『十三番目の人格―ISOLA』 貴志祐介 ☆☆☆
貴志祐介が『黒い家』の前に書いたホラー小説。第三回日本ホラー小説大賞長編賞佳作。この翌年に、著者は『黒い家』で第四回日本ホラー小説大賞を受賞することになる。なかなか新作を出してくれないので読んでみたが、やはり『黒い家』あたりと比べると色々と粗い。話の展開も作為が目立つし、頑張ってストーリーを作っているなという感じがする。個々のエピソードが組み合わさって出来上がる全体像のバランスも今一つだし、仕掛けもところどころチグハグな印象を与える。
が、貴志祐介ならでは個性はすでに感じられる。何より、ホラー小説にとって大切な「まがまがしさ」がある。『黒い家』や『クリムゾンの迷宮』あるいは『新世界より』ほど全開にはなっていないにせよ、萌芽が感じられる。これこそ、上質な恐怖小説を恐怖小説たらしめるものだ。かつ、キャラクターやストーリー展開にさまざまな工夫を凝らし物語を丁寧に編み上げていく職人的姿勢もすでに顕著。従ってページターナーぶりは十分で、週末イッキ読み用のエンタメとしては水準をクリアしている。
「まがまがしさ」と言ったのは、たとえば千尋の中に存在する「犬殺し」専門の人格・範子が登場するあたりで強く感じられるが、人間(しかもいたいけな少女)の心がこういう不気味なものを作り出してしまうという発想の中に、「結局人間が一番怖い」という貴志祐介ホラーの精髄が息づいている。またそれが、その後の更に不気味なイソラの登場につながっていくところに作者の物語巧者ぶりが光る。主人公の由香里がエンパスとしての特殊能力で感知するイソラの「姿」(自己イメージ)も、実にまがまがしく、不気味である。このあたりのセンスはやはり貴志祐介ならではだ。ちなみに、人間が何か別にものに変異してしまうというのは貴志祐介の重要なオブセッションの一つである。
この物語の構造に触れておくと、まず「十三番目の人格」というタイトルから分かるように多重人格を扱っているため、サイコホラー的に始まる。ただし、主人公の由香里がエンパス(他人の感情を読み取れる特殊能力の持ち主)であるというSF的設定と、阪神大震災という現実の災害を背景にしている点が特徴的で、リアリズムと荒唐無稽が大胆に入り混じっている。そして前半は、由香里が千尋の中に十以上の異なる人格を見つけ、その原因を探り、少女を救おうとする努力がメインとなるが、心理テストを使って不安感とスリルを煽るテクニックは『黒い家』でも使われていて、その前哨戦のような印象を与える。
そして後半、いよいよ真打ちというべき十三番目の人格イソラが登場するのだが、意外なことに、ここで物語はサイコホラーから大きく舵を切ってSFもしくはオカルトへと傾斜していく。この急激な方向転換はいささか読者を戸惑わせるかも知れない。サブプロットだと思っていたものがメインプロットに取って替わる。意外性がある一方で、期待を裏切られた気分になる読者もいるだろう。また、そのSFまたはオカルトのアイデアは相当に荒唐無稽な域に足を踏み入れていて、それまで一応リアリズムの範疇にあった「多重人格」からも大きく逸脱してしまうので、ここでもリアリズムと荒唐無稽の落差に戸惑う読者がいるだろう。
こういうところが、後の貴志祐介作品と比べてまだ未熟さを感じるところである。肝心なクライマックスも物足りない。考えに考えて工夫を凝らした落としどころということは分かるが、理に落ちてしまった感じがして寂しい。こういうストーリーではもっと、はっちゃけて欲しいのだ。読者はカタルシスが欲しいのである。やっぱり、もっともっとイソラに暴れさせるべきだった。いや、イソラはほとんど圧倒的強者なので難しいのは分かるのだが。
そして最後に読者を待ち受ける、きわめつけのバッドエンド。ほっとさせた後でうっちゃりを食わせるというホラー映画の常道だけれども、これじゃ話が終わんねーじゃんという気がしないでもない。「あれはプロローグに過ぎなかった」とかいって、パート2が出来そうである。
というか、実際やってくれないかな、「十三番目の人格 part 2」。今の貴志祐介が書けば、パート1を余裕でしのぐ面白いホラーができるんじゃね?
貴志祐介が『黒い家』の前に書いたホラー小説。第三回日本ホラー小説大賞長編賞佳作。この翌年に、著者は『黒い家』で第四回日本ホラー小説大賞を受賞することになる。なかなか新作を出してくれないので読んでみたが、やはり『黒い家』あたりと比べると色々と粗い。話の展開も作為が目立つし、頑張ってストーリーを作っているなという感じがする。個々のエピソードが組み合わさって出来上がる全体像のバランスも今一つだし、仕掛けもところどころチグハグな印象を与える。
が、貴志祐介ならでは個性はすでに感じられる。何より、ホラー小説にとって大切な「まがまがしさ」がある。『黒い家』や『クリムゾンの迷宮』あるいは『新世界より』ほど全開にはなっていないにせよ、萌芽が感じられる。これこそ、上質な恐怖小説を恐怖小説たらしめるものだ。かつ、キャラクターやストーリー展開にさまざまな工夫を凝らし物語を丁寧に編み上げていく職人的姿勢もすでに顕著。従ってページターナーぶりは十分で、週末イッキ読み用のエンタメとしては水準をクリアしている。
「まがまがしさ」と言ったのは、たとえば千尋の中に存在する「犬殺し」専門の人格・範子が登場するあたりで強く感じられるが、人間(しかもいたいけな少女)の心がこういう不気味なものを作り出してしまうという発想の中に、「結局人間が一番怖い」という貴志祐介ホラーの精髄が息づいている。またそれが、その後の更に不気味なイソラの登場につながっていくところに作者の物語巧者ぶりが光る。主人公の由香里がエンパスとしての特殊能力で感知するイソラの「姿」(自己イメージ)も、実にまがまがしく、不気味である。このあたりのセンスはやはり貴志祐介ならではだ。ちなみに、人間が何か別にものに変異してしまうというのは貴志祐介の重要なオブセッションの一つである。
この物語の構造に触れておくと、まず「十三番目の人格」というタイトルから分かるように多重人格を扱っているため、サイコホラー的に始まる。ただし、主人公の由香里がエンパス(他人の感情を読み取れる特殊能力の持ち主)であるというSF的設定と、阪神大震災という現実の災害を背景にしている点が特徴的で、リアリズムと荒唐無稽が大胆に入り混じっている。そして前半は、由香里が千尋の中に十以上の異なる人格を見つけ、その原因を探り、少女を救おうとする努力がメインとなるが、心理テストを使って不安感とスリルを煽るテクニックは『黒い家』でも使われていて、その前哨戦のような印象を与える。
そして後半、いよいよ真打ちというべき十三番目の人格イソラが登場するのだが、意外なことに、ここで物語はサイコホラーから大きく舵を切ってSFもしくはオカルトへと傾斜していく。この急激な方向転換はいささか読者を戸惑わせるかも知れない。サブプロットだと思っていたものがメインプロットに取って替わる。意外性がある一方で、期待を裏切られた気分になる読者もいるだろう。また、そのSFまたはオカルトのアイデアは相当に荒唐無稽な域に足を踏み入れていて、それまで一応リアリズムの範疇にあった「多重人格」からも大きく逸脱してしまうので、ここでもリアリズムと荒唐無稽の落差に戸惑う読者がいるだろう。
こういうところが、後の貴志祐介作品と比べてまだ未熟さを感じるところである。肝心なクライマックスも物足りない。考えに考えて工夫を凝らした落としどころということは分かるが、理に落ちてしまった感じがして寂しい。こういうストーリーではもっと、はっちゃけて欲しいのだ。読者はカタルシスが欲しいのである。やっぱり、もっともっとイソラに暴れさせるべきだった。いや、イソラはほとんど圧倒的強者なので難しいのは分かるのだが。
そして最後に読者を待ち受ける、きわめつけのバッドエンド。ほっとさせた後でうっちゃりを食わせるというホラー映画の常道だけれども、これじゃ話が終わんねーじゃんという気がしないでもない。「あれはプロローグに過ぎなかった」とかいって、パート2が出来そうである。
というか、実際やってくれないかな、「十三番目の人格 part 2」。今の貴志祐介が書けば、パート1を余裕でしのぐ面白いホラーができるんじゃね?
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