アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

レクイエム

2008-08-01 22:36:00 | 
『レクイエム』 アントニオ・タブッキ   ☆☆☆☆☆

 最近タブッキ本を再読しているが、読み返すたびに魅惑を増していく作品の数々は本当に素晴らしい。この『レクイエム』は、『インド夜想曲』『遠い水平線』と同系統のいわばクラシック・タブッキである。今回の舞台は7月のリスボン。夏の盛りのある日、「わたし」は町をさまよい、実在の人々や、記憶の中から蘇った死者達とめぐり合い、会話を交わす。プロットは基本的にこれだけである。最後に「詩人」との約束というメインイベントが控えているが、それも食事をしながら淡々と会話を交わすだけで、別に筋が盛り上がったりするわけではない。本書には「ある幻覚」と副題がついているが、「わたし」が記憶の中の人々とただ順番に出会っていくというシンプルな設定、これが本書の魅力の源泉であり、コロンブスの卵のようなタブッキ魔術の秘密である。タブッキは筋で読者をひきつけようとはせず、魅力的な虚構の「場」を作リ出す。

 ボッスの絵を模写する画家や、ジプシーの占い師のエピソードは詩的で面白いし、死者である父親やタデウシュとの邂逅が幻想的なのは当然だが、この小説の中ではたとえばサラブーリョの料理法や、ラコステの贋物シャツ、ビリヤードの賭けの話など、特にどうってことないような一見とりとめのない会話の断片ですら魅力的に思える。これは一体どういうことなのか。もちろんタブッキの文章が、読んでいるだけで読者を幸福にするほど音楽的ということもあるが、私が思うに、これはやはりタブッキが作り出す「場」の力なのである。取るに足りないような細部が魅惑的に輝き出す、不思議な「場」の力。これは『インド夜想曲』や『島とクジラと女をめぐる断片』『供述によるとペレイラは……』 などを読んでも強烈に感じることができる。

 須賀敦子氏は『インド夜想曲』のあとがきで「読者はこれまで試みられたことのない、新鮮な次元で物語が進行しているの気づく」と書き、『島とクジラ』のあとがきで「こんなふうにも、本を作ることができるのだ。そう考えたとき、私は、知りつくしているはずの家にあたらしい窓があるのは発見したみたいに、うれしかった」と書いているが、私も最初にタブッキを読んだ時まったく同じように感じた。

 本書では「わたし」の父親が出てきて自分の死に方について話をするが、実際にタブッキの父親も喉の手術をしていて、そのことは『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』収録の『マカオの文書館』でも題材になっている。一時期灯台に住んでいたことも『今はない或る物語の物語』に書かれたことと同じだ。本書の「わたし」がどこまでタブッキ本人に近いのか私には分からないが、ペソアへの思いいれといい、かなり近いことは間違いないと思う。タブッキが自分自身の人生の断片を作品に織り込む作家らしいというのは実は最近知ったことなのだが、それを知って再読すると、この小説のこまごました細部がまたひときわ美しさを増した気がした。


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