰な読者にもはっきり分かるように、実際に実践してみせたのが、本書のテキストの数々という見方もできるように思う。
ところでタブッキの熱心な読者ならご存知の通り、『いつも手遅れ』なる作品は日本語に翻訳されていない。書簡体の作品集で、連作短編集みたいなものらしい。いろんな人物が書いた書簡によって、その背後に隠された物語を暗示するといった趣向のようだ。面白そうだ。なぜ日本の出版社は翻訳しないのか。他にも『トリスターノは死ぬ』とか『時は老いを急ぐ』とか未訳作品があるようで、訳者はあとがきで短編集『時は老いを急ぐ』のレベルの高さについて語り、読んでみてください、と書いている。だったらはやく翻訳してくれ。お願いします。
アントニオ・タブッキは私にとって特別な作家でした。タブッキに似た作家は存在しません。彼の小説は本当の意味でユニークです。「時は老いをいそぐ」も素晴らしい作品集です。これからタブッキがいかなる境地に上りつめていくのか、楽しみで仕方がありませんでした。それなのに。
本当に惜しいです。
発売された「時は老いをいそぐ」を読みながら、晩年になって何を思っていたのか、と考えている次第です。
この調子でタブッキの未訳本は全部出して欲しいですね。
ちなみに、Amazonでは発売日が違っていましたね(河出書房のホームページでは、前のコメントの通り)。Amazonでは、タブッキ新刊2月16日、クンデラ評論1月20日が発売日となっています。まあ、予定日なので今後ずれるかもしれませんが、一応伝えておきます。
今後が楽しみですね。
それに、このブログがきっかけでタブッキに興味を持っていただいたいたとしたら、こんな嬉しいことはありません。今後ともよろしくお願い致します。
タブッキは私の好きな作家ですが(きっかけはこのブログの記事からです)、今年の2月17日に新刊「時は老いをいそぐ」が河出書房から発売となるので思わずコメントしました。
クンデラの評論も1月24日に発売となるので、これからの河出書房には要注目ですね。